俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 週明け早々から実行委員長の病欠という事態に直面した奉仕部三名は、昼休みに対応を協議した。相模の行動や性格を由比ヶ浜から説明されて、先行きに不安を覚える八幡だったが、予定の一日延期を口にする雪ノ下に迷いはない。その後は雑談やバンドの打ち合わせをして、三人は楽しく時間を過ごした。

 放課後の実行委員会にて、雪ノ下は相模を擁護し全員で文化祭を成功させようと訴える。雪ノ下の体調を心配する同じJ組の実行委員の発言も上手く活かして、委員会は盛り上がった状態で乗り切ることができた。

 その後は各自クラスを手伝うことになり、八幡は海老名に一つ有益な情報を伝える。そのままトップカースト三人娘の仕事ぶりを眺めていた八幡のもとに、水曜日に陽乃が来校するというメッセージが届いた。



04.みた目は内気そうなのに彼女は意外に有能だった。

 翌日の火曜日、二年F組の教室では、無事に登校してきた相模南の周囲に朝から生徒たちが集まっていた。さすがにカースト上位の貫禄か、心配をかけたことを謝る相模の仕草は落ち着いたものだったし、誰かが相模に反感を抱いている様子も無かった。

 

 あるいは仲の良い連中なら、相模が本番に弱いことに慣れているのかもしれない。由比ヶ浜結衣から得た情報を思い出してそんなことを考えながら、比企谷八幡は自席で一人聞き耳を立てていた。

 

 委員会の予定が一日遅れたために今後のスケジュールが厳しくなるだろうが、それでも今はまだ余裕がある。いざとなれば副委員長に就任するという意思を示しつつも、現時点では表に出ることを考えていない雪ノ下雪乃の態度を思い出して、八幡は雪ノ下への信頼ゆえに、相模の失態もさほど気にならないでいた。

 

 むしろ、土曜日には自分に集中していた視線が今やほとんど感じられないことを思うと、クラスの雰囲気を変えてくれた相模には感謝すべきなのかもしれない。八幡はそんなことを考えながら、授業の支度を始めるのだった。

 

 

***

 

 

 お昼休みになって、八幡は素早く教室を後にすると、昨日と同様に奉仕部の部室に移動する。

 

「よし、由比ヶ浜には気付かれてねーな。今日は購買には寄らなくて良い、と」

 

 そう言われた時は、二人のために飲み物を買って行くのはやはり気持ちの悪い行動だったかと落ち込みそうになった八幡だったが、雪ノ下が苦笑まじりに説明してくれた。部活が休部になるために、部員三名が落ち着いて紅茶を楽しめる時間が持てなくなる。だから昼休みに、という雪ノ下の提案には由比ヶ浜が諸手を挙げて賛成していたし、八幡にも否やは無かった。

 

 廊下にまで漂ってきた茶葉の香りを吸い込みながら部室に入り、雪ノ下と軽く挨拶をかわして食前のお茶を堪能して、遅れてやって来た由比ヶ浜のお怒りをいつものように軽くかわして、八幡は二人と一緒に昼食を摂る。

 

「正直、夏休みに基礎練だけやってた時はやる気が出なかったんだが。曲に合わせて練習するのって楽しいもんなんだな」

 

「でも、自分で弾いてみて初めて、プロって凄いんだなって思っちゃった。あんなにベースがうねうね動いてるなんて……」

 

「それな。ヴォーカル以外はおまけだろとか思ってたの、ちょっと反省したわ。なんでこんな叩き方をするんだよって、今度は変態扱いしたくなって来たけどな」

 

 昨日クラスの作業が終わった後で、三人は再び部室に集合して、初めてのバンド練習を行った。由比ヶ浜が提案した選曲基準に合った曲をいくつか、八幡推薦の曲も含めて軽く合わせただけなのだが、それでも二人にとっては楽しい経験になったのだろう。部員二人の好意的な反応を見て顔をほころばせながら、雪ノ下が口を開く。

 

「時間の余裕があれば、じっくり弾き比べて課題曲を相談しても良いのだけれど。あと十日ほどしか無い以上は、昨日弾いた曲の中から一曲を選ぶのが無難かしら。多くても二曲が限度ね」

 

「だな。そういや葉山たちもバンドをするとか言ってたけど、あいつらは何曲ぐらいやるんだ?」

 

