――強欲の魔女。
カロンが口にした言葉はを、シャオンは反芻する。
魔女という言葉自体にいい思い出はないが、それはあくまで嫉妬の魔女についてだ。
だが話題に出たのは嫉妬ではなく、
「……強欲?」
「ええ、まぁ魔女としては嫉妬のほうが有名なのでしょうが。強欲の魔女です」
魔女と言う言葉は主に世界の半分を呑み込んだ『嫉妬の魔女』に使われる言葉だと思っていたが、彼の言葉から察するに他の魔女もいるわけだ。
初めて知った事実に驚きを覚えていると、カロンはいつの間にか飲み始めていた紅茶の熱さに舌を出しながら小さくつぶやいた。
「彼女に関しては貴方もご存知――ではないのでしたね、今は」
「今は?」
「おっと、失礼この話題を続けることはよくない方向になってしまうでしょう。それよりも現状の確認をしたほうがよろしいのでは?」
「……竜車にいたはずの俺は、なぜここにいる。その、裏側の聖域とやらに何で転移を」
わざとらしく口を押えるカロンは、どうやってもその話題を続ける気はない様だ。あるいは、面倒だからしないのかもしれないが。
であればその問答に時間を割くのは得策ではないだろうと別の話題を、彼の露骨な話題の切り替えに乗ることとする。
「ああ、転移ではありません。貴方の体は確かに竜車の中に未だにあります――裏側の聖域に来るには条件を満たしているものが、意識を失うことで訪れる資格が得られます」
「意識を失うって言うのはさっきの欠片云々だろうけど……条件?」
「それは私の口からは話せません。契約です故」
カロンからでてきたのは契約という言葉。
契約の重要性についてはシャオンも重々承知だ。
ましてや精霊、人工精霊と言う存在ならばそれに従わなければいけないことも理解している。
だからその契約に触れない範囲で情報を収集しようとするのだが、
「さっき話した俺が作ったというのは、なんだ?」
「話せません」
「人工精霊と言うのは」
「話せることはありません」
「『表側の聖域』に行くためには?」
「話したくありません」
「……契約をしている相手は?」
「話してみたい気持ちはあるのですが不可能ですね」
「君、話せることなくない?」
「その発言の所為で、急遽裁定の結果はでました、死刑です」
……これではひとり言と同様だ。
紅茶はもう何杯飲んだのだろうか、その間にもご丁寧に不可能のニュアンスを変化させて、こちらを飽きさせないような配慮もされていることが腹が立つ。
どうしたものかと考えていると、ふとシャオンの体が透けてきていることに気付く。
「おい、これは?」
「そろそろ、意識が戻りますね。意識してきたわけでないのだから時間が取れないのは道理ですが。残念」
いかにも残念そうに、大げさな身振りでアピールをするその姿は本当にそう思っているのか問い詰めたくなるようなものだった。
いっそからかっているといわれた方が素直に納得できる。
だが、時間がないのは本当のようで、シャオン自身消える体を見てそれを知覚できていた。
ならば最後に、
「一つ、聞かせろ。契約で話せないならそれはそれでいい――俺が求めている、答えは、『聖域』で得られるのか?」
「――その答えは強欲の魔女が知っています」
今までとは違いはっきりとカロンは断言をした。
よっぽどその強欲の魔女が物知りなのか、あるいは別の理由があるのかはわからない。なんならその問いに対してだけ答えるように契約をしていた、なんてこともあるかもしれない。
だが、
「結局は、その魔女に行き着くわけか……了解。お茶は美味しかったよ」
「……ここでの記憶はなくなります、ですが。またすぐに出会うことになるでしょう。その時に応対するのが『表側』か『裏側』か。私か、彼女かはわかりませんが」
僅かに、名残惜しそうに目を細め、カロンは小さく笑う。
人形のような今までの素振りがまるで嘘のように、人間らしく。
「『裏側』であることを期待しております。では、良い旅を」
その言葉と共に、シャオンの体は完全に『裏側の聖域』から消滅したのだった。
◇
「――――う、うわぁぁぁあああ!!?」
意識の覚醒はそんな悲鳴が起因となった。
「……寝ていた? てか、今の悲鳴は」
周囲を見回すと眠っているであろうアリシアとエミリアの姿を確認する。
外傷はない、であれば先に悲鳴を上げたであろう人物の確認に移る。
