俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 比企谷家で行われた女子会は、雪ノ下が葉山と幼馴染みだったことから小学生時代の事件まで全てを簡潔に説明して、ひとまずは無事に終わった。ようやく過去を相対化できたと考える雪ノ下、そして得られた情報を各々なりに受け止めるその他の一同は、この日の話はここまでにして歓談に移る。

 雪ノ下お手製の夕食を堪能し終えた女性陣は、陽乃が関与した過去の文化祭の話を皮切りに、雪ノ下姉妹と生徒会との過去のいきさつを知ることになる。くしくも同時刻、カラオケ店では八幡たちが城廻から同じ話を教えられていた。

 雪ノ下と城廻の長い話が終わって、二つの集まりは解散となった。葉山との関係を今夜のうちに八幡にも伝えておくべきだと勧められ、雪ノ下と由比ヶ浜はそのままリビングに残って、八幡の帰りを待つのだった。



08.ろくでもない案でも彼女なら大丈夫だと彼は語る。

 カラオケ店の外で解散した後、比企谷八幡は再び高校へと向かっていた。材木座義輝と校門前で合流してそのまま徒歩で出かけてしまい、自転車を置き忘れていた為だった。

 

 最終下校時刻が過ぎても、生徒や教師は高校内に自由に出入りすることができる。それは校外への外出が解禁された当初から可能だったのだが、当時はそれ以外には保護者にのみ立ち入りが認められていた。つまり関係者以外にとっては、入校のたびにいちいち許可が必要だったのである。

 

 それが今や簡単な認証だけで、時を問わず誰もが校内に足を踏み入れることができる。現実世界以上にこの世界では安全が確立されている為に。そして校内にいる間は全ての行動が記録されることへの同意を、認証の際に求められるのと引き替えに、それが可能になったのだった。許可を求める煩わしさを避けるか、それとも行動を記録される煩わしさを避けるかは各人の判断次第である。

 

 ちなみに先刻、女子会に臨む面々がしずしずと移動したのは、行動が記録されているという事情もあってのことだった。個室を経由して比企谷家のリビングに着いて、ようやく一同が息をついたのにはこうした理由もあったのだが、それはさておき。

 

 

 自転車置き場に辿り着いた八幡は、このまま自転車で帰宅すべきか、それとも個室からショートカットで帰るべきか悩んでいた。だがもともと心理的にも体力的にも疲れていた上に、既に夕食を済ませて気怠い気分だったこともあり、八幡は深く考えずにショートカットを選ぶ。翌朝に妹と一緒に登校できないのは残念だが、たまには大目に見てもらおう、などと考えながら。

 

 そんな風に安易に楽な道を選んだことを、程なく八幡は後悔することになる。

 

 個室に辿り着いて、入り口で脱いだ靴を右手の指二本でぶら下げて。八幡はすっかりリラックスした気分で、自宅のリビングにショートカットするために足を踏み出した。そこで誰が待っているのかを知らないままに。

 

「小町ーっ。帰ったぞ……おっ!?」

 

「お帰りなさい、比企谷くん」

 

「ヒッキー、おかえりー!」

 

 リビングのソファには何故か、雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣が並んで座っていた。夜にはやっぱりやっはろーは使えないのかと、どうでもいい情報を頭の片隅で再確認しながら、八幡は己の姿を省みる。

 

 お土産の寿司折りをぶら下げるように靴を持ち、上機嫌で家族に呼びかける先程の自分を思い出して。もしも将来酔っ払って帰宅しても、状況を確認するまでは決して油断すまいと心に誓う八幡だった。

 

 

***

 

 

 恥ずかしさを誤魔化すように自分のこれからの行動を説明して。その発言通りに、玄関に靴を置きに行ってそのまま自室で寛いだ服に急いで着替えて。心を落ち着けながら八幡が階下に下りてくると、ちょうど妹がリビングに帰って来たところだった。

 

「あ、お兄ちゃんおかえりー」

 

「おう。小町も遅かったんだな。って……あれ、でも、お前らはなんで?」

 

 中学校の校内で迷わないように念のためと、比企谷小町はお客三名を校門前まで見送った。そのせいで時間がかかって、兄の帰宅に間に合わなかったのは残念だったなと考えながら、小町が質問に答える。

 

「お兄ちゃんが遊びに行くって言うから、ちょっと女子会をね。雪乃さんが作ってくれた晩ご飯、すっごく美味しかったよー」

 

