◆
「シャオン?」
「……ん? どうしたよエミリア嬢」
現在シャオンはロズワールに頼まれてエミリアの護衛兼、エミリアが騙されたりしない様に見守るために寄り添っていた。
シャオンとしてはスバルの動向がわからないと不安だったのだがロズワールに「君になーぁにができるんだぁい?」と言われ、言いくるめられてしまったのだ。
なので現在この部屋にいるのはエミリア含めた候補者に、アルとフェルトが王選参加を決めたきっかけとなったロム爺と、姿は消しているパックとエミリアの後ろに控えているシャオンだ。
ラインハルト、ユリウス、フェリスの三人は外に出ている。
「スバル、大丈夫かしら。また、無茶してないかしら」
「どうだろうね、正直心配はしている。一応アリシアに何かあったら止めるように頼んだけど」
といっても、どれだけ効果があるかわからないが。
そんな考えはエミリアを心配にさせてしまうから口には出さずにいると、部屋の扉が乱暴に叩かれた。
「――マーコス団長、ご報告が」
駆け込んできたのは衛兵。彼は自分の踏み込んだ場所に集まる顔ぶれに気付くと顔を青ざめさせ、自分の働いた無礼に肝を冷やしている。
さっと音が聞こえそうなほど血の気が引く衛兵、その彼の無礼を室内の人々の視線から庇うようにマーコスは動き、
「部下が失礼をいたしました。私の指導不足です」
「話の区切りはよく、当人も反省が顔色に出ている。その上で上役の卿がそう言うのであれば、こちらが咎めることなどありはしない」
謝意を示すマーコスに対し、部屋の面子を代表して寛大を示すのはクルシュだ。彼女は束ねた自身の長い緑髪を手で撫でつけると、「それより」と息を継ぎ、
「この場の事情を忘れて乗り込んでくるほどだ。よほどのことだろう?」
首を傾けて問いを投げるクルシュに、衛兵は一も二もなく頷いてみせる。それから衛兵は口を開きかけ、その内容が広まるのを恐れるような顔つきになり、
「団長、内密にお伝えしたいことが」
「……皆様の前で、あまり感心しない態度だが」
「それでも、です」
それとなくたしなめる言葉に食い下がられ、マーコスは部下の態度に直感的に『マズイ』事態が起きているものと判断する。それだけ感じ取り、室内の人々に断って外で報告を聞こうとマーコスは決断するが、
「部屋を出ること、まかりならんぞ、マーコス。妾が許さん」
言葉を作るより先に、豪奢な椅子に腰掛けるプリシラが道を塞いできた。彼女はマーコスの思惑など知らずに、ただそうするのが面白いからとでも言いたげな嗜虐的な表情を浮かべたまま、
「場を乱した無礼は許そう。が、その原因を聞かんことには溜飲が下がらぬ。よって報告を聞かせよ。この場にいる全員に、聞こえる声でじゃ」
「お言葉ですが、プリシラ様。皆様のお耳に入れる必要のない内容も多々ございます。このこともその手合いで……」
「たかだか城に忍び込んだだけの老骨が、それまで腑抜けていただけの小娘に見栄を張る気概を与えた。――なれば、それも些細とは言えんかもしれんじゃろ?」
扇子で口元を覆い、プリシラはちらりと部屋の対面に位置するフェルトへと流し目を送る。揶揄された形になったフェルトは唇をへの字に曲げている。
というのも先ほど王城に侵入してきたロム爺が囚われの身で現れ、その結果王選参加に乗り気ではなかったフェルトが途端に参加することになったのだ。
確かに言い方はアレだが、プリシラの言葉に間違いはない。
「姫さん、姫さん。まだまだ始まったばっかなんだから、あんまし敵とか作んのやめてくんねぇ? オレってばただでさえ腕が一本足りねぇんだから、人の倍働かねぇと帳尻合わない困ったさんなんだから」
