俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 運営委員を漏れなく集めた二回目の会議で、早くも雪ノ下は目玉競技の詳細から仕事の割り振りまでを確定させた。あとはスケジュールに沿って準備に勤しむのみ。

 相模たちにも上手く話を誘導しながら仕事を与えた雪ノ下だったが、その思惑を上回る形で相模グループは和解を果たした。

 そして、体育祭の当日を迎える。



04.くれないと白に分かれて生徒たちは優勝を目指す。

 アジア初のオリンピックが東京で開催されてからおよそ半世紀。その開会式は抜けるような青空だったという話だが、同じ日付のこの日も秋晴れに恵まれた。十月十日の水曜日。総武高校は体育祭の熱気に包まれていた。

 

「さすがに進行の遅れが目立って来たわね」

 

 既に時刻は正午を大きく回り、残された競技もごく僅か。赤組と白組の点差も気になるところだが、運営委員長としての責任感が上回ったのだろう。雪ノ下雪乃が手元のプログラムと時計とを見比べながら、そう呟いた。

 

「でもさ。まだ数分ぐらいの遅れなんだし、ゆきのんはこう、ばーんと落ち着いて……」

 

「由比ヶ浜さん。細かな積み重ねが、気付いた時には大きく膨れ上がっていることも珍しくないのよ。貴女も予算の話では同じようなことを口にするのに、時間には無頓着なのが私にはよく解らないのだけれど」

 

 由比ヶ浜結衣の基準がよく解らないとこぼす雪ノ下に苦笑しながら、比企谷八幡が二人を取りなす。他の運営委員たちは出払っていて、周囲には誰も居ない。

 

「まあ、由比ヶ浜の言う通り、まだ数分単位だしな。それに戸塚に任せるって約束しただろ。現場班の取りまとめ役を初めてやるんだから多少の遅れは出て当然だし、あんま過保護になるのも良くないってお前なら解るだろ?」

 

「この盛り上がりを見る限り、運動部の生徒たちが不満を抱いているようには思えないし、戸塚くんの手腕も問題ないと思うのだけれど。それなのに遅れが出ているのが少し解せないのよ。でも、確かに由比ヶ浜さんや比企谷くんの言うことにも一理あるのよね……」

 

 納得のいかない表情を浮かべながらも、雪ノ下はそれを強引に自分の中に仕舞い込もうとしている。運営委員会と書かれたテントにいる三人に向かって、隣接する救護班のテントから歩いてきた城廻めぐりが話に加わった。

 

「遅れる理由は無数にあるし、今のところ問題と言えるようなことは起きてないと思うけどね。由比ヶ浜さんも比企谷くんも、雪ノ下さんがワーカホリックにならないように、しっかり引き留めておいてねー」

 

 ほんわかと冗談交じりに口にしたものの、本人は割と本気で喋っていたりする。色んな仕事を自ら手掛けようとする雪ノ下の行動力は褒められて然るべきだが、仕事を抱えていないと落ち着かないのであれば度が過ぎている。ましてや、問題点を積極的に探し始めるようなら尚更だ。

 

 進行の遅れは午前中からたびたび話題に出ていて、そのたびに八幡が「気にするな」と宥め、由比ヶ浜が「でーんと座って」「どーんと構えて」などと雪ノ下の手綱を締めていた。それを思い出して頭を軽く振って、雪ノ下は別の話題を口にする。

 

 

「それにしても、この競技も白組が優勢ですね」

 

「ここで負けるとかなり厳しいよねー。何点差になるんだっけ?」

 

「このままだと四五点差ですね。勝負所で葉山に発破を掛けられたのが……」

 

「隼人くんのあれで、白組の勢いが止まらなくなったよね。で、でもさ。まだ目玉競技が残ってるし……」

 

 そんなやり取りの間に決着がついて、赤組は一〇〇点のまま変わらず。一方の白組は一四五点まで延ばした。残るは、目玉競技の二種目のみ。

 

「優勝のためには六〇点を目指すしかないわね。三浦さんたちには申し訳ないのだけれど……」

 

「お前、かけらも申し訳ないと思ってないだろ。全滅させる気満々じゃねーか」

 

 そう言って八幡が突っ込みを入れる隣では、由比ヶ浜が首を傾げている。

 

「え、でもさ。向こうの大将騎が一人ぐらい残っても、こっちが三人残ってれば……」

 

「無理ね。残った大将騎が一人と三人の場合は八点と二二点だから、差が一四点しか縮まらないのよ。点数の低い方を切り下げというルールだったら一六点差になるから、それでも良かったのだけれど」

 

「えーっと、じゃあ……こっちは一人でも残れば良くて、とにかく相手を全滅させないとって話だよねー?」

 

 顎に手を当てながら確認してくる城廻に雪ノ下が頷き、それを見た由比ヶ浜も勝利条件を理解した。念のため話が周囲に漏れない設定にして、八幡を加えた四人はしばし作戦会議を行う。そして。

 

「あ、でさ。ヒッキーは大丈夫そう?」

 

「さあ、どうだろな。まあ、上手く行くとは思うんだが……」

 

「歯切れが悪いのが、勝敗とは別の意味で気になるのだけれど……それでも、不可能とは言わないのね。なら、それで充分よ」

 

 仲の良い二人に加えて更に何人かを巻き込んで、八幡が何やら策を練っていたことを知っているだけに、懸念が先に立つ雪ノ下と由比ヶ浜だったが。方法には不安があれども、「結果を出す」という点では信頼できる。下手に「勝つ」と断言されるよりも、よほど安心できる。

 

「んじゃ、まあ、実況しながら応援してるわ」

 

