互いに猛烈な印象を与えただろう出会いのあと、二人は盗品蔵の中に招き入れられていた。
入口から入ってすぐのカウンター、そこに備えつけられた来客用の固定椅子に座り、居心地悪く尻の位置を直す。
「なんじゃさっきからもじもじしおって……タマの位置がそんなに気になるか」
「別にチンポジ気にしてるわけじゃねぇよ。ってか、下で会話始めんなよ。あと菓子全部食うな」
スバルが落ち着かないのもわかる。この椅子の座る部分がささくれだっているせいで、動かさなくても尻に鋭い刺激があるのだ。贅沢は言っていられないがもう少しましなものはなかったのかと思う。
文句を言っても仕方ないので我慢しながら視線を前に向ける。
カウンターの向こう、本来なら店主の定位置となる場所に立つのは大柄の老人だ。彼はその筋骨隆々な体からすると小さな菓子袋を持ち上げ、注ぐように豪快に食べていた。
「あーっ! 全部食いやがったな!?」
「なんじゃケチ臭い。こんなうまいもんをひとり占めなんぞ、地獄に落ちるぞい」
「そんなうまい他人のものを勝手に食うジジイは地獄に落ちないのか。スバルくんは疑問に思うのですが」
「年寄りは敬えばこれぐらい許すのが当たり前じゃぞ。まったくこれだから若い奴は……うまうま」
身を乗り出して腕を伸ばし、どうにか老人の腕から菓子袋を奪い取る。が、すでに中身の大半は老人の腹の中に収められたあとだ。有るのはもう少しの欠片のみだ。
「ああ……貴重なコンポタが。もう二度と味わえないかもしんないのに」
「なんじゃ、そんな貴重な食い物だったか。なんじゃったら残りは複製魔法でも依頼したらどうじゃ」
「複製魔法?」
聞きなれない言葉に項垂れるスバルを余所に聞き返す。
「ひとつの物を二つに増やす魔法じゃな。生き物なんかだと真似できるのはガワだけじゃが、食い物あたりなら複製できるんじゃないかの」
「味は劣化するかもしれんが」とつけたし、指についたコンポタの粉を舐めながらの老人の言葉に、魔法の便利さをさらに思い知る。
複製魔法、治療魔法に氷の魔法。恐らくは風や土、炎等の魔法もあるのだろう。あらゆる意味で万能なんだなとシャオンは感心する。
ふと、なんとなく室内をぐるりとひとめぐりしていた。勿論、スバルもだ。
夕刻の盗品蔵――そこに、スバルが語った惨劇の跡は一切感じられない。統一感ゼロの品々が所狭しと並び、蔵の中の広いスペースを無造作に覆い尽くしている。
そんな視線に気付いたのか、目の前の老人は意味ありげに目を細めて、
「なんじゃ小僧ども――盗品に、興味があるのか?」
と、こちらの核心を突いてきた。
大柄の老人――ロムと名乗った人物との交渉は思いのほかスムーズに進んだ。用事があって訪れたこと、盗品蔵の噂話を聞いてきたこと、それらを伝えてロム爺に納得してもらい、こうして互いにカウンターについている。
カウンターの向こう、ロム爺はそのたくましい腕を台の上に乗せて、薄汚れたグラスに酒を注ぎながら小さく笑い、
「ま、ここにくる奴の目的なんぞ二つにひとつ。盗品を持ち込むか、盗品自体に用があるか――そのどっちかじゃからの」
「確かに、目的の一個はそれだ」
「一個? んじゃ別の用件もあるってことかの?」
スバルの条件付きの肯定にロム爺の片眉が上がる。
「その前にちょいとタイム……シャオン」
「なんだい?」
神妙そうな表情でこちらに小声で声をかけるスバルに嫌な予感を感じながら耳を傾ける。
「ロム爺に会って思い出せたんだが、この爺さんも死んでいた。蔵の中で」
驚きを顔に出さなかったのは奇跡に近かったかもしれない。
「……OK。んで?スバル。確認するのか?」
スバルは頷き、それから躊躇いがちに、馬鹿にされるのを覚悟で問いを作った。それは、
「馬鹿げた話なんだが……爺さん、最近、死んだことないか?」
「アホ」
余りにも直接的に訊ねたスバルの頭を反射的にはたく。文句がありそうにこちらをにらむスバルにため息をつく。
「そんまま訊く奴がいるか」
「しゃあねぇだろ、上手い聞き方思い付かなかったんだから。それに案外シンプルが一番いいかもしれないぜ」
スバルの問いと視線を受け、ロム爺はしばしその灰色がかった双眸を見開き、それからふと時間が動き出したように破顔した。
「がははは、何を言い出すかと思えば。確かに死にかけのジジイなのは認めるが、あいにくと死んだ経験はまだないな。この歳になればもう遠い話じゃないと思うがの」
