俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回までのあらすじ。

 戸塚とともに葉山グループに呼び出された八幡は、「修学旅行で海老名に告白する」という戸部の意思を伝えられた。雪ノ下に相談があると語る戸部に。早く家に帰りたい八幡は「雪ノ下なら一刀両断にしてくれるだろう」と期待して、週明けに部室に来るようにと告げる。

 葉山たちが由比ヶ浜を足止めしている間に、戸部は八幡立ち会いのもとで雪ノ下に事情を話した。相談は一瞬で解決したものの。八幡の予想とは裏腹に、雪ノ下は戸部の告白に前向きに協力する旨を表明した。



02.びっちとは聞き捨てならぬと彼女は宣言する。

 その日の放課後は、いつもと何ら変わりないはずだった。けれども小さな違和感が重なって、そちらに意識を引きずられた由比ヶ浜結衣は会話に集中できずにいた。

 今も、葉山隼人の声が右から左にと抜けて行く。

 

「いよいよ明日は班決めだね。優美子たちは、あと一人は?」

「あーしは三人で問題ないし」

「お、俺もそれで良いと思うけど。なあ、大和?」

「だな。大岡の言う通りだ」

 

 最初に、同じ部活の男子生徒がそそくさと教室から出て行った。

 注目を集める状況を苦手にしているのは、既にクラスメイトに周知されて久しい。今さら教室から逃げ出す必要などないはずなのに。迷いのない彼の行動が気になった。

 

「三人でいいなら、たしかに楽なんだけどねー。私に一人、心当たりがあるんだけど。優美子と結衣はそれでいいかな?」

「他よりはマシだし、あーしは我慢するし。結衣は……ゆーい?」

「あ、ごめん。えっと、うん。あたしもサキサキでいいと思うけど」

 

 次に、葉山が大和と大岡を伴って放課後すぐに合流した。

 来週に迫った修学旅行では、彼女らと葉山グループの四人は多くの時間をともに過ごすことになる。それを見越して、今なお関係に隔たりがある大和と大岡に女性陣と話す機会を与えたい。そうした葉山の意図は、友人関係の機微に通じる者ならたやすく見抜くだろう。

 

 だが、その解釈では違和感が残った。当事者の二人から、あまりやる気が感じられなかったからだ。

 歩み寄ろうとしてくれているのは分かる。しかしながら、それは来週を目指しての行動ではなく、長期的に少しずつ関係を深めようとしている気がした。

 

 大和と大岡が別の班に行くと決意していることまでは、さすがに見通せないものの。由比ヶ浜は葉山たちの意図をほぼ正確に捉えていた。

 

「結衣は早く部活に行きたいのかもしれないけどさ。修学旅行が終わったらすぐに選挙で、そのあとは期末が控えてるからね。俺たちも部活があるから放課後にのんびり話せる機会はなかなかないし、優美子も寂しそうにしてたよ」

「結衣とは夜にも喋れるし。隼人が気を遣ってくれるのは嬉しいけど、大丈夫だし」

「今夜も優美子は結衣を寝かせない、と。あー、なんでこの世界に性転換できるクッキーとかないのかな」

「だからあーしらで妄想するのはやめろって言ってるし」

 

 最後に、戸部翔の姿が見えない。

 何か用事があるらしいと葉山から説明されたものの、それは言い訳だと由比ヶ浜は思う。きっと、横にいる二人の友人もそう思っているだろう。

 

 大和や大岡とは違って、戸部と三人娘との間に遠慮はない。気安い関係を築けていると思っているし、だからこそ同席しないのが不可解だった。自分たち三人との仲を取り持つことよりも優先される用事とは何なのか。由比ヶ浜は首を傾げるしかない。

 

 あるいは、と由比ヶ浜は思う。見え見えの言い訳は、こちらに気づかせるのが目的かもしれない。戸部の別行動を、葉山がよく思っていないという可能性もあるが。それよりも、自分たちを巻き込むのが主眼かもしれない。

 

 もしもそうなら、葉山一人では手には負えない問題を抱えているということだ。

 男子だけで解決できるなら、葉山はその道を選ぶだろう。一方で、女子の助けが必要だと判断すれば。事を荒立てないためなら、こちらを巻き込むのを躊躇しない性格だ。

 