「やー、えっと、さっきまでは優美子とか姫菜とかいろはちゃんも居たんだよね。小町ちゃんが見送りに行ってくれて、今帰って来たって感じ?」

 

 いきなり本題に入るのは避けようと考えた由比ヶ浜が説明を追加する。雪ノ下が何故か静かだなと思いながら。でもそういえば随分昔に思えるけれど、実行委員会で姉妹対決があったのは今日だし疲れていても当たり前かと考え直して、八幡は口を開く。

 

「なんでお前らは帰らなかったんだ?」

 

「お邪魔なら、このまま帰っても良いのだけれど?」

 

「もう、ゆきのんってば。それに、帰っても陽乃さんが待ってるだけだよ?」

 

「ぐっ……。仕方が無いわね」

 

 珍しく往生際の悪い雪ノ下をあやすようにたしなめるように、由比ヶ浜が笑顔で相手をしている。そんな二人の様子を不思議そうに、同時に微笑ましく眺めながら、八幡は小町に顔を向けて首を傾げる。

 

「まま、お兄ちゃんも座って座って。ちょっと間を空けてもらって良いですか?」

 

「えっ……と、ヒッキーがあたしたちの間に座るの?」

 

「あー、空けなくて良い。ってか小町の戯れ言に付き合わなくて良いからな。俺はオットマンに座るから、小町がソファに行ったらどうだ?」

 

「仕方ないなぁ。じゃあ小町は飲物を用意してくるから、先に始めといてねー」

 

 そう言ってキッチンに移動する妹を見送って、八幡は二人の正面にオットマンを置いて腰を下ろした。少し迷ったものの、今日は雪ノ下よりも由比ヶ浜のほうが話が早そうな気がしたので、八幡は顔をそちらに向けて、視線は時々逸らしながらも語りかける。

 

「なんかバンドの打ち合わせとか、それともまた予想外のアクシデントでもあったのか?」

 

「あれ、ヒッキーはあんまり気にしてなかったのかな。その、ゆきのんと隼人くんが小学校同じだったって話なんだけど……」

 

「あー、まあ、気にならんと言えば嘘になるけど、昔の話だろ?」

 

 放課後に関わった色んな人たちのお陰でようやく心の落ち着きを取り戻した八幡だったが、自分が動揺していたことを雪ノ下本人に知られるのも、由比ヶ浜に知られるのもできれば避けたい。そう考えて八幡は平然とした風を装った。

 

 そんな八幡の様子を見て、下校前に元気が無さそうに見えたのは本当に仕事で疲れていたのか、それとも他の理由だったのかなと内心で首を傾げながら、由比ヶ浜が口を開く。

 

「昔の話って言っても、実際にゆきのんと隼人くんは同じ高校にいて、これからも色々と関わりがあるだろうしさ。ヒッキーも、千葉村の時に二人のやり取りが変だなって思わなかった?」

 

「そういやお前、葉山には容赦が無かったよな。でもな、由比ヶ浜。俺なんて葉山以上に酷い扱いを受けてるんだが、その辺りはどう思うよ?」

 

 少しだけ雪ノ下を眺めて語りかけて、すぐに由比ヶ浜へと視線を移すと八幡はこう問いかけた。言われてみればその通りなので、由比ヶ浜も苦笑いで応えるしかない。そこに小町が戻ってきた。

 

「お飲み物をお持ちしましたー。ささ、では皆様グラスをお持ち頂いて、乾杯のご唱和を……」

 

「小町も小町で、なんでそんなにテンション高いんだ?」

 

 カラオケ店でのやり取りを思い出して、唱和するのはもう懲り懲りだと思いながら八幡が疑問を伝える。だがそう言いながらも律儀にグラスを持ち上げる八幡を見て、由比ヶ浜と、そしてようやく雪ノ下にも笑みがこぼれた。

 

 唱和したのは由比ヶ浜と小町だけだったが、各自が喉を潤してグラスを置いて、そして雪ノ下が口を開いた。

 

 

「正直に言うと気が進まないのだけれど……。貴方にも、正確な情報を知っておいて貰ったほうが良いと思ったのよ。これは女子会の総意でもあるのだから、謹んで拝聴なさい」

 

「いや、お前が居丈高になってる時点で色々と思うところはあるけどな。気が進まないんなら、無理に言うこともないんじゃね?」

 

 先輩から聞いた昔の話を、かつて雪ノ下が当時の生徒会長と揉めた時の話を思い出しながら、八幡はそう答えた。その時と同様に今の雪ノ下にも余裕がないのであれば、落ち着くのを待ってからでも良いのではないかと八幡は思う。