「なんつージョークだよ」
当人以外は笑えないジョークを口にしながら、ロム爺は「飲むか?」とグラスをスバルの方にも勧める。つんと鼻を突くアルコール臭を手振りで遠慮して、スバルは「悪い」と言葉少なに今の発言を詫びる。
今、こうして言葉を交わしているロム爺だが――スバルの話では彼の死体を見たらしい。
しかし、その話を否定するように、ロム爺はスバルの目の前で大柄な体を窮屈そうにカウンターの中に押し込めている。グラスを傾ける赤ら顔には確かに血の気が通い、死とは程遠い顔色だ。
――どこからどう見てもロム爺は間違いなく生きている。
ちらりとスバルのほうに視線を向けると頭を押さえながら目にわかるように狼狽している。
「あの感覚の全部が、夢だってのか……? だったらどっからどこまでが夢で、俺はどうしてこんな世界にいるんだよ」
焦燥感が忘れさせていただろう泣き言が、腰を落ち着かせる場所を得てこみあげてきたのだろう。若干の現実逃避をしているスバルのためにシャオンはロム爺に一つの確認をする。
「ロム爺さん、ここで銀髪の女の子を見てないか?」
偽サテラが存在すれば夢でないとスバルも確認できるだろう。だがロム爺は首をひねり、
「銀髪……? いや、見とらんな。そんな
がはは、とロム爺は豪気に笑い飛ばすが、それを受ける二人の表情は優れない。
その態度に真剣さを感じ取ったのか、ロム爺はぴたりと笑いを止めると、
「飲め」
ずい、と再びスバルの前にグラスが突き出されていた。
空のグラスに酒瓶を傾け、なみなみと琥珀色の液体が注ぎ込まれる。それを黙って見守るスバルに対し、ロム爺はもう一度「飲め」と短く言った。
「悪ぃけど、そんな気分じゃねぇよ。それに酒飲んで悪ぶるほどガキじゃねえんだ」
そのスバルに言葉に鼻で笑い、
「阿呆が。酒飲んで悪ぶれんのをガキと言うんじゃ。グイッと飲んで、腹の内側を燃やしてみろ。熱さに耐え切れなくなって、色んなもんが吐き出てくる」
「だから飲め」とロム爺は三度、グラスをスバルの方に押しやってくる。
その強硬な態度に気圧され、グラスを手に取り、赤い色の液体に鼻を近づける。濃厚なアルコール臭が鼻孔を鋭く叩き、思わずむせそうになってスバルは渋い顔。だが、そんな否定のスタンスを作る一方で、ロム爺の言葉に従ってしまいたい、と葛藤しているのがわかる。
「ええい……ままよ!」
スバルはグラスを傾けて、酒を一気に喉に向かって流し込む。
「っぷはぁ! があ! マズイ! 熱い! クソマズイ! ああ、マズイ! もう一杯何て言えねぇ‼」
「何回も言うな、罰当たりが! 酒の味がわからん奴は人生の楽しみ方の半分がわからん愚か者じゃぞ。ほれお前さんも」
「あ、すいません」
シャオンも渡されたグラスに酒を注ぎ口にする。度数がどれほどの酒だったのかわからないが、直後に全身が火照るのを感じる。酒のとおった喉がやけどしたように感じる。味の良しあしというよりも度数が強すぎる気がする。下手をすれば消毒用アルコールのような感じすらある。
酒にはあまり詳しくないが、この酒の感想を述べるとすると
「……うん、不味い」
「なんじゃと!」
こみ上げる熱を吐き出すスバルと素直な感想を述べたシャオンに、ロム爺は怒鳴りながら同じく酒を口にする。豪快に、グラスに注がずに酒瓶をひっくり返してラッパ飲みだ。
シャオン等の飲んだ量のゆうに三倍以上を喉に通して、荒っぽいげっぷをして老人は笑う。
「てか俺ら未成年飲酒じゃね? 憲兵に捕まってゲームオーバー?」
「この世界では法律がどうかわからないからなぁ。ま、俺は二十一だから大丈夫だと思うが」
「マジで!? お前俺より年上!?」
「言ってなかった?」
「まじか、同年代かと」
信じていた仲間に裏切られショックを隠せないスバル。だが先ほどまで受けていたショックからは抜け出せていいるようだ。
「これで、ちったぁ吐き出せそうな気がするか?」
「……ああ! ちっとだけな! 爺さん、もう一個の目的の方を果たすぜ」
笑いかけてくる老人から顔を背けて、スバルはこぼれた酒を袖で拭いながら蔵の奥を指差す。そちらにはそこらに転がる粗悪品と違い、値の張る盗品が置かれているはずだ。
ロム爺の顔が真剣味を帯びる。それを見ながら、スバルもまたはっきりと、