 葉山が五月に噂の一件を奉仕部に持ち込んだことや、文化祭の数日前に話し合いに飛び入り参加した時のことを思い出しながら。

 由比ヶ浜は軽く首をふって、一つの可能性をしりぞける。

 

 もしも()()なら、事は自分たち全員に関わってくる問題だ。だが今の段階では目立った動きがない。もう少し問題が表面化してからでないと、対策を立てようにも立てられない。だから、この可能性は保留で問題ないはず。

 

「あ、あたしそろそろ部活に行こうかな」

 

 急にあの二人の顔を見たくなって、由比ヶ浜がぼそっとつぶやいた。

 先程の葉山の言葉が届いていないのは明らかだったが、同時に男子三人にメッセージが来たので、うまい具合にうやむやになった。

 すぐに顔を上げた葉山が、鋭いまなざしを緩めながら由比ヶ浜に向かって口を開く。

 

「どうやら戸部の用事も終わったみたいだし、俺も部活に行こうかな。大和と大岡はどうする。もう少し話してから行くか?」

「いや、明日は班決めだしさ」

「話すのは、いつでも話せるしな」

 

 やっぱり距離があるなと再確認しながら、由比ヶ浜は話をまとめにかかる。

 

「じゃあ、今日はこれで解散しよっか。優美子と姫菜には部活が終わったら連絡するね」

「私はサキサキと連絡を取ってから、小説を書き進めようかな。優美子は?」

「身体を動かしたいから、途中まで隼人と一緒に行くし」

 

 彼女らの動きに呼応して立ち上がる男性陣を、無言で眺めて。由比ヶ浜は元気を全身にまとわせると、部室に向かって歩を進めた。

 

 

***

 

 

 聞き慣れたぱたぱたという足音に続けて、がらっと扉が開くや否や。

 

「やっはろー。って、とべっちじゃん?」

「うぃーっす。お邪魔してまーっす」

「あ、じゃあ。とべっちの用事って、ここ?」

「やー、やっぱ雪ノ下さん凄すぎっしょ。一瞬で解決だったわー」

 

 由比ヶ浜のいつものセリフを皮切りに、トップカーストの二人で話が進んでいた。

 

 このノリに割って入るのは無理だと早々に諦めた比企谷八幡は頬杖をついて、部室の後ろのほうに積み上がっている机をつまらなさそうに眺めながら。誰にも聞こえないように口の中だけで「やっはろー」とつぶやいてみた。

 と、その瞬間。自分の席に向かっていた由比ヶ浜が足を止めて、こちらを見たかと思えば。目を輝かせて頷いてくれた。

 

 おそらく言葉は伝わっていない。けれども挨拶に返事をしたのは伝わっていて、笑顔で応えてくれたのだろう。少し照れくさくなって自由なほうの手で頭をがしがししていると。

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん。お茶を淹れるから、その間に戸部くんの話を聞いて欲しいのだけれど。直感的な説明が良いのか、それともひねくれた説明が良いのか悩ましいわね」

「俺はお前に説明したから、もういいだろ。戸部の話を聞いて、足りない部分をお前が補足したら良いんじゃね?」

 

 そんなわけで、新たに淹れたお茶が半分になる頃には由比ヶ浜も事情を把握できた。先程から保留にしていた問題だけに、驚きはない。先刻の葉山の意図や行動の意味も理解できた。

 

「うーん、姫菜に告白かあ……。あ、でもさ、呪いの手紙が解決したのはよかったよね」

「だべ。俺っちもいたずらだとは思ってたけどさ。雪ノ下さんに保証してもらうと安心だべ」

 

 先日の土曜日には大和や大岡と一緒に頭を抱えていたくせに。そう言いたい八幡だったが、本題に入る前に由比ヶ浜が少し間を置いただけだと理解しているので、余計な口は挟まなかった。

 はたして由比ヶ浜が言葉を続ける。

 

「ゆきのんは、告白の成功率を上げるって言ったんだよね。それって、ゆきのんらしいなって」

「ええ……そうね」

 

 少し照れた様子の雪ノ下雪乃をじっくりと見てしまい。無意識に飲み込んだ唾の音が耳に響いて、八幡はなんとか正気に戻った。同時に、疑問がわき上がってくる。

 きょとんとしている八幡には気づいていないのか、そのまま由比ヶ浜が話を進めた。

 

