色欲の魔女は世界を愛で満たそうと、人あらざるものたちに感情を与えた。
シャオンが倒れてから数日、カーミラは呼んでいたエキドナが来る前に残された仕事を終えようと、最後のマナを注入する。
すると、赤と青い色の蝶の髪飾の色が僅かに混ざり、紫のような、桃色のようなものへと変化する。
それを見てカーミラは疲労が混ざりつつも表情を明るくする。
「や、やっと作れた。すこし、疲れ、ちゃったけど、これなら」
「何ができたのかな? この忙しい時に人のことを呼んだんだきっと素晴らしい――」
「あ。え、エキドナちゃん。え、えっと、これ、は」
「――驚いた」
彼女に呼ばれた場所を訪れたエキドナは目を丸くしつつ、カーミラの手に持つ髪飾りから目を離さない。
それもそうだろう、きっと今自分が持つこの髪飾りは見る人が見れば目を剥くほどの『マナ』が込められているのだ。
「なるほど、マナの保管庫だね。それがあれば確かにシャオンは延命できるだろう」
「う、うん。これがあれ、ば。ミネルヴァちゃんが、し、死ななくても、き、きっと大丈夫、だとおもう、よ」
シャオンと出会ってから毎日込めていたマナの結晶。
いつかもらった蝶の髪飾り。自分とシャオンの二人分、その二つにマナを、1日で入れられる限り注入したものだ。
一体何日かけたのだろうか、眠らない日もあっただろう。そもそも髪飾りが壊れてしまうのではないかと、不安でもあっただろう。間に合わない、と悲観した日もあったに違いない。
だがようやく、今この瞬間をもって、この髪飾りの許容ができる範囲でのマナを注入できた。
おそらく、これは使い方を誤れば国1つ軽々しく滅ぼすことができるだろう。
でも、そんな使い方をするつもりはない。
「それで、これから渡しに行くのかい?」
「う、うん。でも、もう一つは、シャオンくんが本来持っていたものはもう、マナが定着しているけど、わ、私の方の髪飾りは、まだ、かかるの。す、少し時間を置かないと、た、たぶんマナが、漏れちゃうか、ら。その」
「ふむ、でもその片方で十分に彼の命は救えそうに見えるけども?」
「た、たぶん。片方の、髪飾り、で十分だと、お、思うけど。も、もう一つのこの、か、髪飾りはね、保険、なの。え、えっとね。もしもの時、があればその、エキドナちゃんにお願いがあって、きてもらったの」
その願いの内容は、驚くべきものだ。
自分を中心とした考えの、全ての人間を嫌って、恐れ、愛した彼女が発したその願いはエキドナへまっすぐに向けられた視線と共に届かせる。
――これも、シャオンが与えた変化なのだろう。
今までの彼女であれば、きっと起きえなかったこと。
そもそも、すべてを平等に見るシャオンであれば嫌うことはないと踏んで二人を会わせたが、そんな彼に恋をするなんて、読めもしなかったことではある。ましてや、
「――わかった、数少ない友人である君の頼みだ。しっかりと果たそう」
興味本位で彼女に会うように告げたのはエキドナ自身であったが、ここまで変化を与えるとは思わなかった。
それで、あるならばきっと十分な見返りを与えても構わないだろう。強欲の魔女ですら読めなかった未知を見せてもらった礼としても、友人としても。
「必ず、来るべき時まで守られるよう、保管をしよう。キミが認めた人物が来るまで」
そう――いつか、エキドナが作る『聖域』にて、本来の持ち主にわたるように。
◇
「シャオンくん。えと、その。あの、お、起こしちゃった?」
「カーミラかな」
視界がぼやける中、声だけで来訪者を当てる。
どうやら彼女は見舞いに来てくれたらしい。
体を起こそうとするも、骨がなるだけで動く気配はなく、呆れたように息を吐く。
「来てくれたところわるいけど――もう、長くないよ。ボクは」
小さく笑うシャオンの様子に彼女は息を呑む。
ここまで、弱っていたのかと。
肌は死人のように土気色のように淀み、声は絞り出しているのがわかる解かれていた。
目線も、定まってはいない。
「ああ、これが死。なのか」
僅かに開けていた瞳を閉じる。
そこにあるのは、冷たく、暗く、何もない空間だ。
いつか夢に見た完全な孤独の闇にシャオンは落ちようとしているのかもしれない。
覚悟をしていた、なんていえない。
正直に言うと、怖いのだろうか。
