「祈りをここに」
怪人はつぶやく。
そして同調するように旅団も同じように呟き、祈祷の態勢を取る。
祈りの先は、先の町『シアタ』だ。
「232名の魂を循環する」
機械的に、意味の分からない。言葉がただ紡がれる。
「恨むといい、嘆くといい、縋ることは止めはしない。すべては一瞬のうちに行われる――我は正義ではない。我は悪ではない。故に、平等に審判を下すもの」
「全て、我が元、オド・ラグナへ還るといい」
その呟きを最後に、『怪人』は腕を払う。
まるで虫でも追い払うような直線的な動き。十字を切るようにも見えると思ったのはシャオンの気の所為だろうか。
そして、
「アル・フォリス」
小さくつぶやくその言葉と共に無数の魔法陣が町を覆い、空から光が『落ちた』
◇
その光が町を壊滅させるのに、いや、町という『存在』を消滅させるのには数秒もかからなかっただろう。
そんな短時間の中。
吐き気が止まらず、おもわず倒れ込んでしまう。
恐らく、巻き込まれた、今命が失われた者の声が、シャオンに流れ込んでくる。
魔法による副作用なのか、それともわからない。頭の中に流れ込んでくる。
悲鳴、怒声、鳴き声、阿鼻叫喚。
その中には昼まであった少女の声も、お世話になった店主の声も聞こえてくる。
「……いったい」
小さくつぶやく。
周囲にかまう余裕はない。と言うよりも誰も気にしていないようだ。
吐瀉物にまみれながらも、シャオンは呟く。
「いったい、これをみせて、どうしろって言うんだよ……」
うめく声は誰にも届かない。
誰にもこの気持ちはわからない、この光景の意味のなさに、気づくことができない。
そんな中、こちらに反応を示した人物がいた。
それは――黒い服を着た女性。エキドナだ。
そこでようやく気付く、周囲の時間が止まっていると。どうやら彼女が一時的にこの光景を止めたようだ。
まるで、ビデオの一時停止のように。
そんな感想を抱いていると、エキドナは興味深そうにうずくまるこちらの表情をのぞき込む。
「思ったよりも、堪えているじゃないか」
「あ、たりまえだ。当たり前だっ! なんで、こんな、こんな……」
こんな――意味のない虐殺を、シャオンに見せてくるのだ。
全く別人の、過去の、しかも別世界の人物の記憶を見せて何の意味があるのだろうか。
苦しめるだけならばなるほど、魔女らしい。だが、この性悪魔女はそんなことすら考えている様子はないようでなおさら意味が分からない。
「これは、試練を行うための前準備さ」
「は?」
「君は少し特殊だからね」
苦笑しながらもエキドナは続ける。
「シャオンが後悔する場面はこの少し先にある。とある女性との出会いだ」
「その場面について、君は答えを出さなければならない。どんな答えでも構わないけども必ず、ね」
「ただそのためには、『怪人』様がどんな人か知る必要がある、と」
つまり、今この光景は『怪人』シャオンがどのような人物なのかを知るための、所謂『あらすじ』みたいなものなのだろうか。
本筋には一切触れていない、試練はまだ始まってすらいないのだ。
だが、そんな全く知らない人物の過去を見なければいけないのか、と抗議をしようとするよりも先にエキドナが口を開く。
「その通り。そのまま出してもよかったんだが……それを試練と出すためには今の君は不安定すぎる」
「そりゃそうだ、元の世界……あー、とある事情であの『シャオン』と俺が同一人物であることはないんだ。名前は同じでもね」
「それは――異世界から来ているからかい?」
「――――しって、いるのか?」
自身の発した言葉の意味を、一文字ずつなぞるようにエキドナは唇に触れる。
「大変興味深いものだと思うよ。単なる夢物語で片づけられない。”もう一人”も同じ経験をしているのだから疑うつもりはないさ。でも問題はそこじゃない」
エキドナは面白そうに微笑む。
その脳裏に映るのはあの目つきの悪い少年のことだろう。あるいは、別の過去の被害者か。
真相は彼女の心の中。わかることはない。だが、それよりも、
「……何が言いたい」
彼女が今自分に何を伝えたいのかわからない。
異世界の存在については試練の最中で知った知識だろう。それを見せびらかすだけに現れるなんてことはこの魔女はしない、だろう。
「いや、一つ疑問があってね。それの解消さ」
「疑問?」
「――君は何故自分が異世界から来たと思っているんだい?」
その言葉に、世界が止まった。
□
「は?」
「子供が物語に投影するのは仕方ないと思うが、君はそう言う年じゃないだろう?」
「そ、んなわけあるかっ!」
考える間もなく馬鹿にされたとわかる言い方に、単調に言い返す。
「お前だって第一の試練で見ただろう!? あの、過去を」
「確かにアレは君が感じていた、経験した過去だろう。ただ、それが”真実”か”妄想”かはわからないが」
絶句する。
自身の見せた、思ったあの過去が、偽物である、とこの魔女はいっているのだろうか。
「ふざけるなよ」
「ふざけていないさ。あくまでボクが見せたのは君が見ていた、想像していた、感じていた『記憶』や『知識』を元に構築しただけだ。『真実』はない。故に、あの試練に出てくる人物がどのように思い、行動したのかはボクにも予想ができないのさ」
殺意と共に静かに怒りを伝えるシャオンに対して屁でもない様に受け流すエキドナ。流石は歴戦の魔女、怯みもしない。
「だけど、あれが”妄想”であるなんて言いきれることはないだろ」
「なら、他にボクに話せる過去、思い出話はあるかい?」
「当たり前だ! 例えば――」
例えば?
