その日、ニーナが郵便ポストの蓋を開くと、珍しいことに中身がちゃんと入っていた。
「あれまぁ~なんだべ?」
プラウダ学園艦甲板上、装甲騎兵道チーム練習施設の一角、打ちっ放しのコンクリートの上にポツンと立った古臭い意匠の郵便受けの中身を確認するのは、ニーナ達一年生の仕事だ。防諜上の理由から、外部の人間が頻繁に出入りする郵便受けは施設の一番外に配置され、しかも辺りには遮るものもなく吹きっさらしだ。今は夏だから良いが、秋に入ればもう寄せる風波に凍え上がるハメになる。だからこそ一年生の仕事になっている訳だが、ほとんど場合、郵便受けの中身はどうでも良いAT関連の広告か、請求書の類でしか無い。
だが、今日に限って珍しく、封筒に入った普通の手紙が入っていたのだ。
「は~これまたたっかそうな封筒」
コンビニで売っているような茶封筒ではなく、絹のような肌触りの白い封筒で、裏面を見ればわざわざ封蝋まで押されていた。その封蝋の紋章には、ニーナも見覚えがあった。
「これって……聖グロリアーナの!」
湯気を吐くティーポッドとカップの紋章は間違いなく聖グロリアーナのものだった。
差出人の名の部分には、ただDの一文字が記されていたが、それが何を意味するかは誰の眼にも明らかだった。
「てぇーへんだぁ~!」
聖グロリアーナの隊長が直々に手紙を送ってくるとはただごとではない。
ニーナは大急ぎでだだっ広い訓練場のアスファルトを駆け抜け、七階建ての通信アンテナへと向かった。
その最上階こそが、プラウダ高校装甲騎兵道チームが隊長、カチューシャの根城に他ならない。
エレベーターに乗って一息に最上階へ。最初に出迎えたのはノンナだった。
「カチューシャ隊長に~お手紙です」
「誰からですか?」
「聖グロリアーナの、ダージリンさまからですぅ」
ニーナから受け取ったカチューシャ宛の手紙を、躊躇うことなく開封し、ノンナは中身をじっくりと読む。
蝋封をどこから取り出したのかカミソリでスッと切り開く業前は、手慣れたものにしかできない動きだった。
「……」
紙面を目で追うノンナの眉の間が、徐々に険しさを増していく。
元々が怜悧な美人であるノンナである。眉を顰めれば、その美貌の冷たい気迫は否が応でも増す。
カチューシャの機嫌を損ねたときのようなノンナの表情に、ニーナは震え上がった。
「……ニーナ」
「はいです!?」
裏返った声でニーナは応えた。
「装甲騎兵道受講者を召集しなさい。大至急」
「はいです!」
再度裏返った声で応えれば、ニーナは飛ぶように駆け去った。
手紙を手際よく封筒に戻したノンナは、隊長室の一角、専用のベッドで眠るカチューシャを優しく揺り起こす。
「……ムニャ……なによ、ノンナ」
眼を擦りながらカチューシャがあくびをすれば、ハンカチに続けてダージリンからの封筒を差し出した。
「何よコレ。ダージリン? なんでわざわざ手紙なんかで……」
装甲騎兵道関連の連絡は主にメールかSNSで行っている。
それをわざわざ手紙など出してくるとは。何か特別な意味があるのか否か。相手があのダージリンだけに判断がつきかねた。
「ナイフ」
「はい」
ノンナが銃剣風のペーパーナイフを差し出せば、不器用な手つきでカチューシャが封蝋を外す。
中に入っていたのは、センスの良い文様が描かれた便箋だ。
そこには恐らくは万年筆を使ったものであろう、ダージリンらしい優雅な筆跡が踊っている。
寝ぼけ眼をこすりながら、カチューシャは読み進め……徐々に顔が険しくなり、最後は怒りに真っ赤になった。
「……のんなぁっ!」
「はい。カチューシャ」
「いぃまぁすぐ同志達を召集しなさい! 大至急! 今すぐに!」
「もうやってます」
ノンナの返事を聞いた直後には、カチューシャは肩を怒らせてエレベーターへと向かっている。
なんでノンナがカチューシャが出すであろう指示を解っていたのか、それを疑問に思うこともなく、怒りに便箋を握りしめながら、カチューシャは歩む。
手紙に書かれたいたのは他でもない、大洗強制廃校の経緯であった。
――stage07
『キャッスル』
ダージリンが四方に放った檄文を読んだ装甲騎兵道娘の反応は決まって同じだった。
皆一様に、驚き、哀しみ、そして憤りに燃えていた。
