――時間は少々遡る。
『!? 今の音、聞こえた!?』
「え?」
『音……ですか?』
『自分のほうはなにも』
『私もだ』
沙織が唐突に叫ぶ声に、あんこう分隊一同は思わず鋼の足を止めて振り返る。
先頭が止まれば、後続も止まる。『グレゴルー中隊』全隊が行進を停止し、さらなる指示を待つ。
『うわっ!? ……いきなり止まるんじゃないわよ!』
後続のカチューシャは沙織の急停止に驚いてコックピット内部でつんのめったらしく、ハッチを開いてプンスカ猛抗議している。すかさずノンナが傍らへと乗り寄せ機体から跳び出し、カチューシャの頭をヘルメット越しに撫でて跳ね除けられていた。
『……』
しかしそんな微笑ましい様子も沙織の眼には入らないのか、何やら機体のコンソールの操作に集中しているらしい。かき鳴らされる電子音をマイクが拾い、ATをまたいでみほの耳にも響き渡る。
沙織はみほのように家元の子でもなければ、華のように射撃に恐ろしく秀でている訳でも、優花里のように並外れた知識があるわけでも、麻子のように群を抜いた操縦センスがあるわけでもない。ボトムズ乗りとしては極めて平々凡々な彼女だが、あんこうの他の四人が持っていないものを彼女は持っている。独特のセンスとでも言うべきか、他の皆が気が付かない何かを、無意識的に感じ取ることがあるのだ。そして、何気なく彼女の言ったひとことが、今までも大きく戦局を変えてきた。
その沙織が、何やら緊迫した様子を見せている。
――嫌な予感がする。
胸騒ぎがみほの体を走り、耐圧服の下の掌に嫌な汗が浮かぶのが解る。沙織が感じ取ったモノが何であるにししろ、碌でもないものであることだけは確かだから。
『沙織殿のデスメッセンジャーはセンサー系に特別な強化を施しています。それが何かを捉えたのかもしれません』
優花里が言うように、沙織の乗機『デスメッセンジャー』はミッションパックを換装し通信機能やデータ処理能力を向上させ、よりサポート力を発揮するように改造されている。つまり他のATが感じ取れない音や振動、光を感知することができるのだ。あんこう分隊の縁の下の力持ち、武部沙織らしいカスタマイズといえる。
『! やっぱり聞こえる! なんか変な音、聞こえるよみぽりん!』
「沙織さん、音声、みんなに飛ばせる?」
『やってみる!』
数秒の後、『グレゴルー中隊』全員の耳にも沙織が聞いていたのとの同じ音が響き渡る。
『……何よコレ? 確かに何か鳴ってはいるけど』
『なんか揺れてる感じだよ、そど子』
『ブルドーザーとか、重機が走っているときみたい』
そど子らヒバリさん分隊の言うように、重いものが地面を進む時に出るような振動音に似ていた。
『もし、これが地面の振動音なら、音の主は相当な大物だな』
『はい。加えて言うならここは湿地帯です。泥濘んだ地面でここまで響くとすれば相手の重量は数千……いや万トンクラスになる筈です』
麻子が茫洋と呟くのに対し、優花里の声には緊迫感がみなぎっている。彼女の脳裏では今、音源の正体を探るべく知識が総動員されているに違いない。
『それ、地面に沈んじゃうんじゃないでしょうか?』
『うむ。ドイツの超重戦車マウスは188トンだが、路面や橋梁を壊してしまうので普通の地面は走れなかったと聞く』
華が当然の疑問を呈すれば、横からエルヴィンが首肯する。
『大学選抜側は150機もいるんでしょ? おまけに主力はH級のどん亀なんだし、それが一斉に走ればこんなもんじゃないの?』
カチューシャの言葉には傍らのノンナが即座に頷きを返したが、優花里は首を横にふる。
『スタンディングトータスの基本重量は8トン強です。仮にトータスが150機集まっても1200トンにしかなりません。実際にはより軽量なドッグ系も相当数相手には混じっていますから、1200を割るのではないでしょうか』
1200トンでも超重量には変わりはないが、それでもこの振動音には吊りあわない。
所で余談ながら、優花里の指摘にふくれっ面になったカチューシャの頭を、ノンナは再度ヘルメット越しに撫でて跳ね除けられていた。
『……ねぇ、これもしかして「アレ」じゃないかな? ほら、この間のイベントボスの』
ここまで一言も発していなかったねこにゃーが、何かに気づいたのか不意に声を挙げる。
