俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

136 / 170
前回のあらすじ。

 二日目も生徒たちは京都の名所を堪能していた。

 とはいえ告白したい・もっと仲良くなりたい・一線を引きたい等々、各々に期待や思惑があるだけに、見る者にとっては違ったふうに見える。当事者ではなく傍観者の立場で同級生と接する戸塚は、こっそり八幡にエールを送った。

 前日に続いて恥ずかしい思いをしつつも、八幡もまた修学旅行を楽しんでいた。龍安寺では雪ノ下と遭遇して、三人でしばしの時を過ごす。

 別れ際に見た雪ノ下は、昨日の朝に合流した時よりも儚げに見えた。



09.けんかするほど仲が良いと彼女らは身を以て示す。

 修学旅行も二日目の夜となると、疲れの見える生徒が出てくる。旅先の妙なテンションで、彼らの休息を邪魔する者が出ても不思議ではないのに。男子の部屋では班はもちろん時にはクラスの垣根をこえて、ゲームなりで盛り上がる一同と早めに休む面々とがきれいに分かれていた。

 

「さっきから眠そうだし、明日もあるんだから無理するなよ。エレベーターの裏側の部屋に一人空きがあるからさ。あそこの班長とは、たしか同じ部活だったよな?」

 

 ふらふらとした足取りで寝に向かう生徒を、廊下まで見送って。部屋割りの変更を、生徒・教師の全員が共有するデータに即座に反映させて。他の連中は、少なくとも次の半荘が終わるまでは大丈夫そうだなと確認した葉山隼人が、ふうと一息ついていると。

 

「俺っち下で買い出し行ってくるけど、隼人くんリクエストあるっしょ?」

「ああ、じゃあペットボトルの冷たい緑茶で。なかったら水でいいからな」

 

 そのまま希望を聞いて回る戸部翔に注目が集まる中で、こそこそと部屋から出て行った男子生徒が一人。言わずと知れた比企谷八幡の姿を、葉山だけが捉えていた。

 

「そろそろ独りになりたがる頃だとは思っていたけどね。迷いなく実行できるのは、羨ましい限りだよ」

 

 誰にも聞こえないように小声でそっとつぶやいて、それでも葉山は己の責務を放り出すことなどしない。

 はめを外したり無茶をする生徒が出ないように気を配りつつ、しっかり麻雀でも結果を出す。さすがに全勝というわけにはいかないが、九勝六敗でも八勝七敗でもいいからとにかくトータルで負けないことを目指す。今日も葉山は、地味に難しいその目標をクリアしていた。

 

「んじゃ、買い出し行ってきまーっす!」

 

 ドアのところで振り向いて、片手を挙げながら軽い調子でそう言い残して。戸部が廊下に出ていった。

 

 

***

 

 

 一階のロビーを目指して階段を下りて行くと、自販機の前には先客がいた。コーヒーが何本か並んでいる辺りをじっと見つめて何やら真剣に悩んでいるのだが、どうしたのやら。まあ、考えるよりも聞くほうが早いので、戸部は口を開いた。

 

「おーっすヒキタニくん、なに悩んでんだべ?」

「うおっ、って戸部か。いや、昨日これを飲んだんだけどな。ちょっと俺の理想にはほど遠くて、どうしたもんかと。そっちは買い出しだったよな?」

 

 あわてて後ろを振り返って、騒々しい問いかけにそう返して。八幡は自販機を指差しながら場所を譲ると、戸部の返事を待つことなくそのまま歩き始めた。

 

 行動の意味が分からない戸部が、自販機と八幡とをかわるがわる眺めていると。土産物の売店でNPCからポリ袋をもらって、ゆうゆうと歩いて戻って来る。

 

「ほら、これ。人数分を運ぶの大変だろ」

「な、なんで歩いて行くんだろって思ってたら、ヒキタニくんマジ気配り上手っしょ!」

 

