フレデリカの宣言通り、『聖域』への出発はそれから二日後のこととなった。
現状シャオン達ができることは出発までできることは少なく、久しぶりになるかもしれない、いやでも憶えた屋敷の仕事をこなしてその時を待つだけだった。
そして今はアリシアともう一人と洗濯物を干している最中だ。
スバルやエミリアも各々屋敷の仕事や勉学に励んでいることだろう。
「正直、今すぐ行きたいものだけど……」
「ま、ゆっくりと休めってことっすよ」
「お言葉に甘えて、って言いたいけどねぇ」
『クレマルディの迷い森……『聖域』はそこで特殊な結界に守られている。
結界は部外者を遠ざけ、道を誤らせる。それ故の迷い森。その結界の影響を無力化するために、準備に二日かかるのだ、とは、フレデリカの弁だ。
最初は『結界』の響きに物々しいものを覚えたが、その後のフレデリカの説明に理解と納得を得た。『聖域』という場所の、その特殊性を聞かされて。
「曰く付きの亜人族、その受け入れ先…… か」
聞かされたままの特殊性を口にして、シャオンは空を見上げる。
種族として、人間と亜人との間に溝があるのはよくある話で、ルグニカ王国にも亜人蔑視の習俗は少なからず存在している。
その亜人蔑視――差別の最たるものが、ハーフエルフへの根深い敵愾心だろう。
それでも、王都では融和政策か何かの一環なのか、商業街や貧民街ではかなり多数の亜人族を見かけることができた。ただし、貴族街、王城には見られず――
「歴史の本を読むと、『亜人戦争』なんて内戦が百年以内に起きたばかりだって」
「『剣鬼恋歌』っすね有名どころだと。ヴィルヘルムさんのことだけど詳しくは知らないっす……剣が握れないんで、こう聞くと辛いっすからアタシ」
「あー、うん……」
「その辺の話を聞きたいなら本人に聞くか、あとは……親父辺りも詳しいと思うっす」
そう言う彼女の顔は渋い。
親父は、当然ルツのことだろう。彼自身も結構な年で、かつ武闘派の血の気が多い男性だ。案外その手の英雄譚には詳しいかもしれない。
そこで気づく。
そうだ、今こうして話しているアリシアも亜人なのだ。
だが差別をする気もないし、彼女を亜人だからと見下したことも、逆に評価をしていることもない。
鬼族である彼女と自分が仲良くやっていけているのだから他のみんなもやってくれればいいのに、とはいかないのが現状なのだろう。
でも、ハーフエルフであるエミリアが王様になれば、変わるのだろうか。彼女の、優しさを知れば、差別もなくなり、平等になるのだろうか。
そんな答えの出ない考えに頭を悩ましていると、
「んしょ、シャオン様、アリシアおねぇちゃん。手が止まってるよ」
と、少し不満げに赤髪を揺らす給仕姿の少女が立っていた。
この二日間の屋敷の変化、その二つ目である。
ルカと、彼女の姉貴分であるペトラがこの屋敷に仮雇用ではあるが、雇われたのだ。
発端はフレデリカのみで屋敷を維持することに物理的な無理が生じたことを悟った彼女自身が、アーラム村に降りて協力者を募ったところに諸手を挙げて飛び込んできたのが彼女――ペトラ・レイテであったことだ。
アーラム村の村民で、王都側避難者でもあった彼女は無事に村に戻っており、いまだ半分以上の村民が戻らない村にて不安な時間を過ごしていたはずだった。が、フレデリカの屋敷の新人メイド募集の報に即座に食いつき、そのやる気を気にいられ仮雇用として屋敷に入っている。
ルカに関してはペトラという姉貴分と離れたくないから、という理由ではあったがもともと手先は器用な方でそれがフレデリカに気にいられ雇用された。
「それにしてもまだまだ小さいのによかったのかい?」
「えと、ペトラお姉ちゃんも頑張るって言うし、恋路も応援したい、から」
「あー」
端から見るとペトラはスバルに対して好意を抱いているように見える。
実際それが年上の異性に対する憧れによるものなのかはわからないが、確かにルカからすれば肉親のような彼女のことを応援したい気持ちはわからなくもない。
現状その恋路はきっと難しいものとなるだろうが、実る可能性は0ではないかもしれない。頑張れ。
と、ペトラの行く末を応援していると、
「は、図られた――!?」
屋敷の中から外に聞こえるほどの大声が響く。
こんな不憫そうな声はオットーによるものだろう。だが、一部分しか聞こえないので何があったのかはわからないが。
「何が図られたんすかね?」
「細かいことは気にしなくていいさ、どうせオットーの身に不幸が起きただけだろう」
「あ、扱いがひどく、なってる」
三人とも彼の扱いに対してはこのような形でまとまっている。
第一、オットーも本当に嫌がるのであれば彼はしっかりと口にするだろう。
