俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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前回のあらすじ。

 立候補させられた月曜から木曜にかけて、一色は精神的に疲弊していった。
 それでも外面は普段通りに部活で過ごしていると、二年生が修学旅行から帰ってきた。
 状況を把握した葉山は一色をねぎらい、旅行の疲れを癒やすために自宅に戻った。

 城廻とともに奉仕部の部室を訪れた一色は、三人の間に微妙な変化を見出す。
 奉仕部内で意見が分かれた結果、雪ノ下と由比ヶ浜はそれぞれ立候補を、八幡は対案を考えるという形に落ち着いた。

 八幡の家まで同行して旅行土産を受け取った一色は「三人と一緒に仕事をしてみたい」と口にすると、八幡の誘いに乗る形で立候補を決意した。



04.きあいを込めて彼女らは成長の決意を語る。

 三人で共有しているリビングで、告白の結果はどうなったのかと気を揉みながら友人の帰宅を待っていると。

 

「あたし、立候補することにしたから」

 

 開口一番そう告げられて、海老名姫菜は途方に暮れた。

 

 助けを求めて三浦優美子に視線を送ると「あーしに解るわけないし」という表情が返ってきたので。興奮状態の由比ヶ浜結衣を宥めすかして、少しずつ状況を把握していく。

 

「要するに告白の返事は延期って事と、雪ノ下さんの会長就任に反対して結衣が立候補したって事かな?」

「あ、うん。って、ヒッキーの話はしてなかったっけ?」

 

 濃密な一日だったので遠い昔のようにも思えるが、東京駅で解散したのはつい数時間ほど前のこと。竹林での告白からでも丸一日も経っていない。それを由比ヶ浜に伝えると。

 

「そっかー。何だか話すことが多すぎて、どれから片付けたらいいのか分かんなくなっちゃうね」

「ま、夜は長いしまだ始まったばっかだしさ。優美子とご飯の支度をしとくから、先にお風呂に入ってきたら?」

 

 海老名はそう言ってひとまず話を落ち着けた。

 

 

 ぽかぽかと湯気をまとって由比ヶ浜がリビングに戻ってきたので、そのまま三人で食卓を囲む。

 

 告白の話は急ぎではないし、立候補の話は真面目に打ち合わせをするべきだと考えた結果、一色いろはの立候補にまつわるあれこれが夕食の話題になった。

 黒幕をひとしきり貶し終えて。これでようやく由比ヶ浜の立候補に話が繋がったので、海老名と三浦から苦笑が漏れる。

 

「結衣も雪ノ下さんも立候補するって言われて、告白が原因で修羅場になったのかと思っちゃったじゃん」

「あーしも真っ先にそれを考えたし」

 

 そんな二人に向けて、由比ヶ浜は頬をぽりぽりと掻きながら歯切れの悪い口調で応える。

 

「あー、うん、そういうわけじゃないんだけどさ。でも、ゆきのんに負けたくないって気持ちの中には、そういうのもちょっとは含まれてるのも間違いなくて……」

 

「それはまあ、仕方ないんじゃないかな。優美子だって一色さんに負けたくないって気持ちは強いだろうし、一色さんもたぶん同じだろうしさ」

 

 例に出された三浦が軽く頬を膨らませて不満をアピールしているものの、二人は気にも留めない。

 当の本人もその反応は読めていたのか、すぐに表情を引っ込めると話のついでとばかりに口を開いた。

 

「でも立候補の経緯が判って、ちょっと安心したし」

「女テニの練習を手伝いに行くたびに優美子、言ってたもんね。マネージャーのいろはちゃんはすごく真面目だって」

 

「文化祭で一緒にバンドをした時も、隼人くんの前で張り合ってくるのはうざったいけど一色さんは演奏では頼りになるって……」

「あーしが恥ずいから過去の話は出して来んなし」

 

 海老名の発言を遮って早口でそう言い終えると、三浦はつんと横を向いてむくれている。

 そして照れ隠しのためかメッセージのアプリを立ち上げて何かを書き始めたので、二人は軽く笑い合うと話を続けた。

 

 

「じゃあ、結衣と雪ノ下さんの立候補を発表するタイミングで一色さんの辞退表明って感じ?」

「あっ。そういえば、いろはちゃんの話をしてないや」

 

 他のことに気を取られていたので、すっかり忘れていた。

 

