「あら、もう一人の坊やがいてよかったわね」
二コリ、そう先ほどとは何ら変わりのない笑みを浮かべスバルにエルザは語り掛ける。
そう、何ら変わりないはずの笑顔なのに雰囲気が違う理由は簡単だ。彼女が握っている凶器だ。
――ククリナイフ、元いた世界ではそう呼ばれていた凶器だ。それを、何のためらいもなく、当たっていたら確実に死ぬであろう一撃をスバルに放ったのだ。
「貴方、今死んでいたわよ?」
「実行犯が何を言うか……おい、スバル距離をとるぞ」
「あ、ああ」
スバルは命を狙われた恐怖からか動転し、顔色は悪く、あまり体調はよくないように見える。休ませておきたいが、今は緊急事態だ。少し乱暴ぎみに引っ張る。
「ふんぬぉおおおおおお!!」
雄たけびをあげ、エルザに棍棒を振りかぶり飛びかかるのはロム爺だ。
棍棒が降り下ろされ激しい轟音を響かせるが、エルザはヒラリと回避する。恐らくロム爺も今の一撃で倒せるとは思っていなかったのかよけられたことに驚かず、すぐさま棍棒を凪ぎ、追撃する。その一撃をエルザは笑みを浮かべながら受け流す。
「おい、スバル俺の後ろから離れるな。フェルトもこっち来い」
スバルに言い聞かせるとともに、少し離れた場所で戦闘の成り行きを見守っていたフェルトに声をかける。彼女は戸惑いながらも、すぐに駆け足でこちらに近寄った。
「……三人で別れて逃げるか?」
「馬鹿! ロム爺を置いてけるか!」
スバルの提案にフェルトがかみつく。
「大丈夫だ、ロム爺が何とかしてくれる。ロム爺とアタシは長い付き合いだけど喧嘩で負けたロム爺なんて見たことがねぇ!」
その堂々とした言いようにフェルトのロム爺に対する厚い信頼を感じられる。しかし彼女の自信とは違い、なにかいいようのない嫌な予感がする。
それはシャオンだけでなくスバルも同じようで彼の表情も浮かれていない。
「ほれ!きりきりおどれぃ!」
「流石に巨人族と殺しあうのは初めてだわ」
命がかかっているのにエルザは笑みを絶やさない。、いや、命がかかっているからこそだろうか? 楽しんでいるようにも思える。
「食らえい!」
ロム爺の雄たけびとともにテーブルが蹴り上げられる。置かれていた聖金貨とミーティアも吹き飛び、テーブルは蹴りに耐えきれるほど頑丈ではなかったのか砕け散った。そしてその破片はエルザの視界を塞ぐ。
視界がふさがれてしまえば流石にロム爺の攻撃は当たるだろう。そしてその一撃は確実に頭を粉砕し、彼女の命を奪うはずだ。
誰もがそう、思っていたのだ。
「――ロム爺ィ!!」
フェルトの叫びが蔵の中に悲痛に響く。その痛ましいほどの叫び声の中、シャオンは目にした。くるくると回転をしながら壁に飛んでいく、ロム爺の巨大な
切り飛ばされた腕はやがて壁にぶつかり血がまき散る。スバル、フェルトそしてシャオンはその血の雨を頭からかぶった。
「ぐぅ……! せめて相打ちに」
切断された肩から大量の血を滝のように流しながらロム爺はエルザの頭をもう片方の腕で潰そうとする。
幸いにも、エルザは先の一撃でククリナイフを振りぬいた姿勢のままだ。再び構えなおして反撃するよりもロム爺の攻撃が届くほうが早い。
つまりそれは死に繋がるのだ。
「言い忘れてたけれど――」
しかしエルザは焦りを感じさせないまま笑みを浮かべ、
「――ミルクごちそうさまでした」
反対の手にいつの間にか持っていたコップの破片をロム爺の首元を狙って一閃していた。
赤い線がロム爺の首元に現れ、その線から血がこぼれ始め、やがて破裂した。
「フェル……ト」
もうまともに見えてないだろう、うつろな瞳をしながら、かすれ声で愛しい孫娘の名を口にしロム爺は頭から倒れる。
二度ほど痙攣し、彼はそれ以上動くことはなかった。
「――てめぇ!」
「フェルト!」
シャオンは羽交い絞めによって駆け出そうとするフェルトを引き留める。なんとか抑えられたが、いまだ腕の中で彼女は暴れている。少しでも力を抜けばエルザに食って掛かるだろう。