 

 そうした八幡の配慮を感じ取って、雪ノ下もまた先ほど話したことを思い出していた。雪ノ下が生徒会と和解に至ったのは、目の前の男子生徒と自分たちに関する妙な噂が流れたことが切っ掛けだった。八幡が他人の弱みを握って脅すような性格だとは当時も思っていなかったが、今はもっと彼のことを知っている。それと同じように八幡もまた、昔よりも自分たちのことを知ってくれているのだろうと雪ノ下は思った。

 

「いえ、失言だったわね。貴方にも知っておいて欲しいと、私も由比ヶ浜さんも考えたからこそ、貴方の帰りを待っていたのよ」

 

 だから雪ノ下は素直に誤りを認めて、そして昔語りをする覚悟を決める。八幡にそれを話すことに漠然とした抵抗を覚えるのは何故なのか。それが、女子会の通知を受けて気を重くした時と同じ感情に由来するものなのか。その答えはすぐには出そうにないが、少なくとも単純な男女間の感情によるものではないと雪ノ下は思う。

 

「んじゃま、ゆっくり話してみりゃ良いんじゃね?」

 

「そうね。とは言っても、話はすぐに済むのだけれど」

 

 由比ヶ浜と小町に見守られながら、雪ノ下は女性陣に対したのと同じ心情で同じ口調で、自分と葉山が幼馴染みだったことを八幡に告げた。

 

「幼馴染み、って……材木座が正解かよ!」

 

 そして、八幡の予想外の返答によって、その雰囲気は台無しにされた。

 

 

「ヒッキー、中二とどんな話をしてたんだし?」

 

「お兄ちゃん。ちょっとその反応は、小町的には判定外って言うかさ」

 

 当事者の二人を置き去りにして付添人の二人がお怒りのご様子だが、八幡にしてみれば内心を気取られないための精一杯の反応である。カラオケに向かいながらの道中で材木座の挑発を受けても、小学校が同じだけだと反論を口にすることで、八幡は心の平穏を保っていた。だが、実際に当人から幼馴染みという言葉を聞かされると、思いのほかショックが大きかった。

 

 とはいえそれは、既に材木座によって語られた言葉でもある。確かにショックではあったが、全くの不意打ちで聞かされるよりも遙かにマシだったのは言うまでもなく。だから八幡は何とか顔を雪ノ下に向けることができた。

 

「そう。もしかして貴方は、私と葉山くんの過去の関係を、賭けの対象にでもしていたのかしら?」

 

 いつもの凍て付くような声音ではなく、平坦な口調で雪ノ下が問いかける。その意図が読めず、固唾を呑んで二人を見守る姿勢に移行した由比ヶ浜と小町は、八幡の反応を待った。室内に漂う期待を受けて、八幡は仕方なく口を開く。

 

「あいにくだが俺は昔、嘘告白が成功するか否かって賭けの対象にされた側なんでな。んなことをするわけねーだろ。……単に材木座が『実は幼馴染みだったらどうする?』って煽るようなことを言ってきたから、軽く締めただけだ」

 

 自分の黒歴史を披瀝して雰囲気を変えようと思ったのに、返って来たのは沈黙だけだった。やむなく八幡は、少しだけ虚偽を混ぜつつも材木座とのやり取りを説明する。本当に、もう少しちゃんと締めてやれば良かったと思いながら。

 

 八幡の返答を受けて、納得顔で雪ノ下は口を開く。その口調は軽く、側に居る二人の女の子はほっと胸をなで下ろしている。

 

「どう言えば良いのかしら。別に怒っているわけではないのだけれど……そうね。貴方や由比ヶ浜さんに、それから女子会に集まってくれた彼女達にもいつか話す時が来るのだろうと、身構えていた過去の私が莫迦らしくなってくるわね。少し前に貴方が言ったことが的を射ていると思うのだけれど。私と葉山くんが幼馴染みだったのは、昔の話でしかないのよね」

 

 話しながら考えがまとまって気持ちがスッキリしたのか、雪ノ下は凛とした佇まいの中に優しさをにじませて、そう言い終えた。露骨にほっとしている三人にくすりと笑いかけて、雪ノ下は続けて、小学生の時にあった事件を八幡に説明した。

 

「その状況を小学生が自力で解決するって、やっぱ昔からとんでもなかったんだな……」

 