「じゃあさ。ちょっと三人で相談するからさ。とべっちは、部活の後でまた来てくれる?」

「マジ助かるべー。さすがは結衣だわー。つーか奉仕部って、全員がハイスペックで凄すぎっしょ!」

 

 いちいち大げさではあるものの、特におべっかの気配もなく思ったままを言っているのが伝わって来る。

 相手をするのは疲れるけれども、悪い奴ではないんだよなと。八幡はそんなことを思いながら、部活に向かう戸部を見送った。

 

 

***

 

 

 うきうきした足音が廊下から聞こえなくなるのを待ち構えていたかのように、由比ヶ浜が口を開いた。

 

「ふう。でさ、ゆきのんが乗り気なのは、さがみんの時と同じだと思うんだけど。ヒッキーはどう考えてるの?」

「ん、いや、俺はまあ土曜に男連中で集まった時にも話を聞いてたし、なるようにしかならんと思ってたんだけどな。俺からすれば雪ノ下が乗り気な理由がよく分からん。相模と同じって、どういうことだ?」

 

 今回は人間関係の問題だからか、いつもよりも生き生きとして見えるし、実際に進行役まで務めている。顔をほころばせて見守っている雪ノ下と軽く視線を交わしてから、頼りになる部活仲間の質問に答えると。

 首をひねっている八幡に軽く何度か頷きかけて、由比ヶ浜が話を続けた。

 

「さがみんの時にさ、ゆきのんがスパルタしようとしてたじゃん。あれと同じで今回も、とべっちを鍛えようとするんじゃないかなって」

「あー、言われてみたら納得だな。つーか、一つ質問なんだが。もしも戸部がスパルタに音を上げて『絶対に成功する告白方法を教えて欲しいべ』とか言い出したら、どうするんだ?」

「そんなの、決まっているでしょう。グラウンドを死ぬまで走らせてから、死ぬまで筋トレ、死ぬまでシュート練習、死ぬまで……」

 

 ああ、雪ノ下だなと八幡は思った。最近は鳴りをひそめていたが、一学期にはよく見た反応だ。

 戸部が謙虚に「成功率を高める」と申し出たことで、予測とは違う展開になったのだと理解する。それでも、結末は同じだと考えて。八幡は、大事な確認を忘れていたのに気づいた。

 

「戸部の性根を叩き直すって結論は分かったから、まあ落ち着け。んで、確認なんだがな。俺には戸部の告白が成功するとは思えねーんだが、お前らは?」

「端的に言って、海老名さんの趣味ではないと思うのだけれど」

「まあ、だよねー。姫菜の理想とかは分かんないけど、とべっちが違うっていうのは、うん、分かるかも」

 

 予想通りの反応に胸をなで下ろしながら、新たな疑問を覚えた八幡が話を続ける。

 

「じゃあ、なんで戸部の依頼を積極的に引き受けたんだ?」

「例えば、家庭教師を思い浮かべて欲しいのだけれど。志望大学に『絶対に合格させてくれ』と頼まれて引き受けるのは稀だと思うのよ。それよりも」

「合格の確率を高くするってことだよね。ゆきのんらしいなって、ヒッキーも思わない?」

 

 助けを求める人に結果ではなく手段を提示する。

 たしかに言われてみれば奉仕部の理念に沿っている。戸部に意欲がある限りは、雪ノ下がそれを応援するのは自然なことに思えた。とはいえ。

 

「疑問が二つあるな。一つは、これは正式な依頼に入るのかってこと。もう一つは、戸部を鍛えて告白の成功率を上げるって、具体的にはどんなことを考えてるんだ?」

「一つ目の疑問を先に片付けましょうか。告白というデリケートな要素が絡んでいる以上は、平塚先生の許可を得るのは難しいでしょうね。ただ、由比ヶ浜さんや比企谷くんなら、適当な理由をでっち上げられるのではないかしら?」

「ゆきのん、ちょっと言い方がね、まあいいんだけどさ。その、解決した呪いの手紙を依頼にするのはどうかな?」

 

