「が、ぐ……」
喉がとても苦しい。熱い塊にふさがれているようで、息を吸うことも吐くこともできない。
「あ、貴方の、せいで、し、シャオンくんが、く、苦しんでいる、の」
「お、え……」
酸素が行き渡らなくなり、意識が飛びかける中、怨嗟の声をもとに、スバルは必死に現状を把握、打開策を生み出そうともがく。
息ができない、のは首を絞められているからだ。
誰が首を絞めている、という問いの答えは笑えるようだが、スバル自身だ。
何故そんなことになっているのか、は当然この声の主の仕業だ。
「おれが、し、んだら──」
一か八かの賭け。
だが、今のスバルにできる確実な一手だ。
外れたら、死ぬ。
この世界で死んだ場合、どうなるのだろうか──だが、やるしかない。
「シャオンも、し、ぬぞ?」
その言葉は命乞いにしては下の下だろう。
今この場にいない人物の、生死など魔女たちにとってはどうでもいいものなのだから。
博愛主義者ならばまだしも、彼女の放つ声は明確な怒りが宿った声色だった。
だから、このままスバルの言い分を聞かずに、彼女は自分を殺すだろう──そう、ほかの魔女だったならば。
「そ、れは
力が弱まり、ようやく自身の意思で絞めていた首を解放させる。
急激に酸素が取り込まれ、えづきながら恐らくこの不思議な現象を生み出した犯人、その人物を見上げる形で目にする。
「そ、それは、だ、駄目だよ……ね」
──初対面の人物だった。
薄紅の髪を背中の中ほどまで伸ばした、気弱そうな佇まいの少女だ。青色の、透明感のある大きな蝶の髪飾りと薄緑色のマフラー以外はオシャレというものをしていない。
目鼻立ちはそれぞれ整っているが、エミリアやレムと言った飛び出た美貌ではなく、人並みに可愛らしい容姿といったところか。
袖の長い白い服を着込んでいて、手首から先が外に出ていない手でそっと自分の頬を両方から挟み、おどおどとしながらスバルを見ている。
「お前は……色欲の魔女だな?
「……カーミラ、だよ? はじ、はじめまして……ん」
問いに応じた少女──カーミラの答えに、スバルは思わず息を呑む。
『色欲の魔女』と少女は名乗ったのだ。
「命拾いしたね、機転を利かせたいい判断だと思うよ?」
「────ッ!?」
瞬間、スバルは耳元でささやかれるような声を聞いて思わず振り返る。
すると、誰もいないはずのそこには、悪戯が成功した子供のように、無邪気な笑みを浮かべた女性、エキドナがいた。
「予想通りといえばその通りだけど……ここまでとはね。カーミラ、自重しろとは言わないけども……」
「わ、わたしは、悪くないもん」
エキドナの登場にカーミラは驚かない。
そう、この空間に
「なんで」
「ん?」
「なんで、お前がここにいる?」
エキドナに対して、スバルは質問を投げる。
彼女の方は最初は意味が分からないとばかりに首をかしげていたが、すぐに内容が理解できたらしく、軽く手を叩くと頷く。
「ああ、君が何を問題としているのかわかった。──他の魔女が顕現しているのに、ボクがここにいることが疑問なんだね」
「あ、ああ。そうだ、これまでも他の魔女と顔を合わせるときは一対一で……エキドナの代わりに、この場に現れるのがお約束だったじゃねぇか。それを……」
「別に、一緒に出れない理由はないよ。必要がなかっただけさ」
「……なんでそんなことを」
「あまり、ぽんぽんと他の魔女が顕現できるということがわかって、君を他の魔女に取られたくなかったんだよ」
「は、え?」
「君はボクにとって、本当に久しぶりの客人だ。話していてこれほど、心が躍ることは生前も死後もそうそうなかった。そんな君という存在を、せめてこの場でぐらいは独占したいと思うのを浅ましいと罵倒するかい?」
人によってはときめく言葉だ。
エキドナの見た目は、人離れているようなものではあるが、美しいほうだろう。
スバルもこの世界に来た直後ならば簡単に騙され、異世界ハーレムきたぁ! と馬鹿みたいに喜んでいただろう。
