Re:ゼロから寄り添う異世界生活   作:ウィキッド

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対白鯨

 白鯨を討つ――。

 事前交渉が終わり、その討伐の二文字が具体性を帯びてくれば、その後の関係者の動きは素早い。

 ラッセルとアナスタシアの商人二人は宣言通り、ありったけの武器や道具をかき集めに都を奔走し、クルシュもかねてから準備していた討伐隊の招集、および移動手段である竜車の確保にひた走る。

 その動きにスバルは以前までの世界で、三日以降の竜車の手配が困難になる経緯の理由を悟った。白鯨出現の報せが王都にも届き、クルシュが街道に隊を展開するために動き出すのがそのあたりの日取りになるわけだ。

 そうして次々にめまぐるしく人々が走り回るのを見ていると、もう夜更けも近い時間だというのにジッとはしていられない。

 

「俺も――」

「スバルくんにできることにゃんてもうほとんどないんじゃにゃい?」

 

 と、なにかしらの手伝いを申し出ようとしたスバルに先がけ、その意気をへし折る人物がいる。欠伸まじりの口元に手を当て、眦に涙を浮かべるフェリスだ。

 スバルがじと目でその女顔を睨みつけると、彼はその頭部の栗色の猫耳をぴくぴくとさせながら、

 

「物資の手配も討伐隊の編成とか、できる? 下手にかき回さずに、大人しくしてなきゃって思うけどネ」

「そんなわけにいくかよ。俺がやろうって言い出したせいで、みんながこんなに動き回ってんだぜ。その俺が……」

「ん!」

 

 スバルの口に指を突きつけ強制的に言葉を切られる。その行為にスバルが目を細めると、フェリスはそのまま唇に当てた指でこちらの鼻を弾き、

 

「その自分のせいって考え方、フェリちゃんあんまりっていうか、全然好きじゃにゃいかにゃー」

「なんでだよ。実際……」

 

 みんなが夜を徹して働きづくめになるのは、スバルの発言が発端ではないか。

 それをやらせ始めた張本人がぬけぬけと待っているなど――、

 

「クルシュ様が白鯨の討伐を決めたのは、ヴィル爺のためなんだよネ」

 

 ぼそり、と小さな声でフェリスは唐突に呟く。

 その内容にスバルは思わず「え?」と抜けた声で応じ、

 

「白鯨の討伐はヴィル爺の悲願なんだよ。先代の剣聖――ヴィル爺の奥さんが白鯨にやられたとき、ヴィル爺は傍にいられなかったらしくて」

「先代……」

「死に物狂いで白鯨の情報をかき集めた。時期、時間、天候、その他あらゆる条件を並べ立てて、ようやくかすかだけど法則性みたいなものを掴んだの。でも、誰もその話を聞き入れてあげなくて……」

 

 孤独に、ひとり書物に、文献に向かい合って血眼になるヴィルヘルム。妻を殺した怪物に復讐する機を狙い、その老剣士がいくつの夜を越えたのか。

 ――その執念が実り、ヴィルヘルムは白鯨の足取りにわずかながらの光明を得た。それが、

 

「剣聖を加えた討伐隊が壊滅するような相手に挑むなんて、そんな気概は王国にはもう残ってなかった。みんな、心が折れてたんだよねぇ」

 

 仇を討とうとしても、その憎き相手の足下にすら辿り着くことができない。

 その無力感が生む自分への絶望をスバルは知っている。弱さという罪は決して、自分を逃がしてはくれないのだから。

 

「全てをなげうって、ひとりで白鯨に挑むことも考えたみたいだネ。勝てないことより、戦えないことの方が恥だと思う、ばかだよネ。男って」

「そうですね」

 

 と、フェリスに同意を示したのはスバルの隣に立っていたレムだ。

 それまで無言で話に耳を傾けていた彼女は青い髪を揺らし、スバルの横顔をそっと見つめると胸に手を当て、

 