 行動の意図を何も告げていない時点で気配りがなっていないのだが、戸部は素直に感激していた。

 そして八幡もまた、不器用な言動を馬鹿にされるどころか褒めちぎられてしまい、ちょっと感動していた。よかれと思った行動が通じないのは日常茶飯事で、時には曲解され罵倒されることも珍しくなかった八幡だけに、喜びはひとしおだ。

 

「つーかな。本当に気配り上手なら、部屋まで一緒に持っていくと思うんだが。それを避けるために袋を渡しただけだし、そんな大したことじゃないぞ」

「やー、ヒキタニくんの捻デレ、いただきましたっ!」

 

 ぺしんと自分の額を叩きながら、戸部が白い歯を見せてくる。うざったいのは確かだが、どうにも憎めない。

 葉山ほどではないにしろ、こいつも悪意に晒されるような経験はほとんど無かったのだろう。だからこそ、一学期に悪い噂が広がった時にはあれほど動揺したのだろうなと八幡は思った。

 

「昨日もそれ言われたんだけどな。誰が広めたのか知らんけど、どうにかならんのかね?」

「だってヒキタニくんにピッタリだべ。何するんだろって思ってたら、そういう意味かーって行動が多いじゃんね。二年の最初とか、わざわざ自分から孤立して何考えてんだろって思ってたけどさ。照れてるだけじゃんって結衣に解説してもらって」

「おい。由比ヶ浜も余計なことを……」

 

 そう言いつつもニヤニヤが止まらなくなりそうで、八幡は必死に仏頂面を浮かべていた。

 勝手に人の気持ちを捏造するとは迷惑千万、などと頭の中でセリフを作ってみるものの。頬の辺りが少しぷるぷるしているのが自分でも分かる。人知れずフォローしてくれてたんだなと、つい気持ちが絆されてしまう。

 そんな八幡の葛藤には気付かず、戸部がそのまま話を続けた。

 

 

「それとさ、俺っちの依頼のことで色々と考えてくれてんじゃん。オススメの名所リスト、有効に活用させてもらうっしょ!」

「ああ。あれは雪ノ下の選定だからな。お礼ならあいつに言ってくれ」

「そりゃもちろんだけどさ。ヒキタニくんにも結衣にも助けてもらってんじゃん。教えてもらった漫画の話とかしたら手応えありありって感じでさ。海老名さんの反応もいつもと違って、こう、ぐいぐい来る感じ?」

「それ、違う意味で興奮してるだけな気もするんだが。つか、あれだな」

 

 八幡はいったん口を閉じて、少し間をあけてから再び話し始める。

 

「やっぱり、修学旅行中に告白するのか?」

「そりゃもちろんだべ。これだけ協力してもらって、直前でへたれるとかありえないっしょ!」

「ん、と。ちょっと待て。告白って、まわりの目を気にしながらするもんじゃねーだろ?」

「やー、そりゃそうだけどさ。俺っちの気持ち的にも断固告白って感じだべ。でもさ、応援してくれるみんなを無視して、俺っちの気持ちだけを優先させるのも違うっしょ?」

 

 少しだけ、事態打開の光明が見えたかと思いきや。戸部の主張は八幡にとって意外なものだった。顎に手を当てて発言を吟味していると、話の続きが聞こえて来た。

 

「そのさ、世の中に俺っちと海老名さんしかいなかったら、話は早いべ。けどさ、お互いに友達とかいて、色んな付き合いがあんじゃん。そっちも大事だし、俺っちの気持ちも押し殺したくないしさ」

 

 何も考えていないように見えて、戸部なりに周囲に気を遣っていたんだなと八幡は思った。だがそれなら、やんわりと避けられていることにも気付きそうなものなのだが。

 

「昨日と今日と、海老名さんとずっと一緒にいて。まあ、話してることはいつも通りって感じっしょ。けどなんか、今まで知らなかった側面っつーのか、それが見えてきて。海老名さんのことにどんどん詳しくなれてる気がして嬉しくてさ。ちょっとだけ、こんなことも知らないで告白とか言ってたのかって、ちょい前の俺っちを叱りたくなったりもするんだべ」

 

