俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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場面転換で使用している「*」は通常は三つですが、それを五つに増やして目印としました。
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以下、前回のあらすじ。

 打ち合わせのために早朝に登校した八幡は、他の面々を待ちながら一色と二人きりの時間を過ごしていた。会長としての基本方針を自分の言葉で語るようにと促された一色は、それを頭の中で少しずつ固めていく。

 二人の仲をからかう声には手を焼いたものの、仕事の分担は順調だった。一色の友人たちや相模グループの一同には情報収集を、遊戯部の二人と材木座にはwikiの製作を頼んで。大和と相模のおかげで推薦の首謀者たちとも険悪な関係を脱して、少しは前向きに協力して貰えるようになった。

 放課後になって、相模を城廻のもとに派遣した八幡は、文実の渉外部門で特に関係が深かった四人と連絡を取った。引き抜きこそ出来なかったものの、耳寄りの情報を入手してこちらの要望も受け入れてくれて。満足のいく結果を得られた八幡は、雪ノ下の集会に向かう一色たちを見送ると、稲村を説得するために高校を後にした。

 稲村が特別な想いを抱く異性は由比ヶ浜ではなく一色だと知って、説得方法の練り直しもままならない状況で八幡は対話を続ける。できれば秘しておきたかった本音を晒して、稲村の逆鱗に触れかねない指摘を敢えて口に出して、八幡は正面からの力押しで事態の打破を試みる。
 最後に、今年の入学式から続く因縁を示して、八幡はようやく稲村の協力を勝ち取った。



11.もう決意は変わらないと彼女らは堂々と宣言する。

 翌日の火曜日も、比企谷八幡は朝早くから空き教室に詰めていた。

 とはいえ仕事の割り振りも打ち合わせも大部分は昨日のうちに済んでいるので、室内にいる四人からはあまり緊迫感が感じられない。

 

「普通に考えたら、雪ノ下が中央集権的な専制政治を目指して、由比ヶ浜が地方分権的な共和政治を目指しそうなものなのにな」

「雪ノ下先輩はともかく、結衣先輩の説明が分かんないんですけど~。生徒会長選挙で地方分権って何ですか?」

 

 昨日の集会の話は直後に簡単な報告を受けたし、夜には製作途中のwikiを通して(幹部限定という名の裏ページが何だか物々しくて、吹き出してしまったのを覚えている)詳しい状況まで把握できているのだけれど。

 

 それでも面と向かって一色いろはの話を聞いていると、新しい情報は何も無いのに新たな気付きがいくつか出てくるのだから不思議なものだ。

 

「簡単に言えば、特権的な地位をみんなにも分け与えるから一緒に国……っつーかこの場合は高校か。まあ一丸となって盛り上げよう、てな感じかね。でもお前の話を聞いてると、生徒それぞれが個性を発揮するのを生徒会が後押しするって言ってるのが雪ノ下で。それとは逆に、生徒会のために個人個人が可能な範囲で協力して欲しいって主張してるのが由比ヶ浜だろ?」

 

「でもさ、それって結衣ちゃんの立場なら仕方ないじゃん。結衣ちゃんって、雪ノ下さんに負担が集中して無理をさせちゃうのが嫌だから立候補したんでしょ。その気持ちはうちも同じだし、雪ノ下さんの仕事を少しずつでいいから引き受けて欲しいって主張も、解るなあって思ったんだけど?」

 

 正面の椅子に座る一色に向かって話していると、左側から相模南が口を挟んできた。その意見は真っ当で特に異論の無いものだったので、八幡はうむと一つ頷いてから右に視線を送る。

 

「生徒会のためにって部分を見れば集権的だけど、特定の個人に頼らず大勢でって点では共和的だな。逆に雪ノ下さんは、各々がやりたい事を尊重するって点では分権的だけど、生徒会という組織に立ち入らせる気が無さそうなのは専制的だよな」

 

 大和のまとめが八幡の予想を大きく超える的確なものだったので、思わず目を見開いて反応してしまった。

 すると大和は少しだけ視線を床に落として、申し訳なさそうに付け加える。

 

「ここまで固い言い方じゃなかったけど、昨日ここに来た推薦人の……うん。あの子らがそんな感想を言ってたからさ」

「なるほど~。その手の距離の捉え方は、男の人よりも女の子のほうが敏感かもですね~」

 

 そう言い終えると同時に、なぜか急にはっと身を固くした一色がかろうじて平静を装っている。

 

 敏感という言葉でからかわれた先日の一件が頭を過ぎったんだなと思い付いて、どくんと鼓動が跳ねる。内心の焦りが表情に出ないようにと、ごくんと唾を飲み込んだ八幡が密かに身構えていると。

 

「でもさ。そういう雪ノ下さんの、超然としたって言うのかな。人を寄せ付けないみたいな部分は葉山くんが上手く補ってるよね。規制緩和の話とか、うちも良いなって思ったしさ」

 

「ああ、あれな。修学旅行中に在校生と連絡が取れないとか意味が分からんって、京都に居る時から言ってたもんな。雪ノ下なら正論で訴えると思うんだが、同じような事を思った奴らに共感って形で訴えるのは葉山の上手いところだわな」

 

 そういうところがいけ好かないんだよなあと思いつつも、この三人の前で口にするのは憚られたので八幡は口をつぐんだ。

 それを目ざとく確認して、ほんの少し頬を緩めた一色は、何でもない顔をしながら口を開く。

 