「愛した人には、レムはずっと元気でいてほしいです。たとえレムがいなくなったとしても、レムのことは笑顔で思い出してほしい」

「おい」

 

 感傷的なレムの言葉にたまらず、スバルは呼びかけ注意する。

 そのレムを想った叱咤に彼女は愛おしげに目を細めて、笑う。

 

「そのヴィルヘルム様に声をおかけになったのが――」

「クルシュ様、にゃんだよネ」

 

 ほう、とフェリスはそのときを思い返すように感嘆の吐息を漏らし、

 

「クルシュ様は本当にお優しいお方。絶望して、悲嘆して、それでも誰も見向きもしないような相手でも、クルシュ様は手を差し伸べてしまう」

 

 と、フェリスはどこか遠くを見て頬を赤くする。その様子を不思議なものを見る目で見ていたのに気づいたのか、あわてて咳ばらいをし、こちらの世界へと戻ってくる。

 

「つまり、にゃーにが言いたいのかっていうと、スバルきゅんのおかげってお話」

「俺の……?」

「横道それちゃったけど、最初はそういうお話だったでしょ?」

 

 ヴィルヘルムの過去に話が飛び、失念していた話題をスバルも思い出す。もともとは、白鯨討伐準備の慌ただしさの発端に関しての話だったのだ。

 

「『せい』じゃなくて『おかげ』ネ。この二つは似てるようで全然違うヨ? これでヴィル爺はやっと奥さんに報いることができるって感謝を……」

「フェリス」

 

 背後からの声に目の前の小さな猫が跳ね、ばつの悪い顔で振り返る正面、そこには後ろ手に手を組んだ老紳士が立っている。

 

「にゃはは……フェリちゃんは用事を思い出したかにゃー」

 

 彼は猫のように小さくなるフェリスを細めた目でジッと見つめていたが、その圧に負けたのか、フェリスは退散する。その背中を見送り、途端に室内に落ちる沈黙。

 意図せずしてヴィルヘルムの過去を聞いてしまい、スバルの方は猛烈に気まずくて仕方がない。フェリスのようにこの場を去りたいものだが、

 

「お聞き苦しいお話を聞かせてしまい、申し訳ありませんでした。老骨のつまらない無為な時間のことです。お忘れください」

 

 空気を汲んだのかヴィルヘルムがそう告げる。苦々しい笑みが力なくその口元を飾るのを見て、スバルはその意思を尊重しようと心に決める。

 なにも聞くな、とそれが老人の意思だ。なにも聞くまい。

 

「――奥さんを、愛しているんですね」

 

 スバルの一言に空気が固まる。

 ブレイクダンスを決め、地雷原にいつもの癖でスバルが足を突っ込んだのだ。レムのおかげで少しはマシになったと思った野次馬根性はそう簡単には抜けず、この有様を引き起こした。

 スバルはどうすればこの空気をなかったことに、あるいは中和できるかを考えていたが、スバルのあたふた具合とは別に、ヴィルヘルムは僅かに方眉を上げてスバルを見ただけだ。

 

「ええ、妻を愛しております。なによりも、誰よりも、どれほど時間が過ぎようとも」

 

 老騎士の言葉には否定も謙遜もない。そこに込められた年月の分だけ、ヴィルヘルムの告白は重い。

 

「明日の準備がまだありますので、これで。お二人も、今夜はゆっくりとお休みください」

 

 押し黙る二人に背を向けて告げ、ヴィルヘルムの背中が遠ざかる。

 

「明日は――」

 

 その遠ざかる背に、スバルは思わず声をかけていた。

 足が止まり、振り返らない背中にスバルは、

 

「明日は俺も、レムも参戦しますから」

 

スバルのその言葉にヴィルヘルムは何も語らない。

 

「同盟相手が強敵と戦うってのに、黙って見過ごす奴がありますかよ。心配しなくてもレムは戦えるし……俺にだって、やれることがある」

 

 スバルはヴィルヘルムから否定の言葉が出るのを未然に遮る。そして、

 