 三人だけで善後策を練っていたあの時に、立候補の意思を取り下げるつもりはないと態度で伝えられて。この期に及んで自分一人で背負い込もうとする彼女に業を煮やして、由比ヶ浜は立候補を宣言したのだった。

 

 一色を交えて話し合いが再開してからも、依然として奉仕部内の意見対立に意識を奪われていた自分たち。それをようやく自覚して、由比ヶ浜があせあせしていると。

 

「まあ、なるようになるんじゃない。結衣か雪ノ下さんが会長になるか、ヒキタニくんが変な手を打つか。どのケースでも問題ないと思うけど?」

 

「それはそうだけどさ……いろはちゃん月曜からしんどかったと思うし、早く解放してあげたいじゃん」

 

 そう語る由比ヶ浜に頷いて同意を示しはしたが、頭の中には冷静な自分がいる。一色には申し訳ないけれど、海老名にとっての優先順位は由比ヶ浜のほうがはるかに上だ。

 だからこそ海老名は懸念を口にする。

 

「明日にはそうなるって、一色さんも思ってるんじゃないかな。でさ、ヒキタニくんが何を考えてるかが気になるんだよねー」

「ヒッキーは……うーん、本牧くんに頼むとか?」

 

 それが可能性としては一番だろうと海老名も思う。

 だが性格的に会長職が不向きな上に、彼が選挙でこの二人に勝つ絵が思い浮かばない。だからこの手は無いだろうと説明して、そのまま言葉を続ける。

 

「もっと思いがけない手を打ってくると思うんだよね。例えば……実現の可能性を度外視したら、春まで限定で城廻先輩の続投なんてどう?」

「あー、確かにそれってヒッキーぽいかも」

 

 そんなふうに名前を連呼していると、三浦がふっと笑いを漏らして由比ヶ浜に視線を向けた。そしてアプリを閉じて口を開く。

 

「それも明日になったら分かるし。それよりお茶でも淹れてソファに移動して、真面目な話をする時間だし」

 

 その言葉を切っ掛けにして立ち上がった三人は仕事を分担して、食器の片付けとテーブル拭きとお茶を淹れに動いた。

 

 

***

 

 

 由比ヶ浜を中央に、右に三浦・左に海老名という並びでソファに腰を下ろした。

 三人そろってマグカップに軽く口を付けてからテーブルに戻すと、まずは海老名が口を開く。

 

「でさ、選挙の件だけど。解ってると思うけど、雪ノ下さんは強敵だよ?」

「うん。でもさ、挑まなくちゃって思ったの」

「……結衣は、勝つのが目的なんだし?」

 

 由比ヶ浜の言葉に引っかかりを覚えた三浦がそう訊ねると。

 三浦の疑問をより正確に表現し直すべく、海老名が補足を述べる。

 

「会長になりたいのか、それとも雪ノ下さんに勝ちたいのか。結衣の希望をちゃんと理解しないことには話が進まないからね。だから、その辺の気持ちを教えてくれるかな?」

 

 問われた由比ヶ浜は懸命に頭を働かせて、そしてぽつぽつと話し始めた。

 

「あのね、ゆきのんに勝ちたいのもホント。今までは考えた事もなかったんだけど、ゆきのんに挑んでみたいなって、ふっと思ったの。それと……会長になりたいのもホント。でもこれも、ゆきのんを意識してってのが大きいかも。そういう役職に就いて、少しでもゆきのんと対等になれるようにって。それから、ゆきのんの仕事をあたしが引き受けられるようにって。……そんな感じ、かな?」

 

 黙って最後まで聴き終えた海老名は、うーんと頭を捻っている。

 それを横目で確認して三浦が口を開く。

 

「会長になって高校をどうするとか、そういうのは無いんだし?」

「うん……だね。みんなが楽しく過ごせるようにってのは思うけど、それぐらい?」

 

 少しばつが悪そうに答えた由比ヶ浜だが、三浦には咎めるような雰囲気はもちろん落胆の色もない。むしろほんの少し頬が緩んだ気さえした。

 

「それで充分だし。今の会長も『みんなが明るく楽しく過ごせる学校にしたい』って言って当選してるし、継続をアピールできるのは利点だとあーしは思うし」

 

「へーえ。優美子もいいこと言うじゃん。雪ノ下さんを意識しすぎじゃないかって、私はマイナス面を考えてたんだけどさ。こんな世界に巻き込まれてる状況だし、楽しく過ごせるようにって訴えは悪くないよね」