 そこのところは、自分の気持ちを優先させるということなのだろう。あるいは、向こうの希望がうすうす分かっていても、それでも気持ちを抑えることができないのか。

 戸部の表情を一目見て、後者が正解だと八幡は思った。

 

「千葉村でも言われたし、ヒキタニくんの言いたいことは分かってるつもりだべ。けどさ、俺っちの気持ち的にも、応援してくれてるみんなのためにも、告白しないのは……ありえないっしょ!」

「断られるかもしれないのにか。旅行前に最初に集まった時に言ってたよな。一番大事なことだって、断られたら悲惨だって言ってただろ?」

 

 だから八幡はあえて強い口調で、直截的な言葉を投げかける。依頼人の両方にいい顔をしている形の自分に辟易しながら。だからこそ、少なくとも今だけは戸部のために真剣に。

 

「でもさ。ここまで話が大きくなったら、告らないってのはねーべ?」

「いや、お前、海老名さんに断られるのと、まわりの連中の期待に背くのと、どっちがマシか考えてみろよ」

「そりゃあ、あれだべ。どっちも嫌っしょ」

「そんなことを言っても、お前」

「だからさ、告白してOKをもらったら良いべさ?」

 

 せっかく親身になって言ってやってるのに。

 今の状態で告白しても、成功などあり得ないのに。

 どす黒い感情が沸き起こりそうになって、八幡は息をふーっと吐き出してから、あらためて戸部と目を合わせた。

 

 違う。

 こいつは、脳天気に言っているのではなくて。

 それしかないと理解して、こう言っているのだ。

 

「なあ。たしか葉山が言ってたよな。もう少し機が熟すのを待ってからだと駄目なのか?」

「それじゃあ駄目っしょ。たぶん、告白の機会すら作らせてもらえねーべ」

「それは……」

 

 ないとは言い切れないと八幡は思った。むしろ戸部の言うとおりだとすら思えた。

 先ほど戸部が口にした言葉は正しかったのだ。たしかにこいつは、海老名姫菜をちゃんと見ている。彼女のことにどんどん詳しくなっている。

 

「だからさ、これだけみんなが応援してくれてる状況って、俺っちにしてみたら無視できないのと同時にさ、すっげー心強いのよ。大和と大岡が背中を押してくれてさ。隼人くんとかヒキタニくんが厳しいことを言ってブレーキを踏ませてくれて。結衣と戸塚が見守ってくれて。あ、班を替わってくれたテニス部の二人もだべ。優美子も、あと川崎さんも今のところは黙認してくれてる感じだしさ。それに雪ノ下さんまで俺っちを応援、ってよりは躾けられてる気がするんだけどさ。でもこれって、すごいことだべ?」

「まあ、そうだな。あとちなみに、雪ノ下の印象はそれで合ってると思う」

「だしょ?」

 

 いい笑顔を向けてくる戸部に、八幡は思わず。

 

「振られるの、怖くねーのか?」

「そりゃ怖いっしょ。でもさ。行動に出ないと、振られることすらできねーべ?」

「……だな」

 

 この上なくストレートな質問を口に出してしまってから、しまったと思ったものの。平然と答えてくれた戸部に、八幡は曖昧な相鎚を打つしかできない。

 

「正直ここまで話すつもりはなかったんだべ。意外と打算的だって、そう思われるのが嫌でさ。けどヒキタニくんって、投げやりなこと言ったり気が向かない態度のわりには、いつも真剣じゃん。千葉村でもそうだったし、文化祭でもさ。あの時は俺っちもステージの下から演奏を観てたのよ。隼人くんのバンドでドラムをやったからさ。スクリーンに大映しになる前から、ずっと動きを目で追って、必死になって耳で音を拾っててさ。たぶん、そんな印象があったからだべ。話しても大丈夫かなって思う前から、ぽろっと口に出てたっしょ」

 

「打算的とは思わねーけどな。さっき言ってただろ、応援してくれてるみんなのためにもってな。そりゃ利用したいとも思うだろうし、応援に報いたいとも思うだろうし。どっちか片方だけなんて、人間そこまで純粋にはなれないだろ。どっちかっつーと、期待に応えたいって気持ちを知れたことで、好感度が上がるまであるぞ」