 そんな八幡の呆れ声の中に気安い感情を見出して、雪ノ下は本来の調子を取り戻していく。それが雰囲気で伝わったのだろう。横に座っている由比ヶ浜も斜め横に座っている小町も、先程の女子会の時にはどこか無理矢理に場を明るくしているきらいがあったのに、今や普段通りの楽しそうな表情に変わっていた。

 

「貴方に伝えたかったことは以上よ。今日の話はこれでお終いね」

 

 こうした全員の反応を確認して、雪ノ下が終幕を宣言しようとする。しかし、それを八幡が遮った。

 

 

「いや、お終いじゃねーだろ。陽乃さんの思い付きの発言で今回ここまで翻弄されたんだし。来週もまた来るんだから、対策を考えておいたほうが良いんじゃねーの?」

 

 それは由比ヶ浜や小町にとってはもちろん、雪ノ下にとっても意外な提案だった。しかし考えてみれば、姉の行動を受けてからどう対処するかを検討するよりも、前もって積極的に対策を練ったほうが効果があるのは間違いない。

 

 なまじっか姉のことをよく知っているだけに、何を言い出すか分からないからと、雪ノ下は事前の対策をはなから諦めていた。第三者の目線で見れば当たり前のことが、当事者にはなかなか気付けない場合があると知ってはいたが、これがそうなのだなと雪ノ下は思う。型にはまった友人関係しか築けなかったかつての自分には体験できなかったことが、今はできているという手応えとともに。

 

「ヒッキー、もしかして何かいい案があるの?」

 

 そして、こうした話題には頭脳労働向きではない由比ヶ浜が真っ先に食い付く。八幡であれ雪ノ下であれ、二人がこんな風に口を開く時には、自分には思い付けないような凄い話を聞かせてくれるのが常だ。それを経験則で知っている由比ヶ浜は、期待に満ちた目で八幡を見つめる。

 

「その、貴方は何か、姉さんへの対策を思い付いているのかしら?」

 

 普段なら八幡の思い付きを誰よりも早く正確に把握する雪ノ下だが、今日この日ばかりは八幡の発想について行けそうにない。だが、たまにはそれも良いだろうと思えるだけの余裕が今の雪ノ下にはあった。

 

 真っ直ぐに期待のこもった目を向けてくる二人と、お兄ちゃん大丈夫かなとやや不安そうな眼差しの小町を順に確認して、八幡はおもむろに口を開いた。

 

「あのな、このあいだ部室で話に出しただろ。確か由比ヶ浜が”mutual”とか言い出して」

 

「えーっと、相互安全保障条約の話だっけ?」

 

 一学期の由比ヶ浜であれば平仮名の発音で口にしそうな単語を、漢字できちんと言えていることに少しだけ笑みを深めて、しかし八幡はそれを否定する。

 

「じゃなくて、その後の話なんだけどな」

 

「貴方、まさか……!」

 

 どうやら八幡の企みに気付いたらしい雪ノ下に、目だけで少し落ち着けと伝えて、八幡はまず前提の確認を行う。

 

「陽乃さんが言ってたように、OB・OGは文化祭に協力を惜しまないって姿勢なんだよな。で、それは陽乃さん本人も例外じゃないって考えて良いのか?」

 

「ええ。むしろOB・OG代表としての立場がありながら、在校生に難癖をつけて文化祭を台無しにするような事態が明るみに出れば……。姉さんの過去の成功も今の面目も、丸潰れになるでしょうね」

 

 まずは片側の確証を終えて、八幡は続けて確認を行う。

 

「逆に、陽乃さんが本気で今年の文化祭を潰してやるって考えたら……」

 

「それを座視するつもりはないのだけれど。今の私の力では、おそらく防げないでしょうね。花火大会の時に姉さんから聞いたと思うのだけれど、私と姉さんとでは役割が違うから。人脈という点で大きな差があるのよ」

 

「つまり、お互いにその気になれば、お互いを潰すことができる状況だよな」

 

 もう片側の確証も終えて、八幡はそう結論付ける。話に全くついて行けていない由比ヶ浜と小町も、八幡と雪ノ下の間に漂う不穏な空気を感じ取って、口を開くことができない。

 

「貴方は私に、それをやれと言うのかしら?」

 

「違うっつーの。実際に核戦争を起こすのが主眼じゃねーだろ。ただ、いざという時には覚悟を決めるって姿勢が陽乃さんに伝わらないと、意味がねーけどな。だから雪ノ下がこの話のキーなのは確かだ」

 

