Re:ゼロから寄り添う異世界生活   作:ウィキッド

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スバルルートです。
ちょっと長めです


鬼と鬼

「――ずいぶんと格好いい啖呵を切っていたけど」

 

 運命に対して宣戦布告を行って約十五分、足場の悪さに苦労しているスバルにラムがそう前置きして、つぶやく。

 

「落ち着いて考えると、別にバルスが最前線で戦うみたいな条件じゃないわよね。むしろさっそくお荷物になっていることから失望しているのだけれど」

「う、うるせぇやい!」

「……おんぶするっすか?」

 

 あまりにもたどたどしい動きだったからだろうか、背後からアリシアの気遣う声がかけられる。

 

「女性に気を遣われてどういう気分かしら? バルス」

「ひっじょーに、申し訳ないです」

 

 正直その提案を呑み、楽になりたい気持ちは十分にあった。だが、男子として女子の背中にオブるというのはかっこ悪いのではないだろうか、というスバルなりのプライドと、あまりにも足を引っ張ってしまうとラムに村へ返されてしまうのではないかという不安から、その欲求に従うことはなかった。

 

「本当っすか?」

「バルスがああいっているんだから、いいのよ。それよりアリィ、ラムは足が疲れたわ、背中に背負うことを許すわ」

「絶対余裕あんだろうよ姉さま」

 

 ラムに対して文句を言いながらスバルは手にした剣を杖代わりに地面を突き、足元を確かめながら歩いている。

 

「まさか初めて持つ真剣を杖代わりにしちまうとはな……」

 

 現在スバルの手に握られている剣はアーラム村の青年団から譲り受けたものだ。スバルが元の世界で持っていた木刀とは違い、しっかりとした重さを持っているそれを譲り受けた時の青年団の代表者の顔は印象に残っている。

 魔獣の森に入る、と告げた時驚き、止める声は多数あった。だがスバルの表情からいくら止めても無駄だと悟り、それでも手ぶらでは危険だと剣を渡されたのだ。

 そして、村で託されたものはそれだけではない

 

「ポケットの中に……菓子と、きれいな石と……うおおおお! 虫入れてやがった!」

 

 色々と詰め込まれたポッケの中を探りながら、嫌な感触にスバルが悲鳴を上げる。窮屈な場所に閉じ込められていた羽虫はスバルの手を離れ、森の奥へとそのまま消えていった。

 

「どさくさに紛れて何ちゅうもん入れてんだ」

「慕われているんすよ」

「……なんでなのかは理解できないけどね」

「子どもの純真な瞳には、俺という男の本質がきらめいて見えるんだよ。それに、慕われているのは俺だけじゃない」

「……そうね」

 

 納得を躊躇うようなラムの声に、スバルは満足げな顔で何度も頷く。

 村を出る前のやり取りは、それなりにスバルの琴線にも触れるものがあった。同じくそれを見ていたラムにとっても、そうあればいいなと思っている。

 

 ――村を出て、魔獣の森に入る。

 村人に隠して森に入ろうとしたスバルたちを察知したのは、いまだマナを搾り取られた影響の消えていない子どもたちだった。

 疲れて眠っていた子供たちがスバル達の出発に気付けたのは偶然だろう。いや、ある意味必然だったのかもしれない。

 スバルとレムに直接礼を言おうとしていた彼らはスバルたちに気付くと、お礼と称して様々なものをスバルのポケットにブチ込んだ。

お菓子も、綺麗な石も、あの羽虫ですら、彼らにとっては感謝の気持ちを形にあらわしたそのものだ。無碍に扱うことなどできるはずもない。

 そうしてわりと不要な感謝の形を押しつけられて動揺するスバルに、子どもたちは笑顔を浮かべて言ったのだ。

 

「レムりんにもお礼が言いたいから、あとで連れてきてね……か」

 

 彼女が今どれほど危険な場所で、なんのために命を賭けて戦っているのか。

 子どもたちはそれを知らない。そして、知る必要もない。

 なぜなら――、

 

「安心しろって、クソガキ共。夜中に暗い森の中に入るような悪ガキ共は、相談もしないで早まった真似するお姉ちゃんと一緒に説教してやっからな」

 

