Re:ゼロから寄り添う異世界生活   作:ウィキッド

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始まります


嫉妬の楔
屋敷からの別離


「――いい加減にしてくれ」

 

 それは小さくこぼされた声だった。

 シャオンが聞きこぼさなかったのは偶然か、それとも彼の、スバルの声が――怨嗟のこもったものだったからか。

 それすらわからないままスバルの語りは進んでいく。

 今までため込んできたものが限界迎え、溢れ出したかのように吐き捨てていく。

 

「ああ、お前はいいよな? 魔法の才能もあって? 喧嘩も俺より強いし、チート能力持ちだもんなぁ?」

 

 見ているこちらが辛く感じてしまうほどに顔を歪ませて、スバルの告白は続いていく。

 

「ああそうさ、それが周りの奴等はお前を認めて、俺のことは認めない理由だ。ロズワールの野郎も、俺を憐れんでいた騎士共も! そして――エミリアでさえお前のほうを取った理由さ!」

 

 スバルは自らの体に掌を添え、訴えかけるようにそう宣言する。

 その迫力に、怒声に、ぶつけられている対象であるシャオンは思わずひるんでしまう。

 

「……ふざけんなよ」

 

 スバルから歯を食いしばる音が聞こえ、力強く握る拳からは血が垂れているのが見えた。

 自らの体を傷つけるまでに力が籠められ、それほどまでにこちらに敵意を向けているのだ。

 

「俺だって努力してきただろ? なんで、なんでお前ばっかり……」

「スバル……」

 

 その声には怒りや悲しみよりも、悔しさが占められているようにシャオンには感じた。

――自分も命を削って尽くした、なのになぜ報われない? なぜ、シャオンばかり報われる?

 そんな、他者を妬むような、黒い気持ちで占められていた。

 

「……そもそもさ、なんでお前は俺に対してなんの自慢もしない? はっ! 強者の余裕ですってかぁ?」

「そんなことっ――」

「触んなっ!」

 

 否定の言葉と共に伸ばした手は軽く(つよく)、叩き落とされる。

 勢いに任せての行動だったのだろうが、彼の放った一撃は力が込められていなかった。

 だから、だから、痛くなどないはずなのに――

 

「……ス、スバル。誤解だ。落ち着いて、話し合えば、ちゃんと分かり合え――」

「お前に――」

 

 シャオンは喉を震わせ、何とか出すことができたかすれた声で引き留めようとする。

 だがスバルはそれを遮り、

 

「――お前に、俺の気持ちなんて……わかりゃしねぇよ」

 

 スバルはその言葉を最後に、頭から毛布をかぶり、現実から逃避する。

 何か、何か言わなければ彼は腐っていくだろう。

 わかっている。

 そんなことは、わかっているのだ。だけど――

 

「――――」

 

――シャオンには、何も言うことができなかった。

 

 

「あい、最後に腕を天に伸ばしてフィニッシュ――ヴィクトリー!」

 

「「ヴィクトリー!!」」

 

 両手を掲げてスバルの言葉を締めとし、ラジオ体操は終了。

 スバルを取り囲むようにいるのは、ロズワール邸にもっとも近い村の住人たちだ。おおよそ、半分ほどが集まっているだろうか。

 その輪からほんの少し離れたところでエミリアとシャオンはいた。

  もっとも、

 

「スバルー、体操終わった!」「スタンプ、スタンプ押して!」「イーモ! イーモ!」

 

「だぁぁ! うるせぇ!焦んなくてもスタンプは逃げねぇよ、並べ並べ」

 

 寄り集まってくる子どもたちに馴れ馴れしく接されて、それに応じるスバルの表情には苦笑がきっかり刻まれている。が、そこに拒絶の要素は見当たらない。

 子どもたちが指示に従って、スバルの前に綺麗に直線で並ぶ。それを見届けるとスバルは満足げに頷いてから振り返り、

 

「んじゃ、二人とも頼むわ」

「――はいはい、どうぞ」

 

 シャオンの右側に立っていたエミリアが、手にしていた小袋をスバルへと手渡し、苦笑とともに唇をゆるめていた。

 袋の中に入っているものは細い、芋だ。

その芋の登場に子どもらが黄色い声を上げ、スバルはその甲高い歓声に応じるように芋を掲げ、

 