 

 戸部と男二人で真剣な話をしているのが急に恥ずかしくなって、最後は茶化したような言い回しで締めくくったものの。実際に言葉どおりの気持ちになっているのだから困ったものだ。

 

「冷めた言い方をすればさ、ノリで言ったことをやり遂げるしかないのが俺っちっしょ。隼人くんみたいな万能キャラなんて絶対に無理だし、冷静に突っ込むなら大和だし、軽い調子で冷やかすなら大岡だしさ。なら突っ込まれ役しか残ってねーべさ。だからたしかに打算的な部分はあるんだべ。けど、俺っちの性に合ってるってのもたしかでさ」

「だろうな。へたに戸部が配慮とかするよりも、ノリで突っ走ってくれたほうが周囲も楽だと思うわ」

「ヒキタニくんって時々すげー毒舌っしょ。それ、海老名さんと似てるなって、たまに思うんだべ」

 

 同じような印象は、とある部長様も抱いていたりするのだが。彼女も戸部も、それに気付くことはない。印象は二人の間で共有されることはなく、しかし断片としてはたしかに存在している。

 

「似てると言われてもよく分からんけど、あれだな。たまに思うって言えば、リア充って大変なんだなって最近な。けっこう頻繁に思ってるかもしれん」

「ヒキタニくんがぼっちになりたいって気持ちも、ちょっと分かるべ。俺っちはそろそろ部屋に戻るけど、もう少しゆっくりしていくっしょ?」

「そうだな。つーか、何を飲むかって問題が未解決なんだよなぁ」

「そのさ。俺っち突っ走るしかできないからさ。もし、あれがああなったら……ちょっと頼まれて欲しいべ。その借りは、別の場面で返すっしょ!」

「……ああ。そん時は任せろ。返済を楽しみにしてるわ」

 

 まるで遺書を託されたかのような暗澹たる気分の八幡とは違って、戸部はすがすがしい顔になっていた。覚悟を決めて死に向かう人はみな、こうした表情を浮かべていたのだろう。きっと乃木希典も、おそらく藤村操も。

 

 

***

 

 

 飲物を入れたポリ袋を片手に階段を上る戸部を見送って、八幡はようやく独りの空間を満喫していた。

 無理にマッカンの幻想を追うよりも、全く違うものを飲もうと考えて。八幡の手には、数種類の素材をブレンドしたお茶が握られている。

 

「昨日も思ったけど、一階まで降りてくる奴ってほとんど見ないよな。ま、だからこそぼっちに浸るには最高の環境なわけだが」

 

 そんな独り言をつぶやきながら開放感に浸っていると。フラグを立ててしまったのか、背後から。

 

「あんた、こんなところで何してんだい?」

 

 声をかけられたので振り向くと、そこにはジャージ姿が妙に板についている川崎沙希の姿があった。

 

 

「集団行動の時間が長くなるほど、ぼっちになりたい気持ちが強くなってな」

「まあ、その気持ちはあたしも分かるけどね」

 

 きっぷのいい話し方とは裏腹に、おずおずとした動きで目の前の席に座られた。

 お互いにぼっち気質なんだから、無視してくれても良かったのにと思いつつ。そういうわけにもいかないんだよなと、諦めの息を漏らす八幡だった。

 

「んで、そっちは?」

「ん、なんだい?」

 

 旅先で夜に女子生徒と二人きりで向かい合う。そんな特別な状況に加えて、文化祭の時に勢いで愛の言葉を告げた記憶もある。もちろんあれはノリで口に出ただけだと、お互いに了解は得られたはずだが。どうにも落ち着かないので、八幡の質問は自然ぶっきらぼうになる。

 

 とはいえ二ヶ月前の愛の言葉を過剰に意識しているのは川崎も同じで、実はこの状況に物怖じしているのも同じ。それらに加えてできれば話したくないことなので、余計に返事がつっけんどんになる。

 

