「それにしても、なんだこのありさま。目を覚ましたらそこは雪国でした、ってか?」
「……」
「……シャオン、だよな?」
軽口をたたくスバルだったが、目の前の男──推定シャオンは答えない。
”淡く光る”その姿からはどこか目をそらすことはできず、怪しい雰囲気をまとっている。
だが、見た目はスバルにとっての相棒である彼そのものだ。今のスバルにとって、相対存在である一人、の。
それに付け込んで、姿を変えている敵だったら、という可能性は考えたくはないが怖くなり馬鹿げた質問だが改めて尋ねた。
「──こっちにも事情があってね、いくらかボロボロなのは勘弁してほしいが、そうだよ」
数秒の間を置き、息を白くしながら、目の前の男、シャオンはスバルにいつも通りの様子で語り掛ける。
よかった、スバルの知るいつもの彼だ。
以前あった──レムの想いを伝えてくれた『あの男』とは違う、雛月沙音だ。
「……シャオン悪い、村の人々は──いや、そもそもお前は今までどこに?」
「村の人々は死んだんだね。”視ていた”からわかるよ。それに……聖域の人々も死んだ、この天気の所為でね」
「────」
「ちなみに、この天気は俺の所為だ」
「――は?」
衝撃の事実ともいえる言葉に、スバルは震える声で言葉を絞り出す。
「じ、自分の意志でこんなことをしたのか?」
それを受けて目の前の男、暫定シャオンは、口元に手を当て、考え抜いたかのように答えを出した。
「そうだよ……随分と遠回しな聞き方をするね、スバル。君の悪いところだ、真に知りたいことを避け、後回しにするところ」
「みんなを殺したのは、おまえか? シャオン」
「しつこいね、何度でも「お前がッ! 、殺したのか?」……正確には違う」
叩きつけるようなスバルの三度目の言葉に、シャオンは息を吐き、観念した様に告げる。
服が汚れるのを気にしないで、雪が積もった地面に座り、スバルを見上げる。
「なんで、わかった?」
「そんな、泣きそうな顔で、弱々しい声色で絞り出した言葉を素直に信じるほど、鈍感じゃねぇ」
「はは、胡散臭さには自信があったから演技をしてみたんだけど、柄じゃないか」
「いいや、ずいぶんはまり役だったぜ……俺じゃなければ騙されていただろうよ」
長い間過ごしてきた人物じゃないとわからないほどに些細ではあるが確かな違和感。
それをスバルは確かに感じ取っていた。
それを告げると彼は、照れ臭そうに頬を掻く。
しかし、すぐにまた、冷たい表情へと戻り、
「……ロズワールと契約したんだ。俺は雪を降らして、スバルの邪魔をする、って」
「なんで、そんなことを」
「……それは、記憶にない。だけど、魂がわかっている。そんな契約をしたって」
ウソを告げている様子はない、というよりもシャオン自身が詳しくわかっていないような表情だ。
だが、大方の詳細を掴めている理由としてはシャオンはスバルよりも契約に詳しい、きっと、魂と契約の関係性もわかっているのだろう。
「天候を変える魔法を使って、その所為で、多くの生物が死んだ、村の人々も、聖域の人々もだ」
「そう、か」
ウソではないだろう。
きっとこの大雪の所為で多くの生物が死んだのだろう。
だが、それはきっと彼の所為では、ない。
いや、だとしても、だ。
そんな諦めたようなシャオンの態度を見て──
「とりあえず──一発殴らせろ」
怒りに任せてシャオンに掴みかかる。が、伸ばした腕は横に滑るような彼の動きに回避され、逆に足下を乱暴に払われて転ばされてしまう。
スバルなりに不意を突いた一撃だったが、彼にとっては児戯に近いもの。
それどころか、倒れ込んだこちらに追撃を加えていないだけ彼にとっては遊びですらないのかもしれない。
「……くそっ!」
「やめろよ、時間が無駄になるし……傷が増えるだけだ」
「いまさらッ、だろ!」