「全校生徒のためにって姿勢をアピールしながらも雪ノ下先輩は専制的で、みんなで少しずつ負担をって言いつつも結衣先輩は共和的で。じゃあわたしは、う~ん、どうしよっかなぁ?」

「お前の場合は、アイドル的って感じで良いんじゃね?」

 

 思わず反射的に「は。何言ってるのこの人?」という顔を向けそうになって。直前で何とかブレーキを踏んだ一色は、今にもぴくぴくと動き出しそうな目の横のあたりの筋肉を意思の力で押しとどめながら、軽い口調でそれに答える。

 

「つまり、みんなに協力を呼びかけるけど特権も渡さない、みたいな感じですね?」

「それ、一番たちが悪いやつなんだよなあ……」

「もう、せんぱいが言い出したんじゃないですか~!」

「まあ、そうなんだがな」

 

 あっさり認めるとは思っていなかったので、二の句が継げない一色が口をぱくぱくさせていると。

 

「その……みんなに協力を呼びかけるってことは、雪ノ下さんは勿論だけど一色さんの負担も減らせるんだよね。うちら最初はヒキタニくんの為にって理由だったけど、今は本当に当選して欲しいなって。でも、それで負担を押し付けちゃうのは嫌だなって思っててさ……」

 

 何だかんだで根は善良なやつなんだよなと八幡は思う。とはいえ相模がここまで親身になるのは意外だなと考えていると、大和の声が聞こえて来た。

 

「実は俺、相模さんの気合いが先週と比べて段違いだなって昨日も思っててさ」

「えっ、うん。だって当然じゃん。うち、『お姉ちゃん』って呼ばれたからにはさ……」

 

 大和も同じような印象を受けたんだなと考えながら耳を傾けていると、予想外の話が飛び出した。

 そういえば昨日そんなことを言っていたなと思い出して一色の顔をじろりと見ると、相模には見えない角度でぺろっと舌を出しながら、心なしか困惑しているようにも見える。

 

 今なお口を動かし続けて頼れるお姉ちゃんをアピールしているその横顔を、ちらりと眺めて。会うたびにちょろくなっている気がするのだが本当に大丈夫なのだろうかと内心で首を傾げつつ、八幡は相模の語りが終わるまで頭を働かせるのを止めた。

 

 

「じゃあ、そんな相模先輩に報いるためには……結衣先輩と歩調を合わせて、雪ノ下先輩に負担が集中するのは絶対反対だって主張しながら~、でもみんなの負担は重くないよって訴えるぐらいが良いかもですね~」

 

「えっ。でもそれってさ、結衣ちゃんが求める負担よりも軽く済むって意味だよね。でもさ、うちらも選挙が終わったらどこまで協力できるか判んないし……?」

 

 相模が喋り疲れた一瞬の隙を突いて一色が口を挟むと、呼ばれ方が望んでいたものとは違ったからか瞬時に涙目になっていた。

 それでも相模は健気に、そして意外と適切に問題点を指摘する。

 

「その秘訣は、俺がさっき言ったアイドル的って部分にあるんだわ。まあ内心はともかく、少なくとも外面的には喜んで協力してくれる連中に丸投げすれば、みんなが幸せになれるだろ?」

「つまり、みんなに負担を求めるんじゃなくて~、特定の人たちに外部委託しちゃえばいいって話ですよね~」

 

 敢えて含みを持たせる言い方をしてみたものの一色にはどうやら真意が伝わっているようで、補足と一緒ににこっと笑顔を贈られてしまった。八幡は苦笑するしかない。

 相模と大和は言葉どおりに受け取ったのか少しだけ身を引かれている気がするのだけれど、それも仕方が無いだろう。

 

 そして八幡が推測したとおり、一色のファンを憐れんでいた大和が口を開く。

 

「そういや例のwikiは、一色さんのファンが情報収集のついでに宣伝して回るって話だったよな?」

「だな。てか発案者として、初回の勢力分布を見てどう思った?」

「まあ……分かってはいたけど厳しいな。一色さんの支持者はほぼ網羅して、それでもあの数字だろ?」

 

 誰がどの候補を支持しているのか。それをまとめるのがwikiの本旨なので、全校生徒ひとりひとりにページが割り振られている。そこに至るには検索をかけるか、あるいはトップページからリンクを辿っていく必要がある。

 

 トップページの案として、いくつか提示された中から八幡たちが満場一致で選んだのは、最新の勢力図を大々的に表示するデザインだった。

 

 その下にクラス別、更に下には五十音別のリンクが貼ってあり、どれを選んでもトップページと同様に、その集団における支持者の割合が大きく表示される。例えば二年F組では、例えば「あ」で始まる生徒の中ではどんな分布になっているのかが一目で確認できる形だ。

 

「わたし的には、もっと少ないかもな~って覚悟してたから、意外と高いなって思ったんですけどね~」

「えっ、そうなの?」

「あれっ。相模先輩はどう思ったんですか?」

 

「うち、あれを見た時に、一色さんがショックを受けてないかなってちょっと心配したんだけどさ。やっぱうちらと違って、一色さんって打たれ強いっていうかメンタルが凄いよね。これでも一年先輩なのになあ……」

 

 同性からの反感をどこ吹く風と受け流してこの半年を過ごしてきた事からも判るとおり、一色のメンタルが強いという話は同感なのだが。それと同時に相模のメンタルが弱すぎるという側面もあるのではないかと八幡は思う。もちろん口には出さないけれども。

 