 二人の心情を理解した八幡は、照れ隠しのようにそう呟いて救護とは反対側のテントを眺めた。女子の目玉競技・チバセンが行われている間は、そこで放送の仕事をしながら過ごす予定になっている。

 

 文化祭の二日目に、行方不明の実行委員長を探すために部室を後にした時と同じように。片手をひらひらさせて歩き出そうとしたところで、掌に軽い衝撃を覚えた。由比ヶ浜がにんまりと頷きながらハイタッチをして来たのだと悟ると同時に、掌に再び衝撃が走った。更にもう一度。雪ノ下と城廻からも気合いを受け取ったのだと理解する。

 

「優勝目指して頑張るって、約束したもんな。だから……頼む」

 

「うん、任せといて!」

「約束は、守るから。期待には背かないわ」

「三〇点とって帰って来るぞー。おー!」

 

 そう言い残して、赤組の大将騎を務める三人は入場門へと去って行った。

 

 

***

 

 

 事前に順番を決めていたわけでもないのに、紅白いずれの陣営も、三人の大将騎を先頭に立てて入場を果たした。先頭を切って登場するのは雪ノ下らしいと言えばらしいが、最後に満を持して登場するのも雪ノ下には似合いそうだよなと、八幡が益体もないことを考えている傍らでは。

 

『いよいよ赤組と白組の全騎馬がグラウンドに集まって、なんだか壮観って感じだべ。どちらも整然と配置を整えてるように見えるけど、えーと、隼人くーん?』

 

 雪ノ下から「話す内容はともかく、賑やかなのは良いことだ」と抜擢された戸部翔が、放送の仕事を頑張ってこなそうとしていた。口上の前半には実況らしいことを喋ろうとしているのだが、後半では普通の喋り口調になっている。

 

 そうした良く言えば等身大の実況は、生徒たちの認識や疑問をそのまま反映したものになっていて、概ね好意的に受け取られていた。現に今も「両軍の布陣にはどんな意図があるんだろう」という大勢の疑問を代弁する実況を耳にして、生徒たちはうんうんと頷きながら放送席の葉山隼人に視線を送っている。

 

『俺が白組で、ヒキタニくんが赤組だからさ。競技中の生徒には実況の声が伝わらないはずだけど、念のために、主に敵陣営の解説を担当し合うってのはどうかな?』

 

『ああ、確かに作戦をばらされたら興醒めだからな。んじゃ、俺は白組の意図を考えれば良いってことだな?』

 

 プロの仕事であれば「事前に決めておけよ」と文句が出るかもしれないが、こうした何気ない打ち合わせですらも高校生たちの盛り上がりを促進させる。

 

 それぞれが発言を終えるたびに歓声が沸き起こるので、思わずびくっと身体が動いてしまう八幡だったが、頭は意外と冷静だ。生徒たちがグラウンドの各所に散らばって、両軍の動きを注視しているために。つまり放送席を取り囲まれるような状態には程遠く、緊張せず普段通りに話せる環境だからだろう。

 

『じゃあ、俺が言い出したことだし、先に赤組の意図を探ってみようか。当初は結衣が中央で、右に雪ノ下さん、左に城廻先輩の布陣だと思ったんだけど、ちょっと予想外だね』

 

『雪ノ下さんがさっさと配置を終えたと思ったら、単騎で結衣の隣に移動するとか、そんなの予想できるわけないっしょ!』

 

『これ、右翼の指揮は誰かに任せて、一番人数の多い中央の軍勢で押し潰す作戦かな。しまったな、ヒキタニくんの考えを聞きたくなって来たよ』

 

『まあ、俺からはノーコメントだと言いたいところだが……見てすぐ判る事実ぐらいなら良いか。右翼は雪ノ下が布陣しただけあって、J組とか文化祭の渉外組とか子飼いの連中が多めだな。左翼も三年とか生徒会の繋がりとか、城廻先輩の身内が中心と。んで、顔の広い由比ヶ浜がその他の全騎を率いるのかと思いきや、雪ノ下が並んで立ってるのが不思議だなーって感じか』

 

 大将騎には旗持ちが付き従っているので、どこに居るかが一目で判る。軍勢を三つに分けてそれぞれを指揮するものだと思い込んでいた生徒たちは、雪ノ下と由比ヶ浜が並んでいる姿が不思議でならない。

 

『その構成を聞くと、雪ノ下さんが子飼いを率いて右翼から、自らが先頭に立って切り込む配置だとしか思えないな。ほら、イッソスでアレクサンドロス大王がやったみたいにさ』

 

『まあ、白組の配置を考えると、カイロネイアじゃないわな……あ。先にちょっと白組の布陣を解説しとくか。これ、チバセンの勝ち負け以上に総合優勝を狙ってるってことだよな。たぶん海老名さんの采配だと思うんだが、軍勢を縦並びにして全体としては逆三角形の形か。手勢が一番多い三浦が第一陣、それに漏れた連中を率いる川崎が第二陣、んで海老名さんが趣味の繋がりで集めた少数精鋭に守られる配置か。白組は大将騎が一騎でも生き残れば、それで総合優勝が決まるんだったよな?』

 

『そこまで考えて作戦を立てるって、海老名さん流石っしょ!』

 

『軍勢を三つ横並びにしたら、指揮系統の隙を突かれて各個撃破される可能性があるからね。姫菜はこの手の戦術の話が好きみたいでさ。守備に徹するなら徹するで、割り切って考えるだろうね。そういえば、カイロネイアではアテネ軍とテーベ軍を分断して、先にテーベ軍を壊滅させたんだっけ?』

 