「即時全員招集! Hurry up!」
「「イエス、マム!」」
ガッデーム!と思わず吠えたケイもまた、アリサとナオミに即座に招集指示を下す。
いつもはなんだかんだで明るくフランクなケイが、こうも怒りを露わにするのは珍しく、それだけにアリサなどは顔を青ざめさせながら走り出す。広いサンダース学園艦の中を、瞬く間に急報が駆け巡る。
「号外! 号外!」
「全員コロッセオに集まれー!」
アンツィオではカルパッチョがツヴァークを走らせ、その平たい頭上に設けられた即席のキャットウォークから、ペパロニがビラを撒き散らし、アンチョビが拡声器で叫ぶ。ビラの中身を見たアンツィオ装甲騎兵乙女達は、こりゃ一大事とコロッセオに走る。
「エリカ」
「はい隊長」
一方、黒森峰ではまほが表面上は冷静にエリカにチームの招集を命じていた。
余人には普段と変わらぬと見えるまほの鉄面皮も、エリカの眼からすればどこか落ち着かない様子に見えた。
実際、エリカからは見えぬ後ろ手では、まほはダージリンからの檄文を握りしめていたのだった。
「……」
冬の湖のように静かな瞳の奥で、怒りの炎を燃やすまほ。
そんな彼女の携帯通信端末が、出し抜けに着信音を鳴らす。
「はい」
相手も確かめずまほが電話に出れば、相手は予期せぬ人物であった。
『まほ』
「!……はい、お母様」
いつも変わらぬ、冷たく厳しい呼び声。
しかし何故だろう、娘だから解る些細な違和感か。
母の、西住流家元、西住しほの声はかすかに震えて聞こえた。
――◆Girls und Armored trooper◆
――まずいことになった、と、辻廉太は額の汗をハンカチで拭いながら胸中で嘆息した。
「納得のいく説明を頂きたい」
黒の上下に白いシャツを纏った姿は剽悍として、来客用のソファーにどっかり座る様はまるで戦国時代の武将さながら。口調そのものは丁寧だが、その落ち着いた声色の陰に込められているのはあからさまな恫喝だ。
西住流家元、西住しほ。どこで事の次第を知ったか知らないが、彼女が出張ってくるのは辻にも全くの想定外であった。
確かに大洗女子学園は彼女の娘、みほを擁してはいるが、そのみほを黒森峰からの追放に追い込んだのは他ならぬ西住しほ自身。この女傑が不肖の娘の学園艦程度の問題で動くは考えてはいなかったのだ。
(くそう……何で私が批判の矢面に立たねばならないのだ)
自分自身も大洗の強制廃校を考えたこともある辻ではあるが、流石にこの降ってわいたような状況には愚痴のひとつも言いたくなる。
自分の立てた策謀ならば、もしくは文科省の上司達の意向なら、あるいはもっと上の政界のお偉方の意向であるならば恨み辛みを浴びるのも一向に構わない。それが仕事であると最初から割り切っているからだ。何を言われようと、自分のキャリアに響かない限りは痛くも痒くもない。
だが、自分の今の行動のひとつひとつが、遥か彼方星の海を越えてきた異邦人からの指示に拠るものであることを思えば、自分にも理不尽を嘆く権利ぐらいあると辻は感じる。
そして居丈高に指示を飛ばしてくる当の金髪碧眼のバララント人はと言えば、こういう面倒な仕事は完全に自分に押し付けて奥に引っ込んでいるのだからたまらない。
恐らくはこの応接室も盗聴されているのだろう。だとすれば迂闊に弁解も述べられないのだからなお苦しい。
「……先程もお話した通り、廃校は既に確定し、その予定も既に先方に告知済みのこと。こちらとしては当初の予定通りの業務を実施したまででして」
「廃校は年度の切り替わる三月末日に行われるのが通例。年度も半ばの八月付で行うのは異例では?」
「飽くまで通例は通例です。大洗の件に関してはその必要に応じて繰り上がった部分はあるやもしれませんが、全て規定通りに物事は運んでおります」
なんと言われようと、これは規定通り、法令遵守の行動であると言い訳を続けるしかないのは正直苦しい。自分たちの描いたものではない絵図通りに動かねばならないのは、策を弄する側に慣れきっていた辻には苦痛そのものだった。
「そうですか……どうも、マスコミの報道とは著しく齟齬があるようですが、これはいかなことでしょうか」
……マスコミの報道?
