ベアトリスに追い出された後、シャオンは客間へと足を運んだ。
そこには談笑しているエミリアとオットー、それを瀟洒に見ているフレデリカの姿があった。
こちらの入室に気付いたのはオットーだ。彼は驚いたようにこちらを見て、心配そうに眉を下げた。
「あれ、ヒナヅキさん。どうしたんです、そんな疲れたような顔をして」
「君ほどじゃないよオットー、少し。ね」
「さりげなくあなたもボクに対する扱い酷いですよね……無茶はしないでくださいよ」
そこまでに自分の表情は悪いものだろうか、と鏡を見るが確かに少しやつれているような気はする。
どちらと言えば体よりも心の疲れではあるだろうが、やはり表面上にも出てきているようだ。
どこかでガス抜きでもできたらいいのかもしれない。
「ん、前向きに検討する。ところでスバルは? まだ戻ってきていないのか? アリシアもいないし」
「スバルは今ベアトリスのところに向かっているわ……私たちじゃ会うことが難しいのに、すごいよね」
「あー、なるほど」
一度も彼の姿を見ていない、ということはわずかな差で行き違ったということだ。
下手をすれば追い出した瞬間にスバルがベアトリスと出会っているのかもしれない、そうなると彼女の機嫌は最悪だろう。
なにをするのかはわからないが、余計なことをしてしまったかもしれない。
「ちなみにアリシアさんはフレデリカさんに呼ばれてますね、メイドのお仕事がなんとやらって……あ、すいません。ボクはちょっとお手洗いに」
「あいよ、場所はわかる?」
「流石に文字は読めますよ」
それもそうだ、と思いながらオットーを見送る。
何か理由をつけて、彼を監視の意味も込めて共に行動しようとしたのだが、やめた。
彼を完全に信用したわけではないが、今この場で何か盗みを行う、害をなすのはメリットとデメリットを天秤に掛ける必要もなく、どちらに傾くのかは予想できることだからだ。
「さて、と。私はお茶を入れますね」
そう告げフレデリカはティーセットをもって部屋から出ていく。
残されたのはエミリアとシャオンのみだ。
さて、
「……」
「……」
気まずい空気がリビングに広がる。
それもそのはず、シャオンとエミリアの仲は決して悪くはない、だが良くもない。
友人の友人という関係が近いのかもしれない。
その証拠にエミリアも何か話題を出そうとするも、思いつかないのか口を魚のようにパクパクさせている。
「え、っと髪の色、そのすごくなったね」
「あーうん、触れないでくれると助かる」
「ご、ごめん」
きっと彼女も悪気はないはずだ。それどころかきっかけを出そうとしたまである。
この髪についてはいろいろとわからないことも、何より先ほどのベアトリスとのやり取りの所為であまりいい感情を抱けていない。
だから、語気が強くなってしまった気はある。
全く関係ない彼女に当たってしまうような子供っぽさにイラつきながらも、一息。
ちらりと横を見ると、先ほどのやりとりで彼女は委縮したのかもう口を開く様子はない。
それでも何か、話題はないだろうかと考えていると共通するものが一つ。それは、
「――スバルは、凄かったかな?」
「え?」
唐突な話題に、エミリアは鳩が豆鉄砲を食ったようなという表現が正しいような、間の抜けた顔を浮かべた。
それをほほえましく見ながらもシャオンは話を続ける。
「俺の、友人のナツキスバル。王都で色々あったけどさ、どう?」
「――――うん、凄かった。びっくらぎょうてんに驚いちゃった」
びっくらぎょうてん、なんてスバルがいたら「きょうび聞かねぇな」というツッコミが入りそうなセリフにシャオンも僅かに顔をほころばせる。
それを見てエミリアも普段の調子を取り戻したのか、何度か会話の応答を繰り返す。
最初は少なく、だが自然にリズムよく会話が続く。そんななか、ふと訊ねられた。
「そもそもスバルとシャオンってどんな関係なの?」
「簡単に言うと同郷の他人だよ、今だと俺から見たら友人だけどね」
そう、ただの友人。
もともとどんな生活をしていたかなんて、詳しく話すことはしなかった。
その理由としてはいろいろあるが、帰る気持ちが強まってしまった場合のことを考えてだ。
だが、少し落ち着いたら二人で腹を割って話してみるのもいいかもしれない。