『まあ、アテネ軍もフィリッポス二世の罠に嵌まって勝手に壊滅してたけどな。カレスのどこが英雄だよって言いたくなるけど、その後のアテネの指導者連中を見てると遙かにマシだったんだなって思えるのが辛いよな』

 

 なかなか続巻が出ない漫画のことを思い出しながら、八幡が雑談に流れそうになっている。このまま話を続けたい誘惑を、しかし葉山は断ち切って話題を戻す。

 

『赤組の戦術に話を戻すけどさ。相手の布陣を見て各個撃破は無理だと悟ったのなら、なおさら包囲殲滅を目指しそうなものなのに。雪ノ下さんが速攻に出ない理由が判らないな』

 

『あれだろ。三浦から見た左翼を抜いて白組の背後に回り込んでも、海老名さんなら対策を立ててるだろうからな。たぶん自分が円の中心になるように布陣を変更して、時間切れを狙うんじゃね。包囲が完了しても、最後の一人まで殲滅するのは時間が掛かるからな』

 

『やっぱ海老名さんすげーっしょ。あ、でもさ。総合優勝を狙ってるのに、最初からその形で布陣しないのはなんでだべ?』

 

『初手から完全防御態勢って、なんかイメージ悪いしな。そもそも、守備ありきの布陣で三浦を納得させてるだけでも大したもんだし、自軍の士気をこれ以上下げるわけにはいかないだろ?』

 

『ちょ。ヒキタニくん、海老名さんの考えを理解しすぎっしょ!?』

 

 せっかく疑問に答えてあげたというのに、なぜだか警戒されている八幡だった。そんな戸部の過剰反応を軽く流して、葉山が話をまとめにかかる。

 

『普通に考えれば、雪ノ下さんは序盤で消耗戦を狙ってるんだろうね。ある程度の数を減らしたところで一気に速攻に出る可能性があるから、赤組は「雪ノ下さんの動きに注目」って感じかな』

 

『ほいじゃ、白組は「大将騎の使い方に注目」かね。三浦が個の能力に優れているのは知れ渡ってると思うんだが、川崎も空手をずっとやってたわけだし侮れない気がするんだよな。集団戦の話ばっかしてたけど、最後には個人の能力が物を言うからな』

 

『へえ。川崎さんが空手をやってたなんて初めて聞いたよ。ヒキタニくんの情報網も侮れないね』

 

『言っとけ。妹が塾で教えて貰ってるから、色々と話を聞くんだわ。俺としては授業の内容とかを知りたいのに、バイト教師の話ばっか振ってくるんだよなぁ。まあ、授業を聞いてないのを誤魔化してるのはバレバレなんだが』

 

 千葉村で会った記憶を呼び起こしながら「それとは別の意図もありそうだけど」と思う葉山だったが、それを口にするのは自重した。いくら八幡がその手の話に鈍いとはいえ、そのうち気付くだろうと考えながら。

 

『おっ、準備が整ったみたいだべ。いよいよ今年の目玉競技、女子生徒全員が参加する千葉市民対抗騎馬戦、略してチバセンが始まりまーっす!』

 

『開始の合図は平塚先生が担当するみたいだね。奉仕部の部員としてヒキタニくん、何か一言どうだい?』

 

『法螺貝が実によく似合っていますね。あと、どうして今日も白衣を着ているのでしょうか?』

 

 そんな八幡の発言に抗議するかのように、大きな音がぶおおおおと響き渡る。そして、合戦が始まった。

 

 

***

 

 

 序盤は解説陣が予想した通り、赤組が攻め白組が受けるという構図で進んだ。

 

 中央の大軍勢を率いる雪ノ下は、由比ヶ浜と上手く分担しながら指揮を執っていた。基本的には三騎を一組にして、両軍がある程度の距離まで近付いたところで突進・援護・実行の三行動で敵の騎馬を減らしていく。突進役は相手の隊列を乱すことだけに、援護役はその騎馬が討ち取られないように、そして実行役は目に付く順に敵騎を無力化することだけに専念する。

 

 どの場所からどの組を動かして、あるいはどのタイミングで撤退させるのか。その全ては大将騎の指示にかかっている。雪ノ下はロジカルに攻撃的にそれを執行し、由比ヶ浜は場の雰囲気を読んで自軍の綻びが最小限で済むように守備的にそれを遂行していた。二人は阿吽の呼吸で各組の指揮権を委譲し合い、この上なく効率的に敵の数を減らしていった。

 

 序盤における両翼の役割は、端的には突破されないこと。味方全体が包囲されないように、中央軍と歩を合わせて移動しながら、相手に備える。だが今のところは大した攻撃も受けず、左右は平穏を保っていた。

 

 左翼を率いる城廻、そして右翼を率いる渉外部門の三年生(取材を受ける直前に、文化祭のスローガンを決めるために動いて貰った顔の広い先輩だ)、そのいずれもが雪ノ下の戦術を理解しているので、先走った行動に出ることもない。

 

「時間を掛けて慎重に進められるのは、こっちとしても望むところだけどね」

 

 だが、制限時間を最大限に意識した戦術を組み立てている海老名姫菜は、そんな赤組の攻勢を見ても怯むことはない。雪ノ下を相手に戦術を競えるだけでもわくわくする。それに加えて、白組が総合優勝に王手をかけているこの状況ゆえに、雪ノ下はきっと本気で勝ちに来るだろう。そんな相手と矛を交えることができる。

 