「はあ。まあ良いけどな。由比ヶ浜がいる以上は、三浦と揉めたってわけでもないだろうし」

「あ、いや、それがさ……」

 

 図星を指されて、とたんに張りつめた空気が和らいだ。当初はぐぬぬという声が今にも漏れそうなほど悔しげな表情を浮かべていたものの、徐々に自信なさげな顔つきになっていく。

 八幡が首を傾げながら、言葉の続きを待っていると。

 

「その、まくら投げをしてたんだけどさ。あんたも想像つくと思うけど、いつもの調子で挑発してくるから、いらっとしてさ。すぱーんって気持ちよく投げられたなって思ったら、えっと、顔に、その、まともにさ。まあ、それで、泣かせちゃった、みたいな?」

「なんかデジャブっつーか、三浦って意外とやられキャラなのか?」

 

 千葉村でも我らが部長様と言い争いをした結果、二人を一時的に引き離すために彼女が散歩に出るという事態になった。歌声に誘われたあの日は、そこまでの事情は分からなかったものの。さすがに今となっては、八幡も当日の経緯を把握している。

 

「まあ、面と向かって反抗されたりとか、そんな経験が少ないのかもね。でもさ、自己弁護をするわけじゃないけどね。言いなりになる相手じゃなくて、ちゃんと向き合ってくれる相手を求めてるんだとあたしは思うよ。だから手抜きはしなかったんだけど、当たりどころが悪かったみたいでさ」

「あー、事情は分かったからそれ以上は落ち込むな。とりあえず由比ヶ浜と海老名さんに任せておけばじきに回復するだろ。お前に悪意はないって、当の三浦も分かってるだろうしな」

 

 あんまりな事件のおかげで、二人の間にあった緊張感はいつの間にか消え失せていた。

 

 

「話は変わるんだけどさ。昨日の朝って、最寄り駅からは時間短縮で?」

「ん、そうだな。あと俺は集合の一時間前には東京駅に着いてたからな」

「旅行が楽しみだったってことかな。あんたも意外と可愛いところがあるんだね」

「お前な、男に可愛いとか言うな。ちょっと駅に用事があって、ってお前とも無関係の話じゃないぞ」

 

「それって、どういうことだい?」

「ゲームの世界に繋がる扉が東京駅にあるって、教えてくれたのはお前だろ?」

「え、あんたまさかゲームの世界に」

「いや、もうシステム的に行き来ができなくなったそうだ。だからその手の心配はしなくて大丈夫なんだがな。ちょっと墓標を拝みに、みたいな感じかね」

「そっか。その、あんたが良ければだけどさ。もしまた東京駅の扉を見に行くなら、あたしも一緒に行けないかな?」

 

「いや、まだ見に行ってないんだわ。一緒に行くのはまあ、別にいいけどな。帰りは東京駅で解散だろ。だからその後にでも行ってみるかって思ってたんだが……。もしかしたら、解散後に急いで帰る必要があるかもしれなくてな。だから、突然中止になってもいいなら」

「いいよ。あたしが情報を伝えたのもあるし、墓標って聞いたらあたしも行くべきだって思うからさ」

「即答かよ。んじゃま、解散後に東京駅でな」

 

 家族に関係する話題なら、たとえそれがお墓であっても川崎には親しみやすい。恋愛やアイドルの話をするよりもよほど気楽だし、ちゃんとお墓参りには行くべきだという思いもある。だから、変に意識をしすぎることなく約束ができた。

 

 八幡としても、川崎の態度があまりに自然だったことや、一人よりも二人のほうが扉も報われる気がして簡単に約束をしてしまった。二人といっても妙齢の男女が一人ずつではないかと、その事実に気が付いてひとり煩悶することになるのは、もう少しだけ先の話である。

 

「んで、最寄り駅から時間短縮だと、なにか問題があったのか?」

「そういうわけじゃないけどさ。あんたとあたしって、最寄り駅が隣だったよね。その、朝焼けが綺麗だったから、あんたも見てたかなって」

「あー、道中を短縮すると、そのぶん時間がずれるもんな。まあ、すまん。さっき言ったように一時間早く家を出たからな」

「謝らなくていいよ。でさ、話が飛ぶんだけど、海老名のことは?」

 