 そして、最後にみんな勢ぞろいでハッピーエンドを笑顔で迎えるのだ。

 

 

「二人とも、またラムたちを見ている視界があるわ」

「……前に出たほうがいいか?」

 

 無言で頷く二人にスバルは覚悟を決めるように息を吸い込み、鞘から剣を抜く。

乱暴に投げられた鞘が付近の岩に当たり、甲高い音を立てる。

 その音を合図に静けさを打ち破り、聞きなれてしまった唸り声がスバルの鼓膜に響く。

 咄嗟に振り返ると、頭上から木々の隙間を縫って飛びかかってくる黒い獣。殺意を形にしたような鋭い牙はそのままの勢いでスバルの喉を狙い、反応が遅れたこちらの息の根を止めようとする。

 

「――ッ!」

「どうしてスバルを真っ先に狙うんすかね?」

 

 目の前で聞こえたのは骨の砕かれる音と少女の疑問の声。

 ゆっくりと閉じた目を開くとそこには、首から上がない魔獣の死体が横たわっていた

 

「弱いからでしょう」

「……今助けられていなかったら否定したかったけどな」

 

 拳についている血をふき取るアリシアの姿が見え、彼女の仕業だと推測する。

 森に入ってから数度、魔獣はスバル達に単独で襲撃を仕掛けてきている。いずれもアリシアの拳か、ラムの魔法によって撃破してきた。

 魔獣の死骸に軽く手を合わせて、それからスバルは首を掻きながらラムの言葉に肯定し、再び歩き出す。

 歩き出して、数分。ようやくスバルは覚悟を決めて問いかけた。

 

「ツノナシってなにか聞いてもいいか?」

 

 森に入る前、ラムが自ら口にしていた単語だ。

 なんとなしではあるが想像のつく単語、それに対してラムは足を止めず、そして振り返らないまま、

 

「聞いたまま、鬼のくせに角を失くした愚物に与えられる蔑称よ」

 

 鬼、という単語の出現に、スバルの脳裏を昨夜の光景がよみがえる。

 森の中、返り血を浴びて哄笑を上げるレムの姿。その額から鋭く伸びた、白い角は忘れられない。まさしく、お伽噺で知る鬼の姿そのものだった。

 ただ、双子であるはずのラムの額にはその角の兆候は見当たりもしない。隠している可能性もあったが、その可能性は今さっき本人の口から否定されてしまった。

 無言の内に納得のいかないスバルの気持ちを酌んだのか、ラムは自分の桃色の髪に手を差し込んで、

 

「ちょっとしたいざこざで、一本しかなかった角を失くしたのよ。以来、何事もレムを頼ることにしているわ」

「……悪い」

「なぜ謝るのかしら?」

 

 前を行くラムが振り返り、本当に不思議そうに首を傾ける。それに対してスバルは頬を掻くアクションで応じながら、

 

「いや、鬼って種族にとって角がどんだけのもんだか知らないけど、予想じゃかなり大きい問題だろ。それにけっこう不躾に触ったかなぁと思って」

「――鬼にとって、角の有無は命にかかわるものっす。角がなければ忌み子としてみなされるっすよ」

 

 アリシアはか細い声で付け加え、それにラムも頷く。

 

「アリィの言う通り、角がなければ鬼としては致命的だわ」

 

 でも、と言葉をつづけ、

 

「当時はともかく、今は落ち着いているわ。角を失くしたことで、得たものも拾えた命もある。そのあたりのことは天命のひとつだわ。でも……レムは、そうは思っていないでしょうね。――だからこそ、早く見つけてあげないといけないのだけど」

 

 切なげに響く声を区切りに、ラムがこちらに手振りで制止の合図をする。

 千里眼が入るタイミングだ。今度こそ抜かりなく、彼女の周囲を警戒する

 右目が真っ赤に染まり、彼女の視界はここから彼方へと移動する。跳躍した視界の先で、また別の視界に乗り移り、目的の存在を探し出す。

 千里眼を使うたびに、血の涙がラムの白い頬を濡らし、両の足が小刻みに震え、意地を張って前を行く体は何度も目眩を起こしたように揺れる。それでも、ラムは森を進むことをやめようとしない。