 だから海老名は、一瞬たりとも気を抜かない。自軍の被害は拡大しているが、三騎が一組という仕組みにもようやく慣れてきた。程なく小康状態を迎えるだろう。敵両翼が手持ち無沙汰な状況にも不満はない。相手の騎馬を少しでも多く遊ばせておくことは、時間を味方にできる白組にとっては、下手に数騎を討ち取るよりも遙かに価値が高いからだ。

 

 

「そろそろ目くらましが必要かしら?」

 

 海老名と同様に小康状態の気配を感じ取った雪ノ下は、ここで更なる攻勢に出た。三騎一組の動きに加えて、今までの攻撃で二騎や一騎に減っていた組を一団にして、敵陣中央に突進させた。赤組の攻撃に慣れてきた頃合いだっただけに、白組に混乱が広がる。

 

 ここぞとばかりに三騎一組の援軍を惜しみなく投入したので、気付けば前線では敵味方が入り乱れる構図になっていた。そんな中で、モブたちが必死に闘いを繰り広げている。

 

「これで二対一だよ。体育祭で怪我をするなんて嫌だよね?」

「たしか相模さんだよね。大人しく降参したら?」

「えっと、遙とゆっこだっけ。少し前のうちなら降参してたけどさ。今のうちは、ちょっと違うよ?」

 

 それで二騎を屠れば格好良かったのだが、一人目こそ倒したものの二人目は相打ちになってしまった。だが相互リタイアという形になりながらも、最低限の仕事を果たした相模南は満足そうな表情だった。そして。

 

「三浦さんへのルートができたわね。打ち合わせ通り、挑んでみてくれるかしら?」

 

 雪ノ下に背中を押されて、一騎が白組の第一陣最奥へと突撃する。そこで待つのは、白組が誇る大将騎の一角・三浦優美子。対するは、一年生ながらも不敵な面構えで、三浦と向き合ってもまるで怯む気配のない、一色いろは。

 

「三浦先輩。ちょっと足止めさせてもらいますね〜」

 

 純粋に一対一で勝利を競うのであれば、一色に勝ち目は無い。だが乱戦の中での顔合わせで、かつ一色に勝つ気が無いのであれば。つまり負けないことに集中するのであれば、時間を稼げる。

 

 三浦と一色がともに葉山に御執心なのは有名な話だ。だから何となく、周囲の女子生徒たちは二人の闘いを遠巻きに見てしまう。新たな敵の襲来には既に対処ができていて、もはや三浦のもとまで辿り着かせるような隙は無い。一騎で敵陣に侵入している以上、数に物を言わせて包み込めばそれで終わりなのに。つい、三浦と一色の対峙を見守ってしまう。

 

「なるほど。川崎さんが動きかけて、途中で引き返したわね。おそらく私が出撃した時には、三浦さんと川崎さんの二人で確実に仕留めようと考えているのだろうけれど……」

 

「ゆきのん、約束を守るのが一番だからね?」

 

「ええ、解っているわ。だから由比ヶ浜さんも、予定通りにお願いね」

 

 正面から二人に挑みかかりそうな気配を感じて、由比ヶ浜が静かに雪ノ下に釘を刺す。少しだけばつの悪い思いがして、ちらりと時間を確認すると、既に半ばに差し掛かっている。一色のお陰で海老名の意図を幾つか確認できた。今のところ、作戦に変更の必要は無い。そう思いながら、再び闘いに目を向ける。

 

 実質的には捨て石扱いだが、予想以上に持ち堪えている。由比ヶ浜が提案した「ゆきのんの手作りディナーのフルコース(調理時の見学および質問可)」という条件に迷いなく食い付かれた時には逆に困惑したものの、三浦と騎馬戦を繰り広げている今の一色からは、それとは別の何かが伝わってくる。三浦に勝つことではなく、三浦と闘うことそれ自体が楽しいとでもいうような、そんな気配が。

 

「う〜ん、負けちゃいましたか……」

 

 終盤戦に備えて配置の変更を指示しながら眺めていると、遂に決着がついた。最後まで乱入こそされなかったものの、二人を取り囲む輪は少しずつ狭まっていた。そのせいで逃げる場所に窮した一色が捨て鉢で反撃に出たものの、落ち着いて対処された結果だ。

 

「おかげで、あーしの身体も温まったし」

 

 そう口にしながら、三浦は敵の大将騎を睥睨する。誘いを受けた雪ノ下は頬を緩めて「すぐに行くわ」と小声で呟くと、踵を返した。そのまま、自らの股肱が待つ右翼へと騎馬を進める。

 

 後を託された由比ヶ浜がいったん兵を引いて、辺りは一瞬だけ静寂に包まれた。そして。

 

 ()()()()()()()()()()()を引き連れて、敵陣を目指して動き出した雪ノ下に合わせるように、中央と左翼でも大攻勢が始まった。

 

 

「ま、時間的にはそろそろだよね。こちらの大将騎を全滅させるには残り時間が多いほど良いし、雪ノ下さんの体力を考えると残り時間が少なくなるまで待つ方が良い。その両方を満たすのが今ってわけだ。でもさ、ここまでは私も織り込み済みなんだよね」

 

 そう呟いて、海老名は迎撃の準備を整える。

 

 まず雪ノ下に対しては、もちろん三浦を充てる。だが、討ち取る必要は無い。最後まで一対一で遊んでくれたら万々歳だし、その練習は赤組が勝手に手配してくれた。先程の一色の動きは、三浦にとって大いに参考になるだろう。

 

 中軍を率いる由比ヶ浜は、守勢でこそその本領を発揮できる。だが攻撃の指揮を執るには、その優しさがあだとなる。自軍の綻びと同様に、敵軍の綻びも容易に察知できるだろうに、そこを効果的に突くことが由比ヶ浜にはできない。