それで深まる中もあるかもしれないのだから――話題は、どうすべきだ、自分には――。
「シャオン?」
「あー、そうそう、でもスバルの性格だと巻き込んじゃうでしょ? 大丈夫?」
「あ、それ凄い分かる気がする。それもスバルの凄いところなのよね」
「そうそう、常に話題の中心にいるけどその話題を周りを巻き込んで大きくしていくところとかね」
「うん、今回の騒動もそうやって、多くの人と協力して解決しちゃうんだもん、すごいよね――私なんかに、もったいないくらい」
エミリアが小さくこぼしたのは確かな弱音。
本来ならば聞かせるつもりも、そもそも口に出したことすら気づかないものだろう。
触れるべきではないのかもしれない、だが。
「――そんなことはないさ」
「え?」
「スバルの人を見る目は優れてるよ、きっと君に相応しいし、君も彼にふさわしいだろうよ。だから、互いに助け合っていって欲しい、あいつもあれはあれでまだまだ心配だからさ」
シャオンは嘘を吐いていない。
エミリアにはスバルと言う破天荒な少年が必要だし、スバルにはエミリアのような純粋な少女が必要だと思っている。
二人であれば乗り越えるものも多いだろう、なによりその未来を、作る世界の『価値』をシャオンはみたいのだから。
こちらの想いが伝わったのかわからないが、エミリアは少し考えた後言葉をかみしめるように何度か頷き、
「――うん、わかった。だったら頼って、頼られていく」
「その息だ、ってところで。だいぶ騒がしく戻ってきたな」
ちらりと扉の先を見つめる。
するとでてきたのは話題の主、といじられている憐れな商人。スバルとオットーだ。
「実際のとこ、なんでトイレから転がり出てきたんですか。隠し通路とかあったら怖いんですが」
「バーカ、そんなんじゃねぇよ。座敷牢はあるみたいだけどな、あ。こればらしたら首飛ぶから注意な」
「注意も何も何てことを教えるんですか!」
話の内容から察するにベアトリスとの何らかの交渉を行い、失敗、あるいは同じように無理やりはじき出され、偶然トイレから出たオットーにぶつかりながら出た、と言ったところだろうか。
だが、一応察していないようなふりをして、
「お、スバルも一緒だったのか」
「ああ。ってお前がここにいるってことは」
「そ、行き違いだよ。んで、結果はこっちはあんまりよろしくない、そっちは……」
首を横に振り、不満の意味を込めた視線でこちらを見るスバル。
「話はできたけど誰かさんのおかげでだいぶいイライラしていたみたいだぜ、あのドリルロリ」
「それはすまない、予定外だったんでね」
「だが、方針は決まった。内容を詰めようか、フレデリカ」
「……すみません、スバル様もご一緒だとは思わなかったので、すぐお茶の準備をいたしますわ」
3人分の紅茶を持ったフレデリカは、スバルの目線をしっかりと受け止めて再びリビングへ戻っていくのだった。
◇
「さて、今後の方針だけど、まずは聖域に向かう。これはやっぱり変わらない」
「うん、そうね。でもその場所が――」
「知っているだろ? フレデリカ」
確信を持ったスバルの物言いはかまかけなどではなく、何らかの根拠があったものだ。
それは、おそらくベアトリスとの会話で得たものだろう。
確かにシャオンも先ほど――
「……」
と、考えていた中フレデリカが貫くのは沈黙。
だが、それで止まるほど自分たちは諦めがよくない。
「ネタはあがってるぜ……」
「話してくれると助かります……」
「え、えっと、んー!」
三者三様の注目の視線を一心に受け、フレデリカは大きく肩を落とした後、降参とでも言いたげに両手を上げて首を横に振る。
「――――負けましたわ。皆様にそのような視線を向けられて断れるほど心が強くありませんもの……できるだけ口外は避けるように言いつけられているのですけど……」
「あのー、それじゃあ僕はこの場から失礼を――」
「皆様覚悟の上と見て話させていただきます」
「問答無用の覚悟!?」
フレデリカとオットーとの漫談を他所に、フレデリカという女性が意外にも押しに弱いということがわかった。
正直助かった、ここでごねられてしまってはあてずっぽうで聖域の場所を探すか、屋敷中を全てひっくり返して手掛かりを得る必要があっただろう。