「よし、じゃ、押すぞー。出せ出せぃ」

「相変わらず精が出るなぁ」

「なーに爺臭いこと言ってんだ。ほらお前も芋判押すの手伝え」

 

 子供たちに群がられながらも判子を的確に押していく。

 スバルが手にもつ芋判は毎日、夜中に彼自身が新しいものを彫っているらしく、子供たちはどんな絵柄が押されるか楽しみにしているようだ。

 そのせいで仕事中も眠たそうにしているのはいただけないが。

 

「それにしてもスバルが来てから毎日体操してる気がするわ。今ではまるでそれが当たり前だったみたい」

 

 魔獣討伐事件以降、こうして早朝の時間を村で過ごすのがスバルの日課だ。

 その日課にはエミリアとシャオンも付き添っているので必然的に、自分達の日課にもなっている。

 だが、今日はその日課に一つの違和感が存在していた。

 

「それにしてもアリシアの姿は見えなかったわね、どうしたんだろ」

「確かに。あいつ、いつもだったらガキどもよりも前に出て体操してるのにな」

 

 普段だったら子供たちよりもはしゃぎ、参加している彼女の姿が見えない。というよりも記憶が正しければ今朝は一度も姿を見ていないはずだ。

 もしかして体調でも崩しているのだろうか。

 

「それには少し事情がありまして……」

「お、レム。おはよう……事情?」

 

 そんな不安を抱えていると、ラジオ体操が終わるのを待っていたらしいレムが、期を見計らってこちらに駆け寄ってきた。

 

「おはようございます、スバルくん。それにお二人も」

 

 丁寧にあいさつを返すレム。

 その姿は魔獣討伐の事件からだいぶやわらかい雰囲気を出すようになっている。

 本来の彼女の性格はこのような優しいものだったのかもしれない。

それをまた引き出すことができたのだから、スバルとともに体を張った甲斐がある。

 口には出せないような達成感を抱くのをよそに、レムは表情を緩やかなものから引き締め、

 

「その事情に大きく関係する話がありまして……三人とも、ロズワール様がお呼びです」

「ロズっちが? なんだろ」

 

 スバルがこちらへ目で問いかけてくるが、シャオンにも心当たりはない。

 エミリアも呼ばれる訳がわかっていないようで頭を捻っている。

 

「ま、行ってみればわかるか。まったく、エミリアたんとの触れ合いタイムを邪魔するなんて……」

 

 スバルの痛惜の念に堪えない、とでも言いたそうな表情にエミリアは呆れの表情を浮かべている。

 だが、流石のお人よしの彼女でもスバルとまともに取り合うと疲れるだけだと学習したのか無視して屋敷に歩みを進める。

 慌ててその後をスバル、レムと続き相変わらず最後にシャオンという形で慣れ親しんだ屋敷へと踏み入れる。

 

「ロズワール? 一体――」

 

 食堂の扉を開くとそこに広がっていたのは――魂が抜けた様に椅子にもたれかかっている、今朝から姿が見えなかったアリシアの姿だった。

 

「……どしたの? これ?」

「説明するからそこに座ってくれるかーぁい? 三人とも」

 

 スバルの言葉を受け、珍しくも真剣な面差しでこちらに視線を向けたのだった。

 

 

「アリシア・パトロスくんの主であるアナスタシア・ホーシン様。彼女から連絡があってね、近況を知りたいそうだ」

 

 ロズワールが端的に事情を説明する。

 なるほど。確かにそのことが本当ならばアリシアがここまで参ってしまっているのも納得がいく。

 だが腑に落ちない点、いくつかの疑問も生じている。

 

「ちょい待ち、確かアリシアがこの場所を選んだのは偶然だったよな? 何で場所がわかったんだ?」

 

 スバルの言う通り、疑問の一つ目はそれだ。

彼女がロズワール邸を訪れたのは偶然のはず。

 アリシアが働き先を見つけたという報告の手紙を出したという可能性も考えたが、それだったら送られてきた手紙は矛盾する。

 そもそも手紙を出すにはロズワールか、ラムを通さない限りは無理なはずだ。よってこの線はなしと考えよう。

 あとは……考えたくはないが、彼女が狙ってこの館を選んだということだろうか?

