Re:ゼロから寄り添う異世界生活   作:ウィキッド

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名前のない怪物と、怪物と、名前を奪う怪物

 ■■■■は、歴代続く呪術師の家系の一人だった。

 表向きの仕事は、お菓子やや仕立て屋など幅広くやっていたが、きな臭い仕事も当然行っていた。

 人を殺したことも直接的ではないが、ある。

 そんな血みどろの道から、呪術師である自分はどうせ逃げられないのだろう、とあきらめていた。そんな関わりも無くして普通の人間として、女性としての幸せも掴みたいとも思っていた。

 まぁ、それも夢の話、もう一般的な幸せを掴むことは無理だと諦めている中、出会いは起きた。

 あれは、いつの日だったか、いつも通りのお店での商い中。騎士である彼と、■■■■の夫となる騎士である彼と偶然出会った。

 一目ぼれ、というものだろう、それは互いに。そこからは流れるように進んで行く、交際に、結婚、1児の子供も授かった。

 幸せの絶頂だった。だった、のだ。だが、幸せはそう長く続くことはなかった。

 亜人戦争によって夫は戦争へと駆り出されることになる。

 ■■■■は祈った、呪術師でありながらも彼が生きて帰ることのみ祈る。だが、現実は甘くはない。

 願いは届かず、騎士の夫は、亜人たちによって容赦なく殺され、その無残な遺体は彼女の元へと届けられた。

 ■■■■は、騎士たちに問い詰めた。

――どうして、救ってくれなかったのか。貴方方騎士団ならば、救えたはずだ。

 八つ当たり、ではある。だがそうでもしないとこの怒りでどうにかなってしまいそうだったのだ。

 亜人共の相手をする必要がある騎士達は相手にする余裕がない。

 一度目は謝罪の言葉、二度目三度目となると、戦争の状況の悪さもあってか必然的に敵意と共に暴力を振るわれていく。

 そして、ついに、命にかかわる暴行を受け、乱雑にゴミ捨て場へと捨てられたとき、蟲に体を食べられながら死んでいくと思ったその時――怪人と出会った。

 

「――やあ、どうも。お休みの所よろしいですか。ごめんね」

 

 その人物は奇妙な出で立ちだった。かけられた声色はどこか、本能的な嫌悪感を覚える。

 ボロボロの体でも、その人物を無視することはできないほどの存在に目を向ける。

 

「ありがと。ほんの少しだけ、皆さんのお時間を拝借させてください」

 

 謝罪と感謝の言葉を口にしていながらも、謝意より己の意思を優先させるどこか独善的な声。

 震える声は裏返り、ひび割れ、耳にするものの心をひどくガムシャラに掻き毟るような不快感があった。

 そのおかしな感覚はおそらく、その人物の奇怪な外見の影響も多大に受けている。

 ――その人物は頭部を乱雑に巻いた包帯で覆い、わずかに露出したギラギラと輝く瞳でこちらを睥睨している。黒いコートで体をがっちりと包み、両腕には長く歪な鎖を縛り付けていた。

 その奇態から目を離せないでいる中、その人物は笑み――おそらく、笑みであろうと思わせるように、包帯で隠れた口元を陰惨に歪ませ、

 

「ごめんね。私は魔女教、大罪司教『憤怒』担当――シリウス・ロマネコンティと申します」

 

 正気であれば、恐れるべきその肩書を耳にしても、何も感じない。恐怖も、敵意すら、向けることすらどうでもいい。

 それを目の前の怪人は話を聞いてくれる気になったのかと解釈し、童女のようにはしゃぐ。

 

「ああ、話を聞いてくれるのは助かります。ありがと。では――」

「もう、どうでもいい」

 

 呟いた声は怪人に聞こえたらしく、彼女は今までの明るさからは一転、詰めるようにこちらを見て、唾をまき散らしながら、叫び始めた。

 

「あら、あら、あらあら。それはいけません。燃える情熱が、熱が、愛が足りていません」

 

 倒れているこちらの体を無理やり起こし、その血走った眼を無理やり合わせてくる。

 僅かに腕がちぎれるがそれすら気にした様子はなく、傲慢に怒りを伝えてくる。

 

「大事なのは知り合うこと。譲り合うこと。認め合うこと。許し合うこと。そうして一つになることこそが、『愛』のあるべき正しい形」

「……愛」

 

 ふと、近くに散らばる死骸の声が聞こえる。

――ここであきらめていいのか、と

 

「貴方の愛する人は必ず帰ってきますよ、待っていれば」

 

 ピクリと、僅かに体が反応する。

 ――愛する人、待っていれば、帰ってくる。

 

