「それら」が送り返されたのは、奪い取られた時と同じような唐突さだった。
瓦礫の校舎の中を、響き渡る轟音の源は空にある。
住処代わりにしたバラックの群れから飛び出して、大洗の少女たちは頭上を仰ぎ見た。
優花里に促されて、一晩を流刑地で明かしたエリカもまた、錆びついた屋根の下から顔をだす。
はじめは音だけだったが、次第に彼方より姿があらわになっていく。
いつも酸の雨をはらんだ黒雲に覆われたこの地にしては、極めて珍しい晴天だった。
最初は空に芥子粒をばらまいたかのように見えた白い影の数々は、徐々に大きさを増して最後には四発のジェット輸送機群となっていた。
空を埋め尽くすような編隊の鋼鉄の表皮に陽光が照りつけて、サーチライトのようにピカピカと光り輝く。
その輝きに、沙織始め大洗の装甲騎兵乙女達は、皆一様に忌まわしい記憶を呼び起こされた。
彼女らの愛すべき学び舎が、青春を賭して守った場所が、理不尽にも奪い取られた日。
あの日も、ちょうどこんな様子であったのだ。
雪のように降り注いだ文科省AT降下部隊に、大洗女子学園は占拠された。
そのことを思えば、自然と身が硬くなる。
沙織は右隣の華と、左隣の麻子の手を握り、麻子は反対側のそど子の手を握った。
優花里ですらも、普段の快活さを潜めてエリカの腕にしがみついている。
歴女チーム、一年生チームと、各分隊ごとに固まって、互いに手を取り合って固唾を呑む。
少女たちの見守る前で、輸送機のハッチが開き、その内容物を空へと向けて放ち始めた。
飛び出してきたのは、色とりどりの大きな何か。
花吹雪を撒いたような華やかさの正体は、降着モードのAT達だった。
空中で形態が崩れないよう、鋼の枠に包まれている。フレームに内蔵された大型のパラシュートが自動的に開き、緩やかに赤い荒野へと注がれる。
降り注ぐATの顔ぶれに、少女たちは見覚えがあった。
「ねぇあれ!?」
「間違いない! 間違いないよ!」
「うわぁぁぁぁ~」
「わたしたちの~」
「私達の!」
「……」
「「「「「スタンディングトータス!」」」」」
あやが、あゆみが、桂利奈が、優季、梓が、そして無言ながらも紗希が、互いに手を寄せ合って叫ぶ。
「私のヤークトパンター! じゃなかったベルゼルガイミテイト!」
「我が愛馬! 月影!」
「見た! 来た! 勝った!」
「夜明けぜよ! 大洗の夜明けぜよ!」
エルヴィンが、左衛門佐が、カエサルが、おりょうが、感激にむせび泣き、勝鬨をあげる。
「キャプテン! スコープドッグ達が戻ってきました!」
「チームの皆が帰ってきました!」
「これで八人! またバレーが出来ます!」
「よーしATバレー復活だ!」
忍、妙子、あけび、そして典子のバレー部一同、右拳を突き上げて快哉した。
「良かった、あんま傷ついてないみたい」
「でも中身まではわかんないんじゃない?」
「悪い虫でもつけられてたらたまんないですなぁ~」
「ちゃんと整備してあげないとねぇ~」
相変わらず飄々とした様子で、自動車部一同は優しく愛機達を向かえ入れる。
「……よし来たわ! これで風紀委員は完全復活よ!」
「まぁ肝心の取り締まる相手の生徒が全然いないけどね」
「はやくの他の皆と会いたいです」
そど子は見つけた愛機の姿に絶好調な様子だが、脇を固める二人はいつも通り冷めていた。
「そろそろリアルに飢えていた」
「こんなこともあろうかと……鍛え続けたこの腕前」
「試す時がやっと来たっちゃ~!」
マイペースなゲーマー三人娘は、意地で持ち込んだ携帯ゲームで鍛えた技を、現実で試したくてうずうずしていた。
「あー! 私達のATもあそこに!」
「ひい、ふう、みい……みほさんの以外、全部揃ってます!」
「なんだか……えらい久しぶりな感じだな」
「西住殿にも早く会いたいです」
「会えるわよ。アイツはアイツでピンピンしてるんだから」
沙織が指差す空からは、あんこう分隊のAT達が降下してきていた。
左肩を赤く染めた、スコープドッグ・レッドショルダーカスタム。
メルキア機甲兵団と同色の、藤色のノーマルドッグ。
ブルーティッシュドッグを思わせる淡い赤色に塗られたタイプ20。
大破してしまったライトスコープドッグに代わって、今の優花里の乗機となった青いスタンディングトータス。
そして、その前方の空でただ一人、生身で宙を舞う影ひとつ。
「会長! 戻ってきてくれたんですね!」
「がいじょぉぉぉぉぉぉ! おばぢぢで! おばぢぢでぼりばじだ~!」
小ぶりなパラシュートで滑空しながら降りてくるのは、大洗女子学園生徒会長、角谷杏その人だった。
