「で、来てみたわけだが」
コントラバスを肩に担いだ武蔵は、ミニホールの客席で大層疲れた顔で座っている善吉とアイオワに気づき、疑問符を浮かべる。
「まだ練習も始まってすらいないのに、一体どうしたと言うのだ」
「六時から特訓してた……」
「Very tired now……」
そんな二人も、皆が集まるにつれ集中力を取り戻していった。
最後に島風が突進するようにホールに入ってきたところで、善吉はパンパンと手を叩く。
「みんな集まったな。これから合同練習を始める。で、今日から俺はハーモニカの代わりに指揮棒を振る。でもまだ調律は必要だ。そこで今日はその役目をアイオワにやってもらう。全員、アイオワの出す音について行ってくれ。午前中のうちは俺も少し調律を手伝うが、午後からはアイオワ一人に任せるつもりだ」
「それって、アイオワさんはもうピアノを弾かないってことかも?」
「いや、あくまでアイオワの担当はピアノだ。まぁ今日だけって感じかな」
「皆さん、どうかヨロシクデース」
そこまで話して、善吉は恐る恐る長門の方を見る。
厳しい顔で周囲を威圧しているものだと思っていたし、それを説得するための文言もいくつか用意してきた。
しかし、長門は気にする様子もなく、というよりも我関せずというような態度で話を聞いていた。
(なるほど、そういう答えに行き着いたのか)
相手を見ない。確かに、それも立派な答えだと思う。
だが善吉はその答えが嫌いだ。理由はあって無いようなものだが、単純明快であった。
『人と人の問題は、話せば答えは出る』というのが善吉の考えだからである。
長門の取った方法は、ある意味では正解なのかもしれない。
しかし大人の対応というやつで、高校生真っ盛りの善吉には到底納得できるものではなかった。
「……よし、やるぞ」
湧き上がるモヤモヤに蓋をして善吉は指揮棒を握る。
その隣ではアイオワが複雑な表情で、檀上でチェロの音を確かめる長門を見つめていた。
それに気づいたのは、秋津洲だけで、他の艦娘達は各々の楽器の調整や、同じパートの仲間たちと談笑していた。
「アイオワさん……」
秋津洲がアイオワに歩み寄ろうとするが、アイオワはそれに気が付くことなく、ハーモニカを軽く吹く。
結局秋津洲はアイオワに何も告げることができず、練習が始まろうとしていた。
「よし、全員準備はいいな。アイオワ、練習通りに、な」
「――Off courseネ」
キッと表情を引き締め、息を整える。それを見た善吉は軽く頷いて半円に並ぶ艦娘たちを見渡した。
「1、2、3、ハイッ!」
合図に合わせて、弦楽器組と木管組が美しい音色を響かせる。
出だしのリズムは少しばらけたが、善吉とアイオワの調律を軸に纏まった。
次に金管組と秋津洲のティンパニが加わった。
先ほどまでアイオワの事を気にかけていた秋津洲だが、演奏が始まれば真剣に演奏に向き合うことができた。
それは、共に練習を重ねた雪風たちの精一杯の演奏に応えなくてはいけないと感じたからだった。
秋津洲の作ったリズムが、確実にオーケストラの演奏のリズムとなった時、善吉はアイオワにアイコンタクトを送り、ハーモニカを懐にしまい、指揮棒を取り出しそれを振るった。
アイオワは、少し不安げな表情を浮かべたが、すぐにそれを抑えオーケストラの音を調律することに集中した。
(そうだ、その調子だ)
善吉が指揮棒でオーケストラ全体に目を配る。音色は活力に満ち、聴いているものに勇気や希望を与えるような、そんな音がホールに満ち渡っていく。
アイオワも善吉が感じたものと同じようなものを感じていた。
艦娘一人ひとりの表情を見渡す。時折、誰かの表情が曇ることがあった。
そのすぐ後には音色がほんの少し乱れる。
その時にはその艦娘の演奏を支えるように、隣を歩く様にそっと自身の音色を添える。
