俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前話に引き続いて文字数が非常に多くなっています。
時間の余裕がある時に楽しんで頂ければ幸いです。

以下、前回までのあらすじ。

 現実世界からの合同取材まであと一時間。渉外部門の生徒たちが協力的だったお陰で、八幡は限られた時間内に幾つか対策を出せた。雪ノ下と映像通話で繋がった状態で、八幡は取材の様子を注視する。

 だが取材が進む中で、記者の一人が血気に逸る。いつしか話題は文化祭から逸れて、この世界に巻き込まれた事件に関する質問ばかりになっていた。それを見た八幡は、雪ノ下と由比ヶ浜の召喚を決断する。記者は無事に雪ノ下によって撃退された。

 合間の時間に、八幡と雪ノ下が少し照れ臭い思いをして。その後の全体会議で、雪ノ下は八幡に、先程の問題発言を以後の仕事で挽回するよう通達した。前向きに全力で仕事を行う決意を固める二人の姿とその意思を、由比ヶ浜が静かに見守っていた。

 会議に続けて有志統制の見直しをして、その後も仕事は順調に進んだ。バンド練習の為に移動した部室の前で平塚先生とも話をして、ようやく長い一日が終わった。



14.リアルも含めた幅広い情報を彼女は持っている。

 翌日の火曜日は、比企谷八幡が見る限り全てが順調に進んでいた。

 

 昨日の全体会議で雪ノ下雪乃に発破をかけられた生徒たちは、やる気に満ちていた。それは午前中の授業を受ける態度にまで及ぶほどだった。それも、早く仕事がしたいから早く終われというようないいかげんな姿勢ではなく。自分たちが熱心に授業を聞けば、そのぶん時間が早く進むとでも考えているかのような様子だった。

 

 そんな文実の生徒たちの姿勢は周囲にも伝わって、有志や部活そしてクラスの出し物に取り組む生徒たちにも影響を及ぼしていた。この日の校内は、至る所でやる気に満ちていた。

 

 

 そんなふうに全校の雰囲気を変えてしまった当の本人は、この日は派手な動きを見せなかった。もちろん、雪ノ下の普段の基準と比べれば、という話ではある。他の委員を上回る量の仕事を普通にこなしていたのだが、それでも動きをセーブしているのは八幡の目から見れば明らかだった。

 

 おそらく理由は二つ。一つは、単純に翌日に備えて体力を温存しているから。姉の来襲という、どう考えても平穏に済むはずの無いイベントを翌日に控えているためだろう。

 

 もう一つは、雪ノ下が率先して片付けるべき仕事の量が減っているから。これは文実メンバーの熱心な仕事ぶりを褒めるべきなのだろう。負担が減ったのなら、減った分だけ新しい仕事を見付けるべきだという意見もあるのだろうが。この状況を見て、雪ノ下が楽をしていると解釈するのは違うと八幡は思う。

 

 トップが果たすべき第一の役割は、一兵卒と同じ仕事をすることではなく、全体を動かすことだ。全体が上手く動いている間は、トップは昼寝をしていても許されると八幡は思う。何となく、自分にとって理想の環境のようにも思えるが、問題は雪ノ下と違って人望に欠けることだろう。そこを解決して昼寝に勤しめる立場を目指すよりは、誰かの下で周囲を気にせず働くほうが、自分には合っている気がする。社畜精神って遺伝するのだろうかと真面目に考えたくなる八幡だった。

 

 だが周囲を気にせずとは言っても、目に付くものは目に付いてしまう。わざわざ時間と労力を割かずとも、自分を取り巻く環境を八幡はほぼ正確に把握していた。

 

 同じ渉外部門の生徒たちは、わりに気兼ねなく接してくれている気がする。その他の部門の生徒たちは、やはり大なり小なり八幡に反感を抱いているようだ。とはいえ、そちらのほうが自然だと八幡自身も思うし、だから特に文句も出ない。

 

 おおむね、八幡と関わりの少ない生徒ほど反感を持っていると考えて良いのだろうが、ここに少しだけ違う要素が絡んでいる。つまり八幡との関わり以上に(そもそも八幡と関わりのある生徒は簡単に数えられる程度の数しか居ない)、雪ノ下との関わりの深さに応じて反応が違うように思えた。虎の威を借るようで申し訳ないが、とはいえ相手が勝手にそう思うのは俺の責任じゃ無いよなと考えて、気にせず仕事に勤しむ八幡だった。

 

 

 奉仕部のもう一人、由比ヶ浜結衣は、先週とは違って頻繁に会議室に姿を見せていた。クラスに顔を出して文実にも顔を見せて、一見すると負担が増しているようにも思えるのだが、そこに由比ヶ浜なりの計算があることに八幡は気付いていた。おそらくは状況を適宜確認して、問題の早期発見と早期解決を目指しているのだろう。

 

 先週は色んな問題が一気に押し寄せてきたこともあり、どうしても受け身になりがちだった。大きな問題になってから相談が来て対処するという形が多く、それを解決している間に、別の場所で揉めごとが膨らんでいるという悪循環になっていた。由比ヶ浜のことだから論理的に考えて行動パターンを変更したのではなく、経験則に従ったのだろう。この由比ヶ浜の決断は正しいと八幡は思った。

 

 雪ノ下が全体を見ながら進むべき先を指し示して、由比ヶ浜が全体を見ながら綻びが出そうな所を未然に防いで。これで仕事が上手く行かないなら嘘だよなと八幡は思う。今の環境なら、最前線で存分に仕事ができるというものだ。これは俺に限った話ではなく、他の多くの委員も同じように考えているのが伝わって来る。文化祭に向けて欠かせない人材が少ないと嘆いていた八幡だが、それ以前に、二人の使い方を間違えていたということなのだろう。

 

 雪ノ下に目先の仕事を片付けさせながら全体の指揮をさせたり。由比ヶ浜に人間関係の揉め事を解決させるためとはいえ、転戦につぐ転戦を強いるようなやり方に問題があったのだ。二人を正しく配置すれば、その他の委員たちも巻き込んで大きな仕事ができる。奉仕部の三人だけでは成し遂げられないような規模の仕事が可能になるのだ。

 

 そこに、もっと早く気付くべきだったなと八幡は思う。だが後悔はしない。せっかく各々の役割分担が板に付いてきたのだから、次の機会があればもっと上手くやれるはずだと、八幡は前向きに反省していた。

 

 

 とはいえ肩書きという点から考えると、副委員長の雪ノ下が采配を揮う今の形は褒められたものではない。

 

 だが委員長としての相模南の権威は、今や風前の灯火となっている。雪ノ下の監督を受けることによって、かろうじて委員たちからの批難を免れているのが現状だ。実質的な最高責任者が雪ノ下であることは誰の目にも明らかだったし、個人の能力を比較してもそのほうが遙かに自然に思える。

 

 それは本人も自覚しているのか、昨日今日と相模は雪ノ下の隣で大人しく仕事に励んでいた。とはいえ心の中では不満が積み重なっているようで、由比ヶ浜が八幡と連れ立って相模に話しかけるたびに、剣呑な目つきで睨み付けられた。半ば以上は俺の自業自得だが、本来であれば雪ノ下や由比ヶ浜に向けたいであろう感情も、こちらに向けて発散しているようだ。だが、それで良いと八幡は思う。

 

 由比ヶ浜にはクラスの状況を相模と八幡に知らせる役割がある。だから先週も毎日、仕事が終わった後で会議室に来て貰って、お互いの情報を交換していた。その際に相模が由比ヶ浜に対して、厳しいことや、わがままめいたことを口にする場面がたびたびあった。おそらくは由比ヶ浜への甘えもあるのだろう。それでも横で聞いていて嫌な気持ちになったものだが、今や相模の標的は八幡に絞られている。