「力合わせて、あのクジラ野郎をぶっちめてやりましょう!」

 

 サムズアップして歯を光らせ、スバルはヴィルヘルムとの共闘を誓う。その宣言にヴィルヘルムはしばし無言だったが、

 

「妻は、花を愛でるのが好きな女性でした」

 

 ぽつりと、それはスバルの誓いへの返答とは趣の異なる言葉で、

 

「剣を振ることを好まず、しかし誰よりも剣に愛された。剣に生きることしか許されず、妻もまたその運命を受け入れておりました」

 

 今代の剣聖であるラインハルトの実力を知れば、その加護が人の身に与えられるには余るものであることがようと知れる。

 それはその加護を与えられたものの未来まで、可能性まで限りなく狭めてしまうほど途方もないもので、才能のようなそれはスバルの想像できないほどに重い。

 この世界では命にかかわるものでもあるのだ重くて当然だ。

 

「その妻の剣を折り、剣聖の名を捨てさせたのが私だったのですよ」

 

 非才の身、とかつてヴィルヘルムは自身のことをスバルにそう語ったことがある。

 それ故に彼は今の領域に至るまでの半生を剣に捧げたとも。

 その悲願を達するまでの間に、この老人は何度挫折を味わい、何度心を挫かれたことだろうか。そして――、

 

「剣を捨て、ひとりの女性となった彼女を私は妻とした。それで全ては彼女を許したのだと、剣聖ではない彼女として生きられるのだと。――ですが、」

 

 剣を捨てたはずのその女性が、どうして白鯨の討伐隊に加わったのか。

 しかし、ヴィルヘルムの述懐はその点に触れず、

 

「スバル殿、感謝を」

 

 ひと息に、

 

「明日の戦いで、私は私の剣に答えを見つけられる。妻の墓前にも、やっと足を向けることができましょう。やっと、妻に会いにいくことができ、親友ともようやく仲直りが出来そうです」

「親友……ですか」

「ええ、変わった奴です。もうしばらく会っていませんが、私と妻の親友でした……今回の討伐には間に合わないようですが。名前はシャレン……彼女自身はサレンと呼ぶようにと言っていましたな」

 

 ヴィルヘルムはどこか遠くを見てそう語る。

 それは、どのような心境で語ったのかスバルには思いもつかないが、勝手に想像するのであれば、もう、戻ってこないだろうその親友と妻との思い出を夢想していたのかもしれない。

 

 翌朝、白鯨討伐までのタイムリミット――十七時間半。

 

「よぉ兄ちゃん!!」

 

 早朝の冷たい空気の残るクルシュ邸の庭園に、その陽気な声は大音量で響き渡る。

 広い屋敷の隅から隅まで届きそうな声だ。

 それを目の前で、至近距離から浴びせられたのだからスバルの方はたまったものではない。耳に手を当てて顔を盛大にしかめ、抗議を込めて睨みを利かせるが、

 

「お嬢から話は聞いとるわ! 兄ちゃんが今日の鯨狩りの立役者なんやろ?」

「ちょっ……力つよ!しかも声がでけぇよ!! 鼓膜ダメなるわ!?」

 

 豪風が吹きつけるような声で話しかけられ、対抗するスバルの声も思わず大きくなる。そのスバルの精いっぱいの発声を心地よさげに受け、その鋭い牙の並ぶ口を全開にして笑うのは犬の顔をした獣人だ。

 赤茶けた短い体毛で全身をびっしり覆い、やや色の濃い焦げ茶の毛がモヒカンのように縦長の頭部を飾っている。目つきは鋭く、口には刃のような犬歯がずらりと光っているが、目尻をゆるめてバカ笑いする姿には愛嬌があった。

 ただしその上背は軽く二メートルほどあり、筋骨隆々の肉体を革製と思しき黒の衣服に包む姿は野生と文明が殴り合いの果てに和解した感が溢れている。

 自称ではコボルト、と名乗っていたが、どう考えてもコボルトの体格ではない。だが、誰も否定しない当たり嘘ではないのだろう。

 