「ふん、まあよい」
なおもフェルト苛めを続ける姿勢でいたプリシラであったが、従者であるアルの進言によってその意思を渋々と収める。それから彼女は改めてマーコスに向き直り、
「が、そちらへの追及は終わらぬ。報告は妾たちにも聞こえるよう、大声で述べるがよい。妾が許す。否、それ以外を妾は許さぬ」
「……団長」
「やむを得ん。指示に従え」
プリシラの傲岸不遜な命に対し、衛兵はマーコスの判断を求めたが、それに対するマーコスの答えは不本意のにじんだ声音で要求を受け入れるものだった。
上司と、さらに国の今後を担うやもしれぬ人材からの命令――二つの指示を下された衛兵に、それを断るような胆力の持ち合わせはなかった。
彼はその表情を強張らせ、瞳を戸惑いと焦りに揺らめかせたまま姿勢を正し、
「報告いたします。広間での会談の終了後、騎士ユリウスが練兵場の使用を申請。受諾した現在、練兵場にて騎士ユリウスと……」
ちらと、報告の最中に衛兵の視線が部屋の隅――そこに所在なさげに立つ、エミリアの方へと向けられた。
その視線を受け、エミリアはふいに話を振られたような唐突感に目を瞬かせる。
そんな彼女の驚きが疑問に変わり、それが明確な言葉となって意味を結ぶ前に、正しい情報が衛兵によってもたらされる。
「――エミリア様の従者である、ナツキ・スバル殿が木剣にて模擬戦を行っております」
「……へぇ」
背筋を伸ばし切り、衛兵は今まさに見てきたばかりの内容をここにぶちまける。
それを聞き、顎に手を当てて感嘆の吐息を漏らすのはアルだった。他のものも多かれ少なかれ、困惑以外の感情を瞳に、あるいは表情に浮かべている。
そんな中で、はっきりと当惑以外の感情を出しようがないのがエミリアだった。
「……え?」
告げられた言葉の意味がわからず、エミリアは息の抜けるような声を漏らし、大きな紫紺の瞳をぱちくりさせて思考を停止させてしまう。
「ど、どうしてそんなことに……!?」
理解の感情が浮かばず、エミリアは浮上してきた疑念をそのまま言葉にする。
だが、シャオンは、いや、この場にいるエミリアを除く面々はその模擬戦の起こった理由が想像ついているようだ。
「……その模擬戦はどちらが申し込んだものです?」
「は! 騎士、ユリウスが申し込み、ナツキスバル殿が受けたとのことです」
予想通りの展開にシャオンは頭を抱えそうになるのを何とか堪え、平静を保つ。ここで動揺を露わにしてはエミリアにも伝わってしまう。
「とにかく、すぐに止めにいかなきゃ。その練兵場に案内して……」
「あー、それはどうかとウチは思うんやけど」
急ぎ、現場に向かおうとするエミリアの言葉は、特徴的な口調、カララギ弁で遮られた。
「え?」
「もう一度いうで?――模擬戦がユリウスからの提案なら、ウチは止めるの反対やな」
と、アナスタシアは自身の従者の判断を肯定する構えを見せ、
息を呑むエミリアは、笑みを浮かべるアナスタシアに「どうして」と声を震わせながらも出す。
「あなたの騎士と私の知人がぶつかってるのよ? 心配にならないの?」
「なんの? ユリウスがやりすぎて、そちらさんのとこの子の治療費を払わなならんこと? それこそ訳が分からんやん。ヒナヅキくんがおるんやし」
不思議そうに首を傾げるアナスタシアの答えに、エミリアは言葉を失う。
その傍観の姿勢にエミリアは額に手を当て、紫紺の瞳に動揺をたたえながら、
「あ、あなた……他に、もっと言うことがあるんじゃないの?」
「あ、賭けでもしよか? あの、ナツキ・スバルくんやったっけ? あの子がユリウスとどれぐらい打ち合ってられるか」