 なんのために? 簡単だ、敵陣営の情報を得るためだ。

 

「……ないない」

 

 そんな考えを頬をたたいて頭から追い出す。

 彼女は子供たちが魔獣に襲われたときに真剣に捜索を手伝っていたのだ。少なくともあれが演技とは思いたくない。

 

「そーぉれが、どこからか情報が漏れてしまったようでね」

 

 シャオンのそんな祈りが通じたのかロズワールが疑問の答えを口にする。

 

「おいおい、頼むぜ使用人のプライバシーを守るのが雇い主の仕事だろ?」

「これはこれは、耳がいたい言葉だーぁね」

 

 スバルの言葉に申し訳なさそうに頭をかくロズワール。

 とはいっても彼の表情には言うほど責任を感じているようには見えない。

 

「詳しい話をしよう。アリシアくん、見せてあげて」

 

 アリシアはロズワールの言葉に頷き、懐から一枚の紙を取り出す。

 豪華な装飾がされているそれは、普通の生活では見ることがなく、明らかに日常で使うものではないことがわかった。

 ゆっくりと広げられるが、この世界の言葉で書かれているためスバルには読むことに苦労しているので要約して、アリシアが読み上げる。

 ――何の音沙汰もない娘を、父親が心配している、一度でいいから顔を見せてほしい、ということだった。

 

「帰ってこい、か。……アリシアが一人旅するのに、父親は納得したのでは?」

 

 疑問の二つ目。

アリシアの父親が娘の一人立ちを一応ではあるが認めたはずだ。

 しかしこの手紙に記されている内容を見るかぎりは、どうも納得がいっているようには思えない。だがこれもすぐに疑問は解決された。

 

「それが、親父が限界を迎えたようで……」

 

 父親を納得させたのはあくまでも応急処置のようなもので、結局長続きはしなかったということだ。

 そう語る彼女の顔は嬉しいような、困ったような表情だった。

 確かに彼女にとっては実の父が心配してくれているのだからうれしくないはずはない。ただ、親バカな父親の存在を恥ずかしくも感じているのだろう。

 

「ねぇ、ロズワール? 寂しいけど、アリシアのお父さんが会いに来てほしいっていうなら行かせちゃダメなの?」

「いえいえ、彼女が向かうのは止めはしませんよ? たーぁだ? 付き添い無しで行かせるのはどうかなぁと」

 

 ロズワールが言いたいことは分かる。

 現在アリシアはエミリア陣営に所属しているようなものだ。

 だが、それよりもホーシン商会で過ごした年月の方が遥かに長く、思い出も多いだろう。

 だからといって彼女が裏切るとは思わない、思わないが確たる証拠がないのも事実だ。

つまりは――

 

「疑っている、と」

 

 先ほどシャオン自身もわずかながらだが彼女が間者である可能性を考えたのだ。

 血なまぐさいこの世界を生き、より黒い部分にかかわっているであろうロズワールもその考えに執着するのは必然だ。

 

「ロズっち、アリシアを信じてるってことでここは一つ……っていうのはだめだよな?」

「言い訳のつもりではないけど、私としても信じたいという気持ちはある。だーぁけどねぇ、エミリア様を推薦する立場としては、そう簡単に首を縦に振れない」

 

 パトロンである彼の言い分はもっともだ。

 アリシアがもしもスパイだったら、屋敷での情報すべてがまるわかりになってしまうのだから。彼女を一人で雇い主へ向かわせることは自殺行為に近い。

 スバルもその事をしってか、アリシアを一人で向かわせることにいい表情は見せない。

 

「……わかったよ、んで?誰を連れてくんだ? よそ様の家にそう大勢で詰めかけることはよくないだろ?」

「うん、まぁ候補としてはぁ? そう多くはないと思うんだけどねーぇ?」

 

 そう言い、ロズワールはいつも通りのピエロメイクを施した、自らの顔を指さし、次いでエミリアを指差す。

 

「まず、場所が王都であるとはいえ、王選開始が近い今、エミリア様や推薦者である私が他の陣営に赴くというのはあまり良くない、よって除外。それに禁書庫から離れられないベアトリスもだめだーぁね」