『確かに、「アレ」のあの大きさならこれぐらいの音はするナリ!』
『でも、「アレ」、装甲騎兵道に使ってもいいものピヨ?』
ももがーは肯定し、ぴよたんは疑問を呈する。
しかし肝心の「アレ」が何なのか、周りの人間にはさっぱり解らない。
『……ああ!? あれのことですか! 確かにイベントボスとして登場していましたねぇ!』
ただ一人、ゲーマ女子達の会話の内容を理解したのはやはりというか優花里だった。彼女は純粋な装甲騎兵道マニアであって特別ゲームだけに入れ込むことはないものの、ATの登場するゲームは一通り眼を通してはいる。
『いや、でも待ってください。確か、過去に「アレ」を実際にバトリングに持ち込んだケースが――』
『だから「アレ」ってなんなのよ! 解るように説明しなさいよ!』
しかし「アレ」が何かを言うこともなく、独り言と共に思考の海に潜ってしまった優花里に、カチューシャがしびれを切らした。こうして議論している間にも音はその大きさを増し、今や耳障りなレベルにまで至っている。これ以上ここに留まるのも、作戦の遂行の差し障りになりかねない。
『いやですね、「アレ」というのは――』
優花里が言おうとした時だった。突如鳴り響いた銃声が、砲声が彼女の言葉を半ばで引き裂く。
一同は、音の方へとカメラを向けた。
試合場中央部の高地。ほんの数分前に、まほ率いる『バイマン中隊』が先取した筈の場所。
山の端に、何か黒く大きな塊が見えた。
轟音と土煙とともに走る鉄塊の姿に、一同は言葉を失う。
ただ優花里とアリクイさん分隊だけが、自たちの考えが正しかったことを理解していた。
――バララント地上戦艦。
それが恐るべき振動音の正体であった。
――stage17
『フラッド』
その車輪のひとつひとつ、履帯のいち枚いち枚が、たやすく人を踏み潰せる大きさを持つ無限軌道。そんな無限軌道を全部で十二本も備わっている。
黒に近い銅褐色の車体はおおよそ台形で、底面を除く全表面に夥しい数の砲座銃座を有し、一言で言うならば鋼鉄製のハリネズミである。しかしその有様は地を駆ける戦艦と言うよりも、動く城、地を這う要塞と言う方が適当に思える。実際このジャガーノートは移動基地として開発され、母艦としての機能を重視された作りになっているのだ。
――『地上戦艦』。
百年戦争の初期においては、陸の上の戦いで無敵を誇った旧世代のメカニズム。
その栄光は膨大な建造コスト、維持費、そして戦争の質的変化とより安価なATの台頭によって消え去った。
しかし完全に戦場から姿を消したわけではなく、マナウラ政府軍の保有する地上戦艦『ブッチーノ』のように、その圧倒的砲戦能力を活かして未だ現役のものも少なくはない。
たった今役員席に設けられた専用モニターに大写しになっているバララント製の地上戦艦も、あのレッドショルダーが参戦した第3次サンサ戦にも投入されていたのだ。
大地を踏み潰し、無限軌道を震わせ走る鋼鉄の巨体の姿に、装甲騎兵道連盟理事長、児玉七郎は思わず立ち上がり、傍らに悠然と座る男を睨みつける。
「これは曲りなりにも装甲騎兵道の試合ですよ! こんな無茶苦茶が許されて良いはずがない!」
温和で知られる児玉理事長が、珍しく厳しい声で言い放つ。
しかし真っ向ぶつけられた糾弾を前にしても、いつものいかにも役人然とした作り笑顔を辻は崩すことはない。
「本試合は『リアルバトル方式』であると、事前に、何度も申し上げた筈ですが」
飽くまで何もおかしな事はないという悠然たる態度のまま、そう嘯いてみせた。
「確かにリアルバトルとは基本的に『なんでもあり』ではある! しかしね! なんでもありとは言ってもバトリングはバトリング! AT同士のコンバットであるという点は外してはならんはずだ!」
当然極まりないこの指摘にも、余裕をもって文科省の役人は答える。
「過去にア・コバという街で地上戦艦VSアーマードトルーパーの異種バトリングが行われた先例があります。興行として成立する限りにおいては、あらゆる自由が許される……それがバトリングというものなのでは?」
「……ぬ」
