威厳に満ちたマイクロトフの宣言があり、広間に緊迫感が張り詰める。
ここまでも弛緩したやり取りをしていたわけではないが、国の頂点である賢人会を蔑にして話を進めていたのは事実。ここへきて、ふいにその存在感を増してみせるマイクロトフに、自然と王座の間の全員の注視が集まる。
それを受け、マイクロトフは動じることなくヒゲを撫でながら、
「賢人会の開催の提言にあたり、まず他の同志に賛同をいただきたく」
壇上に並ぶ九つの席、その中央で周囲の老人たちを見渡すマイクロトフ。その彼の言葉に、これまで言葉もなく存在感がほぼ消えていた老人たちも首肯。
「マイクロトフ殿の提言に、同じく賢人会の権限をもって賛同します」
「同じく賛同しましょう」
老人たちの同意にマイクロトフが顎を引き、それから眼下の候補者を見下ろす。
緊張感みなぎる候補者に反し、その関係者たちがわりと長閑なやり取りを交わしている間に、賢人会の開催が正式に発令――マイクロトフが頷き、
「同志の賛同に感謝いたします。では議論に入るとしますかな。議題はもちろん、『どなたに王となっていただくか』ですが」
ヒゲを梳きながら言葉を切り、それから老体は片目をつむると、
「竜歴石には五人の候補者を集めろとはありましたが、その後の選出法については記述がなかった。簡単に決める方法としては武で競う、と言う手もありますが」
「ごじょうだーぁんを。そんなことをしてしまったら結果は火を見るよりもあきらかなものーぉになるでしょう」
マイクロトフの言葉に、文官集団からロズワールの軽口が応じる。
その軽口が示す陣営はただひとつ、ラインハルトを擁するフェルトの陣営に他ならない。それがわかっているだろうに、マイクロトフは強かに笑い、
「故に話を。それぞれの立場、王になる覚悟、その上でなにをするつもりでおられるのか――そのあたりの話が妥当でしょうか」
「ふぅむ、至極納得。では、騎士マーコス、お願いしてよろしいですかな」
賢人会の話し合いの結果、議事の進行が再び騎士団長へと委ねられる。
ただひとり、候補者の側を離れずに立つ甲冑姿が一礼し、それから候補者の方へと振り返り、巌の表情を引き締めながら、
「僭越ながら、改めて私が進行させていただきます。候補者の皆様には各々、主張と立場がおありのはず。賢人会の方々も、広間にいる騎士や文官も、全員がそれを知りたがっております。どうぞ、お付き合いを」
広間の全員の気持ちを代弁し、マーコスは候補者五人に恭しく頭を下げる。
そして顔を上げると、厳格な表情は大きく口を開き、
「ではまず、クルシュ様よりお願いいたします。――騎士フェリックス・アーガイル! ここに!」
「うむ」
「はーい」
マーコスの声にクルシュが悠然と頷き、フェリスが軽やかに手を上げる。
前に出るクルシュに並ぶように、小走りに駆け出すフェリスが広間の中央へ。彼女はそこへ向かう途中、マーコスの顔をジッと見つめ、
「団長。いつも言ってますけど、フェリックスじゃなくフェリスって呼んでくださいよー。フェリちゃん傷付いちゃうなぁ」
「私は部下の誰も特別扱いするつもりはない」
手を合わせてあざとくお願いするフェリスをすげなく突き放し、マーコスは顎でクルシュの隣を示して先を急がせる。フェリスは不満そうに頬を膨らませながらも腕を組んで立つクルシュの隣に並んだ。
「王候補者、カルステン家当主のクルシュ・カルステンだ」
「クルシュ様の一の騎士、アーガイル家のフェリスです」
「騎士フェリックス・アーガイルです、賢人会の皆様」
堂々と怖じることない態度で名乗るクルシュと、それに追従してあくまでも軽々しいフェリス。彼女の名乗り上げをたしなめるように訂正するマーコス。
そんなやり取りを傍目に、
「あのフェリスって子、本名はフェリックスってのか。なんか、すげぇ男の名前に聞こえる名前なんだな」
「まさか男の子だったりしてねー」
「まっさかー」
シャオンはあまり詳しくないが日本でも古い武家などでは長子の名前が継承されるもので、男女の性別が違ってもそのまま付けられる場合なんかもあったらしい。だからありえない可能性ではないだろうが、いまそういったのはあくまで冗談だ。
スバルもそれをわかっているからか笑顔で応じる。だが、
「二人とも聞いていないんすか?」
