「あなたのボコは、ボコじゃない!」
少女がハッキリとした声で言ったにも関わらず、みほは最初、少女が何を言ったのかが理解できなかった。
彼女の指差す先にあるのが、愛機『ボコ・ザ・ダーク』であることは見れば解ることな筈なのに、脳がそれを拒否している。ボコじゃない――そんな言葉は、生まれて初めて向けられたのだから。
「……ボコじゃない?」
みほが鸚鵡返しに聞けば、少女、島田愛里寿は怒りを込めた瞳とともに頷いた。
愛里寿の言葉の意味を理解した時、みほは愕然とした。
これまでの人生において、ボコ好きを呆れられることこそあれ、それを否定されることなど皆無であったから。
時間が止まった気すらした。周囲の音が急速に遠のいていって、怖気立つほどの静寂がみほの周囲に立ち込める。
「どうして?」
半ば反射的にみほは訊いていた。
しかし愛里寿は答えることなく、ただみほを睨みつけている。
『簡単な理屈だ』
回答は、みほの予期せぬ方からやって来た。
みほと愛里寿の二人だけになった世界に、突如闖入者は出現した。
『君の愛機も、君の戦い方も、ともにボコたるべき要件を満たしてはいないからだ』
みほが声に振り向けば、そこには一匹のボコが立っていた。
より正確に言えば、ボコのきぐるみ、ボコぐるみが立っていていた。
ボコは相変わらず手には風船を手にし、愛里寿へと歩み寄るとそれを手渡した。
「ボコ……」
みほが呼べば、ボコぐるみはみほへとその顔を向けた。
プラスチック製の黒い瞳はみほを見るが、当然ながらそこからは何の感情も読み取ることはできない。
『……生憎だが』
ボコぐるみは、ボコに似つかわしくないハスキーな声でそう言いながら、その頭部を自ら脱いだ。
みほは心底驚いた。きぐるみが中の人を見せるなどご法度な筈だ。
だが目の前はそんなことを知ったことではないとばかりに頭を取り外した。
出てきたのは、余りにもボコらしからぬ金髪碧眼の男だった。
角ばった顔立ちの、この上なく胡散臭い雰囲気の男はみほへと怪しげな笑みとともに言った。
「私はボコではない。強いて言えば、神の国からやってきた男といったところかな」
かくして西住みほは、バララント情報将校、ジャン=ポール=ロッチナと邂逅を果たしたのだった。
――stage12
『ブレイクダウン』
「彼女の言うとおりだ」
ロッチナは愛里寿のほうへと視線を一旦向けたかと思えば、改めてみほへと向き直って続けた。
「君はボコを名乗る資格がない」
「どうしてですか!?」
みほは、彼女には極めて珍しいことだったが、声を荒げて問う。
その切羽詰まった姿には、思わず絹代やローズヒップが何事かとATから降りてくるほどの緊迫感がある。
ロッチナはと言えば、相変わらずの謎の余裕を顔に浮かべたまま言葉を続ける。
「簡単な理屈だ。君にはボコたるべき条件を満たしていない」
「条件……?」
「そうだ。君のATはボコの名に値しない」
これにはみほは怒りを抱いた。
みほは滅多に怒ることはない。何事か起きたときに、いつも自分のほうが悪かったかと考えてしまうのが彼女だ。
だが、今だけは違った。自分のボコへの愛を否定されるのだけは、温厚なみほと言えど我慢ができない。
「どうしてですか! こんなにも! こんなにもボコなのに!」
黒く塗られた『ボコ・ザ・ダーク』の装甲には所々に包帯を思わせる白いストライプが走り、頭部のバイザー部には赤いペンキで傷の縫い目のような図像が描かれている。『痛い聴診器』を内蔵した左手を覆う隠匿カバーは白いギプスのようでもある。みほ好みのステレオスコープのセンサーも相まって、百人に聞けば百人がボコを意識したデザインであることを認める姿だった。
だがロッチナは首を横に降る。
「包帯や傷跡は絶対条件ではない」
冷徹な青い瞳が、冷徹な言葉が、みほの心へと真っ向突きつけられる。
「最後に敗北することこそが重要なのだ」
これには、みほもハッとさせられた。
ロッチナの言うことが、それが真実だった。
ボコは、最後に敗れるからこそボコなのだ。それが、ボコだから。
「その点、君の戦闘スタイルは条件を満たしているとは言い難い……君には『ボコ』を名乗る資格はないな」
愕然とした。みほは愕然とした。
いちいち目の前の男の言うことが正論であったから。
そして本来ならば自分こそが気づくべき真実を、ボコイズムとでも言うべきものを、他人に突きつけられた事実に!
「先の試合、愛里寿は敢えて隙を見せた」
ロッチナが言えば、愛里寿はコクリと小さく頷いた。
先の「パーシング」のボトムズ乗りが、こんな小さな少女であったという事実は、みほを驚かさない。
そんなことすら瑣末に思えるほどに、みほは動揺している。
「その意味に、君は気づかなかった。愛里寿は、君をボコたらしめるべく、敢えてあの動きをしたにも関わらず」
「もしかして!?」
「そうだ。君が敢えて大ぶりの攻撃を繰り出し、そこを彼女が反撃する。そうすることでボコが完成する」
最大の衝撃が、みほの心を打ちのめした。
気づかなかった。全く気が付かなかった。気が付かなかった自分にみほは驚愕した。
ボコを誰よりも愛していると自負していた自分が、こんな簡単なことに気づかなかったなんて!