その瞬間、スバルの視界は回り──勢い良く叩きつけられた。
「あ、がっ!」
「……」
背中から地面に叩きつけられて、弾むスバルは衝撃と痛みに息が詰まる。
投げられた場所は雪の降り積もる場所ではあったが、衝撃の全てが吸収されたわけではもちろんない。
手足の先にまで痺れの走るような感覚があって、喘ぐスバルは立ち上がることもできない。
そして、シャオンはちょうどスバルの身体の中心に足を載せ、動かさないように固定させた。
「仕方ない、このままの態勢で話をしよう」
「随分と、おぇ、見下してるな」
「我慢してくれ、殴られたくはないんだ」
はは、と笑うシャオンは普段の様子とに何も変わらない。
いや、変わらなさすぎる。まるで、仮面をかぶっているような笑みだ。
そんな違和感を覚えていると、シャオンが小さくつぶやく。
「俺は、このループが最期だ」
「……どういうことだ? ……あきらめる、ってことか? このループを抜け出すことに」
「そう、早とちりするな、正確には表舞台から消えるだけだ」
怒気を含んだスバルの言葉に、シャオンは薄ら笑いを浮かべて否定する。
「文字通り、俺はこの世界が終われば、影でサポートをする存在になる。もう、俺はお前たちと一緒にいられない。過去に多くの人間を殺し、今も多くの人間を殺した、そんな人間が一緒にいることなんて、できないだろう」
「過去……?」
「ああ、気にしないでくれ。どちらにしろ、俺のような存在がいなくてもきっと無事抜け出せるだろうし、俺も、そう。俺も、未練はない」
そう告げるシャオンの言葉はいつも通りの笑顔。
胡散臭い笑顔であり、どこか信頼できるという矛盾した表情。
それを張り付けているシャオンの姿はいつも通り、だが。
「──らしくねぇ」
「うん?」
「──お前らしくねぇ」
「────」
スバルの目は欺けない。
スバルの言葉にシャオンの笑みが固まる。
「ロズワールに、してやられているままって言うのが、らしくねぇ。なにより」
「やめろよ、スバル」
そう、スバルが知っているシャオンは、こんなに簡単に、あきらめる人間ではない。
「お前自身が、そんな、悔しそうに、悲しそうにしているのに、諦めてるのがらしくねぇ」
「……やめろ」
スバルのその呟きに、今まで冷静だったシャオンの顔に動揺の色が浮かぶ。
そして──
「────未練がないとか、そんな嘘ついてんじゃねぇ!! そんな、つまらない嘘で本心をごまかすんじゃねぇよ!」
「────何がわかるっ!! お前に、俺の何がッ!!」
互いに、悲鳴にも似た、叫びが空間を揺らした。
□
思わず出された言葉に、スバルは思わず体を一度震わせた、が己の感情を突き通すことを示すようにただでさえ鋭い瞳は依然棘を含んでいる。
対して、シャオン、出した本人でさえ、ここまで感情が噴出したことに驚いているのか目をさまよわせている。
だが、まるで、栓が抜けたかのように、言葉が、感情があふれ始めた。
「俺自身、わかってないのに、俺の何がわかるんだよ、スバル」
足をどけ、シャオンはスバルの襟をつかみ、無理矢理立たせる。
解放されたのは一瞬で、すぐにまた力強く掴まれることで息が詰まる。
「いきなり自分は複製体だ? 今までの記憶は嘘偽りだ? ふざけんじゃねぇ!」
「おま、えは何を」
「未練がない? そんなわけねぇだろッ!? 未練も、後悔も、何もかもがぐちゃぐちゃだよ! でも仕方ねぇだろ!? これが最善手なんだから!!」
聞いたこともない事、事情にスバルの思考に困惑が埋め尽くされる。
それを尋ねるよりも前に、シャオンのほうがこちらへ問いただしてきた。
「──なんで、責めなかった?」
「急に……なにを、だよ」
「なんで──レムを守れなかったとき、誰も責めなかった」
「────」
「お前は俺を信頼してレムたちに同行させた意味もあったはずだ」