故郷の変な文化を想う最中、アリシアが驚きの顔で問う。質問の趣旨がわからず、「なにが?」と間抜けな声で聞き返す。
「男の名前に聞こえるもなにも、フェリスは立派な男性っすよ」
「――待て」
「なんすか」
「今、なんて、言ったのか。ワンスアゲイン?」
アリシアが口にした内容が受け入れられず、脳が一時的にパンクする。ゆっくり、噛み含めるように言葉を紡ぎ、再度の復唱を要求。彼女は意味が分からない様子だったが、二人の必死ともいえる剣幕にしぶしぶ了承する。
「男の名前に聞こえるもなにも、フェリスは立派な男性。男の子っすよ」
一言一句違えることなく、大事なことを二回言ってくれたおかげで、ようやく脳がその情報を受信する。そして――
「「ええええええええええ――!?」」
意識が理解に追いついたことにより、スバルとシャオンの二人の絶叫が広間に響き渡った。
その驚きぶりに広間中の注目が二人に集まったが、じたばたと身振り手振りで混乱を表現する二人はそれに気付かない。
スバルは大きく身を動かしながら、部屋の中心に立つフェリスを示し、
「ちょっと待て、アレが男!? 笑えねぇよ!?」
スバルに同意を示し、首を残像が見えるほどに縦に動かし、こちらを見ているフェリスを眺める。
確かに女性にしては長身だと思っていたが、顔の造形に体の線の細さと背丈さえ除けば女性にしか見えない。ただ、女性としての起伏にはやや欠けている面は否めないが、世の中には成人しても胸が平たい女性も少なからずいる。
「声も高いし、線も細い。肌も透き通るほどきれいだし、男だなんて信じられない」
「そ、そうだ! 信じねぇからな!」
「ああ、そこの二人は初見か。私の騎士であるフェリスは男だぞ。他の誰でもない私が断言しよう」
それまで沈黙を守っていたクルシュが、事実を認められない二人にそう声をかけた。
凛々しい声音の信じ難い内容に、スバルとシャオンの首が音を立てて振り返る。
「く、口だけじゃなんとでも言えるぜ! 俺たちを担ごうったってそうはいかねぇ! 証拠! そう、証拠がないと!」
「やめい! 気持ちはわかるけど証拠なんて見たくない!」
多重に混乱材料を叩き込まれて慌てふためくスバルは、この事態のそもそもの根源であるフェリスを力強く指差し、
「チクショウ! お前、そのナリで付いてるとか誰得だよ! おまけにネコミミまで付いてんのに実は男とかそれも誰得だよ!! 俺は男の娘属性とかねぇんだよ!」
「そーんにゃこと言われてもぅ、勝手に勘違いしたのは二人の方だしネ。フェリちゃん、自分が女の子だなんて一言も言ってにゃいもーん」
「ふざけんな、このアマ――訂正、この野郎!」
てへり、と舌を出してウィンクしてみせるフェリスの態度に、スバルは地団太を踏んで憤慨を表明するが、それ以上に相手からの謝意を引き出せそうもない。
「――落ち着きましたかな」
と、しわがれた声が確認の言葉を二人に投げかける。
壇上、膝の上で手を組み合わせるマイクロトフだ。国の頂点にわざわざ気遣いされてしまい、我に返って「す、すんません」と素で恐縮してしまう。
すごすごと、元の列に戻って本当に珍しく心の底から自省する。
「フェリスの性別を知ると決まって皆が驚きを顔に出す。これだけは何度味わってもやめられない楽しみだ。――今の二人ほど驚くものもそういないが」
「ふぅむ。わかっておられてなお続けるのですから人が悪いですな、クルシュ様」
満足そうに唇をゆるめるクルシュを言外にマイクロトフはたしなめるが、それに対してクルシュは表情を引き締めて首を横に振り、
「誤解があるようだが、フェリスの装いは私が言いつけてさせているのではない。全て、本人の自由意思によるものだ」
「従者に相応しい格好をさせるのも、主の務めであると思いますが」
言い切るクルシュに反論したのは、リッケルトだ。先ほどの流れで文官集団の中で発言権を得たのか、彼の言葉に頷きをもって同調する列席者が何人か見られる。
その代表者であるリッケルトをその鋭い双眸でクルシュが射抜く。射抜かれたリッケルトは顔をひきつらせ、それでも真正面から向き合う。
「目をそらす有象無象とは違うな。少々間が悪く、信ずるものも同じにはならず、少しばかり担ぎ上げられやすい点を除けば、私はリッケルト殿を評価している」
――それはほめているのだろうか?