 

 後者の二人はそもそも付き添い人としては向いていないので問題ないが、ロズワールが来てくれないのは残念だ。彼がいるならば事態は下手なことにはならないだろうに。

 

「屋敷業務の関係上レムが抜けるのも厳しいし、ラムも屋敷から離れることができない」

「ラムも?」

 

 屋敷のほぼ十割を管理するレムが屋敷からいなくなることができないのはわかる。だが、ラムが来れない理由はいったいなぜだろう。

 

「うん。命にかかわってしまうからね……」

「命にっ!?」

 

 スバルが驚いたようにポージングをとり呟くと、ロズワールは神妙に頷いた。

 

「ラムの肉体は欠陥がある。そーぉれは鬼族にとって重要な、角という器官を無くしたことが原因だ。本来、角が補うはずの肉体を動かす莫大なマナ――それを用意できないことで、体は常に苦痛と倦怠に蝕まれている」

「そんなことになってるの……!?」

「エミリア様が驚かれるのも無理はありません。あの子は強すぎる子ですから。一度だってそのことで、表情を曇らせたことはなかったでしょーぉから」

 

驚くスバルたちの前でラムはいつもと同じようにロズワールの隣で姿勢よく佇んでおり、何の反応も示さない。

アリシアは己の額、角があるであろう場所を撫で付けた。

 

「鬼族の種族的な特徴は、莫大なマナを操る力と強靭な肉体の戦闘力っす。でもそれは角があるからこその産物っす」

 

『鬼の角』。

 鬼という存在がおとぎ話などの空想上の生き物だという認識だったスバルとシャオンにとっては、それがどのような意味を持っているのか最初わからなかった。

 だが、実際には必要不可欠なもので、なければ生命の危機に陥るという代物だったわけだ。

 

「他種族には存在しない角――その角が役割を果たせず苦しんでいるのであれば、他のものが『角』の代わりを果たさなくてはいけません」

 

 ある程度は吹っ切れたとはいえ、いまだ辛いものがあるのかレムは顔を俯かせながら語る。

 そんな彼女の頭をスバルは慰めるように撫で、元気づけさせる。赤くなった表情を見て、どうやら問題はなさそうだと判断。話の続きに戻る。

 

「なるほど」

「そうだったのね……」

 

シャオンのほかにエミリアも理解に至って手を叩いている。一方、置いてけぼりで困惑しているのはスバルだけだ。

 事が魔力関連になると、門外漢のスバルは理解に遅れるばかりである。

 

「勝手にそっちだけでわかった感じになるなよ。つまり、どういうことだ?」

「ラム嬢の肉体は、角があったときと同等のマナを外部から摂取することを求めている。角がなくなってそれができないのであれば、誰かが補充させるしかない」

 

 そして、それができる人物は限られているというわけだ

 わざわざ相手側にそんな人物を用意してもらう訳には行かないだろう。

 

「えっと、もちっと簡単に説明してくんね? できれば三行で」

「燃料が」

「足りて」

「いないって話だーぁよ」

 

 アリシア、シャオン、ロズワールが律儀にスバルの要望どうりに答える。

 

「なるほど、すごい馬力の車が燃料を食うってことか」

「……よくわからないけど、その言い方は癪に触るわね」

 

 スバルの納得の仕方にラムが眉根を寄せる。

だが、それもいつものことだと諦めたのか、すぐに元の表情に戻った。

 

「そもそもラムはロズワール様から、このお屋敷から離れるつもりはないわ」

 

 ラムのその言葉には確固とした意志があり、意地でも同行する気はなさそうだ。

 ロズワールが頼めば話は別だがそもそもそんな事情があるのに行かせたいとは思わないだろう。

 

「と、いう訳でぇ? 残る選択肢は必然的に――」

 

使用人の男二人組に、ナツキ・スバルとヒナヅキ・シャオンのどちらかになる訳だ。

 そして今回の主役であるアリシアはその候補のうち、スバルを一瞥し首を振った。

 

「スバルは……絶対ダメっす」

「なぜに!?」

 

 真っ先に選択肢からはずされ、驚き半分悲しみ半分といった表情で理由を尋ねる。

 対してアリシアは頭をかきながら、

 