 川崎の立ち位置ではなかなか情報が入って来ないだけに、ついでとばかりに尋ねてみると。

 

「まあぶっちゃけ、玉砕するのはほぼ確定って感じかね。海老名さんにその気がないのは、お前も分かるだろ。そしたらまあ、どうしようもないわな」

「男子の間で説得するってわけには?」

「無理だった。だからもう正攻法では難しいな。かといって搦め手もなぁ」

 

「でもさ。あんたなら何か思いつきそうな気がするよ」

「どうかね。非難囂々な策しか思いつかないかもしれないしな」

「その時は、あたしも一緒に由比ヶ浜や雪ノ下に謝ってやるよ。だから、何か手があるなら諦めないでさ」

「ん、まあ、もうちょい考えてみるわ」

 

 戸部の決意に続いて川崎の信頼を受け取って、八幡はもう一度だけ考え直してみようと思った。

 翌日に待ち受けている運命を、知らないままに。

 

 

「今メッセージが届いてさ。由比ヶ浜からで、三浦が外に散歩に行くんだってさ。東側の階段を下りて、すぐ目の前の出口から外に出るって書いてあるんだけど、鉢合わせを避けて戻って来いってことだよね?」

「まあ、そうなんじゃね。でも、なんかあれだな。めったに人が降りてこないのに来るのは顔見知りばっかだよな。もしかして俺、どこかで変なフラグでも立てたのかね」

 

「よく分かんないけど、日頃の行いだと思って観念しな。墓標を拝んだら、少しはマシになるんじゃない?」

「少なくとも、当面の問題は解決できないってことだな。ま、事前に情報が分かっただけで良しとしますかね。俺も鉢合わせたくないから、コンビニにでも行ってぼっちを満喫してくるわ」

 

 新たなフラグが立ったことには気付かないまま、八幡は無造作に立ち上がると西館の出口から外に出た。

 

 

 八幡を見送った川崎は、メッセージの指示を軽く無視して。東館の出口の前で腕組みをして待つと、外に出ようとする三浦優美子と。

 

「夜遅いんだから、早く戻って来な。あと……さっきごめん」

「気にすんなし。んじゃ、行ってくるし」

 

 そんなやり取りを交わしていた。

 

 

***

 

 

 ホテルから大通りに出た三浦は、どちらに向かおうかと首をひねる。バスがホテルに着く前後のことを思い出していると、たしか西向きに少し歩いた辺りでコンビニを見た記憶がある。なので、とりあえずはそちらに向かうことにした。

 

 そのまま丸太町通を歩くことしばし。目当てのコンビニが見えてきたので、歩きながらお客の姿を確認していると。見知った男子生徒が雑誌を広げて、時にはぷっと吹き出し、時には涙を浮かべながら作品を堪能していた。友人には悪いが、ちょっと引く。

 

 軽く周囲を見回して、次の目的地を決めてから。三浦はおもむろにコンビニの中へと入って行った。

 

「ヒキオ、ちょっと付き合うし」

「うおっ、って三浦か。なんでまたこんなとこまで来たんだ?」

「あーしが一人なのに、何も言わないのはなんでだし?」

「いや、まあ、あれだな。思った以上に鋭いんだな。さっきホテルの一階で川崎と偶然会ってな。だからお前が散歩に行くって話は知ってたんだわ」

「散歩の理由も?」

「まあな」

「じゃあ、別にいいし。それよりも、早く雑誌を戻してついてくるし」

「あ、おい」

 

 さっさと外に出て八幡を待っている三浦を知らんぷりもできず。ガンガンの次に読もうと思っていたGXをなごり惜しそうに眺めてから、八幡は店の外に出た。

 

 

 信号を渡って通りの南側に移り、岡崎通を越えてさらに西へと歩いて行くと、たこ焼きのいい匂いが漂ってきた。早くもぐうと鳴り始めたお腹を反射的に押さえると、先を歩く三浦がぷっと笑いを漏らしている。

