ラインハルトと別れた後、走りながらスバルとシャオンは盗品蔵に向かっていた。
「それで? 行動指針はどうなんだ?」
「俺がロム爺のところに行って交渉の下地を作ってくるよ。お前はフェルトの捜索を頼む」
最初と同じように二人で蔵に突入しようかと考えたが、二人で同時に蔵を訪れるよりは分散したほうが効率がいいだろうと考えた結果の指針だ。
「見つけたらその段階で徽章の交渉をしたほうがいいか?」
「……いや、下手に挑戦しないほうがいい。決裂したときのデメリットがでかい」
うまくいけばいいが、最悪の場合は交渉の場に立たせてもらうことすら難しくなるかもしれない。それだったら盗品蔵でロム爺からも援護をしてもらいながら交渉を進めたほうがいい。
「了解。後さ、気になったんだけど」
スバルが走るのをやめこちらに話しかける。仕方ないのでシャオンも立ち止まり話を聞く。
「お前はどれぐらい戦えるんだ? ”癒しの拳”と”不可視の手”を駆使して戦えばエルザを倒せるんじゃないか?」
「わかんないな。正直、無理な気がする」
エルザに対してあの二つの力は確かに有効打となるだろう。一撃で死ななければおそらく戦闘は続行でき、壁をえぐり取ったあの手は当てることさえできれば彼女を撃退できるだろう。
ただし、当たればの話だ。
彼女はそれなりに場数を踏んでいる、勘もそれなりに鋭いだろう。下手をすれば発動の予兆を読み取られ、躱されるかもしれない。そしたら二撃目の命中率はほぼゼロになるだろう。
もう一つの能力については自身を攻撃することで致命傷もほぼ完全に治すことができるものだ。だが、それは生きていることが条件だ。一発で首を切られてしまっては能力を発動する暇もなく死んでしまう。
いくら強い能力があったとしても油断はできないのだ。
「って、なんだその名前」
”癒しの拳”と”不可視の手”。傷ついた体に攻撃をすると治る能力、シャオンにしか見えない破壊力抜群の手。確かに名前は能力にあっているかもしれない。だが、なんというか名前を他人につけられるとむずがゆい感じがする。
「気に入らないか? 俺もカタカナ読みのほうが必殺技っぽいなと思っていたんだよ」
「……今のままでいいよ」
碌な名前にならないと思い妥協する。変な名前を付けられてしまったら使用するたびに思い出してしまいそうだ。
「それじゃあ、俺は盗品蔵に向かうから」
「おう。うまくやれよ」
互いに手を上げ、それぞれの目的地に向かって走る。
「それにしても、本当なんでこうなってんのかねぇ」
考え事をしていると曲がり角から現れた人影とぶつかってしまう。
予想外の衝撃に思わず「うぐ!」と息が詰まる。そんなシャオンを見て、ぶつかりかけた相手はおっとりとした仕草で、声をかける。
「あら、ごめんなさい。大丈夫かしら?」
「ああ。大丈夫ですよ――ええ、本当に」
気遣う女性の声に、顔を上げ相手を確認する。――声が詰まらず、応対できた自分をほめたい。
「本当に大丈夫?」
耳にかかる髪をかき上げる。ただそれだけの仕草がどこか艶めかしく、相変わらず挙動の一個一個がやたらとエロいとシャオンは内心で思う。流石に前回の世界でやられた仕打ちから顔を赤くしてドキマギするなんてことはないが。
ぶつかった女性はエルザ、仕草がエロい艶っぽい美人のお姉さん――絶対に再会したくなかった相手であり、今回のボス的存在だ。
「――不思議ね」
「なにがです? きれいなお姉さん?」
自身が徽章を狙っていることを悟られないように、愛想笑いを張り付け、相手の会話に乗る。
「貴方、恐怖や怒りを私に向けているわね」
「なーに、黒髪黒目で露出強の女性にいやな思い出があってね。怖がるのも仕方ないんですよ」
動揺が顔に出そうになるのを何とか堪え、笑顔を張り続ける。
「ついでに、聞きたいのですが。なんで俺が貴方そう感じていると?」
「臭い……」
