「当家にある長距離用の竜車はあれが最後。できるだけ立派にゃの用意したからクルシュ様に感謝してよネ。しかも普通の竜車とは違って”魔除け”の呪いもついてる優れもの」
「運が良かったっすね。多分これでリーファウス街道突っ切れば、まあ日付が変わるまでにはお屋敷に辿り着けるだろうし」
「ええ……ですが、シャオンくん達の分までは……」
「ああ、そっちは当てがあるから大丈夫」
到着した竜車を見ながら、シャオンは高度を上げる太陽の輝きにその目を細める。
時間は正午を目前としたところで、今から全力で竜車を走らせれば、確かに半日ほどで屋敷に着く。こちらもアナスタシアの元に行く必要があるが、そう時間はかからないだろう。
「なるほど、では問題ないですね。屋敷に近づければ、共感能力で姉様にある程度の意思を伝えることも可能です。そこからは……」
そこからは、そこからはいったいどうなるのだろう。スバルの症状は魔術や呪いのものではない、腸狩りや魔獣騒ぎの時とは違って治す手段の見当がつかない。
手掛かりは、一応ある。一つだけではあるが、あるのだ。
――死に戻りだ。それは今のスバルが陥っている状況に無関係ではないはずだ。ただ、それを相談することはできない。
もしも死に戻りに関する事を口にしてしまえば少なくとも、シャオンは死ぬ。そうなってしまえば本末転倒だ。
苛立ちに指の爪を食んでいると、ふとクルシュの瞳がこちらを射抜いていることに気づいた。
「……なにか?」
八方塞がりの事態に、つい声色に棘を隠せなかった。
当然それは相手にも伝わっていたらしく、フェリスの眉が僅かに動く。しかし当のクルシュは顔色ひとつ変えない、それどころか逆にこちらへと頭を下げた。
「いや、そちらの事情に対してあまり私が踏み込むものではない、か。気を害したなら謝罪しよう」
「……こちらこそ、ここまで見てもらって失礼な態度をとってしまい申し訳ない」
そう返すように頭を下げると、クルシュは小さく笑う。
「なに、それほど卿の中でナツキスバルを大切な友だということだろう」
「そう、だといいです」
「違うのか?」
「俺だけがそう思っている、かもしれないです」
あいまいな笑みを浮かべながら、答える。そして、その笑みスバルから受けた糾弾の言葉を思い出し、胸がチクリと痛む。
「卿は存外、生きにくい性格なのだな……できることならば、次合間見える際には卿らがまた肩を並べていることを願っている。”しっかり”とな」
苦笑しながらも意味深にこちらに語る彼女。何と答えようかと考えていた際に、レムが話しかけてきた。
「すみません、そろそろでなければいけませんので、レムたちは先に向かいます」
「ああ、息災で」
「頑張ってねー」
レムは見送られ、最後にもう一度だけ深々と頭を下げ、それからスバルの手を引くとカルステン邸をあとにする。門のところでヴィルヘルムから手綱を受け取ると、一言二言会話を交わしてから御者台に乗り込み、
「スバルくん、こちらへ」
「……ぅ、あ?」
レムは腕を引き、御者台にスバルを座らせる。
竜車から落ちないように片腕を彼の腰に回し、もう片方の手でしっかりと手綱を掴む。
「俺達もすぐに合流する。それまでスバルを頼む、レム嬢」
「……はい、お任せを。シャオンくん達も気を付けて」
「ああ……」
シャオンの言葉にレムはいつものように笑う。
普段ならば頼りになる彼女の笑みだったが、なぜかシャオンは一抹の不安が拭えなかった。
◆
先に屋敷へ向かったレムたちの後を追うようにアリシアとシャオンは竜車を走らせる。だが、
「……あまりに静かすぎないっすか?」
リーファウス街道を走る道行き、これまで一度も他の竜車とすれ違っていない。
街道に沿って走っているとはいえ、屋敷への最短を目指してやや正道からは外れている。車輪が草を噛む感触を尻に感じながら、しかしアリシアは遮蔽物のない周囲に一切の他者の存在がないことを気にかけるべきだった。