「だから、貴方はその人がいつ帰ってきてもいいように世界を整えませんか?」

 

 そこで、■■■は人間であることを止め、呪術を最大限に使い、体を繕う。起き上がったその体は腐食まみれな上に蟲に喰われていたため、醜悪なものであることは言わずもがなだ。

 だが、目の前の彼女はうっとりとした表情を、包帯の下に浮かべながら呟く。

 

「素晴らしい愛の形です」

 

 こうして、怪物は生まれたのだった。

 

 

「あの人は、必ず帰ってくる」

 

 焦点があってない。

 体の半分以上の蟲が失われ、戦闘を継続できない。だが、上半身だけで這い、目標へ近づく。

 数分、いや数秒後程度だろうか、目の前の男までたどり着き、見上げると男は静かにこちらを見下ろしてくる。

 

「だから、待たないと、あの人の帰る場所を、守らないと」

「――もう、お終いだよ」

 

 お終い、とはなんだろう、言葉の意味が分からない。

 始まる、いや始めないといけないのだ。あの人を待つ、あの人を迎えるために。

 

「待つのは、もう終わりなんだ」

 

 いつのまにか零れ落ちていた涙を、目の前の男は優しく拭う。

 騎士も、亜人も、司教もしなかった。夫であるあの人が、あの人だけがしてくれたことを目の前の男がする。

 僅かに、目の前の姿がブレ、あの人に重なる。そして、

 

「貴方が、会いに行ってあげるんだ」

「――――」

 

 その言葉に、■■■■は、心は折れる。そして何も言わず、炭のようになる体を見る。風によって、飛ばされ跡形もなくなるのだろう。

 死体をもてあそんだ呪術の代償、それは世界にその姿を残せないこと。

 

「ああ――」

 

 後悔はない。

 生きることの執着心も消え、消滅を受け入れる。

 そこには、もう何もなかった。名前すらわからないただの怪物は、もう存在しない。

 ――すでに死んだ愛する人間に会いに行ったのだ。

 

 世界に何も残さず消えたリーベンスの姿をシャオンは見送る。

 彼女の過去に何があったのかはわからない、怨嗟の声も理解はできない。だが、泣いていたのだ。

 彼女のやったことは許されるべきものではない、だがその涙を拭うことぐらいは、許されるだろう。

 

「……」

 

 肩を軽く叩かれる。

 振り返るとそこには、渋い顔をしていたルツがいた。

 

「あまり同情なんてするもんじゃねぇぞ、そいつらに」

「ですけど……」

「一人の手で救える数は限られてる……お前にだってやるべきこと、守るべきものがあんだろ? それならそいつらに分け与える余裕はねぇだろ?」

「……気を付けます」

 

 からかいの含まない、ルツの大人としてのアドバイスにシャオンは頷く。

 その目に宿る感情まではわからないが、歴戦の戦士である彼の実体験なのか、言葉に重みがあったこともあり、素直に従っておくべきだろう。

 それに、救える人間の数は、守れる”価値”は限られているのも事実なのだ。

 

「お、きたか」

 

 ふと、前を見るルツが遠い目をするのにシャオンは気付き、その視線の方向を追いかける。だが眼前に広がるのは、まだ夜の深い平原の闇であり、見つめているものがなんなのかはわからない。

 目を凝らして見えないのならば、嗅覚がある。

 鼻を1度スン、とならし遠く離れたその存在をたどる。

 これは、嗅いだことがある匂い。記憶の中にあるにおいの元を探り出して、声に出す。

 

「鉄の牙の応援、ですか?」

「本隊の半分だけどな……てかよくわかったな、なんだ夜目が効くのか?」

「あー、まぁそんなところです」

 

 感心、というよりも驚きの声を上げるルツの言葉に濁らせた解答をする。

 まさか臭いでわかりました、なんて言ってしまったらなんて目で見られるかわかったものではない。

 シャオンの反応を見た、ルツの視線が訝しげなものに変わる前に慌てて話を逸らす。

 

「それより、半分ですか?」

「あ、あーもともと、『鉄の牙』は白鯨の討伐に半分の人員しかだしてねぇんだ。残りの半分は半分で、やることがあったんでな」

「やること、というと」

「街道に他の人間が入り込み、戦いに巻き込まれては困る。だから半分は街道の向こうをあらかじめ封鎖しとく役割を担っていたんだ」

 

 ユリウスの説明に耳を傾けながらシャオンは納得に顎を引く。

 白鯨討伐に全力を傾けていなかった、ということではないだろう。当然、クルシュの白鯨討伐が全滅により失敗する可能性がありえる。その場合、貴重な戦力を全て失うことを避けたアナスタシアの判断も間違いではないだろう。

