「えっと、オド・ラグナの化身だっけ? お兄さん。そんなこと口にしちゃったら、頭のおかしい人だと思われちゃうよ?」
からかうように、いや彼女、ルイは恐らく本心からシャオンを心配して忠告しているのだろう。
――オド・ラグナ。
世界の根源に存在するマナの貯蔵庫。世界そのものを一つの生き物だとしたときの中核、世界にとってのオド。
所謂太陽のような存在だ。それの化身だと宣うのであれば信じるよりも頭の病気だと考えたほうがまだ可能性があるほどだ。
ただ、この少女にとっては少し勝手が違う。
「確かに嘘じゃないよねェ、それ。オド・ラグナみたいに全てが眼中になくてサ、平等で公平で贔屓目なしの無関心」
つまらなさそうに目を細め、ルイはシャオンの瞳を指し示すように指を伸ばす。
「お兄さんの目は、それとおんなじなのサ。私たち、僕たち、俺たちにはよくわかる目だからさァ。心は読めないけど、嘘はついていないのはわかっちゃった。狂人だったら別だけど」
「ふむ、よく言われることだけど、君は他のみんなと違って理解が少し先にあるようだ」
「それもそうサ。私たちは『記憶の回廊』に閉じ込められているんだから」
「で、キミはもう一人の暴食を介してこちらの世界へと干渉してこれるわけだ。今の現状を見るとその暴食を助けに?」
「いいや、違うねェ。私たちが出てきたのは単なる興味。ただ、少し話をしたいと思ったのサ、あのままだとただお兄ちゃんは死んじゃうだけだし、私たちは死なないけど」
そこには兄弟を思いやるような気持ちはなく、自身が目の前の興味を果たす手段がなくなることが怖かっただけだ。
「それに、お兄さんの記憶を味わってみたい気持ちも出てきちゃった……食べられないけど」
食欲の化身。
なるほど、とシャオンは納得がいく。ダフネとは別ではあるが確かに彼女、いや彼らであれば因子に適合することが可能だろう。
それに、シャオンの名前を食べることに失敗はし、痛い目を見たのに諦めない意識は評価を大きく変える。ゆえに、
「――へぇ、少し興味がわいた。なら、その好奇心のままに実演をすればいい」
「聞き逃しちゃったのかしらァ、お兄さんの名前が取れないの、それともなぁに? 名前を教えてくれるって言うの?」
「ボクの名前は――」
静かに告げる。
もうしばらく、何年も何十年も呼ばれていないその名を告げる。
何気ない行為、その何気ない行為を目の前の、『暴食』に行うということは――
「――お兄さん、頭おかしいんじゃないの? 私たち、僕たちの権能については知っているはずだよねェ? それとも何かの罠?」
空腹の猛獣の前へ自らの体を餌として差し出すことと同じであり、先ほどは行えなかった食事が可能だということだ。
ルイも冗談で言っただけの言葉だけに、この行動には驚きを隠せない。
目の前の少年、シャオンが嘘を吐いているようには思えないが、今までにない存在にルイも確定はできない。
そう、警戒心を隠せずに動けないでいるとシャオンが先に動く。
「どう捉えてもらっても構わないよ、ボクの目的はすべての存在の価値を守ることだ。強いて言うならばボクを食べて、君の価値の向上を図る。勿論、恐怖心が好奇心に勝てないのであればそれはそれで構わない」
「私たちが食べたらお兄さんの存在はこの世界から消える、それでも?」
「それに関しては大丈夫だよ、ボクは食べられてもすぐに別の存在を作る」
当たり前のように存在を増やすことを行うシャオンに、ルイはもう驚くことはない。
蛇が出るか鬼が出るか、はカララギの言葉だっただろうか。どうでもいい。
今は、食欲と好奇心と恐怖心。それぞれを天秤にかけ――傾いた。
■
「ふふっ、どこまでも規格外だねェ――――イタダキマス」
『名前』をつぶやき、喰らう。
反動がなかったことに加え、『記憶』の強奪には成功している。目の前の怪人は嘘を吐くことはなかったようだ。
で、あれば今は記憶を読み取ることに集中すべきだ。
頭の中に生まれた一冊の本を読み解くように、ルイは新たな『記憶』の掘り起こしに夢中になる。
「――え」
瞬間、ルイを打ち据えた衝撃の大きさを、なんと語ればいいのだろうか。
ありえないモノを見た衝撃が、ルイの小さな体を貫いていた。
それは――、