エルザはその双眸を嫣然と細める。
彼女の言っている意味が分からず首をひねるシャオンに、彼女はその形の良い鼻を小さく鳴らして、近づく。
「恐がってるとき、その人からは恐がってる臭いがするものよ。とってもとっても甘い香りが、ね」
こちらの内心を暴露しながら上目で見上げてくるエルザ。憎たらしいぐらいに楽しそうだ。
そんな彼女に無言の愛想笑いで応じながら、シャオンは早鐘の鼓動を殺そうと呼吸を深くしていた。
――彼女の言葉はすべて事実だ。
シャオンは彼女が恐い。今、この世で恐い人間はぶっちぎりで目の前の彼女だろう。
そして、同じくこの世で一番憎たらしい人間も目の前の女だ。前回殺された相手だ、心底から恐怖に震え上がるし、怒りに燃えるのも至極当然のことだろう。
笑みを張り付け押し黙るシャオンに対して、エルザの瞳が蛇のように細められる。その視線に射竦められながらも、しかし目をそらすことはできない。そらしたらそれまで、何をされるかわからない。だから目をそらすことだけはしない。
彼女はそんな虚勢に愉悦を感じながら唇を舌で湿らせ、
「……少し気にかかるのだけれど、いいわ。今は騒ぎを起こすわけにいかないから」
「あんましビビらせると美人が台無しですよ?」
「あら、お上手」
笑みを浮かべる彼女にお世辞を込めて笑みで返す。そして右手を差し出し、
「これも何かの縁です。俺の名前はシャオン、ヒナヅキ・シャオン。あなたの名前は?」
「――エルザ・グランヒルテよ。よろしく」
自己紹介をするとエルザは少し呆気に取られてはいたが彼女はシャオンの手を取り、握手を返す。
「それじゃ、失礼するわ。また会えそうな気がするわね」
「ええ。次は酒を飲みながら、夜景が見える場所ででも」
現在はいっぱいいっぱいでそんな皮肉を言うのが精いっぱいだ。
エルザは悩ましげな微笑だけを残し、黒い外套を翻して路地の闇に溶ける。文字通りに消えた彼女を見送って、シャオンは胸をなでおろしながら空を仰ぎ見る。
「……予想外の再会だったな、この時点で蔵付近にいたのか。ったく、冷や汗でびしょびしょだ」
予期せぬエンカウントに心がへし折られそうになった。できる限り、彼女と会うのは今回が最後であるのを祈りたい。
「もしくは名前を互いに知っている仲ってことで見逃したりしてくんないかなぁ」
そうぼやきながら歩いていると予想よりも早く、盗品蔵の前にたどり着いた。
「さて、友好的にいこう」
少し強めに扉を三度ノックする。すると待つこと数秒、くぐもった声が聞こえてきた。
「大ネズミに」
「毒」
「白鯨に」
「釣り針」
「我らが貴き――」
「ドラゴン様にクソったれ、だろ?」
前回聞いた符丁をそのまま繰り返すとゆっくりと思い扉が開き、中からこれまた前回と同じような埃臭い巨体の老人、ロム爺が現れる。前回の世界で無残にも切断された腕はそのことが夢だったかのように傷跡すら残っていなかった。
「……入れ」
彼は不機嫌そうな声で蔵に入るようシャオンに言う。
「符丁を遮るでない。まったく」
ぶつくさと文句を言うロム爺を気にせず、中にある椅子に腰を下ろす。
「さて、ロム爺。単刀直入に言おうフェルトがもってくる徽章を買い取りたい。できるだけ迅速に」
ロム爺の孫のような存在、フェルト。彼女の名前を出した瞬間、ピクリと彼の眉が動いたのがわかった。
「取引方法は金貨ではなく物々交換だ」
まくしたてるように話を進め、こちらの交渉のカギであるミーティアこと『スマートフォン』を取り出し、机に置く。
「ミーティア。盗品蔵の主であるアンタならしっているだろう? その価値を」
そのでかい手でスマートフォンをつまみ、物珍しいような顔で眺めている。数分後、半ば納得ができないような表情を浮かべながらも、ロム爺は静かにスマートフォンを置いた。
「取引は行おう。だが……いろいろ聞きたいことはある。どちらにしろフェルトの奴はまだもどってきておらん。それまで話を聞かせてもらえんか」