 

 仕事だからって、さがみんと話をするのに無理に付き合わなくてもいいよ。由比ヶ浜が時々そんなことを口にしようとしたが、八幡はそれを最後まで言わせず、率先して相模のもとへと足を運んだ。相模を挑発するためでは無論なく、由比ヶ浜の方針転換に賛同していたからだ。

 

 仕事の後で一気に話をするのではなく。できる限りリアルタイムで情報を共有できるように、クラスに動きがあるたびにそれを相模にも伝えに行く。これも先程の早期発見と同じ発想なのだろうと八幡は考えていたし、相模の矛先が自分に向くのも八幡からすれば望むところだ。反対する理由は何もなかった。

 

 

 このようにして充実の火曜日が過ぎて、日付は水曜日に変わった。夕刻前、おそらく四時前頃に。雪ノ下陽乃が、来る。

 

 

***

 

 

 水曜日の午後、文化祭実行委員会は前日と同様に活況を呈していた。卒業生代表を交えて話し合いを行うために、この日の全体会議は夕刻に開催される予定になっている。そのため、会議室に集まった生徒たちは時間を無駄にすることなく、我先にと仕事に没入して行った。

 

 そして時刻は三時半過ぎ。会議室の奥では、奉仕部の三人と顧問の平塚静が顔を揃えていた。若手教師ゆえに多くの仕事を抱え込んでいる平塚は、全体会議こそ欠かさず参加しているものの、それ以外の時間帯に顔を見せるのは珍しい。

 

「会議の前に、少し打ち合わせが必要だと思ったので出て来たのだよ。君たちは安心して仕事に勤しみたまえ」

 

 首を傾げるその他の委員たちにそう説明すると、平塚は教師の権限で教室の一部分を分割した。新しく作った部屋は廊下からは隔たっていて、出入り口は会議室の中とだけ繋がっている。内部は数人で一杯になる程度の大きさで、長机とパイプ椅子が幾つか並べられただけの殺風景なものだったが、顔を突き合わせた話し合いには充分だろう。

 

 

『戦力の逐次投入は愚策って考えると、最初から全員で、陽乃さんに先制攻撃をかけるのが良いと思うんだよな』

 

『つまり貴方は、由比ヶ浜さんに最初から同席して貰いたいと考えているのね。日曜日には、いざとなったら巻き込むと言っていた気がするのだけれど』

 

 その小さな教室を眺めながら、八幡は昼休みに部室でかわしたやり取りを思い出していた。先日の記者ならともかく、今日の相手は簡単にはいかないはずだ。雪ノ下が劣勢になってから由比ヶ浜を呼び出そうとしても、そんな余裕は無いと考えるのが妥当だと八幡は思い直したのだった。

 

『由比ヶ浜だけじゃなくて、平塚先生も巻き込もうかと思ってるんだけどな。陽乃さんがそう簡単にボロを出すとも思えねーし。そもそも、挑発に乗ってくれるのかも怪しいしな』

 

『なんだか、はぐらかされちゃう気がするよね。ヒッキーの屁理屈ともちょっと違う気がするし……』

 

『姉さんは相手に言質を与えないのは当然として、変なところで筋が通っているのよね。例えば、「善く士たる者は武ならず」という言葉があるのだけれど』

 

『ヒッキー……』

 

『漢文の授業ではやってないから、泣きそうな顔にならなくていいぞ。立派な武士は猛々しくないし、怒らないし争わないし謙虚だ、とかって続くんだったかな。老子の言葉だろ?』

 

『ええ、老子の「不争の徳」の一節なのだけれど……少し正確さには欠けるものの、よく知っているわね』

 

『まあ、太上老君の怠惰スーツは俺の憧れだったからな』

 

 あの時は、少し驚いた表情の雪ノ下が一気に呆れ顔になったな。八幡はそう思い出して苦笑いする。詳細は分からなくとも、八幡が漫画かアニメの話をしていると理解したのだろう。これはスラムダンク全巻に加えて封神演義全巻もいつか読ませねばなるまいと、固く決意する八幡を尻目に、雪ノ下は話を続けたのだった。

 

『姉さんが謙虚とか争わないと言ったら、由比ヶ浜さんも比企谷くんも意外に思うかもしれないのだけれど。実際には、実力を誇示するのも行使するのも、それが必要な場面だけなのよね』

 

『つっても、お前相手には四六時中、挑発をかけてる気がするんだが?』

 

『それは……それにも、()()()()()()()()があるのよ。もちろん、理由があるとは理解しても、その理由を受け入れようとは思わないのだけれど。話を戻すと、私が先日さっきの老子の言葉を話題に出した時に、姉さんに言われたのよ。相手によっては、尊大に振る舞うほうが上手く行く時もあると。特に女性の身で謙虚に振る舞うと、逆にこちらを見下して無理を言ってくる輩が少なくないと言っていたのだけれど』

 

『でもそれって、ちょっとだけ分かるなって。この間の記者の人もそんな感じだったじゃん。あたしがお馬鹿なことを言って話を終わらせようとしたら、逆に踏み込んでくる人って時々いるんだよね……』

 

 そう口にした由比ヶ浜に心から同意するような表情で、雪ノ下が話を続けた。あれを見て、雪ノ下も同じような目に遭ったことが何度かあるのだと理解して。あのとき八幡は、二人にこんな表情をさせた見知らぬ誰かに苛立ちを覚えたのだった。

 

『だから、老子の結論が「不争」なのであれば、状況によっては謙虚よりも尊大な態度のほうがそれを実現できると姉さんは言うのよ。謙虚が有効な場合には謙虚に、尊大が有効なら尊大に振る舞うべきだと。話を混ぜっ返されただけという気もするのだけれど、姉さんの性格を表しているとも思えるのよね』

 

『ほーん、なるほどな。「争わない」という結末はそのままに、途中の論理を臨機応変に改変するって感じかね。確かに陽乃さんらしい気もするが……でも、あの人の愉快犯的な傾向はどう解釈するんだ?』

 

『それも、「楽しいものが見たい」という思いを実現させるべく、姉さんなりの論理に基づいて行動に出ていると考えられないかしら。だから私は、姉さんが今度の文化祭にどんな思いを重ねているのかさえ突き止められれば、後は逆算で話をつけられると思うのよ。貴方が案を出してくれたお陰で、話をつける方法は既にあるのだから』

 

『そうだな。じゃあ雪ノ下が正面から問い詰めて、俺が横から揺さぶりをかけて、由比ヶ浜に陽乃さんの微妙な反応を解読して貰うって感じかね。あとやっぱり、平塚先生に同席して貰ったほうが陽乃さんの口が滑りやすい気がするんだよな』

 

 白衣の教師からも無事に同意を得られて、こうして陽乃を迎え撃つ準備は整った。

 

 

 ここまでの経緯を頭の中で振り返っていた八幡は、小さな教室から目を離して二人に話しかけようとした。その時。やる気に溢れる生徒たちの声が、先程までは廊下からも聞こえていたのに。それがぴたりと止んだ。

 

 室内に居る全員が来訪者の存在を察知して、視線が会議室の入り口に集中する。

 

 程なく、注目を集める状況など歯牙にもかけず、ドアを開けた向こうで自然体で佇みながら。その人物は三人の生徒と一人の教師に向かってにやりと笑うと、こう言った。

 

「ひゃっはろー!」

 

 

***

 

 

 準備万端で待ち構えていたはずなのに、陽乃の第一声で度肝を抜かれてしまった。一瞬の混乱から立ち直って、八幡は何と言って反応すべきかと頭を働かせようとする。だが、廊下が再び騒がしくなっているなと余計なことに気を取られている間に、八幡に先んじて教師が口を開いた。

 