それができなかったとしても夜中に逃げ出すようなことはなかったし、何よりしっかりと彼自身の意思でこちらに貢献をしているのだから大丈夫だろう。彼自身にもきっと事情があり、抜け出せない理由があるのかもしれないが。
「あ」
「せ、洗濯バサミ、忘れちゃった」
「わ、わたし取ってくるね」
「ひとりで行けるかい?」
「う、うん。頑張る」
そう言って彼女はトテトテと屋敷の物置にあるだろう洗濯バサミ取りに行く。
その姿がしっかりと見えなくなったことを確認してから、アリシアは口を開いた。
「――いつ、話すんすか?」
「そう簡単に話していい内容じゃない、けど。話さないわけにもいかないよな」
ルカ・カルベニア。
そう。
魔女教との戦闘で苦しめられた要因の一つ、リーベンス・カルベニアの娘なのだ。
あの時の戦いから察するに、正確にはシャオン達の前に立ちふさがったのはリーベンス本人ではない可能性があるが、どちらにしろすでに彼女の母親は死んでしまっている可能性は高い。
そして、それを正直に伝える勇気はない。
「……アタシから話したほうがいいっすか? 慕われてるのはアタシの方っぽいし」
「ぬかせ。いいや、俺から話すよ……殺したのは俺だからな」
気遣ってくれる彼女には悪いが真実はどうあれ彼女の母親の姿をしたものを殺したのは自分であり、自分たちが黙っていれば彼女は永遠に母親の死を知ることはないだろう。
ましてやその死体が魔女教という狂人共に利用されていたなんて、最悪な真実は。
だが、今は村のゴタゴタが解決していない。こんな中話されても彼女も理解できる時間も余裕もないだろう。
だから、もう少し待つべきなのだ。
そう結論つけて、シャオンは仕事に再度取り掛かろうと立ち上がろうとする。
だが、それを妨げるようにアリシアがシャオンの裾を引っ張った。
想定外の行動に思わずシャオンはそちらを見ると、彼女はその若葉色の瞳に覚悟を宿してこちらをみつめていたのだ。
「どうしたよ」
「……シャオン、大丈夫なんすか?」
「……なにが」
「――隠せてないよ」
普段のお茶らけた口調は抜け、まっすぐにこちらの目を見つめられる。
こうなった彼女の追求から逃れることは容易ではない。
アナスタシア邸にいた時にはこんな強固な目をする女性ではなかったはずなのに、いったい何が影響を与えたのだろうか。
その原因に文句を言いたい気持ちを抑え、シャオンは仕方なしに腰を再度降ろし、アリシアと向き直る。
すると彼女もゆっくりと語りだした。
「レムちゃんを守れなかったこと、だいぶ引きずってるでしょ。みんなが思っているより、なんなら、スバルよりもずっと」
「……ま、あな」
たどたどしくも同意をする。
おもったより、自分の心は弱かったらしい。
屋敷に着くまでもずっと、レムを救えなかったこと、そして『強欲』と『暴食』の魔女教に手も足も出なかった事実に、苦しんでいる。
「ゴメン、フェリスと話してるの聞いちゃったけど、シャオンは十分役割を果たせたと思うよ」
「盗み聞き、悪いぞ」
「それについては謝ったから。それで、ね。少しは話せば楽になるかな、と思って」
そう言う彼女の口調からは、少し照れつつもしっかりとこちらの役に立ちたいという意思が伝わってきた。
シャオンは、どうすればいいのだろうか。彼女に、しっかりと話してもいいものだろうか。
だが、このまま黙っていてもまた別の機会に問い詰められるかもしれない。なんだったら、縄で縛りつけて無理やり吐くように促すなんて暴挙もとるかもしれない。
そう考えれば、今打ち明けるのが吉、だろう。
「確かに」
口が渇き、心に痛みを覚えつつ、言葉にしていく。
「お前の言う通り――ずっと、考えてる。レムのことも、当然あの時に力があればなんて後悔はもちろん、でも、それよりも」
それよりも、
「――スバルが、俺を恨んでいるんじゃないかってずっと、考えてる。そうじゃないのかもしれない、いや、そうじゃないんだろうなでもどちらにしろ――いっそ責められた方が気は楽なんだよ」
自問自答で、答えがないまま終わっていくよりも。
誰かに糾弾され、責任を追及された方が、シャオンには気が楽なのだ。
そうでないと、まるで、気にしていないとでも言われているようで、辛い。
「俺は……スバルと違って何もできていない」
彼は『死に戻り』という能力を使って、多くの人々を救った。
災害ともいわれる白鯨を打倒し、魔女教の幹部であるペテルギウスも確実に葬り去った。
あまりこんなことは言いたくないが、シャオンの持つ力よりも弱い力でその偉業を成し遂げていったのだ。
そんななか、ふと思うことがある。
「俺のいる意味って、あるのかなって」
「――――」
その言葉に隣にいたアリシアが息を呑んだのを感じ取った。そして、ふと彼女は立ち上がり、右手を大きく振上げる。
「アリシア?」