「宝石が埋め込まれた徽章を探してる。――それを譲ってもらいたい」
己の目的を言葉にして告げた。
当初の目的――サテラと名を偽った少女、彼女の安否の確認とは別に、ここへ訪れた本来の理由だ。
盗まれたという宝石入りの徽章。理由こそ知りはしないが、彼女にとっては危険を冒してでも取り戻す必要のある一品。
貧民街に持ち込まれた盗品ならば、必ずここを通ると聞いてきたのだ。せめて徽章が実在してくれれば、今までのことが全て夢だという下らないオチは免れるのだが。
そんな縋るような思いを込めた要求に対し、ロム爺はしかし難しい顔をして、
「宝石の入った徽章……いや、悪いがそんな品物は持ち込まれておらんぞ」
「……本当にか? よく思い出せよ。ボケてんじゃねぇのか、ガタがきて。それか酒の飲み過ぎ」
「まて、スバル。ロム爺、持ち込まれてはいないんだね?」
シャオンの問いかけに、ロム爺は意味ありげにニヤリと笑い、
「お前さんは鋭いのぉ。そう、実は今日は大口の持ち込みがある、そう聞いておる。――宝石入りの徽章とやらなら、十分にその可能性がある」
「持ち込むのはひょっとして……フェルトって子か?」
「なんじゃ、しっておるのか?」
「ああ、見事に盗んだ相手だよ」
拍子抜けしたようなロム爺の言葉に、スバルは思わずガッツポーズをとる。徽章を盗んだと思われる少女、フェルトの名前がここで出たのだ。ならば当然、徽章を盗まれたあの少女の存在を証明することもできる。夢などではないのだ。
「妙な安心しとるとこ悪いが、持ち込まれてきたもんをお前さんが買い取れるかどうかはまた別の話じゃぞ? 宝石付きの徽章となれば、それなりの値でさばけるだろうしの」
「ハッ! いくら足下見たって無駄だぜ。なにせ俺は一文無し!」
「話にならんじゃろうが!」
いざ交渉で値を釣り上げようとでも思っていたのか、肩すかしを食ったようにロム爺が怒鳴る。が、スバルはそんなロム爺に対して立てた指を左右に振り、
「ちっちっち。確かに俺は金はない。だ・け・ど! 世の中、物を手に入れる手段はお金だけじゃない」
チラリとこちらに目配せをしてくるスバルに対して言葉を継く。
「物々交換って手段。てことで」
口を閉じるロム爺から反論はない。続きを促す沈黙に頷きで応じて、スバルはズボンのポケットをまさぐった。そして、抜き出すその手が握るのは、
「――なんじゃこれ。初めて見るの」
「これぞ、万物の時間を切り取り凍結させる魔器『ケータイ』だ!」
「お、ガラケーか。俺はスマホ」
続けてシャオンもパーカーの上ポケットからスマートフォンを取り出す。
コンパクトなサイズの白い携帯電話に黒いスマートフォン。初めて見るその姿に目を白黒させるロム爺に対し、スバルは素早く操作を入力し――直後、薄暗い店内を白光が切り裂いた。
パシャリ、と効果音が鳴り響き、光を向けられたロム爺が大げさに驚いてカウンターの向こうに転げる。そのリアクションの大きさにスバルが思わず笑うと、
「なんじゃ今のは! 殺す気か! 怪しげな真似しおって、あまりジジイを舐めるでない」
「まあ待てまあ待て。深呼吸して落ち着いて、そんでこれを見てみんしゃい」
酒とは違う原因で顔を赤くするロム爺。その迫力満載の顔面にスバルはずいと携帯の画面を押し付ける。胡乱げな目でロム爺は下がり、その小さな画面に目を凝らして――その目を見開いた。
そこに映っているのは、今、撮影したロム爺の呆け顔だ。
携帯電話のカメラ機能、それを使っての撮影。当然、そんな技術はこの世界には存在しまい。予想通り、ロム爺は食い入るように画面を見据えながら、
「これは……儂の顔、じゃな。どういうことじゃ?」
「言ったろ? 時間を切り取って凍結させるって。この道具でさっきのロム爺さんの時間を切り取って、この中に閉じ込めたんだ。ほらシャオンも」
スバルに頼まれシャオンは彼に向けてカメラを構えて撮影。
結果を知りたがるロム爺に再度画面を見せると、今度はピースサインを決めるスバルの顔が画面に表示されている。
「こんな感じで時間を切り取れるわけ。こんな無駄遣いじゃなくて、本当はもっと記念になるような絵を残すのに使われるんだけどね」
「無駄遣いって、酷くないでしょうか!?」
「なるほど……確かに、これは……ううむ」