 

 唇を突き出してやさぐれた気分で歩いていると、お店の前で立ち止まった三浦がたこ焼きを一皿受け取ってから、こちらを向いて口を開いた。

 

「ヒキオはなんか飲物あんの?」

「さっき自販機で買ったお茶を持ってる」

「ん。じゃ、あーしもお茶で。ほら、カウンターの奥に行くし」

「あ、おい。押すなって」

 

 並んで座ったテーブルには、焼きたてほやほやのたこ焼きが鎮座ましましている。ごくっと唾を飲み込んで、八幡はひとまずお茶を取り出すと、一口含んでテーブルに置いた。

 同じように喉を潤してから、三浦が口を開く。

 

「ほら、ここで半分こ。あーしが食べたかっただけだし、気にすんなし」

「なんか調子が狂うな。んじゃま、ありがたくいただきます」

「ん」

 

 はふはふとたこ焼きを頬張っていると、何だか幸せな気分になってくる。それと同時に、トップカーストの金髪美人と夜にホテルを抜け出して何をやっているのかと、状況を冷静に分析する自分も戻って来た。

 とはいえ食べ物の誘惑には弱いもので、一皿を平らげるまで二人は無言でたこ焼きを味わっていた。

 

 

「んで、ここに入ったのは食欲だけが理由じゃないよな。なんか話でもあんのか?」

「特に話があるわけじゃないし。ただ、どうせ話すなら、海老名の話?」

「それな、結末はほぼ見えてるだろ。後始末をどうするかってぐらいで」

「それぐらい分かるし。あーしが言いたいのは、後始末がどこまでできるかってことと、あと」

「なんか、俺らが知らない問題でもあんのか?」

 

 ぼっちになりたくて部屋の外に出たのに、顔見知りとたてつづけに遭遇してずっと喋っていたので、八幡は緊張の糸が切れかけていた。そこにおいしいたこ焼きが胃袋の中に加わったので、女王が相手でも遠慮のない物言いになっている。

 

 今まで三浦と二人きりで話したことなどほとんどなかったのに。八幡はその事実さえ思い出せないまま、テンポのいいやり取りを続けていた。

 

「海老名はさ、ヒキオも何となく想像つくと思うけど、いざとなったら突き放すタイプだし」

「それは、まあ何となく想像できるな。『あ、もういいわ』って諦めるような感じだろ?」

「ある意味では、ヒキオと似たところがあるし」

 

 二人に類似点を見ている生徒が、ここにも一人。

 そして言われた当人も何となく心当たりがあったのか、何度か軽く頷いている。

 

「まあ、言われてみればそうかもしれんな。で?」

「だから、海老名の限界が見えそうになったら、教えて欲しいし」

「まあ、そこは、あれだ。お前らの仲が壊れるのは、俺も嫌だからな。要はそっちでも気を付けてるけど、こっちでもってことだろ?」

「話が早いと助かるし」

 

 

 三浦にも八幡と喋った記憶はほとんどない。しかし友人から何度となく話を聞いているので、会話にも違和感がなかった。だから、口が滑ったのかもしれない。

 

「それとあーし、隼人とどうしたら……」

「ん、葉山がどうした?」

 

 葉山に思いを寄せているのを隠すつもりは微塵もなかったし、知られて困ることもないと思っていた。ほんの些細なことでもいいから葉山の情報を知りたいと、ただそれだけのつもりだったのに。口に出たのは、助けを求めるようなセリフだった。

 

「その、昨日今日とさ。あーしの行動ってどう見えたし?」

「んーと、あれだ。たこ焼きの恩があるから、あんま悪いようには言いたくないんだが」

 

 そして一度口に出てしまうと、もう抑えることはできなかった。

 あまりにも突破口がなさすぎて、内心では藁にも縋るような気持ちだったこともある。友人二人が大変なので、相談しにくいという事情もある。実は二人の友人も同じ気持ちでいるなどとは、三浦は夢にも思っていない。

 