 

 三浦に続いて、海老名が軽い口調で感想を述べる。

 

 茶化したような物言いは相変わらずだが、そこに驚きと賞賛の感情が潜んでいるのが二人には理解できた。ふっと同時に息を漏らして顔を見合わせると、海老名がそっぽを向いているのが視界の端で確認できた。

 

「うん。優美子に言われてあたしも気が楽になったし、だから姫菜が思うマイナス面も教えて欲しいなって」

 

 

 そう由比ヶ浜に語りかけられて、海老名は視線を戻すと少し考え込んでから口を開く。

 

「雪ノ下さんに勝ちたいってのは、たぶん対等にって気持ち以上にヒキタニくんの存在が大きいよね。で、会長になりたいのは雪ノ下さんと対等にって希望が根底にあると。それってさ、結衣は今の奉仕部のままじゃダメだと考えてるってことだよね?」

 

「そう……かも。できれば三人で、もっと話を深めたいんだけどさ。ゆきのんが会長に立候補するって言って聞かないし、それだとヒッキーと距離ができちゃうじゃん。ヒッキーの事はまた後で詳しく話すけどさ。ゆきのんとヒッキーにも仲を深めてもらわないと、今のままだと絶対ダメだなって思ったの。だからヒッキーには『ゆきのんに協力してくれてもいいから』って言ったんだけどさ」

 

 うんうんと頷きながら話を聞き終えると、海老名の顔は更に渋いものになっている。

 

「あーしも、隼人は分かんない事が多すぎるからさ。隼人の事をもっと詳しく知るために協定を結んだりしたんだし。だから結衣の気持ちも理解できる気がするし」

 

 逆に三浦は腑に落ちたような表情を浮かべていた。ライバルの一色を牽制するよりも、まずは二人で協力してより多くの情報を得るべきだと考えた過去の自分に思いを馳せながら、感想を述べる。

 

「そっかー。うーん……まずは確認できるとこから話を済ませよっか。三人で話を深められるなら、結衣は今までの奉仕部でも良いって思ってる?」

 

「ううん。それだと、あたしが何にも変われないじゃん。ゆきのんに少しでも近付けるように、生徒会長になるってやり方を知っちゃったからにはさ。やってみたいなって思う」

 

 三浦の言葉に軽く頷いてから問い掛ける海老名に、少し考えただけで由比ヶ浜は即答した。

 

「でも雪ノ下さんやヒキタニくんと距離ができるし、いつでも自由に会えるってわけにはいかなくなるよ?」

「うん、それでもさ。ゆきのんが会長になってヒッキーと距離ができるよりは、そっちの方がいいってあたしは思うの」

 

 重ねた問い掛けに、迷いのない強い口調で返事をされて。とある解釈を胸にしまい込んでおこうと海老名は決意した。

 

 彼が選挙で二人のどちらか一方に協力した場合、無事に当選を果たした暁には他方と奉仕部で二人きりになる。

 つまり、由比ヶ浜が善意で口にした言葉を悪いように曲解すると、「彼と二人きりで部活をしたいと秋波を送っている」と受け取られかねない。

 

 あの二人の性格を考えると、さすがに杞憂だろうと海老名は思う。それに由比ヶ浜はそんな性格ではないと、あの二人も知っているはずだ。

 

 けれど人が誰しも持っている悪い側面を多く見てきた海老名は、同様の経験をしてきたであろう二人を全面的には信頼しきれない。いや、信頼の問題ではないのだろう。むしろ、思考能力に優れ勘も鋭いあの二人ならそんな解釈にも思い至るだろうと、信頼しているからこそ心配なのだ。

 

 一笑に付してくれればそれで良い。だが、いくら可能性が皆無に近くとも、自分にとって特別な人の「もしも」は気になるものだ。そんな事にかかずらって落ち込ませたくないと思うほどには、海老名は二人を親しく思っている。

 

 二人に関しては「変なふうに受け取らないで欲しい」と祈るしかないし、この解釈を由比ヶ浜に伝えてもいらぬ心配をさせるだけ。

 

 だから海老名は自分の中に仕舞い込んでおこうと決めたのだった。

 

 そして頭を切り替えて口を開く。

 

 

