「あれ、親父たちの船見当たんないけど」
頼卯は行き違いになったのかと思い、一度船を止め辺りを双眼鏡で見渡す。
「行き違いでしょ? 村に戻ったら帰ってるって」
涼香の言う通りだが、それにしても船が水平線上に一隻も見えないのはおかしいと思った。周囲には小さな島がいくつかあり、その影に隠れてしまったとしても音がするはず。
しかし海域には不気味なほどの静けさが漂っている。
「なんか変だな」
「……うん」
「ちょっと気をつけて周囲を見てくれ」
頼卯の注意に従い、周囲を見渡した。
「お兄ちゃんあれ!」
涼香の指さす方向に双眼鏡を向けると、何かの板切れが漂っていた。
その後ろには、月の光を反射する輝かしい何かが見えた。
「あれ、船の残骸か?」
「キャッ!」
「どうした!」
涼香はその場に倒れ込み、海面にふるえる指を向ける。頼卯は船から身を乗り出しジッと海面を見た。月の光を反射する海面の隙間に、誰かの顔が映った。
「親父の漁師仲間の……!」
海面をこちらの方向に流れていく物体の中に、何人かの身体が浮いているのが見えた。その中にはいくつもの頼卯の見知った顔が流れていた。
その時頼卯の背筋に悪寒が走った。その悪寒の理由は様々であった。潮の香りにうっすらと混じる焦げ臭い匂い、死体の流れる潮の流れ、月の煌めきもあったかもしれない。
とにかくそういった諸々が嫌な予感を頼卯に植えつけ、頼卯の双眼鏡を村の方向に向けさせた。
「お兄ちゃん……?」
「――今すぐ村に戻るぞ!」
「でもお兄ちゃん、この人たち!」
「いいから! 村が危ないかもしれない!」
頼卯がアクセルを全力で踏む。エンジンが焼き切れるほどの轟音を上げ、進路を村に向ける。涼香は涙目で呆然するしかなかったが、船が村に近づくにつれ頼卯の焦りの原因が分かった。
村のある方角の空に、黒煙が上がっているのが見えたのだ。月夜に浮かぶそれらは、まるで満月から零れる泥のようで気味が悪かった。
涼香は涙を流しながら母や村人たちの無事を祈り、頼卯は額に汗を浮かべながらアクセルを踏み続けながら警察に連絡する。
船内は行きと正反対に、慌ただしい空気が漂っていた。
「お兄ちゃん!」
村が見え始め、頼卯を襲った嫌な予感が現実に姿を変え始めていた。
「なにアレ」
涼香は空に視線を向け、呆然と言葉を零す。それにつられ頼卯も空に目を向けた。そこには禍々しいラジコン飛行機のようなものが村の上空を飛び、爆弾のようなものを降下させ、銃撃を村に放っている。そのたびに村に火が上がり、叫び声が海上の頼卯たちにまで響いてきた。
「やめろぉぉ!」
頼卯が村に向け声を張り上げるが、誰も返事をしない。一度船を止め村を呆然とした様子で眺めた。それはまるで悪夢のようで、このまま気を失ってしまえば、すべて忘れることができるような気がした。しかしそれはできなかった。隣で怯えている涼香を置いて、この悪夢から逃れることはできなかった。
「あいつらが、父さんたちを?」
「くそっ、あいつらいったい……」
村に船が近づくにつれ、村の沖に何かが動いているのが見えた。
「ん……? あれは?」
「逃げてきた人がいたんだ!」
涼香は嬉しそうに頼卯に伝える。
涼香にとってはそれは絶望の中に見出した唯一の希望だったのだろう。
願わくば、それが母親が乗ったボートであることを祈り、頼卯はライトを向ける。彼らを率いて逃げるつもりだった。それが最善の策であると、この時は思った。
「おーい、こっちだ!」