 

「できれば結衣には、このままで居て欲しいけどね」

 

 そう口にした海老名は一瞬だけ、あの二人とは隔絶している自身を意識して、それを嫌悪する。だが、この感情を抑えるのは慣れている。すぐさま気持ちを切り替えて、対応の続きをする。

 

 中軍への対策は、単なる消耗戦だ。こちらの軍勢は、大将騎を配さない烏合の衆。それを相手にした泥沼の乱戦に付き合って貰いながら、時計の針を進める。

 

 そして敵左翼には、()()()()()()()()()()()。もしもこれを読まれていたら、万事休すだ。このチバセンにおいて、海老名にとっての秘中の秘。それは「最後まで生き残らせる大将騎は自分では無い」ということ。自分よりも個人の戦闘力で上回る川崎沙希を中心に、十重二十重の囲いを作る。それが海老名の奥の手だった。

 

 三浦と一色が闘っている時に川崎を動かしたのを、雪ノ下は見てくれただろうか。あれが単なるブラフに過ぎないと、見破られてはいないだろうか。自らを囮にしてでも川崎の役割を隠しとおすことが、このチバセンでの海老名の最大の目標だったのだ。それは果たして、上手く行っただろうか。

 

 趣味を同じくする頼もしい同胞たちを引き連れて、海老名は城廻を迎え撃つために出陣した。海老名の見立ては大枠では間違っていない。海老名の意図も見破られていない。だが、海老名が見落としていたのは……。

 

 

 猛烈な勢いで砂煙を巻き起こしながら、雪ノ下の騎馬が駆ける。いったいどれほどの軍勢を引き連れているのか、目視できないほどだ。

 

 白組の背後に回り込んで包囲せんと動くその騎馬隊の前に、待ち受けるのは三浦とその精鋭。三浦が時どき練習に付き合っている女子テニス部の面々や、テニスコートに近い場所で練習している運動部の生徒たちで構成されている。中でも女テニの部長は三浦とは中学からの付き合いで、「一対一の闘いは尊重するけど、もしも三浦が劣勢に陥った時には乱入する」という条件を呑ませたほどの間柄だ。

 

 大将騎の生死は、この競技の結末を大きく左右する。だから三浦以外の面々は海老名の指示に従って、雪ノ下をここで止めることに、そして三浦を討ち取られないことに専念すると決意していた。睨み合う形になればベストで、雪ノ下を討ち取ろうとか軍勢を全滅させようなんて考えは論外だ。ゆえに彼女らは、雪ノ下以外の騎馬にはほとんど注意を払っていなかった。

 

 雪ノ下の初手は、自分を葬ることか。それとも自分たちを迂回して包囲を完成させることか。どちらに転んでも対処できるようにと心の支度を調えて、三浦は油断なく身構える。しかし、答えはそのどちらでもなかった。

 

 自軍に向けて一直線に進んできた雪ノ下は、直前で方向を変えた。だが、この場から立ち去ることはせず。動揺する三浦たちの周囲を、勢いを落とすことなく一回りした。それは文字通りに鎧袖一触。たちまち友軍が半減する。

 

 そして、息つく暇もなく二回り目。ようやく三浦が事態を把握した時、周囲にはほんの数騎しか残っていなかった。だがそれは、動きを止めた雪ノ下も同様。砂煙の背後に大軍勢を予想していた三浦たちだったが、あにはからんや。雪ノ下はわずかな供回りしか連れていなかった。

 

「これで、だいたい同じぐらいかしら。貴女のお誘いを受けて、勝負に来たのだけれど。数で押し潰されては興醒めだから、少し間引かせて貰ったわ」

 

「どっちみち、一対一の予定だったから関係ないし」

 

 まるで悪役のようなセリフで挑発してくる雪ノ下と正面から向き合って、それでも三浦は怯まない。唖然としている女テニの部長に「勝負の邪魔をされないように、頼むし」と言い残して(もはや加勢の機を窺えるような状況ではない)、三浦は雪ノ下に向けて騎馬を進めた。

 

 

 二年J組の同級生を数騎残して、雪ノ下は右翼にいた騎馬のうち城廻と繋がりがある生徒は左翼に、それ以外は中軍に移動させた。その動きを白組に見破られないように、移動距離が長い者たちから少しずつ動かすと同時に、中軍の右翼に近い生徒たちを一時的に組み入れるなどしてカモフラージュしていた。

 

 結果的には左右両翼に敵を迎える事態にはならなかったが、その可能性がある以上は、布陣の時点からダミーの軍勢を仕立てるのは無謀だろう。それに白組の陣形によっては合戦の冒頭から、そのまま全軍を率いて突撃する手も有り得た以上、戦闘と平行して人員構成を変更するのは必須だった。

 

 雪ノ下は動き出すギリギリまで、味方に中軍と両翼とを行き来させて、数の変化を見破らせなかった。だから、城廻の軍勢が数を大きく増やしているのを海老名は見落としてしまった。そして、文化祭ではクラスの出し物に集中していたために、つまり城廻と生徒会役員の絆を目の当たりにしていなかったがために。趣味によって繋がった自分たちに匹敵するほどの一体感を誇る、城廻の騎馬隊の実力を見抜けなかった。

 

 城廻にしても海老名にしても、個人の運動能力という点では平均かそれ以下のレベルでしかない。二人はともに、集団を扱ってこそ本領を発揮する。

 

 だが、海老名が戦術や人の心理にも詳しく大勢を指揮する能力に秀でているのは、趣味という防壁を越えて少し突っ込んだ話をしてみれば誰にでも解ることだ。海老名は自らの優秀さを、別に隠してはいないのだから。