児玉としては実に不本意ながら、この役人の言うことも一理あったので言葉を噤まざるを得なかった。自分自身、リアルバトル方式の試合にゴーサインを出した以上、これ以上の異議を唱えるわけにもいかない。そして何より、試合直前での短期転校による大洗への事実上の助っ人というグレーゾーンぎりぎりの手を先に認めてしまっている。だからこそ、相手の横紙破りにも強く出ることができないでいた。
「装甲騎兵道にまぐれなし、真に強き者が勝利する……でしたか? あの西住流師範その人が言った通り、最後には互いの選手の力が勝敗を分かつことになる。仮に大洗女子学園がこの試合に敗北したとしても、それは単に彼女らの実力が大学選抜に対し劣っていたに過ぎません」
だから地上戦艦を投入した所で、そんなものは誤差の範囲に過ぎない――と言いたいらしい。よりにもよってこの男に装甲騎兵道を講釈されるとは……。それも西住流の教えを語るとは! だがそれを吐いた男の意図はともかくとして、言葉そのものに誤りはないのだ。児玉と言えど、反論を飲み込んで座り直す他ない。
今、彼にできることは、大洗女子学園の少女たち、そしてその旗のもとに集った装甲騎兵道乙女達の武運を祈ることだけだった。
――◆Girls und Armored trooper◆
「被害状況知らせ!」
まほが愛機を降着させれば、頭上を大口径機銃弾が通り抜けていく。
地に膝ついて伏した格好のままペダルを踏み込み、ブラッドサッカーを後退させて追撃の銃撃を避けつつ、回線を開いて応答を待つ。
『こちらカメさん~一機に一発掠ったけど問題なーし』
『死ぬ~死ぬ~!?』
『桃ちゃん落ち着いて!』
『こちらウサギさん! 梓機無事です!』
『あゆみも大丈夫です!』
『あや生きてまーす!』
『桂利奈も生きてまーす!』
『ぎりぎりの所で外れてラッキーで~す!』
『……』
『紗希も問題ないって言ってます!』
『こちらウワバミ。避けきれなかったけど何とか凌げたみたい』
『100ミリの装甲をなめんなってのー!』
『まぁ実際は機体を斜めにして傾斜つけたんだけどね』
『装甲いじってあるのも全部じゃないしね。流石にATの装甲に直撃弾はまずいっしょ』
『こちらケイ! 全機オールグリーン! ただし配置の確保は難しいので移動中!』
『DAM IT!』
『うわぁちょっとあたったあたったたたたたた!?』
『こちらアンチョビ! 直撃したが問題無しだ! 流石は戦車! ATとは装甲の厚みがダンチだ!』
『こちらペパロニ! 背丈が低いから弾は素通りしたっス』
『カルパッチョです。盾で防ぎましたので大丈夫です』
『エリカです! 隊長、ご無事ですか!?』
『小梅です! 危なかったですが大丈夫です!』
応答は全員から即座に返ってきた。不幸中の幸い、一機の欠けもないが、まほにはそれに安堵する暇すらない。地上戦艦が備える無数の砲座銃座から土砂降りよろしく砲弾銃弾が依然降り注いで来ているのだから。
『こちらグレゴルー中隊! おねえちゃ――西住まほ選手! 大丈夫ですか!?』
『こちらダージリン。そちらに何やら途方もない化け物がいらしたみたいですけど、まほさん、助っ人をご所望かしら』
みほからは焦った声で、ダージリンからは相変わらず人を食った調子で通信が飛んでくるが、まほと言えど即座に返答はできなかった。余りにも、余りにも膨大な鉛の驟雨には彼女と言えど閉口し、回避運動に専念せざるを得ない。
「……こちらバイマン中隊。全機健在。救援は不要だ。むしろ両中隊長には注意を促したい。地上戦艦の攻撃に合わせて、相手も動く」
まほの予想は残念ながらすぐに的中した。
みほへと、そしてダージリンへと開かれた回線からは次々と新たな砲声が飛び込んでくる。電波の向こう側でも戦端が開かれつつあるのだ。
「各機に伝達。相手大学選抜地上戦艦はその形態から推測するに母艦だ。今に内部からAT部隊が繰り出してくる。頭上に注意しつつも、前方を警戒」
しかし流石は黒森峰の鉄の乙女、西住まほである。この想定外すぎる相手の無茶苦茶な攻撃にも、冷静に次の手を打つ。脳内では限定的ながら確かに知っている地上戦艦のスペック情報が走り回り、採るべきプランが浮かんでは消える。黒森峰と言えど可動する陸上戦艦は保有していない。そもそも、単にATを試合会場まで運ぶだけならばこんなものは必要ないのだ。稀に試合の場所に百年戦争中の名残の残骸が放置されていることもあるとはいえ、動いた所を実際眼にするのはまほと言えど初めてだった。