柚子が目尻に涙を浮かべながら、桃が涙で顔をくしゃくしゃにして出迎える。
「諸君! おまたせぇ!」
杏は不敵な笑みを浮かべながら、眼下で自分を待つ皆へと大声を張り上げた。
――stage10
『エンカウンター』
――時間はやや遡る。
ほんの数時間前、角谷杏は『文部科学省学園艦教育部』の執務室にいた。
応接用の椅子にどんと腰掛け、その両脇は児玉連盟理事長に蝶野亜美一尉だ。
さらに応接机の横側、第三者席とでも言える場所には西住流家元、西住しほその人が戦国武将のような佇まいで控えている。
そして杏ら四人分の視線に晒されているのは、珍しくやや気圧された様子の文科省の眼鏡役人、辻連太その人だった。
「それで……確かに返して頂けるのですね」
杏は改めて確証を求める為に、辻へとハッキリした声で訊いた。
辻の耳に、そしてここに姿はあらねど、確かに自分の言葉に耳を傾けているであろう異邦人達に。
杏の制服の襟の裏側に仕込んだ盗聴マイクの向こうの、メルキア情報将校、キーク=キャラダイン。
そして杏にはいまだ正体不明な、辻を通して盗聴をかけているバララントの情報将校。
彼らに向けて、杏は堂々と声をあげる。
「……エキシビションマッチを行う以上、ATがない、というわけにもいかないでしょう。飽くまで、文科省預かりのものを一時的に貸し出す形になり――」
「試合に備えてのATへのカスタマイズは、装甲騎兵道のいかなるルールにおいても認められています。この当然の権利を行使するためにも、正式にお返しして頂く必要性があります」
相手の話を途中で遮るのはあからさまな無礼だ。
だが杏は敢えてそれをやる。それぐらいのことはしなくてはならない。杏が向こうに回す相手は強大だ。
恐れが全く無いなどとは、口が裂けても言えない。それでも、やるしかない。
たとえそれが、修羅道であろうとも。
「付け加えて言うならば、この試合に我々が勝利した際の、廃校撤回の確約を頂きたい」
「……ATの件はわかりましたが、廃校撤回の件は飽くまでやぶさかではないと、家元のほうにも申し上げた通りでありまして――」
「当然、書面で頂きたい。文科省が認める、公式の書式で、公式の文書で」
言葉を畳み掛けて、強引に要求を押し通す。
相手は苦渋の表情は見せても、結局は呑むだろうと杏には解っている。いや、『知って』いる。
この眼鏡の文科省役人はこう考えているのだ。
大洗の小娘共がどう足掻こうとも、結局は敗れ去るのは決っている。何故ならば、大学選抜の、島田流の、自分たち文科省の背後にはバララントがついているのだから。だから全ては、筋書き通り行くはずだ、と。
杏は知っている。キークを通じて知らされた真実を知っている。
それを承知で、杏は挑む。
「自分からも、文科省の考慮には大いに期待したい、とだけ申し上げておきましょう」
傍らからしほが杏への援護射撃を出せば、辻はわざとらしく額の汗をハンカチで拭いながら、しぶしぶといった体で傍らのアタッシュケースから紙切れを何枚か取り出した。
「こちらの書類に、サインを頂きたい」
苦渋の表情を浮かべる辻の姿に、もしも真相を知らないならば杏も内心で快哉しそれを顔に出してしまう所だったろう。それを思えば、この男も大した役者だ。
だから杏もそれに応じて相手が望むような喜悦を隠しきれないような顔で、書類にペンを走らせる。
キークは言った。
現状、バララント情報部に先手を取られてしまっている以上、自分たちが余り表に出るのは得策ではない。
自分たちが出来るのは最低限の支援のみ。あとは自力で何とかしてもらうしかない、と。
つまる所、杏達を、大洗女子を体よく鉄砲玉に使うつもりなのだ。
望む所だ。
自分たちは、ずっとそうやってここまで来たのだ。
もう一度、自分たちの力で、奇跡を掴み取るだけのことだ。
この世の舞台をまわす巨獣が、奈落の底でまた動きはじめたというのならば、それすらもねじ伏せてみせよう。
それが、私達の運命(さだめ)ならば。
杏は署名した。運命を扉を開くための、その鍵を得るために。
かくして杏は、大洗の皆の元へと舞い戻る。
運命を切り開く武器、装甲騎兵たちと共に。
――◆Girls und Armored trooper◆
杏が大洗へと愛機たちと共に舞い戻っていたのと同じ頃、独り別途を辿っていたみほもまた行動を起こしていた。
「それじゃあ、給油が済むまでは別行動だね」
「はい。時間までには戻りますので」
「しっかり稼いできてよね~今後のためにもさ」
