Re:ゼロから寄り添う異世界生活   作:ウィキッド

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そして怪人は嗤う

 魔女教──それも大罪司教。

 その単語に込められた意味は、冗談でも、ハッタリにでさえ使われないものだ。

 だが、それを目の前の二人は勲章を見せびらかすかのように、宣言したのだ。

 

「──他の騎士達は、どうした?」

 

 シャオンの問いに反応したのは、目の前の少年、バテンカイトスだ。 

 彼はその味を思い出すかのようによだれを垂らしながら、その狂気を答え代わりに叫ぶ。

 

「あァ、まったく……久しぶりに豊作だった! 食って、食んで、噛んで、齧って、喰らって、喰らいついて、噛み千切って、噛み砕いて、舐めて、啜って、吸って、舐め尽くして、しゃぶり尽くして、暴飲! 暴食! あァ──ゴチソウサマでしたッ!」

 

 バテンカイトスは細い体をボロキレのような薄汚れた布でくるんだだけの服装をしており、かすかに覗く肌色は至るところが血で赤く染まっているのが見えた。

 その血はもちろん彼自身の血ではなく、騎士たちの者だろう。それが、目の前の少年があの猛者たちを一人で蹂躙したことの証明となる。

 

「やっぱり、こうして手ずから食べにくるっていうのもいいよなァ。最近はこういう気骨に満ちた喰いでのある奴らと会う機会がなかったから、久々に俺たちも飢餓が満たされるのを感じるッ! 流石、僕たちのペットを倒した英雄達、味にはまったく! これっぽッぽっちも問題がないッ!」

「正直な話、君のそういうところが僕には理解できないよね。どうして、今の自分に満足するってことができないのかね。いいかい? 人は二本の腕で持てる数、自分の掌に収まるものしか持てないんだよ? それがわかれば、自ずと我欲を律することもできるようになるんじゃないの?」

「説教は僕たちにはいらないし俺たちは嫌いだ。あんたの言うことが正しいか、間違ってるかなんて、興味もない。否定はしないけど。だって、僕たち俺たちはこの空腹感を満たすこと以外はどーォだっていいんだよ」

 

『暴食』のバテンカイトスが狂気的に笑い、『強欲』のレグルスがつまらなそうに肩をすくめる。

 そんな様子をシャオンは見ながら何とか状況を冷静に、整理し、打開策を考えていた。

 戦力的に、この場でこの二人を叩き潰すのは不可能だ。

 クルシュの意識が戻らない今、彼女を戦力として数えることはできない。竜車の崩壊に巻き込まれた騎士はもちろん、『暴食』を相手にしていただろう彼等も死亡しているのか負傷しているのか判断できず、少なくとも戦力には数えられない。

 レムのマナも白鯨との戦闘で大幅に費やしてしまった、シャオンだってマナは底を突きかけてるし、なにより『副作用』が体を蝕む中──この二人を前に、勝てるビジョンが浮かばない。

 

「────」

 

 ちらと周囲をうかがえば、ライガーの群れが引いていた竜車が見当たらない。獣人傭兵団の帰還者と負傷者──そして、持ち出すことに成功した白鯨の頭部のみを積載していたものだ。

 おそらくは騒ぎに乗じて逃走、王都の方へ全力で向かっているはずだ。そちらの指揮をしているのは傭兵団の副長でもあるヘータローだろう。利発的かつ常識的な判断力の持ち主だったはずなので、時間を稼げば援軍を率いて戻るかもしれない。

 で、あれば希望は少しはあるかもしれない。

 

「それで──」

 

 レムの呟きを聞きつけて、大罪司教が同時に首を傾げる。

 いくらか、時間稼ぎのための話の取っ掛かりは得たとレムはわずかに息を止め、その興味が薄れるのを避けるように口早に、

 

「白鯨の、敵討ちですか。貴方方がここに来たのは」

「あァ、それは勘違いだよ。僕たちが興味あったのは、死んだ白鯨のことより白鯨を殺した奴らさ。曲がりなりにも四百年、好き勝手してきたアレを殺したんだ。さぞ、熟れた食べ頃揃いだって期待してたんだけど……想像以上だったッ!」