 

 それに対して城廻は、集団を率いるための目に見えた才覚などは持ち合わせていない。事務能力に長けているわけでもなく、専門知識が豊富なわけでもない。それでも、一緒に働いてみればすぐに解る。色んな物事がスムーズに動いてストレスなく働ける環境に、どれほどの価値があるのかを。各種の能力テストなどでは決して測れない、けれども人を率いるためには必要な才覚を、城廻は確かに有している。

 

 最初にその能力を見出したのは、雪ノ下陽乃だった。そして今や城廻は、雪ノ下姉妹の両方から一目置かれるという、嬉しいんだか嬉しくないんだか悩ましい扱いすら受けている。個の能力としては平凡な城廻だが、物事をありのままに受け取る性格が、自らの至らぬ点を理解して素直に他人を頼る姿勢が、周囲の人材を輝かせることに繋がっているのだろう。

 

 それは今も、体育祭の舞台でも有効だ。

 

 左翼から白組の背後を目指した城廻の騎馬隊は、海老名が率いる軍勢に待ち伏せされていることを悟った。その刹那、瞬時に隊列が動いて、城廻を守るような配置にシフトする。そのまま足を止めて敵陣を窺うと、騎馬を整然と並べてこちらを迎え撃たんとする海老名と目が合った。

 

 敵ながら天晴れなその布陣を見ても、城廻たちに恐れはない。なぜならば、彼我の数の差は倍以上。開戦時から左翼にいた人数に加え右翼の半数を吸収した彼女らに対して、もともと少数精鋭だった海老名の部隊は、圧倒的に不利な状況に置かれていた。

 

「雪ノ下さん、引き連れてるのは数騎だけって……それは読めないなー」

 

 遠方をちらりと見やって、目の前の軍勢がどこから補充されたのかを悟る。だが唇を噛みしめながら呟いてみても、今となっては手遅れだ。整然と撤退するような余裕は与えてくれないだろうし、ならば最善の行動は、稼げるだけの時間を稼ぐことのみ。囮としての価値は、まだ充分に残っているはずだから。

 

 数の力で押し潰されるのを少しでも先に延ばすための、苦しい闘いが始まった。

 

 

 自軍の左方では三浦と雪ノ下、右方では海老名と城廻が直接対峙している。それらを交互に眺めながら、川崎はどちらかに不利な徴候が見られた時にはすぐに駆け付けられるように、事実支度を調えつつ。同時に、自らの周囲に防御陣を布くタイミングを窺っていた。

 

 この競技における川崎の役目は、「最後まで生き残ること」その一点のみ。それを聞かされた時には随分と渋ったものだが、最終的に海老名の案に同意した以上は、その役割を全うすることに異存は無い。

 

 とはいえ、たとえスタンドプレーであっても「大将騎を助けられる」と思えた時にはそこに急行する。明言こそしなかったものの、川崎がそう考えているとは海老名も了解していたはずだ。その代わりに、川崎は「大将騎を討てると思えた時でも出撃しない」ことを自らに課していた。それも海老名には伝わっていて、むしろ「動こうかと演技するぐらいでお願いね」などと言われている。その依頼は先ほど果たした。

 

 三浦と海老名は目に見えて劣勢ではあるものの、赤組の猛攻をよく凌いでいた。自分が加勢に行く代わりに、軍勢を割いて援軍を向かわせることも考えたものの。彼女らの部隊が高度な連携を披露しているのを見ると、それも憚られる。それに人員を割くということは、自らの守りを薄くすることを意味するからだ。

 

 中央に目を向けると、由比ヶ浜率いる赤組最大の軍勢が自軍を侵蝕していた。その勢いを考えると、他所に援軍などと考えていられる余裕は無さそうだ。大将騎の三浦が去った後の第一陣が、赤組に飲み込まれていくのを確認して。川崎は自軍の騎馬全員に、防御陣を布くことを下知した。

 

 

 三浦は雪ノ下に対して攻勢に出ようとはせず、手数を繰り出しながらも相手に隙を与えない闘いに終始していた。

 

「貴女が亀のように首を縮めているのは珍しいわね」

 

 そうした挑発を何度か受けたが、それでも三浦は方針を変えない。

 

 一学期に行われたテニス勝負にて、コート内における最優秀選手は自分だったと三浦は今なお思っている。だが、勝負には負けた。自分が実力を発揮して、葉山が適切にサポートしてくれれば、それ以上の作戦など必要ないと思っていたのが原因だ。

 

 確かに才能という点では雪ノ下に及ばないだろう。それは認める。だが中学の三年間という時間をテニスに捧げた三浦は、自らが過去に積み重ねたものに自信を持っていたし、それ自体は間違っていなかったとあの試合で確認できた。いかに雪ノ下が天賦に恵まれていても、そこに時間を費やさなければその素質は開花しない。

 

 今、三浦と雪ノ下の立場はあの時とは逆になっている。おそらく護身術とかその類いだと思うのだが、純粋な戦闘力という点ではあちらが上だ。雪ノ下と比べれば三浦はただ、運動能力にまかせてごり押ししているに過ぎない。素養も、そして費やした時間と労力も、あちらが上。それらを認めないようでは、瞬殺されるのがオチだろう。

 

 だから三浦はその評価を受け入れた上で、自分にできる最大限を模索した。その結論は海老名と同じ。雪ノ下を中央の戦闘に参加させないように僻地で引き留めておくこと。そして、その目的はほぼ果たされている。

 

「もう、時間が無いし?」

 