「ああ来るまでな。連れが彼女を探しに行っているからそこまでかからないと思うが」
スバルがへまをしない限りはタイムリミットまでに彼女を連れて戻ってくるだろう。
余計なことはしゃべらないように、と釘を刺していたから交渉開始前に失敗しているなんてことはないはずだ。
「まず、お主はフェルトがその目当ての徽章を持っていることはなぜわかる?」
「取られる現場を見たからだよ。正確には連れが、だけどな」
話を聞く限りでは疾風のような速度で偽サテラに迫り、かすめ取ったという。できれば未然に防いで欲しかったが以前見た彼女の走る速度を考えてみると無理だろう。
「なぜそれを欲する? パッと見た限りではこのミーティアは件の徽章よりも価値は高いぞ?」
「聖金貨20枚ぐらいはするだろうね」
前回の世界でロム爺自身が鑑定したのだ。恐らく現在の彼も同じ評価をするはずだ。
「なぜ、それを知ってて損をするような真似を?」
今までノータイムで答えていたが、ロム爺のこの質問で返答に詰まる。
よくよく考えてみればシャオンはわざわざ彼女のために動く必要はないはずだ。
スバルは恩返し、もとい惚れた弱みで動いているかもしれないがシャオンはそうではない。だが、放っておこうとは思えなかった。
顎に指を当て、考える。そして――
「……損がしたいから」
「は?」
ポツリと呟いた言葉を聞き漏らすことなくロム爺が訊き返す。
シャオンは首を振り、小さく笑う。
「冗談。俺はスバルとは違うからそんな理由では動かないよ」
「では一体……」
「理由としては弱いし、信じられるかわからないけどただ友人がその徽章を欲しがっているからだ」
結局のところシャオン自身にも理由はわからない。ただ、スバルが動くのに協力しているから動くといったところ、だろうか。
「つまりは他人のために、ということか? 報酬もなしに」
訝し気にこちらに視線を送るロム爺。やはり彼は無償で働くことが信じられない、もしくは愚かなことだと考えているのだろう。
「いいや、結局これは自分のためになるんだ。決してほかの人のためじゃない……あ、でもやっぱ損すぎるからさ。簡単な盗品、できれば武具をもらっていい?」
「ふむ、別に構わんが……どんなものが欲しいんじゃ?」
「それはロム爺に任せるよ」
ゆったりとした足取り奥に消えるロム爺。その光景に軽いデジャブ感を感じ、ロム爺がもってきたものを見てさらにそれが強まる。
「ほれ、こいつでどうじゃ」
「……運命の力ってスゲー」
乱暴に放り出されたものは、前回の世界でも貰った手甲とククリナイフだった。
シャオンが武器や防具などをロム爺に要求すれば必ずこれらが出るのかもしれない。検証してないので確かではないがそんな気がする。
シャオンがそんな運命力の強さに感心していると後ろから扉が叩かれる音が聞こえた。
ロム爺が立ち上がり、入り口の前で先と同じ符丁を口に出す。するとそこにいたのは、
「おいロム爺……って」
予想外の来客がいることに驚いているフェルトと、
「おー、待たせたな相棒」
なぜか泥に汚れているスバルの姿だった。
◇
「なんでそんなに汚れてんの?」
「ちょいとひと悶着がありまして」
「あんまり問題を起こすなって言ったのに……まぁいいが」
フェルトの機嫌を損なわせてはいないのでこれ以上は責めない。責めて話をこんがらせてしまっては元も子もない。
するとロム爺から詳しい話を聞き、ミーティアを二つ調べていたフェルトが口を開いた。
「駄目だな。こいつを売るにはもう一人の取引相手を待つ必要がある」
「な、なんでだよ!」
「……今売るならミーティア二つ分だ。聖金貨40枚はくだらないのは分かるだろう? なぜだ?」
予想外の事態に焦りながらも努めて冷静にフェルトに理由を尋ねる。彼女の性格から考えて利益が多く得られるなら直ぐにでも飛び付くと践んでいたのだが。
