日本における典型的な武家屋敷。白い塀に囲まれ、どっしりと腰を下ろした武人を彷彿とさせる平屋。綺麗に手入れをされた幾つかの樹木と小さな池を備えたよくある庭園。
この家で一番の早起きは家長である長兄のゼンガー・ゾンボルトだ。ゼンガーは日付が変わった後に帰宅したとしても、陽が昇る前に起床し家中の雨戸(年頃の妹の部屋は本人に任せる)を開けて室内の空気を入れ換える。そして木刀を持ち出すと上半身裸になって日課の素振りを始めるのだ。終わるのは末っ子が朝食の準備を終えた頃になる。
次に起きてくるのが三男のブルックリン・ラックフィールド。彼はジャージに着替えて早朝マラソンに出掛ける。近所を軽く走って戻ったら、ゼンガーと共に素振り。ブルックリンと時を同じくして次男のキョウスケ・ナンブも起き出し、廊下に軽いモップ掛けをしたのちに洗濯機を回す。仏頂面で妹の下着だけ分けて洗い、何食わぬ顔で干すまでが彼の仕事である。
最後に起きて来るのがこの家の末っ子で、唯一の女性である巳子神櫻だ。女性に付き物の身支度を済ませて、制服の上からエプロンを羽織り、赴くのは朝の戦場であるキッチンである。五人分の朝食の支度とお弁当を作り終えて兄達を呼び、そこでようやく家族が顔を合わすのである。とは言ってもこの時点の時刻は6時。朝練やら仕事の都合上早く出勤しなければならない者もいるので、『朝食だけは全員揃ってとる』と言うのが家族の決まり事だ。
「むー」
「どうした櫻。兄さんを凝視したりして?」
箸をくわえてキョウスケを恨みがましく見る妹にブルックリンから疑問の声が飛ぶ。短い金髪に碧眼で精悍な兄は櫻と同じくブレザーの制服姿だ。どんぶり飯をかっ喰らっている割にご飯粒は飛ばさない。
「大方いつもの不満であろう。違うか、櫻嬢?」
「……違いませんけど」
これに答えるのは家族の範疇に入っていない五人目の男性。ゼンガー・ゾンボルトの秘書を務めるレーツェル・ファインシュメッカー。焦げ茶色のスーツに身を包み、水中眼鏡に似たグラサン常備、軽いカールの掛かった金髪を首の後ろで一纏めにしているだけ。塩鮭の切り身を上品かつ綺麗に食べている。毎朝ゼンガーを迎えに来ていて、待っているだけなのもどうかと思った櫻が朝食に誘ったのである。随分前の事な上に家長のゼンガーが何も言わないので、皆は頷きひとつでこれを受け入れた。
連邦議員を勤めるゼンガーは、スーツを着ていても判るはちきれんばかりの肉体を窮屈そうに動かしながらゆっくりと箸を動かしていた。その割にオカズ、塩鮭三切れやひじきとゴボウの煮付け、タクアンやほうれん草のおひたしが物凄い早さで無くなっていく。時々「うむ」と頷きながら呟くのは味に満足している意思表示なので、作った側の櫻は嬉しそうだ。
その櫻は黒瞳黒髪。髪は腰まで届くくらい長く、身長は小柄。2m近いゼンガーと一緒だと親子と間違えられることもしばしば。無言で朝食をパクつくキョウスケに「お弁当……」と呟くも間髪入れずに「いらん」と返され、しょんぼりと肩を落とす。
「ほ、ほらな、櫻! 兄さんは刑事だから、腰を落ち着けて飯がとれるなんて稀だろう。それにお前の仕事の負担をこれ以上増やす訳にもいかないだろう?」
慌ててブルックリンがフォローに入る。大食いの家族が揃っているため莫大なエンゲル係数を支える櫻の仕事は多い。この上弁当まで作らせられるかというキョウスケなりの優しさなのだろう。
「5人分が10人分になったって一緒だもん」
「とは言え、友の食事を手配するのは私の仕事だからな。こっちは間に合っているよ」