 三浦は相手と少し距離を取って、ちらりと時間を確認した。わざわざ口に出して伝えたので、向こうも状況を把握したことだろう。今からどんなに急いで騎馬を走らせても、雪ノ下が川崎との戦端を開くには距離が離れすぎている。

 

 一つだけ意外だったのは、川崎が加勢する可能性をまるで警戒していないように見えたこと。だがそれも、雪ノ下の性格を思えば即座に解決した。その場合はきっと、「二人まとめて返り討ちにすれば手間が省ける」などと考えていたのだろう。だから、そんな状況を作らせず川崎の温存に成功した海老名の作戦勝ちだと、三浦は思っていた。

 

 

 たしかに雪ノ下は、海老名の戦術を見破れなかった。とはいえそれは、見破る必要が無かったとも言える。

 

 赤組からすれば、最後に残るのが海老名であれ川崎であれ、白組の大将騎を全滅させる以外の選択肢は無い。だからこそ、作戦の基本はシンプルなものだ。率いる軍勢の多寡を問わず、自他の大将騎が直接ぶつかり合う状況に持ち込むこと。ただし、全勝できる形にすること。その目的の為に、消耗戦なり捨て石なり背後に回り込む動きなりを利用した。

 

「では、遊びの時間はおしまいね」

 

 そう告げる雪ノ下に呼応するかのように、三浦が初めて攻勢に出た。ここまでで、三浦は見事に己の責務を果たした。逸る気持ちを必死に抑えて、役柄を全うした。もはや残り時間を考えれば、三浦が討ち取られようが生き残ろうが、大勢は変わらない。だから、挑む。

 

「この瞬間を待ってたし」

 

 勝負は一瞬。だがその内実は、結果ほどには一方的なものではなかった。地道に手数を重ねたこと、最初に麾下の軍勢を減らされたことは、雪ノ下の体力を削る効果があった。

 

『空気投げ?』

『いや、隅落か?』

 

 解説が混乱するのも無理はない。それほどに見事な技を披露しながらも、雪ノ下は複雑な表情を浮かべている。なぜならば、この技は相手の力を利用するのがその真髄なのだから。三浦の動きが、気迫が侮れないものだったからこそ、雪ノ下はこの技を出さざるを得なかったのだから。

 

 地に落ちた三浦の鎧が砕けて、ナース姿が露わになる。果たして一騎打ちに対してなのか、それともコスプレに対してなのかは判らないが、勝負を見守っている男子生徒の間からこの日一番のどよめきが起きた。

 

 

 実況や解説の声は、騎馬を維持している生徒たちには伝わらない。だが、観客の声は届く。

 

 海老名は状況を視認することなく、三浦の敗北を受け入れた。この半年に亘る付き合いで、彼女の性格は知悉している。きっと役割を果たした上で、真っ向から勝負を挑んだのだろう。ならば私も、現状の最適解を貫こうと海老名は思った。

 

 ここまでの戦闘で、城廻が率いる騎馬隊の実力は骨身に染みるほど理解した。あちらは会長に捧げる忠誠心、こちらは腐った趣味に捧げる忠誠心。驚くことにそれらは拮抗している。まさか、自分が率いるこの面々と、同程度の練度を持つ軍勢がいるとは思ってもいなかった。

 

 集団の指揮という点ではこちらが上、だが士気という点では残念ながら向こうが上だ。手勢の動かし方は平凡だが、動きの鋭さでカバーされていると言うべきか。バフが毎ターン重なる敵と戦っているようで、せっかくこちらが会心の攻撃をお見舞いしても、通常攻撃ですぐさまチャラにされる繰り返しだった。

 

 そして何よりも、数の差が大きく物を言っていた。三浦に続いて自分が討ち取られるのも時間の問題だ。それに、逃げられるような隙も最初から無かった。だが局所の結末は同じでも、ここまで粘れば城廻の部隊は中央の戦闘には参加できないだろう。戦場を俯瞰すれば、海老名が時間を稼いだ価値はあったはずだ。

 

「海老名さん、討ち取ったりー」

 

 鎧の下に着ていた巫女服が露わになる。城廻のこうしたノリも初耳だなぁと思いながら、海老名はここまでの自分の動きに、采配に満足していた。陰陽師モノも囓った私が推測するに、他人を思いやってしまう由比ヶ浜では川崎の防御陣を抜くことはできないだろう、などと考えながら。

 

 さすがに全ての生徒を統率するのは難しいもので、激闘を制した城廻に白組の騎馬が幾つか挑みかかっている。大将首を狙っているのだろうが、そんな奇襲に屈するような相手では無かったはずだ。味方ながら無駄な努力をしているなと考えながら、中央の戦闘に目を向けて。海老名は、自軍の劣勢を知る。

 

 

 中軍を預かった由比ヶ浜は生き残った騎馬を密集させて、力強く前進させた。由比ヶ浜が川崎に至る道を作るために。それも五分の条件ではなく、相手を総崩れにさせて、その勢いに乗った状態で対峙できるように。

 

 とはいえ雪ノ下も懸念し海老名も予想していた通り、由比ヶ浜は攻撃を徹底させることができない。自軍の被害を抑えようとしてしまうから。そして、敵軍の被害も抑えようとしてしまうから。時間が迫っているのに、つい安全を重視して手を緩めてしまう。

 

 それでも、あるいはそれ故にか、麾下の騎馬軍団は抜け駆けなどの気配もなく由比ヶ浜の指揮に従っている。勝ちを焦って無謀な行動に出る騎馬や、指揮官を見限るような騎馬は一騎たりとて存在しない。

 

「あ、またゆきのんの方に……」

 