『どう考えてもレギュレーション違反じゃないのかなぁ、アレ』
『反則だー! ルール違反だー!』
『審判に言いつけてやる!』
『言っちゃえ~! 言っちゃえ~!』
ナカジマが呑気に呟けば、桂利奈が、あやが、優季が抗議の声を張り上げる。
『いや……装甲騎兵道ですら戦車がOKだったんだ。ましてやこれはバトリングルール。褒められたことじゃないがルール違反じゃない』
『ルール違反じゃなかったとしてもゲテモノすぎるっスよこれは!』
アンチョビが言うように、確かにこうして試合に出ている以上、ルール違反ではないのだ。
たとえ、どれだけ装甲騎兵道にそぐわないマシンであろうとも。
『JESUS! 宇宙戦艦のやっつけかたなら解るのに!』
『撃て! 撃て! 撃て! 撃てぇぇぇぇっ!』
ケイが舌打ちしながら叫び、桃が砲声と共に叫ぶ。
他校のまほですらノーコンであることを知悉している桃であるが、標的の巨大さ故にまさかの全弾命中である。しかし、その銅褐色の表面には爆炎があがり、傷こそつきすれ、進行を止めるには至らない。
「無駄だ。正面から撃っても意味はない」
『だがどうする! このまま黙って押しつぶされるつもりか西住姉!』
『そうそう~どうする姉住ちゃん』
『隊長に変な呼び方しないでください!』
エリカが一応は先輩であるということを弁えながらも杏へと食って掛かるのを傍らで聞きながら、まほは思案を続ける。傾斜のゆるいデライダ高地北側からならば、あの地上戦艦と言えど頂上まで登りきることは可能な筈だ。つまり、このままでは座して撃破を待つのみ。
「……ミサイル、ロケットを装備している機体は敵地上戦艦の履帯、あるいは地面を狙え」
ならば撃破は最初から諦めて足止めだけを考えれば良いのだ。
高校装甲騎兵道では今や名の知れた選手ばかりが集っているだけはあって、まほが皆まで言わずとも意図を理解して一同、重火砲を地面や無限軌道へと向けて発射する。
『弾種榴弾! 相手の足元をふっとばすぞ~! ジェラート、アマレット、急げ!』
『進路クリア! アリサ、合わせなさい!』
『Yes、Mom! Firte!』
『ミサイルの大判ぶるまい、いっきまーす!』
『みんな出し惜しみしないで、撃って撃って!』
ミサイルが、ロケットが、煙をひいて飛び出したかと思えば、またたく間もなく着弾、爆炎をあげ、土塊を天高く舞い上げる。履帯にも何発か命中するも、これはやはり効果はない。しかし――。
『……あれ?』
誰が最初に気づいて呟いたか。誰とも知れぬ声が響いたかと思えば、地上戦艦は突然、その歩みを止める。砲撃に掘り返された地面の穴は確かに大きいが、あの履帯ならば跨げない程でもない。あるいは、傾斜と穴が合わさったが故に、まほたちが思った以上に地面の砲撃が効力を発揮したのであろうか。
――いや、違う。とまほは察知した。仮に足止めが成功していたとして、相手が砲撃まで止まるのは妙だ。砲撃まで止めうる理由があるとすればただひとつきり。
「……来るぞ」
味方AT部隊を繰り出す際に、誤射をしないがためだ。
まほが言うやいなや、地上戦艦上部から、次々と降りてくるのはスタンディングトータスの群れ、群れ、群れ!
『なんて数! ううううううううててててててて』
『桃ちゃん、落ち着いて!』
夥しい数のトータスが、降下システム『バケツ』を用いて鋼の城の表面を滑り降りてくる。
降りてくるや否や、バケツを乗り捨て、ローラーダッシュでバイマン中隊を目指し駆け上る。
その数、おおよそ五十機。まほが数えたのだ、間違えなどある筈もない。
「武器をマシンガンなどに切り替える。弾幕を張るぞ」
言いつつブラッディライフルをバルカンセレクターに切り替えながら、まほはスコープ越しに見据えた。
自分たちへと迫りくる、鋼の大津波を。
――予告
「怒涛、っていうのは、こういうことを言うんだろうね。百五十機が全部、襲ってきたんじゃないかと思うぐらいの大攻勢だ。でも、何やら妙な部分がある。違和感を覚えながらも、その正体にみほも、まほも、ダージリンもが気づけない。島田愛里寿、その策謀がいよいよ垣間見える。さぁ、どう相手したものかな」
次回『アサルト』