「だからこそだ。なんでそんな価値のあるものを取引に出す。この徽章にそこまでの価値があるとはあたしは思えねぇ」
フェルトは手の平のなかで徽章を転がしながら彼女自身の考えを口にする。
「疑い深いんだな」
「つり合いが取れてねぇんだよ、当然裏があるかどうかぐらい疑うさ」
隠すことなく堂々とこちらを疑っていることを口に出す。このままでは交渉は難しいだろう。
そこで、シャオンは切り札の一つを切り出すことにした。
息を小さく、だが、深く吸い込み顔に笑顔の仮面を張り付ける。
「ロム爺はもう気づいているかもしれないけど、俺たちはとある貴族だ。所謂お忍びで来ている」
その言葉にフェルトの表情はわずかながらに変化する。それはいい意味での変化ではなく、むしろ恐怖や敵意のような負の感情が露わになるものだった。だがそれは承知の上だ。
「言いたいことはわかるな? できるだけ、穏便にすましたい。できるだけ、な」
含みを持たせる言い方、口調でフェルトたちに語り掛ける。もしも鏡があればそれはそれは胡散臭い顔が映っているだろう。
「おい、シャオン」
「スバルはちょっと黙ってて」
スバルが言いたいことはわかる。こんな脅しのようなことはシャオンだってやりたくない。だが現在残された交渉の材料はこれぐらいしかない。
実際には貴族でもなんでもないがそれを確かめる方法は現在彼女らにはない。家名などを尋ねられたら面倒だが、適当に嘘をつきごまかすこともできるだろう。
「さて、もう一度聞くよ? 売る? 売らない?」
「……理由を聞かせろ」
「理由?」
苦虫を噛み潰したような表情とともに小さな声でつぶやかれた言葉は予想と反したものだ。
「アンタ達がなんでこの徽章に執着しているのか、それを聞かせろ。納得ができたら今すぐに取引してもいい。アタシに依頼してきた姉さんも話たがらなかった、そしてあんたら二人も話したがらない、これじゃあ素直に取引を行うわけにはいかない」
それはそうだ。エルザも依頼されてきただけで恐らく徽章を求める本当の理由は知らされていないはずだ。つまりこの徽章の価値をしっかりと把握しているのはエルザの雇い主と、持ち主である偽サテラだけだ。
だがそんなことを知りもしないフェルトの追撃は続く。
「それに加えてアンタ達は貴族だ。アンタが言ったことだぜ? そんな奴らが盗みを依頼されたこの徽章を横からかすめ取ろうとしているわけだ」
「それは――」
「違わねぇだろ? だって交渉を急いでいるってことは盗みを依頼した奴よりも早く手に入れたいってわけだ」
言い訳をしようとしたがそうはさせまいとフェルトが睨み付ける。
「それに、アンタ達はこの徽章に聖金貨40枚の価値をつけているしロム爺もそれを保証した。だったら信憑性はあるだろうよ。だがなにもしなくても一、二年は過ごせるほどの大金をこんなちっこい徽章に出すなんてのは怪しすぎる。しかも、さっきも言った通りアンタらはこれを横から奪い取るんだ。当然、後ろ暗いことだろう?」
してやったり顔でこちらを指さす。
「貴族が欲しがり、かつ後ろめたいこと。……こいつはアタシの勘だがこれはミーティア二つ分以上の価値があるってわけだ。もしもアンタ等がこの徽章を求めている理由がただ珍しいからだった、なんて理由だったらまぁアンタ達にしか価値がないっていう訳だから交渉を早めてもいい」
グラスに残っていたミルクを飲み干し、彼女は宣言する。
「でも、違うならまだ交渉はしない。もう一人の交渉相手が来るのを待つ」
――まずい、手詰まりだ。
予想外の理由に心中で焦る。
後残っている手で有効なのは力付くで奪うことだ。しかしこれはなるべくなら使いたくない。路地裏でごろつき達に使った不可視の手は人を殺すのに十分な破壊力を持っている。まだ使いこなせるかどうかわからないこの能力で殺さず、かつ戦意を損失できるだろうか?