「俺も相模さんと同じで悲観的に考えるほうだけど、一色さんの受け止め方は違うんだな」

「それな。まあざっくり言うと、雪ノ下が4割強、由比ヶ浜が4割弱で、一色が2割弱だろ。この数字を『半分もない』って考えるか、『半分近くもある』って考えるかは性格の違いが出るよな」

 

 ぼそっと呟いた大和のほうに顔を向けて反射的に答えると、左目の端のほうで一色が苦笑しているのが見えた。

 

「せんぱいも悲観的に考えるほうですよね~。わたしは雪ノ下先輩が5割弱で自分は1割強だなって思ったんですけど、せんぱいの言い方だと印象が違いますね」

 

 特に強がりも焦りもなく冷静に現状を受け止めている姿を見ていると、こちらまで気持ちが楽になるのだから。一色のこうした部分は地味に凄いなと思いながら八幡が口を開く。

 

「まあ、あれだな。お前の反応を見てると、こっちが配慮してるのが馬鹿らしくなって来るよな。あ、いや、茶化したいわけじゃなくてだな。この選挙戦が始まってから何度か思ったんだが、お前って意外と会長が合ってるなって思うんだわ」

 

「あ、それ、うちも同感。年下なのに頼りがいがあるっていうかさ。むしろ、その……いろはお姉ちゃんって……」

「喜べ一色、年上の妹ができるぞ。ついでに言うと小町は俺の妹だから、お前にはやらんからな!」

 

 またもや相模の迷走が始まりそうだったので、言葉の途中で強引に介入すると八幡は全力で話を逸らした。

 しかし、空気を読まない唐変木が口を挟んでくる。

 

「でもさ。ヒキタニくんの妹さんが義理の妹になる可能性はあるだろ?」

「えっ。やっぱり二人って……じゃあ、うち……」

 

 二人同時にきっと視線を向けて、笑えない冗談を口にした大和を目の力だけで焼き尽くしてやろうかと考えていると。

 四人は同時にメッセージの着信音を耳にした。

 

 

『いよいよ投票日まであと二日!

 今年の候補者って奉仕部と縁が深いよね。

 奉仕部と次期生徒会って、どんな関係になるのかな?

 もしかして、立会演説会まで秘密なのかな?

 今日も各陣営の動きから目が離せない!

 みんなも一緒にこの選挙戦を楽しんで、よく考えて投票しよう!

 以上、選挙管理委員会からのお知らせでした』

 

 この天佑を活かさない手は無いと考えて、八幡は敢えてのんびりとした口調で話を始めた。

 

「ちょっと雑談が過ぎたな。今日の集会をどうするかって話と、あとwikiの裏ページで見たんだが反感が思ったよりも多いらしいな。その話をもうちょい詳しく知りたいんだが?」

「あ、うん。えっと、うちが聞いたのは、城廻先輩のところに届いてるぶんだけで……」

 

 予想どおりではあるのだけれど、一色が集会を開かないのは怪しからんと訴えて来たのは、ほぼ百パーセントが女子生徒だった。ほぼと付くのは連名があったからで、実質的には百パーセントと言って差し支えない。

 

「まあ、あれだな。相手にされないよりは反感を持たれてるほうがまだ良いのかね。つか今思ったんだけどな、ファンの男連中が集会を開いて欲しいって言い出さないのは何でだ?」

「だって集会なんて開けば大勢が集まって来ちゃうじゃないですか~。集会が無くてもわたしが居なくても、あの子たちは今も律儀に一年C組まで来てると思いますよ?」

 

 そういう事かと納得するしかない八幡だった。

 両隣を見ると相模も大和も苦笑している。

 

「わたしが当選したら壇上に上がった姿とかを頻繁に見られるから全力で応援する、って言ってたみたいですね~。さっきせんぱいがアイドル的って言ってましたけど、ざっとこんなもんですよ!」

 

 頑張って胸を張ってふんぞり返ろうとしているものの、さすがの一色もここまでの扱いを受けると落ち着かないのかセリフが少し棒読みだし、肩先や太腿の辺りにもほんの僅かではあるけれど無理が見える。

 

 だから、それを確認した八幡はこう告げた。

 

「ほいじゃ、そいつらが調子に乗らないように、今日は集会を開くとしますかね」

「えっ、でも……奉仕部との関係とか、仕事をどんどん押し付けられたらいいな~ぐらいしか考えてないんですけど?」

「おい」

「てへっ」

 

 いくら可愛らしい仕草で誤魔化そうとしても、今さら騙される八幡ではない。たしかに可愛いけれども、一色の本性は先刻お見通しなのだ。たしかに可愛いけれども。

 

「ううっ、やっぱり一色さん可愛い。うち、お姉ちゃんでも妹でもいいから……あいたっ」

 

 血迷いそうになった自分への戒めもあって、少し強く叩きすぎてしまった八幡だった。

 相模が両手で頭を押さえながら恨めしそうに上目遣いで見つめてくるので、よけいに罪悪感が募る。

 なので強引に視線を逸らして、右側の男に助けを求めると。

 

「相模さん、一学期はこんな感じじゃなかったはずだけど……ヒキタニくんの前だからか?」

「おい。大和もさっきから恐ろしい事をさらっと言うよな。てか時間の問題もあるから話を戻すぞ」

 

 ここで少しだけ間を置いて、唇を舐めて湿らせてから話を続ける。

 