確かに、その意図がないと言えば嘘になる。
あの時はレムと同様にシャオンの不調を気にしている面もあったが、護衛の意味も兼ねていた。
きっと彼がいるならばクルシュを含め、レムたちも守れるだろう、と。
そんな確証がない期待はあった、あったのだが。
こちらの思考を読み取ったのか、シャオンは続ける。
「だが、起きた結果は何だ?」
レムは救えなかった。
なぜならば、あの時の判断が間違えていたのだから。
一人で立ち向かえると驕ったシャオンの考えが、間違いだったのだ。
あの時の最適解は大勢で立ち向かうこと。それだけだった。
「俺の、傲慢さが原因で、救えなかった、俺の弱さが、すべて」
もっと、シャオンが強かったのなら。
もっと、シャオンが利口だったのなら。
いっそ──
「──俺がいなければ、きっともっと良い結果に」
「そんなことは──」
「言いきれないだろう!?」
激昂の言葉は、拳に代わり、スバルの顔面を振り抜く。
口を切ったのか、血が白い雪景色を赤く染める。
だが、それでも止まらない。
何度も、何度も、何度も何度も殴り続ける。
「全員が、心の中で思ったはずだ──お前がいたのに、と」
「それは……それ、は!」
完全に否定ができない。
レムの状態を初めて聞いた時、スバルもシャオンがいたのに、と思ってしまったことがある。
そんな、自分勝手な考えはすぐに捨てたはずなのに、どこかにはあったのだ。
彼を、彼の強さを信頼していたために。
「でも、誰も俺を責めない。それが、怖いんだよっ……!」
スバルの胸ぐらをつかみ、持ち上げる。
必然的に、息が苦しくなるがそれでも彼から目を離せない、離させない。
離したらきっと彼の真意はもう掴めない気がしたから。
「……責めろ! 俺を、責めろよっ……!」
感情のないような瞳から、初めてスバルは感情を読み取れた気がする。
沼のような黒い瞳に、涙をため、瞼から筋を引いて涙がこぼれる。
「シャオン……」
「じゃないと……。そうじゃないと……駄目なんだよ……」
掴んでいた手から力が抜け、シャオンは立っていられないとばかりに膝をつく。
こちらに縋る様に叫ぶシャオンの様子は、懇願にも似たもので、贖罪を求める罪人の様で──
「────」
「……誰も、こんな俺よりも強い力を得る方がいいと考えるだろう」
スバルは、初めて彼の姿が小さく、自分よりも小さく見えた。
誰かが彼を責めれば、シャオンは、いや『雛月沙音』は迷わずに、自身の進路を決めていただろう。
彼は今、『彼』でいることの瀬戸際にいる。そして、その最後の一線を誰かに委ねようとしているのだ。
普段ではありえない彼の選択、言動に行動を経てようやく気付く、その遅さにスバルは自身を殴り飛ばしたいと思うほどだった。
そう──シャオンの精神は等に限界を迎えていたのだ、と。
そして、それと同時にスバルの中で湧き上がるのは──彼に対する怒りだ。
彼が、彼自身の評価を低く見ていることに対する、『価値』を低くしていることに対する。
「……シャオン」
「……なんだよ」
胡乱気な声と共に、顔をあげたシャオンの表情は、酷く衰弱していた、きっと彼なりに色々と考えることがあったのだろう。
だが、そんなことを気にすることもなく──次の瞬間、鋭い衝撃が横っ面を打ち抜き、シャオンは地面に横倒しになっていた。
受身も取れずにすっ転び、顔面から地面に落ち、目を回す。
頭を振り、何が起きたのかと周囲を見回して、拳を振るスバルの姿を捉えて、殴られたのだと気付いた。
「歯、食いしばれ」
「──っう、当ててから言うなよ」
「当てる前に、話したら、当たんねぇだろ、お前」
初めて当てた一撃はスバルのほうが痛かった。
だが、それでも、気にする余裕はない。
「目、覚めたか?」
「なんのことだ?」
王都にいたスバルと同じ、今の彼は腐りきっている。