その悲鳴の出所は外、さらに声から察するにオットーのものだろう。
竜車から飛び移るように出ると、そこは、
「えっと」
気付いた変化は二つ――まず、竜車が止まっていること。
パトラッシュとフルフーの二頭は足を止めて、いや止められているようだ。
それが、大きな変化の二つ目であり――、
「ひ、ヒナヅキさーん。よ、よく起きてくれました。欲を言うのならもう少し早く起きてくれたら助かったんですが」
「オットー? 一体何が、てかここは」
竜車が止まっている場所、その正面にあったのは、一つの建物。石材を積んでくみ上げられたその建物は原始的な建築様式に則った遺跡だ。
建物の半分が森に呑まれ、大部分が緑色の苔や、隠すように蔦に覆われている。
神殿、という表現も正しいがその劣化具合も含めれば『墓場』と言う表現が正しいのかもしれない。
そんな建物の次に目があったのは怯えた表情のオットー。彼はシャオンが起きてきたこに僅かに顔をほころばせる。それでも半分は恐怖に染まっているが。
――そして、その恐怖の対象であろう人物。それは遺跡を守るようにいた。
騎士とは程遠く、まさに獣とも思わせる印象の一人の男。
その印象は正しく、竜車の前に仁王立ちする人物の見た目のそれも裏切らない。
逆立った短い金髪に、額の白い傷跡が目立つ。鋭い目つきはここにいないスバルに負けず劣らず獰猛で、ネコ科の猛獣のような犬歯がやけに白い。猫背に丸めた背丈は男性にしては低く、だが小柄であることを他者に侮らせないぐらいには猛々しい鬼気が全身から漏れ出していた。
「どこの誰だか知らねェが、『突き抜ける杭ほど先細って脆い』ってやつだな」
「……はい?」
聞いたことのない言い回しに呆けた声を出すと、それを聞いた相手はビビっているとでも判断したのか「はッ」と息を抜くように笑い、
「あァ? ビビってんなよ、おい。確かにてめェらは運が悪ィ。なにせ、忍び込もうとした場所が場所で、おまけに出会っちまったのが俺様だってんだからな」
男は獰猛に笑い、牙を鳴らすように歯を噛み合わせると、己の拳を力強く重ねて身を低くし戦闘態勢。その姿勢のまま、言葉のないこちらを見上げ、
「このガーフィール様の前に出たのが運の尽きだ。『右へ左へ流れるバゾマゾ』みたいになっちまいな!」
「ちょ、待った! 話を! ガーフィール!? キミが!?」
「『めくってもめくってもカルランの青い肌』聞く耳はねぇよ!」
「意味が分から――」
制止の声に聞く耳は持たず、牙をむく男が踏み込み、次の瞬間その姿がかき消える。
踏み込みの衝撃に空気が揺れ、息を呑んだ瞬間。気づいた時には目の前の男はシャオンの前へと近づいていた。
その獰猛な眼光と目にあった瞬間、足が浮いた。
「っ!」
視界が逆さになり、強烈な浮遊感を堪能している中でようやく投げられたのだと理解する。
そこからの行動は早かった。
そのまま投げ飛ばされる前に、男の服に足をかけ、逆に投げようと力を利用する。
だが、その引っ掛けた足をガーフィールは片手で掴み取る。
「おせぇ、飛んでいきやがれッ――!」
「――間抜け!」
悪態を吐いた瞬間、
詠唱のない一撃であったこともあるが、なによりその自身の足すら貫くという攻撃方法に驚いたのか、男は掴んでいた足を離す。
必然、重力に従ってシャオンの体は地面へ落下するが、その着地の瞬間に意識を切り替えた男の蹴りがこちらの顔面を捕らえる。
間一髪左手の防御が間に合い、顔をえぐり取られることはなかった。かわりにその一撃に体が耐えきれず、転がっていくが男と距離を取れたのは腹中の幸いだ。だが。
――篭手の上から防いで、これか。
受けた左手が衝撃で麻痺し、動きがだいぶ鈍ったのを感じる。
これがあの男の小さな体から発せられたものだと考えると、苦笑いすら零れない。
総合的には勝機はあるかもしれないが、体術的にはシャオンに不利があるかもしれない。
相手もそれを感じているのか、何とか距離を詰めようとしてはいる。当然、それをさせないようにこちらも魔法を放つ構えをしているのだが。
戦闘は膠着をしている。だが、目の前の男、ガーフィールがしびれを切らして突っ込んで来たら敗れるのはシャオンかもしれない。
故に、状況の整理から始め、どう動けばいいのか考えるべきだ。そのためには、
「オットー! スバルは?」