「練習する時間があんまり取れないみたいで、とりあえず二曲で申請を出すって言ってたよ。隼人くんは余裕がありそうだけど、ベースの大和くんとかキーボードの大岡くんとか固まってたし。戸部っちは、まあ、いつもの感じだったけど」

 

 たははと笑いながら由比ヶ浜が答える。彼らの反応を容易に想像できる自分に内心で苦笑しながらも、リア充と同じような行動をしている己の境遇を思い、改めて不思議な気持ちになる八幡だった。

 

「その構成だと、三浦さんや海老名さんは?」

 

「姫菜はクラスの出し物に集中したいって、バンドには参加してないんだよね。優美子はギター弾きながらヴォーカルをやるんだけど……」

 

 疑問に思った雪ノ下が話に加わると、由比ヶ浜は少し歯切れの悪い口調で答える。どうしたのかと首を傾げる二人に、由比ヶ浜は意を決して事情を説明する。

 

「その、いろはちゃんもキーボードで参加してるんだよね。あたしと姫菜が居ないから、色々と大変みたいでさ。バンドには参加しなくてもいいから、たまに練習を見に来るぐらいできないかって隼人くんに相談されたりして」

 

 なるほどと納得する二人だった。男性陣の苦労を思うと同情を禁じ得ないが、たくましく生きてくれと八幡は内心でエールを送った。

 

「クラスの事に加えて相模さんのフォローの仕事もあるし、私達のバンドの練習もあるし、いくら由比ヶ浜さんでも難しいでしょうね。あまり気に病まないほうが良いと思うのだけれど」

 

「うん、それはそうなんだけど……。実はさ、奉仕部でバンドをするって、隼人くんたちには言ってないんだよね。優美子と姫菜には言ったんだけど、有志が少ない場合にバンドをするって話だったじゃん。決定じゃないからちょっと言いづらくて、奉仕部の仕事ってだけ説明して、そのままになっちゃったんだよね」

 

「言い出しづらいことや、できれば言わないままで済ませたいことは、確かにあるものね」

 

 雪ノ下の呟きを耳にして、八幡も由比ヶ浜も怪訝な表情を浮かべている。それに気付いた雪ノ下は口調を入れ替えて、諭すように話を続ける。

 

「例えば比企谷くんの事故の話を、私も由比ヶ浜さんも口に出すのに一年以上かかったじゃない。私はともかく、由比ヶ浜さんがその話を隠そうとしたとは考えていないと思うのだけれど……」

 

「いや、お前だって隠すとか責任逃れとか、そんなことは考えてなかっただろ。もうとっくに話がついた事だし……」

 

「うん。ゆきのんだけが、自分を悪く言うようなのは良くないよ」

 

 言葉をかぶせるようにして部員二人が順次口を開き、それを聞いた雪ノ下は嬉しいような困ったような表情で返事を返す。あるいは雪ノ下には、漠然とした予感があったのかもしれない。

 

「……そうね。他人のことなら、敢えて口にしないのも仕方が無いと考えられるのに。自分のことだと反省が先に立つのよね。清濁を併せ呑む域に至るのは難しいわね」

 

「それだけ責任感が強いって事だろ。んじゃ、食後のお茶も堪能したし、そろそろ練習しますかね」

 

「うん。ちゃちゃっと二曲まで候補を絞って、集中して練習しよっか」

 

 お昼休みと放課後を合わせて一日二時間。雪ノ下が設定した練習ノルマをこなすべく、気持ちを入れ替えて演奏に集中しようとする二人の姿を見て、ようやく笑顔になる雪ノ下だった。

 

 

***

 

 

 放課後になって、同級生がクラスの出し物の準備をしている様子を少しだけ眺めてから、八幡は気配を殺して教室を出た。

 

 可愛らしい同性のクラスメイトと片言でも話ができればと思っていたのだが、劇の打ち合わせを真剣に行っている彼の様子を見ると今日もそれは無理そうだ。ならば相模と一緒に移動する状況に陥らぬよう、さっさと教室を離れようと考えて、八幡はそのまま会議室に入った。

 

 この日も八幡は人が少ない辺りに腰を落ち着ける。だが、彼に少し遅れて会議室に到着した雪ノ下が横に座ったことで、たちまち周囲の人口密度が高くなった。

 

「お前な。わざわざ横に座らなくても、他にも席はあるだろ?」

 