例えば、何だろう。何かあったか? 確実に、自分がこの世界の人間でないことを伝えられる事実が。
母親との思い出、思い出せない。
父親との思い出、自身をもって言い出せない。
妹との思い出、あれ以外に何もない。
学生生活、はなんだろう?
『まぁいろいろあったのさ。もう少し好感度が高ければ固有イベントに入って教えてあげていたんろうけど』
いつかスバルに話した言葉だ。
そんな、色々なんてあったのか? 本当は何もなくて、話せなかっただけじゃないのか?
それに、シャオンは、自分はスバルと違ってコンビニ帰りにこの世界に来たなんて記憶はない。
――いつの間にかこの世界にいただけだ。
まるで、最初からいるのが当たり前の、そんな感覚。
元の世界から抜け出たなんて感覚、シャオンにはない。
「そ、そうだ、ミーティアが、いや、スマホが――」
ふと、思いついたのは一筋の希望のようなもの。
アナスタシアとの交渉で用いたスマホ。
白鯨の一件の後すぐに渡そうとしていたが、聖域の騒動で後回しになっていた。彼女自身も利子をつけて取り返そうとしている説があるのかもしれないが。
今はそれが助かる。それがあれば、この世界にはない『スマホ』の存在が、それを持つシャオンの存在が異世界から来たことの証明に――
そんな、大事なものがかたんと、音を立てて落ちる。
それは
「――なんでお前がそれを」
「これがボク……ワタシのものだからね」
目の前にいる女性、エキドナ。
この世界の住人である彼女が自身と同じものを持っているのだ。
自身が異世界から来たことを証明するためのものを。
「――君が”ワタシ”にくれたものだよ。試作品らしいけど」
「な、中身を見せてもらっても」
「構わないよ?」
文字通り奪い取るようにエキドナからスマホ、もとい『ミーティア』を取る。
そこに映るのはただの無機質なデジタルな表示だけだ。この世界にとってはオーバーテクノロージーには違いないが、シャオンが持つスマホとはレベルが違う。
模造品、『この世界で集められるだけの知識を集合させて作ったこの世界の物』に違いない。
安心して、自身のスマホを見る。見てしまう。
「どうしたんだい? まるで、見てはいけないものを見てしまったかのような表情を浮かべて」
うるさい。それどころでないのだ。
シャオンの持つスマホ。
それはこの世界とは違う、スバルと同じ世界で作られたもの、シャオンがいた世界で作られたものだ。
だが、その知識の集合体。無機質な塊は――表示だけだ。
中身はほとんど何もない。
圏外だからとかそう言うレベルではない。エキドナが持つ『スマホ』と自身の『スマホ』を比較すると全く変わらない。
「――――ぁ」
もともとこのスマホは、ミーティアは『ガワ』だけだ。
スバルもあくまで外側しか見ていなかった。だから気づかなかった。
他のこの世界の住人は見てもそもそも違和感を持たない。
なら、シャオンは、雛月沙音は、なぜそれを気づかなかった? いや、気づこうとしなかった?
まるで、それを認めてしまうことで、何かが壊れてしまうのを恐れるように。
まるで、真実を直視することで、もう一人の自分が出てくるのを恐れるように。
魔法が、解ける。現実逃避と言う魔法が。
同じ名前、『怪人』、魔法の適正、妙な能力、父と尊敬する人物、思い出せない過去。
繋がりそうで繋がらなかった事実。それがすべて一つの真実によって解決する。
「あ、あぁ」
まるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるで。
まるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるでまるで。
「あ、あ、あ」
――とうの昔に、自分は、『この世界の住人』であるということに、『怪人』であるということに気付きたくなかっただけじゃないか。
「あ。あっ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアぁアァ――――!」
喉が痛くなるほどに叫ぶ。
涙が出る。生理的現象だ。だが、とまらない、気を保つためにそれを止めてはならない。
視界にひびが入る。血涙が出る。でも止められない。
止めてはいけない。
「――――――ッ――――!」
息が止まりそうになる。いいや、止めても構わない。
この現実を認めるならば息を止めてでも――
――大丈夫だよ。シャオンくん。
優しい陽だまりのような、心地よい声。ずっと耳を傾けていたくなるような声が、響く。
――これは悪い夢、今はゆっくり休んで。ね?