飛び出していきたい気持ちはわかる。親しい、おそらく彼女にとって唯一の肉親ともいえる人物を目の前で殺されたのだから。だが今ここで早まった行動をしてはいけない、我慢してもらう。
「よくも……ロム爺を!」
「暴れないでほしいわ。あまり歯向かうと手元がくるってしまって痛い思いをするかもしれないのだけれど」
エルザは器用にナイフを回しながらフェルトに懇願する。その様子は挑発じみたものでフェルトの暴れる力が増す。
「どちらにしろ、殺すきだろーよ、異常者がっ!」
勢いよく足を踏まれ、不意の痛みについ拘束を緩めてしまう。
「いっ!? 待て! フェルト」
呼びかけるもすでに時遅く。フェルトとシャオンの距離は離れてしまっていた。
エルザに飛びかかりながら一瞬、ちらりとシャオンとスバルを見る。その視線が語っていた「巻き込んでしまってすまない」と。
そして直ぐにエルザのほうを向き腰に差していたナイフを抜き、一切の躊躇もなく降り下ろす。常人は避けることすら難しい一撃だろう。だが、
「風の加護ね……ああ、素敵。世界に愛されていて、妬ましいわ」
フェルトの一撃はエルザに紙一重で、いや最小限の動きで回避された。その結果無防備の格好をしたフェルトは――
「――ぁ」
小さく声を漏らし、エルザによって無残にも空中で肩から腰にかけてなで斬りにされた。
ゆっくりと、まるでスローモーションのように彼女の体は落ちていく。
フェルトという遮蔽物がなくなると共にエルザの姿をとらえた。それはあちらも同じようで彼女と視線が合った。 エルザはペロリと顔についたフェルトの返り血を舐める。その様子は獲物を前に舌舐めずりする蛇のようにも見えた。
体中に悪寒が走る。だが、いまは思考を停止してしまってはいけない。
「おい、スバル。ここは引き受ける、できるだけ遠くに逃げろ」
「……なに、を」
「急げ!」
震えているスバルに怒声を上げて立たせる。
蹴りで閉まっていた扉を弾き飛ばす。途端に薄暗い蔵の中へ夕日陽の光差し込んでくる。
時刻はもう夜に近づいている。そう、仮説通りなら前回スバルが死んだ時に重なる時刻だ。そして現在の状況を考えると、スバルを殺した人物はエルザで確定だ。
「時間稼いだら後を追う。合流場所は出会った場所で」
エルザは二人の特攻にも傷一つなく、むしろ二人も殺して体が温まったとでも言いたそうだ。
敵の体調は万全。ならば、スバルが残って時間を稼いだとしてもほとんど稼げないだろう。だったらスバルよりも強いシャオンが時間稼ぎに残るほうがましだろう。
それをスバルもわかっていたのか、ふらつきながらも背を向けて走り出す。転んでしまわないか不安だったが流石にそんなドジはしなかったようで小さくなっていく彼の後ろ姿を確認できた。
そして振り返り、エルザをみる。浮かべた表情はこれから殺してしまうことの申し訳なさか、憐れんでいるように見える。
「あら、見捨てられちゃったの?」
「違うさ、託したんだよ。俺ができるだけ時間を稼げば憲兵かなんか連れてくるだろう。そしたらアンタも終いだ。逃げるなら今のうちだ」
遠回しに逃げても追わないこと、今なら見逃すことをほのめかす。しかし彼女は引く様子は微塵も見せず、ロム爺とフェルトの死体に視線を向けた。
「逃がしてもいいのかしら? そこの二人を私は殺したのだけれど」
「残念、死なないでほしいとは思っていたけれどわざわざ命張ってまで敵討ちするほどの仲ではないんだ」
冷たい、と言われたらシャオンも同意する。だが敵を討つと思うには彼らとは付き合いが長くない、これが十年の付き合いの友人なら考えたかもしれないが。
ロム爺からもらった手甲を改めて装備し、ククリナイフを右手に構える。僅かに手の甲全体に重量を感じるが動きに支障はでない範囲だ。
「時間稼ぎ、そして片方が応援を呼ぶ。確かに悪くない作戦ね、あなたが私の足止めになればだけどっ!」
