卑下するわけではありません。意味がない部分です。
一部飛んでいる部分も、中身がないのも意味があります。
「出ていけっ!」
その叫ぶような声と共に投げられたのは小さな置時計。
予想できていた、が避けられなかったその投擲物はこちらにぶつけられる。
力いっぱい投げられたのか、一部が欠けている。当然、当てられたこちらも無事では済まない、頭部から熱いものが流れ落ちる感覚にもう慣れてしまっている。
だが、案内を担当してくれた看護婦は慣れてはいないようでどうすればいいのか動揺して右往左往だ。
とりあえず用意していたハンカチで新鮮な血をふき取る。
「俺だって来たくはなかったよ。でも、妹の頼みは断れない」
現在雛月がいるのは病院だ。
今朝話していた母親の見舞いに来たのだが、妹は調子が悪くなったのか自分一人で来ることになったのだ。
その結果が、
「うるさいうるさいうるさい! あの人が死んだのも、あの子が死んだのもお前の所為だ!」
「知ってる」
この半狂乱の母の相手だ。
「なんで、なんで、踏切に、飛び込んで」
「それは、アイツのおもちゃを拾おうとして」
そう。父親が死んだのは妹が落としたおもちゃを取ろうと、踏切の中に飛び込み、その自分を救おうと――した結果だ。
妹の為にかっこつけたかったのか、その結果がこの家族を崩壊させたのだ。
だから、自分の所為だと言われたら否定する気はない。
「――――もう二度と来るな、偽物」
そう冷たく告げられ、看護婦に半ば強制的に自分は母親の病室から連れ出される。
偽物、とはまた的を射ている表現だと、どこか他人事のように思いながら、病室の扉が閉じられるのを見送った。
□
「どう……って聞くのは野暮だね」
「お前が来てくれたらまだましだったんだがね」
病院を追い出され、時刻は夕方に変わる。
今日の夕飯の物を買っていたらこの時間になってしまったのだ。
――夕日に照らされながら、二人は歩き、踏切の遮断機が下りたせいで、その足は止まってしまう。
沈黙の中、ただただ、サイレンが響く。
「――お兄ちゃんって凄いよね」
「うん? どうしたよ」
妹の急な称賛に戸惑いながらも理由を尋ねる。
「だって、何でもできるし、できないことがあってもすぐに覚えちゃうじゃない」
唇を尖らせながら妬ましそうに半目でこちらをにらむ少女。
「それに加えて困っていたら人も動物も率先して助けに行くじゃない。聖人君子かっ!」
「はは、たいしたことないよ。俺はそこまでいい人間じゃない」
「うん、そうだね」
謙遜の意味を込め、そういうと少女は感情のこもらない声で答える。
「……否定してもらわないと悲しいな」
流石にそこで同意されるとは思わなかったので困り顔になる。その様子に少女は笑みを浮かべ、
「だって――」
少女がこちらを見つめる。
「――お兄ちゃんはお父さんを殺したもんね」
――息が、詰まる。その言葉に、その声に喉が張り付く。
辛うじて出せた声は枯れ果てたもので、ほとんど声になっていなかった。しかし、その少女はシャオンの言葉などどうでもよさそうに言葉を紡ぐ。
「お兄ちゃんがいなければ、お父さんは死ななかった。お母さんは狂わなかった。かっこつけて私のおもちゃを取ろうとして、お父さんと私が止めるのも聞かないで飛び込んで」
その言葉とともに二つの影が少女の足元から生まれる。いや、影というよりは泥のようなそんな色をした人影だ。
一つは男性、もう一つは女性だ。どちらも責め立てるようにこちらを見てくる。
「代わりに二人が死んだ――お兄ちゃんさえいなければ――」
あまりの苦しさに意識が保てなくなったころ、少女は小さくつぶやく。
「――こんなことにはならなかったのに」
小さな声で発せられたその言葉は、なぜか今までの中で一番はっきり聞こえた。
「あ、ああ、そうだな」
ふらつく頭を無理やり覚醒させ、小さくつぶやく。
しかしその言葉は少女に、妹に、花音に届いたようだ。
「へぇ」
「俺がお前を殺したようなものだ、
「――認めるんだ」
ケラケラと笑いながらこちらを煽るように顔面をのぞき込む。
「それで、開き直り? 認めたなら罪は償いなよ。ほら、踏切は近くにある、飛び込みなよ」
「おいおい、やめろよ。幻覚とはいえ似ていないぞ」
「は、何が――」
「いや、幻覚と言うよりは正確には俺の記憶か――全て思い出したんだよ」
母親の一撃を受けてから違和感を覚えてはいたが、確信したのは今の妹の言葉だ。
以前、どこかで夢で見たような光景。これは雛月沙音が隠したい、見たくないトラウマの内容だ。
だが、ここまで酷いものではないはずだ。変に脚色が加えられている。
そんなことをしたのは――