「会長選に勝つのが最優先ならさ、一番いいのはヒキタニくんを引き込むことなんだけどねー」

「ヒキオの性格的に無理だと思うし」

「ヒッキー、あたしとゆきのんの会長就任を邪魔するって言ってたよ」

 

 二人の返事に頷いて海老名はそのまま話を続ける。

 

「じゃあ現実的な話をすると、まずはクラスからの支持を固める事かな。特に隼人くんには明日の朝一番に話をしたほうが良いと思う」

「うん。じゃあ早めに行って待ってよっか」

「念のため、できるだけヒキオに見られないように動いた方がいいと思うし」

 

 三浦の補足を耳にして、企みが半分バレているのを悟った海老名が苦笑する。首を傾げている由比ヶ浜には詳細を伝えずに、そのまま話を続けた。

 

「さっきの城廻先輩ほどの大物はなかなかいないと思うけどさ、もしヒキタニくんが他の候補を見つけてきたら三つ巴になるじゃん。結衣には耳が痛いかもしれないけど、たぶん雪ノ下さんが一番人気で結衣は二番手になると思う。ここまではいい?」

 

 しっかりと首を縦に振る由比ヶ浜を見て、意外と会長職が似合うかもしれないなと思いながら海老名は語り続ける。

 

「だから雪ノ下さんよりも結衣を選んで欲しいって、全校生徒に訴える何かをさ。結衣には考えておいて欲しいんだよね。そういうのって、自分の言葉じゃないと意味ないからさ」

「ゆきのんよりもあたしを……うん、考えてみる」

 

 相手のスペックを考えると、無茶なことを言っている自覚はある。だが対立候補を上回る何かをアピールできないようでは、順当な結果で終わるだけだろう。

 即答してくれた由比ヶ浜の想いに応えるべく、自分もなすべき事をなそうと海老名が考えていると。

 

「あーしは具体的な行動が合ってるから、票を少しでも奪えるように動こうと思うし」

「それさ、一番手の雪ノ下さんと三番手の誰かとで対処を分けたいんだよね。状況に応じてってのもあるから……」

 

 自分を信奉する生徒たちを動かして、大規模な説得工作を行うつもりだと受け取って。海老名がその動きに制限をかけようとしたところで、それを遮るように三浦が話を続ける。

 

「あーしは指示に従って動くだけだし。だから、どう動くかの判断は任せるし」

「あー、そういう事ね。最初から私に司令塔を任せるつもりだったのにあの言い方って、ちょっと優美子も性格が悪くなってきたんじゃない?」

 

「たぶん、誰かに似たんだと思うし」

「あー、確かに優美子って最近、姫菜っぽいなって感じる時があるんだよねー」

 

 そんなふうに時折じゃれあいながら、三人娘の話し合いは続く。

 途中からは恋愛話も始まって、日が変わる頃まで話題が尽きることはなかった。

 

 

***

 

 

 同じ頃、一色を高校まで送り届けた比企谷八幡は自宅のリビングに戻ってきて、ソファに深く腰を落としていた。なんだか疲れが一気に出た気がする。

 

 今日の一色は反応に困る言動が多かった。何とか平静を装って対処していたものの、実際には危ういところだった。特に上目遣いで「ここに泊まったら、ダメ……ですか?」と言われた時には、過去の黒歴史をかなぐり捨てて「はい、喜んで」と答えそうになったほどだ。

 

 頑張って耐えた俺って偉いなーと、八幡がそんな事を考えていると。

 

「いろはさん、せっかく来たんだから、もう一晩ぐらい泊まっていけば良いのにさー」

 

 ぐったりした八幡のすぐ隣でぶつくさ言っているのは妹の比企谷小町だ。兄とは対照的に目をきらきらと輝かせて、実に生き生きしている。その理由は明白だった。

 

「お前に何を言われるか分かったもんじゃないからな。からかわれないように逃げたんだろ。つか本当に大した事は言われてねーからな」

「ちぇー、つまんないの」

 

 距離を置いて座っていた状態から一色がおもむろに立ち上がって、顔を八幡の耳元まで近付けて何かをして、そして元の場所に戻った。それが小町が見た全てなのだが、中学生にとっては妄想を逞しくするのも当然のシチュエーションではある。

 

「それより、ほら。旅行先で撮った写真が山のようにあるから、これでも見てろ。お兄ちゃんちょっと体力的にも精神的にも疲れたから、質問があるまでぐったりしてるわ」

 