 

「じゃ、二人はその半分に合流するって形なのか」

「いや、正確には私がそちらに合流、ルツは白鯨の激動部隊へと向かう手筈だ」

「ティビーの補佐はユリウスが向いているし、逆に白鯨相手だと俺の馬鹿力のほうがユリウスより相性がいいだろうしな」

「なるほど、だったらルツさんと俺で向かう、と。それなら急ぎましょう、スバル達の方もぎりぎりの戦いだろうし」

「そうか、彼が……」

 

 ユリウスのつぶやいた言葉にシャオンは彼とスバルに、因縁があったことを思い出す。シャオンとしてはどちらもいい友人ではあるが、当人同士での譲れない部分が互いにぶつかり合っているのだろう。

 あまり突っ込むべきことではないのだろう、だが、これだけは言いたかった。

 

「ユリウス」

「なんだい?」

「スバルは、凄い奴だよ、俺よりも誰よりも……未熟だろうけど」

「――ああ、だろうね」

 

 シャオンの言葉に僅かに驚いたように目を見開くが、すぐにいつも通りの悠然とした微笑みを口の端に上らせる。

 彼がシャオンの伝えたいことを理解してくれたのかはわからない、だが今はそこを深堀する余裕はない。

 

「さて、悪いがお前さんの体具合を気にしてられない、だいぶ飛ばすがいいか?」

「勿論です、全力で、お願いします。早さ重視、俺のことは壊れにくい荷物だと思ってくれれば」

 

 こちらを気遣うルツの言葉を切り捨て、合流することを第一に移動をお願いする。

 疲労は僅かに残るが、大きなけがは癒しの拳で治せる

 その迷いのなさが気に入ったのかルツは獣のような笑顔を浮かべて、地竜の後ろへシャオンを無理やり投げ飛ばす。

 

「上等、急ぐぞ、捕まってろよ?」

「は、はい」

 

 僅かに先ほどの簡単な返事をしたことに後悔を覚えながらも、覚悟を決めてルツの胴に手を回す。

 その瞬間、音を置いて、地竜は走り出し、白鯨討伐へと向かうのだった。

 

 

――時刻は少しさかのぼり、白鯨討伐隊に移る。

 定刻通りに携帯電話のアラームが鳴り響き、宵闇のリーファウス街道に白鯨が現れる報を告げた。スバルの叫びに呼応して、レムがすでに練り始めていたマナに詠唱による指向性を与える。生み出される四本の長大な氷槍は大木を束ねたような凶悪さを誇り、それが風を穿つ勢いで巨体の胴体へと突き込まれる。氷柱の先端が固いものに押し潰される音が響き、しかし砕き切られる直前に先端が魔獣の腹にわずかに埋まり、傷口を押し広げて内部へ穿孔──血をぶちまける。

 白鯨の絶叫が平原に轟き渡り、鼓膜を痺れさせるような大気の震えを味わいながら、スバルとレムが乗る地竜が一気に駆け出していた。

 あの瞬間に動けていなければ、コンマでも動きが遅れていたのであれば、この先制攻撃は白鯨に悟られてしまっていたはずだ。

 くるものと、半ば確信的に考えていたとしても、事実が起きれば人の心には波紋が生まれる。波紋はささやかでも思考に歪みを生み、歪みは停滞を、そして停滞は敗北を招き寄せる──戦端は危うく、こちら不利で始まる寸前だった。

 それでもなお、スバルたちがそこに間に合ったのは一言でいえば信頼の差だ。

 事実、クルシュたちの判断がコンマ遅れた点には、ミーティアのその機能に対しての確実とまではいえない不信感が原因であった。

 姿を見せない魔獣に対する焦れ、大軍を率いるその不安もささやかながらに判断を鈍らせた。

 だが、レムはスバルの言葉を、スバルの言葉だからこそ、白鯨がこの瞬間に現れるという発言を、一点の曇りもなく、欠片も疑っていなかった。ゆえに最高のタイミングで自らが持てる最大火力の魔法を練り、白鯨の出現を確認したと同時に発することができた。

 故に、最初の一撃は問題なしだ、ここからは白鯨に対する脅威が自身達の予想したものとどれだけ離れているか、そして、予想通りであっても落とせるかは運になる。

 

「スバルくん、もっとしっかりしがみついてください。振り落とされます!」

 

 地竜の手綱を握るレムが叫ぶ。彼女の言葉は作戦の一部──先制攻撃炸裂後の、第二段階を示していた。

 

「全員──あの馬鹿共に続け!!」

 