「攻め方が陰湿すぎる、俺の記憶の妹はそこまで性格が悪くない。ということはこの性悪さはお前の仕業だろ、エキドナ」
「――もっと、驚いてくれるものと思っていたんだけどね」
踏切のサイレンが鳴り響く中、その声は妙に通った。
「――一応は君の記憶を再現したんだけどね」
言葉の発信者は妹だ。
しかし声も仕草も、持つ雰囲気も異なる。
異なるだけで、その重圧さを持つ者の正体はわかる。そう、先ほども口にした魔女――エキドナだ。
「さて、結論としては?」
「――雛月沙音。いや、雛月花音はあの日死んでいる」
雛月花音。
それは雛月沙音の妹の名前だ。
母の正気を保とうとごまかしていた、正確には母親を守るために死んだ妹の名前を借りてなり替わっていただけだ。
もうそれすらも彼女には効かなかったようだが。
長い髪は花音に自身以外の髪をいじりたいからと、頼まれていたから守っているだけだ。
彼女が生きていた時は断っていたが、せめてもの償いか、それとも罪悪感からか女性のように今は長く伸び切っている。
「ああ。ここが魔女の試練で、そしてこれは俺の過去か」
「――そうだ、『表の第一の試練』。過去と向き合った結果。――自分の過去と向き合う時間は、君になにをもたらしたかな? 君は、どう選択する? トラウマに囚われるのか、それとも進んで行くのか」
妹――いや、魔女。エキドナは楽し気に笑うのだ。
□
いつの間にか伸びていた二つの影は消えていた。
アレも自身の想像によるものなのか、それとも魔女の能力によるものなのだろうかはわからない。
それよりも、今は。
「……この世界の完成度ってどれくらい? 妹が恨んでいたのって本当?」
「雛月沙音。君の妹が抱いていた感情は実際の所ボクでもわからない。あくまでも知識と記憶だけを吸い上げて作り上げた虚構の世界だ。君が知らないことはわからないし、君がそう思うこと、考えていた推測に合うように作っているだけだ」
「本能的に考えないようにしていることも使ってね」と付け加える。
そうなると花音は恨んでいた事実は沙音の妄想だった可能性もある訳だ。
なんだ、気にし過ぎか、とは割り切れない。
自身の所為で死んでしまったのは事実なのだ、気にしすぎることは当然のことだろう。
「改めて、答えを聞こうか。急かすようで申し訳ないけど『まだ続きがある』のでね」
「続き?」
「ああ、気にしなくていいこちらの話だ」
エキドナが口を滑らせたかのようにわざとらしく口元を抑える。
気にはなるが追及しても逃げられるだろう。ならば時間の無駄になる。だから、まずは求めている解答を告げる
「妹が恨んでいたのなら、その恨みは受ける。俺は、あの二人のことを忘れない……もう、本当の意味では手遅れかもしれないけど。俺は雛月沙音。花音は死んだ。もう、どこにもいない。それを受け入れる。そして、いつかあの二人も風化していく」
でも、
「――俺は、ここにいる。妹を覚えている、父さんを覚えている俺は生きている」
元の世界には戻れないのかもしれないけれど、それだけは大事にしていく。
少なくとも自身の大切な存在が生きていたことを覚えていることはしていきたい。
「……誰しも、過去に後悔を抱えている。日々を生きていれば、後悔を得ない存在などあるはずもない。今日は昨日のことを、昨日はさらに過去のことを、そして明日になればきっと今日のことを後悔している。――人には、後悔する機能があるからね」
「でもその後悔の積み重ねが必ず反省に繋がり、成功へとつながる」
どこかで聞いた言葉を口にする。
漫画やライトノベルからの引用だったのかもしれない、すんなりと口にはできた。少し恥ずかしいが。
だが、エキドナはからかう様子もなく、ポカンという表現があっているように口を開けたまま固まっている。
「ん、なんだよ。変なこと言ったか?」
「いや、やはり中身は同じなんだな、と」
クスリと一度笑い、改めて劇を再開するように、大げさに手を広げエキドナは続けた。
「そう仕方のないことなんだ。昨日の自分は、今日の自分より絶対に無知なのだから。今日の自分は、明日の自分より絶対的に知っている知識が少ないのだから。知識の総量、思い出の数一つであっても、過去は現在と未来に劣っている。故に過去と向き合ったとき、あるいは向き合うべき過去に出会ったとき、人は迷い、惑い、嘆き、苦しみ、悲嘆し、悲観し、その上で答えを出す。その上で出た答えであるのなら、ボクはどんな答えであっても肯定しよう。背を向けて出した答えでも、前のめりに手を伸ばして得た答えでも、過去を乗り越えた証には違いない」
「それが、この『試練』の目的」