と内心思うのだが、クルシュ的には今のは賛辞の言葉なのだろう。だが言われた側であるリッケルトもイマイチ腑に落ちない顔でいる。
しかし、それの追及をするより先にクルシュが「だが」と言葉を継ぎ、
「相応しい格好をさせるのも主の務め、と言ったな。ならば私はやはりフェリスには今の格好でいることを望むだろう。なぜかわかるか?」
「なぜ、ですかな」
問いはリッケルトを見つめたまま放たれたが、眼光に気圧されたのか言葉を継げないリッケルト。彼に代わり、マイクロトフが問い返すとクルシュは頷き、
「簡単な話だ。――そのものにはそのものの魂を最も輝かせる姿が与えられるべきだからだ。騎士甲冑を着せるより、よほどフェリスには今の格好が似合う。私がドレスを着るよりも、こちらの格好を好むように」
クルシュは己の魂を張るかのように胸を張る。
堂々たる立ち姿にフェリスが並び、彼女――否、彼もまた主の雄姿の隣で微笑みながらも従った。
その二人の佇まいを見下ろし、マイクロトフは眩しいものを見るように目を細める。それから彼は小さく顎を引き、
「ふぅむ、よろしいでしょう。このお話はここで終わりにします。リッケルト殿、よろしいですかな?」
「い、異存ありません」
「こちらも異存なし。マーコス団長、進めてくれ」
口ごもりながらも矛を収めるリッケルトに、あくまで王者の余裕を失わないクルシュ。意見を交換した形だが、どちらの方に軍配が上がったかは考えるもない。
「候補者の中で最初の所信表明ではありますが、最有力候補ですからな。言ってはなんですが、安心感が他の方とは違います」
ぽつり、というにはやや大きすぎる声量でそんな言葉が聞こえた。
「クルシュ様が当主を務められるカルステン家は、ルグニカ王国の歴史を長く支え続けてきた公爵家だ。国に対する忠節の歴史と確かな家柄、そして若くして当主として公爵家を動かすクルシュ様自身の才気――これ以上ない、王選の本命だよ」
「そりゃ……どうなんだ、実際」
スバルの表情を見て察し、説明をしたラインハルトがつらつらと語った内容に、思わず喉をうならせるしかない。
王候補――王族が滅んでしまった状態であるとはいえ、当然次の王座に就くのはもともとの王家に近しい存在であればあるほど望ましいというものだろう。
そういう意味で考えれば、エミリア陣営に属する我々にとってはあまり旗色がよくない。なぜなら最初から大きくリードされているのにも等しいのだから。
「ほとんど決まりであろう」
「カルステン家のご当主で、なによりクルシュ様の才媛ぶりは有名な話だ」
「少しばかり豪胆な判断をされるが、それも器の大きさと考えれば申し分ない」
今しがた聞いたばかりの内容を、周囲の列席者たちも改めて確認したのだろう。ひそひそと交わされる会話の内容はクルシュの有利性を語るものばかりで、始まったばかりの王選で彼女が頭ひとつ抜け出す存在であることが言外に周知されているようですらあった。
まるでもう王が決まってしまったような雰囲気、しかしそれは、
「少し勘違いしているものが多いようだな」
指を立て、ひそひそ話を中断させたクルシュの言葉が切り払った。
全員の口が閉ざされ、自分への注視が集まるのをクルシュは待つ。その意図を察して広間に静寂が落ちると、彼女はひとつ頷きを置いて切っ掛けとし、
「各々が王座に就く私に望んでいることがなんなのか、私なりにわかっているつもりだ。カルステン家は王家と関わり深い重鎮であるし、これまでの国政にもかなりの割合で責任を持たされてきた。それ故に、私が玉座に就くことになれば、政や国の運営には影響が生じずに済む。波のない王位の継承が約束されるというわけだ」
流暢に語られるクルシュの言葉に、聞き入っていた広間の幾人もが頷く。
丁寧に言葉にされ、改めてこの王選の彼女の有利さが浮き出る。しかし、
「――期待される卿らには悪いが、その約束はしてやれない」
自身に持たされた圧倒的なアドバンテージを自ら捨てるような発言に、王座の間に一瞬の静寂――数秒の間を置いて、激震が走る。