「比企谷くんが隣にいると、何故だか話しかけられる事が少なくなるから助かるのよ。落ち着かないようなら、離れて座っても良いのだけれど?」

 

「この話の流れで追い払ったら、俺が完全に悪者じゃねーか。まあ……じゃあついでだ。副委員長には、まだ就任する気は無いんだよな?」

 

 無駄な抵抗はさっさと諦めて、どうせならと八幡は話を振った。今日は役決めから一気に仕事が動き出すはずなので、こうしてのんびり話せるのも今のうちだけだろう。

 

「そうね。できれば就任することなく、委員会が上手く回って行けばと思っているのだけれど。見極めを間違えないように、とも思っているわ」

 

「いざという時は、ってことか。でもぶっちゃけ、なんで副なんだ。あんま大きな声では言えねーけど、お前が委員長の座を襲っても、それほど文句は出ないと思うんだが」

 

 さすがに話が話なので、小声で八幡は語りかける。それに応じる雪ノ下も小声で、ゆえに二人は顔を近付けた状態で話を続ける形になった。

 

「全員で委員長を選んだのだから、それで事が上手く運ばないのであれば、私にも責任があると言えるのではないかしら。それに、取って替わるのは簡単なのだけれど、副という制限された立場で事態の改善を図るのも、面白いかもしれないと思ったのよ」

 

 いずれにせよ最終的には上手く収めてみせるという自信が雪ノ下から伝わって来て、八幡はさもありなんと納得する。

 

 結果だけを見る雪ノ下とは違って、立場にも目が行ってしまう自分の卑小さを、しかし八幡は恥じようとは思わない。自分が雪ノ下と同じになる必要はないと考えるがゆえに。

 

 だから八幡は自分の価値観に従って、念のために問いかける。

 

「相模の下に就くとか、普通なら降格人事みたいで嫌がりそうだけどな。その辺りは気にしないって事だよな?」

 

「貴方なら、この例を出せば納得するのではないかしら。少し畏れ多いのだけれど、要は児玉源太郎と同じよ」

 

「いや、大山巌の下で働けるのと比べたら雲泥の差だろ。まあ、でも確かに納得はできたけどな。大臣を辞めて降格を受け入れて、対ロシアの最前線に身を投じた児玉を意識するとか、そこらの中二病でも無理だぞ?」

 

 意外な名前が飛び出したことに内心で驚きつつ、八幡は返事を返した。最初は半分茶化すように、次いで真面目に。

 

 日露戦争が間近に迫る中で、他に適任が居ない状況を鑑みて火中の栗を拾った児玉源太郎のことを八幡は思い出す。歴史上の人物を引き合いに出す雪ノ下からは、仕事に対する強い責任感が伝わってきた。たしか旧陸軍で降格人事を受け入れたのは児玉だけって話だったよなと記憶を探りながらも、なぜ雪ノ下がここまで真剣なのかと八幡は訝しむ。さすがに入れ込みすぎではないだろうか。

 

 そんな八幡の疑問が伝わったのだろう。雪ノ下は端的に理由を口にした。

 

「成長したいと考えているのは、相模さんだけではないということよ。もっとも、結果を得られることと自身の成長とは、厳密にはイコールではないのだけれど」

 

 おそらく、雪ノ下のやる気の源には姉への意識が強く作用しているのだろうと思いつつ。それでも、物事が良い方向へと進んでいる間は無理に引き留めることもないだろうと考えて、八幡は話をまとめにかかる。

 

「ま、そこまで考えて、責任を負う覚悟もあるんなら、俺に言えることはねーな。あんまこき使わないでね、ってぐらいか?」

 

 ようやく顔の近さを自覚して、冗談交じりに喋りながら背中を伸ばす八幡に、雪ノ下は一笑するだけで応える。雪ノ下がどんな役職に就くにしろ、仕事に追われる日々が待っているのだなと理解して、八幡はがっくりと肩を落とした。

 

 周囲の生徒達がそんな二人をどう見ていたのか、八幡は気付いていない。

 

 

***

 

 

「えっと、じゃあ、今日からよろしくお願いします!」

 

 実行委員長の相模が前日の件で頭を下げると、会議室には暖かい拍手が湧き上がった。昨日の雪ノ下の発言によって煽られた実行委員としての一体感が、この日も持続していたのが功を奏したのだろう。

 

「じゃあ、役割分けからお願いねー」

 

「あ、はい。えっと……」

 