するとどうだろう。躓いた演奏はすぐさま立ち直り、またオーケストラの音色となる。
そしてアイオワが何よりも嬉しかったことは、秋津洲の演奏が自分の調律を確かなものにしてくれているということだった。
『音』を合わせる調律にとって、『リズム』を合わせるというのは、難題だった。
それをあの、初めて会った頃は刺々しい態度を崩さず、周囲に心を開くことなかった秋津洲が、自分の演奏に自信が持てなかった秋津洲が、自信に満ちた表情で自分と共にオーケストラを引っ張ってくれる。
これ以上に嬉しいことがあるだろうか。
このまま、このまま演奏を終わらせることができれば――。
アイオワがそんな風に思った時、ふと一人の艦娘に目が留まる。
彼女はしっかりと演奏していた。
その低い音色はオーケストラの音色に、地面に太い根を張る大木のような安心感を与えていた。
つまり、アイオワの調律は必要としていなかった。
それだけならアイオワも気にしなかっただろう。
それだけなら、大和型の二人にも言える。
しかし彼女は、『目を瞑って』演奏している。
その態度が彼女の姿勢を表しているのか、集中しているだけなのか、それはわからない。
しかし、アイオワは思わずハーモニカを口から離してしまった。そしてその時気づく。
アイオワが調律を止めたところで、誰も気づかず演奏は続いた。
もしも、陸奥や島風、そして目を瞑っている彼女、長門が演奏を止めたりしたら、きっと誰もが音が消えた方向を見るだろう。
消えても分からないような音、アイオワがその現実に気づいた瞬間、彼女の背には冷たい何かが走った。
それは心臓の辺りで止まって、まるで胸が空っぽになったような虚無感をもたらした。
アイオワの調律が止まって10秒が経ってようやく、秋津洲がアイオワのおかしな様子に気づいた。
それに伴いリズムも少しづつ狂い始める。
調律が消え、リズムが狂い始めたため、木管組の時津風たちが少しづつ狂い始めた。
気付いた時には、先ほどまでの勇猛な音色は消え、なんとか聴ける程度の演奏になってしまっていた。
なんとか一曲が終わり、善吉は首を傾げた。
「どうしたんだアイオワ。途中までは問題なかったのに」
「……Sorry。少し調子が悪かったみたいデース」
なんとか笑顔を作り、誤魔化す。
しかしアイオワの胸中には重たくて冷たい何かが入り込んでいた。
アイオワの背を冷や汗が流れる。
「……次の曲、いくぞ」
善吉は再び懐からハーモニカを取り出した。次も演奏の最初は善吉が手伝うつもりらしい。アイオワはそれにホッとした。もし最初から一人でやれと言われたら、きっとボロが出てしまう。そんな気がしたからだ。
大丈夫、初めみたいに、ちゃんとみんなの演奏を調律するんだ。
自分に言い聞かせ、アイオワは再び表情を引き締める。
「よーし、次の曲いくぞ」
チラリと視界に、不安げにこちらを見る秋津洲が映った。アイオワは笑顔を送り、大丈夫だとアピールする。
しかし、秋津洲の顔から不安げな表情は消えない。
(アララ、アキーツにはバレちゃってるかもデスネ)
自分の本心が見抜かれたことに、嬉しい反面、情けなくなる。
情けなくてもいいから、秋津洲に飛びつきたくなった。
今まで、自分が独りで立っていたことが、はっきりと分かった。
善吉には諦めている、なんて格好つけて言ったが、そんなことはなかった。
諦めきれてなどいない。寂しい、誰かに心の支えに、拠り所になって欲しい。
「準備はいいな。3,2……」
アイオワの葛藤に気づくことなく、善吉のカウントダウンが始まる。
(今日の練習が無事に終わったら……アキーツに慰めてもらいましょう)
冗談めいた独り言を自分に言い聞かせ、大きく深呼吸をする。
「――1、ドンッ!」
頑張ろう。頑張らなくては、いけない。
アイオワは今度こそ、気を引き締める。
ハーモニカを握る手は少し震えていた。