「どういうことだ」と口々に疑問を投げかける声。それらをざっと見渡し、クルシュはその熱が冷めやらぬ状況に堂々と踏み込み、
「親竜王国ルグニカ――かつて龍と交わされた盟約に守られ、この国は繁栄を築き上げてきた。戦乱も、病魔も、飢饉さえも、あらゆる危機は龍によって回避され、長きにわたる王国の歴史から『龍』の文字が消えることはない」
『ドラゴンとの盟約』――ルグニカ王国が龍と交わした盟約により守られ、繁栄と栄達を続けてきたという歴史のあらまし。
それは王国の歴史を常に陰から支え続けてきた龍との盟約。それが王族の滅亡という事態にあって、継続が危ぶまれているからこその王選の前提条件。即ち、次代の王たるものは『龍の巫女』の資格あるもの、という条文が科せられるのだ。
「――その考えが、気に入らんな」
マイクロトフが盟約を語る最中、ふいを突くようにクルシュの一言が突き刺さる。
老人がかすかな驚きに目を押し開くと、クルシュは腕を組んで吐息し、
「竜との盟約により積み上げられてきた繁栄、大いに結構だ。あらゆる苦難は全て、我らが尊きドラゴン様により救われる」
語る内容は輝きに満ち溢れているにも関わらず、それを口にするクルシュは淡々としていて表情も晴れない。
無言の全員を視線を見渡し、彼女は小さく呟く。
「問おう。――恥ずかしいと思わないのかと!」
静まり返る広間に、これまで以上の緊張感が張り詰めるのがスバルにもわかる。
しかし、この様々な激情がこもり始める広間の中で、今もっとも怒りを感じている存在が誰なのかとすれば、それは間違いなく玉座の前に立つクルシュであった。
「いかなる艱難辛苦であっても、龍との盟約により乗り越えることは約束されている。その盟約に甘え、堕落し、いざその存続が危ぶまれれば取り乱して代替手段に縋ろうとする。古き時代にて恐れられていた牙は折れてしまったのだろうか?」
「――口が過ぎますぞ、クルシュ様!」
苛烈なクルシュの発言に、賢人会のひとりが立ち上がって怒りを露わにする。マイクロトフに負けず劣らず高齢な人物だ。老体はしゃがれ声で席の肘かけを叩き、
「盟約を軽んじることは許されませぬ! 王国がどれだけの犠牲を払わずに済んだことか、王国の歴史を貴方様は否定なさるのか?
「過去の繁栄に関して、私は大いに結構と述べた。私自身、その恩恵に与っていないなどとは口が裂けても言わない」
だが、と彼女は息を継ぎ、
「今口にしているのは過去ではなく、未来の話だ」
「――それは」
「竜歴石の記述になき出来事に対し、我々はあらがえるのか? もし竜の庇護の下で生きることに慣れ切って、それで滅びるのであれば王国など滅びてしまうがいい」
「あなたは……あなたは、国を滅ぼすと仰るか!」
血管が千切れそうなほどいきり立つ老人。
その叫びにクルシュは目に覇気をみなぎらせ、「違う」と首を横に振った。
「龍がいなければ滅ぶのであれば、我々が龍になるべきだ。これまで王国が龍に頼り切りにしてきた全てを、王が、臣が、民が背負うべきだ」
そう言うとクルシュは一度目を閉じ、再び大きく開いて、叫んだ。
「私が王になった暁には、龍にはこれまでの盟約は忘れてもらう。その結果、袂を分かつこととなっても仕方がない。親竜王国ルグニカは竜のものではない。我らのものなのだっ!」
「――――」
「苦難は待っていよう。しかし、それは必ず乗り越えるものであると私は信じている。たとえ困難な出来事がルグニカを襲うことになろうとも、自らの誇りを、魂をかけて、自らの道を歩んでいくと誓おう」
先王への忠義を思えば、不敬と切り捨てられてもおかしくない一言だ。
現に、賢人会の老人たちも今の彼女の発言には顔を見合わせ、その表情に深い影を落としている。しかし、その一方で、
「理想論なのは間違いねぇけど……」
「否定は、できないね」
それもまた周囲も同じように感じているらしく、声高に彼女に反論する声はもはや広間には見当たらない。
王国の積み上げてきた歴史と真っ向から打ちあい、そしてそれを破壊すると堂々と言いのけた彼女。まさしく王の風格を有しているだろう。