 背後、駆け出すスバルたちに遅れること半歩、号令をかけるクルシュに応じて討伐隊が次々と砲筒に着火──込められた魔鉱石が射出され、中空で弾けるとそれが色に呼応した破壊の力へと変換され、白鯨の胴体へ立て続けに着弾する。

 悶える巨躯から血霧が噴出し、街道にどす黒い雨を降らせる。霧雨のように視界を覆う鮮血を避けながら、地竜が機敏な動きで白鯨を大きく迂回するように背後を目指す。

 

「俺の存在を意識させて、討伐隊に基本背中を取らせるように立ち回る──! って自分で行っていて本当に頭おかしい作戦だよな!」

「闇払いの結晶が砕けます、目をつむってください!!」

 

 すでに戦闘状態に入り、レムの額には純白の角が覗いている。

 やけくそなツッコミをしつつもスバルはレムの言葉に従い、下を向いて目をつむり──次の瞬間、世界が瞬く。

 白光は空で爆発し、一瞬で世界を白い輝きで焼き尽くす。

 閉じた瞼すら貫き、眩暈を起こしそうになるほどの光の強さにスバルの喉が驚きに詰まる。そして数秒後、恐る恐る開いた眼を周りに向ければ、

 

「うおお、聞いてた通りだ。すげぇ」

 

 夜の闇が切り払われて、まるで真昼のように視界を確保された世界が展開されていた。

 頭上、すでに沈んだ太陽の代わりに輝くのは、白鯨への先制攻撃と同時に射出された『闇払いの結晶石』だ。闇を照らす効果を持つ結晶であり、本来ならば極々わずかな輝きで薄闇を照らす程度との話だが、そこはアナスタシアとラッセルの力、膨大な量のそれは照らすどころの話ではない。

 

「夜にもぐられては、白鯨の巨体であっても簡単には見つけ出せませんから。──さあ、ここからですよ!」

「────ッッッッ!!!」

 

 白日の下に晒し出されたことに怒りを覚えているのか、その巨大な口を開いて咆哮を上げる白鯨。発される轟音はすでに音の次元に留まらず、一種の破壊行為に近い。大気が鳴動し、訓練された地竜の野生にすら恐怖の感情を生む暴力的な雄叫び。

 それをもたらす異貌は巨躯のあちこちから血をこぼし、しかしその動きに一切の精彩さを欠かず、自分に挑みかかる人間たちを見下ろしていた。

 

「改めて、でかいな……」

 

 震わせるつもりのない喉が震えて、スバルは手足が痺れたように動かなくなる感覚を止められない。まるで巨大な建造物、それが自由に動き回っている。そう考えるとなおさら恐怖を感じる。。

 岩盤のようにささくれ立った肌には白い体毛が無数に生え揃い、その強靭さは生半可な攻撃では内側にダメージを通さない。遠視で見た全容はなるほど知識にある鯨に酷似しているが、その大きさが予想を二周りは追い越している。

 

「スバルくん、恐いですか?」

 

 怖気に従って歯の根が噛み合わず、指先が震え始めそうになるスバルを呼ぶ声。

 それはこちらに背中を向け、小さな体の腰にスバルを抱きつかせる少女のものだ。

 挑発、ではない。

 信頼ゆえに、呼びかけてくる。スバルならば、なんて答えるのかがわかっているであろう、信頼。それに応えようとぐっと、歯の根を噛んでスバルは口を強引にねじ曲げると、

 

「ああ、恐いね。──あれを倒して賞賛される、俺の未来の輝きっぷりが!」

 

 軽口を叩いて少女の期待に応じると、スバルは目の前の肩を後ろから叩き、

 

「俺の命は全部預ける! さあ、逃げまくってやろうぜ!」

「レムの命も、スバルくんのものです。──では、そうしましょう」

 

 サムズアップして勇ましく逃亡指示を出すスバルに、レムがそっと微笑むと手綱を打ち鳴らす。それに従って地竜が嘶き、異形を前にしても怖じることなく土煙を上げて大地を駆け抜ける。

 一路、スバルたちが向かうのはこちらを向く白鯨の右下──斜めに駆け抜け、尾の側へ回り込む狙いだ。

 先行し、最接近するスバルたちへ白鯨の巨大な瞳が向けられる。一軒家でも丸ごと呑み込みそうな顎が開かれ、石臼のような歯の並ぶ口腔が大気を吸い上げ、咆哮をこちらへと放とうとしている。

 先ほどこちらの出鼻をくじいた咆哮が再びくると、身構えるスバルたち──その頭上を、

 

「余所見とはずいぶんと、安く見られたものだ──!!」

 