 大量の写真を共有状態にして、そのまま軽く目を閉じる八幡。

 そんな兄の顔を見ながら、小町は軽い微笑みを漏らしていた。

 

「疲れてるのに部屋に引っ込まずにここに居てくれるとことか、質問可能なところとか、今日のお兄ちゃんは一味違いますなー。旅行先で何かあったの?」

 

 妹にそう問われて薄く目を開けた八幡は、少し迷った末に口を開く。

 

「まあ、色々あったんだわ。話し出すと長くなるし、ちょっと中途半端な状態だからな。もうちょい整理が付いたらちゃんと話すから、そん時は頼むわ」

「およ。半分は冗談のつもりだったのに、お兄ちゃんもやりますなー」

 

「俺は何もしてねーっての。ただまあ一色の立候補の事もあるし、最近周りの人間関係が複雑過ぎてなあ……。お兄ちゃんがやばくなったら、頼むから相談に乗ってくれよ?」

「けっこう本気で見直したつもりだったのに、ダメなお兄ちゃんも健在だ……」

 

 そう呆れ声で答えた小町だが、その前にしっかりと首肯していたりする。

 それを知ってか知らずか、八幡は再び目を閉じてぼーっと頭を休ませていた。

 

 

 ふとメッセージが届いた音がしたので、八幡は目を開けてアプリを確認した。

 

『立候補の経緯を結衣から聞いたし。とりあえずお礼を言っとくし』

 

 思いがけない人物からのメッセージに、八幡は思わず吹き出しそうになった。

 

 旅行先で夜にホテルを抜け出して一緒にたこ焼きを食べた時に、一色の詳しい事情を知りたいと頼まれたのを思い出す。結局は何の役にも立たなかったなと思いながらも、頼まれごとが解決したのを知って喜んでいる自分もいる。

 

『俺は何もしてねーから、お礼を言うなら由比ヶ浜に言ってやれ。それか、たこ焼きとお茶でも奢るとか』

 

 そこまで書いて、どう続けたら良いのか分からなくなったので、これでいいやと送信した。

 しばらく待っても返事は来なかったが、特に期待してなかったので不満はない。

 

 そのまま少し時間が過ぎて、ふと八幡の口から小声が漏れる。考えてみれば、旅行中は毎晩のように部屋を抜け出していたんだなと思いながら。

 

「この先、妹にも言えないような事とかも出てくるのかね?」

「……なんだか今日のお兄ちゃんって、変なのはいつもだけどちょっと違うよね。あ、この写真の雪乃さんと結衣さん可愛い!」

「どれ……ってああ、それな」

 

 三人で撮った通天橋の写真を見せられて思わず遠い目をした八幡は、小町が小声でつぶやいた事には気付かなかった。

 

「へーんだ。自分だけ大人になっちゃったみたいな顔してさ」

 

 

***

 

 

 同じ頃、久しぶりに自宅に帰ってベッドで寛いでいた葉山隼人は、こちらも意外な人物からのメッセージを受け取っていた。

 

「まあ、良いんだけどさ。初めてのメッセージがこれとはね。……いや、文化祭の前にも一度あったな。でも事務的な内容なのは相変わらず、か」

 

 そう呟きながらメッセージにもう一度目を通す。

 

『相談があるのだけれど。姉さんと昔よく行った喫茶店で、三十分後に』

 

 こちらが断るとはかけらも考えていない物言いには苦笑するしかない。そして事実、葉山に拒否するという選択はない。あの姉妹には逆らえない理由が葉山にはあるからだ。

 

「今すぐに出たら半分の時間で行けるけど……雪乃ちゃんのことだから『姉さんと違って私は寛大なのよ』とか思ってそうだよな」

 

 幼なじみの喋り方を真似てみて、少し心が落ち着いたので。葉山は力強く起き上がると、手早く支度を整えて外に出た。

 

 

 待ち合わせの五分前に店に入ると、既にそこには待ち人がいた。向かいの席に腰を下ろしてブルーマウンテンを注文してから、葉山は雪ノ下雪乃の顔を見据える。

 

「なんだか、こうして話すのは久しぶりな気がするわね」

 

 グァテマラを一口飲んでから話し掛けてくる雪ノ下を見て、葉山は彼女の姉の姿を思い出さずにはいられなかった。

 一緒にこの店に来ていたのはもっと幼い頃だったのに。

 幻視した彼女の姿はすっかり大人びていて、鮮やかなルージュのコートを身にまとっている。

 