「――クルシュ様のお考えはよくわかりました。それらを受けた上で、御身が玉座を得るのであれば、御身の思うようにされるがよろしいでしょう。それこそが、国を背負う王の選択です」
マイクロトフの言葉に、クルシュは語るべきことは語り尽くしたとばかりに踵を返す。
堂々としたマイペースに再びざわめきが漏れかけるが、それを先んじて制したのはマイクロトフだ。彼の老人は話の矛先を今度はフェリスへ向け、
「では、騎士フェリックス・アーガイル。御身はなにかありますかな?」
主だけでなく、従者からも主のアピールポイントを話せ、という趣旨らしい。
が、フェリスはそのマイクロトフの言葉に対して静かに首を横に振り、
「お言葉ではありますが、私が補足するようなことはなにもありません。クルシュ様の行いの正しさは、後の歴史と従う私どもが証明していきます。――私は私の主が、王となられることをなんら疑っておりません」
厳かに、細身の腰を折りながら朗々とフェリスはそう謳ってみせる。
マイクロトフが了承の意を頷きで返すと、フェリスは一度敬礼してからクルシュの下へ。目配せし、彼女が顎を引くと嬉しげに頬をゆるめる。
それだけで絶対的な信頼と、心棒が二人の間に結ばれているのがそのやり取りでわかる。
「さて、ようやくおひとりにお話は聞けたわけですが……ふぅむ、どうやら最初からかなり波乱含みの内容になってしまいましたな」
クルシュの所信表明にひと段落がつき、今のやり取りを簡単にマイクロトフがそう言ってまとめる。
賢人会や文官たち、おおよそ事態を穏便に片付けたいと思っていた面々からすれば、王座の最有力候補であった彼女の方針は寝耳に水もいいところだっただろう。
しかし彼女はとてつもないアドバンテージを捨てはしたが、不利になったわけではない。長い目で見てそれが王選にどれほどの影響をもたらすのか、今の段階ではメリットデメリットを測れない言動であった。
「では、続けさせていただきます。クルシュ様のお隣から順番に、アナスタシア様からどうぞ」
「えぇよ!」
意気揚々と返事をし、アナスタシアが前に向かう。
「待て」
その足取りを止めるように彼女の背後から声がかけられた。
振り返ると彼女は露骨に顔を引きつらせる。それもそのはず、声の主は彼女の苦手な相手プリシラだったのだから。
また何かやらかすのかと、息を呑み見守る中。彼女はその視線を感じないような大声で用件を口にした。
「妾が先にやる。来いっ! アルッ!!」
「え、俺?」
まさかの呼び出しに兜を揺らし、しかし彼女の理不尽さは彼が一番身に染みているのだろう。すぐに彼女のもとへ向かってきた。
「申し訳ございませんが……アナスタシア様」
「……まぁ、ウチは別にええよ、いつでも」
ここで渋ると話がまたこんがらがる。
そう考えたアナスタシアとマーコスは彼女に順番を譲ることにしたようだ。
騎士団長が気を取り直したように議事を進行すると、それからのしのしと重い足音を立て、前に出たプリシラの隣にあるも並ぶ。
先ほどのクルシュと違い、華やかなドレスに太陽を映したような髪。色鮮やかな装飾品の数々が金属音を立て、見た目から騒々しい彼女をさらに騒音で飾り立てる。
そんな少女の隣に立つのが、みすぼらしい格好に漆黒の兜で顔を隠した隻腕の男なのだから、否応にも周囲の目が奇異の視線になろうというものだ。
「大丈夫かい、姫さん。俺は緊張で手汗がやばいんだけど」
「たわけ、こんないい眺めで不安になることなどない」
泣きごとを言うアルをみて呆れた様に肩を竦めるプリシラ。
だが、彼女が注目の的となっていることを認識すると再び機嫌がよくなる。
「それではプリシラ・バーリエル様。よろしくお願いします」
「うむ。心して聞くがよい」
その機嫌のよさを表すかのように、朗らかな声で二人目の演説が開始された。
◆
「では改めまして、お名前をお聞かせ願えますかな」
場の空気が悪くなるより早く本題を投げ込むあたり、マイクロトフの場数を踏んだ老練さが見える。自分よりはるかに年少の相手に対し、装いに感じない敬意を払った態度をとれることもまたそうだ。