「陽乃。全体会議の前に少し打ち合わせをしようと思うのだが、こちらに来てくれるかね?」

 

「へえ。これって、静ちゃんの差し金なんだ。ま、別に何だって良いけどね」

 

「私が用意したのは話し合いの舞台だけだよ。単なる立会人だと思ってくれたらいいさ」

 

 そう答える平塚に、余裕のあるしかしどこか冷たい笑顔で応えると、陽乃は奉仕部関係者が集まる場所に向けて移動を始めた。陽乃の歩みに合わせて、教室内の全員の視線が動く。その間隙を突くかのように、予想外の声が再び会議室の入り口から上がった。

 

「その話し合いに、俺も同席させて貰って良いかな?」

 

「ふむ、葉山か。よろしい、君も来たまえ」

 

 陽乃が通った後をなぞるかのように、葉山隼人が近付いてくる。途中で足を止めていた陽乃も、教室の奥に向けて移動を再開した。

 

 スタートから予想外の事が多すぎるなと思いながら、八幡は二人の様子をこっそりと窺う。雪ノ下は感情を昂ぶらせることもなく、姉との対決に備えて自然体を維持している。由比ヶ浜にも緊張の色は見られない。こちらは良い意味で予想外だなと八幡は思った。二人を信頼していないつもりはなかったが、少し心配が過ぎたかもしれない。

 

 近付いてくる二人を待つことなく、最初に平塚が。次いで雪ノ下・由比ヶ浜の順に、話し合いを行う教室の中へと身を消した。八幡がそれに続いて、少し遅れて陽乃と葉山も小さな教室の中に入ってきた。葉山が後ろ手にドアを閉めると、入り口の反対側に当たるお誕生日席に教師が座り、それに向かって右手奥から雪ノ下・由比ヶ浜・八幡が、左手奥から陽乃と葉山が腰を下ろす。

 

「最初に思ったよりは楽しい打ち合わせになりそうかな。で、議題は何なのかな、雪乃ちゃん?」

 

 

 陽乃がそう口火を切って、こうして話し合いが始まった。陽乃の鋭い眼光もまるで意に介さず、問いかけられた雪ノ下が静かに口を開く。

 

「その前に。反対という意味では無いのだけれど、葉山くんはどうしてここに?」

 

「在校生の有志取りまとめという役割を引き受けた以上は、俺も当事者だって思うんだけど?」

 

 平然とそう返す葉山の表情を窺いながら、八幡は一筋縄ではいかない思いを抱いていた。

 

 雪ノ下から役割を振られた月曜日の時点で、葉山はここまでの展開を思い描いてはいなかったはずだ。だがどこかの時点で、その肩書きを利用できると思い付いたのだろう。話し合いに加わることが目的なのか。あるいは他にも思惑があるのか。葉山が何を意図しているのかは分からないが、まずは敵か味方かを見極める必要があるなと八幡は思った。

 

「なるほど。とはいえ、先週の姉さんの放言のせいで被害をこうむった貴方なら。有志取りまとめの肩書きが無くとも、当事者と言って良いように思うのだけれど?」

 

「ああ、そういえばあれには苦労したよ。クラスで問い詰められるしさ。結衣はあの場に居たから覚えてると思うけど、アドリブの試験にしてはちょっと悪趣味だったかな」

 

「隼人ならそれぐらいは大丈夫でしょ。雪乃ちゃんにも落ち着いて対応されちゃったし。お姉ちゃん、面白いサプライズだって思ったんだけどなー」

 

 おそらく雪ノ下も、葉山の真意を見極めるべく探りを入れているのだろう。陽乃の言葉や態度からして、二人が結託しているとは思えないが、と八幡は推測する。こちらの味方とも思えないだけに、警戒は怠るべきではないだろう。

 

 八幡と由比ヶ浜が口を閉ざしている横で、雪ノ下が呆れた口調で話を続ける。

 

「はあ。その話は散々したから、蒸し返すのは勘弁してあげようと思うのだけれど。そろそろ本題に入っても良いかしら?」

 

「お姉ちゃんが隼人を呼び出したんじゃないって、確認できて安心した?」

 

「最初から、そんな心配はしていないわ。姉さんが答えをはぐらかさないように、葉山くんを利よ……協力して貰おうかと思っただけなのだけれど。どちらにせよ、本題と比べれば些細な話ね」

 

 両手の指を絡ませた上に顎を載せて、姉が余裕の表情で問い掛ける。対する妹は背筋を伸ばした姿勢のまま、不穏な表現をちらつかせている。

 

 姉妹揃って、葉山を利用して心理的に優位に立とうと考えたのだなと。改めて葉山の立場に同情したくなる八幡だった。だが当の葉山は涼しい顔で、自らの扱いを特に気にする素振りも無い。

 

 千葉村で葉山から嫌な雰囲気を感じ取った時には、決まって彼の我が出ていたように思う。しかし今は、葉山個人の意図や思惑はほとんど伝わって来ない。敢えて言えば、何かしら責任感のようなものが伝わって来るが、それは葉山の感情とは切り離されているように思える。今のところ、葉山が変な動きを見せる可能性は低そうだなと八幡は思った。

 

 

「じゃあ、お姉ちゃんにも教えて欲しいんだけど。雪乃ちゃんの本題って、なーに?」

 

「端的に訊ねるわね。姉さんは、文化祭の邪魔をする気なのかしら?」

 

 余裕のある表情を浮かべたまま、陽乃が軽い口調で問いを発する。それに動じること無く、雪ノ下は一気に本題に入った。それでも、陽乃の表情は揺るがない。

 

「ひっどーい。雪乃ちゃんや後輩の成功を祈ってるに決まってるでしょ?」

 

「結果的に、先週の姉さんの発言によって、時間や労力のロスが生じたのだけれど?」

 

「だってまさか、雪乃ちゃんが隼人との関係を内緒にしてるなんて思わないでしょ。ね、比企谷くん?」

 

 突然話を振られたものの。そろそろ来る頃かと思っていたので、八幡にも動揺は無い。慌てることなく面倒臭そうに口を開く。

 

「昔の話をどの程度話すかなんて、友達が居なかったので俺には分かんないですね」

 

「比企谷くんは相変わらずだねー。そんなに身構えなくても、優しいお姉ちゃんですよー。じゃ、ガハマちゃんは?」

 

「あたしにも、話しにくいことってありますし。でも今回もだし、ゆきのんなら時間が掛かっても、いつかちゃんと話してくれるって思ってます。だから、その時を待とうって」

 

「なるほどねー。でもさ、わたしが話題に出したから昔の話もできたんだし、却って色んなことがスッキリしたんじゃない?」

 

「それは……」

 

 陽乃の主張を聞いて由比ヶ浜が口ごもる。だが、その問いに答えるべきなのは、発言を真に受けやすい由比ヶ浜ではないと八幡は思う。陽乃が論点を逸らしていることを指摘できる雪ノ下か。あるいは、ニヒリストの役割だ。

 

「それで実際に仕事が捗るんなら良いですけどね。知っていようが知っていまいが、結局はあんまり大差ない気がするんですけど」

 

「お、ニヒルだねー。『人生は無意味だ』なんて文学青年みたいなことを言い出しそうだけど。虚無主義が昂じて決闘とか自殺とかしたら、お姉ちゃん泣いちゃうよ?」

 

「陽乃。言い過ぎだ。比企谷も気にしないようにしたまえ」

 

 だが、陽乃が繰り出す話題の転換には、さすがの八幡もついて行けない。それに千葉村で教師から得た忠告と内容が重なる以上は、陽乃の発言を聞き流すこともできない。あの時のやり取りを陽乃が知るはずも無いのだが、それでも八幡は身構えざるを得ない。

 