おかしな点はいくつもあった。
まず第1に敵対者の存在が一切感じられなかったこと以前に、虫の鳴き声ひとつすら聞きとることのできない異常というものに。生き物たちが息をひそめる状況――つまりは本能的に、人知を越えた異変が起きる前兆であるのだから。
そして、2つ目、これが決定的な違和感だ。
「それに……なんだか同じ場所を回っていないか?」
メイザース領に到着するまでは確かにまだかかる。だが、さすがに景色が変わらないことはないだろう。
シャオンの記憶が正しければそろそろ見覚えがある景色が出てくるはずだ。しかし、先ほどからずっと変わらない景色が2人の視界には映る。
疲労による気のせいだろうか?それとも――
「止まれッ!」
思考はアリシアの怒声により、唐突に終わりを迎える。
彼女は手綱を引くのが間に合わないと考え、言葉で地竜を止めた。荒業ではあるがその判断は正しかった。
なぜならば今まで感じていた不安が爆発したかのように、地竜の首が、吹き飛び、宙を舞ったのだから。
■
走る地竜の首が根本から吹き飛び、引かれる竜車は意思を失った巨体が崩れ落ちるのに従い、道を外れて大きく弾み、横転する。
横倒しになった車体が派手に地面を削り、噴煙を巻き上げながら轟音を立てる。木材がへし折れ、倒れた地竜の肉体が車輪に巻き込まれると、血肉が引き千切られる不快な音と血煙までもがぶちまけられ、現場は一瞬で惨状へと様変わりした。
いくつかの森林地帯と丘を越えて、二時間ほども走れば目的地に着いただろう。が、竜車はその途上で無残にも破壊され、空転する車輪の音だけが空しく事故現場にカラカラと響き渡っていた。
肉塊となった地竜が横たわり、車両は残骸へと変わり果て、噴煙には土と血が入り混じって異様な臭気を漂わせる。
幸いにもシャオンが意識を失っていたのは数秒だけで、なおかつ負傷はほとんどないものだった。その理由はアリシアの対応もあるだろうが、崩壊した竜車からはわずかに離れ、その体が落ちたのは林道を外れた草原の一角だったからだろう。
緑が生い茂るそこは蔦が張り巡らされており、それらが落下の体を衝撃からいくらか守ったのだろう。あれほどの惨状の中心にいたにも関わらず、負った傷は奇跡的というしかないほど軽微なもので済んでいた。
擦過傷といくつかの打撲。幸いにも骨折や大量出血を伴う傷などは生じなかったものの、【襲われた】という事態は解決していない。
「いったい何が……」
状況を把握しようとした瞬間、シャオンは”影”に気づいた。
「――――」
それは瞬く間に次々と湧き上がり、竜車を十数名が取り囲む。
人影は倒れ伏した首のない地竜を見分し、肉塊となったそれが確かに死んでいるのを確認すると、改めてシャオン達へと目を向けた。
彼らは頭まですっぽりとフードを被っており、その顔も性別すらも判然としない。呼吸しているのかすら定かでない影、それらは軽く頭を下げた後、呟いた。
「導きを」
ひとりがそうこぼすと、次に誰かが同じ単語を口にする。そうしている間に単語の連鎖は次々と流れ出し、取り囲む全員が巡るように囁き声を漏らす。
虫の鳴き声も生き物の気配もまるでない世界に、風に枝葉の揺れる音と黒い影たちが呟く囁き――まるで、世界がそれだけで完結しているような歪な情景。
そんな光景を見てシャオンは思考が固まる。
そして、影の1人がゆっくりとこちらへと近づいてくるのが見える。
その影が黒い手をこちらに伸ばし、触れそうになる瞬間、
「----ごちゃごちゃうるさいっす!」
シャオンの好きな金色の髪が目に映るとともに、 そんな世界を砕くような怒声が聞こえ、遅れるように肉の弾ける音と、黒装束が鮮血に染まる光景がシャオンに届いた。
虚を突いた一撃にシャオンに迫っていた黒装束の一人は回避すらできずに吹き飛び、動かなくなる。