聖グロリアーナ連絡艇へと燃料補給の作業に取り掛かるアキとミッコ、そしてそれを応援でもしているつもりなのか、伴奏のようにカンテレを鳴らすミカへとひとまずの別れを告げて、みほは愛機『ボコ・ザ・ダーク』へと乗り込んだ。
その両隣には、絹代の駆る『ウラヌス』、ローズヒップの駆る『クルセイダー』の姿もある。
「それじゃあ、ボコミュージアムのほうへと向かいます。座標はちゃんと入っていますか?」
『問題ありません、西住さん』
『ノープロブレムですわ!』
文科省が大学選抜とのエキシビションを発表した直後に、みほ達は動き始めていた。
ミカたちと合流し、知波単学園をあとにする。
絹代はみほに同行し、福田以下知波単学園装甲騎兵道選手たちは彼女らで別個に行動する。
その行動の指針は、みほが立てたプランに基づいている。
今度の「作戦」には、知波単学園の協力が欠かせない。彼女たちの好意には、みほは感謝してもしきれなかった。
「……上手くいくといいんだけど」
『大丈夫ですよ西住さん。所詮は地方の野良バトリング……月面での我らの死闘に比べれば』
『それこそお紅茶の子さいさいですわ! スコーンよろしくさくっくと勝ち割ってしまいますわ!』
みほの当座の行動指針はふたつ。
第一に大洗の皆との合流。第二に資金の調達だ。
大学選抜とのエキシビションが、単なるエキシビション以上の意味をもっていることはみほにも解っていた。
その上でまず考えるのは、大学選抜の強さ、島田流の強さだ。
今の大洗のATの陣容では、勝つことは極めて難しい。相手に合わせた機体のカスタムが不可欠だ。
その為には資金が必要だが、みほ達が手っ取り早く現金を手に入れる術はひとつしか無い。
つまるところ賭けバトリングだ。
特に、飛び込み参加歓迎の地方の野良バトリング……これ以外ない。
みほ達は連絡艇への給油の時間を活かして、着陸した農業飛行場の近くへとATで繰り出したのだ。
既に携帯端末を用いて近くの野良バトリングについては調べてある。
幸運なことに、近くの「ボコミュージアム」の敷地内で、ちょうど野良試合が開かれている所らしかった。
(……ちょっと、いや、すごく楽しみかも)
みほには個人的にも、その試合の開催場所に期待を膨らませていた。
「ボコミュージアム」……こんな所にあるという話は寡聞にして知らなかったが、その名を思い浮かべるだけでも、思わず顔がにやけてしまう。
あんこうの皆や、大洗の皆のこと、自分を支えてくれる絹代やローズヒップのことを思えば不謹慎だと自分を戒める気持ちもある。しかしそれでもなお、色々と期待してしまうのはボコマニアの一人として、我ながら致し方ない所だった。
ボコミュージアムへの道は空いていたから、すぐにそこに辿り着くことができた。
見れば極めて、いや無駄にと言っていいくらいに広く造られたボコミュージアムの駐車場にいかにも俄仕立てのリングが設けられ、エントリー済みらしいATとその乗り手達がたむろしている様が見える。
一見して、大した腕前ではなさそうなのが解った。
これならば、きっとうまくいくに違いない。
エントリーするべく、みほはATを適当な所に停め、絹代達にその番を頼むと受付らしいテントへと駆け寄った。
道すがら、風船を配っているボコのきぐるみを見て、思わず足を止めそうになるも、我慢する。
名残惜しく歩きながら振り返って、ふと、ボコから風船を受け取っている少女とみほは目があった。
やや銀の輝きを帯びた灰色の髪をした、まるでお人形のように可憐な少女だった。
ボコのぬいぐるみを抱えながら、ボコのきぐるみから風船を受け取るさまは実に画になっている。
みほはそれにうわぁと感嘆し、それに気づいた少女と視線を交わらせた。
みほは知らない。
少女、島田愛里寿も知らない。
これが、同じボコを愛する者ながら、それぞれの流派と意地を背負って激突せねばならない者たちの、最初の邂逅であったなどとは。
ふたりとも、まだ知らなかった。
「言うなれば運命共同体。 共にボコ道を歩む者同士、同じ価値観を、同じ信念を共有する。私たちは仲間、私たちは同志、私たちは姉妹同然……嘘 を 言 う な ! 猜疑に歪んだ暗い瞳がせせら嗤う。 お前は偽物だ、お前はまがい物だ。少女たちの、互いのボコに賭ける意地が火花を散らす。そして突きつけられる、本当の己の姿。それを前にして、少女は何を思うか。次回『コンフリクト』。真実はいつも残酷だ」
「……ミカ、なんか知らないオッサンに次回予告とられちゃってるけどいいの?」
「良くないけど……これもまた風というやつなのかもしれないね」