徹底した箝口令をしき、情報がもれぬように大洗学園艦の生徒・住民は特別列車か特殊車両でバラバラに一時待機所に移送し、しかもそこでは外部との接触が容易に持てないように処置は済ませてある。
ネット上ではすでに様々な噂が飛び交っているのも辻は把握しているが、そんなものは所詮流言飛語に過ぎないと幾らでも蹴散らせる。
だがマスコミはマズい。だからマスコミには重要な情報は回らないように手は下していた筈だ。
そんな風に辻が考えている前で、しほは傍らのブリーフケースから一冊の雑誌を取り出してみせた。
『月刊装甲騎兵道』。辻も仕事柄読み慣れた雑誌だが、受け取って見れば即座に日付がおかしいのに気づいた。本来の発行日は何日か先になっている。
「個人的な縁で譲って頂いた一冊ですが、数日後には書店に並ぶのと同じものです」
しほの言葉を、半ば辻は聞き流していた。
それほどまでに、辻の意識は目前の誌面に集中していた。
雑誌の巻頭記事にて特集されているのは、大洗の強制廃校に関してだった。
大洗内部の人間しか知り得ぬはずの赤裸々な情報が誌面には並べられ、文科省への強い世論の抗議を生むのに充分な起爆剤が仕込まれているのが解る。いつのまに誰が撮ったのか、大洗学園艦を闊歩する文科省AT部隊の姿すら激写されている。
情報を垂れ込んだのは西住みほか? いや、彼女はいまだ知波単学園から動いてはいない。あの学園と外部との交信は全て傍受している筈だが、それらしい報告は上がってきてはいない。ではいった誰が?
「……ガセネタですよ。これは。西住流家元ともあろうものが、このような風聞に踊らされてはいけませんな」
辻は飽きるほどに使い慣れた愛想笑を顔に浮かべながら言った。
しかし、対するしほはじっと辻を見つめるばかり。あの様子だと、彼女なりの裏とりは既に済ませているらしい。
「聞く所によれば、大洗装甲騎兵道チームとの間で交わしていた廃校撤回の約束を反故にしたとか」
「それは誤解です。先方にはただ、考慮すると申したまでで……こちらとしても最善は尽くたのですが」
現状、目の前の女傑がこちらの手札をある程度知っているという前提で話を進める他はない。
全くもってやりづらい!ことの発端は異邦人達だと言うのに、どうして私が苦しむ!
「大洗女子学園は全国大会の優勝を勝ち取った高校です。文科省の掲げるスポーツ振興の観点から見れば、存続させるのが筋が通っている思いますが」
「それは解釈の問題です。大洗の優れた人材には新たな活躍の場所を広く全国に持つことで、高校装甲騎兵道全体の振興を図ることが出来ます」
「……母校を守るという約束を踏みにじられた彼女たちが、新天地でも装甲騎兵道を続けるとは到底思えませんが」
「それは彼女たち次第です。こちらとしましては、彼女たちの競技に対する熱意に期待したい」
「……どうやら、若手の育成に関するこちらと文科省の見解は大きく食い違っているようですね」
しほは眼を伏せながらすっくと立ち上がった。
雑誌をブリーフケースに戻し、今にも立ち去りそうな気配に、辻は嫌な予感を覚えた。
「これほどまでに見解に相違があるからには致し方ありません。プロリーグの件、辞退させて頂きます」
「あ、いや! それはお待ち下さい!」
予感的中。しほが切ってきた最悪の予想通りのカードを受けて、辻は思わず立ち上がって引き止める。
プロリーグの件とは、文科省が進めている装甲騎兵道プロリーグ設置に関しての話だ。西住しほは、その設置委員の一人に数えられている。いや、最も重要な委員の一人であると言って良い。装甲騎兵道会に絶大な影響力を有する彼女の力なくして、プロリーグ設立は叶わないのだ。
もしも彼女が離れてプロリーグの設立が立ち消えになれば、合わせてプロリーグ設立を誘致の条件となっている世界大会の件も夢と消える。そうなれば同時開催予定のバトリングの世界大会も開催が怪しくなるし、さらにそれを見越して新たにバトリング団体を立ち上げた『島田流』すらもが文科省の敵になりかねない。
後門のバララントも怖いが、前門の西住流もまた別の意味で恐ろしい。
「先生に委員を辞任されたら、プロリーグ開設は難しいことは、先生もご存知でしょう。それに大洗の一件とその件は無関係で」
「そこは解釈の違いというものですよ」
こちらの言葉をそのまま返されたのならば、辻と言えどぐうの音も出ない。
(どうする?)