「え、えっと。ゆきのんでもヒッキーでもいいから、詳しく説明して欲しいんだけど……。なにか危険なことをするとか、そんなんじゃないよね?」

 

 おどおどとした口調で、しかし身近な存在を危険に晒すことには断固反対するという姿勢を垣間見せて、由比ヶ浜が会話に加わった。視線を交わして譲り合った末に、発案者の八幡が説明を始める。

 

「こないだ部室でちらっと言った”MAD”ってやつな。”Mutual Assured Destruction”の略なんだが、日本語で言うと……」

 

「相互確証破壊、ね。ただ、破壊という言葉が含まれているのだけれど、由比ヶ浜さんが心配するような危険なことは無いのよ。むしろ、二国間の平衡状態を得るための理論なの」

 

 八幡に説明を譲ったはずがユキペディアの血が騒いだのか、八幡のセリフを奪って平然としている雪ノ下だった。憮然とした表情の八幡に微笑みかけることで謝意を伝えて、雪ノ下はそのまま由比ヶ浜への説明を続ける。

 

「この世界は現実と比べて、記録という点で優れているので、姉さんの問題行動を根拠を添えて証明することができるのよ。たとえ姉さんが本気で私達を叩き潰したとしても、証拠を全て取り上げるのは事実上不可能だわ。ここまでは大丈夫かしら?」

 

「陽乃さんが悪いことをしても、証拠が残っちゃうってこと?」

 

「私達の手元にね。その逆に、私達がいくら姉さんを告発したとしても、文化祭や私達を本気で潰すと決意されたら打つ手は無いわ。どれだけ抵抗しても、残念ながら結果は見えている状態なの。これも良いかしら?」

 

「だから、相互……破壊ってこと?」

 

「お互いの確証が得られたら、後はどちらが行動に出ても、お互いに破壊されて終わるという結末が確定してしまうのよ。だからお互いに動けないという理論なの」

 

「ちょっと分かりにくいんだけど、実際に破壊し合うってことじゃないんだよね?」

 

「まあ、要するにお互いに脅し合ってる状態だわな。どっちが動いてもお互いの破滅が待ってるから、平和に行きましょうね、みたいな感じかね」

 

 その為には、相手が動いたら自分も必ず動くという覚悟が、更には決して最後まで思考停止に陥らないという姿勢が問われるわけだが、由比ヶ浜の優しい性格を考慮して八幡はそこまでの説明を避けた。解りやすさを優先して正確性を犠牲にした八幡に、雪ノ下が無言の圧力を掛けるが、目線で由比ヶ浜を示されて不承不承ながら矛を収めた。

 

「お兄ちゃんの案だし、何だかろくでもない事になりそうなんだけど、大丈夫?」

 

「まあ、実行するのは俺じゃねーからな。雪ノ下なら適切に運用してくれるだろ」

 

 適当な口調ながらも、その奥に信頼の気持ちを感じ取った雪ノ下は、話の終わりが見えて残念に思う自分に気付いていた。一年前には無味乾燥に思えた高校生活だったが、こんな日々がこれからも続いて欲しいと思いながら、雪ノ下は口を開く。

 

 

「そうね。姉さんへの対策も立ったことだし、せっかくなのでもう少し雑談でもしましょうか」

 

「やった。難しい話が続いてて、そろそろ限界だったんだよねー」

 

「じゃあ小町は、飲物のお代わりを取ってきますねー」

 

「俺がやるから小町も座ってろ。なんか希望はあるか?」

 

 雪ノ下の珍しい提案に即座に由比ヶ浜が賛成して、小町が動こうとしたものの八幡が先んじる。各自の希望通りの飲物を持って来た八幡は、なぜか立ったままこんなことを口にした。

 

「さっき小町が、雪ノ下と由比ヶ浜の間に俺を座らせようとしてたよな。この際お前が座ったらどうだ?」

 

「お、お兄ちゃんナイスアイディーア。お二人さえよければ、小町が間に座ってもいいですか?」

 

 先程まではソファの角に雪ノ下が座り、L字型ソファの両端に由比ヶ浜と小町が腰を下ろしていたのだが、小町が二人の返事を待つことなく強引に割り込んで、今はソファの片側に三人が並んでいる形になった。

 

 小町の怪しげな発音と即座の行動力に苦笑しながら、八幡は「ちょっと待ってろ」と言い残すと廊下に出て行った。首を傾げる三人だったが、ほどなくして帰って来た八幡が抱えているものを見て、たちまちその意図を了解する。