「なんで、死んだときの『記憶』があるの? ううん、それだけじゃない。それだけじゃないよ、お兄さん。死んだ『記憶』があるのはもちろんおかしい。十分変サ。だけど、おかしい。だって……」
それは、異常なことだった。
「二つの記憶、がある? これは、一体いつの? プリステラ、テュフォン、エキドナ、セクメト、カーミラ、ダフネ、ミネルヴァに、そして――嫉妬の魔女? なんで」
見たこともない、いや、感じたことはある感覚。
映るのは沈む体、親し気に駆け寄ってくる一人の少女、遠くで見守っている桃色の髪の女性。
いつも怒っている女性に、だるそうに体をよこにしている女性。楽しげに笑う白髪の女性に、ただ貪り尽す一人の子供、そして――銀髪のハーフエルフ。
「なんなの、これは!? どういうことなの、これって!? 『記憶』は、妄想とは違うんだよ!? 『魂』に付着した澱は、自分の好き勝手に捻じ曲げられない! お兄さんが、ナツキ・スバルを通してみていた光景だッ!」
自分の長い髪に指を入れて、ルイは燃え上がる衝動を爆発させる。
一秒だって、この衝動を吐き出さないで溜め込んでおけない。それをした途端、ルイ・アルネブは爆発する。爆発四散して、精神が粉々になる。
「新しい……新しい新しい新しい新しい新しい新しい新しい新しい! 新しい価値観ッ!」
それとの出会いだった。
ルイの知らない、見たことも考えたこともない、想像を超えた代物との出会い。
全身を稲妻に貫かれ、それ以外のことが何も考えられなくなる。これを、運命と言わずしてなんと呼べばいい。この感情に、なんて名前を付ける。
とんとんとんとん、指で自分のこめかみを叩いて、ルイは『記憶』を骨までしゃぶる。これを逃してはいけないと、本能が囁く。
勢いとどまることなく噴き上がる感情、それに抗うことなく浸かっていたルイは、不意にその可能性に気付いた。――否、自分の内なる声に耳を傾けた。
知らない景色を知っていることも、未知なる世界の生まれであることも、確かにルイの好奇心という空腹を満たしてくれる極上のフルコースだ。
「――『死』の記憶」
あるはずのない。絶対にあってはならない、『死』のその先の記憶がある。
事実として『魂』が砕け散り、命が千切れ、息の根が止まったから成立する事象。
決して戻ってこられない、今生とあの世との境目、三途リバーの向こう側。それを泳ぐでも跨ぐでもなく、奪われたはずの命をやり直している『記憶』。
幾度もの『死』の経験が記憶として蓄積し、本来なら一度として『記憶』に刻み付けることのできないそれを、確かなモノとして次の己へ引き継ぐ。
そうして『彼』は試練を乗り越えてきたのだ。
「ああ、でもそうか。起点はナツキ・スバルなんだ。あくまでもお兄さんは引っ張られている存在、でも『死』の記憶は引き継がれてる! それにそれに、どうして、あたしたちが『記憶』を奪っても平気なの? ああ、そうかお兄さんって私たちに喰われても大丈夫ないようにもう一つ作っていたんだったね、用意周到!」
それは決して、ルイが得られなかった感動だ。さらに言えば、尽きることなく死に続けることが、『死』を重ねることができる力が、羨望の的だ。
「――欲しい」
『死に戻り』の力が欲しい。
それは『死』を繰り返せるから、ではない。無論、その新鮮な感動もルイを惹きつけてやまない要素ではあるが、それ以上に重要なのは『やり直せる』こと。
――ルイ・アルネブは最高の人生を探している。
そして、様々な人生を貪ってきたルイの導き出した結論、最高の人生とは裕福であることでも、大勢に愛されることでも、高い地位に恵まれることでもない。
最高の人生とは、『思い通りになる』人生のことだ。
何もかも、自分の信じた通り、期待した通り、願った通りのことが起きる。
どんな不具合もなく、どんな不完全もなく、どんな不条理もない、完璧な世界観。
それを実現する方法をずっと探していた。その答えはルイの中で延々と生み出されない闇であったが、ようやく、わかった。
「――『死に戻り』だ」
それが手に入れば、嫌なことを、失敗を、取り返すことができる。
未来に何が起きるのかわかっていれば対処できる。どんな失敗をするのか、どんな不条理が待つのか、どんな不完全と出くわすのか、わかってさえいれば。