「歯は食いしばらなくていいよ、なんなら舌も噛め」
そして、そのままシャオンの頭へ向けて勢いよくその拳を振り下ろした。
ガチリ、という音共に彼女の言葉通り舌を噛む羽目にもなり、思わず閉じた瞳には暗闇に火花が散った錯覚すら感じたほどの痛みだ。
「いってぇ! なにすんだ!」
「喝入れたの。たぶん言ってもわからないだろうから、それにすこしイラついたのもある」
堂々と言いのける彼女の拳は赤く腫れている。
恐らく全力で殴ったのだろう。鬼化と篭手はつけていない分、今の彼女は普通の女性だ。
そんな彼女が手を赤くするほど、先ほどの強い力を込めた一撃を出したのは本当にシャオン想って、それがどういう思いなのかは置いておいた、出された一撃なのだろう。
怒り、とそれとは反対の慈愛に満ちた目。その矛盾した二つが混ざったものでシャオンを射貫き、彼女は続ける。
「耳をしっかりと広げて聞いて、あのね……どれだけ貴方の――」
だが、彼女の言葉は紡がれることなく、驚いたように口を開けて固まった。
その揺れる瞳の先はシャオンではなく、その背後に向けられているようでこちらもつられてそちらを見る。
そこには、
「ふ、ふたり、とも。け、喧嘩してるの?」
「おいおい、物騒だな」
洗剤を持ってきたルカと、その隣で驚いたような表情をしつつ歩くスバル。ついでに、げんなりとした様子で歩くオットーに、それを励ますペトラの姿があった。
だが、彼の様子から先ほどの話は聞こえておらず、アリシアに殴られているその姿を目にしただけだろう。
「す、スバルか。別に何でもないよ。それよりもなんでここに?」
「ルカが高所にある荷物を取れなくて困っていたから取ってやったんだよ。んでついでにお前らがいちゃラブしていないか見に来たわけだが、喧嘩か?……仲よくしてくれよ? ただでさえウチらエミリアたん親衛隊のメンバーは他に比べて少ないんだから」
「「エミリアたん親衛隊?」」
「そう! ま、いいかえるとエミリア派、エミリア陣営だな」
胸を張って説明するスバルはの説明はこうだ。
現状、王選におけるエミリアの立場はあまり良好とはいえない。彼女の騎士として関係者に認識されているスバルがいくらか活躍し、魔女教の撃退と白鯨の討伐という功績を立ててはいるが、それも彼女を取り巻く環境の悪さと比較するとどこまで効果があるかは疑問だ。 それに加え、後ろ盾であるロズワールも100%信用できるとは言えない。
そう考えると確かにこちらの陣営はだいぶ勢力が弱いわけだ。
同盟を結んでいるクルシュの陣営ともいつかは戦う日が来るのだから、しっかりとエミリアを支援する陣営を増やしておくのは得策だろう、と。
「ついさっきオットーには見ちゃいけない資料を見られたからこいつもエミリアに協力してくれることになったから、まぁ順調に増えて言ってはいるんだが」
「アレ無理やり見せたのナツキさんですよねぇ!」
故に、先ほどの大声かと納得がいった。
彼も不憫ではある。
「……でも、僕そこまで役に立てませんよ?」
「味方が多いに越したことはない。なにができるかってのは問題じゃねぇんだ。その人のためになにをしたいか、なにができるようになっていくかってのが大事なんだよな。そもそも、できることの数の話したら俺だってひどいことになるし」
メリットとデメリット、指折り数えていけばデメリットが勝るのはそれこそ口にしているスバルも自覚のあるところだ。それでも彼女の味方をしたいのだから、あるもの駆使してないものねだってやりくりしてやっていくしかない。
開き直り、といわれれば否定のできない気持ちいい皮算用だ。
「まだまだ断然小さいけど、こっから頑張っていこうぜ。これが俺たちの、初期エミリア派のメンバーってことだ」
握り拳を作って突き出し、スバルが宣言する。
それを受けて、置いてけぼりのオットー、ペトラとルカ、シャオンとアリシアはその顔を互いに見合わせ、
「僕、その派閥に入るなんて一言も言ってませんからね? 勘違いしないでくださいね?」
「お姉ちゃんの味方はしたいけど、大事なところで私ってお姉ちゃんに負けたくないんだけどなぁ……」
「で、でもペトラお姉ちゃんのこと、応援するからね」
「だいぶ年齢層が偏るような……」
「中身が大事なんすよ、きっと……シャオン、さっきの話はまた今度」
「……了解」
オットーが頭を掻いて呆れた様子で。ペトラが手を後ろで組んで、顔を俯かせてもじもじしながら、その姿を激励するルカに、誰も突っ込まなかった事実に踏み込むシャオンにそれを嗜めるアリシア。
各々の想いはあるが、最後には拳を突き合わせたのだ。
――こうして、『聖域』へ向かうまでの二日間、ほんのわずかな前進ではあるが、確かなものを感じさせながら時間は過ぎていったのだった。