 まさに自分が考えていた案を由比ヶ浜に先に言い出されて。八幡は悔しさよりも嬉しさが先に立った。

 賛同者が多ければ多いほど良いとは思わないけれど、自分以外にも同じことを考えている誰かがいると確認できるのは嬉しいことだ。ましてやそれが信頼に値する相手ならなおさらだと八幡は思う。

 破顔しそうになるのを必死にこらえて、口を開く。

 

「じゃあ戸部に、呪いの手紙が来たってお悩みメールでも書いてもらうか。たぶん『甘酸っぱい話じゃないよな』って念押しされると思うんだが、まあごまかせるだろ。バレたらバレたで、戸部を墓地に送ってターンエンドしとくわ」

「なるほど、そういう発想になるのね。個人として依頼を受けても良いのだけれど。もしも依頼が重なった時には対応が難しくなるから、正式な依頼にできると助かるわね」

 

 依頼のない気楽な状態で、この二人と雑談を交わすのも楽しいけれど。依頼を受けて一つの目標に向かって話を進めていくのは格別だと八幡は思う。二人が言いそうなことは何となく予測できるし、きっと二人も同じように思っていると、八幡はその直感を受け入れることができた。

 一緒にバンド演奏をしたおかげだと八幡は思う。

 

 

「じゃあ次は、とべっちの鍛え方だっけ?」

「とはいえ特別なことは考えていないのよ。男女の仲であれ友人関係であれ、相手が好きなものをより詳しく知るほどに、関係が深まるのではないかと思うのだけれど」

「げっ。もしかしてゆきのん、姫菜の趣味をとべっちに?」

「戸部くんが良いと言うのであれば、それもありだとは思うのだけれど。海老名さんの趣味は()()だけではなく、文芸から漫画まで幅広いでしょう。それらのうち、広く知られている作品をひととおり読ませてみてはどうかと思ったのよ」

 

 そう言いながら雪ノ下は、とあるテキストファイルを探し出して具現化した。

 

「材木座くんの依頼を受けた時に、海老名さんや三浦さんと一緒に四人で作品を読んだでしょう。漫画やアニメで使われた表現に、私は疎いから。あの時に教えてもらったことをまとめておいたのよ」

 

 何枚かのレポート用紙をクリップで留めたものが二人に手渡される。

 八幡がぺらりと紙をめくってみると、「そげぶ:禁書」と書いてあるのが目に飛び込んできた。すぐ下の段には「()()想を()ち殺す」で終わる長いセリフの全てと、「とある魔術の禁書目録(インデックス)」という正式な作品名が書いてある。

 

「悪くない案だとは思うけどな。これだと材木座のフィルターが入ってるから、広く知られている作品とは言い切れない気がするんだよな」

「薄々そうではないかと思っていたので、指摘に手心は不要よ。では、最後の一枚を見て欲しいのだけれど」

 

 ぱたんと一度裏返しにして、一枚だけぺらっと表に向けると。そこには「おすすめの古典小説・漫画」と題して色んな作品の名前が挙げられていた。とはいえ話の流れからして、これを選考したのが腐女子なのは明白なので、視線を下に動かすことなく身構えていると。

 

「えっと、風と木……、ポー……、ひでしょ?」

「それ、日出処な。まあ、思ってたよりはマシってか確かに名作ぞろいだけどな。全部が全部BL要素が入ってるじゃねーか!」

「やはりそうなのね。三島や澁澤の名前を見た時点で覚悟はしていたのだけれど。では、戸部くんには勧めないほうが良いかしら?」

 

 そう言われると八幡も迷う。由比ヶ浜が読み上げてくれた漫画はいずれも名作と呼ぶにふさわしく、八幡もかつて引き込まれるようにして読んだ記憶があるし、幸いなことに変な趣味にも目覚めていない。

 

「まあ、読むのは戸部だし良いんじゃね。でもなあ、俺ならポーよりもトーマを推すね。それに……」

 

 などと八幡がマニアな悩みに頭を働かせているが、それは放置して。雪ノ下は由比ヶ浜に問いかける。

 

「海老名さんが好きなものを考えた時に、私にはこれしか思い浮かばなかったのよ。由比ヶ浜さんは他に何か……?」

「姫菜の服の好みとか、そういうのは役に立たないよね。うーん……。やっぱり姫菜はびーえるだって思うんだけどさ。前に千葉村で話した時に、ちょっとまじめな話になってね。その、びーえるが好きだからって『男どうしなら何でもいい』じゃなくて。なんて言ってたかな。えっと『男女の恋愛ものが好きな人にも好みがあるでしょ』みたいな?」