「ちょうどいい機会や、お嬢なんやけどな、ワイの雇い主やねんからもうちょい優しくしたってや!! 基本、誰相手でも銭勘定抜きで話せんから普通のお友達に飢えてんねや、今ならちょろいで! あ、シャオンの兄ちゃんとはもうかなり仲いいから取らんといてな」

「意味わかんねぇよ!」

「団長? 隠しごとに向かないんだから悪口は言わないほうがいいっすよ? ほら、アナ見てみなよ」

「うわめっちゃ笑顔、ほんまや! なんかワイ怒らせたかな!?」

 

 隣にいたアリシアの言葉に団長改め、リカードは遠くで笑顔を浮かべる雇い主アナスタシアを見てこちらから離れていく。

 常識、常人外れ――剛力とも思える力でで頭を振り回され、マジメに首の関節が限界を迎えていたので正直助かる。

 

「危ねぇ危ねぇ、決戦前なのに雑談してて負傷離脱とか笑えねぇよ。さしもの俺もこれだけ気分盛り上がっててそのオチは受け入れらんないぜ……!」

「団長なら悪気なくやりそうだから、笑えないっす」

 

「アタシもやられたなー」と笑うその顔は懐かしみを感じているような、どこか寂しさを感じているようなものにスバルは思えた。そこでスバルは気づく、

 

「……そういやお前元はあっちの陣営か、馴染み過ぎてて忘れてた……スパイとかないよな? ないな、アリシアだもんな。悪かった」

「反論の隙すら与えてくれなくて嬉しいやらなんとやらっす」

「……実際、どうだ?アナスタシアさん達とは、なんかこう溝が深まるとか、その」

「んーそういうのだったらここまで長続きはしないかな、抱えていた問題もシャオンが解決したっすし」

 

 ニヘラと笑う彼女のその笑顔に影はなく、嘘は無さそうだ。

 というよりも、そのヒマワリのような笑顔に思わずスバルもどきりとしてしまいそうだった。

 とそこへ、

 

「その様子を見ると、顔合わせは済んでいるようだな」

 

 言いながら、庭園へ降り立ったのは緑髪の麗人――クルシュ・カルステンだ。

 彼女は普段の礼装ではなく、装飾を極端に減らした薄手の甲冑姿である。各部関節部分が空き、動きやすさを重視したそれは防御力に不安がありそうだが、どうやら加護や魔法がかけられているらしく、スバルの心配は杞憂に変わる。

 

「なるほど。話には聞いていたが、噂以上の兵だな。あれがアナスタシア・ホーシンの……」

 

 いつか戦うことになるその相手を見るクルシュの目は、敵意などない。その目からは敵にすらならないのではなく、敵でも真っ正面から正しくぶつかるという彼女の意思が感じられた。視線に気づいたのか、

 彼女はスバルの方をちらと見ると、

 

「昨晩は休めたか?」

「おかげさまで、な。クルシュさんたちが動き回ってる中申し訳なさに苛まれてた感はあったけど」

「適材適所、だ。卿の仕事としては、昨晩に私やラッセル・フェロー、アナスタシア・ホーシンを集めて白鯨討伐を結論付けた時点で果たされている。もっとも、ここで終わりにするつもりもないようだがな」

 

 真正面からスバルを見つめるクルシュ。

 その真っ直ぐな視線に居心地悪く、スバルは身をすくめてみせるが、彼女は不思議そうに首を傾げる。

 

「ところで、討伐戦に参加する、とのことだが……卿は戦えるのか?」

「戦えねぇよ?」

「?」

 

 スバルは気を取り直すように額を掻きながら、「ただ」と前置きして、

 

「アレ……白鯨相手なら、俺って人間がわりと役に立つ……と思う」

「どういうことだ?」

「あんまし、俺自身も信じたくないんだが……どうも俺の体臭って、魔獣を引き寄せる性質があるっぽいんだよね」

 