国のトップの座席に座っているわりに、ぐいぐい引っ張るより周りに気遣い過多な方向に思考を使えるタイプらしい。
マイクロトフのその穏便な振舞いの意味がわからないわけではないのだろう。プリシラもまた素直に頷き、
「よいじゃろう。先の短い老骨の、その残り少ない時間を削るのも酷といえる。妾の寛大な心に感謝するがいい」
いらない一言を付け加えつつ、彼女はさらに居丈高に豊かな胸を張り、
「これより名乗る、妾の名を今生の終わりまで忘れず刻みつけておけ。妾の名はプリシラ――プリシラ。あー、プリシラ……はて、今はなんじゃったか」
幾度か首をひねる彼女を見てアルは恐る恐る、と言ったように彼女を見やる。
「姫さん、まさかと思うけど家名のバーリエルが出てこねぇって話じゃねぇよな?」
「――おお、それじゃ」
アルは自分の主の頭の残念さに天を仰いで掌を額に当てる。その嘆きのポーズを隠しもしない従者をさて置き、プリシラは改めて前を向き、壇上の賢人会へと不敵に笑うと、
「妾はプリシラ・バーリエルである。次代の王じゃ、敬え」
端的で、これ以上ない自己アピール。少なくとも、まともに王になりたい人間の口にする演説内容ではない。
彼女はそのあとに続ける言がないのか、もはや今の一行発言で全てを語り尽くしたとばかりに満足げだ。
さすがにこれで話が終わるのはいくらなんでも、と広間が緊張に包まれていると、
「バーリエル……というと、ライプ・バーリエル殿の?」
疑問の声を差し込んだのはマイクロトフだ。老人は自身の白いヒゲを指で弄びながら、記憶を探り出すように目を細めて、
「ふぅむ。そういえばライプ殿の姿が見えませんが、彼は……?」
「死んだよ」
アルの端的な回答に広間は本日何度目かの動揺が広がる。
なかでも一番動揺をあらわにしたのは、今まで冷静に進行を務めていたマイクロトフだった。
「なんと、ライプ殿が。ふぅむ。そうなると、ライプ殿とプリシラ様のご関係は……?」
名前の出た人物が故人であったことに痛ましげな顔をするマイクロトフ。その老人の質問にプリシラは鼻を鳴らし、
「妾にとっては亡き夫ということになるじゃろな。指先さえ触れておらんのじゃから、本当の意味で名前だけの関係ということになる」
しん、と広間に再び静寂が落ちる。
聞き間違いでなければ彼女は今、伴侶の死を退屈そうに吐き捨てたということになるが。
「姫さん、いくらなんでもその言い方だと哀れすぎねぇ?」
さすがに聞き咎めたのか、あるいは周囲の反応の悪さのフォローをするつもりか、アルがひそやかにプリシラに耳打ちする。が、彼女はそのアルの配慮すらあっさりと切り捨て、
「事実を事実と話すのに飾る必要がどこにある。あのジジイは妾をめとり、分不相応な野心を燃やした挙句、無関係なところで無関係な事故に巻き込まれ、火種を大火にする前に勝手に燃え尽きたのじゃ。これが笑い話でないとしてなんじゃ。まぁ、命まで張ったわりには笑えん話で、つくづく無価値な老骨であったがの」
一太刀でばっさりならまだマシな方で、プリシラは言葉の刃ですでに斬られた故人をさらに何度も滅多切りにする。顔すら知らないその人物に同情心すら芽生える始末だ。
「ふぅむ、お話はわかりました。長年の知己故、ライプ殿の訃報には少しばかり驚くところがありましたが……プリシラ様の話は筋が通っております。バーリエル家の当主が御身であることは確かに」
「当然じゃな」
「さらに詳しいお話が聞きたいところではありますが、そちらの騎士殿は?」
悠然と頷くプリシラに、マイクロトフが今度は隣に立つ従者に水を向ける。話の中心を急に譲られた形のアルは、
「……あ、オレ?」
話を聞いていたのかすら怪しいような声で返事して、主ともどもにマイペースの権化であることを証明してみせた。
しかしマイクロトフも慣れたのかアルの確認に応じ、話を進めた。
「そう、御身です。変わった格好ですが、近衛騎士団では見ない顔……ヴォラキアの兜ですな」
