眼鏡のレンズを怪しく輝かせ、いかにも役人然とした鉄面皮に珍しくもあからさまな喜悦を浮かべ、男は目前の丘陵を見上げた。丘の稜線に沿うように、組まれたAT150機の隊列は幾何学的な美しさを湛えている。
島田愛里寿以下大学選抜装甲騎兵道チーム、総勢150機。
装甲騎兵道に関して然程深い造詣がある訳でもない男にも、その威容を感じ取ることは容易だった。
文部科学省学園艦教育局長、辻廉太。ここの所ストレスの多い日々を過ごしていたが、この時ばかりは得意満面、恍惚にも似た感情に満たされて大いに満足であった。
さんざん自分を苦しめてくれた大洗女子学園も今日で終わりだ。結果だけ見れば、一度は覆った廃校の予定を予定通りに潰すことが出来る。おまけに、大国バララントの機嫌も損ねることもない。外務省にだって恩を売れるかもしれない。
「――」
愛里寿の小さな姿は、大学生選手たちの中にあって却って目立っていた。
黒と灰色からなる耐圧服に身を包み、テキパキと自分より遥かに年上の隊員たちに指示を飛ばしている。何を話しているのかは辻には聞こえないが、その凛々しさが実に頼もしい。まだ13歳の少女とは思えない貫禄だ。
いや、堂々たるは島田流の天才少女のみならず。
昇りつつある朝日を浴びて、可憐なる姿を見せる大学選抜の装甲騎兵乙女たちもまた頼もしい。
彼女らが試合直前のラストチェックを済ませているのは、鋼の頭部の頂から鉄の爪先まで余すところなくカスタマイズを施されたスコープドッグにスタンディングトータスだ。主力を成しているのはスタンディングトータスであり、一部偵察用と思しきスコープドッグが所々に混じっている格好だ。
「……フフフ」
だが小さく辻がほくそ笑むのは名刀の如く鍛え上げられた鋼鉄の軍勢に大してではなく、今この男の視界には写っていない、島田愛里寿とその直属分隊のAT達と辻自らが持ち込んだシークレット枠用のAT達だ。愛里寿達の乗機は、あの鼻持ちならないバララント情報将校がわざわざ本国から運ばせた特注機であるし、辻が選んだのはこの試合のルール、何でもありのリアルバトル方式でこそ効力を発揮するであろう規格外の品だ。特に辻セレクトの一品は、飽くまで彼女ら流の機体構成で試合に臨むつもりの大学選抜側に強引に押し付けたものだった。
辻からすれば彼女らの流儀など知ったことではないし、極々単純に、大学選抜があらゆる想定外の事態をも物ともせず順当に勝てるようにするまでのことだった。同じ理由で大学選抜に150機投入を促したのも辻である。これにも何故か大学選抜側は難色を示したが、辻には何故確実に勝てる布陣にすることを渋るのか、実に理解に苦しんだ。これだけの数とスペックならば絶対に勝利は揺るがない。
「――うぉっほん」
不意に背後より響いた咳払いが、辻の意識を完全勝利の幻影から引きずり出した。
振り返れば羽織袴にカンカン帽という時代がかった格好の初老の男の姿がある。日本装甲騎兵道連盟理事長、児玉七郎だ。相変わらず何か困ったような顔をして、額に流れる汗を手ぬぐいで拭いている。
「彼女らが到着した。今こちらに向かっている所だそうだ」
「そうですか」
辻は踵を返し、大学選抜一同が陣取った丘の真向かい、もう一つの丘の斜面へと目をやった。
ようやく昇りつつある朝日がまだ稜線の真上でオレンジ色に輝いているだけで、大洗女子学園のATの姿はまだない。
だが後ろ手を組んだ辻の顔には既に勝利の愉悦が浮かんでいる。
なにせ彼の掴んだ情報によれば、大洗女子学園のATは全国大会と変わらぬ32機足らず。それと相対する大学選抜は150機で、大洗が決勝戦で破った黒森峰の100機を凌ぐ。さらに試合ルールはリアルバトル方式であり、フラッグ戦のような一発逆転も通用しない。さらに辻の仕込んだ隠し玉もある。
大洗に勝ち目はない。それは素人目にも明らかだ。
陽が上がりきった所で始まる試合も、1時間足らずで終わることだろう。ランチは冷房のきいた東京のレストランでとれるかもしれない――。別の世界線の優花里とエルヴィンならば、そんなことを考える余裕綽々な辻の姿を見てこう言うかもしれない。第2次世界大戦中、ドイツの伝説的戦車乗りの言葉を引用して。
――やつら、もう勝ったつもりでいやがる
――そうらしいな、では教育してやるか
「お」
「来たようですね」
稜線の黒い影が僅かに膨らんだかと思えば、次々と湧き出るように膨らみが数を増す。
数秒もしないうちに大学選抜に負けない美しい隊列を組んで、ATの一団が姿を現したのだ。