もしも手加減をせず、殺してまで奪うとなれば確かに楽だろう。だが、それは人としてどうなのだろう? いくら異世界の人物で、仲がそこまでよくなくても自ら進んで人を殺したいとは思わないし、思いたくもない。
「フェルト、頼む……」
爪をかじりながら悩んでいるととスバルが、頭を下げて頼み込んだ。
「いくらお願いされてもダメだ。アンタ達を交渉相手としては認めるよ、後がこえーしな。でも、相手方の意見も聞かなきゃフェアじゃない。これの価値を話して、相応の対価を用意するなら話は別だけど」
問い詰める瞳には微塵の容赦も慈悲もない。
少女の双眸はこちらの態度から、真実を掴み取ろうと懸命な様子だ。だが、事実として監視していても徽章の価値は知れない。
こちら側が徽章を欲する理由はエルザのそれと違い、ただの恩義に関わるものだ。
それ以上は宝石のはめられた徽章、といった外観の内容しかわからず、フェルトの知識と大きな差はない。
そもそも偽サテラがなぜこれを欲しがっているのかすらシャオン達はしらないのだ。 故に、フェルトの求める答えを差し出すことはどうやってもできないのだ。
「俺が、それを欲しがるのは……元の持ち主に返したいからだ」
「――は?」
「俺はそれを持ち主に返したい。だから徽章を欲しがってる。それだけだ」
目を見開くフェルトに対して、スバルは顔を上げて同じ言葉を告げる。
深紅の双眸が敵意をはらんで威嚇してくるが、スバルはそれを受け止めた上で押し黙っている。付け加えることも、言いつくろうこともしない。
「俺からも頼む、いや頼みます」
シャオンも倣って頼み込む
確かに出せる手はある程度だした。相手も妥協をしてくれた。ならばこちらは正直に話し、誠意を込めて膝をつき、頭を下げるだけだ。
「……フェルト。どうもこの小僧等、嘘をついてるようには見えんが」
「ロム爺までほだされんなよ。冗談に決まってんだろ? 持ち主に返す? 大金まで払って盗んだ相手から買い戻してかよ? 馬鹿馬鹿しい。衛兵のひとりでも連れてきて、アタシをとっ捕まえちまえばそれで済む話じゃねーか」
それはできない相談だ。
偽サテラはこの件に、衛兵が関わることを是としていない。だから、協力を申し出るラインハルトの好意すら断ったのだ。
それが彼女の不利益につながるのであれば、こちらはその方法を選択することはできない。
「つくならもっとマシな嘘をつけよ。真剣なふりしても騙されねーよ。そうじゃなきゃ、アタシは……そうさ。アタシは騙されない」
「フェルト……」
なにかを振り切るように、フェルトは絞るように掠れた声を出す。
気遣わしげなロム爺は彼女の胸中を知っているのか、その表情は痛ましげだ。ただ、その頑なな態度がフェルトの心変わりを固く禁じているのがわかる。
つまり早める交渉は、失敗に終わったということだ。
「仕方ない」
シャオンは肩を落とし、懐からロム爺からもらったナイフを取り出した。
「なっ!」
「お主っ! やる気か!」
交渉が失敗したから無理矢理にでも奪うのかと思いフェルトは慌てて距離を取り、ロム爺はこん棒を構える。
「おい、シャオン!」
「身構える必要はないよ、スバルも落ち着いて。交渉自体は反古にされないんだから」
慌てて止めるスバルにも椅子に座るよう指示する。
「とりあえずはもう一人が来るまでリンガ食べる? 剥いてあげようかと思ったんだけど」
「……そのナイフで剥こうとするなよ」
この時始めてシャオンを除いたメンバーの心が一致した瞬間だった。
◻
三人からツッコミを受けた後、シャオンは鼻歌を歌いながらリンガの皮をむいていた。むろん、もらったナイフで。
「シャオンお前切るのうまいな」
スバルが一つのリンガを手に取り、感心したように眺める。そのリンガは市松模様に飾り切りにしたものだ。この模様がこちらの世界で存在するのかわからないが、ロム爺とフェルトも驚いたように見ている。
「妹によく切ってやったからね。ほら、薔薇と兎」
「ほぉ、器用なもんじゃな」
そうした小技を披露していると、背後でトントンと扉をノックする音が耳に入った。
「アタシの客だろう。まだ早い気がするけど」
フェルトが切り分けたリンガを一つ食べ、入り口に走っていく。