そうして、オットーも覚悟を決めた、決めさせた中、本題に入ろうとした時エミリアが「あ、その前に」と手を上げた。
「スバルにはお願いがあります」
「ちょちょちょ、タンマ! まさか、俺を置いてこうってんじゃないよね?」
「え?」
「あー」
スバルの慌てぶりにシャオンは察した、というよりもいろいろ見てきたうえで過去と今が重なって見えたほどに覚えている。
だが、ピンと来ていない当人は首をかしげる。
「エミリアたんがやる気になってるのもわかるし、その方針には俺も賛成だけど置いてけぼりは勘弁だよ。俺が非力で頭が悪いのはわかってるけど、それでもエミリアたんの傍で頑張れないのは嫌なんだって。わがままは承知してるけどさ!」
必死で言い縋るスバルに、エミリアは目を丸くしている。
紛れもない本心で、スバルはエミリアについていく。彼女の傍にいなくては、彼女を守れない。彼女のために動けない。
自惚れでもなんでもなく、彼女を助けるために自分の存在が必要なはずだ。それは以前のように自分の価値の向上ではなく、ただ彼がしたいからという行動理念。
「止めたって無駄だぜ。俺はエミリアたんについていく。置いてけぼりはごめんだ。『聖域』だろうがロズワールが相手だろうが、俺の燃え上がる愛の前に障害は――」
「置いていくわけないじゃない。一緒にきて」
「ぶっちゃけ、置いてけぼりなんてやだいやだいやだい――今、なんてったの?」
いよいよ床に寝転んで手足をばたつかせようかと思っていたスバルは、腰を落としかけた姿勢のままエミリアへ問いかける。
それを受け、エミリアは口元に手を当て、わずかに顔を赤くしたまま、
「だから、一緒にきて。私ひとりじゃ、不安でたまらないから。さっきシャオンにも言われたんだけど、その、頼れるうちに、一番頼りになる人に寄りかかるべきだ、っておもったから」
「――――」
その言葉にスバルが受けた衝撃は、凄かったようで、思わず口をぽかんと開けて押し黙っている。
対するエミリアの表情には不安が走る。まるで子供のような表情だったが、その表情を彼女は、助けを求めるようにシャオンへと向けられた。
「えっと、その、どうしたの? 私、またなにか変なことを……」
「いいや、俺が予想したよりも100点満点の答えだったと思うよ」
掌で顔を覆って、恐らく歓喜に震えているスバルもシャオンに同意を示しているのか、親指を立てるサインを行う。
エミリアも以前見たことがあるサインだったのか、若干の困惑を残しながらも「よかった」と笑みを浮かべる。
「――お話は、まとまったようですわね」
「あ、ああニヤけた顔も元に戻った、とおもう」
「うん、元の三白眼だよ」
「うるせぇ糸目」
と、話題を再開しようとするフレデリカに全員改めて向き直る。
横でエミリアは疑問符を浮かべていたが、すぐに彼女も姿勢を正し、フレデリカを見つめる。
その視線に首肯し、フレデリカはその翠の瞳で二人を見据えると、
「お伝えした通り皆様が『聖域』へ行かれることに異議はありませんわ。ただ、準備に少しばかりのジオ時間、二日ほどいただかなくてはなりませんの」
「準備って、ああ屋敷を開けるんだからそれくらい必要ですよね」
「いえ、わたくしは屋敷の管理がありますので同行はできませんわ。そもそも『聖域』へ向かわれるのは皆様のお役目で、私のものではありませんもの」
「おいおい、それじゃ一体にどうやって『聖域』にいけばいい?」
まさかの同行拒否に唖然としていると、すぐそばで、自信満々に、腕を組んでふんぞり返るオットー・スーウェンの姿があった。
「ふっふっふ、察しが悪いですね、ナツキさん。そもそも――」
「なるほど、こんな大事な話の最中にオットーが同席していることがおかしい。つまりはオットーが案内役を担ってくれるわけだ。そして、魂胆はエミリア嬢と協力的に接して、後ろ盾のロズワールさんの印象を良くしたいと」
「ああ、確かに俺たちについてきた理由の本命はアイツとの接点作りのはずだしな」
説明をしようとした出鼻を挫いた形でシャオンが手を叩いて納得する。それに追従する形にスバルも納得いったように、頷く。
帽子がずれおちているオットーに、エミリアはこちらへ避難するような目を向ける。
