蛇足、魔女の想い
オド・ラグナの化身であるシャオン。
魔女とは違うが、彼も残したものは大きい。
例えば人工精霊。例えばミーティア。例えば魔法。
そのすべてが驚くべき効果を持つものだ。当然世界にそんな影響を与えた彼の遺骨は悪用しようと思えばできる代物。
だから、妹と共に、彼の遺骨は水の中に――
◇
とある屋敷の一室。
そこの豪奢なベッドに横たわるのは白髪の少年、シャオンだ。
そして、その横で甲斐甲斐しく世話をしているのは金髪の少女、彼女の姉ともいえる人物。
憤怒の魔女、ミネルヴァだった。
「……熱が下がらない」
ミネルヴァが、悔し気に横たわるシャオンの額に手を当てる。
彼はその熱によって意識を失っているのか小さく唸るだけだ。
そもそも今こうなった原因ですら、彼女にはわからない。共に世界を回っていたと同時に、シャオンが倒れたのだから。
最初は風邪かと思い、彼が以前助けた家族から屋敷を借り、寝かせたが一向に治る気配を見せない。
もう数日も寝たきりだ。
「――起きてよ」
何度目かわからないが、拳を振上げ、彼に落とそうとする。
彼女の持つ権能ならば――いつかは、
「やめておいたほうがいいよ、無駄なことだからね。キミもわかっているだろう?」
その拳を優しく止めたのは、強欲の魔女、エキドナだ。
ミネルヴァは止められた拳を力なく垂らし、零れ落ちる涙を隠しもせずに彼女へと尋ねる。
「エキドナ、なんとかならないの? アタシでも癒せない、この状態。アンタなら――」
「そうだね、心当たりはある」
「なら!」
「同時にどうしようもないことだともわかっている」
怒鳴り声を上げるミネルヴァを遮るように、エキドナは静かに絶望の言葉を口にする。
その言葉にミネルヴァは憤怒の言葉を吐き出そうとする。だが、エキドナの
「――ッ! でも何もしないなんて、できるわけないじゃない! もうっ! もう!」
「そうか、止めはしないよ。奇跡、なんてことも起きるかもしれないしね」
「――心にも思っていないことを口にするんじゃないわよ、エキドナ」
珍しく静かな怒りをエキドナにぶつけ、ミネルヴァは屋敷から勢いよく駆け出していく。
きっと何か別の方法があるのかもしれないと、彼女なりにできることを探して動くのだろう。
聡明なエキドナにはそれが徒労に終わるのが見えているが、止めたと事で止まらない彼女だ、やらせるだけやらせることにする。
「それにしても、心にも思っていないこと、か……確かに奇跡は起きないだろうね、だが起きてほしいと思っているのも事実だよ」
それは、感情がない、理解できないエキドナでも僅かにある謎の気持ちだ。見る人が見ればそれが親ごころに似たものだというのかもしれないが、それを知る人物は今ここにはいない。
彼女は、瞳を揺らしながら、己の弟子であるシャオンの、汗でべたついている髪を優しく撫でる。
それは、彼の今の体力のなさと比例するように、力なく、細かった。
◇
シャオンが今このような状態にある原因は大きく分けて二つある。
一つはシャオン自身が能力を過剰に使いすぎたことによる疲労。
これだけならばオド・ラグナの化身ともいえる彼ならば時間をかけていけば回復するだろう。
だが、
「……多分、君がシャオンを苦しめているのだろうね、ミネルヴァ」
「そうなのですか? 強欲」
ひとり言に応えるのは、ベッドの下から現れた一人の少年だ。
黒と白で統一された、いや統一というよりは黒と白、ちょうど二つの色のみで作られている一人の少年だ。
右側が黒、反対側が白。肌と瞳の色さえも左右対称で色づけられたその存在は、知らない人が見れば気色悪さも覚えるだろう。
エキドナも知り合いじゃなければ驚いて声を上げていたかもしれない。
「カロン、そこにいられるとさすがに驚くのだけどね」
「お気になさらずに、私も気にしないので」
静かに抑揚のない声で答える彼の名前はカロン。シャオンが作り出した人工精霊の、失敗作だ。
失敗の理由としては感情の欠如などがあるが、それよりももっと致命的な理由がある。