沙音の言葉に満足げに頷くエキドナ。
気分が高揚しているのか花マルを宙で書くほどだ。
「なら、この試練の答えは決まっている。もう俺は前に進む」
「まったく……もう少し悩んでほしいもんだ」
エキドナは諦めたように首を振って微笑し、手を伸ばしてくる。
「これは?」
「握手、だ。君の世界では頑張ったものに送るものでもあるのだろう? 本当の意味で『試練』の一つは終わりだ。君は魔女の魔の手をからくも逃れた」
「そりゃどうも……これで一つか、第二の試練もあるとか憂鬱だよ」
握手に応じながらもこれから先、挑む必要である見たこともない試練を想像して項垂れる。
そこでエキドナは、初めて楽しげに笑う。
その様子に首をかしげると、
「勘違いをしている点が一つ――」
エキドナがある言葉をつぶやく。
「――え?」
その言葉の意味を聞く前に、向かう先、徐々に徐々に世界は白くなり、遠くなり、そして――。
□
「――ここは」
広がるのは人がにぎわう町、のどこかの飲食店だ。
飲食店と言うよりはおざなりなものだが、ルグニカや日本が進み過ぎていたのだろう。
だが、それは重要でない。重要な情報ではない。
「――シャオン様、どう、なさいましたか」
声をかけてくるのは近くに控えていた一人の少女。銀色に輝く瞳は今までに見たこともない部族の少女だとわかる。少なくとも日本では見たことはない。
勿論、異世界、ルグニカでもだ。袖余りの官服を身にまとい、ボロボロであるが乱雑に扱われているのではなく大切に着続けられたことによるものだと推測できる。
見覚えはない。
「ここ、ですか? バルバという街ですよ……ああ、忘れていても仕方ないです。疲れがたまっているんです。仕方ないですよ」
彼女は笑顔を向けて励ましてくる。
その太陽な笑みのおかげか、僅かに心に余裕が生まれる。
そしてそのほんの少しの余裕を消費するように、改めてここがどこか訊ねようとすると、
「えっと、『選定』はあとどれくらいですかね。これで3つの部族を消滅させましたが」
「しょう、めつ?」
「? ええ。『選定』ですよ? どうかなさいましたか?」
繰り返す単語に意味が分からないという様子の少女。
絶句していると、
「ベネト、シャオン様が気にしているのはそのことではない」
「ドゥーベ、それじゃあなんなのさ。消し残しがあったとか?」
背後から現れた青年が、べネトと呼ばれた少女の頭を軽く叩いた。
シャオンの倍近くはありそうな身長の青年は、こちらの頭を軽く握りつぶせそうなほどの大きさの掌を広げ、数を数えるようにして話す。
「3つの一族ではない。正確には九千五百四十二、の魂だ……お次は魔眼族ですが、その様子ならば、休憩を取りましょうか、シャオン様」
そう口に知る青年。ドゥーベと呼ばれた青年は、こちらの気にしていることとは見当違いのことを口にしながらも、体調を気遣う。
その仕草はこちらを思いやるものであり、本心からこちらを心配しているようだ。
「九千……?」
「はっ!? もしや数え間違いをしていましたか!? かくなる上は、役に立たないこの目を――」
「やめてやめて! そんなスプラッターな光景は私とシャオン様のいないところでやって! ついでに死んで!」
「なんだと! べネト! ついでに死ぬほど私の命は安いのか!?」
「安いよ!」
「そうか、そうなのか……」
「いや、冗談だからさ。そう、沈まないでよ」
喜劇のようなやり取りをしつつもシャオンは頭が追い付かない。
そこで気づく。いつの間にか周囲に人があつまり、「なんだいつものやりとりか」やら「シャオン様がつかれるなんて珍しい」だとかが話に上がる。
そんなことにかまう余裕はない。先ほどできた余裕などでは足りないほどの理解不明が、心労が容赦なく、こちらを呑み込んだ。
だから、
「――エキドナ」
唯一この状況を知っているであろう魔女の名を口にする。
返答はない、ないが、
「どういうことだよっ!!エキドナァア!」
叫ぶことしか、無知なシャオンにはできない。
いったいこれは何なのだろうか、今見ている、体験していることは何なのか、その答え――先ほど彼女がつぶやいた言葉を思い出す。
――試練はまだ続くよ、だって今のは『雛月沙音』の過去だ。これから起きるのは、『シャオン』の記憶だ、オド・ラグナの化身であり『魔眼族』を滅ぼす狂人であり、世界の価値を計る『怪人』。その罪と栄光の過去だ。
『頑張ってくれよ、私の可愛い弟子』
そう、いつもと変わらない笑みを浮かんでいる魔女の表情と共に、シャオンは一度気を失うのだった。
――第一の試練、後半戦開始。
ここからが意味のある話です。
ここからが『シャオン』の過去です