「どっちみち一度は集会を開かないと、さすがに非難囂々だろうからな。問題は今日にするか明日にするかって話なんだが、投票前日に黙秘多めの集会を開くよりは今日の方が良いと思うんだわ。基本方針はさっき一色が言ってたとおり、大枠では由比ヶ浜と同調して雪ノ下に対抗しつつ細かい部分で差異をアピールする感じで、あとは一色が思うとおりのことをお前の言葉で伝えてくれ。奉仕部との関係は、アウトソーシング先ぐらいの説明で良いんじゃね。仕事をどんどん押し付けるとか言ったら部長様がお怒りあそばされるから、ほどほどにしておけよ。あと、……」

 

 一気にまくし立てる八幡の言葉を、しっかり記憶に刻みつけながら。ありがたいのは確かだけれども過保護だなぁとも思いながら、一色は喋り続ける八幡をじっと見つめている。

 

 自分がどんな表情を浮かべているのか自覚していない一色は、その顔を両隣から見られていることにも気付いていなかった。

 

「じゃあ、結衣先輩の三十分後にお願いしますって選管に伝えておきますね~」

「ん、それでたぶん大丈夫だろ。あ、そういや相模は役員の話を……」

 

「うん。ヒキタニくんが言ってたとおり、生徒会に入るのはどうかなって言われてさ。でも、うちらには無理だって断って……けど後になって思ったんだけど、役員の数が足りてないんだよね?」

 

 顔の向きを一色に八幡にと左右に頻繁に動かしながら、目はそれ以上に落ち着きなくきょろきょろさせている。それでも膝の上に置いた手は強く握りしめたままで、一度下した決断を翻すつもりは無さそうだった。

 

「そのへんは仕方ないから気にすんな。とりあえず生徒会は少数精鋭って形にして、外部委託を増やす方向で何とかなるだろ。奉仕部との関係って点でもそっちのほうが説明が楽だしな」

「でもでも~、あと一人ぐらいは欲しいんですけどね~?」

 

 そう言って一色がじろじろと見つめてくるので、察しが良いなと内心では感心しつつも表には出さない。気持ちの整理が付いたという連絡が来るまでは、あいつの話は伏せておくべきだろうと八幡は思った。

 

「そう簡単に言うけどな。お前って入学式早々に問題を起こしたんだろ?」

「あれは突っ掛かって来られたからで、わたしは被害者なんですけど~?」

 

 たしかに一色の言い分には一理あるので、まあなと一言だけ返して八幡はあっさり引き下がった。

 

 いずれにせよ一色が一色である限りは、つまり言動に大きな変化でもない限りは、遅かれ早かれ女子生徒から敵視される状況に陥っただろう。だから結局は今と同じような悪評が立って、役員のなり手がないという現状に繋がるのだろうなと考えて。

 八幡は思わずははっと息を漏らしてしまった。

 

「せんぱいが何を思い出して笑ってるのか分かんないですけど~。ちょっと見た目があれなので、気を付けた方がいいですよ~?」

「うん。今のはうちもちょっと……キモいかもな、って」

 

 女子生徒二人からダメ出しを受けて、八幡は続けてくくっと笑いを漏らしそうになったのを必死で堪えた。そして心の中で思う。

 あの二人に会いたい、と。

 

「そういや、お前が入学式で揉めた相手が推薦人連中なんだよな?」

 

 その想いを心の奥深くに沈めて、八幡はふと浮かんだ疑問を尋ねてみようと思い立った。

 

「ですね~。このままだと腐れ縁って感じになりそうで……」

「その時に助けてくれたのが、あれだよな。その……」

「ああ、はい。結衣先輩ですね~」

 

 やはりあいつが言ったとおり、一色にとっては単なるモブだったのだろう。

 

 確認しておくべきだと思ったからこそ話題に出したのだが、興味本位という側面があったことも否定はできない。そして予想どおりの返事を受け取ったのに、なぜか悔しいと思っている自分がいる。申し訳ないと思う自分もいるし、同時にほっとしている自分もいる。

 

 自分にとっては特別なのに、相手の目にはこちらの姿が映っていない。

 それを自覚した瞬間のあいつの心情を思うと、いたたまれない気持ちになる。

 

 京都で話をした時は、一色とは無関係だという素振りをしていた。

 それを昨夜家に帰ってから思い出したのだが、あの態度が自然に見えたのは深い諦観があったからだろう。一方で、暴走を未然に防いでくれたとあいつが恩に感じていたからこそ、俺は想い人を勘違いしてしまったのだ。

 

 頭の中で思い浮かべている対象がサーファーから部活仲間に変わっても、八幡の物思いは止まらなかった。

 だから一色の返事に呆れの色が混じっていた事にも、悩ましい表情をばっちり見られている事にも、八幡は気付いていない。

 

 

 しばしの間を置いて、朝はこれにて解散となった。

 空き教室から出て行く際に、大和と相模は顔を見合わせて「やれやれ」という気持ちを共有した。

 

 

***

 

 

 お昼に三陣営の集会予定が伝えられたぐらいで、あとは平穏に時間が過ぎて放課後を迎えた。

 朝から口コミで広めていたwikiは知名度も評判もなかなかのもので、遊戯部の部室は意気軒昂だという話だ。

 

 そして今、八幡は高校から個室を経由して自宅に戻ると、独りの時間を満喫していた。

 

「まあ、昨日は姿を消しておいて今日は平然と集会に参加してたら怪しいにも程があるからな……」

 