だが、スバルにはわかる、この世界はそこまで優しくないことも。
そして、彼女が魔女であることも、十分にわかっている。
「────それ、嘘だろ」
「半分ね。もう半分はリスクの問題さ」
騙していたことに悪びれる様子はない。
いや、実際に悪いと思っていないのだろう、この魔女は。
「この空間で魔女と対面した君ならば、今さっきその片鱗を嫌でも味わった君ならわかるだろう? 魔女という存在のリスクを」
「うぐっ」
文句の一つでも言おうとしたこちらを先回りし、エキドナは正当な理由を提示してくる。
「ボクだって魔女の中では強い方じゃない。たまたま、魂の管理に適しているからここの主をしているだけで、いざとなればほかの魔女たちに一捻りさ」
確かに、エキドナとほかの魔女が戦って、彼女が勝てる保証はない。
もしも負けたら、この空間はどうなるのだろうか。崩壊か、それとも管理する人物が変わるのだろうか。
それを考える余裕も、試す度胸もない。
だが、彼女がそのリスクを抱えてでも現れたのだ、ならばそれを利用しない手はない。
「エキドナ」
「なんかあれば、頼むぜ」
「曖昧な頼み方だけれども──頼られるのは悪くないね」
そう笑うエキドナをよそに、スバルは改めて目の前の、桃色の髪をした少女、カーミラへ向き直る。
「色欲の魔女、カーミラ」
「やめ、ぶ……ぶたない、で……」
「そんなことしねぇよ、聞きたいことがある……お前を呼んだのは、ほかの魔女に聞いた感じこの分野はお前が適任だと思ったからな」
おびえる彼女にあきれながらもスバルは逃がさない、とばかりに視線を強くする。
そう、スバルが聞きたいことは、
「シャオンの性格だ、それについて教えてくれ。できれば主観的な感じ方は除いてな」
◇
シャオンは、雛月沙音は衰弱しているが、馬鹿ではない、アイツなりにも考えがあるはずなのだ。
その身が過去の人物の器であろうと知っても、自身が持っていたすべての記憶が偽りであったとしても、少なくとも、スバルがシャオンの持つ善性を信じるならば、よっぽどの人物でなければ体を明け渡さないだろう。
いくら、自暴自棄になったとしても、だ。
だから、過去のシャオンが、今のシャオンと入れ替わっても問題ないという理由が、どこかにあるはずだ。
それを知るために今、最も交流があった彼女――カーミラに尋ねているのだが。
当の彼女はスバルの問いの意味が分からず、首を傾げ、
「シャオンくんは優しい、よ?」
「……あ?」
小さな声でそう答えた。
「そうじゃなくて」
「温かい日差しのように優しい声で、誰かの為に泣いてくれる、泣いてしまう、そんな人。自分よりも、周りが大切で、自身が傷つくことは気にしなくて、それで悲しむ人がいても、それを承知で、危険に飛び込んで、自身の命が危なくなっても周りが笑っていれば心から笑っていた」
スバルの言葉など聞こえていないように彼女は語る、彼への思いを。
「空に浮かぶ月のように、きれいで、孤独で、誰よりも普通だった人、誰にも平等に光を与えて、笑顔にした温かい人、誰にも平等に闇を与えて、成長を促した、悲しい人」
私的な表現を使うもカーミラは今までの臆病さを感じさせないほどにはっきりとした口調で語る。
そして、照れ臭そうに頬を赤く染め、本当にただの少女のように優しい笑みを浮かべる。
「だから、私は、シャオンくんを愛している──そんな、そんな、優しい人、だよ?」
「お、おう。なんていうか、すごいんだな」
愛の告白とばかりのカーミラからのシャオンへの評価。
事前に聞いていたとはいえ、愛しすぎではないだろうか。
「……うーん」
だが、これではあまりにも主観的要素が多すぎて役に立たない。
思わずエキドナに捕捉を求めると、それを受けて彼女は肩をすくめながらも説明を始めた。
「恐らく、ボクが知る限りではあるけど、彼ほど世界に貢献した人物はいないだろうね。多くの生物から感謝され、恨まれながらも、他者を思いやり、生物の可能性を信じた怪人、それがシャオンだ」