 しかし城廻めぐりの指示を受けて、委員長として話を進める段になると、たちまち相模は狼狽した姿を見せる。とにかく謝ることだけを考えていた相模は、雪ノ下が用意した教材はもちろん、城廻たちから渡された資料すらも読んでいなかった。

 

 体調を崩したという言い訳があったので結局何も読んでこなかったのだろうなと、八幡は推測する。そうした行動を取る生徒は、正直あまり珍しいことではない。自分にしたところで、もっときちんとした言い訳がある状況ならサボってしまうだろうなと思う。すぐ横に座っているこの女子生徒ほどの責任感など、凡人が持ち得るわけもない。

 

 とはいっても、仮にも実行委員長に自ら立候補した者として、最低限の責任は果たしてもらいたいものだと八幡は思う。今はまだ相模を励ます雰囲気が強いが、風向きがいつ変わっても不思議ではない。

 

 それを充分に理解している城廻は、変な間が生まれることを避けるように、相模の横から助け船を出していた。

 

「うーんと。じゃあまず、相模さんを助ける副委員長を決めるのはどうかな?」

 

「あ、はい。じゃあ……誰か立候補、いませんか?」

 

 会議室の中はしんと静まり返っている。その原因の一端は、前日に副委員長への就任を仄めかした雪ノ下にもあるのだが、委員長の説明不足という側面も大きい。今後も続くであろう城廻の苦労を思って、仕方なく雪ノ下は口を開いた。

 

「私は今のところ立候補する気はありませんし、副委員長は一年生が務めてきたのが慣例です。まずは一年生から立候補を募るのと、それと平行して役職の具体的な仕事内容を話し合うのはいかがでしょうか?」

 

 自分で物事を決めるのではなく、他人に仕事を任せることの不便さを冒頭から思い知らされながらも、雪ノ下は城廻に倣って提案の形で話を終えた。それを聞いて、当事者であることを自覚した一年生たちが小声で相談を始める。

 

「要するに委員長を助けるんだよね?」

「あと、委員長が居ない時には代行するとか?」

「居ない時なんて……あ、そっか」

「病欠の他に、来賓の相手をしてて委員長不在なんてケースもあるんじゃない?」

「色々できないと難しいだろうし、一年だと厳しそう」

「いくら慣例とは言っても、今年は負担が大きそうだよな」

 

 上に立つ者が頼りないとこうなるよなと、八幡は思う。立場が上だからといっても、実際にその人の下で仕事をするとなると、厳しい目で批評するのは当然だろう。初手を間違えた相模の評価が芳しくないのも当たり前のことでしかない。

 

「その、雪ノ下先輩が作られたというマニュアルなんですが、私達にもいただけませんか。あと、質問があったら相談に乗ってもらってもいいですか?」

 

 だが、こんな状況でも前向きな生徒は居るもので、一人の女子生徒が意を決して立ち上がって、雪ノ下に質問を投げた。自分が作った教材にも問題があったと考えている雪ノ下は、やる気を見せながらも内気な性格が窺える後輩の姿を目の当たりにして、少し慎重に確認をする。

 

「全てに目を通さなくても、辞書的に使ってくれても良いので、貴女の負担にならないのなら喜んで進呈するわ。相談のことも、もちろん大丈夫よ」

 

「ありがとうございます。じゃあ、副委員長に立候補します。一年の、藤沢沙和子(ふじさわさわこ)です。よろしくお願いします」

 

「うん、よろしくねー。じゃあ、前の方に来てくれるかな。本牧くんが一つずれて、相模さんの隣に席を作って……」

 

 生徒会の一員である本牧牧人(ほんもくまきと)が城廻の指示通りに席を空けて、立候補した藤沢がそこに座った。本牧が生徒会長からの使いとして、部長会議の話を持って来た時のことを懐かしく思い出して、雪ノ下はあの時と同じように物事が上手く進むのではないかと考える。たった一人の行動によって、ずいぶんと雰囲気が変わるものだなと雪ノ下は思った。

 

 

「じゃあ最初は、役割決めですよね。その、資料を読んではみたんですけど、あんまりイメージが湧かなくて……」

 

 副委員長の藤沢が最初は相模に、次いで自分に顔を向けるのを見て。更には相模から必死に助けを求める視線を受け取って、雪ノ下は説明のために口を開いた。

 