「お、俺はほら、く、クスハが作ってくれるからな、な?」
未練がましく呟く櫻にレーツェルとブルックリンは防衛線を張る。実はこれ、忘れたころに繰り返される定例行事なのだ。櫻が作るお弁当は自分と幼馴染みの分。そこにキョウスケ分が加わってもなんの問題もないと主張する。対するキョウスケは刑事という仕事上、机に座ってゆっくりとることなど稀で、大抵は外食だ。それで事足りるので無用だと断る。
妹と次兄の視線が食卓の上で真っ向から対立し、火花を散らし始めたところでブルックリンが慌てて「ごちそうさま」と席を立った。
「じ、じゃあ俺は朝練行くからな。今日もうまかったよ櫻、行ってきます」
自分の食器を流しに置き、ダッシュで家を飛び出していく。それを小さな笑みでもって見送ったゼンガーとレーツェルも席を立つ。キョウスケが三人分の食器を纏めて片付けてから櫻も食事を終える。小さな妹の頭にポンと手を置いたゼンガーは視線だけでレーツェルに問う。すぐにその意図を察した彼はスケジュール帳を取り出し、本日の予定を確認。細かい事はさて置き結論だけを櫻に伝えた。
「今日は緊急の議題でも飛び込んで来なければ何時も通りの時間に終われそうだな」
「温めて食べられるもの置いとくね、ゼンガー兄さん」
「うむ、頼むぞ」
何時もの時間=深夜になると見越しての帰宅に備えて、今からメニューを考える妹に頷くと、ゼンガーはレーツェルを伴い出掛けて行った。家の前に止められていた黒塗りの車を見送る櫻の横を赤いジャケットを着たキョウスケが「行ってくる」とすり抜ける。丁度隣家から出て来た幼馴染みの兄貴分が櫻に手を振り、キョウスケと合流して一緒に出掛けていく。
二人を「いってらっしゃーい」と見送った櫻は家に戻ると、食器を洗って片付け、キッチンを軽く掃除し、戸締まりを確認すれば準備完了だ。鞄を持って来て二つのペット用皿にドッグフードを盛り、外へ出て玄関に鍵を掛ける。
そして隣家の洋館の塀と、こちらの屋敷の垣根が一部取り払われた場所へ足を向ける。そこにはふたつの犬小屋と二匹の子犬(と思われるもの)が尻尾を(たぶん)ちぎれんばかりに振って櫻を迎える。先程から曖昧な表現が付け加えられるのは櫻の認識だからである。櫻以外の人からすればその二匹の子犬は、茶毛と黒毛の甲斐犬と言うだろう。櫻の認識から言わせてもらえば、片方はドリルのついた黒い戦艦。もう片方は先端に上下に伸びた突起を備えた茶色い戦艦。それがコミカルにディフォルメされたものを想像してもらえれば良い。
「クロガネ~、ハガネ~、ご飯だよ~」
櫻の呼びかけに後部ノズルをぶんぶん振って喜びを現す二匹。目の前に置かれた皿に勢いよくドリルと突起部分(頭)を突っ込んでドッグフードを貪り食う二匹の戦艦。物心ついた時からそう見えるので、彼女にはそれが当たり前の事となっている。初めて他人から犬や猫が生物だと聞いた時には心底驚いたものだ。櫻はそれが自身の血筋で受け継がれた特殊能力の弊害だと割り切っている。ただ他人と動物の話をする時は、齟齬に気付かれないよう適当に受け流すというのを心掛けていた。
「おはようですの、櫻」
「おはよう、アリィちゃん」
のほほんと艦橋(背中)を撫でながら二匹の食事を眺めていると、隣家から出て来た同じ制服を着た少女に挨拶された。ほわほわカールの髪型に眠そうな目をした彼女はアルフィミィと言う。家族ぐるみの付き合いがある隣家の末っ子で櫻の幼馴染みだ。朝は犬小屋の前で合流し、一緒に学園へ向かうのが習慣になっていた。