竜車の陰に隠れているオットーに叫ぶように訊ねる。
この事態にスバルが反応しないはずがない、『死に戻り』も起きた気配は無さそうだから彼の身は大丈夫だと信じたいが。
するとオットーはハッとしたように目を開き、慌ててこちらの問いに答えた。
「いや、ナツキさんはその、急に消えて――」
「は!? 気が狂ったこと言わないでくれ!」
「ほんとですよ! 後部席が騒がしくなったなと思ったらその男が竜車を止めて、今の現状です!」
唾を飛ばしながら必死に訴える彼の表情には狂気が宿っている様子はない。ましてやからかう様子などは微塵も。
――ペテルギウスのような狂人を見ていたからわかることがあるとは。
普通に生きていたら一生知ることがなかったであろうその見分け方は、予想外のことで役に立ったようだ。
すでに死んだ、かの狂人に吐き捨てるように心の中で礼を言い、改めて状況の整理をオットーから聞き出す。
「なら行方知らずのスバルは一度置いておいて……エミリア嬢とアリシアは何で意識を失ってる?」
「それに関しては何とも……彼女たちと、それにヒナヅキさんも、気づいたら意識を失っていました。何が起こったのかは僕にもわかりません」
「それで?」
「ヒナヅキさんが一番最初に目を覚まして今の通りです。他の方はまだ意識が戻っていません。命に別状はないみたいですが……戦力の増援は期待できません」
「……オットー自身の戦力は?」
「少なくとも今の貴方方の戦闘に混ざることができるほどを期待されると……」
「心許ないかと……」と消え入りそうな声で呟くオットーに気にするなと言葉を投げる。
彼自身は戦闘力に特化したような商人ではない。下手にこの戦いに混ざればシャオンは彼を庇いながら戦う羽目になる。
なら時間を稼ぐ必要もなく、油断をしている今、畳み掛けるしかない。
「了解、なら出し惜しみ無しで全力で行く!」
膠着状態を解除させ、一撃で仕留める。
幸いにもガーフィールは警戒はしているが未だこちらに対しての油断は拭えていないと見える。
そこに、勝機が、あるいは逃げ道があるといえる。と、なればだ。
「ウル・ドーナ!」
地面を隆起させ、土の波が正面からガーフィールへと襲い掛かる。
また、逃げ場をなくすように同じように左右から土の壁も同時に生み出し、彼へと向かう。
逃げるには後退、あるいは空を飛べるなら上空もあるが、流石にそれはできないだろう。
もしもそんな真似ができるならば最初から飛んで襲ってきたはずだろう。だから残されたのは後退か、あるいは――
「やわらけぇ壁出して、舐めてんのかァ!?」
男の震脚により、シャオンの放つ土石流は止められ、別方向から迫っていた土の壁は拳の振り抜きで一掃された。
そして、魔法の残骸によって周囲に砂煙が上がる中、シャオンは自身の魔法が無残に敗れたことに表情を歪める――予想が的中したことを喜ぶように。
「破壊するだろうね。だから、土魔法を出した。そして、舐めていないさ、だから使うよ――『不可視の腕』」
静かに放たれた言葉と共に男の側頭部へ向かうのは確実に迫る強烈な一撃。
死にはしないだろうその一撃は当たれば目の前の男の意識を、戦闘能力を奪うことはできるだろう。
ぐらつく頭、赤く染まる視界を気合で無視しながらシャオンはその魔手の一撃を放つ。
「――――っ!」
何かに気付いたガーフィールは回避行動をしようと試みるが、不可能だ。
確かに彼の戦力は強大だが見えない攻撃を回避するほどの力はない、あったとしてももうすでに回避は間に合わないほどに『不可視の腕』は男に近い。
――勝った、そんな慢心が、新たに迫る人物の存在を気づかせるのに遅らせたのだろう。
「やりすぎだぞーおとーさん」
聞こえたのはソプラノボイスの高い声。
子供のようなその声、はまさに子供の容姿をした一人の少女から発せられた。
深紅の瞳を宿し、鮮やかな桃色の髪色の中に一房ほど緑色の髪が混じった少女。
服装は動きやすそうな軽装で、彼女の性格を露わにしているだろう清潔感あふれる白色のワンピース。
足先を見るのならばかわいらしい見た目相応の子供用のサンダルを履いている。
容姿だけ見れば年は10歳にも満たないだろうか、村の子供達に混ざっていても何も違和感がないだろう。
そんな子供がこの戦いの場に唐突にどこからか現れたことも驚きだが、それよりも驚くべきことは――