「もう一度言おう」
だが情け容赦なくロッチナは告げる。
「君のボコはボコではない」
言うだけ言って踵を返すロッチナと、それを追う愛里寿を、みほは引き止められなかった。
力が抜けて、意識の糸が途切れる。
膝をついたみほへと、絹代とローズヒップが駆け寄り、何かを叫んでいる。
だが、みほの耳にその言葉は届かない。
みほは、目の前が真っ暗になるのを感じた。
――◆Girls und Armored trooper◆
――僥倖であった。
そうロッチナはほくそ笑んでいた。
よもやこんな所で西住みほと遭遇するのは想定外であったが、しかしその好機を逃さず彼女の心を折った。
西住みほを失った大洗にはいよいよ勝機はない。全ては、ロッチナのシナリオ通りに進むだろう。
「所で、どうだったかな」
ロッチナはかたわらの愛里寿に聞いた。
愛里寿は首を横に振りながら、小さく答えた。
「動きは速い。でもそれだけ」
「これは手厳しいな。ギルガメスの新鋭機と言えど、君にはそんな評価か」
「事実だもの。他に言いようもない」
愛里寿が言っているのは、先のバトリングで彼女が乗った「パーシング」、正式名称「ライジングトータス」についての評価だった。
ライジングトータスこそは、ギルガメスが現在開発を進めている次期主力機のプロトタイプであった。見た目こそスタンディングトータスに似ているが中身は全くの別物であり、その性能は従来のATを遥かに凌駕している――筈であった。しかし、天才島田愛里寿から下された評価は厳しいものだ。単に速いだけで、それ以上ではない。
なぜ、バララントに属しているロッチナがギルガメスの最新鋭機を持っているのか。それはひとえに彼が持つ個人的なコネクションがためなのだが、しかしわざわざ彼が取り寄せた新ATも、島田流の天才はお気に召さなかったらしい。
「実は別のATを用意してある。きっとそっちならば君も気に入ってくれると思うよ」
「……私はATを選ばない。何が来ても、いつも通りに戦うだけ」
「そんな君でも、あのATはきっと別だと思うはずだ。まぁ、楽しみにしていると良い」
「そんなことより」
愛里寿は初めて自分からロッチナのほうを見て、初めて強い感情を滲ませながら言った。
「約束、守ってよね」
「当然だ。君が勝った暁には、バララント政府が総力をあげて、ボコミュージアムを再建しよう」
愛里寿はロッチナの答えに頷くと、僅かに口角を上げて、微笑を見せるのだった。
――◆Girls und Armored trooper◆
優花里は心弾んでいた。それは、傍から見ても解るほどだった。
「何をにやにやしてんのよ」
エリカが呆れて言うのにも、優花里は何も返さない。
いや、言われたことに気づかないほどに、優花里は喜んでいたのだ。
彼女だけではない。
大洗の皆は一様に、今までとはまるで違う陽気に包まれている。
その理由を、エリカは知っている。
無線で先程知らされた一報が伝えた、ある一言。「みほが帰ってくる」の一言。その一言が皆を変えた。
ATが戻ってきた以上の大歓声! 杏も含めて、一様に天に拳を突き上げて快哉をあげていた。
エリカはそれを見て若干複雑な心境でもあった。かつての戦友で、かつての副隊長が、自分たちのもとを出た先で、こうも大きな存在となっている事実に。反面、それを当然と思う自分もいる。アイツならば、こうあっても当然と思う自分がいる。
形容し難い感情を抱えながら、エリカは自身の髪を人差し指に絡めた。
そして独りいつも通りのテンションのまま、空を見上げる。
「……来たわよ」
「来たんですか!?」
「え!? みぽりん来たの!?」
「あちらです!」
「確かに見えるな」
エリカが空に僅かに輝く光点に気づいて呟けば、優花里が空を見上げるのを皮切りに、あんこう一同から他に皆へと波紋のように広がって、北の空を見上げた。
聖グロリアーナの連絡艇は、宇宙空間をも航行し、星と星との間をも軽々と飛ぶ性能を有する。
見えた! と思った時にはもうすぐ側にまで機体は近づいていた。
瞬く間に大きくなった機影はエリカたちの頭上で停止すると、ゆっくりと降下してくる。
皆が固唾をのんで見守る中、機体はいよいよ接地し、エンジンの音が止まる。
ハッチが開いて梯子が降りれば、最初に姿を見せたのはみほだった。
「西住ど――」
優花里が叫びながら最初に駆け出そうとした直後に、その動きが止まる。
皆も一転、戸惑った様子でみほの姿を見つめる。
エリカも混乱していた。いや、恐怖していたといったほうが適当だったかもしれない。
「どうしたのよ、貴女」
思わずエリカがそう言ったのは、みほの纏った気配が、彼女の知っているそれと余りに違っていたからだ。
「……」
目の下に大きなくまを作ったみほは、底知れぬ闇を背負っていた。
まるで己を無慈悲な人殺し、吸血鬼とでも言うかのような、そんな自棄的な気配がみほを包んでいる。
みほは、絶望しきっていた。
ボコの光、ボコの影、ボコの痛み。
それが彼女の心を打ちのめしていた。
――予告
「たとえそれが、夢の中の出来事であろうと、 思い出すのもおぞましい事がある。ボコからの銃弾が、みほの魂を射抜く。 傷ついた魂は、敵を求め暗闇を彷徨う。でもねみほ、まわりを見てごらんよ。そんな君へと差しのべられた数え切れない掌のことを」
次回『ソルジャー・ブルー 』