アナスタシアの目がシャオンをとらえる。それは完全に弱者を痛める強者の目だ。流石にこの場合の弱者がシャオンのことか、スバルのことかまではわからないが。
「……ふつう賭けだったら、勝ち負けを問うもんだと思うんですけど」
「そんなん賭けならんよ、ヒナヅキくん。それに、キミも止めるべきではないとおもてんやろ?」
エミリアが驚きの視線でこちらを見る。だが、それにこたえるほどシャオンは剛胆ではない。といってもいつまでもだんまりという訳にはいかない。
どうするか悩んでいると、
「……模擬戦の是非を問うのであれば、私も途中で止めるのは感心しないな」
助け舟ではないが、腕を組み、それまで静観していたクルシュが仲裁に向かおうとするエミリアを相反する意見で引き止めた。
「これで決闘を申し入れたのがエミリア殿の従者であれば、エミリア殿が仲裁を申し出るのは正しいだろう。だが、申し入れたのが騎士ユリウスであり、受けたのが卿の従者であるのなら、卿が止めに入るのは筋違いだ」
「どうして? だって、スバルは……」
「それがわからないようなら、いくら説明したとてわかりはしない」
強い口調で言い切られ、エミリアはそれ以上の追及をクルシュに行えない。クルシュもまた、エミリアに語るべきことはないとばかりに唇を固く結んでしまった。
エミリアの追及がシャオンに来る前に僅かに話題を逸らす。
「……それで? なんでそんなに慌ててるんですか?」
「そうそう、別にやり合ってるだけなら報告は事後報告でいいわな。なんでまた、団長呼びにくるぐらい焦ってるわけよ?」
シャオンに同調するようにアルが疑問を差し出す。それを受けて傍目にもはっきりわかるほど衛兵の顔色が悪くなる。彼は問いにどう応じるべきか、戸惑うように視線をさまよわせ、アルの隣で嫣然と微笑んでいるプリシラと目が合ってしまった。
唇を横に裂き、愛らしい天使の笑顔に残虐性を入り混じらせる狂悦の表情。
衛兵は最後にマーコスに救いを求める目を向けたが、その救いに対するマーコスの答えは無慈悲な首振りだけであった。
「自分が団長をお呼びに上がったのはその……騎士ユリウスとナツキ・スバル殿の模擬戦が……あまりに一方的過ぎるため、指示を仰ぎに参りました!」
注目する視線を受け、衛兵は半ば自棄になったような声で背筋を正して言う。その内容を耳に入れて、珍しくマーコスは表情を怪訝そうなものに変え、
「……一方的、というのは?」
「騎士ユリウスも加減されているとは思うのですが、その……とても、見ていられなくなるほどで」
言いづらそうに衛兵はエミリアに視線を送り、自分が見てきたばかりの凄惨な現場の情景を、図らずもその場にいる全員に想起させる。
「止めなきゃ……っ!」
「まって、エミリア嬢! すみません、失礼します!」
焦燥感に彩られた呟きを漏らし、エミリアは扉の脇に立つ衛兵の横に飛びつくと、そのまま部屋を出て騎士団詰所――件の練兵場へ続く通路へと駆け出していく。
飛び出してしまったエミリアを追いかけてシャオンは走る。だが、心の奥底では――もう遅い、とも思っていた。
◻
「おいおい、アイツまだやるのか?」
木剣を叩きつけられ、槍のように突かれ、鞭のようにしなやかに打たれる。
それがもう何度も、何度も何度も何度も――続いていた。
「ぐぁっ!」
また、吹き飛ばされた。
そのたびにスバルは自分とユリウスとの実力差を実感させられる。
傷ついていくのは体だけではない、その実力の差が、スバルの心を傷つけていくことがわかる。
「――ぺっ!」
口の中に異物があるのを感じ、苛立ちを吐き出すかのように勢いをつけて飛ばす。
スバルの口から出てきたものは僅かに赤みが付いた白い小さな物体、歯だった。