 誰に聞かれているわけでもないのに、言い訳がましい独り言をつぶやく八幡だった。

 そのまま小声で口に出しながら考えをまとめていく。

 

「このwikiの裏ページがリアルタイムで更新されるのは助かるな。少し古めの情報もうまいこと整理して載せてるし、後で差し入れでもしてやるか。情報収集に人を割きすぎたかなって思ってたけど、一色のファン連中がこれだけ乗り気なら問題なさそうだし。あとは前日の時点で最低でもあいつらの半分ぐらいの支持を集めて、当日で逆転……って、無謀に無謀を重ねるだけの、作戦とも呼べない代物だよなあ……」

 

 それでも、この綱渡りを続ける以外に打つ手はない。

 

 幸いなことに、二陣営の集会は可もなく不可もなくという内容で終わりそうなので助かっているけれど。あいつらがいつ攻勢に出てもおかしくないだけに、タイミングの見極めを間違えてしまえば命取りだ。

 

「じゃああの人にメッセージを送って、材木座にも一言入れてと。あとで忘れないように、編集を部分的に開放する件も書いておくか。……よし。そろそろ俺も一色の集会に向かうとしますかね」

 

 時間の余裕をたっぷり取って、八幡はおもむろに立ち上がると一年C組へと移動した。

 

 

*****

 

 

 教室に入ると、既に集会の準備が整っていた。クラスを前後に三分割したうちの中央部分は椅子で埋め尽くされていて、後ろ三分の一には何もない。おそらくは立ち見用のスペースなのだろう。

 

 部屋の前方左側には斜めに机が置かれていて、その奥に椅子が二つ並んでいる。問題は机のこちら側に大きな紙が二つ垂れ下がっている事で、右から順に一色と八幡のフルネームが大書されていた。

 即座にくるりと回れ右をして姿をくらましたくなった八幡だった。

 

「はあ……逆側は二列か」

 

 現実逃避のかわりに部屋の右前に視線を向けると、こちらには机が二つ並んでいた。手前の机が短くて奥が長い。平行に置かれたそれらは斜めを向いていて、左右の机を延長して行くとちょうど直角になるような位置関係だった。

 

 右側の二つの机にも大きな紙が貼られていて、手前の短いほうには左から順に雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣の名前が、奥の長いほうには葉山隼人・戸塚彩加・海老名姫菜・三浦優美子の名前がある。

 

「最初の雪ノ下先輩の集会がこんな感じの配置だったんですよ。向かって左側に葉山先輩と並んで座っていて、右側の奥には相模先輩と大和先輩の席があって」

「もともと奥には比企谷先輩の名前があったみたいで、参加者を伝えた時に変更したんだろうなって一色が言ってました」

 

 背後から説明の声が届いたので振り返ると、元文実にして一色の推薦人でもある二人の女子生徒が、少しはにかみながら並んで立っていた。余計な口を利いたかなと、あるいは馴れ馴れしい口調だったかなとびくびくしているのが伝わって来たので、軽い口調で応える。

 

「なるほどな。でも、俺の名前だけが場違いなんだよなあ……。つかパネリストが並んでるみたいな感じなんだが、相模は大丈夫だったのか?」

 

「かちんこちんって、あんな状態を言うんだなーって」

「雪ノ下先輩も由比ヶ浜先輩も気を使ってくれて、話を振らないようにしてくれたので大丈夫でしたよ」

 

 それは良かったと思いつつ、報告に上がっていないのを問題にすべきか否かと八幡が考えていると。

 

「あっ、あの先生がC組の担任です。教室の後ろと体育館を繋げに来たのかな」

「今は由比ヶ浜先輩のクラスと繋がってるんですけど、そのままこっちに繋げると移動しなくて済むから楽なんですよ」

 

 ふむふむと頷きつつ教師の動きを見守っていると、教室の後ろの壁がたちまち忽然と消えて、その向こうには板張りの床が続いている。

 体育館には大勢の生徒が集まっていて、最前列には見知った顔が並んでいた。

 

「さすがに一色さんの集会には顔を出すのね。昨日・今日と何をしていたのか、さっそく問い詰めたい気もするのだけれど?」

「ヒッキーだし、とんでもないことを企んでるかもしれないけどさ。いくらゆきのんでも、無理に聞き出すのは良くないよ?」

 

 雪ノ下から伝わって来る圧力は、何度経験しても慣れないし。

 それを軽くたしなめている由比ヶ浜の存在感も、一緒に部活をしていた頃とは違って途轍もなく大きく見える。

 

「そんなに買い被られても何も出ねーぞ。せいぜい、叩いたら埃が出るぐらいかね」

 

 何とか口を開いて言い返してみたものの、二人はふっと笑いを漏らしただけで動じた様子はかけらもない。

 

 このまま睨み合いが続いたら神経がすり減りそうだなと考えていると、思いがけずすぐ横手から小声で話し掛けられた。

 

「埃って言えば、せんぱいって、いつの間にその子たちと仲良くなったんですか?」

 

 いつの間に近づいていたのだろうか。

 味方のはずの一色から抑揚のない声で一番返事に困る質問を投げつけられたので、八幡は背中をしゃんと伸ばして目を白黒させるのが精一杯で、目立った反応ができそうにない。

 

「ま、その話はあとでじっくり聞きますね~。じゃあ、雪ノ下先輩と結衣先輩はあちらへどうぞ~。後ろに座るのは、葉山先輩と戸塚先輩で大丈夫でしたよね。海老名先輩と三浦先輩もあっちですよ~」

 