 辛いとも苦しいとも、彼女は弱音を口にしない。

 それは今ここにいるのがスバルやアリシアだからではない。エミリアやベアトリス、恐らくは崇拝しているロズワールにも口にはしないだろう。

 本質的な部分で、けっきょくのところ彼女とレムの双子は似た者同士。

 無理をするのが自分の方であるならば、それを躊躇せずにやる性質。スバルが異世界で知り合ってきた人物は男女問わず皆、少しばかり他人優先が過ぎる。

 

「くそっなんでみんなこうも自分を犠牲にできんだよ――自分がかっちょ悪すぎて嫌になるじゃねぇか」

「ははは。スバルもそう人のことを言えないんじゃないっすか?」

 

自分を卑下する発言を聞いていたアリシアに呆れた様に笑われる。

 

「なんでだよ」

 

 意味も分からず笑われ、顔を近づけてにらむ。だがアリシアは更に笑みを深め、

 

「結局子供たちを救うため、レムちゃんを救うために無茶してるじゃないっすか」

 

 スバルの鼻を指で弾き、

 

「そういうの、かっこいいっていうんすよ」

 

 にへへ、と照れたように微笑む。

 

「……悪いけど、俺の心はエミリアたん一筋だから」

「お生憎と、アタシは身持ちが固いので」

 

 照れ隠しの言葉にアリシアは舌を出して反論。彼女とのやり取りで肩の力が少し抜け、落ち着けた。

 落ち着いたからこそラムの覚悟を確かめるように、尋ねた。

 

「――ラム、レムが大事で心配か?」

 

 千里眼を使用中、彼女の意識を乱すのは良くないとわかっていながらの質問。

 目を血走らせ、視界をここに置いていないラムは一拍遅れて、

 

「当たり前でしょう。確かにあの子の方がラムより強い。でも、それは心配しない理由にはならない」

「……うん」

「なにをやらせてもあの子の方がずっと上でも、ラムはあの子の姉様だもの。その立場だけは、絶対に揺るがない」

 

 なにがなんでも、妹を助ける。姉という立場ならその命を犠牲にしてでも助けるのが当たり前だとでも言いたげに。

 それを認めてしまったからには、スバルもまた覚悟を決めるしかない。

 

「本当はレムと合流してからってのが理想だったんだがなぁ」

 

 スバルの態度に腑に落ちないものでも感じたのか、成果を得られなかったラムが千里眼を終了して視界を取り戻す。

 血の溜まる右目を懐から出した布巾で拭き、彼女は怪訝そうに眉を寄せ、

 

「バルス、なにをする気なの?」

「現状だと足引っ張るためだけについてきたみたいなもんだろ、俺。森に入る前に言ったはずだぜ、俺。レムを助けるのに、ちゃんと役立つってな」

 

 半信半疑の可能性ではあったものの、現状では勝算は七対三ほどまで持ち直している。もちろん、残りの三を引いてしまうリアルラックの不安はあるが、

 

「――お二人さん、ちっとばかし危ない橋を渡る気はあるか?」

「「今更?」」

 

 重なり合う二人の声にそれもそうか、とスバルも同意し覚悟を決める。

 

「そんじゃ、戦闘は任せるわ」

 

 情けない言葉を吐き、代わりに大きく息を吸い込む。そしてスバルは――

 

「二人とも、実は俺は――」

 

 ――『死に戻っている』と口にしかけた。

 

 あえて、そうあえて告げることを禁じられたそれを告げようと、禁忌を破ろうとスバルは振舞う。スバルがなにを口にしようとしているのか、身構えていたラムの表情が凍った。

 

 否――時間が制止したのだ。

 

 世界が色を失い、音が消滅し、時間の概念が根こそぎ吹っ飛ぶ。

 

――きたか。

 