「私たちは、最高の人生を生きられる――! 」
「本当に――?」
「え?」
興奮するルイに水を差すような言葉はシャオンから放たれたものだ。
そして、理解がルイに襲い掛かる。
―――――――
――――
――
「ぃ、やあああああぁぁぁぁぁぁあああああぁぁああぁああぁぁぁぁ――ッ!!」
ルイは口を開け、叫んだ。
力の限り、可能な限り、全身全霊を尽くして叫んだ。
喉が痛み、肺の中の空気を全てだした後も叫び続ける。それが声にならなくても、気にしない、気にする余裕がない。
なぜならばそうでもしなければ、押し潰されてしまう。恐怖に、脅威に、絶望に。
何度も何度も、『死』を繰り返して進み続ける、狂人の狂気に囚われる。
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 嫌だ! 嫌だぁッ!!」
頭を振り、地べたに倒れ込んで、後ずさりしながらルイは必死に訴えた。
『死の記憶』、記憶は所詮、記憶でしかない。その瞬間の、その刹那の、その時々の、新鮮な衝撃は、手に入らない。
だから、それを渇望した。『死』がどんな味わいなのか、それを渇望した。
たとえ、『死』がルイが期待したモノより鮮烈でなかったとしても、『死に戻り』という権能を使い、やり直しが可能な人生を歩める権利で十分にお釣りが出る。
そう、思っていた。――自分が『死』を理解するまでは。
「あんなの……あんなの、耐えられるわけない! あんな苦しみ! 喪失感! 耐えられるはずがない! 無理! 無理無理! 絶対に無理! 嫌だぁ!あんなこと、耐えられるのは人間じゃない! 化け物よぉッ!」
幸せに、なりたい。
幸せになりたい。幸せになりたい。幸せになりたい。幸せになりたい。
幸せになりたい。幸せになりたい。幸せになりたい。幸せになりた――かった。
幸せに、なりたかった。
それが、ルイ・アルネブがずっとずっと、思い描き続けてきた願い。
それが、崩れる。それよりも衝撃的な存在を、記憶を味わい、刻み込んでしまったから。
幸せに、なりたかった。だが、今は、今の願いは、違う。そんな贅沢は言わない、だから、どうかお願い、
「死にたくない」
死にたくない。
死にたくない。死にたくない。
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない――。
「大丈夫だよ」
そっと、優しく抱きしめられる。
発狂しそうになる心はその声によって、正気を取り戻す。
目を開くと優しく微笑みかける少年の姿。確か、シャオンと名乗った少年。
そんな彼がまるで泣きじゃくる子供を落ち着かせるように優しく抱擁をする。
太陽のように温かく、僅かに香るのは新緑の匂い。
「お兄さん、近い」
「おっと、ごめんね。こうすれば落ち着くって教えてもらったからさ……君は死なない。だってあの能力はナツキ・スバルだけのものだ、直接死の瞬間を味わうことはできないだろう」
実際に流れていた時間は数分にも満たなかっただろう。
だが、ルイの頭の中に流れていたのは数年分、数十年分、いやあるいはそれよりもはるかに濃密なものだっただろう。
それは瞬きすら忘れ、潤いを失った瞳の渇きによる痛みを覚えてしまうほどだった。
「――さて、世界の逆転についてはボクの力ではない、あくまでも彼に寄り添うだけさ。だけど、君が望むのなら、ボクの力を少し分けてあげようか」
「死んでも、いや死にたくはないけどお断り……」
「そうか、それは残念。でもこれは受け取ってもらおうかな、覚悟を見せた分の報酬だ。これをもって君がこの先”価値”を向上し、世界を良くしてほしいという願望も込めて」
「何をするのサ? 死なないのなら別に構わないけど。どちらにしろお兄さんならわかっているだろうけど、何かやってもらいたくても私たちは精神体で、『記憶の回廊』に閉じこもっているからそんな簡単に動くことはできないよ?」
『記憶の回廊』から出られないというとは兄の体を借りて動くことでしかシャオンの願いはかなえられない。
そして、そんなことを繰り返していればいつか体の支配権は奪われてしまうだろう。
そんなルイの思考を先読みしていたかのように目の前の少年は口角を三日月のように上げる。