ライトは数百メートル先にぼんやりと立つ数人の人影をはっきりと照らした。
しかしそこで違和感を持つ。ボートに数人が乗っているにしては人と人の間隔が広く、仮にボートに乗っているなら直立する必要はない。
その事実に気づき、大嵐は慌てて双眼鏡で覗き、その違和感が綺麗さっぱりと溶け、頼卯の顔から血の気が引く。
その数人、正確には六人は海上に立ち、村に向け何かを轟音と共に放ち村を破壊していた。その行為に躊躇いや後悔といったものは感じられない。ただ淡々と村への砲撃を続ける様はとても人間には見えない。
「あいつら――」
言葉を失っているところに、六人がこちらに顔を向けた。ライトに気づいたようだ。
そのまま大砲のようなものをこちらに向けたのを見取った頼卯はライトを消し、急旋回で船を進めた。
そのすぐ後、先ほどまで船があった位置には大きな水柱があがり、その反動で起きた波が頼卯たちの船を大きく揺らす。
「くそっ!」
「お兄ちゃん!」
「掴まってろ!」
涼香の叫びに怒声でしか応えられない自分の余裕の無さが嫌になったが、それでも頼卯はアクセルを踏み続ける。どこに逃げるのか、ただがむしゃらに船を走らせる。何度も旋回を繰り返した。そうしなければ砲撃の良い的になることが分かっていたからだ。砲撃音が徐々に近づくことから、奴らが近づいていることが分かった。
まるで遊ばれているようだ。姿も碌に見えていないが、その顔に嫌な笑顔が浮かんでいる気がしてならなかった。
「お兄ちゃん! このままじゃ!」
「分かってる!」
せめて、涼香だけでも。頼卯の頭には二人が助かる道が見えていなかった。
そんなものはないのだと、厳しい現実だけが浮かぶ。
自分が囮になれば。
自分の命を投げ出せば涼香が助かるような、そんな気がした。
前方に小さな小島が見える。たしか無人島で、一周するのに徒歩で二時間とかからない小さな島だ。
細かな旋回で島の影に一瞬隠れ、その間に涼香を島に泳がせる。
その後、頼卯が船で逃げれば敵は頼卯を追うはずだ。
とっさに浮かんだ案の勘定には、一人分の命しか入っていなかった。
「涼香、一瞬あの島に隠れる。その間にお前は島に逃げ込め。俺はあいつらを引き付ける」
「でもお兄ちゃんが」
「俺は船で逃げ切るさ」
「だったらあたしも!」
「いいから!」
涙目の涼香は、頼卯の言わんとしていることを理解していた。だからこそ、簡単には引き下がれない。
しかし涼香は、それに頷いた。
「……わかった」
頼卯は少し驚いた。なにがなんでも説得するつもりだったからだ。
だが話がスムーズに進むに越したことはない。
「タイミングは俺が言うから、海に飛び込んで、できるだけ深く潜って、あいつらに見つからないようにな」
「――昔っから、お兄ちゃんが大事なことはスパッと決めてくれたよね」
「周りが静かになったら、助けが来るまで待て。絶対に泳いで戻ろうとするなよ」
「ちっちゃい頃はそれが嫌で、たまに喧嘩したよね」
「言わなくても分かると思うが、ここら辺の潮は流れが速くて、あっという間に沖に流されるから」
「でも後になって、それが全部あたしの為で、あたしの為にお兄ちゃんが自分を犠牲にしてくれたこともあったって、気づいた」
「生きて帰ったら好きに生きろ。黒神グループに連絡すれば当分は面倒みてくれるはずだ。お前は要領が良いから、なんにでもなれる」
「お兄ちゃんが村から離れた時、すっごく寂しいのと一緒に、やっと自由にさせてあげられたって思った」