 呟きは実際に音とはならない。

 だが、目前のそれに届けと、あらん限りの毒は込めてやった。少しは気持ちが通じ、遠慮というものを学んでくれればよし、だ。

 ――時間が制止した世界で、ただひとつその影響を受けない黒い靄。

 どこからともなく現れたそれは、虚勢を張るスバルの前で腕の輪郭を作り始める。手指が生まれ、手首が生じ、肘が生えて二の腕が派生――そこまでは前回までも見届けた靄の変異だ。だが、今回はさらに変化があった。

 

「肩まで……」

 

 二の腕を越えて肩と思しき形が象られる。

 手指の先から肩までを作り出したそれは、もはや立派な『一本の腕』と呼ぶにふさわしい。

 初見の時点から徐々にはっきりとした像を結び始めるそれ。回数を増すたびに靄による浸食が進むのを恐怖する。

 話ではシャオンはこの手に一度殺されている。だが、スバルは生きていた。

 なぜシャオンは殺され、スバルは生き残ったのかはわからない。ただの気まぐれなのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。

 その理由がわからないままこの腕を呼び出すのは高リスクだったが、このままでは手詰まりなのだ。だから、らしくない危険な賭け(・・・・・)をしたのだ。

 そんなスバルの覚悟を無視して指は躊躇いなく滑り込む。

 胸の薄い肉を越え、肋骨を撫でて、その胸骨の内側に守られる心の臓へとまっしぐらだ。

くるとわかっていても、痛みというものはある領域を越えれば耐えられるものではない。

心臓を直接握られるその痛みは、絶叫と狂ったようにのた打ち回ることをなくして語ることなどできない領域にあった。

 長く苦しい、堪え難い苦痛の時間が続く。

 心臓のリズムが狂い、血流がメチャクチャに押し出されて全身が悲鳴を上げる。痛みに血涙が噴き出し、奥歯は砕け割れそうなほど噛み締める。

やがて苦痛の時間は遠くなり、視界が真っ白に染まり――、

 

「大丈夫っすか?」

 

 呼びかけられて、スバルはアリシアに体を支えられていたことに気付く。

 俯いた口元からは涎が伝っており、慌ててそれを袖で拭って立ち上がりながら、

 

「危ね危ね、白昼夢」

「病み上がりなのに無理なことはしないで、ラムに任せて帰りなさい。それで、どうすればレムを……」

 

 言いかけて、ラムはハッと表情を変えると周囲を見回す。

 静寂の落ちた森の中、風に木の枝が揺れ、葉の擦れ合うかすかなざわめきだけが響いている。

 

「なにをしたの、スバル」

「……ちょいとばかり、痛みを伴う賭けに出てみた」

 

 あれだけの苦痛、その名残も今は体のどこにも残っていない。

 やはり、シャオンとは違ってスバルはあの手に殺されることはなかった。ただ、外傷もなく精神的に痛みを与え続けるという最悪な攻め方をされているのだが。

 いろいろと文句を言いたいが今は後回しだ。

 なにせ――、

 

「風が乱れて……獣臭が近づいてくる。それも、すごい数」

「二人とも右っす!」

 

 ざわざわと静けさを失い始める深緑の中、アリシアの叫びにラムの顔が右の方向へ。遅れ、スバルもそちらへ視線を送ると、複数の赤い光点が遠間から接近してくるのが見えた。

 まずは五匹。あと十数秒で激突するだろうそれに向き直るラムとアリシア。ふらつく体に鞭を打ち、隣で片手剣を鞘から抜き、スバルもまた避けられない戦いへ備える。

 

「レムはまだ見つからないのに……!」

「まぁ、安心しろよ。たぶん、そう遠くない内に合流できっから」

「どうしてそう言い切れるっすか!?」

 

 泣きの入ったアリシアの叫びにに肩をすくめて、

 

「レムの目的は森の中の魔獣を狩り尽くすことだぞ。――俺がいる限り、奴らは俺って獲物目掛けて食いついてくる。だからその内、レムもここにこざるを得ない」

 

 ずっと考えていた。ずっと疑問に思っていたのだ。

 魔獣が、スバルを標的に選ぶその理由を。

 この繰り返しのループの中で、スバルは魔獣とエンカウントするたびに必ず呪いを受けていた。それは避けられない運命であるというより、魔獣と遭遇した際には必ずスバルが標的に選ばれるという、運命の強制力が働いていたのかと思った。