 目には見えない刃が横薙ぎに一閃し、口を開いていた白鯨の頭部を真一文字に浅く切り裂いた。

 刃と岩の触れ合う擦過音すらせず、強固な岩肌を撫で切る斬撃に白鯨の巨体から再び血が噴出する。

 振り向き、刃の出所に視線を走らせれば、スバルたちに続いて討伐隊の先頭を走るのはクルシュの引く地竜だ。黒く洗練された地竜の背に立ち、勇ましい口上とともに斬撃を放ったらしき麗人──その振り切られた腕には、何もない。

 

「あれが、話に聞いていた百人一太刀……すごいな、本当に何も持っていない」

 

 あらかじめレムから聞かされてはいたが、スバルは驚愕を隠せない。

 彼女の口にした逸話に関しては寡聞にして知らないが、その字面だけでおおよそ事態は理解できる。無手に見えるクルシュの戦闘力の、その納得の高さも。

 目に見えない斬撃に初動を潰され、動きの停滞した白鯨へ追撃が入る。討伐隊の面々が続いて魔鉱石を放出、火力を集中された白鯨の巨体に次々と着弾によるダメージが通り、悶える巨体が高度を下げていく。

 それまで雲と同じ高さにあった白鯨の巨躯が沈み、その高度が首を真上に傾けるほどでなくなればそこは──、

 

 地竜が跳ねるように跳躍し、その巨体に見合わぬ軽やかさで空へと駆け上がる。それでもなお、強大さを誇る白鯨と比較すれば質量差は明白だ。鼻先に浮かぶ地竜の姿はまるで、白鯨からすればまさしく虫けらのようなものであったろうが、

 銀色が白い岩肌を易々と切り裂く光景に、轟音が鳴り響いていた戦場の音が確かに止まる。それは魔法でも、魔力を込められた鉱石によるものでも、形を持たない刃がもたらす破壊でもなく、形を持った鉄の塊が人の手によって振るわれた証。

 長きにわたる人生の、その大半を費やした人間の境地が、霧を生み世界を白く染め上げる魔獣の鼻先に確かに届いたという、その証だ。

 

「──十四年だ」

 

 割った鼻先に剣を突き立て、人影がしゃがみ込みながらぼそりと呟く。

 振り切ったのと反対の剣を突き立てて姿勢を維持し、斬撃を与えて刀身を濡らす血を払う鍛えられた背中──そこに、大気が歪むほど迸る剣気をまとい、

 

「ただひたすらに、この日を夢見てきた」

 

 背を伸ばす影に白鯨が身をよじる。自身の鼻の先端に乗るそれを振り落とそうとするように、中空で身をひねる白鯨の巨体が大気を薙ぎながらバレルロール。

 豪風が街道の空を吹き荒び、巨躯の遊泳の結果に誰もが息を呑んで目を見開く。

 だが、

 

「────!!」

 

 ひねった身を先の位置に戻した白鯨が痛みに喉を震わせ、尾を振り乱しながら鮮血をこぼす。先ほど縦に割られた傷には追加で横に一文字の傷が加えられ、十字の傷口を額に生んだ白鯨の背を、軽い足音を立てて影が踏む。

 ──剣鬼がにやりと、その皺の浮かぶ頬を酷薄に歪めた。

 

「ここで落ち、屍をさらせ。──肉塊風情が」

 

 言い捨てて、剣を両手に構えるヴィルヘルムの体が風を切る。

 頭部側から尾の方へ背中を駆け抜け、白鯨の岩肌を振り回される刃が削岩機のように削っていく。

 体に取りつかれ、巨体を揺する白鯨はそのヴィルヘルムに有効打を持たない。軽やかに走る老剣士を振り落とさんと、再び颶風旋回で空を泳ぐも、その回転する寸前、短く跳躍するヴィルヘルムが剣を突き立てて身を浮かせる。と、その場で一回転する白鯨の身を突き立つ刃が綺麗に走り、白鯨の体に大きく傷が増える。

 噴き出す血霧を半身に浴び、その体を斑の赤に染める剣鬼が笑う。笑い、老躯が両の剣を上に振り被って巨体の側部へ。振り下ろす刃が側面の岩肌を縦に削り、V字に振り切られると肉を削ぎ落す。

 空をつんざく絶叫が走り、落下するヴィルヘルムを白鯨の尾が横殴りに襲う。が、その直撃の寸前、駆け込んできたヴィルヘルムの地竜が老剣士を拾い上げ、その攻撃の範囲から滑るようにして逃れる。そして白鯨が怒りに任せてヴィルヘルムを追おうとすれば、

 

「無視すんなや!」

 