ユリウスの攻撃でぐらついていた歯が限界を迎え、スバルの元から離れたのだ。
「そろそろ、だとおもうのだけどね」
「……あ? いっ、たい……なにがぁ、だよ!」
ユリウスの問いかけに、スバルは木剣を降り下ろすことで答える。
負傷した状態で繰り出された攻撃にしては上々の一撃。しかし、ユリウスは最小限の動きで攻撃を回避。スバルの体は練兵場に倒れこみそうになる。
だが、
「君が、あの方のそばにいてはいけない、ということだよ」
「――ぐっ!」
目の前の騎士はそれすら許さずに、スバルの顎を打ち上げ、吹き飛ばす。スバルは回避することができずに地面に頭から落ちた。
「これ以上は命に関わるとおもうが?」
「いって……ろ、素人。こんなんじゃ死なねぇよ」
「その言いぶり、まるで君は素人ではないとでもいいたいようだね」
いぶかしげな表情のユリウスにスバルは震えながらも中指を立てて答える。
「ああ、その道のベテランだよ、くそ」
意地でそういったものの、意識を手放すまではそうかからないはずだ。今のスバルは意地で立ち上がっているだけ、その意地ももう崩れかけてきている。
だから、その前に奴の隙を見つけられれば――
「私に一撃を当てられる、そう考えているのかな?」
「っ!」
「君の中でこの決闘での勝利条件は私に一矢報いることだ。それが、私を打ち倒すのか、それとも一撃を当てるのかどちらを示しているのか」
図星だ。
ナツキスバルのこの模擬戦の勝利条件はユリウスを倒すことから、一撃当てることに変わってしまっていた。
それがスバルにはわかっていたから、口にできない。するとユリウスは僅かに感心した様に笑みを浮かべた。
「流石に無様に言い訳を口にすることはないか。それはプライドからかい? 君にあっても意味のないものなのに?」
「てめぇ!」
「ナツキスバル。君は、なぜ君はこんな目に遭っているかわかるかい?」
挑発に乗り、スバルは飛びかかるがそれをユリウスは一払いで防ぐ。
「一つは、騎士を侮辱したこと」
指を折りながら、ユリウスはスバルに丁寧に説明をする。まるで不出来な教え子に優しく教える先生のように。
「由緒正しき歴史を持つ我々近衛騎士を、君のその浅慮な考えで発せられた言葉で傷をつけたからだ……もう一つは、君もわかっていることだよ」
スバルは答えない。
それはユリウスが言っている言葉がわからないのではなく、自分から口に出すことが怖いからだ。
しかしユリウスはそんなスバルの弱い心を容赦なく、
「――君の努力が足りないからだ」
一切の容赦なく断罪したのだ。
「君が騎士を目指すというならばそれ相応の努力をしてきたはずだ。怠惰に日々を過ごすことなく、上を目指して切磋琢磨してきたはずだろう。だが現実はこの有り様だ。君が、君の夢を叶えるために生きてきたのなら、少なくともこの惨状は生んでいないはず。つまり、そういうことだ」
ユリウスは息を一息吸い、この場にいる全員に聞こえるように音を発した。
「――君は自ら、エミリア様の側を離れるべきであると」
「ふざ、けんな……てめぇに、なんの権利があってそんな……ッ」
「無論、私に君の処遇をどうするかの人事権などない。故に私が君の進退に対して口出しすることはできない……だが君の存在は、エミリア様に対して、王選に参加する彼女に対して大きな障害となる。それは君もわかっているだろう?」
ユリウスの声が、今まで背けてきた真実と向き合うようにさせてくる。スバルが一番知りたくなかった直視したくなかった真実に。
「彼女は優しい、そして君はそれに甘えて生きてきた。いままではそれでもよかっただろう」
「だ、まれ」
――やめろ。