朝日を背にした機影は黒々として詳細を見ることは叶わないが、しかしそのシルエットは実にバラバラで、整然と統一感のある大学選抜チームとは違って寄せ集め感が丸出しだった。
しかし、辻はその姿に不穏な違和感を覚えた。
あるいは、その影法師の不吉な大きさに惑わされでもしたかと、気の迷いよ消えよと頭を横に振って改めて大洗の隊列を見る。
だが、違和感は消えるどころかさらに強まる。
その正体を探ろうと、大洗の隊列を具に眺めていて、ふと気がついた。
まさかと思って一機一機、影法師を数えれば、終わりの頃には辻は喘ぐように呟いていた。
「――多いじゃないか!?」
果たして、辻の言うとおり大洗女子学園装甲騎兵道チームの機数は倍近くになっていた。
その数、総勢60機。しかも中には、よく見ると戦車然としたシルエットまで見える。
「どういうことだ!?」
叫ぶ辻に応えた訳でもあるまいが、大洗側隊列中央では絶妙のタイミングで一機のATのハッチが開き、小さな耐圧服姿が地面へと降り立っていた。
降りてきた少女、西住みほはヘルメットを外すや、反対側の丘へと向けて大声で呼びかけた。
「大洗女子学園装甲騎兵道チーム、全60機、到着しました! 今日一日、よろしくお願いします!」
――stage15
『バトルフィールド』
抗議の声を受けて、一斉に突き出された短期転校届けの白い列。
確かに押された保護者の判子の紅さを前にしては、あの慇懃無礼傲岸不遜の七三分けも公僕の端くれ故にぐうの根もでない。
散々自分たちを苦しめてくれた男の、唖然とした顔には何度それを思い返しても溜飲が下がる。
杏はもう何度目か解らない回想から意識を現実に戻し、目の前に広がる夢のような光景を眺めた。
「数を勝る相手には浸透強襲戦術で内部から相手を食い破るまででしてよ」
「それなら中央部に楔を打ち込み一点突破を図るべきよ」
「こっちには戦車も居るんだから火力集中で圧倒すればいいんじゃないかしら」
「どっしり構えて冬を待てばいいじゃない! 幸いここは緯度も高いし効果は抜群よ!」
ダージリンが、エリカが、ケイが、そしてカチューシャが、高校装甲騎兵道を代表するエースたちが揃って同じ机を囲み、侃々諤々の議論を交わしている。
「わたくしとしては、様々な案を比較検討した所、やはり突撃しかないかと!」
「とりあえず頭を動かすのは腹ごなしをしてからだ。パスタ茹でるけど、リクエストあるか~?」
「ではカレースパゲティで頼む」
「隊長!?」
「……冗談だ」
いや、その四名のみならず、同卓にずらりと座るのは西絹代であり、アンチョビであり、西住まほであり、とにかく高校装甲騎兵道オールスターといった様相を呈しているのだ。一同とやや離れた所にはミカの姿も見えるが、彼女は相変わらず一人静かにカンテレを爪弾くのみで、作戦会議に加わる様子はなかった。
「……みほはどう考えている? みほの意見を聞きたい」
「えっと……じゃあ鮟鱇のムニエルと蛤のクリームソース仕立てのパスタで」
「パスタのリクエストの話じゃないだろう!」
「じゃ、私は干し芋パスタいっちょうで」
「会長!?」
姉妹揃ってとぼけ倒している姿に、書記役を務めていた桃が思わず突っ込んでいた。
そんな三人の姿に、ダージリンがクスクスと笑い、釣られてケイまでが吹き出すのを堪えている有様で、エリカとカチューシャは呆れ、絹代は「パスタってナポリタン以外食べたことないんだよなぁ」などと小さく呟いていた。
一大決戦を前にして、何とも緊張感のない様子だが、杏は却ってそれを頼もしく感じた。
あれほどの大軍勢、しかも率いるのは島田流の秘蔵っ子であるというのに、彼女らは全く臆してなどいないのだ。
確かに数では劣っているが、こちらには聖グロリアーナ、サンダース、プラウダ、知波単、アンツィオ、継続そして黒森峰の各隊長陣と各校の精鋭選手たちが揃っている。勝ち目は、充分にあると杏は思う。後は、いかにして戦うか、つまり作戦こそが勝利の要になる。
試合開始を一時間後に控え、大洗女子学園連合チームは最後の作戦会議に入っていた。
仮設テントに集まった隊長達はみほを中心に地図を囲んで議論を交わす。
地図の上には走り書きで、大洗救援のために短期転校という裏技で集った各校チームの陣容が記されていた。
【聖グロリアーナ女学院】
ダージリン:オーデルバックラー
オレンジペコ:エルドスピーネ
アッサム:エルドスピーネ
ルクリリ:エルドスピーネ
ローズヒップ:クルセイダー(エルドスピーネ改)
