Re:ゼロから寄り添う異世界生活   作:ウィキッド

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土下座とメイドと見えた希望

 ――土下座。

 それは、日本における謝罪の一つであり、一種の芸術でもある。

 その姿は見るものに思わず許してしまうような、そんな感情の変化を与えるような代物だ。

 ただし、これを会得するには恥を捨てる覚悟と、今後自身に向けられる視線がだいぶ酷いものになるリスクを背負わなくてはいけない、いわゆる諸刃の剣だ。それを、ナツキスバルはいま、目の前で行っているのだ――

 

「本当にっ! 申し訳ありませんでしたぁ!」

「えっと、なんでスバルは頭を地面とごっつんこさせてるの?」

「ごっつんこってきょうび聞かねぇな……いや、それは海よりも深くて山よりも高い理由が」

 

 そんな恐らくエミリアに伝わらない言い回しをするスバルにエミリアは捻っていた首を更なる疑問に首の角度を大きくする。

 それもそのはず、スバルの叫び声と共に入室した瞬間にその本人が頭を地面へとこすりつけているのだから。

 

「スバルがそこの女性に対していきなり顔を怖がってね、挙句の果てにそれを口にしたんだよ」

「……うん、それじゃスバルが悪いわね」

 

 エミリアは謝罪の対象である金髪のメイドと、スバルを比較し事情を把握したようで。

 エミリアは少し、いやスバルが謝罪はしているからだいぶ抑えているが怒りの感情を露わにはしている。

 当然、初対面の女性の容姿を『怖い』と言ってしまったのだから、失礼すぎるだろう。

 女性であるエミリアはシャオンよりもその気持ちはわかるのだろう、またすぐ後ろにいるもう一人の女性も。

 

「むしろそれくらいじゃ謝罪の気持ちが足りないんじゃないっすかね、ほら、めり込んでないし」

「なんかアリシアの俺に対する態度厳しくない? 一番仲のいいシャオンさんとこどう?」

「さっきからかったツケだっての、まぁ、初対面の女性に対してあの言い方はスバルが悪いのは事実だろうし」

「……さっきじっと見ていたシャオンも同罪っすけど」

「いや、そのそれはちげぇよ。うん、いや、わるかったけどさ」

 

 非難するような目線に思わずそっぽを向く。

 そこでようやく件のメイドが、エミリアとアリシアに苦笑しながら話かけた。

 

「お、おやめになってくださいまし、エミリア様。いいのですわ。わたくしが、わたくしが悪かったのでございます。お屋敷に呼び戻していただけたのがあまりに嬉しくて、調子に乗っていましたのですね。……自分が、人に好かれるような見た目でないことも忘れて」

「フレデリカ……」

 

 怒るエミリアの袖を引き、女性――フレデリカと呼ばれる彼女が顔を横に振る。彼女はエミリアを引くのとは反対の手で己の口元を隠す。

 その姿は亜人であること、その容姿で嫌な思いをしたことも慣れているのだろう。

 故に、改めて、

 

「初対面の初顔合わせで、いきなりひどいこと言ってすみません。寝起きだとか悪ふざけとか、女の人に許されないことしたと思います。煮るなり焼くなり……あんまり痛くはしないでくれると助かります」

「あー、うん。俺のほうも申し訳ないフレデリカ嬢。初対面の女性を値踏みするように見てしまったのは事実だ、本当に済まない」

 

 潔く、というにはやや弱気の目立つ態度でスバルと共に頭を下げる。

 互いに好印象とはいえないスタートを切ったのは事実。非は十分にこちらにある。

 言葉の通り、彼女の怒りが晴れるのならどんな処遇でも受け入れなくてはならない。できれば体の痛みはなしで、罵詈雑言で心抉られるぐらいにしてほしいが。

 だが、当人は。

 

「――ふふ、面白い方々ですわね」

 

 と、口に手を当てたまま笑顔を隠すフレデリカの微笑に押し流されてしまう。

 疑問符を浮かべる二人の前で、フレデリカはその透き通る金髪をいただく頭を下げて、同じような姿勢になると、

 

「わたくし、怒っていませんって言っておりますのに」

 

 袖で自分の口元を隠しながら、フレデリカは楽しげに笑って、こちらを許した。

 彼女は正座した足を崩すように、そして、

 

「いつまでも、事情を聞かずにいるのは無理がありますもの。私が呼び戻された詳しい理由も、旦那様の不在も」

「フレデリカ……そういえばちらっと聞いたことあったな。俺達が屋敷にくる少し前に辞めたメイドがいたって。屋敷きて一ヶ月だから……辞めて三ヶ月ぐらいか?」

「ああ、そうだね。スバルと体格も似ているって話だったけど。確かに」

「辞めた、というのは正確ではありませんわね。一身上の都合でお暇をいただいていただけですもの……思ったより早く戻ることになりましたわね」

 