「だがこれから本格的に王を目指す彼女には君は邪魔となる。」
「……黙れ」
――やめてくれ。
「君は彼女の――エミリア様の側に、いるべきではない」
「黙れえぇぇえええええ!!」
血を吐きながらもスバルは叫び、ユリウスに飛びかかる。
挑発に乗り、図星を突かれ、ナツキスバルは感情のままに木剣による一撃を振り下ろす。
「――哀れだ」
ユリウスはたった一言でそれを切り捨て、スバルの一撃を受け流し、逆に木刀をスバルの体にたたきつけた。もう見飽きた大空を再び見て、スバルは実感する。
――次で決まる。
ゲームのように目に見える指標があるわけではない。ただ、単なる予想だ。
だけど、この予想は外れない。そんな実感があった。恐らく次の攻防で、すべてが決まる。だったら、盛大にいこう。
歪になった顔をさらに笑みで歪ませ、なんとか立ち上がる。
ユリウスも次で決まると分かっているからか、真剣な目つきをさらにとがらせ、木剣を構える。
「――――!!」
瞬間、声が聞こえた気がする。
音も聞こえない世界で、景色もなにもかも置き去りにしたはずの世界で、自分と殴るべき相手以外、なにも存在しないはずの世界で。
声が聞こえた。
誰かの声が聞こえた。スバルの耳を、魂を震わせる愛しい声が。
「――――ル!」
音になった。確かな音になった。
意識が引きずられそうになる。なにもかも、赫怒で塗り潰して忘れさせてくれ。
今は一点、目の前の存在へと向かうことだけがスバルの存在意義なのだ。
「――――バル!」
鮮明になり始める。意味を持ち始める。
それがはっきりと聞こえてしまったら、もはや取り返しがつかない。
だからスバルは全てを振り切るように、すぐ側にまで迫ってきている圧倒的な恐怖から逃れるために、全身全霊を振り絞り――叫ぶ。すべて、
「――スバルッ!」
「――シャマクッ!」
止められていた魔法の発動、その祝詞を口にしたのだ。
◇
ゲートの不調を無視して魔法を使った結果、ナツキスバルの体はボロボロになるはずだった。
魔法の発動と共に意識がなくなり、血泡を吹いて倒れる。それがスバルの覚悟していた展開だった。しかし実際には倒れることもなく、ただ体の中から何かがなくなる喪失感のみがあり、苦痛などは何も感じない。スバルはそれに感謝をし、暗闇を走る。
視界は夜のように見えず、音はもともと聞き取る器官がなかったかのように静かだ。
五感に頼れない状況、普通だったら怯えが混じるはずだ。
だが、今のスバルはその感情すら憤怒という激情とようやく一撃当てられるという期待に塗りつぶされていたのだ。
一撃をあて、あの綺麗な顔に傷をつけ、スバルの名誉を回復させる。そうすれば、騎士共を見返すことができ、シャオンではなく自分がエミリアの騎士になることができ、彼女の傍にいられることが――
「これが、君の切り札というわけか――」
全てが闇に包み込まれた世界、
次の瞬間、無理矢理引き裂かれた黒色の向こうから迫る刃をその身に受けて、スバルの体は激しく容赦なく、大地の上に叩き落とされていた。
痛みがなかったわけではない、ただ痛みを上回るほどの驚きがスバルを襲ったのだ。
膨大な量が噴出した黒雲が完全に霧散し、空に広がるのは先ほどからなにひとつ変わらない憎たらしいほどの晴天の空。
仰向けに大の字になっているのだと、スバルはそれでようやく気付く。
「『陰』の系統魔法を使うというのは予想外だった。意表を突かれたのは認めよう」
声が上から投げかけられる。
「だが、錬度が低すぎる。なにより、低級の『陰』魔法など自分より格下の相手か、あるいは知能のない獣でもない限りは通用しない。私にはもちろん、近衛騎士の誰ひとりにすら、この策は通じなかったことだろう」