 例年ならば、宣伝広報・有志統制・物品管理・保健衛生・会計監査・記録雑務という分け方をしていたこと。各々の簡単な仕事内容を説明して、更には来賓対応は生徒会が、一般客の受付は保健衛生が担っていたことを付け加える。最後に、今年度は特殊な環境下にあるために、いくつか見直しが必要ではないかと提案して、雪ノ下は腰を下ろした。

 

「今年って、運営との打ち合わせもあるんですよね?」

 

 分からないことを素直に尋ねる姿勢に加えて、質問からは勘の良さも窺えて、雪ノ下は副委員長の資質に満足しながら頷きを返す。少し考えていた藤沢は、相模に相談を持ち掛けるように口を開いた。

 

「去年までと同じ来賓の方々は、生徒会で対応してもらうほうが良いですよね。でも運営とか、今年初めて繋がりを持つ方々だと、生徒会よりも私達が受け持ったほうが……」

 

「えっと、でもうちも運営とは話したことないし……」

 

「あ、そういえば雪ノ下先輩って、職場見学で運営の仕事場に行かれたんでしたっけ?」

 

 この女子生徒は良い発見だったと思いながら、雪ノ下は一つ頷いて、話を進めるために提案を行う。

 

「例年までの役割に加えて、渉外という部門を設けることを提案します。具体的には運営や、現実世界に関係した諸々を扱うのが仕事ですね。先月から現実世界との映像通話が可能になって、場所の限定こそ従前通りですが、もはや肉親限定という制限は無いに等しくなっています。現実世界の校舎内にモニターを設置して、あちらでも一般客を募る予定である以上は、担当を分けて対策を練るべきかと思うのですが、いかがですか?」

 

 映像通話のシステムが稼働して以来、この世界に存在する高校や大学で文化祭が行われるのは総武高校が初めてだった。ゆえに今回の文化祭では、運営からも大きな援助を受けていた。雪ノ下が話に出したモニターの設置などがそれに当たる。

 

 もちろん運営が関与を深めたせいで日程が硬直して、二学期開始と同時に、校内が文化祭の準備一色になったという負の影響もあった。しかし教師陣にしても、二週間で文化祭を片付けてその後じっくり授業を行えるのであれば、そちらのほうが望ましいという意見が多かった。何と言っても総武高校は進学校なのである。

 

「個人的には、運営とのパイプがある雪ノ下先輩に、その渉外部門の責任者を引き受けて頂けると助かるのですが……。相模先輩はどう思われますか?」

 

「うちもそれに賛成だけど、雪ノ下さんはどう?」

 

「あ、えっとね。明日の委員会が終わった後で運営との話し合いを予定してたんだけど、じゃあ雪ノ下さんに行ってもらえるかな?」

 

 藤沢が上手く相模を誘導して、そうして問いかけられた言葉に雪ノ下が頷こうとしたところで、城廻が口を挟んだ。自分が賛成する前に役割を引き受ける前提で話を進めて、それなのに何故か憎めない生徒会長に微妙な視線だけを送ると、雪ノ下は再び立ち上がって口を開いた。

 

「明日の件については了解しました。ただ、引き受ける条件というと大仰ですが、一つお願いしたいことがあるのですが」

 

「何でも許可するから大丈夫だよー」

 

「その、城廻先輩。委員長や副委員長の意見も確認した方が良いと思うのですが……まあ、今更ですね。渉外部門の一員として、比企谷くんを推薦したいと思います。理由は、私と同様に運営とのコネクションがある事。奉仕部内でマニュアルの解読を進めた結果、校内では私に次いでこの世界のことに詳しいと運営からお墨付きを得ていることです」

 

 生徒会長の気軽な保証を、首を縦に振ることで追認する二人の姿を見て、雪ノ下は細かな指摘を諦めて要望を口にした。委員会が始まる直前に雪ノ下と八幡が顔を寄せ合って話していた光景を見ていた委員たちから、思わずどよめきが漏れる。しかし雪ノ下にとってはそれも計算のうちだったのか、すぐに再び話を続ける。

 

「基本的には、私と比企谷くんは別行動になると思います。私が運営の仕事場に出向いて打ち合わせをしている間は、運営絡みの問題が起きた時に備えて校内に待機してもらって、当日の対策を練るなどの仕事をしてもらう予定です。比企谷くんが校外に出る場合はその逆ですね」

 