 八幡と横にいる女子生徒二人だけに聞こえる声でそう告げると、一色は大きく後ろを振り返って対立候補とその腹心たちを招き入れる。

 だがそこで待ったの声が上がった。

 

「あのさ、あーしと隼人の席を端にしたのってわざとだし?」

「まさか~。そんな小細工をするわけないじゃないですか~」

 

 しょっぱなから前途多難だなと思いつつ。ひとまず虎口を脱したのでほっと胸をなで下ろして、一色の指示を待たずに大人しく席に向かう八幡だった。

 

 

 居心地が悪いなあと思いながらも我慢して席に腰掛けて、八幡は教室を一望した。

 

 椅子に座っているのは各陣営の幹部連中ばかりで、その中には柔道部の城山や野球部の大岡の姿もある。その隣には対立陣営なのに仲良さそうに話している戸部翔が座っていて、大和と相模が並んでいるのも確認できた。他に見覚えのある顔としては女テニの部長もいる。

 彼女が審判を務めてくれた春先のテニス勝負を懐かしんでいると、ふと川崎沙希が居ないなと気が付いたので。最前列に三つ空席があるのでそこに来る予定なのか、それとも二年F組で留守を預かっているのか。おそらく後者だろうなと八幡は思った。

 

 それに対して一般の生徒たちは立ち見が基本なのだろう。教室内は一色のファンで埋め尽くされていて、無駄に統制が取れているのが微笑ましいというか何というか。

 

 体育館に回った一色ファンも率先して動いていて、生徒の群れを整然と並べるべく全力を尽くしていた。おかげで混乱は起きそうにないけれど、もしかして自分たちの陣営だけ雰囲気が違うのではないだろうかと素朴な疑問が湧いて来る。とはいえ今更なので修正する気もないのだけれど。

 

「意外と大人しく座ってるんですね~」

 

 隣の席にひょいっと腰掛けて、一色が小声で話しかけてきた。先程とはうって変わって機嫌が良さそうなので、ほっと肩の力を抜いて隣の後輩に視線を送ると、眩いばかりの笑顔に出迎えられた。思わずどきっと胸が跳ねる音を響かせてしまった八幡だったが。

 

「三浦先輩の主張は無事に却下して来ましたし、これって幸先いいですよね~!」

 

 ああ、うん。一色ってこういう奴だったよなと一瞬で冷静に戻った八幡だった。

 

 

「お待たせー。じゃあ定刻になったので、私たち選管の立ち会いの下で一色さんの集会を開催します!」

 

 教室に入って来るなり城廻めぐりはそう宣言すると、後ろに従う男女二人を引き連れて空席に向かった。

 次期副会長が内定している本牧牧人と、書記を務めることになる藤沢沙和子が城廻と並んで腰を下ろすのを待って、まずは一色が席を立って口を開く。

 

「えっと、これだけ多くの人がわたしの集会に集まってくれて、ありがとうございます。生徒会長候補の一色いろはです。まずは会長としての基本方針をお伝えしますね」

 

 語尾を伸ばすのはやめて、口調も少し丁寧になってはいるものの、いつもの話しかたとそう変わらない。緊張の気配はまるで無いし、ファンの心を捉えて離さない一色の魅力はかけらも失われていない。

 大したもんだと思いながら、八幡はすぐ隣から聞こえて来る声に耳を傾ける。

 

「わたしが立候補したのは、一つは結衣先輩と……いつもの呼びかたをさせて下さいね。その結衣先輩と同じで、雪ノ下先輩に負担が集中するのは嫌だなって思ったからです。そして二つ目は、お二人が所属している奉仕部と、一緒に仕事をしたいなって思ったからです。だから奉仕部は今の三人のままで、それとは別にわたしが生徒会を主催して、城廻先輩の時と同じように親密に協力し合って、この高校を盛り上げて行けたらいいなって思っています」

 

 そこまで一気に語り終えるとぺこりと頭を下げて、ファンの拍手と野太い声に促されて顔を上げた一色はあっさりすとんと腰を下ろした。

 

「思ってた以上にすんなりと奉仕部との関係まで説明できちゃったので、あとはせんぱいにお任せしますね~」

 

 小声で恐ろしいことを告げられて、とはいえここまで来たら逃げも隠れもできないわけで、仕方なく八幡は腰を上げた。

 

 

「一色を応援している比企谷です。大勢の人たちに集まって貰えて恐縮です。わた……言葉の座りが悪いので、俺と自称させて下さい」

 

 一色の話しかたを参考にして何とかそれっぽく喋ってはいるものの、付け焼き刃な感じは否めない。いざとなったら横から簡単に口を挟むつもりではいたけれど、こんなふうに演説をする羽目になるとは思ってもいなかったのだ。

 

 こうなると判っていたら少しは練習もしたのにと、今さら後悔したところでどうにもならない。だから八幡は今までの経験を総動員して、国語学年三位だと粋がっていたその実力を全てさらけ出す覚悟で言葉を続ける。

 

「俺はさっき一色が話に出した奉仕部に所属していますが、情けないことに雪ノ下と由比ヶ浜のどちらが抜けても今までのような活動は無理だと思います。それは二人に原因があるのではなくて、どちらが会長になってどちらが奉仕部に残っても、それを支える俺の力が及ばないのが原因です。たぶん二人のうち奉仕部に残ったほうは、1.5人分ぐらいの働きをしてくれます。でも残りの0.5人分は、俺だと埋められないんですよ。……だから俺は、会長選挙に意欲を示す一色に助けを求めました。奉仕部が今のままで、一色が生徒会長になってくれたら、城廻先輩の時と同じかそれ以上の相乗効果が期待できると俺は思っています。それが、俺が一色を応援している理由の全てです」