 周囲をこっそり見回すと、由比ヶ浜はもちろん雪ノ下や葉山ですらも、陽乃の真意を測り損ねているようだ。と、八幡がそこまで確認したところで、教師が助け船を出してくれた。

 

「はいはい。静ちゃんも、雪乃ちゃんや比企谷くんには過保護だね」

 

「それでもやはり、限界はあるさ。相変わらずな。だからこそ手の出せる範囲では、つい口を挟んでしまうんだろうな。悪い癖だよ」

 

 陽乃の物言いをそう回避すると、教師は「話を続けたまえ」とでも言うように。椅子の背に体重をかけて静観の姿勢に戻った。

 

 

「では姉さんは、文化祭の邪魔をする気も無いし、私たちを助けてくれると考えて良いのよね?」

 

「雪乃ちゃんたちが間違ったことをしなければ、って限定は付くけどね。何事にも限界ってあるみたいだしさ」

 

 まずは一つ言質を得ようとする雪ノ下に対して、さすがに陽乃は口約束であろうとも、安易なことは口にしない。教師をからかう言葉まで付け足して、依然として対話は陽乃のペースで進んでいた。だがそこで、苦い顔をした葉山が口を開く。

 

「また、そういうことを……。陽乃さんの思い付きの会話に付き合ってると、時間がいくらあっても足りないからな。それぞれ忙しい身だし、もう少し前向きに話さない?」

 

「ふーん。隼人も一丁前な口を利くようになったか。お姉ちゃん、ちょっと嬉しいけどちょっと寂しいなー」

 

「だから、思い付きで話を横に逸らさないようにと。葉山くんが言ったそばから姉さんは……」

 

「で、本題って他にもあるのかな、雪乃ちゃん?」

 

「……っ!」

 

 葉山の存在は、今のところは自分たちへの援護射撃になっているなと八幡は思う。だがそれでもなお、陽乃のペースを乱すには至っていない。どころか、雪ノ下が反射的に挑発に乗りかけるなど、現状はこちらの劣勢と見て良いのだろう。だがそれでも、手助けを必要とする段階にまで雪ノ下が追い込まれたわけでもなく。俺にも由比ヶ浜にもまだまだ余裕はあると八幡は思う。

 

 そんな八幡の分析が伝わったのか。昂ぶりかけた感情を自ら鎮めて、雪ノ下は再び姉に問いを発する。内心で抱いている疑問点を、一点に凝縮した質問を。

 

 

「じゃあ、お待ちかねの本題よ。……姉さんは、何を知っているのかしら?」

 

「うーん。そう言われても、お姉ちゃんも知らないことだらけだよー。雪乃ちゃんから見たら、何でも知ってるように見えるかもしれないけどね」

 

「知ってることだけでいいわ。文化祭に関係することで、私たちが知りようのないことについて。洗いざらい話して欲しいのだけれど?」

 

 姉の挑発を今度は一顧だにせず、雪ノ下は姉にそう告げた。

 

 日曜日に奉仕部の三人で打ち合わせをした時に、八幡が組織の構造上の問題を指摘してくれた。だが雪ノ下には肉親ゆえの確信があった。姉は別の何かを見ていると。それも、文化祭の成否に関わるような何かを。おそらくは負の影響を及ぼす情報を隠し持っているはずだと。

 

「可愛い妹のお願いだし、叶えてあげたいところだけどねー。守秘義務は雪乃ちゃんも知ってるでしょ?」

 

「ええ。ということはやはり、運営が絡んでいるのね」

 

 雪ノ下が確認を入れるが、それに対して陽乃はこの日初めて黙秘を選択した。この場に集う面々の前では、外見を取り繕ったところで効果が無いと考えたのか。その表情に笑みは無く、静かに冷たく妹の反応を窺っている。

 

 こうして静かに座っているのを見ると、確かに姉妹だなと八幡は思う。普段の陽乃は、活発な言動によって周囲を掻き回す印象が強い。だから妹と比べると、動と静で好対照にも思えるのだが。黙っていると、二人はとてもよく似ている。そして、いつもの姿とのギャップがある分だけ、何を考えているのか分からない今の陽乃からは怖さを感じると八幡は思った。

 

 そこまで観察して、八幡は視線を横に向ける。姉と同様に落ち着いた姿勢で冷ややかな表情を浮かべる雪ノ下だが、頭の中は高速で動いているのだろう。姉への警戒を怠らないようにしながらも、その頭脳を働かせて数多くの可能性を検証しているのだろう。その姿からは頼もしさを覚えると八幡は思った。

 

 おそらくは二人とも、他者からの期待を受け続けて、そして結果を出し続けてきたのだろう。だが周囲からの反応もまた、好対照だったと考えて良さそうだ。その能力を評価されているのは共通している。しかし姉はそれゆえに絶賛され、そして妹はそれゆえに疎まれることが多かったのだろう。

 

 けれども俺の印象は、そしておそらく由比ヶ浜の印象も、それとは逆だと八幡は思う。たとえ全世界の俺たち以外の全員が違う印象を持ったとしても、自分たちだけはそれに与することはない。一見しただけでは分かりにくい雪ノ下の気質を、意外に不器用な性格の奥にある雪ノ下の優しさを、俺たちは何度も目の当たりにしてきたのだから。

 

 ともに口を開くこともなく、姉妹は自然体で向かい合っている。そういえば、陽乃が会議室の外から第一声を発した時にも。陽乃はドアの向こうで自然体で佇んでいたし、それを待ち受ける雪ノ下もまた自然体だった。やはり二人は似ていると八幡は思う。同時に、こちらが劣勢だと思っていたが、冒頭からさほどの変化はないのだな、とも。

 

「私にも守秘義務が課されているので、この場であまり多くは話せないのだけれど。こちらに伝わっている以上に、運営の計画は順調だと考えて良さそうね。その詳細は問わないけれども……では姉さんは、運営からの発表がどの時点になるか、知っているのかしら?」

 

「たぶん、当日のサプライズじゃないかな。現実世界のお客さんなら単純にビックリで済むけど、こっちで対応する身としては大変だよねー」

 

 これは、ヒントをくれていると受け取って良いのだろうか。八幡はそう考えて少しだけ思い悩む。そして最終的には、陽乃の発言には真実が含まれていると判断した。

 

 なぜならば、雪ノ下は嘘を吐かないから。言いたくないことや言うべきではないことを誤魔化すことはあっても、ハッキリと嘘を口にすることは頑なに避けている印象がある。その避け方に違いがあるだけで。陽乃は話を混ぜっ返して誤魔化すことが多いだけで、発言に責任を持つという点において姉妹の姿勢は同じではないかと思えたから。

 

 とはいえ、どうしてわざわざヒントを出してくれたのかという疑問は残る。それについて考えながら八幡がじとっとした目で陽乃を眺めていると、急に視線が合ってしまった。うげっと思う間もなく、陽乃が口を開く。

 

 

「その何でも疑ってかかる性格は嫌いじゃないけどね。少しぐらいはお姉ちゃんを信じてくれても良いんじゃないかな、比企谷くん?」

 

「俺には妹さえいれば充分なので、自称お姉ちゃんの発言は受け入れられないですね」

 

「ヒッキー、最後はわりと格好いいこと言ってるのに、理由がシスコンだし……」

 

「由比ヶ浜さん、残念ながらもう手遅れよ。Movin’ on without シス谷くんで話を進めましょう」

 

「おい。その上手いこと言ってやったみたいな表情が少し腹立たしいんだが」

 

「そもそもは、材木座くんの依頼の時だったかしら。貴方が口にしたネタを思い出してしまったので、ついAutomaticに口に出ただけなのだけれど」

 