相手が相手だけに普段ならば忖度のひとつしてみせる所だが、今度の仕事は飽くまでバララント人の都合だ。
連中の機嫌を損ねれば――。
「よろしいですか?」
そう扉を叩いて顔をのぞかせたのは、直属の部下の一人だった。
何やらコチラに内密に聞かせたい話があるらしく、自分としほの顔を交互にしきりに見る。
「失礼します」
そう断って、辻は部下からの耳打ちを声を聞いた。
そして彼には珍しく一瞬驚いた顔をしてから、すぐにいつもの鉄面皮へと戻る。
辻はしほの方へと振り返った。
辻の気配の変化に、しほは僅かに胡乱げに眼を細めた。
「……廃校の件、撤回するのもやぶさかではありません」
「条件はなんでしょうか?」
しほはすかさず聞いた。
「大洗女子学園が――」
辻は眼鏡を怪しく輝かせながら条件を告げた。
――◆Girls und Armored trooper◆
「……」
ひとり文科省の門をくぐり出たしほの顔は、相手の譲歩を引き出したにも関わらず冴えない。
差出人不明の密書と、月刊装甲騎兵道からのタレコミで事の次第を知ったしほは、まほにも同様の密書が送られており、その送り主が聖グロリアーナのダージリンであることを確かめてから行動を開始した。
一人の母として、あるいは西住流の家元として我が娘に対する妥協は絶対に避けたいことだった。
娘恋しさに動くなど母のプライド、家元としての矜持が許さない。
しかし文科省の異様なやり方を前にしては、一人の武道家としてその動きを見過ごすわけにもいかなかった。
そして一定の譲歩は引き出した。後は全てみほと大洗の少女たち次第とあいなった。
自分が文科省を訪れた目的は完全に達せられた。
だが、にもかかわらずしほの心は冴えない。
「……」
文科省の、あの小役人の背後にいる誰か、あるいは何か。
それを否が応でもしほは感じ取ってしまっている。
この世の舞台をまわす巨獣が、奈落の底で動き回るのを確かに感じるのだ。
では、その獣の正体とは――。
「ひとまず、姿を現しなさい」
しほは静かに、自分を尾行する人物へと告げた。
しらばっくれても無駄だと観念したか、尾行者はあっさりと姿を晒した。
「……流石は一流の武道家というやつだ。地球は平和な星と聞いたが、侮りがたし、というやつですな」
ハスキーな声で軽妙に話し始めたのは、背の高い金髪碧眼の男だった。
金髪を短く刈り込んだ男は、灰色の軍服を纏い、その上から青いストールを肩に掛けていた。
肩章は、彼が中尉であることを示していた。
「ギルガメス……それもメルキアの中尉が私に何の御用で?」
民間人のはずがひと目で自分の身分を言い当てたしほに対し、男は愉快と口角を僅かに笑みに歪ませた。
「キーク。キーク・キャラダイン中尉ですよ西住しほ師範代。いや、今はもう家元か」
キークと名乗った男は握手のつもりか右手を差し出してきた。
しほはその手を握り返すこともなく、油断なくキークの委細を観察し続ける。
「こっそり後を追ったことは謝ります。ただ、少しばかりお話がしたかっただけでしてね」
キークは近くのコーヒーショップへと親指を向ける。
「お時間を頂けるとありがたいですな。貴女が気にかかっていることについて、私ならば正しい答えを教えて差し上げられる」
「……」
暫時考えたあと、しほは頷いた。
「良いでしょう。ただし、私も忙しい。時間は30分を限度とします」
つっけんどんな答えに、キークは肩をすくめた。
――予告
「西住流家元が動く一方で、装甲騎兵の道を歩む少女たちも、それぞれの戦いへと動き出す。そして告げられる、大洗廃校撤回の条件。銀河を、装甲騎兵道を二つに分かつ陣営が、互いを陥れんと策謀する。その狭間でみほ、君はどう動く?」
次回『アナウンス』