「ちょっと、二人ともオットーくんがそんなことをするわけないじゃないの」
「え、うぇ!? いえ、あの、そこまでこう清々しく腹の底を暴露されると……エミリア様の純真な目が痛い痛い! すみません! そんなところです! でも別に悪いこと起きないはずでして! 信じてくだされれば!」
純真無垢なエミリアの眼差しに敗北し、開き直ろうとしても開き直れないオットーが自白をする。
その態度にスバルはやれやれと首を振り、恐らくオットーへのフォロー半分疚しさ半分でエミリアの方を自発的にたたいた。
「ま、あんまりオットーを責めてやらないでよ。本当に心から善意で誰かのために行動するのって、エミリアたんは簡単にやるけど結構難しいんだ」
「そ、スバルみたいに誰かに尽くすのも下心が多いからね」
「オマエもな、シャオン。色々と策を講じて動いてるだろ」
「なんのことやら」
肯定も否定もしない。
商人のように割り切ることはできないが、少ない頭を回して動き、動かしているのもある。
そもそも、スバルが言いたいことは、だ。
相手によく思われたい。
対人関係における行動は紐解けば、原点にそれがある。
それがすべてではない、とは思いたいが言いきるほど長く人生を全うしてもいない。
つまるところ、
「スバルが言いたいのは下心が見え見えのオットーの信頼度はだいぶ高いんだよ」
「おいおい、ばらすなよ、照れるぜ」
「本当ですか……? なんていうか釈然としないんですが」
頭を掻いているオットーの顔には何とも言えない照れが浮かんでいる。
どうやら、褒められ慣れていない、信用され慣れていないようだ。
案外、スバルと反対の性格と思いきや心の底では同じなのかもしれない。
「オットーの協力了解。 今ここにいるメンバー、あっと。アリシアの奴も含めて話を聞きたいんだが」
「彼女は別のお仕事を頼んでおりまして、後程お話いたしますわ」
フレデリカに連れられて行ったアリシアは現在別の場所で仕事を行っているようだ。
彼女も戦力としては心強いものなので、聖域には来てほしいのだ。ぜひこの話し合いには参加してもらいたかったのだが、
時間を見て話しに行き、叶うのであれば同行を願うことにしよう。
と、考えているとフレデリカは咳を一つし、
「――時に、旦那様は『聖域』のことを皆様に何とお話しに?」
ソファに並んで腰かけ、話を聞く姿勢になったシャオン達にフレデリカが問いを投げる。それを受け、全員が顔を見合わせると、
「ぶっちゃけ、ほとんど聞かされていない。断片情報だと、こっから少し距離がある秘密基地、だと」
「私は……いつか、私にとって必要になる場所って、前に一度」
「俺は……」
――全ては『聖域』にある。お前の逃げたい真実も、犯した罪も、抱えた栄光も、ベティーとオマエの関係も。
禁書庫にいる彼女の言葉が、シャオンの思考を遮る。
シャオンは、この世界の人間ではない。だから『聖域』の場所なんて知らない
だが、『シャオン』自体がその『聖域』という場所にどこか引っかかりを覚えている。
わからない、分かってはいけない。なによりも言語化できない、だから、
「――よくわからない」
咄嗟に出た言葉は嘘ともホントとも取れないような霧の言葉。
だが幸いにも周りからは追及されることなく流されていく。
「ま、シャオンは別行動だったからな。知らなくても仕方ねぇけど……エミリアたんのいつか必要になる場所って?」
スバルの視線にエミリアは申し訳なさそうに目を伏せた。
だが、スバルがそのことを問いただすよりも前に、
「旦那さまらしい、物いいですわね」
微かに笑みをはらんだ口調でフレデリカは言い、目を閉じた。
それから、彼女はその場でスカートを摘み、
「これよりお話ししますのは、口外無用の『クレマルディの聖域』の場所と入り方。そしてその『聖域』へ行くにあたって、忘れてはならない名前」
この場にいる全員が彼女の語りに、息を呑む。
それを受けてか、彼女はわずかに声の調子を落として、言った。
「――ガーフィールという人物にお気をつけてください。『聖域』において、お二人がもっとも注意して接しなくてはならないのが、その人物ですわ」
開いた瞳に様々な感情を宿し、彼女はその名を口にしたのだった。