 微妙にニュアンスを変えつつ、スバルは自分が参戦した際のプランを伝える。

 スバルの体から発される魔女の残り香――どういう経緯でそれがスバルの肉体に沁みついているのか不明だが、屋敷の時と同じでこれが白鯨を引きつける役割を果たすことは期待していいだろう。

 問題は白鯨の脅威は以前の獣たちと比較できないほど、大きく、かつスバル単独では白鯨の接近を回避することも、ましてや迎撃などもっての外という点だ。

 

「だから足の速い竜車かなんかに乗せてもらって、白鯨の鼻先を走り抜けまくって気を引く……って作戦だ」

 

 正直、自分で口にしていてどうかと思うプランである。

 戦力として期待できないけれど、生餌として役立つから戦場を振り回してくれ。と申し出ているのだ。自殺願望持ちも青ざめる役割分担だが、

 

「驚くべきことに、嘘の気配はないのだな」

 

 顎に手をやり、半信半疑といった眼差しだったクルシュが肩の力を抜く。『風見の加護』がスバルの発言の真偽を暴き、その作戦の有効性を考慮するに至ったのだろう。

 彼女はひとつ頷き、

 

「ならば、足の速さと持久力に優れた地竜を卿に使わせよう。レムと相乗りすれば移動に関しては問題ないだろうからな。ただし、基本は私の指示に従ってもらうぞ」

「了解了解、戦慣れはしてないからむしろ助かるぜ」

「では――来たか」

 

 その言葉を切っ掛けにしたように、庭園に次々と関係者が集まり始める。

 先頭を切り、姿を見せたのは戦着に衣を変えたヴィルヘルムだ。

 軽装備の老剣士は急所のみを守る最低限の防具だけを身につけ、腰には左右に計六本の細身の剣を携えての姿。

 後ろに続くフェリスは女性用と思しき曲線型の騎士甲冑に身を包み、武装はといえば短剣が腰に備えつけてあるのみ。自身の能力を鑑みて、後方支援に徹すると割り切っているからこその姿勢といえる。

 遅れて入ってきたのはくすんだ金髪の持ち主、ラッセルである。徹夜明けの表情には疲労があるが、双眸だけが爛々と輝いていて意気込みの程がうかがえよう。

 すでに先んじて庭園に到着していたアナスタシアとラッセルが合流し、なにがしかの会話を始めるのを横目に、巨躯を揺らすリカードが獰猛に口を歪めて笑う。

 主要の人物たちが揃い始めると、続々と続くのはスバルが名前を知らない歴戦の兵たちだ。クルシュが編成した討伐隊のメンバーなのだろう。主だった面子だけがここに呼び出されたのか、その人数は十名ほどとかなり少ない。それも、

 

「なんかずいぶん、若さの足りないメンバーに見えるな」

 

 ぼそり、と若干失礼かと思ったが、思い浮かんだ感想をそのまま口にするスバル。

 目の前、討伐隊のメンバーがずらりとヴィルヘルムの後ろに列を為しているのだが、その彼らの平均年齢がだいぶ高めに思えるのだ。筆頭のヴィルヘルムをして六十を越えているのだが、付き従う騎士たちも五十代を下回ってはいまい。

 

「全員、白鯨に縁のある方々だそうですよ」

「白鯨に縁ってことは……」

 

 過去の討伐隊、あるいは白鯨の霧によって被害があった人物たちだろう。

 

「一戦を退いている者も多いが、ヴィルヘルムの呼びかけで此度の討伐隊に加わった兵揃い。錬度も士気も、十分以上だ」

「なるほど」

 

 老兵達のシチェーションを考えると、どこか滾るものを感じながらも、スバルはクルシュを見やる。

 過去に白鯨との因縁を持つ彼らが今回の討伐隊に加わっていることも、ある種のクルシュの優しさだろう。それで作戦自体の雲行きが危うくなるなら本末転倒だろうが、彼女の性格からそれはないだろう。それにヴィルヘルムの執念もまた、足手まといを軽々しく戦場に連れ出すような生易しいものではないはずだ。場合によっては戦場に辿り着く前に、余計な足枷は間引くぐらいしかねない。そんな彼が何も言わないあたりは戦力としては十分なのだろう。