 

 由比ヶ浜の説明で、雪ノ下にはおおよそが理解できた。どこか八幡が示すこだわりに似ている部分があるなと思いながら、そのまま話を続ける。

 

「海老名さんなら、そうした部分もきちんと考えていそうだものね。案外、LGBTを扱った新書などを読ませるのも良いかもしれないわね」

「戸部がそれを理解できるといいけどな」

「えっと、あたしも同じなんだけどさ。とべっちも本を読みながら寝ちゃいそうだなって」

 

 机に上半身を預けて、本を片手に寝落ちしそうになっている由比ヶ浜を思い浮かべてしまい。口元をゆるめながら、会話に復帰した八幡が話を継ぐ。

 

「その手のまじめな本もいいけどな。ふつうに少年漫画の定番を読ませるのもいいと思うぞ。男なら誰でも知ってる作品でも、意外とアニメの一部分だけしか観てなかったり、コミックスの最初のほうしか読んでなかったりするからな。海老名さんって有名作品はだいたい読み込んでる印象だから、下手に話題に出すと底の浅さを露呈して逆効果、みたいな展開になりそうなんだよな」

「なるほど、たしかに一理あるわね」

 

 雪ノ下の賛同を得られて勢いに乗った八幡は。

 

「んじゃ、ついでにお前も一緒に読んでみたらどうだ。ちなみに俺の一押しは、なんと言ってもスラムダンクだな。たしかお前、坂の上の雲を『読破するまで止まらなくなる』って言ってたよな。これも翔陽戦ぐらいから止められなくなること請け合いだ。世界が終るまでに読み終えておけよ」

「ヒッキー、ちょっとどや顔が……」

「海老名さんのように妙な趣味嗜好を布教する意図はなさそうだけれど、いつになく饒舌ね。いいわ、貴方の挑発に乗ってあげましょう。由比ヶ浜さん、一緒に読むわよ」

 

 八幡としては雪ノ下の感想が知りたくて話を振ったのだが、いつの間にか巻き込まれている由比ヶ浜だった。

 とはいえ雪ノ下と一緒に読書会ができる上に読むのは漫画なので、由比ヶ浜にも否やはない。

 

「このリストの中から、小説は私が見繕っておいたわ。漫画は先程の四作と少年漫画一作でいいかしら?」

「ここから更に絞り込むってことか。まあ、一週間で全部読むのは厳しいわな」

「えっと、あたしが読み上げたのって三つだけど?」

「比企谷くんが何やらつぶやいていたでしょう。迷うぐらいなら二作とも選べば良いと思うのだけれど。一週間しかないので、十作ほどしか選べないのが残念ね」

 

 思わず聞き流してしまうところだったが、その数字は少し変ではないかと気づいた八幡が。

 

「なあ。一週間で十作って量的にどうなんだ?」

「もっと増やしたいのが本音なのだけれど。学業を疎かにするわけにもいかないし、仕方がないじゃない」

「いや、ちょっと待て。その基準はおかしいぞ。漫画だけでも文庫版で10巻と7巻と3巻と1巻だから、21冊か。スラムダンクが31冊だし、小説まで読む時間はないと思うんだが」

 

 言葉の意味が解らないと、ぽかんと目を見開いている雪ノ下から早々に目を逸らして。八幡は由比ヶ浜に助けを求める。

 

「あたしもだけど、たぶんとべっちも本とか読み慣れてないからさ。ヒッキーが言うとおり、漫画だけでギリギリだと思うよ?」

「そもそも普通の奴だと、一日に一冊の読書でも厳しいって話だぞ」

「そう。せっかく選んだのだけれど、残念ね。小説の六作品は、余裕があればという形にしておくわね」

 

 分かりやすく落ち込んでいる姿を見ると罪悪感が湧いてくるものの。高スペックならではの悩みごとだよなと、逆に自分が落ち込みたくなってきた八幡だった。

 

 

「あ、そういえばさ。ゆきのんが乗り気なのって、他にも理由があるよね?」

「なっ……そうね。戸部くんが先程、貴女の鋭さを褒めていたのだけれど。私も同感ね」

 