悪い夢。
そうか、これは悪い夢なのかもしれない
唐突に投げられた言葉は、たった一言で、水面に溶けていくように広がっていく。
彼女の言葉ならば、信じられる。彼女の言葉だったら身を任せてもいいかもしれない。
そう彼女なら、彼女ならば――
「――カぁみら」
枯れた声でつぶやく愛しい彼女の名前。
呟くと同時に、まるでその場でずっと見ていたかのように。まるで、名前を呼んでくれるのを待っていてくれたかのように彼女はすぐそばにいた。
淡い桃色に光る彼女。詳しくは今は思い出せない。が、大切な少女。
その彼女が浮かばせた笑顔を最後に、雛月沙音の意識は途絶えた。
◇
エキドナはつまらなさそうに息を零す。
目の前で倒れる『白髪』の少年だ。
見た目は確実に『彼』、中身は目覚めてみないとわからない。
こういうのを彼の言うところの『シュレディンガーの猫』と言うのだろうか。
「さて……どういうつもりだい?」
隠せない不満の色。
それをぶつけるのは、おどおどとこちらを見ようとしない同族の『魔女』だ。
倒れ込んだ彼をいそいそと自身の膝にのせて頭を撫でている。
その様子に満足げに鼻を鳴らしている彼女は貴重だろう。
「今、君が行ったことは彼の意思を無視した残虐極まりない行為だ。何をしたのかわかっているのかい? いや、わかっていないんだろうね。わかっているならば君ならそんな行動しない」
なおも沈黙をしている彼女に珍しくエキドナは責め立てるように言葉をつなげていく。
「試練は失敗だよ。君の所為でね。何か申し開きはあるかい――『色欲の魔女』カーミラ」
『色欲の魔女』。
そう呼ばれた彼女は薄紅の髪を揺らしながら、こちらを見る。
たれ目が特徴の、気弱そうな雰囲気のある少女。しかし、油断はできない友人であり、魔女だ。
そんな彼女がようやく、おどおどとした態度を崩さずに答える。
「え、えっとね。エキドナ、ちゃん。ま、まずね。試練な、んて、ね。どう、でもいいの。わ、私は」
「ただ」とそこだけは堂々とした態度で、
「――シャオンくんが苦しむのは見たくない。それ以外は、どうでもいいの」
濁りのない真紅の瞳で、優しく想い人の頭を撫でる少女がいただけだ。
「彼は君の知る『彼』になれていないけども?」
「そうかもしれないね――――でも、それよりも、エキドナちゃん、は、シャオンくんを傷つけたよね? この、シャオンくんも」
「――ッ!」
その瞬間。エキドナの腕は捻じ切れた。
いや、正確にはエキドナ自身が無意識に腕をねじ切ったのだろう、彼女の持つ『権能』によって。
「なるほど、我が弟子は良くも悪くも素晴らしい使い方を学ばせたようだね」
切断された腕から滴る血を止め、すぐ様にかわりの腕を生やす。ここが自身の管理する世界でなかった場合はまずかったが、不幸中の幸い、ここはエキドナの城だ。
ある程度の無茶はきく。勿論、カーミラをこの場所からはじき出すことだって。
しかし、それをする必要はない、とばかりにカーミラの意識はエキドナに向いていない。
それに、世界がゆっくりと造形を崩していく。この試練の挑戦者の意識が目覚める傾向である証明だ。
「だ、いじょうぶ。だよ? もう、シャオン、くん。起きるようだし。だから、私、も」
「……自然とこの場所からは出ていく、か。自己愛の塊と言うよりもわがままになっただけじゃないかい?」
からかうように、意趣返しとでも言いたげにエキドナはカーミラにそう告げる。
対して彼女はにっこりと笑みを浮かべて、
「――恋は、愛は平等に変えるんだよ」
そう言い残し世界と共に消えた。
残されたのは横になっているシャオンと。自身のみだ。
「――さて」
『怪人』と『寄り添うもの』。今、彼には二つの可能性、人格がある。
カーミラの所為で今は確立されていないそれがどうなるのかわからない。ただ、この試練の場から出た時に片方の人格が現れるのは確実だろう。
それほどまでに『怪人』の記憶と、エキドナが付きつけた事実、と言うよりも逃げていた現実を突きつけられたことは衝撃的だったのだろう。
「どちらが、目覚めるのかな」
それを見届けられないのが残念だ、とエキドナは思い、試練の場を、城を閉じたのだった。
倒れ込んだ彼をいそいそと自身の膝にのせて頭を撫でている。
その様子に満足げに鼻を鳴らしている彼女は貴重だろう。
可愛いよね。カーミラ