 

 やけに鋭い歯をむき、バテンカイトスは激しい興奮に頭を上下に振り、長い長い髪を振り乱しながら唾を飛ばして少年は笑う。

 

「愛! 義侠心! 憎悪! 執念! 達成感! 長々と延々と溜め込んで溜め込んでぐっつぐつに煮込んで煮えたぎったそれが喉を通る満足感ッ! これに勝る美食がこの世に存在するかァ!? ないね、ないな、ないよ、ないさ、ないとも、ないだろうさ、ないだろうとも、ないだろうからこそ! 暴飲! 暴食! こんなにも! 僕たちの心は、俺たちの胃袋は、喜びと満腹感に震えてるんだからッ」

 

 言っている意味がわからない。

 タガが外れたような様子で、バテンカイトスは甲高い少年の声で笑い続ける。引きつったような声が響く中、それを視界にいれたくないという動きか、自然もう1人の大罪司教、レグルスに視線を向けた。

 彼はその視線に対して手を振り、

 

「安心しなよ。僕はそこの彼とは全然違うから。 僕がここにいるのはたまたまの偶然。僕は彼のように飢餓とか渇望っていうの? そういう、下種な我欲ってものは持ち合わせてないんだ。満たされない空腹感に常に苛まれてる憐れな彼と違って、僕はほら、今の自分ってものに限りなく満足をしているから」

 

 両手を広げて、レグルスは晴れやかな顔をする。

 クルシュの腕を切り落としたのと、同じだけのことができる両腕を大きく回して、彼は自分の存在を強く顕示するような仕草をし、

 

「争いとかさ、嫌なんだよね、僕としては。僕はこう、平々凡々とただただひたすら穏やかで安寧とした日々を享受できればそれで十分、それ以上は望まない。平穏無事で変わらない時間と自分、それが最善。僕の手はちっぽけで力もない。僕には僕という個人、そんな私財を守るのが精いっぱいのか弱い存在なんだから」

 

 拳を握り固めて、自分の演説に酔ってるレグルス。その腕の動かし方ひとつで、地竜と複数の命を、一人の女性の腕を切り落としておいて放たれたのは自己満足の言葉だけ、しかも驚くのは、それが嘘や謙遜がない本心からくるということだ。

 狂ったように笑い続けるバテンカイトスも、身勝手な持論を振りかざして自己満足に浸るレグルスも、総じて異常者だ。

 シャオンは深い呼吸に陥るクルシュを草原に寝かせると、震える足を酷使して立ち上がった。

 シャオンの動きに応えるように、隣に立つレムも手には鉄球、そしてなけなしのマナを振り絞って氷柱を体の周りに浮遊させる。

 それを見て、バテンカイトスとレグルスの表情が変わる。

 

「人の話、聞いてた? 僕はやりたくないって言ったんだぜ? それを聞いててその態度だっていうんなら、それはもう、僕の意見を無視するってことだ。僕の権利を侵害するってことだ。僕の僕に許されたちっぽけな僕という自我を、私財を、僕から奪おうってことだ。──それは、いかに無欲な僕でも許せないなぁ」

「どうせ、見逃さないんだろ?」

「そりゃね。でも立ち向かって無駄に痛みを伴って死ぬのと、覚悟を決めて楽にその命を終えるのならどっちがいいかなんて誰にでもわかるはずさ。それに──わざわざ他人の時間を余計に取るなんて行為、僕には恥ずかしくてできないね」

 

 呆れた様に言いのけるレグルスは理解できない物でも見るかのように、あるいは馬鹿にするようにこちらに言い捨てる。それを無視し、

 

「──レム嬢、暴食を、そっちは任せた。こっちの得体の知れなさは俺のほうがまだ対応ができるかもしれない」

「──はい。生きて、あいましょう」

 

 レムと必ず二人で帰ることを約束し、それぞれの敵へと向き直る。

 するとそのやりとりすら理解できないとでも言いたげに敵――レグルスはため息を零す。

 

「離れていてテネポラ。ああ、でも決して僕の戦いを見逃してはいけないよ」

「承知いたしました、レグルス様。瞳を閉じることは命に代えても」

 