 リカードの放つ大ナタの一発が口腔内に侵入、白鯨の歯を根本から抉り、鈍い音を立てて黄色がかった奥歯が吹っ飛ぶ。

 そのまま白鯨の顔面を斜めに横断。地竜に比べて身軽と称されたライガーはその俊敏さを遺憾なく発揮し、背に主を乗せたまま上空を行く白鯨の体を駆け回る。

 

「そらそらそらッ!!!」

 

 走るライガーの背の上で、唾と罵声を飛ばすリカードの大ナタが振り下ろされる。岩盤を砕き、その下の肉を抉って血をまき散らす獣人。付き従うライガーもその牙を爪をふんだんに使い、生じた傷口を深く鋭く広げていく。

 そしてリカードの奮迅に続くように、

 

「そりゃー、いっくぞー!!」

 

 小型のライガーにまたがる子猫の獣人、双子の副団長が指示を出すと、獣人傭兵団のライガーが次々と白鯨の体に取りつき、その広大な肉体を駆け回り、蹂躙し始める。

 槍や剣が打ち振るわれ、大半が岩肌に弾かれながらも、確実にダメージが通っていく。その姿はまるで、毒虫に群がられる獣の有様だ。

 

「親父ほどじゃないっすけど――割れろ!」

 

 そして、ひときわ高くとんだアリシアが鬼の力を全力で込めて、蹴りを放つ。

 僅かに白鯨の体が沈み、標的が彼女へと変わることを占め打章に視線がそちらへと向く。それを狙ったように彼女の両腕の篭手から放たれた、魔鉱石はその効果を示すように光、白鯨の視界を焼き尽くす。

 

「──総員、離れろ!!」

 

 戦場を貫くクルシュの怒号がかかり、取りついていた傭兵団が一斉に白鯨の体から飛び退く。宙を行くライガーは軽やかに地に降り立ち、それを見た白鯨はそこから反撃に出ようと大きく旋回したが──遅い。

 所詮は獣、判断は誤りだ。

 

「横腹を、さらしたな──!」

 

 大上段からのクルシュの二撃目──袈裟切りに襲いかかる斬撃が白鯨の側面を斜めに切り裂き、その一太刀に遅れて追撃が再び加わる。

 ここまで攻撃に参加せず、ひたすらに魔法の詠唱に集中していた部隊の攻撃だ。

 

「────ッ!!」

 

 詠唱が重なり、生み出されるのは練り上げられたマナによる破壊の具現。現れたのは太陽だ。

 以前ロズワールが作り上げたものと相違ない、いやそれよりも数倍は大きいそれが火の魔法の火力を束ねたものだと理解してなお、高熱によって即座に炙られる世界の壮絶さから目を離すことができない。

 直径十メートル以上に及ぶ大火球は距離があっても肌を焼き、瞼の内にある眼球の水分を奪い尽くそうと燃え盛る。だが、しっかりと目を開く。

 一瞬の油断、よそ見が全滅へとつながるのだから。

 その火球がゆらりと揺らめき、初速は加速へ変わり、大火球が横腹を向ける白鯨の胴体へ直撃──生まれた傷口から肉を焼き、熱を通して内臓を沸騰させ、白鯨の絶叫と爆音が明るい夜空へと轟き渡る。

 砕け散った火球が燃える破片を平原に散らし、下を走る傭兵たちが慌てて避難。スバルとレムもそれに混じって遠ざかりながら、白い体毛を燃え上がらせる白鯨の姿を目で追い続ける。

 その圧倒的な戦果──これ以上ない奇襲の成功に、白鯨は反撃すらままならない。このまま、なにも手出しさせずに被害ゼロで切り抜けられるのではあるまいか。

 そんな余裕は前回の世界で既に捨てている。何故ならば、前回の世界で見たあの能力がいまだに姿を現していないからだ。

 そうして、スバルの予感は的中する。

 

「――来るぞ!」

 

 スバルの警告の声に僅かに遅れて赤い魚影が白鯨の巨体から生み出され、まるで翼のようにまとわりつく。

 そして、それ自体が鎧のように今まで受けてきた攻撃を弾き始めた。

 

「……落とせませんでしたね、あまり効果も見られてません」

 

 首を振るレムが悔しげに、空に浮かぶ燃えるケダモノを睨みつける。

 彼女の言通り、白鯨を観察。白い体毛に燃え移った炎で全身を炙られ、身をよじっているが鎮火の気配はない。全身の至るところに斬撃や魔鉱石による負傷が広がっており、血を滴らせる姿は目に見えて痛々しいものがあった。しかし

 

「ダメージはあった、けど高度は……ほとんど下がってねぇ」

 