どうやら交渉は悪くはない流れだ。その予想を保証するかのようにロム爺は携帯電話を手に取って眺めながら、つぶやく。
「初めて見るが……これが話に聞く、『ミーティア』というやつかの」
「ミーティア?」
聞き慣れない単語の出現に二人で首を傾げる。ロム爺は「うむ」と頷き、
「ゲートが開いていないものでも、魔法を使えるようにできるという道具のことじゃ。とはいえ……儂も見たのは初めてじゃがの」
ロム爺は感心したように呻き、しげしげと舐めるように見ていた携帯をカウンターへ。
それから改めてスバルに向き直ると、
「こいつの価値は確かに計り知れん。儂も長いことこの商売しとるが……ミーティアを扱うのは初めてじゃからの。じゃが……これまでにない値がつくのは間違いない。しかもそれが二つと来ている」
初めてみたそれを商売品として扱えることに興奮があるのだろう。ロム爺はわずかに声を震わせながら「それだけに」と前置きし、
「物々交換にこれを出すのは少し、いや大分お前さんらに損が大きすぎる。その徽章の価値はわからんが、これ以上ということはあるまい。単純に金額だけで比べるなら、これを売りに出した方がよっぽど得じゃぞ?」
貧民街の奥で、盗品を取りまとめてさばく裏稼業。そんな稼業の元締めをしている人物とは思えないロム爺の忠告だ。それはこの世界の知識がないに等しいシャオンたちにとって魅力的な忠告であることは間違いない。
魔法も使えなければ、飛び抜けた強さがあるわけでもない。知識も皆無な上に字すら読むことができず、さらに最悪なのは無一文であるという悲しき事実。
そんな八方ふさがりを、この携帯電話を売ることができれば切り開くことができるのだ。しかもそれがシャオンとスバルの分で二つ、少なくとも金銭面での心配は当面なくなるだろう。
明日の食事にも当たり前のように困る未来が見えているだけに、それは喉から手が出るほどに欲しいもので、選んで当たり前の選択だ。だが、スバルは少しの迷いも見せずに答える。
「ああ、それでいい。このミーティアは、フェルトが持ち込む徽章と交換する」
当然ロム爺は訝しがる。
「なんでそこまでする? このミーティアよりも値が張るのか? 金に代えられん価値があるとでも言うのか?」
徽章の価値を問い質す一方で、金より大事なものなどあるわけがない、とでもいいたそうな嘲笑めいた感情すら見え隠れする。
こんな場所で暮らす彼のことだ。金より大事な物の存在など、概念的にはわかっていても実際にそれと認めることは容易くはできないのだろう。そんな価値観があることは否定しない。
事実この盗品蔵にたどり着くまでには金が大事で、それを得るためだけに生きているような人間も何人かいた。ただ、それを否定することはこの世界に来た自分たちにはできない。
「ぶっちゃけ、俺はその現物を見たこともない。耳にしただけだ。だけど金に換えても正直、この魔法器より高いってことはないだろうし、丸損間違いなしだってことは馬鹿な俺でもわかる」
「そこまでわかっとるなら、なんでそんなことする?」
「決まってんだろ。――俺は損がしてぇんだよ」
ロム爺が三度、目を白黒させ、視線をスバルからシャオンに移す。その目はこいつが冗談を言っているのかと問いかけているようだ。その問いにシャオンは「本気で言っている」という意味を込め苦笑いで答える
「俺は恩返しがしたい。貸し借りはきっちり返す。そうでなきゃ気持ちよく寝られねぇ。――だから、大損してでも徽章を手に入れる」
「ふむ……今のを聞くに、つまり徽章はもともとお前さんのもんじゃないんじゃな?」
「俺を助けてくれた銀髪美少女の持ちもんだ。なんでか知らないけど大切なもんなんだと」
「その恩人は? 一緒じゃないのか?」
至極当然の疑問だ。しかしスバルは
「目下、捜索中! っていうか、ひょっとしたら助けてもらったのも、その美少女の存在自体も命の危機に扮して見た妄想かもしんない!」
スバルはグッと拳を握りしめて、先ほど否定した不安を口に出して笑い飛ばす。
――徽章を手に入れて、きっともう一度、あの少女に出会おう。
そんな決意を固めるスバルを見下ろしながら、ロム爺は心の底から珍妙なものを見るような目で、
「――お前さん、相当なバカじゃのぉ。なぁ?」
「ああ、ほんとにね」
シャオンに同意を求め、それに肯定し互いにあらゆる感情を吹っ切って、ただ楽しげに笑ったのだった。