「人吉さん、起きてください。着きましたよ」
善吉は誰かに肩を揺さぶられ、ゆっくりと目を開く。ぼんやりと霞む視界の中で、大嵐が額に汗を浮かべていた。その後ろからは熱射が善吉の肌を刺していた。
「あぁ……すいません。ぐっすりと寝ちゃいました。運転が上手いからかな」
「お世辞がうまいですね。艦娘の方は後から来ます。部屋に荷物を置いたら、施設内を案内します」
大嵐は車のキーをポケットにしまい、善吉の荷物に手を伸ばす。
「いいっすよ。自分で持ちます」
善吉が鞄にファイルをしまい、車から降りると、そこには大きなコンサートホールのような、さらに言えばホテルのような施設が目の前に広がっていた。
「広いっすね。ここで演奏するんですか?」
「いえ、ここは練習用の施設です。本番は別の場所ですよ」
大嵐はどこか誇らしげに施設を称えた。
「まぁ、これも黒神グループの所有物ですが」
「はは、宇宙にまで手が出せれば、これくらいお手の物ってか」
善吉は半ば呆れるように溜息を零す。
「さぁ、中へどうぞ。外は暑い」
いそいそと入口に進む大嵐に続いて、善吉も施設に入っていた。
屋根の陰に入ると、大嵐は慌てて胸ポケットを探り、一枚のカードを取り出した。
「これが入館に必要なカードキーです。大事に持っていてください」
善吉は銀色に光るカードキーを受け取り、大嵐が入口の隣の読取口にカードをかざす。
甲高い機械音と共に、扉からガチャリと音が鳴った。大嵐が扉を開き、中から涼しい空気が漏れ出す。
「やけに厳重ですね」
扉が再び締り、鍵がかかるのを見て、善吉は大嵐に尋ねる。扉の脇には、屈強なガードマンが二人仁王立ちで善吉たちを見ていた。
「まぁ、ここは少し秘密の施設めいた存在ですので。これから来る艦娘の方々も、一応国の所有物ということになってます。さらに言えば、艦娘という存在も既に公表されているとは言え、未だ機密的部分も多いので、もしものことを考えたセキュリティになってます」
善吉は納得し、改めて内装に目をやる。隅々まで行き届いた中世風の装飾が施されているが、よく見れば監視カメラの数も十分過ぎるほどに多い。広いエントランスには、先ほどのガードマンを除き、数人の従業員がいるのみだ。その様子から、まるで出来て間もないホテルに一人招待されたような感覚に陥りそうになる。
「建物は五階建て、人吉君に使ってもらう部屋は三階です。艦娘の方々の部屋は四階、五階。練習には二階及び一階を使ってもらいます。一応地下に防音になってる部屋がありますが、あなた方以外に誰がいるわけでないし、使う必要もないと思います。あとは……奥にホールがありますね。本番前の合わせる段階になったら使うとよろしいかと」
大きな振り子をゆっくりと揺らす時計は、十一時を指していた。そのまま二人はエレベーターに乗り込み、三階まで上がる。エレベーター内部から見える周辺の景色は、緑一色で周囲にこの建物以外に施設がないことがわかる。
「何か必要なものがあれば言ってください。こちらでご用意できるものは用意させていただきます」
外を不安げに見ている善吉を励ますためか、大嵐は声をかけた。しかし、善吉の考えていることはまったく別のことだった。
「最近の若い人は近くにコンビニがないだけで不安になるようですが、ボールペンから充電器まで、一階のカウンターに言ってもらえれば、なんでもござれですよ、もちろん無料――」
「大嵐さん、ここ、いやこの場所」
善吉は驚愕の顔で大嵐を見る。その顔は、鳩が豆鉄砲、どころか閃光炸裂弾を食らったような顔であった。
「『島』、なんですか?」
恐る恐る確認した善吉は、いまだに目の前に広がる情景を信じられなかった。
そう。建物の周辺には緑の森が広がっていた。他の建物は一つもなかった。しかし、視線を少し上に向ければ、太陽の光を反射する眩しい海が見えた。
「えぇ。そうですよ」
「そうですよ、って。いつの間に……」
「あの車、水陸両用なんです。善吉さんが起きてたら窓を開けて太平洋を見せてあげることもできたんですが」
「いやいや、今ここからも太平洋が見えますよ! てっきりどこかの片田舎かと」
「ほら、秘密の施設なんで」
大嵐はなんてことないように微笑む。エレベーターが三階に到着し、大嵐はさっさと出てしまったが、善吉は驚きと呆れの視線を大嵐に送り続けていた。
「……行きますよ。今度から驚かせないようにしますから」
「お願いします。なんかライさんの驚かせ方、周りの友達と違うタイプなんで、リアクションに困ります……」
「驚かしてるつもりはないんですけどね」
大嵐は苦笑しながら、大きく広がる廊下を進む。善吉もそれに渋々付いて行った。
部屋は数室あったが、その中でも一番大きな扉の前に大嵐は止まった。善吉に先ほど渡したカードキーを出すように促し、それを読み取り口にかざす。するとロックが外れ善吉は中に入ることができた。
中には善吉しか泊まらないはずなのに、キングサイズのベッドとテレビやガラス張りの机、その他一級ホテルと同等の内装が施されていた。これを一人で占領することを想像すると、なんだか少し居心地が悪い。
「広いっすね。こんなに広くなくてもいいんですけど」
「気にしないでください。この施設に人が来るのは月に一度くらいなので、遠慮なく使ってください。その方が従業員も喜びます」
「そうっすか。それじゃこのまま施設内部の案内もお願いしていいですか。楽器とか練習場所とか確認したいですし」
「はいもちろん。では――少々お待ちを」
大嵐は懐から振動している携帯を取り出した。今の時代には珍しくガラケーだ。
「――えぇ、分かりました。では今から向かいます」
携帯を懐に仕舞い、善吉に向き合う。
「予定より少し早いのですが、艦娘の皆さんがもう少しで到着するそうです。港に行かなくては。善吉さんはここでお休みになっていてください」
「それ、俺も付いて行っていいですか?」
「もちろん。でもいいんですか?」
「はい、さっき寝たおかげで身体が少し疼くというかなんというか。ジッとしてるの苦手なんで」
善吉は首をコキコキと鳴らす。実際には、艦娘というものにいち早く出逢っておきたかったというのが本音だ。もしそのファンタジー小説のような少女たちが実在するならと思うと、善吉の胸は高鳴るのだ。想像では、ごつい身体にいくつもの大砲が生え、それを自由自在に操り怪獣を倒す、日曜日のヒーロー戦隊の切り札ロボットのようなものだった。艦娘というからには女性なのだろうが、重武装で怪物を倒す様子がありありと浮かぶ。そんな空想を浮かべながら、善吉はニヤニヤと歩く。
「まぁ、男の子だしな」
「どうかしました?」
「いえ、行きましょう」
荷物を置いて部屋を出る。足早に進む善吉の姿を見て、大嵐も何かを察したようだ。
「僕も艦娘の方と直に仕事をするのは初めてです。楽しみですね」
「え、えぇ。そうっすね」
考えていたことがばれたようで、善吉は少し恥ずかしくなる。大嵐はそんな善吉を見て、頬を緩めた。無邪気にはしゃぐ姿が、遠い記憶の泥に埋もれている少女の姿に重なっていた。