否定の言葉が降り注ぎ、スバルの心を貫く。受け止めてくれる盾は、もうない。
「切り札を切ってすら、これだ。もうわかっただろう」
憐れむような声が投げられている。
全てを諦めろと、スバルの心を殴りつける声が降り注いでいる。
状況を変えられると思った。
縋れるものに縋り、吐き出せるものを吐き出し、やれると思っていた。世界は、スバルのことを助けてくれると、そう信じていた。
なのに――、
「君は無力で、救い難い。――あの方に、ふさわしくない」
その言葉だけは否定したくて、スバルは軋む首だけを動かして視界を空から移動させる。どうにかこうにか、その果てに立つ男を睨みつけようとして、
「――――」
――銀色の髪の少女の、紫紺の瞳と視線が絡んだ。
そして彼女の憐れむ視線に耐えきれず、目を横に逸らすとそこには――あの男がたっていた。
それを見てぷつんと、自分の中でなにかの糸が切れるような音がしたのをスバルは聞いた。
それを最後に、意識が一気に遠ざかり始める。
それまで鮮明だった意識が切り離され、世界が急速に霞み始め、今度こそ本当の意味でなにもかもを置き去りに、スバルの意識は奈落の底へ落ちていき、
「――スバル」
聞こえるはずのない呟きで呼ばれた気がして、なにもかもが消えた。
◻
暗闇が晴れ、そこには模擬戦の結果が横たわっていた。
無傷で、汗一つかいていないユリウスと血だらけで、動かないスバル。どちらが勝者なのかは口にしなくてもわかるだろう。
「うっわぁ、これはひどい様」
意識を手放したスバルにフェリスは治療をしようとかがみ込む。
ユリウスのことだ、殺すようなことはしていないだろうし、言っては何だが”死に戻り”も発動していない。本当に意識がないだけだろう。
だったら、何とかなる。問題は心のほうの傷だ。
「うん? シャオンきゅんどうしたの。悪いけど今から治療――」
「いえ、外傷の方は大丈夫です。任せてください」
スバルに近づき、拳を掲げるシャオン。
その行動に首をかしげるフェリスに説明をせずに、スバルの胸元に拳を突き立てる。
フェリスをはじめ、シャオンの力を知らない者たちは驚き、一部のものは更なる惨劇が始まるのかと顔を手で覆っていた。
だがそんなことは起きることがなく、白い光がスバルを包み、一瞬で傷を治していた。
その様子に周囲は間抜け面ともいえるように口を大きく開けて驚いていた。
シャオンは彼等か追及を受ける前に練兵場から出るために早口ながらユリウスに話しかける。
「取り合えず目を覚ますまでスバルをどこかに寝かせてあげたいんだけど」
「……ああ、それなら開いている部屋がある。案内を頼むよ」
ユリウスが近くにいた騎士の一人に声をかける。
騎士は最初はうろたえていたが、すぐに持ち直し了承する。
「エミリア嬢、行こう」
スバルを持ち上げ、練兵場をあとにしようとする。
エミリアは、スバルとユリウスを交互に見やり、そして首を縦に頷いた。
「すまない、これは私が勝手に行ったものだ、罰なら受けよう」
背後から聞こえてきたのはユリウスの謝罪の声。だがシャオンはそれを聞いて、呆れた様に、力が入っていない笑みを浮かべ、
「いや、ありがとう。それに、こちらこそすまなかったね」
振り返り、罵倒ではなく感謝の言葉を口にしたのだ。 その行動にユリウスは僅かに目を開き、驚きをあらわにした。周囲も、エミリアも驚く。ただ驚いていないのはこの模擬戦の意味を理解しているフェリスと他の王選参加者たちだ。
知らない者にとってはユリウスは罵倒されてもおかしくないのだが、シャオンにとってはなぜ彼を責める必要があるのかわからない――彼がスバルのためにしたことであるのは事実なのだから。