 袖口で口を隠して笑うフレデリカ。そうして口元さえ隠してくれれば、美しい金髪にかろうじて凛々しいで通る眼差しも相まって麗しい女性そのものに思える。

 その要素も悪戯好きらしき性格と、牙の口がどうしても打ち消してしまうのだが。

 場所は変わらずロズワール邸のリビングで、今は名前以外の情報を簡単に交換したところだ。そうして、彼女の自己紹介を改めて聞くうち、その名前に聞き覚えがあったことを思い出したのである。

 

「呼ばれ、戻って屋敷にきてみればもぬけの殻でしたので驚きましたわ。幸い、旦那様の執務室に置き手紙がありましたので状況整理は容易に済みましたけれど」

「手紙?」

「ええ、ラムから。あの子から屋敷へくるよう呼び出しておきながら、ああして連絡業務を適当に……そこも、あの子らしいところだと思うのは甘やかし過ぎですわね」

 

 フレデリカの苦笑には年季の入ったものが感じられて、スバルは彼女とラムとの付き合いがけっこうな月日を刻んでいたのだろうと思う。それは同時に、きっと彼女の記憶からも消えているレムとも同じだけの月日を過ごしているはずで。

 

「そっか……」

「あー、ラム嬢がフレデリカ嬢を呼び戻したってのは? 魔女教に対しての緊急時の戦力ってのが妥当だけど」

 

 苦笑するフレデリカ。

 その笑みには年季に入った親しみがあって、彼女とラムの間にある信頼関係を感じる。つまりは、妹であるレムとも――というのがスバルの今の心情だろう。

 事実、シャオンもその考えに至ったのだ。

 先ほどようやくスバルが、いや全員が前向きな考え方をしていたのだ。で、あればまた暗くなることを避けて話を進めることは責められないだろう。

 つまりはラムはフレデリカを緊急時の戦力として呼び戻したと考えるのが妥当だろう。だが、

 

「――ラムの家事能力が壊滅的で、お屋敷がひどい有様になっていったから……よね。なんだか数日で、もうどんどん住める場所がなくなっていっちゃって」

「まって! さっきの妥当って発現訂正させて! なんか恥ずかしい!」

「そしてホントに口ほどにもねぇ……いや、あいつは自分じゃダメだって自己分析してた! 正しかったけど、少しは見返す努力しろよ!」

 

 深読み外れて恥ずかしさと、ラムの切実さに胸が張り裂けそうな理由だった。

 その様子とスバルの叫びにエミリアが苦笑し、それからリビングを――否、それを通して屋敷の全域を見通すように視線をめぐらせ、

 

「でも、フレデリカが戻ってくれたおかげでお屋敷が綺麗になってるじゃない。変な意地張って事情を悪くするより、できる人に任せるラムの判断は正しいと思うわ」

「エミリアたんにそんな気ないと思うけど胸に痛いよその台詞! そして、でもあいつが即行で諦める理由にはならないとも思うんだ!」

「ラムの評価はともかく、わたくしとしては久しぶりにやりがいのあるお仕事をさせていただきましたわ。幸い、皆様が留守にしていらしたので、お世話に回る時間の分も屋敷の清掃や片付けにあてられたんですもの」

 

 その働き者ぶりの片鱗を感じさせるフレデリカには凄みがある。そんな彼女の発するハウスヘルパーとしての実力に息を呑みながら、その一方で痛感せざるを得なかったのは『暴食』の権能がもたらす、レムの存在抹消による世界の埋め合わせの力だ。

 

「ラムひとりじゃ屋敷が回せないから、誰かを頼るのは当然の帰結……か」

 

 故に、ラムは辞職したフレデリカに連絡をとって屋敷へと再び呼び戻した。レムの存在なくして機能を維持できないロズワール邸を、それでも機能させるためにレムの代替品としてフレデリカを。

 何の疑問も覚えないまま、フレデリカは必要とされたことに応じ、ラムは何故急に彼女の力が必要になるほど自分と屋敷の間のキャパシティの違いがあるのかわからないまま。それだけの話だ。

 ……つまりはラムが、レムを覚えていないことにもつながる、が。

 そんな事情すら知らないフレデリカはこちらに「ところで」と声を落とし、

 

「屋敷の前に止めた竜車で、もう御者の方が一時間近く放っておかれていらっしゃいますけれど……よろしいんですの?」

「うん? ああ、オットーのことか。そうか、一時間も放置……うん、まぁ、いいんじゃない、別に。パトラッシュはちゃんと厩舎入れて休ませてやりたいけど、オットーの方はそんな気遣わなくても」

「死線を一緒にくぐった仲だったのに薄情もいいとこですねえ、ナツキさん! まさか僕ぁ地竜より優先度が下とは思いませんでしたよ!」

 