 だが、正確には違う。

 魔獣は”スバルの存在”に過剰に反応する、のではない。同じくスバルに過剰反応をしていた彼女(レム)のおかげで気づくことができた。

 

「魔女の残り香、だ」

 

 魔獣とは、魔女が生み出したとされる人類の外敵。

 そして、奴らは魔女の臭いを漂わせるスバルに対して常に過剰反応を見せていた。森に入り、ことごとくスバルが襲われてきたのも同じ理由だろう。

 

「俺の体臭でおびき寄せるってのもなんか気持ち悪い話だけど――」

 

 やるならば豪快にやろう。

 森中の魔獣が、スバルの身に呪いをかけた全ての魔獣が集まり、それを追ったレムすらも合流してくれるぐらい、豪快に。

 

 それがスバルの考えた、レムと合流した上で自分も助かる上策。

 ――名付けて、『ナツキ・スバル囮大作戦』だ。

 以前に一度、死に戻りをエミリアに告げようとした際に靄が現れたとき、ぽつりとベアトリスがこぼしていた『濃くなっている』という言葉が引っかかっていたのが助けとなった。

 靄の出現とともに、スバルを取り巻く魔女の残り香は濃くなる。

 ――おそらく、あの靄は魔女となにかの関係があるのだ。

 だからあの靄が出現するたびにスバルから漂う魔女の気配は濃くなり、結果的に魔獣を呼び寄せる生き餌としての効果を発揮するようになる。

 死に戻りを同じく経験しているシャオンにはなぜかスバルとは違って臭いはついていない。そのことも気になるし、そもそもなぜ一切のかかわりのない自分と魔女が接点を持つのかも分からない。

 わからないことだらけでうんざりしてしまうが、

 

「ようやく、一手だ」

 

 この吐き気を催すほどの最悪な運命様を利用し、小さな一手、けれども確実な一手を返したのだ。

 心中で喝采し、片手剣を握り直すと、迫る魔獣に対して身構える。

 そして隣に並ぶ協力者たちに声高に告げた。

 

「じゃあ、戦いに関しては超お前頼りなんで、よろしく!」

「客観的に、自分がなにを言ってるのか振り返ってみなさい」

「……あとで一発なぐらせろっす」

 

 二人の声に遅れて、風の刃が、赤い光弾が正面から迫る群れにぶち当たる。

 ――魔獣との戦端が再び、キャストを変えて開かれようとしていた。

 

 

 大地を踏みしめ、飛ぶように前へ進む。

 足元の蛇のようにうねっている太い根に躓いてしまわない様にしっかりと足裏で踏みつけるように乗り越える。

 息が荒く、額を伝う汗が目に入り涙が出そうになる。だが、しっかりと前を向き、ただ走り続ける。

 

「戦えるって信頼したらこのありさまだよっ!」

「戦えていたでしょう、実際。思ったよりも戦えた時間が短いものだっただけで」

 

『ナツキ・スバル囮大作戦』を発動して約数分。

 その効果は十分どころか十二分に発揮された。

 まずラムは十匹ほど撃破したが、それ以上は体力がもたずに脱落、そしてスバルが剣を振り回して応戦するも二匹ほど負傷させ撤退。

 頼りの綱であるアリシアも善戦したが、十数匹の魔獣を相手にし、狩りつくせないと判断し退却。

 つまるところスバルの目論見通り集まり出した魔獣たちとの戦闘は苛烈を極め、三人は為す術もなく敗走を選んで森を駆け抜けていたのだ。

 

「でも十分働いたっすよ? 今ある魔鉱石の大半も打ち尽くしたっす。おかげでこの”ミーティア”も今はただの武器っす。ははは、お嬢が知ったら『無駄遣いせぇへんでよ』って言われそう」

 

 乾いた笑い声を上げながら、アリシアは両腕に装備しているガントレットを見せつける。

 見る限りでは何ら変化のないそれは当人にしかわからない大きな変化があったのだろう。

 

「くそ、早くレムに合流しなきゃいけないのにっ!」

 