それすらわからないほどに、現実味がないのだ。
ただ、ほんの少しだけ悲しみがある。みんなと会えなくなるという悲しみが。
「し、しなないよ。しゃ、シャオンくん」
「カーミラ?」
その言葉の奥にあるのは確かな覚悟。
気弱な彼女がたまに見せる、芯のある部分。
こうなってしまえばテュフォンやミネルヴァでさえ超えているかもしれないほどの頑固さを持ってしまうことをシャオンは知っていた。
「大丈夫、大丈夫だから、わ、私が――絶対に助けるから」
目を開けると、目じりに涙を浮かべているカーミラがそこにいる。
彼女自身にも言い聞かせるように放たれたその言葉とともに、もう自らでは動かすことすら苦痛になるほどに、弱ったこちらの手をカーミラは握る。
そして、そのまま彼女の胸の位置に持っていかれる。
聞こえるのは確かな心音。ここにいる、一人ではない、と伝えるように優しく、奏でてくる音だ。
「――そっか、君がそう言うのか」
その小さな手を握り返す。
壊れそうなほどにもろく、けれど確かな温かさを持つその手は、握り返されるとは思っていなかったのか一度驚いたように震え、ただ、逃がさない、逃げてしまわない様に握り返してくれた。
「……なら、安心だ」
本当に、少しだけではあるが。
全てに平等で、全てに無関心だった自身の心が動いたような気がした。
きっと、それは大きな変化ではないのかもしれない、だが、僅かに天秤は傾いた。
「カーミラ、少し話をしようか」
「う、うん。わ、わたしも。その、いろいろ、えっと、話がしたくて」
自分に残された時間は少ないかもしれない。
今、目を閉じ眠りについてしまえばもう目覚めることができないかもしれない。
親愛なる魔女との別れになるのかもしれない、成長が楽しみな人工精霊たちとも会えないのかもしれない、なにより今この場にいる優しい彼女とも分かれてしまうかもしれない。
だからこそ、できる限り、時間の許す限り話をしようと決めた。
『他者愛』の塊である人形のシャオンは、カーミラに愛され、感情を得た。
『自己愛』の塊である色欲の魔女カーミラは、人形であるシャオンに本当の恋をし、見返りに感情を与えた。
――ようやく、彼は、彼らは人間になれたのだろう。
◇
眠りについた愛しき彼を置いていくことに後ろ髪を引かれる思いで、部屋を出ていく。
現在自分にできることは殆ど終えた、だがまだ残っていることもある。
彼との、彼が笑う輝かしい未来のために、止まっていられない。
「――急がなきゃ」
色欲の魔女は放浪する。
発光する体質のせいでどこにいても目立ってしまう発光系薄幸少女。
怯えた小動物のような態度はあらゆる男女の保護欲を、加虐心をくすぐり、色気を感じるはずもない貧相な肉体は容易く折れそうなか弱さを感じさせて喉を鳴らせる。
彼女の持つ権能の前に、人は彼女以外の存在を意識することなどできない。彼女しか見えない。たとえ横から剣に串刺しにされようと。彼女しか存在しない。たとえ業火に焼かれる最中でも。もう彼女しか感じられない。本当の意味で呼吸すら、鼓動すら忘れてしまうほど。――彼女の前には、愛に溺れた幸せな死に顔ばかりが並ぶ。
「き、きっと、何か方法が、ある」
彼女が出歩けば多くの人が死ぬだろう。だが、そんなことは彼女は気にしない。
色欲の権能『無貌の花嫁』はカーミラの見た目、言葉を相手が求めるものへと魅せることが出来るものだ。彼女の意思など関係せずに、身勝手に。
多くの人が幸福の中死んでいくだろう、だが彼女の本質を、本当の姿を、想いを気にしないのなら、カーミラが他を気にする必要もない。
ただ気にするのは、心にあるのは一人の少年のみ。
きっと、周りが見れば彼女が零す涙さえ美しく感じるだろう――その意味を知らない癖に。
きっと、周りが見れば彼女が走る姿は保護欲を掻き立てるように、目に焼き付くだろう――愛する者のために傷ついた血だらけの裸足の足など誰も注目せずに。
きっと、彼女は色欲の魔女、多くの国を堕落させ、崩壊させたと言い伝えられるだろう――そんな彼女の正体がただの恋した一人の少女などと、誰も思わない。
きっと、彼女が、一人の少年のために命を懸けたことなど、誰も知らない。
次回から、本編です。質問等あればお答えします。