 そんな由比ヶ浜が積極的な采配をするのは、決まって両翼に変化が起きかねない時ばかりだった。雪ノ下が三浦と、城廻が海老名と対決しているその現場に、土足で踏み入る敵には容赦しないと宣言するかのように。この時ばかりは何の遠慮もなく、味方を効率的に動かして敵を屠っていた。

 

 守勢でこそ本領を発揮するという海老名の評はおそらく正しい。そのお陰で、雪ノ下と城廻は勝負に専念できたのだ。とはいえ攻守を明確に分断できるような競技はさほど多くなく、両者が密接に繋がっていることも珍しくない。それは、このチバセンでも同じこと。

 

 両翼の決着を見届けて、残り時間を確認した由比ヶ浜が「被害には目を瞑って総攻撃に出るべきだ」と決断を下そうとした、まさにその瞬間。

 

「ゆきのん……あ、城廻先輩も……」

 

 勝負を制した二人に向かって、ほど近い距離にいる敵勢が動き出そうとしていた。これまでを遙かに上回る数だ。おそらく残り時間を見て、大手柄を立ててやろうと考えて勝手な行動に出たのだろう。もともと三浦に置いて行かれた軍勢だけに、指揮系統が機能しているとは言いがたい状況だったのも影響したのだろう。

 

 きっと、この決断は間違っている。そう考えながらも迷いは無かった。

 

 前線に近い位置まで移動していた由比ヶ浜は、正面への突撃を命じるのに代えて、自軍の両翼を敵遊軍の殲滅に向かわせた。数に物を言わせて突撃するはずが、わざわざその数を減らして。相手を押し包むはずだった陣形も乱して。それでも由比ヶ浜は己の責務を忘れていない。

 

 由比ヶ浜の目的は、川崎を討ち取ること。けれども、せっかく相手の大将騎を沈めた雪ノ下と城廻が今さら討ち取られてしまうのは嫌だ。そして、目の前にはそれらを両立できる一手があった。

 

 このまま敵陣への突入を敢行すれば、白組の注目は自分に集まる。既に両翼に向けて動き出した敵軍は引き返しては来ないだろうが、二人がこれ以上狙われることもないだろう。だって、自分という的がわざわざ近寄って来てくれるのだから。それに、今の援軍で左右の備えも大丈夫なはず。

 

 だから由比ヶ浜は後顧の憂いなく、行動に出る。敵を攻撃するためというよりは、むしろ味方を守るために。そうした気持ちを過たず理解して、仲の良い面々が続々と、最前線に集まって来た。彼女らに向けて破顔して、そして由比ヶ浜は。

 

「じゃあ、突撃ーっ!」

 

 号令と共に自らも、敵陣に向けて放たれた矢の一つになった。

 

 

 自分に向けて一直線に向かってくる由比ヶ浜を、川崎は眩しいものでも見るかのように、目をすがめて眺めていた。なぜかは解らないが、きっと自分はあの軍勢に討ち取られるのだろうと思ってしまった。そんな弱気を何とか気力で抑える。

 

 左右に目をやると、勝ち残った敵の大将騎に味方が数騎挑んでいる。だが大金星は不可能だろう。由比ヶ浜が手配した援軍が、彼女らのすぐ背後まで迫っているからだ。

 

 両翼を援軍に出したことで赤組の陣形は、当初はV字型の鶴翼の陣に近かったのだが、中軍が前に出たこともあってΛ型とでも言えば良いのだろうか。つまり偃月の陣に近い形になっていた。意図してそうなったわけではないけれども、突撃を敢行するには最適な陣形だ。

 

 対する白組は、完全な方円陣というわけではない。背後からの脅威が無いのだからそちらへの備えを薄くした結果、むしろ三角形の底辺に大将を配する魚鱗の陣に近い形だ。これは鶴翼の陣には相性が良いことで知られている。もしも由比ヶ浜が先程の陣形のまま突撃していたら、中軍を抜かれて返り討ちに遭っていた可能性もあった。

 

 赤組に何があったのかは川崎には分からない。だがその一体感といい勢いといい陣形といい、先程とは比べ物にならない。

 

 それでも、先頭に立つ由比ヶ浜を討ち取れば状況は劇的に変わると思われた。雪ノ下も城廻も、中央の闘いに参加するには距離が離れすぎている。だから由比ヶ浜をと、白組の誰もが考えて行動に出たのだが。

 

 由比ヶ浜が窮地に陥るたびに赤組の誰かが身代わりに立って。誰一人由比ヶ浜を討ち取ることも、勢いを緩めることすらできない。

 

「一人で千を相手にする気分だよ……」

 

 そう呟いて、川崎は支度を調える。白組の最後の大将騎として、無様な姿は見せられない。

 

 

 由比ヶ浜は、自分の代わりに討たれていく騎馬を余さず記憶に留めて、それでも突撃を中止しようとはしない。きっとこれが最後のチャンスだ。もはや大将騎の自覚も捨てて、ただ相手に食らいつく牙の一つとして己を意識する。もしも自分が倒れても、別の誰かが倒してくれれば良い。そう考えながら。

 

 そんな由比ヶ浜の姿勢が全軍に伝わったせいか、その騎馬部隊は破竹の勢いで白組を蹂躙していく。

 

 もはや勝負は見えた。海老名は静かに目を瞑り、三浦は不機嫌そうに空を眺める。そして。

 

 川崎に向けてなだれ込んだ軍勢の中で、功を上げたのは先頭の大将騎。

 

 

『チバセンは、赤組の勝利でーっす!』

 

 実況の戸部の声が、周囲に響き渡った。




次回は一週間後に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
細かな表現を修正しました。(8/3)

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