「お前、あれだろ。月曜にスローガンの話が出た時に、俺が『雪ノ下のセンスは期待できない』とか言ったのを耳にして、意趣返しの機会を狙ってただろ。頭の良い奴が仕込んだネタって、色々と詰め込んでるせいか、パッと聞いた時に反応に困るんだっつーの。いつだったかの『憂鬱のお出掛け』とか、まさにそんな感じだっただろ?」

 

「そう。私たちが休んでいる間に、貴方はそんなことを陰で口にしていたのね」

 

「えっ、と、あれ。誰かから聞いたんじゃねーのか?」

 

「ええ。報告は受けているわよ」

 

「聞いてんじゃねーか!」

 

 二人の間に挟まれた由比ヶ浜は背中をのけぞらせて、「また始まった」と言いたげな表情を浮かべている。葉山は、興味深そうに視線を二人の間で行き来させている。教師は、早く仕事が終わったら久しぶりにカラオケに行きたいなと現実逃避をしている。そして陽乃は、二人のやり取りを聞いて爆笑していた。

 

「あっはははははっ。あー、お腹痛い」

 

「さすがに笑いすぎだよ」

 

「だって隼人も聞いたでしょ。雪乃ちゃんも相変わらず可愛いけど、比企谷くんも良い味を出してるよねー。うん、有能!」

 

 横からたしなめる葉山の意見を聞き流して。誰からそんな知識を得たのかは分からないが、陽乃が「グッジョブ」という意味で八幡を有能と評した。この人の頭の中はどうなっているのやらと、ますます疑問を深めながら八幡がぼそぼそと苦情を申し立てる。

 

「いや、一方的にやられてるだけで、とても有能とは思えないんですけど……」

 

「そうかな。俺も()()()は良い味を出していると思うし、君が役立たずだとか無能だとかは、この校内の誰にも言えないはずだよ。俺も含めてね」

 

「お、おう……なんか変なもんでも食ったのか?」

 

 もしくは、例の腐女子の教育がついに実を結んでしまったのだろうか。褒められ慣れていない八幡は背筋がぞわりとするのを避けられず、葉山の反応を恐る恐る窺っている。

 

「そんな変な話じゃなくてさ。月曜日の文実での出来事を、俺も聞いたんだよ。自分にヘイトを集めて、集団を団結させようとしたんだろ?」

 

「へえ。比企谷くんも分かってるねー。明確な敵の存在こそが、集団を団結させるのであーる」

 

「君のあれが無かったら、雪ノ下さんが後でいくらフォローしたとしても、ここまで全校が盛り上がることは無かったんじゃないかな」

 

「確かに、それは私も同意見ね。とはいえ、誰かを生け贄に捧げるような形を取るよりは、恐怖で集団を統制した方が良いとも思うのだけれど」

 

 葉山と陽乃のやり取りに加わって、八幡の活躍を認めてくれたのかと思いきや。八幡をたしなめる意見を挟んで、怖い結論に至る雪ノ下だった。だが、雪ノ下が何を想定しながら話しているのかは、横に座る二人には伝わっている。

 

「恐怖って言うけどさ。ゆきのんは厳しいことを言ってるようで、無茶なことを押し付けたりとかしてないじゃん。それに、他の人以上に自分にも厳しいから、みんながついて来てくれるんじゃないかな。あと、生けにえっていうか……誰かをみんなより下の立場にしばり付けて、見くだしたりすることで仲間意識を作るようなのって、あたしは嫌だな」

 

「人を見下して自尊心を得るような奴らって、その程度だってことだからな。あんま気にすんな」

 

 それは五月のこと。葉山の依頼を片付けて、依頼人や関係者が去った部室で、三人で交わした会話があった。二年F組で嫌な噂が広まった時の被害者のうち八幡を除く三名が、雪ノ下への恐怖感で団結していると。今までに無かった一体感を感じると由比ヶ浜が話題を出した時に。

 

 あの時に、集団をまとめるためには恐怖は「有効な手段の一つ」だと雪ノ下が口にした。それに対して八幡は「更に下の存在を作るよりはマシ」だと答えた。あの頃には、この二人とここまで深い協力関係を築けるとは思ってもいなかった。当時の関係性が既に奇跡のようなもので、遠からず終わってしまうと思っていた。だから何か案を練っても、まず単独行動ありきという考えかただった気がするなと八幡は思う。

 

 そして今。八幡と雪ノ下は共に、文化祭に向けて全校生徒がほぼ理想的な形でまとまっていると考えていた。八幡への不満が一部で残っている点が懸念材料だが、八幡本人はこの程度なら問題ないと考えているし、雪ノ下は結果によってそうした意見を黙らせることができると考えている。そして両者ともに、一人ではなく二人でもなく三人が居たからこその現状だと思っている。

 

 だから八幡は、視線を横から斜め前へと移して、陽乃の顔をじっと見据える。

 

 一人一人なら太刀打ちできないかもしれない。雪ノ下の正攻法も、俺の捻くれたやり方も、由比ヶ浜の人望も、どの分野であっても個別に挑む限りは、陽乃を上回るのは難しいのかもしれない。三歳という年齢の差は、現時点では覆すのが困難だ。だが、三人であれば。攻め方を変えながら三人で挑めば、相手が陽乃であっても上を行く事ができるはずだ。現に、先程の雪ノ下のセンス自体はともかくとして。あれから始まった雑談において主導権を握っていたのは、間違いなく自分たち三人だったのだから。

 

 

「んで、話を戻しますけど。運営からの発表が当日まで無いのなら、こっちで勝手に空想を働かせながら対処を考えるしか無いですね。他に話せることって何か無いですか?」

 

 だから八幡は、陽乃がヒントを出してくれた理由を考えるのを止めた。話題を元に戻して、そして搾り取れるだけの情報を搾り取ってやろうと思う。そんな八幡の意図を感じ取って、雪ノ下が便乗する。

 

「そうね。私は姉さんの守秘義務について知りたいわね。運営と正式に契約を交わしていると考えて良いのかしら?」

 

「何だか雪乃ちゃんたち、面白い関係になってるね。静ちゃんが色々と口出ししてるからかな?」

 

「当人たちの努力の賜だよ。それよりも、質問に答えてやったらどうだ?」

 

 それでも陽乃は余裕の表情で、教師に話題を振ることで雰囲気を変える。質問を差し返される形になったが、少し時間を得られたことで腹は決まった。

 

「雪乃ちゃんの守秘義務は口約束のレベルだけど、わたしは大学も含めた契約なんだよね。運営の仕事場で過ごす時間は、大学での実験の代わりに単位として扱って貰えるし、色々と至れり尽くせりな状況だよー。比企谷くんも進学先として考えてみない?」

 

 陽乃の話を聞きながら、八幡は千葉村で雪ノ下が歌っていた曲のことを思い出していた。月曜日に続けて今日もとなると、頻度的にどうかと思うのだが。あの夜のことは前後も含めて強く印象に残っているだけに、仕方が無い。そう心の中で誰にともなく言い訳をする八幡だった。

 

 あの時に雪ノ下が語ったこと。我が国における曖昧な口約束よりも、海外の契約に対する考え方のほうが頷ける部分があると、そう雪ノ下は口にした。自国と他国の善し悪しは、こんなたった一つの要素だけで決まるものでは無いとしても。雪ノ下が自分に合った環境を求めるのであれば、海外の大学という選択もあるのだろうなと八幡は思った。

 

 おそらく、先日たまたま文理選択の話を聞いたせいで、こんなことを考えてしまうのだろう。だが、決断の時はそれほど遠い先では無い。それに、進学に付随して考えるべき問題もある。未だ情報が少ないゆえに深くは考えないようにしているが、この世界に巻き込まれた者特有の悩み事がある。

 

「俺は理系は壊滅的なので、却下で。あ、えっと。大学生としてのメリットは何となく理解できたんですけど、雪ノ下さん個人のメリットって何かあるんですか?」

 