それを見て一拍遅れた後に、シャオンは正気に戻る。
「悪い!呑まれてた!」
「謝る暇で戦闘準備っすよ! 魔女教徒相手なら容赦はする必要ないっす!」
「――――」
仲間をやられたにもかかわらず黒装束たちの判断は早い。仲間の突然の即死から即座に意識を切り離すと、追撃を避けるように声もなくあたりに散開する。
その際、黒装束たちが懐から抜き出したのは、十字架を象った刃だった。鈍い輝きのそれは先端に刃が備わった悪趣味な意匠のものであり、両手に一本ずつそれを構える黒装束たちは油断なく周囲を警戒する。
「勝率はどれくらい?」
「シャオンとあたしがいるなら、まぁ未知数?」
危機的状態にもかかわらず、冗談を言える彼女が今は頼もしい。
「行くぞっ!」
多勢に無勢、勝率の低い戦いが始まった。
◇
敵の数は十一、対してこちらは二人のみ。互いに背中合わせで、背中をカバーできる位置に陣取り、死角を殺して奇襲に応じる態勢をとる。
先に動いたのはアリシアだ。
「――しぃっ!」
振り下ろされる鉄腕が、黒装束の頭部を真上から抉る。鈍い音とともに頭頂部から股下までを勢いよく裂かれ、そこから血と脳漿を溢れさせる影がぐらりと倒れる。
その体を蹴りつけ、付近にいた黒装束の視界を塞いで少女は飛びずさる。しかし、仲間の死体を蹴りつけられた影も躊躇はない。突進し、向かってくる仲間の死体を正面から十字架で串刺しにすると、仲間の死体ごと下がる少女を貫きかかる。
だがその影の凶刃が届くよりもシャオンのこぶしが早く、影の首を吹き飛ばした。
「いや、素手でそんな威力でるってやばいっすよね」
「訓練の成果だ、よっ! エルゴーア!」
首がなくなった死体を蹴り飛ばしながら、同時に火球を放つ。肉が焼ける音が聞こえると同時に影が消える。
だが、まだまだ、数は多い。
「わんさかわんさか、ゴキブリかよ……」
黒装束の一団を睨みつけると、憎悪に満たされた声でそう吐き捨てた。
その言葉に反応するかのように、一人が十字剣を構えながらとびかかってくる。だが、
「甘いっ!!」
先頭の黒装束の顎が、下から跳ね上がるシャオンの爪先にごっそり抉られた。
いや、抉られたというよりも元からそうであったかのようなぐらいに綺麗に下顎を真下から刈り取られたのだ。
だが、
「――――」
それは己の致命傷すら意に介さない動きでこちらへと掴みかかり、振り被る十字架を彼の胸に打ち込もうとする。その予想外の動きにシャオンの身体はついてこない。不可視の腕を払うにも、魔法を使うにも間に合わない。
「――ッ!!!」
シャオンの息を呑むような声と共に、アリシアから大地が吹き飛ぶような蹴りがシャオンの胴目掛けて放たれる。
「謝罪は後で!2人きりの時に聞くっす!」
骨が折れるような音ともに、何度か地面を跳ねる。飛びそうになる意識を意地で耐え、癒しの拳で即座に負傷を治す。
体から痛みが引くのを確認するとともに、顔を上げるとシャオンと入れ替わるようにアリシアが魔女教徒の前に立つ形になっていた。当然、攻撃をしたばかりの隙だらけの彼女に回避はできず、多くの十字架が容赦なく切り裂いた。
「ぐっ!」
激痛から彼女の表情は歪み、小さく声が漏れる。
そして、アリシアに行われるだろう殺戮を想像するとともに、それを防ごうとシャオンの身体は既に駆け出し、彼女へと近づく。
「離れて――!」
彼女の静止の声にわずかに体が止まる。そして、瞬間、黒装束の体が内部から爆発し、直後に暗闇の森の中に真紅の輝きが連鎖する。
高熱が吹き荒れ、木々を焼き払い、一面が焦土と化す熱量に世界が断末魔を上げ、
――焼け野原に、焼け残りが舞い落ち、刹那のあとに焼き消えた。
文字通り、そこにはアリシアも、魔女教徒も、そしてシャオンすらも初めから誰もいなかったかのように、消えてしまった。