「教師とかいいんじゃないか? 箱庭学園がオススメだ。生徒も教師も眩しいくらい輝いてる」
「お兄ちゃん、あたし最近船舶免許取ったんだ」
「よし、いくぞ。まだまだ言いたいことはあるけど、元気でやれよ」
「お兄ちゃんもね」
「五、四、三、二――」
凄まじい轟音が今までにない近距離で響く。大きな波が船をひっくり返さんばかりに船に叩きつけられる。
体勢を大きく崩した頼卯の肩に誰かの暖かい手が当たる。
「ばいばい、お兄ちゃん」
涼香は頼卯が帰ってきた時と同じく、眩しい笑顔を浮かべていた。
違う点は二つ。
今の涼香の目尻に涙が溜まっていたこと。
そして頼卯が、その笑顔から目を背けなかったことだ。
体勢を崩した頼卯を、そのまま涼香は海に突き飛ばした。
訳が分からず、理解が追いついた時には頼卯と涼香の間にはどうしようもない距離が開いていた。
宙を舞う頼卯は、涼香に手を伸ばす。けれども距離は離れていくばかり。
「涼香! 涼香ぁぁ!」
頼卯の叫びも虚しく、涼香の乗る船は暗い海を突き進んでいく。
船内で涼香は、涙をこらえた笑顔で、前だけを見ていた。
砲撃から逃げきれないことは分かっている。
ただ、兄である頼卯が生き残ることに、自分でも驚くほどの確信と安堵を覚えていた。
頼卯が波に飲まれ、船を見失った数秒間の間に、再び轟音が海に轟いた。だがそれは、何かに当たったような、鈍く広がる爆発音を響かせた。
頼卯は焦って視界を取り戻そうとするが、その焦りがかえってそれを遅らせた。頭には同じ文言が渦巻いている。
涼香の船じゃない、涼香の船じゃない、涼香の船じゃない――。
海から顔を出し、船が進んだ方向を見る。
そこだけが昼間のように明るく、燃える船体が真っ赤に映し出されていた。
頭が真っ白になる。船の近くの海面に目を凝らすが、船の破片が浮かんでいるだけだ。その中の一つに、海に溶ける真っ赤な板切れを見つけ、頼卯の理性は消え去った。
「あぁぁぁぁァぁァァ!!! てめぇら! 俺の妹を! 俺の家族を! 俺の村に何してんだぁぁ!」
頼卯は敵を睨み、その方向に叫ぶ。敵はまっすぐこちらに向かってくる。頼卯は拳を海面に叩きつけ、己の無力を呪う。
こんなよく分からない奴らに、なんで殺されなきゃいけないんだ。俺が何をしたんだ。妹が何をしたんだ。ふざけるな。
全ての言葉は口に出ることはなく、ただ獣のような唸り声が零れるだけだ。敵がゆっくりと大砲のようなものをこちらに向ける。
ようやくはっきりと捉えることができたその姿は、人間ではない、いや人間のような姿はしているが、その瞳に人間らしい暖かみはなく、ただ冷たく暗いものがそこに横たわっていた。
そこで頼卯は、諦めと安心を覚えた。
ひとりぼっちにはさせない。
いますぐ――。
「今いくぜ、涼香」
最後に、拳を敵に向け最後の抵抗を示し、覚悟を決めた。
「死んでもお前たちを許さない」
頼卯の言葉が聞こえたのか、敵がニヤリと笑ったような気がした。
その笑みは、弱者を殺す者の余裕を纏っていた。
爆音が海面を震わせた。頼卯は大人しく目をつむるが、一向に痛みは感じない。
目をゆっくりと開くと、その先には先ほどの敵が燃え盛り苦しんでいた。
砲撃を行ったのは目の前の怪物でないことを理解したが、それから徐々に頼卯の意識は薄れていった。
「大丈夫デスカー? 夕雲、その人を連れて退避をお願いしマース」
「了解しました」
誰かの声が後ろから聞こえ、誰かに手を引かれていた。
そこで頼卯は完全に気を失った。
気が付けば、そこは海軍病院の一室だった。