 そんなふうに考え事に意識を奪われかけていたので、八幡は陽乃からの問い掛けに素で答えてしまった。焦らず何とか誤魔化そうとしたものの、陽乃にはバレバレだったみたいで茶化すようなことを言われてしまう。

 

「陽乃で良いって言ってるのに、比企谷くんも頑固だなー。たまには名前で呼んで欲しいって、ガハマちゃんもそう思うよね?」

 

「やー、その。名前呼びって、隼人くんとかもだし、あんまり珍しくないので……。どっちかっていうと、苗字呼び捨てのほうが逆に新鮮かもなって最近思ったりして」

 

「そうね。私も普段は、同級生や先輩からも何故か『さん』付けで呼ばれることが多いのだけれど。そういえば三年の先輩が、『雪ノ下さんのことをあんなふうに言えるのは比企谷くんぐらいだね』と言っていたのだけれど。貴方はいったい何を言ったのかしら?」

 

「ちょ、ちょっと待て。それは誤解だと思うんだが、とりあえず話を戻そうぜ。えっと、雪ノ下さんがただ単位を取るためだけに、運営の仕事場に顔を出してるとは思えないですし。何か個人的な思惑とかもあるんですよね?」

 

「比企谷くんは、雪乃ちゃんやわたしのことを何だと思っているのかな。わたしは普通の大学生だし、雪乃ちゃんも普通の高校生だよ。二人とも、普通の女の子なんだけどなー」

 

 この場に居る全員が「お前が言うな」と内心で唱和したものの、それでも陽乃が会話の主導権を奪い返すまでには至っていない。雑談を挟みながらも、少しずつ奉仕部の三人が話を先導する時間が長くなって来ていた。

 

「でも多分、家の仕事とか将来のこととかも関係してるんですよね。バーチャルな技術によって、例えば設計とかも目に見える形で出したりとか」

 

「でもそれは、図面を見ればおおよそは理解できると思うのだけれど。姉さんがわざわざ運営の仕事場に出入りするには、理由としては弱いわね」

 

「いや、ちょっと待て。お前なら図面を見ただけでも、頭の中で立体的に構築できるんだろうけどな。普通はイメージできないと思うんだが」

 

「イメージと理解は違うのよ。例えば数学で立体の体積を求める問題があったとして。それがどれほど複雑な形をしていても、数式として理解できればイメージは必要ないと思うのだけれど」

 

「なるほどわからん。つーか話が逸れてるから元に戻すぞ。図面を見るだけで理解できるお前らは別として、普通は目で確認したいと思うんだよな。んで、今だったらパソコンとかタブレットで確認できる程度だけど、実際にこの世界に来て確かめられたら……」

 

「でもさ。あたしだったら、そのためだけにログインするのはちょっとって思うと思うんだ。タブレットで見るだけなら気楽にできるけど、ログインするのはさ」

 

「というか比企谷くん、雪乃ちゃんと一緒にわたしまでさらっと異常扱いしてなかった?」

 

「むしろ葉山も含めた三人を異常扱いしたつもりだったんですけど?」

 

「俺をこの二人と同列に扱ってくれるのは嬉しいけど、ちょっと無理かな。立体問題を解く時にも、形をイメージしながら解くのが好きなんだよね」

 

「あー、悪いけど却下だな。お前らは数学が解けるグループ。んで、俺と由比ヶ浜は解けないグループな。こっちが普通でそっちが異常。その異常な才能を活かして社会の役に立ってくれ。アンダスタン?」

 

 

 そんなふうに、気付けば部室にいる時と同じような感覚で、奉仕部の三人を中心に会話が進んでいた。話の流れを追いながら、途中からはにやにや顔になっていた教師が陽乃に語りかける。

 

「さすがの陽乃も、この三人のやり取りには口を挟みづらいかね?」

 

「正直ちょっと見くびってたかなーとは思うよ。心配の種が無くなったわけじゃないけど、そうだね。文化祭だけなら協力してあげても良いかなー」

 

 三人を認めるようなセリフの割には余裕のある表情を維持したまま。そして相変わらず上から目線で陽乃はそう答えた。だが奉仕部の三人の顔に喜色は無く、警戒の色が強く浮かんでいる。三人から全く信用されていない陽乃だった。

 

「ま、わたしは推理ごっこを見たいわけじゃないからね。今までの話で、運営が何を意図しているのかはだいたい予測できると思うし。これ以上のヒントは必要ないかな、ってのがお姉ちゃんからの最後のヒントだね」

 

 それでも陽乃は平然とそう語ると、そのまま予想外の話を続けた。

 

「じゃあ今から、雪乃ちゃんも比企谷くんも思い付けなかった話をしてあげよう。運営の話とは違って、こっちは特に口止めされてないんだよね。ま、信じるか信じないかは自由だけど」

 

「御託は良いから、早く本題に入って欲しいのだけれど」

 

「はいはい。雪乃ちゃんはせっかちだなー。例年のことだけど、高二の全国模試って、K塾が五月末と八月のお盆明け、S予備校が六月初めと十月の体育祭の頃だよね?」

 

「それが何か……いえ、先月の結果が出ているのね。私たちは文化祭が終わった後で結果を受け取る予定なのだけれど」

 

 察しの良い雪ノ下の発言を聞いた八幡は、雑談を重ねる中で忘れかけていたことを思い出した。先ほど考えていた、進学に関する悩み事を。

 

「静ちゃんはもう知ってると思うけど。結論から言うと、この世界に巻き込まれた生徒たちの成績が、もの凄く伸びてるんだよね。どのくらいかって言うと、現実世界のいくつかの中学や高校が今週末に、総武高校の文化祭を生徒に見学させようと慌てて決定するぐらいにね」

 

 陽乃が語る情報を聞いて、全員が息を呑んだ。陽乃の口調からして、成績が上がっているのは総武高校だけではなく、この世界に巻き込まれた全ての学校に共通する傾向なのだろう。そんな模試の結果が明らかになった直後に、おあつらえ向きのタイミングで総武高校の文化祭が行われる。どれほどの数が訪れるのか、もはや全く予測がつかない。

 

「つまり、六月の時点でも全体の成績が急上昇していたのに、今回はそれに輪をかけた結果が出ているのね。それにしても、見学程度で何が分かるというわけでもないと思うのだけれど」

 

「保護者からの突き上げとか、単純に生徒たちが見に来たいと思ってくれているのかもな。私も模試の結果は知っていたが、現実世界でそんな動きになっているとは思わなかったよ。教師としては嬉しい反面、文化祭に備えてという点では難しいな」

 

「入学者が集まらないんじゃないかって心配は大丈夫みたいですけど。今度は倍率の心配が出て来ますね。小町は大丈夫かな……」

 

 すっかり文化祭のことも、そして自分たちの進学のことも、頭の中から抜け落ちている八幡だった。苦笑しながら由比ヶ浜が口を開く。

 

「まだ二月まで時間はあるし、みんながついてるから小町ちゃんなら心配ないよ。それよりヒッキー、文化祭のことを考えないと」

 

「あー、だな。今から小町の受験の心配をしてたら、ごみいちゃんウザいって家から叩き出されそうだし。あいつ、文化祭を楽しみにしてるって言ってたしな」

 

「文化祭を頑張る理由が全て小町さんの為というのも、少し度を越している気がするのだけれど。それで姉さん、情報はそれでお終いなのかしら?」

 

「これでも、予備校でバイトをしている知り合いとか、色んな所から仕入れた情報なんだけどなー。雪乃ちゃん、もしかしてお姉ちゃんを便利屋か何かだと思ってない?」

 

「まずまず使える手駒だと思っているのだけれど。何か不満でもあるのかしら?」

 

「へーえ。割に高評価なんだね」

 