「スバルみたいなのがお嬢に出会ったら……下手すればこちらの陣営はもう王選脱落っす」

「そ、そんなに?」

「お嬢とスバルは恐らく相性最悪っすからね。あっという間に情報を抜き取られて、はいおしまいっす」

 

 笑いながらスバルが候補から外れる理由を語る。

 しかしその目は笑っておらず、冗談で話している訳では無さそうだ。

 

「まじか……怖いな」

 

 会ったことがない、件の人物に対し恐れを抱くスバル。

あれではもう頼まれても同行はしないかもしれない。

 

「それで、残ったのはシャオンくん。君しかいないわけだ」

 

 ロズワールの言葉に、面々がシャオンに注目する。

 その視線に込められた意味を詳細に読み取れるほどシャオンはその道に通じていない。

 だが他のメンバーは先ほどのような事情があり、同行ができないのは十分にわかってしまった。

 

「……はぁ、わかりましたよ。実際他の陣営がどんなものなのか知りたかったですし」

 

 さすがにこの状況で断ることができるほどシャオンの心は強くないのも事実だ。

 それに、短くない間同じ館で過ごした仲だ、見捨てるほど薄情でもない。

 

「――ありがとうっす!」

「うわっ!」

 

 涙目だったアリシアはその返答を聞いたとたんに、獲物を見つけた獣のようにこちらにとびかかり、体を押し倒す。

 感極まって、ほぼ無意識にでた行動だったためか加減ができていない突進を食らったことになる。

 

「そういってくれると思ったっすよ! 実はあたしも一人で行くには勇気がなくて……いふぁいいふぁい‼」

「あのね? 急にね、体当たりしたらね? 危ないの? わかる?」

「おやおや」

「はぁ」

 

 シャオンの腹部にダメージを与えたアリシアにお仕置きをし、その光景を見てロズワールとラムが疲れたように肩を竦め、

 

「……むぅ。レムもあれぐらい豪快にしたほうがいいのでしょうか」

「あの、レムさん? 何故にそんな熱のこもった視線をこちらに向けるのでせうか?」

 

 妙なところでやる気を出しているレムに、若干引いているスバル。

そして――

 

「――とりあえず、朝ごはんにしましょ?」

 

 エミリアの言葉でいつもの朝食が開始を告げた。

 

 一週間後、手紙の返事はある物の到来で表された。

――ロズワール邸の正門前に集まった屋敷の面子の中で、スバルが目を輝かせてそれを眺める。

 

「ほあー、こいつが!」

 

 緑色の硬質の肌、見上げるほどの巨躯、黄色く爬虫類独特の鋭い双眸――幾度も見かけておきながら、こうして至近で触れ合う機会に恵まれなかったそれは強大なトカゲの姿をしていた。

 ロズワール邸の正門に堂々と鎮座するのは、これからシャオン達を王都へと連れていく案内人、地竜の引く竜車である。

 

「体でけー! 肌かてー! 顔こえー!!」

「ホントに、子どもみたいにはしゃいじゃって」

 

 スバル本人がその竜車に乗るわけでもないのに歓喜に震えているその姿を眺めながら、唇をゆるめるエミリアは呆れたような吐息。

 

「ヤバい、すごい感動がある! シャオン、お前写真とっておけよ! 確かお前も――」

 

 それこそテンションゲージが振り切り始めたころ、トカゲの堪忍袋が切れた音がした。

  そして、それは気のせいではなかったようで――

 

「ひぶっ!?」

 

 うなりを上げて旋回するトカゲの尾がしなり、スバルの肩あたりを思い切り殴りつられる。

 残像を生みそうな速度でスバルが飛び、門扉の横、柔らかい茂みの中に頭から突っ込んだ。

 僅かに間をあけて、体を葉っぱだらけにしながらもスバルは戻り、

 

「――ど、どういうことなの」

 

 ボロボロになったスバルのその疑問に慌てて竜車の前方にいる少年が頭を下げ謝罪をした。

 

「も、申し訳ありません。地竜はとても賢い生き物で、言葉は通じなくても大体の意思が通じまして、だから扱いに関しても丁寧にしないと」

 

