ローズヒップ駆る聖グロリアーナ連絡艇は、南南西の方角めがけて、大洗学園艦より飛び出した。
瞬く間に大洗学園艦は後方に小さくなっていって、雲に飲み込まれてすぐに見えなくなってしまう。
聖グロリアーナ所属、連絡艇クルセイダーはアレギウムで用いられている星間連絡艇と同型の機体だ。星の海を渡り得る鋼の鳥であれば、たとえ太平洋だろうとひとっ飛びで越えることができる。
レーダーには追っ手らしい機影も見えない。
みほ達は、完璧に逃げ切ったと言ってよかった。
「……」
「……」
「……」
だが、みほ達の顔に喜びはない。
みほは口を真一文字にきつく結んで、思い詰めた様子でうつむいている。
豪放磊落な絹代も、明朗快活なローズヒップですらも、同じように押し黙って厳しい顔をしていた。
窮地は脱した。
だが状況は全く改善していない。みなの所在も状況も、そもそも今何が起こっているのかすら、解っていない。
ただ我が身の自由さだけは確保した、というだけに過ぎないのだ。
「――それで」
そんな中、真っ先に立ち直ったのはローズヒップだった。
直情径行で知られる彼女だが、その愛すべき単純さはこういう時に真価を発揮する。
余人が考え込んで動けなくなるような状況でも、感ずるままに動けるのが彼女の強みなのだ。
「行き先はどこにいたします、みほ様?」
「……え?」
急に話し掛けられて、みほは呆けた声を出し、唖然とした表情であったが、それも一瞬のこと。
思考の海からひとたび引き出されれば、隊長然とした凛々しい顔に一変する。
「今、私達が向かうべき先は――」
みほは、ローズヒップへと指示を飛ばした。
――stage04
『エスケープ』
電話が鳴り出したのは、ダージリンが一人、アフタヌーンティーを楽しんでいた時だった。
アッサムも、いつもは傍らに控えているオレンジペコも今は共に居ない。
ダージリンはヴィクトリア朝様式のテーブルの上に置かれた、豪奢な装飾の電話を手に取った。
「もしもし」
と、優雅な声で電話に出れば、代わって来たのは聞き慣れた騒々しい声であった。
『あー! ダージリン様ですか! 一発で出てくださって超うれしいですわー! ローズヒップ! お電話差し上げましたですわー!』
最初の「あー」が僅かに鼓膜を揺らした瞬間には、ダージリンは受話器から耳を離していた。
元気のいいことは結構であるが、彼女の大声を直に聞けば、暫く耳が利かなくなるのはありがたくない。
「じゅうぶんに聞こえているわよローズヒップ。もう少しばかり声を抑えてくれないかしら」
『そうでございましたわ! 私としたことがうっかりしておりましたわ!』
と、それでもじゅうぶんに大きな声でローズヒップは声をひそめて言った。
『緊急事態ですわ、ダージリン様! 即刻お知らせせねばと思って、お電話差し上げましたわ!』
「お待ちなさい、ローズヒップ」
ローズヒップの言葉に、不穏な何かを感じ取ったダージリンは一旦彼女の話を制止し、電話機の下、単なるインテリアと思えたテーブルの上に指を這わせた。
するとどうだろう。木製と見えたテーブルの表面がパカっと開いて、その内側に隠されたコンソールがあらわになる。
ダージリンがキーパッドでコードを入力すれば、暗号化装置が起動したことを液晶画面が告げた。
名門、聖グロリアーナの隊長ともあれば、電話一つとっても抜かりはない。
「大丈夫。そちらの装置もスイッチは入れたわね?」
『万事抜かり無しですわダージリン様!』
「そう。なら、何があったのかを話してくれるかしら、ローズヒップ」
ローズヒップは簡潔な言葉で事の経緯について説明し、今自分たちがいるのが、ひと目につかない無人の海岸であることなども付け加えて告げた。
ダージリンは静かに、適度に頷きながらローズヒップの話を聞いていたが、話が進むに連れて受話器を握る力は段々と増していき、左指に電話のコードを絡ませる回数も増えていった。
「――そう、大変だったのねローズヒップ」