 

「ほれ、雪ノ下」

 

 そう言ってカマクラを差し出す八幡に、雪ノ下が驚きの残った目を向けて嬉しそうに「ありがとう」と口にした。雪ノ下が猫好きであることはとうの昔にバレているし、一方の由比ヶ浜が猫を少し苦手にしていることも八幡は把握していた。ゆえに事前の席替えを実行したのだった。

 

「んじゃついでだし、バンドの打ち合わせでもするか」

 

「お兄ちゃん、ホントにバンドをやるんだねー。昔お父さんが断念したギターを物置から引っ張り出して来て、なんか格好だけつけてた時には、こんな日が来るなんて思わなかったよ。よよよ……」

 

「だからわざとらしい泣き声とか俺の黒歴史の紹介とか止めて欲しいんだけど。つかお前らも笑いすぎだろ……」

 

 せっかく良い思い付きを実行に移して満足げに腰を下ろした八幡だったが、妹の発言で色々と台無しである。Fコードの壁を乗り越えられず、父に続いてギターに挫折した過去の苦い記憶を思い出しながら、八幡はキッチンの方角を眺めてふて腐れる。

 

「今度は比企谷くんがギターでも面白いかもしれないわね」

 

「じゃあ、ゆきのんがドラム?」

 

「それでも良いし、小町さんが叩きたいなら挑戦してくれても良いわよ。ただ、ちゃんと合格してからの話ね」

 

 一気に現実に引き戻された小町だったが、雪ノ下の応援の気持ちを感じ取れないほど鈍感ではない。心の中にある不安は考えないようにして、小町は受験のことだけを考えようと努める。今日はいい気晴らしができたことだし、寝る前に少しだけでも勉強を頑張ろうかと小町は思った。

 

「じゃあさ、小町ちゃんのやる気に繋がるように、あたしたちも演奏を頑張らないとね!」

 

「そうね。課題曲はこの曲で良かったのかしら?」

 

「それなんだがな。この曲とかは難しいのかね?」

 

 八幡が名前を挙げた曲を、頭の中で演奏しているのだろうか。少し時間を置いた後で、雪ノ下が口を開く。

 

「そうね。比企谷くんがこの前に挙げた曲と比べると、少し難しい部分はあるのだけれど……由比ヶ浜さんの選曲基準にも合っているし、悪くないと思うわ」

 

「ま、とりあえずは練習だな」

 

「そうね。……比企谷くんと由比ヶ浜さんは、今日の練習はもう済ませたのかしら?」

 

 何やら少し考えた末に、雪ノ下はそう問いかけた。首を横に振る二人を責めることなく、むしろ嬉しそうな表情になって、雪ノ下は言葉を続ける。

 

「では、解散の前に今から部室で練習しましょうか。その、少し考えていることがあるのだけれど。貴女たちが練習している横で、ヴォーカルのメロディーと貴女たちの担当パートの音だけを録音したものを用意しようと思うのだけれど」

 

「えっと、それってゆきのんが実際に弾いて録音するってこと?」

 

「そうね。ベースはエレクトーンを使えば一度で録音できそうだけれど、ドラムスはダビングを重ねないと難しそうね」

 

 なんだか凄そうなことを簡単に口にする雪ノ下に、八幡も由比ヶ浜も小町も苦笑するしかない。それに実際に聞いてみないと判らない部分があるとはいえ、雪ノ下が作ろうとしているものは二人にとって有益なものに思える。

 

「すぐに移動するなら、雪乃さんと結衣さんが小町の個室で脱いだままの靴を取ってくるけど?」

 

「や、いいよ小町ちゃん。ちょっとだけ個室にお邪魔して靴を取ってきて、それからヒッキーの個室を通って部室に移動しよっか」

 

「あー。さっき靴を玄関まで持っていったのに。ま、仕方ねーか」

 

 小町の提案をきっかけに話が進んで、どうやらこの日の集まりにも終わりが見えてきた。そんな雰囲気を感じ取って、雪ノ下が口を開く。

 

「ではそろそろ移動しましょうか。小町さん、今日は本当にありがとう」

 

「いえいえー。雪乃さんも結衣さんも、お兄ちゃん関係なしにまた遊びに来て下さいねー!」

 

 こうして、良い点でも悪い点でも盛り沢山だった一日がようやく終わった。




次回は来週の木曜日、それが無理な場合はその後の数日内に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
誤字を一つ修正し細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(11/3,18,4/2)

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