自暴自棄にも似た様子。あの時の自分にはレムという支えがあったが、今の彼は孤独だ。
「お前の言っていることは何もわからない」
彼の抱える事情、彼だけがわかる真実、彼が犯した罪とやらはスバルにはちっともわからない。
その代わり、
「でも、お前が今まで築いてきた絆や日々を否定することはやめろよ……頼むから」
彼がスバルの為にしていた努力を、彼が誰かの役に立とうと身を削っていたことを、彼が誰よりも全員を好きだということを、スバルは誰よりも知っている。
だからこそ、
「俺は! お前の力が、雛月沙音の力が、必要なんだよッ!」
どんなに強い力よりも。
どんなに頼りになる存在よりも。
ただただ、自分の隣で歩み、目印のように前を歩き、後ろで、支えるように見ていてくれる友人である雛月沙音にいてほしいのだ。
ナツキスバルという弱い人間に、雛月沙音という人間は、エミリアたちと同様に必要不可欠な存在なのだから。
そのためならば、自分は何度でもやり直そう。
力が必要ならば、自身が知恵と工夫で乗り越えよう。
そのために必要となる苦痛ならば甘んじて受けよう。
だから、憧れである沙音に、離れてほしくなかった。
「スバル……でも」
スバルの全ての感情が伝わったのかはわからない。
だが無意味ではなかったはずだ。
シャオンは、殴られた頬を抑え、そこに感じる熱を、スバルの叫びを感じる。
「でも、それじゃ、この先────」
そこで言葉を止め、シャオンは周囲に視線を向け、釣られてスバルもそちらを見る。
しかし、そこにあるのは雪景色だ。
「時間切れだ……よく目を凝らしてみるといい」
改めて、スバルはゆっくりと目を細め、気づいた。
雪景色が、明らかにおかしい動きをしていると。
耳を澄ませていると、声も聞こえてきた。
『お兄ちゃん』
その言葉と共にはっきりと認識した。
雪景色と思っていた存在は、『兎』だ。
大量の小柄な兎たちがこちらを囲って、見守っている。
いや、見守っているという表現よりは、狙っているという表現が近いかもしれない。
「こいつは……」
「この兎は、食べた物の習性を真似る。感情もだ」
兎──大兎。
三大魔獣の一つ、そう思い立ったのはこの間討伐したばかりの白鯨の存在が大きいのだろうか。
そんなことを呑んきに考えていると、シャオンは自嘲気味に笑う。
「我ながら恐ろしいものを作ったね」
「ど、どうするんだよ」
「終いだよ──今の俺には、強さが足りない。だから、元に戻る」
その言葉と共に、視界がずれた。
彼の手に持っているのは、氷で作られたナイフ。
それが、赤く染まっている、それは、自分の血だろうか?
痛みを感じないのは、彼なりの優しさだろうか。
「雛月沙音は死に、『シャオン』が残る。そして──お前は今現状考えられる、最良のカードを手に入れることになる」
皮肉げに笑う彼の姿は、どこか助けを求めているようで、どこか諦めているようで。
「じゃあな、ナツキ・スバル。友人だった男。最後の説教は、少し響いたし、頬は痛かったよ」
何かを口にしようとするも、スバルの声は血の泡となって届かない。
シャオンがあえてそうしたのかはわからない。
だが、今の彼を逃してしまえばもう会うことは難しくなる、そう感じたのだ。
だから、意地でも、痛みを無視してでも叫ぶ。
友の名を。
「ゃ、ぉ」
「さよなら……初めて、友人から殴られる経験が最期というのは、どうなんだろうな」
少し微笑みながら、シャオンは、雛月沙音は白い山のようになっている『大兎』の元に歩み出す。
まるで、自身の子を愛する母親のように手を広げ、抱擁の格好を取りながら、ゆっくりと、すすみ、山が崩れ、鮮血が白を染めた。
友人が白い兎たちにむさぼられていく姿を見届け──ることすらできずに。
「ばか、やろぉ……!」
──ナツキ・スバルは死を迎えた。