「ただ」と、前置きしエキドナは目を細める。
「彼の根底にあるのは、見ているだけで泣きたくなるような”優しさ”だろう……恐ろしいほどに」
優しさ。
シャオンを語るうえで必ず出てくる単語。
しかし、エキドナの口調からして、それはいいことではないようだった。
「功績について語るのであれば『流行り病の撲滅』『飢えの抑止』『国の立て直し』。数えきれないものだ……これだけ語るのは美学的だろう。もちろん、彼の中でも歪みはあった」
エキドナは手を組み、まるで困ったかのように眉を顰める。
「他者の可能性を信じすぎるあまり、自身の評価が低くなりすぎたこと、そして、他者に求める理想が高すぎて――『進化』を期待して試練を与えたんだ」
「試練……」
「流行り病がなくなった街は、他者への思いやりをなくし。だから、彼は未知の病を街で流行らせ、再びその大切さを思い出させようとして──街は消えた」
そのせいで、多くの希望は消えていったのだろう。
「飢えることがなくなった村は、生命の尊さをなくした。だから、彼はその村に永遠とも思える飢餓を与え、生命というものを考える時間を与えて──村には草一つ残らなかった」
そのせいで、命の大切さを感じる暇がなかったのだろう。
「立て直された国では、権力を求めて争いばかり起き、民の重要性を理解できなくなった。だから、彼は一つ一つの民という重要性を思い出させるために、民を殺し──国を滅ぼした」
そのせいで、多くの命が、亡くなったのだろう。
「これらが、彼を怪人である唯一の要素。彼は世界を良くしようとしすぎた。けど──彼の優しさは、世界には”厄災”だった」
想像以上の、行いにスバルは自身が息をしていないことに気付かなかった。
額から流れる汗が、自身の手に落ちることでようやく意識を現実に戻せたほどに、呑み込まれていた。
そのプレッシャーの中、カーミラが口をはさむ。
「え、エキドナちゃんの、は、話は難しすぎてよく、わ、からないけど。シャオンくんは、いつも、誰かのために泣いて、いたよ? 唯一、それ以外で、泣いていたのは──疎外感を感じた時」
そう語る彼女の様子は、悲し気に沈んでいる。
まるで、自身がシャオンの気落ちを代弁しているように。
「自分がどうしても、私たちと同じ、存在になれないことに、嘆いていた、よ」
力になれないことに、嘆いていた。
その様子を見て、魔女に大きな影響を与え、世界にも大きな傷跡と共に、恩恵を与えた存在。
「──なるほど、よくわかったよ」
彼は聖人の様で、優しく、なによりも――狂人でもあるのだと。
確かに彼ならば、雛月沙音は、今の彼ならば体を譲ってもいいと考えるだろう。
だが、それでも。
「もう一度、しっかりと話す必要があるな、あいつと」
スバルは、彼は彼でいてほしいのだ。
◇
「ん──」
ふいに、スバルは椅子に座ったままでいる頭に眩暈を感じる。立ち眩みに似たそれはしばし連続してスバルの意識を揺らした。それは、
「どうやら、肉体の方の目覚めが近いようだね」
「今回の茶会も終わり、か……情報過多で頭がパンクしそうだ」
「前回はまさかの、聞きたいことなしという話だったからね。2回分の知識を摂取したと考えれば当然だろう?」
語りたがりの教えたがりの喋りたがりの魔女からすれば、今回の茶会は大満足といったところか、どや顔をしている。
正直その人懐っこい笑顔と、頼もしさに後ろ髪を引かれるが、肩入れしすぎるのは良くない。彼女は魔女で、おまけに死者だ。どっちがおまけか、わかったものではないが。
だが、また頼る場面はあるかもしれない。
「ここにきたいとき、俺はどうしたらいいんだ?」
「茶会の条件かい? いやいやまったく、ダメだよ、あまりボクに頼り切りになるようじゃ」
「わかってるよ……てか、言葉とは裏腹はに体をくねらせて喜ぶな」
久方ぶりの客、というだけで好感度がウナギ登りの現状をどう判断すべきか。