 テネポラと呼ばれた女性は人形のような表情を崩さないまま数歩距離を取る。

 巻き込まれないほど距離を取ったことを確認し、レグルスは満足そうに頷き、改めてこちらを見る。

 

「さて、時間の無駄にはなるだろうけど──」

「そう、かよっ!」

 

 全力の『不可視の腕』の使用。

 その瞬間、倦怠感が錘となってシャオンを襲う。

 意識が、いやそれどころか、一度すべての器官が止まる感覚に陥る。そして僅かに遅れて痛みと共に止まっていたすべての器官が高速に動きを再開する。

 明らかに重くなっている副作用、それらすべてを無視して放たれた一撃は恐らくこちらの世界に来て一番の速さと威力を持ったものだろう。

 レグルスは避けるそぶりは見せない、それどころかこの一撃を認識することさえできていないのかもしれない──なのに、

 

「──マジ、か」

「少し驚いたね、さっきの彼女と同じように見えない一撃自体卑怯すぎて怒りを覚えるんだけどそれは置いておいて、君の見えない一撃はさ、似たようなものを味わっていてね。いや、技を味わうなんて馬鹿らしい。まぁ、受けてあげたんだけど、とにかくその技の持ち主を思い出して、同時に不快感も覚えた。あ、安心してね僕はその感情で暴れるような子供じゃないから」

 

 そこに、レグルスは変わらず立っていた。

 流れるような意味のない言葉の羅列を、変わらずに口から吐き出している。

 その現実を信じられないとでもばかりに1度だけでなく、2度、3度繰り返すが。

 

「なん、で」

 

 レグルスには傷一つ、服に汚れすらついていなかった。

 

「その疑問に答える義務ってさ、僕にあるの? 恐らく全力を出した一撃が破られてショックなのはわかるけどさ、人が気持ちよくしゃべっているのを邪魔したうえでお願いを聞くようなこと、する必要あるの? ──殴られたら殴り返す、やられたらやり返す、倍返し、なんて言葉はあるだろうけどさ。僕はそんな野蛮な主義はないんだ。だってさ、それって時間の無駄でしょ? おとなしく自身の幸福を満たす分だけ最低限のもので満足すればいいのに敵討ちやすべての人間に平等性を強いるような真似をするってことじゃない? それ滑稽だよ」

 

「うるせぇ、ここで諦めたらすべてが終わるんだよ、滑稽でも!」

「ふん、何を言っても理解できないようだね。まぁそれはそれで仕方ないか……でも、わざわざすべての攻撃を受けてあげた分の時間、僕とテネポラの蜜月を邪魔したことになる──数少ない権利を侵害した報いは受ける必要があるよねぇ?」

 

 レグルスは手を下から上へと振上げた。

 なにかを飛ばしてくるのだろうか、それともその動きが呼び動作となるもなのかはわからない。だが、攻撃には違いないと考え、シャオンは大きく回避を──

 

「遅いよ、さっきのが本気の一撃とでも?」

 

 ──する間もなく、文字通りシャオンの体は二つに別たれた。

 ゆっくりと、しかし確実に、地面へと倒れ込んでいき、自身の血でできた池に落ちた。

 僅かに動く瞳で見えたのは、鮮やかな断面だ。

 

「はい、お終い。呆気なかったね、でも人生なんてそう言うものだと思うよ? だから僕は短い人生を、自分が手に届く範囲の幸せで満たして生きていくんだ。『強欲』、とは言うけど実際僕は無欲だしね──あっちも終わったようだ、予想通りの結果、君たち何がしたかったの?」

 

 痛みよりも驚愕が先に届き、自らの血で体を濡らしながら

 レグルスの声が遠くに聞こえてくる。そして、別の声が混じる。

 

「ああ、ああ、ああ! いい、いい味だった! これなら『英雄』とやらもきっと期待できそうだァ!」

 

 レムが、倒れている。

 少年が、嗤っている。

 レグルスが、詰まら無さそうに息を零す。

 

「ああ──ゴチソウサマでした」

 