 先ほどから遭遇するのは目当ての少女ではなく因縁のある魔獣どもばかり。相手の数が多く尚且つ得意なフィールド、そして今スバルの頭の中に残る不安要素は――タイムリミットだ。

 ベアトリスの推測が正しいのなら夕刻頃にはスバルの体に仕込まれた呪いが発動する。

 願うならそれまでに呪いをかけた魔獣どもを殲滅したいが、もしもそれが叶わないならば最低でもレムと合流し、スバル以外のメンバーを屋敷に戻したい。――死ぬのは、スバルだけで十分だ。

 

「……シャオンには申し訳ねぇがな」

 

 道連れになってしまう相棒に謝罪し、走ることに専念した瞬間、

 

「――バルス!」

「しまっ――!」

 

 ふいに森が開けて、足下の地面が消失し、内臓が丸ごと上に持っていかれるような浮遊感が襲いかかる。スバルは駆けていた勢いを殺せず、抱えていたラムごとその体を崖に投げ飛ばしていた。

 

「うぉおおおおお! ファイト一発っす!」

 

 落ちていくスバルの体を、間一髪アリシアが襟腰を掴むことで落下を防ぐ。

 だが、

 

「アリィ! 後ろ――!」

「へ?」

 

 間の抜けた声と共にアリシアの体は後続の魔獣による体当たりによって、吹き飛ばされる。

 当然、掴まれていたスバル達の体も崖下に吹き飛ばされていく。

 咄嗟にスバルは逆手に構えていた剣を再度大地に突き立て、

 

「いだだだだだ痛い痛い痛い!」

 

 右半身で地面を削り、突き刺した剣をねじりながら食い込ませて滑落を制御。だが、流石に何の力も持たない剣ではスバル達三人分の体重を支えるのは荷が重かったようで、甲高い鋼のへし折れる音が鳴り響いた。

 崖に突き刺した片手剣の刀身が、先端の三分の一ほどを斜面に残したまま折れた。あきらめず歪んだ刀身を慌てて崖壁に突き立てるが、先端が平らになってしまった分だけ刺さる勢いが甘く、単純な話――、

 

「うぉおおおおお! 助けてぇ! エミリアたん!」

「情けない声を上げるのね、最後に聞くのがこんな声なんて最悪だわ」

 

愛する人に祈るスバルの言葉に、ラムが諦観たっぷりにそう応じる。瞬間、突き刺さりの甘かった刃が斜面から解放され、落下が再開する。

 

「お二人とも! しっかりとつかまってるっすよ!」

 

 アリシアの言葉に無我夢中にスバルとラムは彼女の体に抱き着く。

 そして、彼女は両手を下に向け叫んだ。

 

「――ムラクっ!」

 

 瞬間、明らかに自然のものではない力が働いたのをスバルは感じ取れた。

 無理やり重力を消失させようとするような、妙な力。

 それがスバル達三人を守るように包む。だが、その力も次第に弱くなり、

 

「だめっ! 勢いを消しきれないっ! 二人とも、アタシを下敷きに――」

 

 アリシアの言葉を聞き取るよりも早く、スバルとラムは彼女によって場所を入れ替えられ――落ちた。

 女性特有の柔らかさに包まれながら、スバルは軽い衝撃に襲われ、周囲が砂煙に包まれる。

 

「ってて。おい、大丈夫か!?」

 

 砂煙を手で無理やり払うとスバル達の下にはクッションになったアリシアの姿があった。

 呼びかけても反応がない彼女に焦るが、ラムが落ち着いて脈を図り、一息。

 

「気絶しているだけね。彼女が陰魔法で落下速度を軽減してなかったら三人ともお陀仏だったわ――バルスッ!」

「うぉっ!」

 

 スバルが身を引くのと、その場所に上空から魔獣の死骸が勢いよく落ちてきたのは同時だった。慌ててラムを抱えその場から離れる。

 

「まずっ――!」

 

 アリシアをその場に残してしまい、急いで彼女の元に駆け寄ろうとしたとき、崖上から鎖の音と、獣たちの悲鳴がスバルの鼓膜を揺らし、動きを止めさせた。

 

「おいおい、嘘だろ」

 