 部室内の微妙な雰囲気を解消しようと、ことさら元気な声で由比ヶ浜が話題を変えた。

 反射的に目を吊り上げて反論しかけたものの、すぐさま内心で白旗を揚げて。照れくささをごまかすように雪ノ下がぽつりとつぶやく。

 

「他の理由って、俺にはよく分からんけど、どういうことだ?」

「あたしにも、どんな理由なのかは分かんないけどさ。さっき言ってたよね、とべっちの告白は成功しそうにないって。可能性を高めるためにとべっちを鍛えるのは、ゆきのんらしいなって思うんだけどさ。でも、結果が駄目っぽいのに協力するのは、ちょっとらしくないなって。ヒッキーもそう思わない?」

「おー、たしかに。こいつって負けず嫌いさんだからな。失敗が見えてる奴に肩入れするって、どんな理由だ?」

 

 由比ヶ浜の説明を受けて、八幡が両腕を組んで考え込んでいる。雪ノ下が素直に答えるとは思えなかったからだ。

 

 いくら奉仕部の理念に沿っているとはいえ、協力にも限度がある。成功の見込みが少ない場合には依頼を見送って当然だ。それに負けず嫌いの雪ノ下が「結果が出ない」という前提で戸部の告白を応援するのも、言われてみれば解せない。

 

 そんなふうに八幡が頭を悩ませていると。

 机に肘をついて、両の拳の上にあごを乗せてにこにこと微笑んでくる由比ヶ浜に根負けして、雪ノ下が口を開いた。

 

「理由は二つあるわ。一つは、戸部くんのお友達が文化祭に来たでしょう。あの時の会話で良い刺激をもらったから、戸部くんのことも無下には扱いにくいのよ」

「あー、あの全国一位の人だよね。ゆきのんより勉強ができるって、あたしには想像がつかないや」

 

 由比ヶ浜が素直に称賛しているが、八幡は内心で仏頂面を浮かべていた。

 自分よりも優れた異性に惹かれる気持ちは理解できる。それでも「雪ノ下がどうしてそんなに簡単に」などと考えてしまい、八幡は面白くない。

 どんな相手であれ雪ノ下が一目惚れをするなどありえず、ゆえに恋愛感情などあるはずもないのだが。それには気づかない八幡だった。

 

「そういえば比企谷くんも、彼から刺激を受けたのでしょう。この間の中間試験で国語が学年二位になったのは、あの時の影響だと思ったのだけれど?」

「あー、まあ、葉山を抜けずに二位タイだったけどな。あいつ、テストができるって以上に地頭が良さそうだったし、性格も良さそうだったよな」

 

 どうしてこいつらの前で、あんな奴を褒め称えなければならないのか。目立った欠点が見えないのが余計に腹立たしい。さっき「戸部は一人で来るのか」と確認したのは、あいつと会えるのを期待したからだろう。だいたい彼って何だよと。

 そんなふうに世の不条理を憤る八幡だが、これらは単なる被害妄想にすぎない。

 

「もう一つの理由は、実は一色さんなのよ。テスト明けに由比ヶ浜さんと三人で話をした時に、『変わりたいと思って頑張ってる人は応援したくなる』と言っていたのだけれど。それに感化されたのかもしれないわね」

「ゆきのん、いろはちゃんのこと褒めてたもんね。生徒会役員にならないかって誘ったりさ」

「ええ。一色さんを本牧くんと並べて副会長に据えたら、組織として面白い形になりそうなのよね」

 

 文化祭でもない限り、現実世界にいる戸部の友人がこの世界にログインできるわけもなく。雪ノ下もあっさりと話題を変えたのに。それでも八幡のわだかまりは解けなかった。

 とはいえ気になる話が耳に届いたので、八幡は感情を押し殺して会話に加わる。

 

「お前、やっぱり会長選挙に立候補するつもりなのか?」

「まだ決めかねているのが正直なところね。届け出がなかったので、今週の金曜日まで期間が延期になったのだけれど。立候補が出るのは望み薄でしょうね」

「だからってさ。ゆきのんが引き受けなきゃいけないってわけじゃないじゃん」

 

 由比ヶ浜の主張に、首を縦に大きく動かして。とはいえ、雪ノ下にすがりつくような真似は冗談でも絶対にしたくなくて。何でもないふうを装って言葉を出す。

 