 依然、白鯨の肉体は見上げた空の中にある。

 ライガーの跳躍で届かない距離ではないが、それでも単身人が挑むにははるか高み。なにより、地に引き落とさなくては次の作戦に移ることができない。

 それに、あの赤い大量の魚。あれによって白鯨への攻撃は上手く当てられない。状況は最悪ではないが、欲は決してない。

 

「初っ端に切れる手札はぜぇんぶ切ったった。それでも落ちんゆうなら、こら向こうのタフさが一枚上手やっちゅう話やな」

 

 大ナタを肩に担ぎ、返り血に体毛を濡らすリカードが隣にくる。

 彼は犬面の鼻を鳴らし、ヒゲを震わせて白鯨を見上げながら、

 

「ひと当たりしてみた感じやと、分厚い肌の下に攻撃通すんは楽やないな。ワイの獲物みたいに力ずくか、ヴィルはんぐらいの技量がないとじり貧や、ルツの奴がいれば相性がよかったんやろうけど……しゃあないわな」

「悪いっすね、親父の技術は引き継いでないもんで」

「がはは! 気にすんなや! お前さんはまだ成長途中やろ!」

 

 ポンポンと頭を撫でくり回されるアリシアはふてくされた顔で、スバルの隣へとリカードと共に降り立つ。

 その額にはレムと同様の輝きを放つ、二つの角。全力で戦っていることの証明になる鬼族の証があった。

 

「どうする、作戦を変えるか?」

「んー、どうやら火の魔法は体毛を焼いて、通ってるように見えるっす、全て焼いて、その下の炙った肌なら刃物で削れるんじゃないっすかね」

「つまり、文字通りの鱗剥ぎみたいな感じか……魚なんて捌いたことねぇぞ」

「だがやるしかないやろ! とりあえずさっきとおんなじ感じで余力削るわ! クルシュはんにも、要所であのでっかい一発ぶち込むよう頼んどいてなぁ!!」」

 

 アリシアの洞察にスバルが軽口で答える。

 リカードも獰猛に牙を剥いて同意。彼はそのまま大ナタを手に下げるとライガーの背を叩き、首をぐるりと巡らせて再び加速を得ながら最前線へ向かう。そのまま、

 身勝手な注文をつけて白鯨の下へ潜り込み、再び跳躍してその背を狙う。

 見れば、一度は距離を開けたはずのヴィルヘルムも尾の方から白鯨の上を目指しており、スバルたちと同じ結論に達した討伐隊も速やかに行動に移っている。

 即ち、総攻撃の継続だ。

 

「現状だと火力が集中してっから、近づいてくと逆に俺らが邪魔になるな。レム、魔法はぶち込めねぇのか?」

「さっきと同規模だと詠唱に時間がかかるのと……やっぱり、マナが散らされてレムの魔法ではダメージが通りません。あれ以下の威力ではそもそも火力不足ですから」

「アタシの魔石も結構強いのは使ったから、魔法じゃ厳しいっす……それでも全力で殴りに行くけど」

 

 先ほどのリカードの論にならえば、レムも最前線へ飛び込み、力ずくで岩盤じみた肉体に物理攻撃を加える方が可能性があるだろう。

 しかし、それをさせるにはスバルが枷となり、そしてこのあとのスバルの立案した作戦行動に沿うのであれば、ここでレムとスバルが分断されるわけにはいかない。

 

「とりあえず二人は作戦の要なんすから、耐えるっすよ!」

 

 割れるほどの衝撃と共にアリシアが、空へと飛び立つ。

 鬼族の力というのはすさまじいもので、あれが魔法の力や加護の力を使っていないのが驚きだ。

 それに対して地面にいるスバルは、何もできない。

  

「悔しいけど、動きがあるまで見てるしかねぇのか……!」

「歯がゆいのはこっちもおんにゃじにゃんだけどネ」

 

 言いながら、スローペースで走るスバルたちの地竜の隣に別の地竜が並ぶ。地竜用の装甲を装着し、重装備の地竜にまたがるのは軽装の騎士──フェリスだ。

 彼は悪戯に目を細めてスバルを見つめながら、

 

「攻撃手段に乏しいフェリちゃんは基本見てるだけだし? 慣れてるって言えば慣れてるんだけどー、歯がゆい気持ちはいつもあるよネ」

「その分、お前は回復特化の討伐隊の生命線だ。離脱したら他のみんなの離脱に繋がるんだ、頼むから気を付けてくれよ」

 

 そのスバルの答えにフェリスは少し驚いたように首を傾け、

 

「心境に変化とかあった感じがするネ、スバルきゅんてばなにがあったの?」

「へっ、少しばかり男を見せなきゃなって、な。自分の実力はしっかりと身に染みたし、やるべきこともしっかりとわかったんだよ」

 