話が終わった時、ダージリンが漏らした言葉は、彼女には珍しく微かに感情に震えていた。
それはオレンジペコのような、彼女に近しいものにしか解らない程の微かな震えだったが、しかしそれは確かに、怒りの感情によるものであった。
「みほさんに、代わって頂けるかしら」
――◆Girls und Armored trooper◆
『ごきげんよう、みほさん』
「ダージリンさん……」
相変わらずの優雅で落ち着いた声を耳にすれば、みほもどことなく安心した心持ちになった。
降って湧いたような突然すぎる緊急事態には、みほと言えども心労を感じずにはいられないのだから。
『どうも大変な事態になっているようね』
「はい……。正直な所、何がいったい、どうなっているのか解らなくて……」
『それも当然だわ。こんな状況になれば、誰だって不安でおかしくなりそうになってしまう……でもね、みほさん』
ダージリンはいつもの余裕に乗せて、古代ギリシアの哲人の言葉を引用してみせた。
『「順境において友を得るは易く、逆境において友を得るは難し」……でもみほさんには居るわ。逆境であろうともすぐさま手を差し伸べてくれる友人たちが大勢ね。私も含めてだけれど』
いたずらっぽく最後に付け加えるダージリンの声は優しかった。それが何よりも今のみほにはありがたい。
『ひとまず、聖グロリアーナにいらっしゃいなさい。暫くの間はウチで過ごせば良いわ。元々、みほさんならばいつでも大歓迎なんですけれど』
「それは遠慮させて頂きます」
だがみほはダージリンのこの申し出は、はっきりと断った。
受話器の向こうで、ダージリンが驚いたのが何故かみほにも解った。
『どうしてかしら?』
「この機体が聖グロリアーナ所属であることを相手は既に知っています。私がそちらにお世話になれば、それもすぐに相手に知られます。そうすれば、迷惑をかけることになります」
『あら? 多少の迷惑で揺らぐ聖グロリアーナではなくってよ』
「それでもです。相手が相手である以上、どんな手段に訴えてくるか解らないから」
大洗学園艦で何があったのか。その本当の所をみほは知らないが、確信に近い推測がひとつあった。
――文科省直属の機甲兵団のAT降下部隊を用いた、学校占拠と強制廃校。
もしこの推測が本当に当たっていたなら、今の文科省は一切手段を選ばない相手ということになる。
既に相手の制止を振り切って逃げた後なのだ。これ以上自分と関われば、聖グロリアーナに対しどんな手を出してくるか知れたものではない。
「私は、私で何とかやってみたいと思います」
みほは、ダージリンへとそうはっきりと告げた。
今はただ、自分の信じたやり方で、進むしかない。
――◆Girls und Armored trooper◆
受話器を置いたダージリンは、暫し静かに考え込んでいた様子だったが、不意に俯いていた顔を上げれば、机上の呼び鈴を鳴らしてその名を呼んだ。
「アッサム」
当のアッサムが現れたのは直後であった。
聖グロリアーナきっての諜報員たる彼女らしい、魔法のような神出鬼没さである。
「状況は思った以上に深刻よ、ダージリン」
合理主義者らしく、余計な前置きは抜きにしてアッサムは大洗の状況について述べた。
「文科省からの正式発表はなし。けれども既にSNSなどを通じて大洗学園艦に何か異常事態が起こっていることは広まりつつあるわ。住民が撮ったと思しき画像がインターネット上に出回っているのだけれど……」
アッサムの手にした小型PCの画面をダージリンが覗き込めば、手ブレがひどく歪んだ画像ながら、はっきりと鋼の機影が写っているのが解る。その肩に染め抜かれた、紋章もである。
「文部科学省機甲兵団のAT降下部隊……」
「全く隠す気がない、堂々たる武力制圧よ……ダージリン、こんな暴挙は許されて良いものじゃないわ」
文科省の余りのやり方に、冷静を以て知られるアッサムですら、怒りに頬を紅潮させていた。