――はるか頭上の崖上に、ひとりの人影が出現している。

 血に濡れた鉄球を手に下げ、正気をなくした瞳で崖下を睨みつける給仕服の少女を。

 その殺意に支配された視線と目が合った瞬間、スバルはこれ以上ない嫌な予感に背中がびっしょり冷や汗で濡れるのを感じた。

 

「――レム」

 

 ラムはいったいどんな気持ちでその名をつぶやいたのだろう。

 そんなことを考える余裕すら彼女は与えてくれず、跳躍、高い高い崖から難なくこちらの大地へ、『鬼』が降り立ってくる。

 深い森で魔獣に囲まれ、『鬼』と対峙し、頼りにしていた戦闘要員は意識をなくし離れ、唯一の武器である剣は半分ほどの長さしかない。

 ようやくスバルは最終局面に到達した、だが――

 

「それにしてはちょっと、俺の方が貧相すぎやしませんかね?」

「絶望的、というのはまさにこのことね」

 

 どれだけ、自分は絶望に愛されているのだろう。

 スバルは自身の不運と世界の意地悪さに嫌になりながらも、ようやく出会えた彼女に向き直った。

 

「レームりーん、お友達のスバルくんですよー」

 

 静寂の状況を一新するために、スバルはあえて陽気に振舞ってそう声をかける。

 そんなスバルの友好的な呼びかけに対し、レムの反応は、

 

「姉様を、ハナセ」

「バルス、無駄よ。今のレムは正気を失っているわ」

 

 ラムの言う通り今の彼女はどう考えても異常だ。鬼化したはいいけど、制御できないとでもいえばいいのだろうか。

 だが疑問が一つ。

 昨晩も同じく鬼化を行ったはずのレムだが、今とは違い、あの時点では即正気を取り戻していたはずだ。

 経過時間か、あるいは目も覚めるようなショッキングな光景が原因か。

 スバルが自分を庇い、目の前で重傷を負ったことがそれほど彼女の心に影響を与えたというのなら――、

 

「あえてスプラッタな光景を見せればワンチャン……?」

 

 チャンスどころかそのままデッドエンド一直線な予感しかしない考えに嫌な汗が頬を伝う。

 現状、どうすればいいかわからない。

 

「姉様……」

 

 その呟きにスバルはひらめく。

 今、腕に抱えている少女を渡せば、レムは正気に戻るのではないだろうか?

 恐らく彼女は完全に意識を失っているわけではない。先ほどからつぶやいている姉の名がその証拠だ。

 ふと、ラムに腕を軽く引っ張られる。

 

「バルス、死にたくなかったら絶対ラムを離さないことよ。離したら最後、レムはバルスを相手に加減する理由がなくなるわ」

「それも、そうか。どうやらすっげぇ恨まれてるらしいしな」

 

 どうやら考えていたことが読まれてしまったらしい。

 スバルがわかりやすい表情をしていたのか、それとも彼女が敏いのか。わからないがとにかく今はレムの攻撃をよけ続け、打開策を練るのみということはわかった。

 

「よっしゃ、来い!」

 

 その言葉を聞いてかどうか、レムは風を纏い、スバルめがけて走り出す。その時、

 

「――?」

 

 レムの体が石に躓いたかのようにつんのめる。転びはしなかったが、大きく体勢を崩した。

 ゆっくりと彼女はその原因へと視線を巡らせ、足元を見やる。そこには、

 

「――アリシア?」

「やっと……つかまえたっす」

 

 意識を失っていたアリシアが血だらけの腕を伸ばし、スバル達に近づかせない様にレムの足首を掴んでいたのだ。

 それを無視して進もうとするレムだったが、アリシアの握る力は思ったよりも強く、前に進むことはできないようだ。

 

「うぐっ!」

 

 レムは無視することができないならば排除するほうが早いと考え、アリシアの腕を掴まれていない足で踏みつける。

 鬼化した彼女の一撃は重く、流石のアリシアも苦痛の声を上げる。

 

「おい……やめろ」

「レムっ!」

 

 愛しい妹のそんな姿を見てられないからか、ラムは叫ぶ。だが、彼女の言葉は届いておらず、無残にも攻撃は続いていく。

 