頬に片手を当てて、ちらちらとこちらを見ているエキドナへの態度を決めかねていると、彼女は「ふふふっ」と口元を隠して笑い、
「そんなに困った顔をしないでおくれよ。ボクだって女の子なんだから、こんな風に少しぐらいは浮かれた会話をしたいときもあるんだよ。それだけのことじゃないか。魔女と人の間の溝ぐらい、弁えているよ」
「……エキドナ」
「茶会の条件だけど、墓所で心の底から『知りたい』という欲求を叫ぶことだよ。初回は問答無用で招けたけど、二回目以降は簡単にはいかない。三回目も……難しいんじゃないかな、と思う。上辺の叫びじゃ、ボクに届かないからね」
早口に語られる内容に、スバルは招かれる直前のことを思い出す。
信頼している友──シャオンの変化の理由を知りたいために、その真実を欲した。
今回はそれを耳にしたエキドナに茶会に招かれた形だ。次にここにきたければ、それと同等かそれ以上の懸命さでなければならないという話だが。
そう考えると、スバルはどれだけシャオンのことを気にかけていたのだろうか。
「どんだけ俺の中であいつに対するヒロイン度が上がってんだよ、男でよかったぜ……」
「え、と。し、しぬ?」
「やめろ、冗談だよ」
苦笑いでスバルが放った言葉にカーミラは真顔で死の宣告を与えてくる。
色欲の魔女なのに嫉妬の気持ちを押し出してくるカーミラ、冗談かどうかはわからないが、先ほどの一件があった今、うかつに笑い飛ばせる気はしない。
「……ボクと君が顔を合わせられるのはこれが最後かもしれない。もっとも、君が『試練』に挑むようならその限りじゃないけどね」
第一の『試練』のときと同様、第二と第三の『試練』の場にも彼女は居合わせるらしい。スバルがエミリアに代わって『試練』に臨むのであれば、その再会は約束されたようなものだろう。
つまりは、
「また『試練』の間で会おう、ってことか……そろそろ、消えるか……それじゃエキドナ、世話になったな。また会ったら……」
「その前に、いいかな?」
自分の体の感覚がだいぶおぼろげになるのを感じて、スバルはエキドナに別れを告げようとする。が、それを止めたのはエキドナ自身だ。
彼女は席を立つと、その喪服のスカートの裾を揺らしながらスバルへ歩み寄り、
「茶会に参加し、君にボクの知識の一部を譲渡したわけだけど……なにか、忘れていないかな?」
「忘れ物?」
「対価、だよ」
目を細めて、エキドナは首を傾げるスバルに赤い舌を見せて言った。
その言葉にスバルは目を見開き、「対価……」と口の中だけで呟く。その呟きにエキドナは「そう、対価」と頷き、
「前回も課したはずだけど、魔女との取引にはそれが付き物だ。前回の対価は前回のものとして、今回の対価はなにをいただこうか」
「しゅ、出世払いってのは駄目かな? 今、持ち札の少ない俺からすると、持ってかれたり条件が課されたりするのって厳しさが上がっちゃうんだけど」
「魔女と交渉するには、ちょっと魅力が足りないかな」
椅子ごと後ずさるスバルを追い詰めて、エキドナは可愛い顔に嗜虐的な色を浮かべる。そのまま彼女はスバルの体を上から下まで眺めて、なにをいただこうかと思案中。
魔女の対価──前回は、現実に戻ったときのエキドナの存在の忘却だった。今回もそれをされると、この茶会の内容事態が消えそうで攻略が遠のく。
「よし、決めたよ」
どうなる、と身構えるスバルに対し、エキドナは上体を折ると顔を近づけてくる。あわやその唇がこちらを掠めかけるのにスバルが動揺すると、そのまま彼女の体はさらにスバルの下──胸の内へ進んだ。
ふわりとなびく白髪、至近で身じろぎする魔女からはほのかに花の香りが漂い、スバルは久々に美少女に対する免疫力の弱さでどぎまぎする。
と、エキドナはそんなスバルの内心を無視して、こちらの胸に触れて、
「──君が隠している秘密。それを、教えてもらおうか」
触れた場所が、心臓が、大きく跳ねた。