 運ばれてきたブルーマウンテンを一口飲んで、その苦みで彼女のイメージを追い払った。

 

「昨日の夜にも、戸塚と比企谷の四人で話をしたはずだけど?」

「意味を分かっているくせに、そんなふうに言うのね。それとヒキタニくん呼びはしなくて良いの?」

 

 普段とは違ったくだけた物言いに、今度は幼い頃の雪ノ下を思い出してしまった。その幻影を心の中に留めたまま、葉山は口を開く。

 

「ここでは言葉を飾らなくても良いみたいだしね。それで、用件は会長選挙のことだろ?」

「御名答ね。私に協力して欲しいのよ」

 

 ここで飲物を口に含んで少し間をおいた。その間、雪ノ下は身じろぎ一つしていない。

 

「俺の協力が必要だとは思えないな。いろはの状況は把握してるつもりだけど、他に何かあったの?」

「由比ヶ浜さんも立候補するって言い出したのよ。それと比企谷くんも、私たち二人が会長になるのは反対だって言って対案を考えてる」

 

 今度は飲物には手を出さず、一つ頷いてから腕を組んで今の情報を検討した。どちらを脅威と捉えているのか訊ねてみたいと思ったものの、答えは明らかだしあまり耳にしたくはない。だから別の質問を投げかける。

 

「比企谷の対案って、何だろう?」

「さあ。会長選挙自体を台無しにするとか、予想も付かない候補を引っ張り出してくるとか、そんな大雑把なことしか分からないわね」

 

 その声に喜色が混じっているのが感じ取れて、葉山は内心で複雑な表情を浮かべた。だがそれを素直に表に出せるほど、今の自分は幼くはない。

 

「選挙を台無しにするのは、その後が続かないから悪手じゃないかな。生徒会の存在自体を葬り去れば問題はなくなるけど、それは比企谷でも無理じゃない?」

「私もそう思うんだけど、比企谷くんは読めないのよね。他の候補は?」

 

 気怠げな口調でそう質問されても、葉山には試されているという感覚はなかった。単に話を早く進めるために問い掛けているだけで、こちらの頭の出来映えなどは先刻承知だろう。

 手を抜いた答えを告げても時間の無駄にしかならないので、葉山は懸命に頭を捻った。

 

「とりあえず、比企谷の交友関係を全て押さえておけば良いんじゃないかな。可能性で言えば戸塚とか川崎とかだけど」

「足元が見えていないのは相変わらずね。比企谷くんの知り合いの中で、立候補したら一番当選の確率が高い人物は誰だと思う?」

 

 

 そう言われて葉山は大きくため息を吐いた。協力を要請してきた理由は最初から明白だったのだ。自分が気付いていなかっただけで。

 

「俺は最初から立候補の意思は無いんだけどな」

「貴方はそう言うけれど、気持ちは変わるものよ。だから念には念を入れたいのよ」

 

 その申し出には頷くことで返事に代えた。とても何かを口にできる気力がない。

 

「とはいえ、貴方の答えも悪くはないわよ。しらみつぶしに比企谷くんの交友関係を潰していけば、打つ手は無くなるはずだもの」

「一つ思い付いたんだけどさ。城廻先輩の続投って手は無いかな?」

 

 形だけの慰めを言われて、逆に葉山の心に火が灯った。八幡が連絡を取れる人物のリストを頭の中で思い浮かべて、その中から最も意外な人物の名前を口にすると。

 

「そうね。それは確かに意外性という点では一番ね。でも私に勝てると思う?」

「どんなに頑張っても春までの一時凌ぎだからね。そこを正論で突けば、雪乃ちゃんの勝ちは動かないな」

 

 親しげな口調で問い掛けられた葉山が、小学生の頃に戻ったような気持ちに浸っていると。

 雪ノ下が意外な名前を挙げる。

 

「一番怖いのは、比企谷くんが一色さんを説得する事よ。男子からの人気は侮れないし、あれだけの支持母体があれば比企谷くんが打てる奇策も幅が広がるわね」

 

 先ほど思い浮かべたリストの中に一色の名前を入れ忘れていたのに気がついて。それでも葉山は何とか声を絞り出した。

 