 

 そう言い切ると同時に、力を使い果たしたかのように頭を下げていた。拍手がまばらに起きているのを耳にしながら残る力を振り絞って顔を上げると、もう一度軽く会釈をしてからどすんと椅子に体重を預けた。

 

「せんぱいを知ってる人はそうでもないみたいですけど、知らない人はみんなびっくりしてますよ~。拍手が少ないのは呆気にとられているだけで、せんぱいの演説は思った以上に良かったです。このいろはちゃんが保証しますし、あとは任せて下さいね~」

 

 そんな一色のねぎらいを右から左へと聞き流していると(過剰な反応を示しかねないのでそうしただけで、実際には左耳から出た言葉をそのまま記憶に焼き付けているのだけれど)、有言実行とばかりに声を張り上げる頼もしい後輩の姿が視界に飛び込んできた。

 

 

「雪ノ下先輩も結衣先輩も、さっきの集会では奉仕部との関係を明言しませんでしたよね。わたしたちはこんなふうに考えてるんですけど、お二人の方針も教えて貰えたら嬉しいな、って思うのですが?」

 

 勢い余って語尾を伸ばしそうになりつつも何とか取り繕って、一色は二人に向かって斬り込んだ。

 

「奉仕部との関係について、ここで語りたい気持ちもあるのだけれど。それは立会演説会で存分に説明するつもりよ」

「あたしも、立会演説会でちゃんと説明するからってぐらいしか、今は言えないんだよね」

 

 しかし、二人の候補から返って来たのはにべもない拒絶だった。

 一色自身も昨日は何を尋ねられても黙秘を貫いただけに、そう言われると打つ手が無い。

 

 ならば別方面から斬り込めないかと一色が検討を始めたその隙を狙って、雪ノ下が口を開く。

 

「それよりも、一色さんが立候補した理由を先ほど拝聴したのだけれど。私に負担を掛けたくないと考えてくれたのが一つ。それから奉仕部の三人と仕事がしたいという、その二点だったわね?」

 

 この流れはやばいと八幡と由比ヶ浜が唇を噛みしめて、一色もまた本能で嫌な予感を感じ取ったものの頷くことしか出来ず。由比ヶ浜の背後に控える海老名と三浦も口を挟めないままに、雪ノ下の発言が続く。

 

「じゃあここで、一色さんに一つ提案をしたいのだけれど。私が主催する生徒会において、希望のポストがあるなら会長以外は何でも呑むわ。だから一色さんには立候補を返上して貰って、私たちの陣営に是非とも参画して欲しいのだけれど。いかがかしら?」

 

 雪ノ下の意図を瞬時に悟って、それが一色の希望に合うものだと理解できてしまった八幡は、何も反論の言葉を出せなかった。

 

 八幡の家で立候補の継続を決意させた時にも、実は頭の片隅では引っ掛かっていた。だが自分の都合を優先して、それをまともに考察しなかったのだ。そのしっぺ返しが来たのだろう。

 

 一色の希望を叶える為には、必ずしも会長になる必要は無い。

 

 例えば生徒会に雪ノ下と一色がいて、奉仕部には八幡と由比ヶ浜がいて、両者が仕事で協力すれば一色の望みは叶うのだ。

 今の()()()()()()()()()とは仕事ができないけれども、()()()()()()とは仕事ができる。その違いに拘っているのは八幡だけで、一色はそれに付き合う義理は無い。

 

 だからある意味では、八幡と一色は同床異夢だったと言えるのだろう。

 それがこのタイミングで露呈してしまった。

 

 

「うーん。でもさ、ゆきのんが言うような『どんなポストでも』って誘い方だと、なんて言ったらいいのかな……。えっと、その人にこんな能力を発揮して欲しい、とかじゃなくて、頭数があればいいって感じじゃん。あたしはそれよりも、この人だからって理由で誘われるほうが嬉しいと思うんだよね」

 

 八幡が言葉を失って、一色はどう答えたものかと困惑していて。

 そんな状況において口を開いたのは由比ヶ浜だった。

 要領を得ない話しかたに、集会に参加した多くの生徒が首を傾げていたのだが、本人だけは本気だった。あるいは、すぐ隣で誰よりも真剣に耳を傾けていた雪ノ下も含めた二人だけは。

 

「あのね。あたしといろはちゃんって、ちょっと似てるなって思うんだ。いろはちゃんのほうが徹底してる感じがするんだけど、他人に対する接し方って言うのかな。そこの部分が、うん、似てるなって思うの。だから……なんて言ったらいいのかな。あたしといろはちゃんが同じ仕事を一緒にしても、一人一人でやる時とあんまり違わないと思うのね。えっと、だからさ。あたしと違う仕事をして欲しいから、いろはちゃんにはあたしとは違った角度から、生徒会の仕事を監査して欲しいんだ。ゆきのんみたいに仕事はなんでもいいって感じじゃなくて、あたしはいろはちゃんに、監査役をお願いしたいなって思ってるの」

 

 由比ヶ浜の説明をそのまま受け入れると矛盾が出るようにも思えるのだけれど、二人が仕事をどのように分担すれば効率的かと考えてみると、確かにこのやり方だとしっくり来る気がする。

 