会話の流れを切り、エルザは首元を狙ってナイフを振るう。
「……いきなり急所を狙ってくるとは」
それを手甲で防ぎ、弾く。
躊躇なしに命を奪おうとする彼女に恐怖を通り越して一つの尊敬すら生まれそうになる。
「よく防いだものね。 貴方だったら楽しませてくれるかもしれないわ!」
どこに根拠があるのかわからない。しかし彼女の顔には嘘偽りのない、本当にシャオンが楽しませてくれるという予想をしていることがわかる笑みが浮かんでいた。
「うわぁ惚れそうな笑顔、違うところで出会ってたら恋に落ちてたかもな」
「私はあなたの腸に恋しそうだわ、勘だけどとってもきれいな気がするもの」
「残念、自分自身の腸を見たことはないんで、わかりかねます!」
「そう。なら――見せてあげるわ」
腹を狙った一撃、当たればもちろん死は免れない。だが先ほどのエルザの台詞から狙ってくる場所は予想できていた。タイミングを合わせ、こちらもククリナイフでエルザの一撃を防ぐ。
金属と金属がぶつかり、甲高い音が耳に響く。手には衝撃と痺れが襲ったがなんとか武器を弾いてしまうことは免れた。
「同じ武器ね、運命感じてしまうわ」
「残念、これこの蔵から借りたやつ! その運命はきっと偽装されてますよ!!」
なるべく防戦を意識しながら戦いたいが、このままではじり貧だ。そこで攻撃に転じるようにした。
「ふっ!」
体を低くし、一瞬でエルザの懐に潜りこむ。
驚いた彼女の表情を尻目に腰を据えた一撃を彼女に叩き込んだ。踏みとどまることができず、彼女の体が吹き飛び、棚に激突する。
「女性の腹殴るのは気が引けるが、相手が相手だからってことで」
正直ナイフで攻撃してもよかったが素手よりも動きが遅いのでよけられる可能性がある。しかも外れてしまったら彼女の反撃が来るだろう。そうなったら確実に死んでしまう。そう考えての一撃だったが、
「紳士なのね、でも心配は無用よ」
「……ノーダメージですか」
汚れた服を払いながら現れたエルザは無傷だ。それどころか若干興奮したように頬を紅潮させている。どうやら、先ほどの一撃は戦意を向上させてしまったようだ。
今の一撃で倒せるほどシャオンは己の強さを過信していない。だが流石に全く効果がない様を見せつけられてしまうと。
だがそんな心中などお構いなしにエルザは凶刃を振るう。
シャオンの体を縦に切り裂こうとシャオンの足元から切り上げようとする。ナイフがシャオンに触れる直前、
「震、脚!!」
勢いをつけて右足を上げ、振り下ろす。
それはエルザの左手に直撃し、骨を砕くような嫌な感触を感じながらもそのまま蔵の板ごと踏み抜く。その衝撃に年季の入った蔵の床は耐えることができず穴が開く。
追撃をしようとしたがエルザは滑るようにシャオンから距離をとった。
「あら、左手が使えなくなっちゃったわ。酷いわね」
左手を押さえるエルザ。その言葉とは裏腹に喜びの表情を浮かばせている。先ほどまでよりはダメージが通ったようだがそれでも戦闘を続けるには十分なようだ。
ダメージは与えられる、攻撃をよけることもなんとかできる。だがそれは――
「手加減しているからそうなるんだよ」
そう、エルザがあくまで手加減をしていたからできたことだ。彼女の腹、臓物を狙うという異常な性癖、そして自分よりも圧倒的に強者であるという慢心からだろうか、先程からどの一撃も確実に殺しに来てはいない。いや、正確には一撃で仕留めようとはしないとでもいえばいいだろうか。
「ええ、そうね。正直油断していたわ。それにそろそろもう一人も追わないといけないし。だから」
手を抜いていたというシャオンの発言を否定することもなくぺろりと唇をなめる。
シャオンの言葉に彼女は腰を沈め、飛びかかる獣のような姿勢をとる。足に力を込めているのが見てわかる。
「――今から本気でいかせてもらうわ」
彼女の低い声とともに、空気が変わった。
最近リゼロの作品が増えててうれしいですね。