 

「考えてみたら、間引かれる可能性があるのは……!」

「えっと、あ! クルシュ様、今回の戦力はここにいるだけですべてでしょうか?」

「主だった顔ぶれは、だけだな、ここにきているのは。残りは街道への隊の展開のためすでに大樹へと発っている」

 

 慄然と唇を震わせるスバルをさて置き、話を変えるようにレムが口を開く。

 クルシュのその返答に、予定時刻が迫る中、現在集まっているこのメンバーが討伐隊の主要メンバーということになる。

 老兵たちが参列すると決起直前の機運が高まり、胸に緊張感が走る。

 

「そろそろ時間だな。卿らもこのまま広間にいてくれ」

 

 そう言ってクルシュは演説台のようなものへと昇る。この作戦を指揮する者として指揮を上げるための演説をするのだろう。

 そのスバルの予想は当たっていたようで彼女自身はスバルでさえ舌を巻くほどのものだった。

 それと同時ににスバルの脳内にはいつぞやの、シャオンの騎士たちへの演説をしていた姿がよぎる。

 あの時は嫉妬や恨み、恥からの負の感情が満ちていたが今思えば、心臓が痛くなるほどのトラウマ的黒歴史だ。

 今では、あの少年の姿に負の感情などない、そこにあるのは単純な希望を載せた願いのみだ。

 

「……頼むぞ、相棒」

 

 この場にいない糸目の少年の奮闘次第で彼らの想いも台無しになるのだ。

 クルシュの演説を聞きながらスバルはただそう願うのだった。

 

 幸い、行軍はトラブルなく予定通りに進められ、討伐隊がフリューゲルの大樹に到着したのは月が昇り始めたばかりの時刻――白鯨の出現までの時間をおよそ、六時間とした夜の始まりであった。

 前回は事情が事情だけにじっくり観察することもできなかったが、やはり元の世界での推定樹齢千年以上の大樹を凌駕するその幹の太さと高さは、根元に到達して見上げてみればみるほどにスバルの心に壮大さを訴えかけてくる。

 ――定刻が迫り、大樹の根元には戦前の張り詰めた緊迫感が満ち始めていた。

 交代で食事と仮眠をとり、場に集った討伐隊のコンディションは万全だ。

 長い行軍に付き合った地竜も十分な休息を得て、今は背に乗せる騎手の指示を今か今かと待ち構えている様子だった。

 息を殺し、心を落ち着けて、全員がその時を待っている。止める必要もないのに呼吸を止め、剣が鞘を走る音すらもなにかに影響を与えてしまうのではとばかりに、誰もが音を殺して時間が過ぎるのを待ち望む。

 リーファウス街道の空、風の強い今宵は雲の流れる動きが速い。

 月明かりの光源が雲に遮られるたび、まるで巨獣が光を閉ざしたのではと視線を上げるものが後を絶たない。それだけ、警戒心を呼び込んでいるのだ。

 

「定刻まで、あと数分だな」

 

 静かにそう呟き、クルシュは横に立つフェリスが小さく頷くのをちらと見る。

 張り詰めた緊張に呑まれている様子はない。彼は自分がこの討伐隊の一種の生命線であることを理解し、その役割に従事しようとしているのだ。

 彼の働きで、この戦における最終的な意味での勝者の数は変わるだろう。無論勝利を疑ってはいないが、犠牲なしに白鯨を討てると考えるほど自惚れてもいない。しかし、その生まれる必要な犠牲の数を、確実に少なくすることはできると考える程度には自信を持っている。