今回の短期転校の仕掛け人、ダージリンが率いるのはいかにも彼女ららしいオーソドックスな機体構成の五機からなる分隊だ。唯一ローズヒップだけが普段とは異なりバトリング用のATで試合にも臨む。
【サンダース大学付属高校】
ケイ:スタンディングトータス・ガタスペシャル
ナオミ:ファイアフライ
アリサ:スタンディングトータス砂漠戦仕様
聖グロリアーナとは対象的なのがサンダースチームであり、三人揃ってスタンディングトータスのカスタム機での参戦だ。普段は全体の連携を重視して通常機で試合に臨むケイも、バトリング選手ガタ・パッカードが使ったのと同じ仕様にATを仕立てての試合参加である。ナオミは全国大会の時と同様に、オリジナルのファイアフライカスタムであるが、アリサは無線傍受用の装備から本来は砂漠戦仕様へと転換していた。カルビン・ウォーカーというボトムズ乗りが用いていた仕様であり、大型のロケットポッドをミッションパックにマウントするなど、恐ろしい程の重装備になっていた。
【プラウダ高校】
カチューシャ:エクルビス
ノンナ:ノンナ専用チャビィー
クラーラ:グレーベルゼルガ
ニーナ:エクルビス(量産機)
アリーナ:陸戦型ファッティーType.B
プラウダ高校の編成は全国大会の時とほぼ変わっていなかったが、クエント人の血をひくと噂のクラーラはファッティーベースの模造品ではなくて、本物のベルゼルガへと乗り換えてた。なお、カチューシャのもニーナのものも、乗り手に負担がかかる脳波コントロールシステムは取り外してあった。殲滅戦は長丁場となることが必至なのだ。
【知波単学園】
絹代:ウラヌス(ライトスコープドッグ改)
玉田:ライトスコープドッグ
福田:ライトスコープドッグ
細身:ライトスコープドッグ
池田:ライトスコープドッグ
名倉:ライトスコープドッグ
絹代率いる知波単勢は全機ライトスコープドッグという一見すると狂的とも言える編成での参戦である。しかし知波単学園ならではの突撃戦法にこの軽量機が合わさった時、発揮される突撃力の凄まじさは、装甲騎兵道に携わる者で知らぬ者が居ないほどだった。
【継続高校】
ミカ:ベルゼルガ・ブルーナイト
アキ:ファニーデビル
ミッコ:オクトバ
いつもの編成がまるでバトリングのような一風変わった継続高校の三人娘は、いずれも独特のATに乗り込んでいる。ミカが駆るのはかつて『200人殺し』とも謳われた伝説のボトムズ乗りと仕様を同じくするベルゼルガ、アキが操るのは明るい黄色に塗装されたファッティーのカスタム機、そしてミッコが乗るのはオクトバという極めて珍しいATであった。生産工場のある母星がまるごと吹っ飛んでしまったがために、今や殆ど流通していない変わり種だ。
【アンツィオ高校】
アンチョビ(withジェラート、アマレット、パネトーネ):アストラッド戦車
ペパロニ:ツヴァーク
カルパッチョ:ベルゼルガDT
大洗連合チームのなかで実は最大の火力を誇るのはアンチョビ率いるアンツィオチームであった。全国大会に続いてのアストラッド戦車での参陣であり、乗りては勢いのある一年生選手で固めてある。ペパロニとカルパッチョは全国大会と同じATでの参戦だ。
【黒森峰女学園】
まほ:ブラッドサッカー(レッドショルダー)
エリカ:ストライクドッグ
小梅:スコープドッグ・オーガワラスペシャル
黒森峰も基本的には全国大会の時と変わらないが、小梅は特別仕様のスコープドッグへと乗り換えていた。これでもかと火器を満載しており、砲戦となれば凄まじい威力を発揮することが期待できた。
――以上60機。
これが大洗連合の機体の内訳である。
いずれも一騎当千の強者であり、わざわざ取り寄せた大洗仕様の耐圧服に皆着揃えていたが、見事なまでに機体構成はバラバラである。
つまり、作戦を立てるのが極めて難しい。議論が紛糾するのもむべなるかな。
「……今回の指揮官はみほだ」
会議がまとまる気配がない様子を見て、まほが動いた。
静かな視線で、みほを見据えながら言う。
「みほに従うのが筋だろう。みほ、作戦は?」
皆が一斉に自分を見つめるのに、みほは生唾をごくりと飲み込んだ。
しかし持ち前の肝っ玉で、確固とした口調でみほは作戦を告げた。
「作戦は――」
――予告
「さぁいよいよ戦いの火蓋は切って落とされた。みほの立てた作戦に従って、皆一様に戦場の荒野を駆ける。でも今度の敵は正面からではなくて、お空の上から現れた。試合の行く末は硝煙に包まれたみたいに見えないけれど、結局の所は風まかせ。さぁ、どんな風が吹くか、見てみようじゃないか」
次回『ウィルダネス』
いよいよ試合開始