「――言っただろう? 誰かにできることならば、ボクもできるんだ」
「――――は?」
疑問の声を上げたと同時に足元に感じるのは軽い痛み。
この痛みは覚えがある。なぜならばルイが初めて兄の体に入ったときに真っ先に感じたものと同じなのだから。
裸足で立ったことによる痛みだ、おそらく小石を踏んでいるからだろう。
だが、そんな痛みよりも衝撃が、優先される。なぜならば、今、この瞬間自身の足で立っているという事実がある。
ふと横を見ると兄であるバテンカイトスの体は、すぐそばに転がっている。兄の体を借りているわけではないつまりは――ルイ・アルネブは、この世界に受肉したのだ。目の前のシャオンの手によって。
「こ、んなことして、お兄さん大丈夫なの?」
魔女教大罪司教である自分は『暴食』の中でも精神体故に活動はそこまで多くはなかった、だがこの肉体を得たことで被害は大きく増えるだろう。
誰にでもわかる簡単な事実。やってはいけないこと。そもそもまともな人間であるのならば、行わない行為だ。だが、
「君自身が言っただろう? ボクはすべてを愛して、平等で、ただただ価値を高めるための存在だ。魔女教徒でも、王国でもボクは求められたら応えるし、正義でも悪でもボクはそれを人の真実として見ない」
まともではない。
迷わず言い放ったその返答はどこまでも平等で、規格外で、異常で、極限の他人思いの自分勝手。
それは――オド・ラグナのあり方と近く、そしてどこか遠い。
その歪な正体はまるで神々しくも思い、ルイが事前に彼の記憶を堪能していなければ思わず飲み込まれてしまいそうなほどに邪悪。
「――あはっ」
異常、異端、だが抱擁されたときの温かさは嘘ではない。
それに記憶を除いた時に感じたもう一人のシャオンの存在。あれは可哀想で、守ってあげたい。
その両方を想うと、熱を体全体に感じる。
この気持ちは恋なのだろうか、もしくは権能を発動した際に引っ張られたのだろうか。
いいや、違うだろう。――この気持ちは恋だ、心臓が高鳴りを訴えているのだから。恋以外であるはずがない。そんな新しい芽生えを他所に、
「さて、ボクはまだ覚醒まで足りない。少し眠るけど、この体をよろしく」
そう言い残し、意中の怪人は倒れ、寝息を立て始めたのだ。
「――いくらなんでも警戒心ないでしょ」
そう、獰猛な笑みを浮かべ暴食は――
■
「ちょっと、くすぐったい」
もぞもぞと頭の下でなにかが動き、少女のような甲高い照れ臭げな声がすぐ傍で聞こえた。
驚きに視線を上げ、目の前の光景にさらに驚きが重なって目を見開く。
すぐ真上、それこそ顔と顔が触れ合いそうな近くにその顔がある。それは上下が反対に見えて、「ああ、自分が逆さになっているのか」とどこかぼんやりと遠い感慨が浮かび上がる。
これは、膝枕だ。それはいい、そこまでは理解できた。問題は、対象が――
「起きた?お兄さん」
「――『暴食』ッ!」
跳ねあがるように頭を上げ、即座に戦闘態勢を取るシャオン。だが対照的に両手を上げて降参の意を示すのは目の前の少女、『暴食』だ。
ただ、そこにいた姿はシャオンが戦っていたバテンカイトスと違い、黄金色に輝く長髪に白い服。そして、なにより女性である。
「おっとと、慌てないでよ。シャオンお兄さん」
「うるせぇ! 暴食! 何のつもりだっ!」
「確かに私たちは暴食だけど、それぞれ名前もあるし、趣味嗜好も違うんだ――ルイ、アルネブ。今は私たちの名前だけでも憶えていてね」
ルイと名乗った少女は少しだけ不満そうに頬を膨らませる。
笑えない冗談を口にしている、と牙をむこうとしたシャオンの目に映ったのは彼女の背中の人物。
顔は見えないが、それは一人の少年、いや先ほどまでシャオンを痛めつけていたバテンカイトスだ。
つまり、彼女の言う通り『暴食』が二人、いるのだ。
「人間らしさがあってさァ、私たちはそっちのほうが好みかな? じゃあね、雛月沙音さん? 次はもっともっと私たちが、ううん。”私”が満足するように待ってるからね? あ、このお兄ちゃんは連れていくから安心してね」
「……何が目的だったんだよ」
「私たちは幸せになりたい、死にたくもないんだよ、今のお兄さんにはわからないけどね」