「ええ。私は姉さんのことを、それなりに高く評価しているのよ。もっとも、姉さんが今までにやって来たことは、私にも大抵は出来ると思うのだけれど」

 

「じゃあ、文化祭を成功に導くこともお願いできるかな?」

 

 

 仲良く剣呑な会話を続けていた姉妹の間に口を挟んで、葉山が涼しい顔をしている。さすがに年季が入っているなと、ようやく妹以外のことにも頭が回るようになって来た八幡だった。

 

「なるほど。貴方がこの話し合いに参加した目的はそれだったのね。条件は何かあるのかしら?」

 

「そうだね。相模さんを含めた全員で、ってのはどうかな?」

 

「ええ、大丈夫よ。奉仕部への依頼もあるのだし、相模さんを蚊帳の外に置くような扱いはしないと約束するわ」

 

「そのぶん、ひたすら働かせるけどな」

 

「ヒッキーが言うように、ちょっとそこが不安だよね。あたしたちもさがみんのことは気を付けてるけど、何かあったら隼人くんも……」

 

「ああ、俺もそのつもりだよ。ただ、全体を指揮できるのは、俺たちの学年では一人しか居ないだろうからさ」

 

 葉山が雪ノ下に信頼の目を向けている。それだけならば納得は容易だが、雪ノ下にしか指揮が出来ないと言うとは意外だった。葉山が、自分には指揮できないとあっさり認めるようなことを口にしたのは予想外だった。そんなことを思いながら八幡が驚きの目で葉山を見ているが、それは陽乃にとっても同じだったらしい。

 

「隼人がそんなことを言うなんて、ちょっとビックリだなー。ま、変化の第一歩って感じだけどね」

 

 少しだけ、陽乃のセリフにイラッとした八幡だった。葉山の変化がどんな心境によるものなのかは分からないが、それでもその言い方は無いのではないかと思ったのだ。この間の記者もそんなふうに他者を見下すところがあったが、雪ノ下と似た表情でそんなことを言って欲しくはない。

 

 だが少し冷静になってみると、葉山と陽乃の付き合いはずっと昔からのもの。俺が知るよりもずっと前からの関係だ。そして、当の葉山が特に怒る素振りを見せていないのだから、俺がイライラするのもお門違いかと八幡は思い直した。

 

「第一歩を踏み出すのが一番難しいって、俺は思うんだよ。どうしても、身動きできない状況が多いからさ。陽乃さんなら分かってくれると思うけどな」

 

 そんな葉山の発言を聞いて、陽乃は静かに苦笑するとそれ以上の反応を見せなかった。弟分の発言を黙認したということなのだろう。

 

 葉山は先ほど八幡のことを「無能とは誰にも言えない」と評した。だが一般的に見て、八幡よりも葉山のほうが有能なのは確実だろう。そしてそれゆえに、葉山は身動きできない状況に陥ることが多いのだ。俺が月曜日にしたような、あんな自由気ままな行動に出ることが許されないのだ。

 

 それは、ある意味では残酷なことだと八幡は思う。雪ノ下にもそうした傾向はあったが、能力があるがゆえに、それを正しく発揮できる場を得られない。あるいは能力に溺れるような性格であれば、他者を顧みない性格であれば、逆に良かったのかもしれない。だが、優しい性格の持ち主ほど、貧乏くじを引くことになる。自分が動いた結果が、自分が誰かを選んだ結果が想像できてしまって、あげく何もできなくなるからだ。

 

 八幡は月曜日に続けて、あの作品のことを思い出す。クラスで行う劇の原作でもあるあの作品の中で、キツネが教えてくれたことを。絆を作る為には、飼い慣らす為には、多くの中から誰か一人を選ばなければならない。では、何かを選べない人には、絆を作ることはできないのだろうか。おそらくその通りなのだろう。それはとても残酷なことだと、八幡はもう一度思った。

 

 

「で、雪乃ちゃんはどうなのかな?」

 

 八幡がそんなふうに物思いに耽っている間に、気付けば再び姉妹が対峙していた。姉の問い掛けに、妹がシンプルに答えを返す。

 

「私は、当面の目標としては、文化祭を過去最高のものにしてみせるわ」

 

「それって、二年前よりも、ってことだよね?」

 

「ええ、勿論よ。だから姉さんも手伝って」

 

 姉妹の間で、激しい火花が散っているように八幡には思えた。ここが最後の勝負所なのだろうと理解して、由比ヶ浜と軽く頷きを交わす。

 

「そうだねー。ま、雪乃ちゃんにお願いされるって初めてだし、手伝ってあげても良いよ?」

 

「どうやら勘違いしているようね。これは個人的なお願いではなく、文化祭実行委員会からの通達だと考えて欲しいのだけれど。要するに姉さんには、絶対服従を求めているのだけれど?」

 

 やっぱりその四字熟語を使うのかと、予想が当たったにもかかわらず微妙な表情の八幡だった。

 

 一方の陽乃は、心底から楽しそうな表情になって妹を見つめていた。情報を与えたほうが面白いことになる。陽乃はこの打ち合わせの途中でそう腹を括って、妹に様々な情報を提供した。その結果がこの仕打ちだ。弟分の変化にも少しばかり驚かされたが、やはりこの妹の変化には及ばないと陽乃は思う。さて、どう対応したら一番面白くなるだろうか。

 

「そう言われても、お姉ちゃんには雪乃ちゃんが間違ったことをした時に、それを訂正させる義務があるのです。だから、その提案は……却っ下」

 

 嬉しそうに提案を却下する表情も瓜二つだなと、何だか頭が痛くなって来た八幡だった。隙があれば少しでも相手より上の立場を確保しようとする妹といい、それを楽しみながらも笑顔で拒絶する姉といい、どうして俺はこの二人に関わる羽目になったのかと八幡が嘆いている。その横で、由比ヶ浜が口を開く。

 

「ゆきのんの絶対服従は冗談だって、陽乃さんなら気付いてますよね。それに、もしゆきのんが間違ったことをしたら、あたしたちもすぐに修正に動きます。何よりも、ゆきのん本人が動くはずです。なのに、間違う前から訂正とかって話を出すのは、ちょっと違うんじゃないかなって」

 

「ほほう。ガハマちゃんも言うねー。うんうん、ガハマちゃんみたいな娘、お姉ちゃんも好きだなー」

 

「それで、もし私が絶対服従を取り下げたら、姉さんは手伝ってくれるのかしら?」

 

 由比ヶ浜の援護射撃を受けて、雪ノ下がトゲのある口調で穏便な提案を行う。どうせこの程度で話は決着しないだろうと考えているからなのだが、その読みは正しかった。

 

「それでも、雪乃ちゃんの指示に全て従えって言うんでしょ。お姉ちゃん、これでも昔、文化祭を二年連続で成功させた実績があるんだけどなー。それを奴隷のように使うだけって、ちょっとどうなのかなって思わない?」

 

「んじゃ、陽乃さんにも自由に裁量を与えて、文化祭の成功のために動いて貰ったら良いんじゃね?」

 

 そこで八幡が、陽乃の主張を全面的に認めるかのような提案を行う。さすがの陽乃も訝しがって、すぐに反応を見せようとはしない。が、思い至ったことがあるようで、それほど間を置くことなく口を開いた。

 

「もしかして雪乃ちゃん、全ての責任を引き受けるつもり?」

 

「ええ、勿論よ。だから姉さんも手伝って」

 

 先程と寸分違わぬ言葉を返して、再び雪ノ下は姉の反応を待つ姿勢に戻った。どこまで本気なのかと、陽乃は眼光鋭く妹を射貫く。だが雪ノ下は身じろぎもしない。

 

「もしもの話だけどね。わたしが文化祭を潰してやるって言ったら、雪乃ちゃんはどうするの?」

 