だが、いまはそれよりも、
「君が気にしなくてもね……乙女の、しかも魔女の話を盗み聞くなんてどうなのかな?」
「失礼。どうせすぐ忘れます。それより、どういうことなのです? 憤怒の彼女が父上を苦しめているとは」
「簡単な話だよ、オド・ラグナの化身である彼は事実上の不死身。世界が終わらない限りは終わらない命だ」
時間はかかるが彼の消費したマナは世界がある限り、補給される。それだけならば優劣はあるが誰にでもある能力。
だがシャオンはそのマナの配分を自由に操ることができる、それが彼の持つ『本質』だ。
『模倣の加護』というものに頼っているが、彼はその気になればそんなものに頼る必要などないのだ。
ただ、それを使えないと権能に似た能力を使えないから頼っているだけ、というのは以前彼から聞いた話だ。
「さて、でもすべてのことに例外はある。今回はそれがミネルヴァだ。彼女の権能は知っているよね?」
「ええ、癒しの力、憤怒の魔女因子と言う名前とは真反対ですよね。矛盾」
「矛盾はしていないよ、その説明はしないけどね。さて、その癒しの力は無限ではない、必ず何かを代償に発動する。わかるかな?」
無から有を生み出すことができない様に、必ず何かを消費して物は生み出される。
人知を超えた魔女であろうとその縛りからは抜け出すことができない。彼女の驚異的な力はその大きさに比例して『あるもの』を代償としているのだ。
そんなエキドナの問いにカロンは少し考えた後に呟いた。
「……マナ、ですか」
「そうだね、でもそれじゃあ50点だよ。具体的には――」
「世界、オド・ラグナから無理矢理強奪したマナを使っているわけですね。承知」
「100点だ」
説明を遮るような態度はあまり好ましくないが満点の解答を導き出した彼に、笑顔を向ける。
「なるほど、であれば父上の天敵であるのですね。彼女は」
「そうともいえるね。彼女が生き方を曲げない限り彼は弱っていくだろう。第一……」
あの彼女にこの事実を伝えたところで人々を癒すのを止めないだろう。
魚に対して地上で生きろ、鳥に空を飛ぶな、人に呼吸をするなと言うようなことと同義。
もしも彼女が聞き入れたところで、今度はシャオンが許さないだろう。
彼はミネルヴァが癒すことを止めたのなら『価値』がなくなったと排除にかかるに違いない。
どう転んでも、エキドナにとっては大切なものが失われるのだ。
「何故それを伝えないのです?」
「――伝える必要性はないだろう?」
何か伝えれば変わるのかもしれない、だが伝えずに彼女と彼が知恵を振り絞れば見つかる打開策もあるかもしれない。
前者のほうが治る可能性は高いが、後者のほうがエキドナにとっては好ましい結果になるかもしれない。
――とことん欲深い性格だとエキドナは心の中で笑う。
「……ああ、そうですね。貴方はそう言う人でした。強欲……それは?」
「ミーティアだよ、シャオンが作った。空間をそのまま削り出し、残すものらしい」
カロンが指差したのは1つの小さな箱。それをエキドナは見ていたのだ。
見たこともない形に、触ればわかることだが恐らく今までにこの世になかったであろう材質。
その箱の中央にあるのは1つの画だ。
そこにあるのはいつかの光景。
大罪の魔女と呼ばれる全員が、笑顔で笑っているものだ。
緊張して強張っている者もいれば、怠そうに横になっている者もいる。
だが、それでも各々の笑顔を浮かべながら、写っているのは事実だ。我が強い、あの魔女たちがだ。
驚くべきなのは、それを行わせた彼の人望だろうか。
「まぁ、このミーティアにはそれぐらいしか機能がないようなものだけどね」
エキドナにとっては子供だましの代物だろう。
きっと彼が長生きするのであればもっと改良して行けたのかもしれないが、恐らくそれは叶わない。
もう、彼の命はそこまで長くない。
「――これが、彼が最後に作ったミーティアになるかもしれない。師匠としては大事に保管したいものだ」
ミネルヴァが直し続ける限りシャオンは苦しみ続けます。