とんちのような言葉でシャオンの問いに応える。
その態度はふざけたようでいて、真剣そのもの。
だからこそ、警戒は解けない。その様子すらも楽し気にルイは笑う。
「あ、そうだ。とっても大きなプレゼントくれたからサ、お礼」
バテンカイトスを乱暴に放り投げ、ルイは僅かに体を沈める。
そして、瞬きをした一瞬の隙を狙って、こちらへと飛びかかった。
完全に意表を突かれ、懐に入ったルイは、その影はシャオンの影と重なり――
「――ッ!」
「――ぷはっ。美味しい」
貪るようなキス。
そして、まるで相手を刺激するかのような、舌を絡ませてくるような、吐き気がするほど厭らしい接吻。
空気が恋しくなりそうなほどの後、ようやくその小さな体を突き放すことができた。
「て、めぇ」
「酷いなァ、互いに初めてでしょ? 私たちお肉は少ないけど見た目はいいほうなんだからサ、損ではないと思うけど」
照れた様に笑う類ではあるがシャオンは、シャオンだからこそわかる。
その奥に隠れている欲望と、獲物を狙う『暴食』の本質を。
そんな心の内を他所に薬指でルイは自身の唇を優しくなぞる。
そして、名残惜しそうにその果実のように柔らかい唇から指を離す。
「じゃあね、シャオンさん。私たちは貴方にゾッコンだからサ、私たちが貴方を全部食べるまで、しっかりと生き延びてね」
「逃がすとでも――」
「情熱的なのは嫌いじゃないけどねェ『蠱惑の口づけ』」
直後、ぐらりとシャオンの身体は力が抜ける。
まるで、酒に酔った時のような熱が体中を支配し、合わせて平衡感覚がなくなり、地面へと頭から転ぶ。
痛みはない。ただあるのはマナドレインにも近い感覚。
薄れゆく景色の中、確かな事実がシャオンの中に生まれ、世界へ刻まれた。
大罪司教『暴食』――ルイ・アルネブは世界に解き放たれたということを。
■
意識が眠りという海から浮上し、覚醒という水面を突き破って瞼が開く。
日の光は目覚めの眼球にひどく沁みて、ぼやけた視界の中で、僅かな振動と共に揺れる風景が見れる。
そうして自分が今竜車で運ばれているのだと気づいた。
「――驚いた、予想より早く目覚めたな」
「クルシュ嬢」
近くでシャオンの目覚めを見届け、驚きの言葉を上げたのはクルシュだった。
状況が理解できないでいると、彼女はこちらを安心させるように小さく笑うと、
「安心してほしい、もう敵はいない。それとすまない、ヒナヅキ・シャオン。救援が遅くなった」
「ああ、いや大丈夫。クルシュ嬢……目が覚めた時は?」
「誰も居なかった、あったのは恐らく卿と『暴食』が争った跡だ」
そうなると事の経緯としては、ルイが去った後に入れ替わりでクルシュたちが来たということだ。
ある意味、幸いだろうか。あの場に彼女たちがいたとして、万全の状態ならまだしも疲労が取れていない状態で暴食に勝てる可能性は高くない。
「しっかりと王都へ『白鯨』は運び終えた……いまは卿を運んでいる最中だ」
「スバル達は? 無事に、倒せたのか」
「――先ほど、無事大罪司教の『怠惰』を撃退し、エミリアたちを救ったそうだ。今は私の屋敷へ向かっていると聞いている」
心の中でガッツポーズをする。
だが、それもつかの間の喜びだ。今後『強欲』と『二人の暴食』の存在を伝えないといけない。
でも、今はほんの少しだけ警戒を解いて休んでいいだろう、王都へ着くまでは少なくとも。
「そう言えばレム嬢が見えない――って、彼女のことだからスバルの方か……言っちゃなんだけど犬みたいだな」
一番懐いているスバルの無事、しかも英雄としての役割を果たしたのならば、喜びのあまりそちらへ向かう気持ちはわかる。
勿論こちらの無事を確認してから向かったのだろう、少し寂しいことだが、かといってこちらに彼女が寄ってくるとそれはそれでむず痒いものがある。
「ヒナヅキ・シャオン」
「ん?」
そんな感情を考えていると、クルシュは小さく、こちらの名前を呼び、その事実を、伝えた。
「――レムとは誰のことだ?」
初めてのキスはルイ・アルネブ〜
カーミラ「は?」
アリシア「は?」
はい、第4.いや、3ヒロインでした。
あ、前の話や今回の話で分かったかと思いますが、あのシャオン。結構クズです。自覚ない。
そして、次回三章、最終話。