時刻的に来訪者はエルザだろう。しかしこの段階ではまだ敵対することはないはずだ。
流石にフェルトとロム爺もそのことをバラしてしまってはまずいと考えているだろうから大丈夫だ。問題は、スバルだ。
「スバル、口を滑らすなよ。もしもなにか聞かれたら適当に自分のためとか言っておけ。それか彼女に渡すプレゼントとか」
「まじか、照れるな」
恐らく偽サテラのことを頭に考え、頬を染めるスバル。大丈夫かどうか不安になっている中、扉が開かれた。
「うわっ!」
「やっと見つけた」
しかしそこにいたのは黒い殺人鬼ではなく――
「よかった、いてくれて。今度は逃がさないから」
――銀髪の少女、偽サテラだった。
「しつこいな、アンタも」
「残念だけどその徽章はほんとーに大事なの。今なら何もしないから返して」
フェルトに詰め寄る彼女のその表情は冷たく、顔つきも険しい。だが、彼女の言葉には隠し切れないやさしさがにじみ出ている。
そのことに緊張感は解け、あることに気付く。
それは彼女の胸元につけられている一つの花飾り。あれは一度目の世界でカドモンの娘からもらったものと同じだ。
「……結局人助けしたのか」
自身の目的よりも他者を優先する。何度世界をやり直しても彼女のこの性格は変えることができないのかもしれない。スバルもそれに気づき、頬を緩め彼女とフェルトの間に入り込む。
「まぁまぁ、ややこしくなるからもうこれで終わりにしよう。フェルトももう観念して徽章を返してやれよ。君も、早急にこんな場所からは出ていったほうがいい」
「なんで急に親身になってくれるの? ちょっと私、釈然としないんだけど」
「ほんとだよ。兄ちゃん、一体何なんだよ」
二人の仲を取り持とうとしたスバルだったがまさかの両方からバッシングにあえなく肩を落とす。そんな光景を遠くで見ていると、あるものが目に入った。
――すべるように黒い影が笑みを浮かべながら、偽サテラの背後に忍び寄っている姿を。
ナイフを投げようとしてもこの位置からでは当てることができない、彼女に声をかけても急すぎて伝わらないかもしれないし、何より防御が間に合わない。
万事休す、そう思った瞬間、スバルが叫んだ。
「――防げ! パック!」
叫びとほぼ同時に偽サテラにナイフが降り下ろされる。
無残にも少女の体は首と同体で二つに分割され、周囲に鮮血が飛び散る。――それがシャオン達の予想した未来だった。
しかし、なにかが削れるような音ともにその一撃は防がれた。
偽サテラは滑るようにして距離を取り、影に向き直る。そしてその時に気付く、彼女のうなじに張り付くように氷の盾が出来ていたのだ。
こんなことができるのは一人、いや
「なかなかどうして、ギリギリのタイミングだったね。助かったよ」
「気にすんな むしろナイスブロック! アンタが今日のMVPだ」
予想通り、彼女の相棒であり精霊であるパックが彼女の肩の上に現れた。彼が彼女を守ったのだろう。
偽サテラを襲った黒い影――エルザは目標を仕留められなかったのに唇を月のように曲げて、愉快そうに笑う。
「精霊、ね。ふふふ、素敵! そんな存在の腸はどんな色をしているのかしら」
「おい! どういうつもりだ!」
「私が頼んだのは徽章よ? だれも徽章の持ち主ごと連れてこいなんて頼んでないわ」
ため息を吐きながらフェルトに冷たい一声。一転、蠱惑的な笑みを浮かべる。
「――まぁ、うれしい誤算だったけど」
獲物の数を指差しで数えているとエルザはこちらに見知った顔がいることに気付く。
「あら? あなたは」
「先ほどぶりですね、エルザさん。こんな早くに会うとは思いませんでしたよ」
「ええ、本当に数奇な運命ね」
互いに笑みを浮かべる。
片方は皮肉めいた笑みを。もう片方は愉楽じみた笑みを。
「さて、スバル――」
「シャオン」
スバルに声をかけようとするとそれを遮るようにスバルが先にこちらに声をかけた。
「待ち遠しかった明日まで後少しだ。踏ん張るぞ」
足を震わせ、歯を恐怖で鳴らして声を出す彼は情けない。情けないが紛れもなく主人公だ。だったらヒロインの前でその無様さを指摘するのも無粋だ。
それなら今のシャオンにできることは一つ、
「――あいよ!」
ただ、彼の助けになることだ。