「お、わかる? この兜は南のヴォラキア帝国製でさ、持ち出すのに苦労してんだよ。丈夫で長持ち、あと見た目かっこいいから重用してる。それと、騎士団の皆様は顔を隠していることに不満を覚えているようだけど」
賢人会を見上げ、アルはその兜の隙間に指を入れると、ほんのわずかだけ持ち上げて隠された顔の一部を外に見せつける。
首下が持ち上がり、顎から鼻下までが外気にさらされ――、
「う――――」
その痛ましい顔の傷跡に、誰かが小さくうめき声を上げたのがわかった。
そのままアルはぐるりとモデルよろしくその場で回り、同じ状態を広間の全体に向かってアピール。自然、騎士たちの勢いも収まってしまう。
それも当然の話だろう。
なにせアルの顔面は見えた部分だけでも、火傷や裂傷、様々な傷跡が積み重なった歴戦が刻み込まれていた。 周囲の反応が思惑通りだったのか、指を外して兜を被り直すアルは笑い、
「とまぁ、こんな感じで見苦しい顔してるわけで、こうして顔を隠して皆様と向かい合う失礼も許していただけると幸いです候」
「なるほど、承知いたしました」
適当にお茶を濁す発言をするアルに、マイクロトフは頷くことで。それから彼は巌の表情を固くしながら、
「重ねて失礼をいたしますが、帝国の出身でその傷跡……もしや剣奴の経験者では」
「へぇ、さっすが。あの秘密主義の帝国の、その後ろ暗い部分のことなんてよくご存知だな。確かに剣奴経験者だよ。十数年ばかしのベテランだ」
どよめきが再び広間に広がり、剣奴という単語を騎士の何人もが口の中で呟く。
単語としては知らないものだが、字面で想像するに『剣を使う奴隷』といったところだろうか。
「ヴォラキアとも縁が切れて、今は流れの風来坊――アルって呼んでくれや」
相変わらずとぼけた態度で笑いかけるアル。
その姿勢は主と同様、周囲の声など欠片も気にした様子がない。反対に先ほどまで彼に対して不満を覚えていた周囲のほうが彼の身に刻み込まれた傷跡のすさまじさに言葉を失ってしまっている始末だった。
片腕がないことを含めて、彼の歩いてきた道のりが平坦なものでなかったことがはっきりと周知されたからだろう。そして、それを気にしていない様子のアルの姿を不気味と思ったからでもあるだろう。
「ふぅむ。ヴォラキア帝国出身ならば、プリシラ様とはどのような縁で? あの国は情報だけに限らず、人も物も外に出さない一種の別世界ですが」
「なんのことはない。妾の余興の結果じゃ」
それまで黙り込んでいたプリシラが、自分の出番がないのを腹に据えかねたのか口を挟む。マイクロトフの質問に割り込んで答えた彼女は、自分の指を飾る色とりどりの装飾品をいじりながら、
「妾が王となるのは天意同然。ならば従者など誰でも同じこと。故に妾は妾の従者に妾の気に入ったものを選んだ。その結果がそこな男というわけじゃ」
「なるほど、然り。では、その選び方とは?」
下手に反論するより受け入れた方が話が進む。プリシラの傲岸不遜な部分には触れずに、マイクロトフは彼女の自尊心を満たしつつ先を促す。
その計らいに彼女は機嫌良さそうな顔で、爪に息を吹きかけ、
「なに、知れたことよ。――目に適ったものを従者に加える条件で、妾の領地に腕自慢を集めて競わせた。それなりに楽しめる余興じゃったな」
マイクロトフにそう応じ、プリシラは意味ありげにアルを横目にした。
彼女の言を信じれば、つまるところアルはその彼女の目に適ったということになるわけだだ。ますます、隻腕の彼の実力がどれほどのものか想像が届かなくなる。
プリシラの答えにマイクロトフを始め、賢人会の面々も納得の頷き。
「つまり、その大会の優勝者が彼ということに……」
「いや、優勝はしてねぇよ?」
が、その納得を打ち壊すかのような言葉。
驚く老人たちの顔を悪戯が成功した悪ガキのように愉快そうに肩を揺らしてアルは眺め、
「片手の奴が腕自慢連中の中から抜け出られるほど人生甘くねぇよ。勝ち上がり形式で上位四人に残っただけでもくじ運が冴え渡ってたね」
「で、ではなぜ、プリシラ様は彼を従者に……?」
「言ったはずじゃ。妾は妾の気に入る相手を選んだと。それ以上は語らん」
自分のこと以外をを語り続けるのも面白くないと思ったのか、口を閉ざす。