「――は?」
『不可視の腕』が片手で止められているのだ。その、少女によって。
今までこの一撃がまともに当たれば大抵の人間は大打撃を受けていた。今回は全力で放ったわけでもないが少なくとも片手で、ましてや少女に止められるほどの加減はしていない。
第一、見えないその一撃をどうやって彼女は認識したのだろうか、今もなおその疑問を投げかけ続けるように彼女の手は確実に不可視の腕を握っている。
理解できない光景に口を開けていると男は、こちらではなく今己の身を救ったであろう、その魔手を止めた少女に向かって激を飛ばした。
「テメェ! シャロ! 何でここに――」
「見回りと……ようやくおとーさんの気配を感じたからきたんだーそんなのもわからないのか、残念無念な頭だなーガーフィール」
鼻を得意げにならす少女、シャロはガーフィールに対して姿勢を崩さずに足戦だけそちらに向け答える。
その状態でも不可視の腕は固定されたまま動かない、動かせない。彼女の手からは全く逃げることができない。
「あァ? コイツが、か?」
「そう。それにすぐに暴力で解決するのはよくない癖だぞー、頭獣か? 体は獣だから―間違っていないんだろうけどーあと、おとーさんも手を下して。話をしたいんでしょー」
「……悪いけど、離した瞬間に二人で襲いに来られたりしたらまずいからね……」
「んー? おかしなことをいうんだなー」
心の底から何を言っているのかわからない、と目を白黒させている。
直後、吹き出したかのような笑いの後に、彼女は抑えていないもう片方の手を下へ向けた。
瞬間、それは起きた。
「シャロが本気を出せばここにいる全員、殺すことくらい簡単にできるのにー?」
「――がっ!?」
身体全身を何か重いものが抑えつけるようにのしかかる。
唐突に起きたそれに思わずシャオンは不可視の腕を解除する羽目になる。
だが、それだけでは済まないようでいまだに体にかかる重さはシャオンを襲う。
軋む四肢に鞭を打ち、奥歯をかみしめ、なんとか片膝をつける程度で済む攻撃、それはシャオンだけではなく、周囲にも影響を与えたようだ。
「チッ!」
「――ッ!?」
ガーフィールでさえ身動きができなさそうなこの重圧にオットーなどは耐えきれず、地面に頭から体を沈めている。
パトラッシュも苦しそうにうめき声をあげている、存在を知られていないだろう中の二人には影響が出ていないかもしれないが、それも完全ではない。
この感覚は、覚えがある――不可視の腕と、同様の、いやそれ以上に凶悪なものだ。
それが広範囲に、襲い掛かっている。具体的には彼女の視界に入るもの、あるいは彼女が指定した任意の相手すべてに、だろうか。
このまま押しつぶされて地面の染みとなるのだろうかと、考えた瞬間にシャロは大きく欠伸をして、
「まー、そんな殺戮やりたくないけどねー」
間の抜けた彼女の言葉と共にその重圧から解放される。
水中から地上へ出た時のような解放感と共に、息を大きく吸う。
軽い体に安堵しながらも即座に起き上がり、距離を取る。
背後には竜車と、オットー。何かあれば防げる配置だ。先ほどのようなものが連発されるのであればまた話は別だが。
あちらに戦意は無さそうだが、油断はできない。以前状況は変わらず、いや悪化しているのだ。
何か状況を打破する、新しい、誰も予想ができない一手を――そんなシャオンの願いが通じたのか、そこに新たな乱入者が現れた。
「オットー? オマエ、なんでこんなとこで……それよりエミリアは!? 他のみんなも大丈夫なのか!?」
遺跡の中から出てきたのは一人の男。
ガーフィールと同様な目つきの悪さに、急いで駆けつけたのか体中をすり傷だらけにしながら現れたその男、
「ありゃ、賢人候補も――だったらなおさら色々とまとめてはなしをしようねー。何回も話すのは―疲れるからー」
ナツキ・スバル、別名間のいい男の参入で事態は変化を迎えたのだ。
現状体術のみではガーフィール>シャオン、魔術のみではシャオン>ガーフィール。
現段階で全体的に見ればガーフィール≧シャオン。
なおシャロ含めると体術はシャロ>>ガーフィール>シャオン。魔術はシャオン>ガーフィール>>シャロ。全体含めるとシャロ>>ガーフィール≧シャオン。
あとたぶん人工精霊ではカロンが一番デレてるのがわかるのが今回の話でした。