◇
「エミリア嬢は少し待っててくれないかな?」
「え、う、うん」
今のスバルにエミリアといきなり話をさせるのはだめだろう。恐らく、話がこじれてしまう。落ち着かせることが必要だ。
その役目をシャオンが担うことに不安は残るが、ほかにいないのだから仕方ない。意を決してシャオンはスバルの部屋をノックなしに入る。
部屋の中にはベットの上で毛布にくるまっているスバルがいた。
「よぉ、スバル。起きているだろ?」
「……なんだよ」
寝起きだからか、はたまた別の理由か。
スバルは不機嫌を隠す様子もない声でシャオンの声に応じる。
それに僅かに驚きながら、シャオンはスバルの寝ているベットの近くに座る。
「なんであんな無茶したんだ? お前らしくない。エミリア嬢、心配してたぞ」
”お前らしくない”という言葉にスバルの眉がわずかに上がった気がする。
だがシャオンは気のせいだと考え言葉を紡いでいく。
「とにかく今回の一件は大丈夫だ、ちゃんと事情を話して、ユリウスに謝って、おとなしくしていれば何とかなる。勿論俺も手助けするからさ、だから――」
「――いい加減にしてくれ」
それは小さくこぼされた声だった。
シャオンが聞きこぼさなかったのは偶然か、それとも彼の、スバルの声が――怨嗟のこもったものだったからか。
それすらわからないままスバルの語りは進んでいく。
今までため込んできたものが限界迎え、溢れ出したかのように吐き捨てていく。
「ああ、お前はいいよな? 魔法の才能もあって? 喧嘩も俺より強いし、チート能力持ちだもんなぁ?」
見ているこちらが辛く感じてしまうほどに顔を歪ませて、スバルの告白は続いていく。
「ああそうさ、それが周りの奴等はお前を認めて、俺のことは認めない理由だ。ロズワールの野郎も、俺を憐れんでいた騎士共も! そして――エミリアでさえお前のほうを取った理由さ!」
スバルは自らの体に掌を添え、訴えかけるようにそう宣言する。
その迫力に、怒声に、ぶつけられている対象であるシャオンは思わずひるんでしまう。
「……ふざけんなよ」
スバルから歯を食いしばる音が聞こえ、力強く握る拳からは血が垂れているのが見えた。
自らの体を傷つけるまでに力が籠められ、それほどまでにこちらに敵意を向けているのだ。
「俺だって努力してきただろ? なんで、なんでお前ばっかり……」
「スバル……」
その声には怒りや悲しみよりも、悔しさが占められているようにシャオンには感じた。
――自分も命を削って尽くした、なのになぜ報われない? なぜ、シャオンばかり報われる?
そんな、他者を妬むような、黒い気持ちで占められていた。
「……そもそもさ、なんでお前は俺に対してなんの自慢もしない? はっ! 強者の余裕ですってかぁ?」
「そんなことっ――」
「触んなっ!」
否定の言葉と共に伸ばした手は
勢いに任せての行動だったのだろうが、彼の放った一撃は力が込められていなかった。
だから、だから、痛くなどないはずなのに――
「……ス、スバル。誤解だ。落ち着いて、話し合えば、ちゃんと分かり合え――」
「お前に――」
シャオンは喉を震わせ、何とか出すことができたかすれた声で引き留めようとする。
だがスバルはそれを遮り、
「――お前に、俺の気持ちなんて……わかりゃしねぇよ」
スバルはその言葉を最後に、頭から毛布をかぶり、現実から逃避する。
何か、何か言わなければ彼は腐っていくだろう。
わかっている。
そんなことは、わかっているのだ。だけど――
「――――」
――シャオンには、何も言うことができなかった。
カーミラ「殺す」
スバル「」
カーミラ「殺す」