「早く言ってね!?」

「変に触ったオマエのミスだろうが……すいません」

「いえいえ、こちらも緊張が解けましてちょうどよかったですよ」

 

 ずれたモノクルを直し、恥ずかしそうに笑う青年。

 色素の薄い紫髪を長く伸ばし、うなじで一つに束ねている彼はアナスタシアが寄こした竜車の御者だ。

 その見た目、服装からは”貴族”であるということが一目瞭然であり、これからシャオンたちが会いに行くのはその主、もっと上の立場の人間であるということを嫌でも実感させられてしまう。

 

「時刻もいいころだ――それじゃあ、頼んだよ? くれぐれも、失礼のないよーぉにね?」

「シャオンくん、アリシアさん。お二人とも体には気を付けてくださいね。スバルくんのお世話は全力でレムにお任せください!」

「長い間ラム達に仕事を任せるのだから、当然帰ってきたら十分にこき使わせるわ。だから、そのつもりでたのしんできなさい」

 

 雇い主と同僚の、彼等らしい見送りの言葉をもらう。

 そして、この屋敷で一番偉い人物であるエミリアは――

 

「忘れ物はない? ハンカチはもった? あと、これ少ないけどお小遣い。無駄遣いしないようにね」

「子供じゃないんだから……」

 

 あたふたと、心配そうにこちらの様子を伺っていた。

 その様子は初めて学校に行く子供を不安がる親の姿みたいだった、本人には言えないが。

 

「あ、アタシは忘れてたっす! ハンカチ!」

「締まんねぇな、本当に」

 

 エミリアの指摘を受けてアリシアは屋敷へ再び駆けていく。

 あれでシャオンと年が離れていないというのだから驚きだ。

 

「スバル、屋敷のことは任せたぞ?」

「――おう、頼まれた! そっちも頼んだぜ!」

 

 相棒である彼にグータッチを交わしあい、互いに別れを告げあう。

 そんな少年同士のやり取りを微笑ましく見ていたエミリアが一つのことに気付いた。

 

「それにしてもベアトリスは来なかったのね」

 

 金髪ドリルヘアの少女、ベアトリス。

 エミリアの言う通り、屋敷のメンバーの中で、彼女の姿だけがどこにもないのだ。

 彼女の性格上見送りには来ないとは思っていたが、実際にその姿がないと寂しくもある。

 

「あんのロリめ、意地でも連れてきて」

「……ああ、いいよいいよ」

 

 シャオンには、正確にはどこかにやけているロズワールも気づいているだろうが、 屋敷の、ほんのちょっぴりだけ開いた扉の陰、こっそりとこちらを眺めていたドレスの人物がいるのに気づいた。

 相手はこちらが気付いたことに一瞬だけたじろいだが、すぐに開き直ったかのように堂々と――扉の陰に隠れたままこちらを凝視している。

 そんな意地っ張りな少女に苦笑し、手を振ると慌てて彼女の姿は屋敷の中に隠れる。

 

「素直じゃないやっちゃな」

「じゅうぶんじゅうぶん」

 

 スバルもその一部始終を眺め、できの悪い娘を見るように温かい目で彼女を見送った。

 プライドの高い彼女が遠目ながらも、見送りに来てくれただけで本当に十分なことだ。これ以上望んでしまっては罰が当たってしまう。

 

「待たせたっす!」

 

 今度はしっかりと準備ができたアリシアが到着し、改めて屋敷を視界に入れる。

 これから自分たちはある程度の期間働いてきた屋敷から離れ、王都に向かう。

 それは、異世界へ最初に来た時の場所に行くことになるのだ。不安がないと言えば嘘になる。

 正直、あんな目にあったのだから嫌な予感がするのは仕方ない。

 

「それじゃ、改めて、行ってきます」

 

 なので、無事に帰ってこれることを願って、竜車に足をかけた。

 

 

 

「うん? あれー? アリィじゃない? おにーさん誰?」

 

 竜車に乗り込んで真っ先に出迎えたのはオレンジ色の体毛をした、猫の獣人だった。

ふさふさの毛を生やし、見るだけで上等だと分かる白いローブを羽織っている少女。

 そんな彼女のくりくりとした眼は、シャオンをとらえ、首は不思議そうに傾いている。

 