「ぐっ!」

 

 蹴り、蹴り、蹴り続ける。

 腕を、頭を、顔を、腹を。一切の容赦はなくただ姉を守るために邪魔だから蹴り続ける。

 

「ごっ……!」

 

 とにかく蹴り続ける。鼻の骨は折れ、歯は欠け、彼女の体も顔もボロボロだ。だが、離さない。

 

「っ! いい蹴りっすね。でも、まだ――」

 

 言葉を最後まで発するよりも、ついにレムの一撃がアリシアの鳩尾をとらえ、体を吹き飛ばした。

 血の塊を口から吐き、崖壁に叩きつけられ、大きなクレーターを生み出してようやく彼女の体は止まる。

 まともに入ってしまった一撃は彼女の意識を刈り取った。だが、レムは今まで邪魔してくれた鬱憤でも晴らそうというのか動かない彼女に近づいていく。

 スバルと違って屋敷で過ごした記憶もないのに、共に危険である森に同行し、スバル達を守るために身を挺してかばったお人好しな少女。

 力不足を、度胸のなさを卑下するスバルを励ました優しい彼女、そんな彼女の命が、潰える。

 そう考えていただけで体が、動いていた。

 

「――――あぁああああああ!」

「馬鹿っ――!」

 

 恐怖をごまかすように体を震わせて叫び、地面に落ちている小石に躓きながらも駆け出す。

 だが、そんな叫びにもレムは反応せず、とどめとばかりに、足を高く掲げ、人間の頭を容易に砕くことができるだろう一撃を込めた蹴りを、アリシアに振り下ろす。

 

「やめろぉおおおおおおお!!」

 

 スバルの慟哭もむなしくレムの足は振り下ろされ、アリシアの頭蓋を粉砕し、血と脳漿を散らばせ、無残な姿態を作り上げる。

それが、スバルの予想した展開だ。

 だが、スバルをあざ笑うかのように目の前では信じられない光景が映っていた。

 

「――ッ!?」

 

 この驚きの声はいったい誰のものだろうか?

 ラム? スバル? それともレムだろうか?

 そんな疑問をすべて置き去り、目の前の異常は語りだす。

 

「――いい加減、痛いわね。片角」

 

 アリシアの頭を粉砕しようとしていた足が、嫌な音を響かせ、直角方向に折れ曲げられる。

 レムは苦痛の声を上げ、体をアリシアから離そうとした――だがそれを許さず、距離をとるよりも早く鋭い蹴りが彼女の腹めがけて放たれる。

 地面に足をつけていられずにレムの体は吹き飛び、岩にぶつかることでその勢いを止めた。先ほどとは真逆の状態だ。

 だが、戦闘不能には陥っておらず折れた足もすぐに修復し、レムは敵意のと警戒を込めた目でアリシアを見据える。

 

「ふぅ、流石に今のじゃ終わんない、か。まぁ加減したし」

 

 首をコキコキと鳴らし、アリシアは血が混じった唾を吐き捨て、立ち上がる。レムによって傷つけられた体も、崖から落下した際の負傷もすべて治っていく。

 その光景は、どこか既視感があった、だが思い出すよりも早く、気づいたことがある。――彼女の額から、金髪をかき分け二対の光る角が生えているのだ。

 

「ど、どういうことだよ」

「……彼女も、鬼ということよ」

 

 あっという間に変化した状況についていけないでいると、ふらつく体でスバルに近づいたラムが皮肉気味に笑う。

 

「レム以外の同族に会う機会が合うなんて、もうないと思っていたけど」

「ま、そういうこと。といってもアタシの鬼化はそこまで長引かない」

 

 こちらの声が聞こえていたのかアリシアは肩を回し、体の調子を確かめる。軽快なその動きから先ほどまでのケガは殆ど癒えたと見受けられた。

 

「というわけで、お二人とも。僅かばかり時間稼ぎはするんで何とか知恵を絞って正気の戻す作戦、頼むっすよ」

 

 こちらに、笑みを浮かべ、レムに向かって駆け出し――鬼と鬼の戦いが始まった。




早く投稿しなくちゃ……!

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