 ──その言葉を最後に耳に残し、シャオンの命は尽きた。

 

 ■ 

 

「シャオンくん?」

「──ああ、いや、なんだっけ」

 

 まず最初に感じたのは竜車の揺れだ。

 次にこちらを心配そうに除くレムとクルシュの姿を見て、意識は覚醒する。

 恐らく、いや確実に死に戻った、のだろう……スバルが死んでシャオンも引っ張られたということだろうか。

 だがスバルには悪いが正直助かった。死に戻りが起きたからこそシャオン達は今を生きているのだから。

 しかし、竜車は止まらない。死に戻ったのは奇跡、二度目はないだろうと割り切り早急に対策を考えなくてはいけない。

 だが、どうする。

 『強欲』に対しては全力の一撃を持っても傷一つ与えられなかった。防御されただけでない。なにか、カラクリがあるのだろうがそれを見破る時間もチャンスもないだろう。敵は、彼だけではないのだから。

 袋小路の迷路に悩んでいると、目の前に座る女性、クルシュが口を開いた。

 

「──話すといい」

「え?」

「急に深刻そうな顔を浮かべたのだ、何か気がかりなことがあるのだろう。共に死線を乗り越えた卿の言葉を軽んじたりはしない」

 

 彼女の言葉を受けて竜車内の視線がこちらへ集まっていることに気付く。

 それもそうだ、彼女達からすれば先ほどまで話し込んでいた相手が急に深刻そうな顔で黙るのだから心配にもなる。

 だが、話さなくてはいけない事項だ、気づいてくれたのならば話がしやすい。

 

「……信じてくれるかはわからないけど、俺の優れた嗅覚が今の進路だと、何か嫌な臭いを感じて、あと。勘が、その、進路を変えたほうがいいんじゃないか、と」

「嗅覚?」

「ほ、ほんとうですクルシュ様! 事実、シャオンくんはその獣のような――」

「――嘘、ではないな」

 

 正直に話してしまい、胡乱気な目で見られてしまうがそこはレムのカバーとクルシュ自身の加護で信用を得てもらい事なきを得た。

 素直にそのまま話すとは、どうやら、思ったよりシャオンは焦っているのかもしれない。

 

「では進路を変えよう。勘というものは馬鹿にできない。それは培った経験が見出すものでもあるからな」

「信じてくれるんですか?」

「なに、少し王都につく時間が変わるだけだ。それに、白鯨の敵を討とうと魔女教徒が来ない可能性がないわけではない――奴らにそのような仲間意識があるのかはわからないが」

「感謝を」

 

 魔女教徒は必ず来る。

 クルシュの予想とは違い、理由自体が自身の欲求を満たすためだけの、他人をどうとも考えていない酷いものではあるが。

 クルシュは騎手に進路を変えるように告げる、これで『強欲』との遭遇は避けられるかもしれない、と考えたその時。

 

「――あれェ、予想と違うなァ」

 

 声が、聞こえた。

 聞こえてきたのは竜車の上からだ。

 目があった。

 この世全てを憎み、恨み、そして狂気が宿るどす黒い瞳だ。

 直後竜車の屋根を突き破り、現れたのは一人の少年。

 ぼさぼさの長い焦げ茶の髪に、布を体に巻き付けただけのような粗雑な格好。そして幼い顔立ちと悪戯な笑みに、腐り切った目の輝きをしている少年。

 魔女教大罪司教、『暴食』のバテンカイトスだ。

 予定よりも早く、後続からこちらへ忍び寄り、そして、今の話を聞いて割り込んできたというわけだ。

 

「行き先を変えるなんてさァ、些細なことでも予定と違うようなことしないでほしいなァ」

「貴様は――」

「魔女教大罪――」

 

 クルシュの問いに、礼儀正しくバテンカイトスが名乗りを上げようとしたその時、その口が忌むべき名を吐き出す前に、それよりも早く――

 

「へ?」

 