 動く戦況に目を走らせながら、スバルは苦い思いを噛んで仏頂面で答える。フェリスはその答えに「ふーん」と唇に指を当てて頷き、

 

「……レムちゃん、大切にしてあげにゃよ?」

「察してくれてどうも! 一番わかってるからよ!」

 

 察しがよすぎる彼はに叫びつつも、当たり前だと、断言をする。

 そんな中、

 

「ヴィルヘルム様が──!!」

 

 レムの叫びに視線が慌てて前へ戻り、白鯨の背を走る老剣士の姿を捉える。

 剣を下に向けて縦に構えたヴィルヘルムが、その刃で白鯨の背を縦に裂いていく。尾から背にかけてを駆けるヴィルヘルムの影を、遅れて噴き出す鮮血がまるで噴水のように追いかけていくのが見えた。

 ヴィルヘルムの単身とは思えない斬撃の冴えに討伐隊の士気が高まり、連続する魔鉱石の投擲と傭兵団のライガーによる集団戦術が勢いを増す。

 中空で痛みに悶えて、途切れ途切れの鳴き声を上げる白鯨はまったくそれらに対応できていない。気合い一閃、ヴィルヘルムの剣撃が白鯨の頭部までを縦に割り、そのまま中空で身を回し、逆さとなる老人を、

 

「ほいさぁっ!!」

 

 真上に跳んでいたリカードが大ナタを振るう。

 峰を向ける旋風は白鯨ではなく、中空で逆さとなるヴィルヘルムを狙う。ヴィルヘルムはその打撃に対して足裏を合わせ、

 

「し──ッ!!」

 

 弾かれるようにヴィルヘルムの体が射出され、両に構えた剣が白鯨の顔の側面を抜ける際に荒れ狂う。鼻先から頬にかけてを無残に八つ裂きにされる白鯨。その傷と鮮血だけで満足せず、両手の剣を握り直したヴィルヘルムが刺突を放ち──、

 

「────ッ!!」

 

 白鯨の巨大な左目に深々と剣が埋まり、眼球の奥から水晶体が流れ出す。ヴィルヘルムは柄まで埋まったそれを即座に手放すと、腰の裏に回した両手で瞬時に別の二本を引き抜いて一閃──左右から迫る斬撃が眼球の上と下を真横に切り裂き、即翻る刃がその傷口の左右を縦に割る。結果、

 

 

「左目が落ちる──!」

 

 四角の斬撃に深々と抉られ、白鯨の左の目が切り落とされる。

 誰かが口にしたそれが現実になり、落下する目は赤い血と白い体液をぶちまけながら、すさまじい轟音を立てて地面を砕いて着弾する。

 半瞬遅れて、その地に落ちた眼球の真横にヴィルヘルムが着地。彼はそのまま転がる眼球に剣を突き立て、それを真上にいる白鯨に見えるよう持ち上げると、

 

「──獣でも目は惜しいか」

 

 と、鬼のような凄惨な笑みで一言を告げる。その壮絶な戦いぶりはまさに剣鬼。だが、その挑発行為は、白鯨にとってようやく食糧から敵へと昇華させることになる。

 真っ先にそれに気付けたのは、その光景を事前にスバルが知っていたからだろう。 

 

「よけろ! ヴィルヘルムさん!」

「スバルくん、頭を下げていてください──!!」

 

 その変化に気付いた瞬間、レムが地竜を加速させる。

 レムの言葉に従い、スバルは即座に頭を下げる。直後、上空を、黄色の何かが通り過ぎた。 

 

「────!!」

 

 咆哮を上げ、片目を抉られた怒りに残る隻眼が真っ赤に染まる。

 血色に染まった目で眼下を睥睨し、その狂態に慌てて距離を取り始める討伐隊の方へと体を傾ける白鯨。そして、白鯨の肉体に変化が生まれる。

 白鯨の口が、全身から生まれた無数の口が一斉に開く。

 

「────ッ!!」

 

 金切り声のような咆哮が平原の大気を高く震動させ、その声の届くものの精神を直接爪で掻き毟るような不快感を与える。

 その咆哮にその場にいる生物は背筋を震わせる。本能に呼びかけるそれは足をすくませ、自然、無防備をさらす獲物へと変える。

 そして、それを逃すほど目の前の怪物は優しくない

 

「────ぁ」

 

 白鯨の全身の口という口から、世界を白に染め上げる『霧』、対象のすべてを貪り喰い、糧とする黄色い魚が放出される。

 それは瞬く間に見渡す限りの平原に降り注ぎ、確保したはずの光を世界から奪い、真っ白に塗り潰していく。

 ──そこで一度スバルの意識は途切れる。そして――

 


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