「お姉ちゃん、失礼です?」

 

 その様子を咎めたのは少女と同様に、オレンジ色の体毛の猫獣人。

 ほとんど顔の造形は同じだが、唯一の違いは左目にモノクルをつけていることだろう。

 少女と同じローブを羽織っており、モノクルの向こうにくりくり眼だが、シャオンに対してはわずかな警戒心を宿していることが読み取れる。

 

「今回、護衛と案内役を務めさせていただきますです。姉のミミと、弟のティビーと申しますです」

「ど、どうも。シャオンと申します。今回、同行人としての役目を――」

「かしこまる必要はないっすよ。年下っすから」

「そーそー!」

「そっか、ならよろしくね。二人とも」

 

 お言葉に甘え、敬語を崩して改めてあいさつする。

 その態度を見てミミは笑顔を浮かべ、ティビーは軽く会釈で返す。

 姉弟での対応の違いに実は姉と弟が逆なのかと思ってしまったのは内緒だ。

 

「……ふむ」

 

 そして、初めての竜車の乗り心地を確かめるように軽く身じろぎ。

座席の感触は客室の造りの良し悪しで変わるところだと思うが、肝心の乗り心地については意外にも快適なものだ。

 そして元の世界ほど竜車の車輪なども開発が進んでいないはずだが、座るシャオンの体に伝わってくる震動は予想していたものよりはるかに弱い。

 正直、元の世界の乗用車の揺れと比較しても遜色ないほどに。

 

「竜車が物珍しいです?」

「珍しいというか、初めてだね」

 

 ティビーの問いかけに応じながら、窓の外を眺める。

  外の景色の動く速度はゆっくりとは程遠い。それこそ速度は乗用車に匹敵し、目測ではあるが百キロ近い速度が出ているように思えてならない。

 

「結構なスピード出ているんだけど、御者台とか剥き出しで平気なの?」

「竜車は加護に守られてるから、問題はないっすよ?」

「竜車の加護っていうと……『風避け』の加護?」

 

 『風避け』の加護。

 書物での知識だが、それは地竜が大地を走り抜ける上で風の影響や抵抗を一切受けないというものだ。

 そして、その加護の効力は繋がれた竜車に対しても反映されており、そのおかげで御者にも負担がかからないという仕組みなのだろう。

 

「納得、それで? ティビーくんだっけ? その、アナスタシア嬢がいるお屋敷ってどのぐらいかかるのかな?」

「この速さなら四時間ほどです」

 

 竜車の広さは華美な見た目に反して案外狭く、四人掛けのこじんまりしたものだ。

座席の素材は長距離移動に備えてか、かなり上質で、これならその四時間の間座っていても尻が痛くなる不安はないだろう。

乗り降り用の扉の上部に設置された小窓からは、今も高速で行き過ぎる外の景色が切り取られて流れていく。

 ここから見た景色では青空が占める割合が多く、背の高い木々の群れが見当たらないことから、もうロズワール邸の近辺の森林地帯は抜けているのだろう。

 座席から腰を浮かせて小窓に顔を当てると、横に流れていく景色の速度は予想よりずっと速く思えた。荒れた街道を快調に飛ばしているにも関わらず、車内に震動が伝わってこない原理は謎といえば謎。

 だがその快適さを損なわず、この速度を継続的に出せるのだとすれば、竜車が普及する理由もわかるというものだ。

 

「ふぁ……」

 

 代わり映えのしない景色にも飽き始め、ついあくびを噛み殺せずに漏らしてしまう。

 

「んー? おにーさん、おねむー?」

「最近忙しかったからすね。ついたら起こすから安心して寝ていいっすよ。ティビーも別にいいっすよね?」

「構わないです」

 

 同乗者の許可も貰い、素直に応じることにする。

 

「それじゃ、お言葉に……甘えるよ。何かあったら起こしてね」

 

 ゆっくりと一度伸びをし、静かに瞼を閉じる。

 王都に向かう中――わずかな震動も与えない竜車の中では、はしゃぐミミの声とシャオンの静かな寝息が響いていた。

 




のんびり、行きます。
アドバイスがあればどうぞ気楽に

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