 不可視の腕を使って、『暴食』バテンカイトスを掴み、投げ飛ばした。

 間抜けな声を上げたバテンカイトスは竜車の外に飛ばされ、地竜の加護から外れ地面へと落ちる。

 バテンカイトスの体が数度跳ね、止まり、動かなくなる。死んでしまったのかと思わず考えてしまうだろうが、シャオンにはわかる。

 死に戻りを、一度その戦いを見ているシャオンならばわかる。アレぐらいで沈む相手ではない、と。

 

「先に行け! 進路を変えて王都へ! 早く!」

「だが、卿は──」

「事情は生きてたら話す! あの子供はアレくらいじゃ死なない! だから抑える役目が必要なんだよッ! 必ず先に行く! だから今はさっき指示した進路で、王都へ!」

 

 鋭い剣幕にクルシュは僅かに怯むが、即座に凛とした表情を取り戻す。

 

「卿一人で押さえられるのか!?」

「――できる」

 

 僅かな逡巡を経て絞り出した言葉を受け、クルシュが何かを口にする前に、

 

「――だ、めです!」

 

 声を上げたのはレムだ。

 

「なにか、嫌な予感がするんです。シャオンくんをここで置いていくと、何か、嫌な……取り返しのつかない、何かが、起きて。シャオンくんだけじゃなくて、皆で応戦すれば――」

「――――」

 

 ――驚いた。

 レムはスバルを想うだけの人物だと思っていたが、そうではないようだ。

 初対面の時の彼女では考えられないだろう、いや、あるいはこれが彼女の本当の姿なのかもしれない。

 誰かを想い、奮闘する優しい少女。

 その存在は今後スバル達を支える大きなものになるだろう。だから、ここで散らせるわけにはいかない。

 

「『信じろ、俺を』」

 

 レムの言う通り大勢で囲めば効率的ではある、がそれでは犠牲が多く出てしまうし、下手をすればこの先にいるであろう『強欲』と挟み撃ちになりえるのだ。

 今行うべきは竜車を止めずに『強欲』との遭遇を避けて王都まで向かうこと、そして、竜車を追いかける『暴食』を止めることだ。 

 『強欲』の存在をクルシュたちは知らない、事情を説明してしまえばペナルティがあるかもしれないし、何より時間がない。

 だから『魅了の燐光』を使ったうえで放ったその言葉が決め手となったのかレムは、

 

「――ウソ、ついたら、許しませんからね」

 

 下唇を噛むほどに、何かに抗いつつも、了承をする。

 そうして、シャオンを置いて竜車は王都へ向かっていく。

 

「……我ながら悪党になっていくな」

 

 そう呟きながら『魅了の燐光』の使用は今後控えたほうがいいかもしれないと考え始める。

 最初はデメリットがでかいからと抑えていたがそれよりも他人の意思を自由に操りうるこれは使うたびに、――自分の何か、人間として大切なものが失われていくような気がする。

 だが、今はその人間性を捨ててでも、挑まなくてはいけない人物がいる。

 少し離れたところに、失神しているように横になっているバテンカイトス。それに対し、

 

「起きろよ、暴食。竜車から落ちたくらいじゃ死なないだろう?」

 

 確信めいた言葉を受け、大の字になっていたバテンカイトスは勢いよく飛び上がり、こちらを丸い目で見つめる。

 

「――おかしいなァ、お兄さんとは初対面のはずだけど? 何で僕たちのことを『暴食』だなんてわかるのサ」

「見れば、分かる。意地汚さそうだからね」

「ふぅん。ああ、置いて行ったんだ、薄情だねェ。でも、ちょうどいいやお兄さんが一番食べごたえがありそうだからさァ」

 

 遠くにかけていく竜車を名残惜しそうに見つめるバテンカイトスだったが即座にシャオンへと向き直り、その獰猛な牙をカチカチと鳴らし、敵意を向ける。

 当然、話し合いなどは通じ無さそうだし、シャオン自身も行うつもりはなった。

 目の前の存在は、許してはいけない存在なのだから。

 

「さぁ! さぁ! さぁ! 食事会を始めようじゃないかァ! きっちりと、ナイフとフォークをもって! ああ、ああ、暴飲! 暴食!」

 

 そしてその存在は知性を何も感じさせないような叫びと共に、大きく口を上げて、シャオンへと飛びかかってきた。

 