「生徒会長なんかになったら、奉仕部の活動もできなくなるだろうしな。生徒会という名の権力と一定の距離を置く組織って……あれ、そう考えるとなんか格好いいな。じゃねーや。そういう存在って貴重だと思うんだが?」

 

 つい古傷が疼きそうになったものの何とかこらえて、八幡は奉仕部の存在意義を強調する。

 どこまで八幡の思考を読み取ったのか。それをまるで探らせない、いたずらな笑みを浮かべながら雪ノ下が答える。

 

「詳しい話は、他に候補者が出なかった時のお楽しみね。今の段階でどうこう言っても始まらないと思うのだけれど。とはいえ、由比ヶ浜さんと比企谷くんに引き留められると、悪い気はしないわね」

 

 そう言われて、片や眼をうるうるさせて雪ノ下を凝視して、片や頬が熱いなとぽりぽりしながら窓の外の夕暮れを眺めている。

 先程の感情を思い返して「全国一位のやつに目移りしてたくせに」と理不尽な突っ込みをしようとしても。いらいらした気持ちはいつの間にか、八幡の中から消え失せていた。

 そんな二人を順に見据えて、そのまま雪ノ下が口を開く。

 

 

「では、そろそろ話をまとめましょうか。戸部くんの告白が上手くいくとは考えにくいのだけれど。本人に意欲が見られる間は、成功率を高めるために協力すること。具体的には海老名さんの好きなものに詳しくなってもらうこと。まずは課題図書として、漫画を五作品と余裕があれば小説を六作品、戸部くんに読ませること。他には何かあるかしら?」

 

 そう問われて考え込むことしばし。由比ヶ浜がはっと顔を上げてそのまま話し始めた。

 

「えっと、結局さ。とべっちって修学旅行で告白はするんだよね?」

「どうだろな。葉山は延期させたいような口ぶりだったが、戸部があれだけ前向きになってると難しそうだよな」

「戸部くんが告白することに、何か問題でもあるのかしら?」

 

 怪訝な表情を浮かべる雪ノ下を見て、根本的なところで食い違いがあったのだとようやく悟った。由比ヶ浜と眼で語り合って、先に八幡が口を開く。

 

「たぶんお前のことだから、告白して関係をはっきりさせれば良いとか考えてるんだろうけどな。あれって当事者だけじゃなくて周りの人間関係にも影響が出るぞ。うやむやに収められるなら、そのほうがいいと思うんだが」

「あたしは影響をもろに受けちゃう立場だから、ちょっと言いにくいんだけどさ。色々とぎくしゃくしちゃうと思うんだよね。大和くんや大岡くんとも、まだ微妙な感じが残ってるし。とべっちまで距離ができちゃうと、隼人くんでもフォローしきれないんじゃないかなって」

 

 二人の説明を受けて、雪ノ下が考え込んでいる。机の一点を凝視したまま、つぶやきが漏れた。

 

「そうね。そうならないように、姉さんは上手く立ち回っていたのよね。おそらく、由比ヶ浜さんも」

「うん、まあ、そうだね。告白の言葉を聞いちゃうと、どうしても関係って変わっちゃうからさ」

 

 少しだけ好奇心が疼いたが、会話の流れを優先して八幡が話を整理する。

 

「あれだな、ギリギリまで戸部の告白を回避できるように何か考えるしかねーな。そのためにも、課題を与えるのはいい手だと思うんだわ。それに専念している間は暴走とか防げるだろうしな」

「ただ、一時凌ぎにしかならないわね。本音を言えば、戸部くんの告白が失敗したあとの混乱を最小限に抑えられるように、その対策に全力を注ぐのが一番だと思うのだけれど」

「うん、まあ、そうだね。いざとなったら、あたしのほうで何とかするからさ。ゆきのんとヒッキーは、とべっちの課題をお願いね。あ、スラムダンクはあたしも読むから。実はさ、途中までは読んでたから知ってるんだ」

 

 話し始めは先程と同じ、ためらいがちの口調だったのに。由比ヶ浜が話をまとめてくれて、雪ノ下も八幡も見るからにほっとしている。

 場の空気を明るくしようとしたのか、はたまた興味を抑えられなくなったのか。八幡が軽い口調で話し始める。

 