「ふぅむ、お二人の関係性はわかりました。ですが、そうなると疑問なのは、プリシラ様が龍の巫女であると知れたのはどういった理由からだったのでしょうか。騎士が見つけたわけでないとすると……ライプ殿ですか」
プリシラの我儘に言葉もない面々と違い、マイクロトフにはそれを受け止めるだけの度量がある。彼は彼女の言を受けた上で、次なる疑問点に着手――老人の口にした内容は、なるほど確かに疑問に上げるに相応しい内容であった。
「しかし、肝心の巫女を見つけてきても、ご本人が不幸に遭われたとあってはなんとも皮肉な話になってしまいましたな」
「すでに死んだ老害の話など不要。妾は妾のみで立つ。それ以外の理由など、全ては触れる必要すらない些事じゃ。気兼ねなく、貴様らは妾を王と崇めよ」
自信満々に、プリシラはこの短時間で幾度も達した結論を通告する。
広間の誰もが彼女の態度に言葉を継げない中、彼女の隣に立つ漆黒の兜だけが彼女の方をしっかりと見据え、
「姫さんよ、それをした見返りは? なにがもらえる?」
「簡単な話じゃ。――妾とくれば、それはそのまま勝者となる権利を得よう」
笑い、プリシラは息を継いで、
「王選が争いである以上、至上の目的は勝利することじゃろう。故に、妾を選ぶことがそのまま答えとなる。故に、妾に従うのが貴様らの正道である」
「天が、自分を選んでいると……」
「当然じゃ。なにせこの世界、妾の都合の良いことしか起こらない。故にこそ、妾こそ王たるに相応しい。否、妾以外にはそれは務まらん。語るべきことはなにもない。ただ貴様らは、そのおろかな目を、眼前に立つ妾の威光に輝かせておればよい」
橙色の髪をかき上げ、大胆に宙に流してプリシラは悠然と振り返る。
語るべきことは語り終えた、とその姿は示しており、そのまま彼女は壇上の賢人会に背を向けたまま中央へ歩を進める。
その戻る背中に従いながら、漆黒の兜が最後に壇上を見上げ、
「姫さんは詳しくは話してねぇから俺も詳しく話すつもりはねぇよ。ただ、俺が付け加えることは一つ――勝ちたいのならば下につけ、ってことだ」
躊躇なく言い切り、アルはぐるりと広間の中を視線を一周させる。
兜の隙間から僅かに見えたアルの目に見つめられたものは全員が息を呑み、それを見届けて隻腕の男は片方だけの腕を軽く振り、「以上」と終わりの言葉を結びつける。
主従揃ってどれだけ自信があるのか、自信満々な足取りで彼女らが候補者の列に戻ると、自然と張り詰めていた空気が軽く弛緩、どうにか一息つけそうな雰囲気が漂い始める。
「男の娘に男装の麗人。今度は金持ち未亡人とか、ジャンル多岐にわたりすぎ」
「……この後の候補者を考えれば、まだまだ序の口だぞ」
そんな最中にも、王選は淡々と進行の兆しを見せている。
「では次に、アナスタシア様。そして騎士、ユリウス・ユークリウス! 前へ!」
「はいな」
「出番だね」
はんなりと、紫髪の少女が応じ、ユリウスが悠然と片手を天に掲げると、振り下ろす動きで制服の袖を高らかに鳴らす。
渇いた破裂音が響き渡り、いやがおうにもそれまでの空気を一新、その計らいにアナスタシアが「おおきに」と微笑みながら前へ。
その最中、アナスタシアは一度立ち止まりシャオンの方へ視線を向け、かわいらしくウインクをする。
それを見てスバルは首をかしげる。
「……いまのはどゆこと?」
「きかんでくれ、俺は俺で色々と問題を起こしちまってんだ」
「同情するっす。シャオンに対してお嬢の”カン”とやらがドンピシャだったんすよ」
事情をしらないスバルに説明するには時間が足りなさすぎる。それほど彼女とは、彼女の陣営とは色々とあったのだ。
「では、改めてお願いします」
マイクロトフの言葉にシャオンは気を引き締める。
理知的で計算高く、相手に自らの心を読まさせないアナスタシア。
一体彼女がなんで王選に参加したのかは想像がつかない。
だからだろう、すこしばかりワクワクしているのは。
ーー聞かせてもらおうじゃないか、アナスタシアがいったいどのような王を目指しているかを。