ダージリンの方はと言えば相変わらずの曖昧な、どうとでも解釈できる微笑み顔ではあったが、紅茶のカップを持つ手は彼女には珍しく微かに力んで、ごく僅かながら震えていた。
「……まずは情報ね。文科省に直接問い合わせることから始めて、少しでも現状を明らかにするのよ。それとペコ」
「はい。ダージリン様」
ダージリンが呼べば、まるで隣に今まで控えていたような自然さで、オレンジペコが姿を現した。
実際にはつい今しがた部屋へと入って来た所なのだが、こういう唐突な呼びかけにも応えられなければ、この気まぐれでいたずらっ気溢れる聖グロリアーナ装甲騎兵道隊長の側近は務まらない。
「学校備品の紛失届が一枚、短期転校の届け出用紙を一枚、それと便箋に万年筆を用意してくれないかしら」
「紛失届けと転校届けはローズヒップさん用でしょうけど、便箋と万年筆は何にお使いになるんですか?」
流石はオレンジペコで、ダージリンの望みを言わずして半分まで当ててみせている。
当てられなかった残りの部分については、ダージリンが自ら講釈して見せた。
「手紙を書こうと思うの。装甲騎兵の道を進む学友たちに向けて」
「……それは『ふれぶみ』ってやつですか?」
「ええ。世間を沸き立たせ、騒動を燃え上がらせるようなね」
ダージリンはペコに向けて微笑んだ。
しかしその両目が全く笑っていないことが、オレンジペコにはひと目で解った。
「……みほさんに手出しは無用と釘を刺されたんじゃなかったでしたっけ?」
「『戦争はいちばんあとから、宴会は真っ先かけて』――」
「『これが腰抜け武士と食いしん坊の守るべき掟だ』……。シェークスピア、『ヘンリー四世』のフォルスタッフの台詞ですね」
ペコが二の句を継いで、引用元まで言い当てた所で、ダージリンは付け加えて言った。
「でも私の場合は、『戦争は真っ先かけて、宴会も真っ先かけて』。それが聖グロリアーナのダージリンの守るべき掟なの」
それを聞いてアッサムがため息をついて、額に人差し指を押し当てた。
――◆Girls und Armored trooper◆
「……遅いですわ。すごく遅いですわ」
ローズヒップが、イライラした様子で、貧乏ゆすりをしながら呟いた。
「ローカル線だから致し方なしだ。それはそうと貧乏ゆすりはやめろローズヒップ。行儀が悪い」
絹代がそんなローズヒップを窘めた。
「……」
みほはと言えば、申し訳無さそうな顔をして俯いてしまっている。
そんな彼女の肩を、絹代はポンポンと叩いて言う。
「気にしないでくださいみほさん。窮地の友人を見捨てるのは知波単魂に反します」
すかさずローズヒップも絹代に続いた。
「そうですわよ! ダージリン様もおっしゃっていましたわ! 『ミヨイテ過ぎたる夕立なり』!」
「……『義を見てせざるは勇なきなり』ですか」
「そうとも言いますわ!」
「……っ」
みほは思わず吹き出して、少しばかり気分が軽くなった。
そして、外をゆっくりと過ぎゆく、景色に目をやった。
独り行かんとしたみほの、両腕をがっしりと組んできたのは絹代とローズヒップの二人。
もとより二人は、みほに一人で戦わせるつもりなどない。
連絡艇はその中のATごとさる場所に隠した。相手にマークされているであろう機体を使う愚行はおかさない。
それらを「落とし物として拾う」役は、月面の彼女たちに任せ、在来線の電車に揺られながら、三人が向かう場所は、さる港町。
千葉県銚子市。
知波単学園の、寄港地のひとつであった。
――予告
「……やれやれ。何やら面倒事を押し付けられてしまったようだけど、まぁビジネスパートナーともあれば見捨てるわけにもいかないかな。それはそうと知波単学園を目指すみほ達や、水面下で動き始めるダージリンたちの一方で、大洗のみんなはと言えば彼女たちは彼女たちで大変だ。押し込められたのは酸の雨降り注ぐ廃棄都市。迫りくる砂もぐらのあぎとをぬって、まず得るべきは今日の糧かな」
次回『ゴーストタウン』