 両腕に装備した短剣がシャオンへと襲い掛かる。

 即座にこちらもククリナイフで応戦をする。

 刃と刃がぶつかり合い、金属が削れる音と共に火花が散る。

 弾き、弾かれ、躱し、躱されを繰り返すなか、シャオンは舌打ちを漏らす。

 実力は拮抗していると見えたが、無傷で猛攻を続けるバテンカイトスとは対照的にシャオンの体に傷は増えていく。

 

「遅い、鈍い、全然、速度が足りてぇなァい! そんなんじゃさ、僕たちの、俺たちの、私たち全ての空腹を、飢餓を満足させることなんてできやしないッ!」

「誰もそんなことしねぇっての!」

 

 涎をまき散らしながら戦いを楽しんでいるように嗤うバテンカイトスにシャオンは焦りのこもった声で反論をする。

 子供と戦うことに慣れていないのもあるが、それよりも格段に戦いにくい。

 獣のように素早く動き、攻撃を避けるために極端に体を低く屈めつつこちらへ短剣を振るう。

 知性のある獣というのが目の前の怪物に対する評価だろう。

 

「あら残念、なら勝手にイタダキマスッ!」

「舐めるなよっ!」

 

 噛みつこうとした、その顔面を殴り抜く。

 子供に対して拳を振るうことに罪悪感がないわけではない──それよりも恐怖が勝ったのだ。

 故にその一撃に加減など考慮はされず、本来であれば首の骨が折れるほどの威力を持った一撃だ。事実まともに当たったバテンカイトスの体は遠くへ吹き飛ぶ。

 だが、

 

「ひどいなァ、おにいさん。僕たちみたいなか弱い子供の顔を容赦なく殴るなんてさァ」

「……その台詞は攻撃が効いている奴が言うべきなんだよっ!」

 

 即座に立ち上がり、変わらずそこにバテンカイトスはいる。

 衝撃を逸らされた、のだろう。

 確信を持てないのはその動きが卓越過ぎたものであり、バテンカイトスの反応からの推測だ。

 手ごたえはあった、だが堪えていない。それはシャオンと彼との力の差が数段階あるということだ。

 

「どうしたのさ、どうしたのかな、どうしたんだよ! さっきの勢いは口だけかなァ!?」

「く、ちばかりまわって。ここからだよ!」

「さっすがだね! でもでもでも!? もうだいぶガタが来てるんじゃァないかな?」

 

 口ではそう言いのけるが、バテンカイトスの言う通り戦況はあまり良くない。

 数度の打ち合いでわかったことは、目の前のバテンカイトス。見た目は子供だが、動きに戦い方、何もかもがシャオンよりも上だ。

 ──だからこそ、引っかかる。

 天武の才、身体能力任せで戦う、のとは違う。この動きは長年培ってできたものだ。

 その卓越した戦闘技法については偽装しているものではないが、隠せない違和感はある。

 

「考え事はよくないなァ! 判断を鈍らせて寿命を縮めるからさァ!」

 

 バテンカイトスはその小さな体を更に縮ませ、シャオンの懐へと忍び込み、両腕を下から上へと振上げる。

 防御は間に合わないと判断し、即座にシャオンは背後へと飛びのく。彼の小さな体ではその攻撃は当たらないものだった。だが、その瞬間、バテンカイトスは小さくつぶやく。

 

「混刀」

「腕が伸び──!」

 

 直後、関節を無理やり外したかのような、嫌な音共にバテンカイトスの腕が伸びる。

 必然、回避できる一撃だったものが射程範囲内に入ってしまう。

 

「ぐっ!」

「惜しい惜しい! でも、驚いたでしょっ! それじゃダメだ、ダメよ、ダメなのさぁ! 戦いっていうのは何が起こるのか分からないんだからァ!」

 

 放たれた変幻自在の手刀は、シャオンの腹を軽く裂いた。

 僅かに回避行動が遅れただけなのにまるで刀で切られたような、その鋭い一撃に思わずシャオンの意識が揺らぐ。

 

「──ッ」

 