 雪ノ下と同じ部門で仕事ができるのかと思いきや基本は別行動という、上げて落とされた形の八幡だったが、雪ノ下の狙いは八幡も理解できていた。あらぬ疑いを持たれないようにと八幡が気にしているのを察知して、わざと周囲に一瞬だけ疑いを持たせた上で、それは誤解だと示したのだろう。

 

 父親と同じように自分にも社畜の素養があると薄々感じていた八幡だが、どうせ仕事をするのであればやりがいのある環境で仕事をしたいものだ。八幡の実力を認め、自分が不在の時には後を任せると言っているようにも受け取れる雪ノ下の信頼に応えるべく、八幡は密かにやる気を漲らせるのだった。

 

 その後、当日の仕事が多く事前には暇になりがちな部門では他との掛け持ちをするなどの修正を施した上で、委員たちの希望を募って役割分けを終えると、文化祭実行委員会は一斉に動き始めた。

 

 

***

 

 

 日が変わって水曜日。この日も八幡は真面目に授業を受けて、昼休みには奉仕部で昼食とバンド練習を行って、放課後には軽くクラスの様子を観察した上で会議室へと向かった。天使と話せていない現状を失意を持って受け止めつつ、八幡はゆっくりと足を動かす。

 

 会議室のドアを開ける瞬間に嫌な予感が走って、八幡は中に入るのを延期して付近を散歩してこようと思い直した。しかし八幡の行動に先んじて部屋の中からドアが開いて、雪ノ下陽乃が姿を見せる。自分の運勢はどうなっているのだろうと思いながら、仕方なく八幡は口を開いた。

 

「あ、教室に忘れ物をしたんだった……うげっ」

 

「ちょっと比企谷くん、お姉さんにその対応は無いんじゃない?」

 

「あ、雪ノ下さんこんにちは。じゃあ俺はこれで……うぐっ」

 

「からかう気も失せちゃったし、横に座ってるだけで良いから、中に入ったら?」

 

 さすがの陽乃も呆れ顔で、お陰で言質を得られたと内心で安心しながら八幡は人の少ない辺りに腰を下ろした。妹とよく似た陽乃の外見から、他の生徒達も彼女のプロフィールは悟っているのだろうが、遠巻きに眺めるだけで近寄っては来ない。

 

「はるさん、お久しぶりです!」

 

「お、めぐりも元気そうだね。優秀な後輩は育ちそう?」

 

「ええ、お陰様で。はるさんの苦労が今になって分かりました」

 

「嬉しい事を言ってくれるよね。比企谷くんもめぐりを見習ったら?」

 

「社交辞令を真に受けるなと親父にきつく言われてるんで、自分でも言わないようにしてるんですよ」

 

 幸いなことに城廻が会話に加わってくれて、八幡はストレスが軽減された状態で過ごすことができた。珍しく時間ギリギリに会議室にやって来た妹を値踏みするような目で眺める陽乃を見てしまい、落ち着かない気持ちになりながら、八幡は無事に委員会が終わってくれることを願った。

 

 

***

 

 

 この世界に巻き込まれた事で有志の参加が少なくなるのではという懸念は杞憂だったなと、八幡は思う。会議は順調に進んでいて、心配したような陽乃の暴走も無く、OB・OGはこの世界に巻き込まれた者同士、協力は惜しまないという意見が大半だという。

 

 だが、そうして気を抜いた時にこそ危機が訪れると、八幡は身を以て知る事になった。

 

「そういえばさ、隼人は有志に参加するの?」

 

 誰のことを話題に出しているのか、それは委員全員が理解していた。しかし、なぜ陽乃が彼を下の名前で親しげに呼ぶのか、その理由は誰にも分からなかった。教室前方で疲れた表情を浮かべている平塚静と、今日は八幡から離れて座っている雪ノ下の他には誰も。

 

 そして、そんな教室内の雰囲気を見逃す陽乃ではない。全ての事情を瞬時に理解して、陽乃は静かに口を開く。

 

「あれっ。もしかして雪乃ちゃん、わたしと隼人と雪乃ちゃんが同じ小学校だったって、内緒にしてたの?」

 

 無慈悲な宣告が、教室の中に響き渡った。

 




祝・100話!
長々とした作品になっていますが、ここまで読んで頂いて本当にありがとうございます!

次回は一週間後に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
少し分かりにくい箇所に説明を加え、細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(10/7,14)

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