 今まで八幡との接点がほとんど無かっただけに。そのわりに、友人経由で性格や考え方などをよく知っているだけに。後腐れのなさと気安さとが重なって。八幡は自分たちをどう見ているのかと、三浦はそれを知りたくて我慢できなくなった。

 

「いいから、思ったとおりに言うし」

「はあ。後で文句言うなよ。例えばな、お化け屋敷でお前『こわーい』とか言ってただろ。あれ、完璧に逆効果だからな。お化けは大丈夫なんだなって、班の全員が思ったんじゃね」

 

 隣の椅子で固まっているのを見て、先程の川崎とのやり取りを思い出す。「実はやられキャラなのか」と推測を口にしたのは自分だったのに。こんなことを言って本当に大丈夫だったのかと少し後悔しながら、びくびくと三浦の様子を窺っていると。

 

「ん、大丈夫だし。続けて」

「いや、これを続けても意味ないだろ。我慢大会じゃねーんだしな。んで、一般論しか言えないけどな。お前の悪い部分を出さないようにするよりも、長所を出すほうがいいんじゃねって俺は思うけどな」

 

 それはくしくも、四月に葉山に伝えたのと同種の言葉だった。

 

 あの時に三浦は「ちゃんとやれば、隼人なら大丈夫」だと言った。あれこれと考えすぎて本質を見失いかけていた春先の葉山と同じ状態に陥っていることを、三浦は自覚した。

 そして、その原因にも思い至る。

 

「あんさ。立候補したじゃん?」

「えーと、一色の話な」

「それで、会長になったらサッカー部のマネージャーとかもどうなるか分かんないし、確実に関係って変わるじゃん?」

「まあ、そうだろな」

「ふつうに考えたらさ。手強いライバルが消えるのを喜べばいいと思うんだけどさ。あーし、そうは思えないし」

「一色がさらに手強くなるってことか?」

「それも、あるかもだし。ただ、それだけじゃなくて……。一緒に頑張ってた仲間がいなくなる感覚が近いし」

 

 表面的には対立しているように見えても、たしかに思い返せば険悪な雰囲気はほとんどなかった。三浦が意外と面倒見の良い性格だと知っている八幡は、その発言にすなおに頷けた。

 

「なるほどな。んで、俺はいちおう奉仕部の部員ってことになってるわけだが。なんか依頼とかあるか?」

「詳しい理由を知りたいし。立候補のことと。あとできたら、隼人とのことも」

「少なくとも立候補の理由は、俺も由比ヶ浜も雪ノ下も知りたいと思ってるからな。分かったら由比ヶ浜経由で伝えるわ」

「ん。お願いするし」

 

 話が一区切りついたので、そろそろお開きかと思い八幡がそわそわしていると。

 

「ヒキオって、興味のない相手だと露骨なのは良くないし」

「いや、その、すまん。興味ないっつーか、今まであんま喋ったことなかっただろ。ふと冷静になったら、ちょっとな」

「まあ、そんな理由なら許してやるし」

「つか、一つだけ訊いていいか。お前、一言でいうと、葉山のどこが良いんだ?」

「んー。一言だと、あれだし。めんどくさいとこ?」

「……なあ。それって、ほんとに良いって思ってんのか?」

「ヒキオにはまだ分かんないし。でもさ、そういうところが良いんだし」

 

 理由には納得がいかないものの。三浦の表情には納得がいった八幡だった。

 

 

***

 

 

 三浦を先にホテルに帰して。八幡は読みそびれていた雑誌を棚に戻すとコンビニを後にした。

 

 ホテルに着いて、そのまま部屋に戻っていれば、平穏に一日が終わっただろうに。

 ふと気配を感じて、お土産屋さんに目を向けると。そこには、京都限定パンさんグッズを真剣な表情で吟味している、雪ノ下雪乃の姿があった。

 




少し時間が遅れてごめんなさい。
次回は一週間後の予定です。

ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
東と西が逆だったので訂正し、細かな修正を加えました。(9/28)
細かな表現を修正しました。(10/9)
長いセリフの前後などに空行を挿入しました。(10/20)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。