 ここでシャオンが倒れてしまったら目の前の暴食の怪物は、クルシュたちを追いかけて行くだろう。それは駄目だ。

 そうだ、シャオン以外の人間は生物はすべてが優れているのだから。優先するのだ何よりも。全てがシャオンにはないもので羨ましく、全てがシャオンにとって大切なものだ。守らなきゃいけないのだ。

 ──価値の守護、それがシャオンに与えられた意味だ。

 

「あァ! 今の一撃で倒れないんて流石は英雄ッ! でも、もうおしまいといこうか、他にもまだまだ、まだまだ食べごたえがある逸材があるからさァ!」

 

 なんとか意識を保ったのもつかの間、目の前の怪物は容赦なくこちらへと、放たれた矢のごとき速さで踏み込み、そっと優しくぺたり、とバテンカイトスはシャオンの胸元へと軽く触れる。

 そして壊れない様に優しく、呟いた。

 

「──シャオン」

 

 バテンカイトスは触れた手、シャオンの血で濡れたその掌をこれ見よがしに見せつけながら長い舌で舐める。

 まるでそこに、何か『大切なもの』があるように。

 それを愛おしむように舌の上に乗せて、ざらついた感触で愛撫し、隅々までこそぎ取るようにして味わい、胃袋に落として容赦なく咀嚼。だが、 

 

「イタダキマスッ──!」

 

 ──その言葉と共に、それは起きた。

 

『暴食』の権能が有する力は、他者から『記憶』を、『名前』を奪い取り、咀嚼する力だ。

 非常に強力な力だ、だがその権能を扱うには、食事を行うにはしっかりとした手順が、『暴食』の食事の手順がある──『記憶』を奪いたい相手の名前を呼んで、相手の肉体から『魂』の一部を剥離させ、それをいただく。

 つまり喰らう相手の名前を知り、肉体に触れ『魂』の一部を奪う必要がある。

 触れて『魂』の一部を剥離できなければまず食事はできないだけだが、偽名を掴まされた場合はそれだけでは済まない。

 ──その場合相手の『記憶』と『名前』は奪うことが出来ないだけでなく、

 

「う、げェ……ッ」

 

 ──強烈な吐き気、激痛に襲われることとなる。

 劇薬を口にしたように、バテンカイトスは体を震わせる。

 他人の名前と記憶を奪い、身勝手に人生を楽しもうとした冒涜者は食事のマナーが守れずに罰を受ける。

 そして、そのルールを破った天罰というものなのだろうか、バテンカイトスにとっての悲劇はこれで終わらない。

 

「──権能が発動されなかったのは僥倖、というべきだね」

 

 その言葉にバテンカイトスは思わず顔をあげ、驚愕に目を見開く。

 ――目の前の男の姿が変わっていた。

 たなびく黒い髪は灰色になり、纏う雰囲気が変わっていた。

 無理矢理この世界に現れたような存在、本来ではここにいないような異物。そのような存在に変容してた。

 

「ボク自身に名前というものはないから、ああいや訂正しよう。ボクの名前、一応あるけど君はそれを知らない、知っている人物はもう恐らく生きていないだろうから知る由もない」

 

 感情というものがないような平坦な声。

 だがその裏にあるのはバテンカイトスさえ、恐怖を覚えるほどの圧力。

 先ほどまではどう考えても優勢だったバテンカイトスが、思わず後退をしてしまうほどの力。それを有する存在へと姿を変えていたのだ。

 

「シャオン、という名前は大切なものだ、けど忌々しい本名とは違う。雛月沙音のほうで引っかかるかと思ったけども、どうやら彼の本名も別にあるようだ」

「だ、れだ」

 

 吐き気に襲われながらも絞り出したバテンカイトスの問いに、男は少し考えるように口元をさわり、

 

「雛月沙音、というよりは戻りかけてる今ならこっちのほうがいいか」

 

 大げさな動きで、手を広げ改めて名乗りを上げる。

 

「ボクの名前はシャオン。オド・ラグナの化身であり、この世の価値を見定め──賢人候補を導く存在さ」

 

 ──怪人が笑みを浮かべ、バテンカイトスの前にたたずんでいた。




実はシャオン、テンパると弱いタイプです

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