「そういや、雪ノ下は告白されまくってたって誰かが言ってたけど、由比ヶ浜は告白されたことってないのか?」

「ちょ、ヒッキー。それ聞く?」

「由比ヶ浜さん。今さら比企谷くんにマナーを求めても手遅れよ」

「あ、いや、その……告白を避ける参考になるかと思ってな」

 

 嘘です。本当はすげー気になって聞いちゃいました。

 そんなふうに内心では土下座を敢行しながらも、表面的には必死に取りつくろう八幡だった。

 

「中学の頃とか、周りの友達はひょいひょい付き合っててさ。それ見てて、逆に身構えちゃったっていうか、そんなふうに軽く考えたくないなって思って、できるだけ避けるようにしてたのね。そしたら、避けるのに慣れちゃって。周りの関係を壊すのも嫌だし、まあいいやって。そんな感じ」

「私も、軽く考えたくないのは同感ね。とはいえ告白は避けるものではなく、斬り捨てるものだと思うのだけれど。斬り捨て続けていれば、向こうで勝手に避けてくれるようになるわよ?」

 

 それは違うんじゃないかなと思う八幡だったが、怖いので口には出さない。斬り捨てられないように気を付けようと身を引き締めながら頷いていると。

 

「ヒッキーはさ。前に嘘告白をされたって言ってたけど、他にはなかったの?」

「俺は、まあ、見りゃ分かるだろ。俺に告白するような酔狂なやつなんて、いるわけないと思うぞ」

「はあー。小町ちゃんに呆れられたら可哀想だから言わないでおくけど、ヒッキーももうちょっと、なんて言うかさ」

「自己評価の低さをどうにかして欲しいと、由比ヶ浜さんは言いたいのでしょう?」

「それそれ、自己評価。うん、そこまで低いのって、なんだかイヤだな」

 

 由比ヶ浜の意見には雪ノ下も異存がないようで、そろってじとっとした目を向けられた。

 そう言われてもなあと内心でぶつくさ言いながら、それでも八幡は律儀に返す。

 

「俺はお前らみたいに経験豊富じゃないからな。自信をつける機会に恵まれなかったんだわ」

「ちょ、経験豊富ってどういうことだし?」

「いや、だって、なあ。さすがにビッチとは思わねーけど、お前も戸部みたいに何人かと付き合ったりしたんだろ?」

「なんっ……もう、怒った。絶対に怒ったから。あのね、ヒッキー。よく聴いてね。あたしは処女だしっ。誰とも付き合ったことないし!」

「由比ヶ浜さん。私たちの年齢でヴァージンなのは珍しくないし、大声で主張すべきことでもないと思うのだけれど」

「だ、だってヒッキーがさ……」

「おう、なんかマジですまん。正気に戻ったわ」

「ちょ、一人だけ先に戻んなし!」

 

 

 ぎゃあぎゃあと騒がしい部室内には、お調子者であっても踏み入るのは躊躇するらしい。

 三人の詳しいやり取りは聞こえていないものの。この言い争いが落ち着くまでは廊下で待つべと、壁によりかかってあくびをこらえる戸部だった。




日付が変わって、今日は八幡の誕生日ですね。
色んな作品で賑わいますように。

次回は一週間後に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
改行や文章の順番を調整し、分かりにくい部分に説明を加え、細かな表現を修正しました。(8/11,9/1,10/9,12/17)


おまけ:戸部の課題図書
 竹宮惠子「風と木の詩」
 萩尾望都「ポーの一族」「トーマの心臓」
 山岸涼子「日出処の天子」
 上田秋成「菊花の約(雨月物語)」
 三島由紀夫「仮面の告白」
 森茉莉「恋人たちの森」
 オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」
 トーマス・マン「ヴェニスに死す」
 E.M.フォースター「モーリス」
 井上雄彦「スラムダンク」
漫画はどれもお薦め。小説は「今読むと古くさいかも」「この作者なら他の作品のほうが」といった理由で少し微妙なものもありますが(BL要素が必須かつ雪ノ下が選びそうな面々という基準で選考したので)、読んで損はないと思います。作中で言及した澁澤龍彦も入れたかったのですが、BLに特化した作品を思いつけず断念しました。

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