 ヴィルヘルムはすでに腰から二本の剣を抜き、両手に構えていつでも走り出せる準備を終えている。

 彼のまとう静かな剣気は研ぎ澄まされた領域にあり、悲願のときを迎えようとしているこの瞬間ですら洗練されたものだ。

 その純粋なまでの剣鬼のありように、クルシュは惚れ惚れするような感嘆を覚えることを止められない。

 ヴィルヘルムに並び、各々の表情に緊張を走らせる討伐隊の面々も士気は高い。

 じりじりと、心地の良い戦意が自分を焦がしていくのがわかる。

 刻限が近づき、死と火と血の香りが間近に迫るにつれて、クルシュは己の生きている感覚を実感し始めていた。

 そして、

 

「――――ッ!」

 

 唐突に、それは闇夜に沈む街道に響き渡った。

 軽やかな音が連鎖し、重なり合うそれは自然と音楽となって鼓膜を震わせる。

 音の発生源に目を向ければ、輝くミーティアを手にするスバルの姿が彼女からは見えた。その手元から、その音楽が流れ出していることも。

 つまり――、

 

「総員、警戒だ――」

 

 スバルの宣言によれば、音が鳴って一分以内に白鯨が出現するとのことだ。

 彼の言を信じるのであれば、今この瞬間にその巨体が空を泳ぎ始めても不思議ではない。場所も、正しいのだろう。

 疑う余地はいくらでもあるが、その疑いを生む理由がスバルにはない。自然、クルシュは神経を研ぎ澄ませ、その存在が現れるのを待ち構える。

 しかし、

 

「――――」

 

 静寂の中に、その強大な魔獣が現れる気配が一切感じられなかった。

 拍子抜けした、という表現は正しくないが、一分が経過してもなにも起こらない事実に、クルシュにとっては珍しく動揺の前兆を禁じ得ない。だが、

 

「――――っ」

 

 見上げ、クルシュはその自分の浅はかな考えを即座に呪った。

 月明かりが遮られ、影が落ちている。

 その光を遮断した雲霞がゆっくりと高度を下げ、目の前に迫る。

 それは、あまりにも大きな魚影を空に浮かべる魔獣であった。

 クルシュが息を呑んだのと同時、ほとんど全ての討伐隊の面々が同じ事実を察した。そして全員の意思が統一されると、彼らの視線がクルシュへと投げかけられる。

 ――先制攻撃、その命令を待っているのだ。

 

「――――」

 

 息を吸い、クルシュは最初の号令を発しようと心を決める。

 白鯨はいまだ、矮小なこちらの存在には気付いていない。静かに頭を巡らせて、まるで自分がどこにいるのかを確かめようとしているかのように、その動きは頼りなげで、なにより隙だらけであった。

 

「――全員」

 

 総攻撃、とそれを口にしようとして、

 

「――ぶちかませぇッ!!」

「――アル・ヒューマ!!」

 

 クルシュを乗り越えて号令が発され、同時に魔法の詠唱によりマナが展開。

 すさまじい密度で練り上げられた5mを超えるであろう氷柱が、立て続けに四本一斉に世界に顕現

 それら全てが白鯨の胴体に撃ち込まれ、一拍遅れて白鯨の絶叫と噴出した血が大地に降り注ぐ。

 慌てて見れば、そこには地竜に相乗りするスバルとレムが駆け出している。レムの腰に抱きついているスバルがガッツポーズし、此方へと見せつけてくる。

 その二人の先走り――もとい、先陣を切る姿に討伐隊が動揺し、クルシュを見る。。

 動揺はもちろんだ、自分の一声よりも早く動いたのだから、しかしクルシュは自分の口が大きく歪むのを堪えられない。むろん、笑いだ。

 

「全員――あの馬鹿共に続け!!」

 

 動揺をかき消すようなクルシュの号令がかかり、討伐隊の面々が反射的に応じて攻撃を開始する。

 ――白鯨討伐戦が満を持して、火蓋を切った。

 




人工精霊の名前
・シャロン
・シャルン
・シャレン

性格は
・無邪気
・全知全能天然
・ドクズツンデレです

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