「簡単よ。その時は、姉さんを潰すわ」

 

「雪ノ下の家のことは?」

 

「関係ないわね。文化祭の成功のためなら、私は引く気は無いわ」

 

 おそらく、ほんの十数秒ほど。しかし当事者たちにとっては数分にも数十分にも思える時間が過ぎて。向かい合っていた姉妹のうち、姉が先に目を逸らした。だがその表情は明るい。

 

「たぶん、発案は比企谷くんじゃないかな。要するにMADをやりたいんでしょ?」

 

「ええ、その通りよ。それで、姉さんの結論は?」

 

 自分が発案者では無いと指摘されても揺るがない妹を見て、これだけ面白いものが見られたなら充分に元は取れたと陽乃は思った。だから端的に、妹に答える。

 

「じゃあ、史上最高の文化祭にしてあげるね」

 

「全体の指揮を執るのは私よ。姉さんは私の邪魔をしないでいてくれたら、それで充分なのだけれど」

 

「もう。雪乃ちゃんはツンデレだなー。じゃあ比企谷くんもガハマちゃんも隼人も、当日はよろしくね」

 

 

 こうして、何とか陽乃の協力を取り付けて。この日の全体会議は今まで以上に盛り上がる結果になった。

 

 

***

 

 

 そして、最終下校時刻まであと半時間を切った頃。仕事に勤しんでいた八幡の肩を、誰かが叩いた。

 

「んっ。って、嫌な予感しかしないんですけど?」

 

「もう。雪乃ちゃんも比企谷くんも、わたしの扱いが適当すぎない?」

 

 それは日頃の行いのせいだろうと言いたい八幡だったが、面倒な反応が返ってくるのは予想できる。だから八幡は曖昧な形で話を流して、首を傾げることで用件を尋ねた。

 

「さっきも言ったけど、あれの発案は比企谷くんでしょ。お陰で色々と面白いものが見られたから、ちょっとお礼でも言っておこうかなってね」

 

 面と向かって話していると、やはり華のある人なのだなと八幡は思う。どちらかといえば目立つことを避けようとする妹とは違って、陽乃はスポットライトに照らされるのが似合っている。普通なら、俺がこんな人と話をするなんてありえないよなと八幡は思うが、そんな男子高校生の心の動きなど陽乃にはお見通しだった。八幡の返答を待つことなく、そのまま陽乃は話を続ける。

 

「それなのにさ。比企谷くんの自己評価が低いままだと、お姉ちゃんちょっと寂しいなーって」

 

「だから俺には妹だけで充分ですって」

 

「じゃあ、妹ならいいんだ。分かったよ、八幡お兄ちゃん!」

 

「普通にチェンジで」

 

 八幡がそう言っても陽乃は気分を害したような気配も無く、そのまま八幡の隣の椅子に腰掛けて考え事に入った。それならどこか別の場所に移動してくれませんかねと言いたいのが本音だが、面と向かって言える勇気はない。それにしても、黙っているとやっぱり似ているなと、本日何度目になるのかも分からないことを八幡は思う。

 

 考察を続けている陽乃をぼんやりと眺めていると、ふと思い出した疑問があった。陽乃の考察が一段落したら尋ねてみようと思いつつじっと見つめていると、視線に気付いた陽乃が首を傾げる素振りを見せた。邪魔をしたかなと少しだけ申し訳なく思いつつ、せっかくなので問いを発する。

 

「その、陽乃さんって、どうしてヒントを出したり情報を教えてくれたりしたんですか?」

 

 それは、話し合いの中で一時的に棚上げしていた疑問だった。そして、今となってはおおよその見当がついていることでもある。だが八幡は、できれば陽乃の口から回答が聞きたいと思った。

 

「そんなの、そっちのほうが面白いと思ったからに決まってるじゃない。比企谷くんも分かるでしょ?」

 

「じゃあ、どうして妹に、事あるごとにちょっかいをかけるんですか?」

 

「さっきはわたしが答えたから、今度は比企谷くんに答えて欲しいなー。どう考えてるのか、お姉ちゃんに教えてくれない?」

 

「そうですね……。戦争があるから、争いがあるから技術が発展するって話があるじゃないですか。だから雪ノ下の……」

 

 教えて欲しいと言ったのは陽乃なのに。八幡が素直に陽乃の言葉に従って、ちゃんと真面目に答えを用意したというのに。陽乃は八幡の発言を途中で遮った。唇に触れる柔らかい指の感触が、今までに体験したどんなものとも違って思えて、八幡は危うく挙動不審に陥りそうになる。

 

 だが八幡のそうした反応も陽乃にはお見通しなのだろう。限界を迎える直前に指は離された。すっかり手玉に取られているなと、大きく息を吐く八幡に向かって、陽乃が悪戯っぽく言葉を告げる。

 

「お姉ちゃん、勘の良いガキは好きじゃないなー」

 

 おそらく、雪ノ下の成長のために。遠い昔に敵役を自ら買って出て、今も変わらず妹を導いているのではないかと八幡は思った。そうでもなければ、大学もあり家の仕事もある陽乃がこんなに頻繁に顔を出すなどあり得ないと。多少は願望も含まれているとは思うが、これが少なくとも真実の一端ではあるのだろうと考えていた。だが。

 

「けど、まだ半分かな。雪乃ちゃんと合わせて一本ってわけにもいかないし……うーん、ギリギリだけど単位はあげようかな。これからも励むよーに」

 

 予想外の宣告に、八幡の頭が真っ白になった。それを見てくすくすと笑いながら、陽乃は会議室の前の方へと去って行く。妹と、そして旧知の後輩が待つ場所へと。

 

 陽乃が目的地に辿り着くまで見送ってしまって、ようやく八幡は再起動を果たした。考えてみれば、あの姉妹のことを分かったつもりになるには、俺にはまだまだ足りないものが沢山ある。だが、足りないものは少しずつ埋めていけば良い。そう思いながら、八幡は仕事に戻った。

 

 

 最終下校時刻の直前に再び陽乃が近付いて来て、生徒会長との会食に同席を求めてきた。八幡はそれを謹んで固辞する。二人で積もる話でもして下さいと告げると、陽乃は膨れた顔をしていたが、どこか嬉しそうにも見えた。やはり生徒会長のめぐりんパワーは凄いのだなと八幡は思う。

 

「じゃあまた今度、埋め合わせでお姉ちゃんに付き合って貰うからねー」

 

「だから埋め合わせも何も……あ、じゃあちょっとだけ、頼まれ事をお願いしても良いですか。会長にも伝言をお願いしたいんですけど」

 

 ふと思い付いたことがあったので、八幡はそれを陽乃に相談してみることにした。どうなるかは当日の成り行き次第だが、面白いことを求める陽乃からも賛同を得られたことで、少しだけ気が楽になる。去年はそんなことを思わなかったのに。今年は文化祭が待ち遠しいなと八幡は思った。

 

 

 水曜日はこうして無事に終わり、翌日の木曜日も全てが順調に進んだ。陽乃からもたらされた情報によって、当日は出たとこ勝負になると多くの実行委員たちも覚悟を決めている。事前に果たすべき支度は全て終えて、こうして総武高校は金曜日を迎えた。

 

 今日から二日間に亘って、文化祭が始まる。




年内にここまでは書き終えたいと思い、気付けば連続の二万字超えになってしまいました。
楽しんで頂けていると良いのですが、文章量が増えて本当にごめんなさい。。

今年の更新はこれで最後です。
年明けは11日頃に更新して、2月は半ば過ぎ(おそらく20日頃)の更新になります。
この時期は月一の更新で精一杯ですので、ご容赦頂けると助かります。

では皆様、良いお年を。
来年も宜しくお願い致します。

ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(12/28)

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