「……なるほどね。協力して欲しいって話は、身柄を拘束するだけじゃないって事か」

「会長になろうというのに、人材を無為に遊ばせておくのは勿体ないでしょう?」

 

 くすっと笑いながらそう言われると、葉山も苦笑を返すしかない。

 とはいえ不可解な点もある。これほど会長職に固執するのは何故なのか。雪ノ下は何に駆り立てられているのだろうか。

 

 

「でもさ、協力は惜しまないけどね。できれば会長職に拘る理由を教えて欲しいな」

「理由を言わなかったのは、これでも貴方を気遣ったつもりだったのよ?」

 

 そう言って雪ノ下は無邪気に微笑んだ。

 幼い頃に三人で遊んだ時のように。

 

「姉さんに、姉さんとは違うやり方で集団を動かせると示すためよ。あの人が信じているものを打ち砕くために。そして、あの人が信じていないものを信じさせるために。そう言われたら、貴方に選択の余地はないでしょう?」

 

 続けて「だから黙っていたのよ」と囁かれた気がした。だがそれは幻聴だ。現実の彼女()はそんなに優しくないし、そこまで言わないと解らないと思われる方が葉山は嫌だった。

 

「確実を期すなら比企谷を取り込むべきだと思うけどね。それを検討した気配がないのは、何故?」

 

 よりにもよって雪ノ下の前で、彼よりも自分が劣ると認めるような発言をするのは苦痛だった。だが葉山にも意地があるし、協力すると誓ったからには(葉山にとって先程の発言は誓いに他ならなかった)最善を尽くす。だからそう問い掛けた。

 

「考えてみて。姉さんとは違った私のやり方で上手く行くならそれで良し。でも貴方や私ですらも思い付かないようなやり方で、比企谷くんが誰かを会長に据えられれば。それは姉さんにとっても未知のやり方でしょう。だから私はどちらに転んでも良いのよ。もちろん負けるつもりは無いのだけれど」

 

 まるで歌うような声音で説明を受けて。八幡の尽力によって会長に就任した一色を葉山は思い浮かべた。

 それは夕方にグラウンドで見た姿とは似て非なるもの。

 

 あの時に一色が考えていた事を葉山は全て読み取ることができた。

 身近な他者に劣るという理由で勝手に過小評価していた誰かに、自分は遠く及ばないのだと理解させられる。それはこの姉妹を相手に過去の自分が経験したことと同じだから。

 

 だから葉山は一色に優しく笑いかけることができたし、心の奥底を読み取られていないと安心することができた。

 

 だが、もしも一色が変わってしまったら。目の前の幼なじみや対立候補の同級生と同じように、彼の手によって変わってしまったら。それを思うと、なおさら葉山に選択の余地はなかった。

 

 雪ノ下を会長にするために全力を尽くすのは勿論のこと。それと平行して、彼に負けないように一層の成長を遂げなければ話にならない。

 

 奇しくも、変わりたいという意思を由比ヶ浜が友人に伝えているのと同じ頃に場所を隔てて、葉山もまた変化の必要性を認識した。

 

「どちらに転んでも良い、か……俺はできれば勝ちたいけどね」

 

 負けても良いなんて、葉山にはそんな贅沢は許されない。もがいてもがいて成果を出すことでしか道は拓けない。

 彼我の隔たりを改めて自覚して、葉山は唇を噛みしめながらもそっと決意を語った。雪ノ下に悟られないように、けれどこの上なく真剣に。

 そして、こう続ける。

 

「でもさ、陽乃さんはどう思うだろうね」

「ええ、楽しみだわ」

 

 意図が通じていないと理解しても葉山に落胆はなかった。なぜなら確証が持てなかったからだ。だが自分の中の違和感は消えてはくれない。

 

 果たして、あの人が見たいと思うものはそれなのだろうか?

 

 葉山はその疑問を喉の奥に呑み込むと、すっかり冷めたブルーマウンテンで押し流した。




今週初めに更新の予定でしたが、少し遅れてごめんなさい。
次回は少し余裕を見て二週間後を考えています。
その後は少しずつペースを上げられると思うのですが、いきなり丸一日潰れてしまうケースが増えていて、なかなか断言しにくいのが申し訳ないです。

ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
細かな表現を修正しました。(3/16)
6巻13話にて、葉山は既に雪ノ下からのメッセージを受け取っていたので修正しました。申し訳ありません。(3/30)

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