 言いながらリビングの扉を派手に開いたのは、今しがた話題に上がったオットーだった。肩を怒らせる彼はスバルの方を鼻息荒く睨み、不機嫌を露わにしている。

 そんな彼の出現にスバルはゆっくり立ち上がると、首を横に振って吐息をこぼし、

 

「違うな、間違ってるぞ、オットー」

「なにがですか。今さら、さっきの発言を撤回しようとかしても遅い……」

「地竜より優先度が下なんじゃない。地竜より優先度がずっと下なんだ」

「二番底じゃん! なお悪いじゃぁないですか!」

「ま、ま、スバルも照れてるだけだから……たぶん、おそらく、きっと」

「言いきってくれよ! 頼みますから!」

 

 フォローになっていないフォローに地団太を踏むオットー。

 その反応を見て、彼の存在はいじりがいがある弟のようなものだと改めて思う。実際の年齢はあちらの方が上かもしれないが、叩けば響く、ようなそんな性格。

 スバルもそれをわかっていたのか反応に満足して、窓の方へ視線を向ける。そっちが正門側で、つまりはパトラッシュ率いる竜車が止めてあるはずの場所だ。

 その視線のあとを追い、意図に気付いたオットーは渋い顔で、

 

「パトラッシュちゃんは厩舎に入れてありますよ。気位が高くて扱いづらい子ですけど、ナツキさんには迷惑かけたくないみたいで従順ですから」

「お前の口から聞くと『言霊』の加護の効力を疑うな。擬人化したらクーデレ系まっしぐらじゃねぇか、パトラッシュ。いつフラグ立ったんだ?」

「知りませんよ、んなこたぁ。それより……」

 

 真面目に尽くしてくれるパトラッシュの気持ちの発生源がわからず、首をひねるスバルにオットーが別の話題を振る。それは引き続き竜車の扱いのことであり、それはつまり――、

 

「中に寝かせてる女の子、どうします? 運ぶのは……お任せしたほうがよろしいでしょうし」

「――悪いな………ってかフレデリカにも説明しなきゃな。レムのことを」

 

 そう、スバルの口調は重くありつつもしっかりとしていた。

 ならば、彼に任せてもいいだろう。

 

「ま、話は道すがら。まずは竜車にいるレム嬢を部屋に、彼女の部屋へ寝かせてあげよう。まかせて、いいか?」

「わかりました、こちらへ」

「シャオンはどうするんだ? オットーがエミリアたんに何もしないのか見守ってくれるって言うのならぜひお願いしたいんだが」

「アリシアがいるから大丈夫だろうし、何よりスバルも彼がそんな度胸ないの分かるでしょ?」

「ああ、万が一があっても……いや、エミリアだったら大丈夫だな。んで、それじゃあどうするんだ? なにかやることでも」

「――ちょっと、魔法の専門家に聞きたいことがあってね」

 

 スバル達とは別の方向にシャオンは歩みを進める。 

 その間も思考は休めない。

 

「さて」

 

 スバルの話では屋敷からエミリアたちを避難させる前、クルシュの使者に持たせた親書は中身が白紙になっていた。あれは使者に同行していた魔女教徒がすり替えていたという説もあったが、魔女教がスバルたち一行の脅威を把握していたはずもなく、また親書をすり替えることによるエミリア陣営への不信感の植え付けなどと迂遠な手段を用いるとも思えない。相対してそんなまともな思考を持っている連中とは思えないのだ。

 なにより、それをするならば白紙であるより内容を改竄してしまう方がよっぽど効果的ではないか。

 ならばなぜ、親書は白紙になっていたのか。魔女教徒の手によるものでないとしたら、その答えはひとつだけだ。

 それが『暴食』の権能によって、記憶と名前を喰われた存在の辿る末路。

 世界からその存在を抹消されて、わけのわからない継ぎ接ぎだらけの世界が残る。意識しなければ気付けない違和感は、存在の抹消で意識することすらできない。

 その雑さは消滅自体が完璧なものでないことの証明、スバルやシャオンと言った例外を除いても知覚できる人物がいるかもしれないという可能性につながる。

 

「――例えば、世界から隔離された場所にいる人物なら」

 

――ゆっくりと、ドアノブをひねる瞬間にだけ息を止める。

 なんとなく、感覚があった。

 ふとひとつの扉だけがやけに意識に引っかかるようなことがあるのだ。

 

「どうなのか、と。思うんだけど。ベアトリス」

「主語がないのよ。それに――遅かったのかしら、いや早すぎたとでもいうべきなのよ」

 

 放たれた言葉は棘があり、彼女の性格を露わにしているようだ。

 だが、まるで、シャオンの入室が彼女の中で予想通りの展開であると裏付けるように、対面するように置かれた空席の椅子が一つに、白いテーブルの上には陶器のカップが二つ。

 その中に、今入れたばかりであることを証明する紅茶の湯気が、揺らいでいた。

 


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