 なぜなら会長と監査役の基本的な考え方が一致していないと、監査という仕事は成り立たないからだ。基本方針で折り合えない相手に何をどう監査されたところで、話の始まりからして食い違っていてはどうにもならない。

 

 けれども由比ヶ浜と一色は、他人に対する接し方という点で折り合える。それはおそらく八幡や雪ノ下には不可能なことで、だからこそ由比ヶ浜は監査役としての一色を欲するのだ。

 

 雪ノ下も由比ヶ浜も、一色を本気で強奪に来ている。そして、決してお互いには渡すまいと次の一手を模索している。

 一方で自分たちは、敵陣営の草刈り場に成り下がろうとしている。

 この事態を打破する手は……ひとえに一色の決断に縋るしか、無い。

 

 

「なあ。お前、どうするんだ?」

「う~ん。せんぱいはどうして欲しいですか?」

 

 だから隣席にだけ聞こえるように問い掛けると、疑問で返された。

 他の生徒の注意を惹かないように決して横を向いたりはしないけれど、意識のほぼ全てを一色へと向けて、八幡は口を開く。

 

「お前を会長にしたいのは、奉仕部のため……だった。けどな、朝も言っただろ。お前って意外と会長に向いてるよなって。そう思う気持ちが、日を追うごとに増して来てるのな。俺の、俺らのわがままを押し付ける形になるのかもしれないけどな。今の俺は、奉仕部のことも大事だけど……お前が会長になって得意がってる顔を見てみたいって気持ちも、同じぐらい大きくなってるんだわ。我ながら、いつの間にって感じだけどな」

 

 先程の演説といい、どう考えても今夜は悶え苦しみそうな話を敢えて伝えてやったというのに。語り終えてからも何ら反応が無いので、いいかげん八幡がじりじりしていると。

 

 ちょこんと、制服の裾の部分をつままれた。

 誰にも見えない角度から八幡の上着をほんの少しだけ引っ張って、一色はそっと静かにつぶやく。

 

「じゃあ、わたしも退路を断ちますね」

 

 その言葉に続いてばんと両手で机を叩くとそのまま勢いよく立ち上がった一色は、さすがに呆気にとられてこちらの行動を待つしかない二人の対立候補に向けて、高らかに宣言する。

 

「雪ノ下先輩と結衣先輩の両方から勧誘を頂いて、どっちのお誘いも魅力的だったんですけどね~。ちょっと決めきれなかったので、勝った方に行くってお返事でいいですか。でも~、わたしが勝ったら、お二人のお誘いはどっちも無意味になりますけどね~」

 

 すっかり普段どおりの口調で舐めたことを抜かしているものの、これでこそ一色だなと八幡は思う。それは同じ陣営の一同も同感なのか、やけっぱちの気配が漂う拍手が教室内に鳴り響いた。

 

 それが落ち着くのを待って、対立候補二人が口を開く。

 

「こちらとしても異論は無いわね。要は勝てば良いのだから、全力を尽くした上で明後日の結果を楽しみにしているわね」

「あたしも、どっちみち勝つしかないんだしさ。ゆきのんにもいろはちゃんにも負けないように頑張るよ」

 

 

 どうやら無事に終われそうだなと、二人の発言を聞き終えた八幡が肩の力を抜いていると、一人の生徒が静かに手を挙げてから話し始めた。

 その女子生徒が、腐女子が語る。

 

「最後にちょっとだけ話させてね。えっと、人事案の発表は明日って言ってたけど、こんな話になっちゃったし披露しても良いですよね?」

 

 最前列の椅子に座る城廻に一つ確認を入れて。「もちろん、いいよー」という返事を受け取った海老名は、そのまま話を続けた。一同の頭が追いつかないうちに、端的に結論だけを口にする。

 

「結衣が会長になったら、私が庶務で優美子が会計として生徒会に入るつもりです。以上、よろしくねー」

 

 ざわめきが部屋中を駆け巡ったが、八幡の衝撃はそれ以上だった。

 なぜなら他のほとんどの生徒よりも、三人娘のことを詳しく知っているからだ。

 

 たしかに三浦には女王の名にそぐわないほどの世話好きな側面がある。

 たしかに海老名には腐った方向に暴走する一面とは裏腹の義理堅い側面がある。

 

 だから由比ヶ浜が会長になりたいと言えば、それの実現に向けて二人が全力を尽くすのは簡単に予測できた。だが、二人が選挙後も生徒会に関わり続けるとは想像だにしていなかったし、それは雪ノ下も同じだろう。日曜日の会話がその証拠だ。

 

 そもそも、三人の仲はほぼ対等ではあるけれども、ほんの僅かに差異がある。つまり、もしも三人の間で班長を決める必要があれば、それは三浦になるというのが暗黙の了解だったはずだ。

 

 それにも関わらず、海老名と三浦は由比ヶ浜よりも下の立場で政権を支える意思を表明した。

 これは八幡が提唱する校内カースト制度においては、革命を起こされたのと同義だった。

 由比ヶ浜と三浦の地位が完全に逆転することを意味するからだ。

 

 役員のなり手が少なくて困っているのは、三陣営に共通する問題だと思っていた。だからこそ人材を一人確保できれば優位に立てると考えて、何とか昨日それを果たせたばかりだというのに。これで少なくとも人事面においては、由比ヶ浜の陣営は他を圧倒する形になった。

 

「雪ノ下さんも一色さんも、選挙で協力してくれる人たちが役員にはなってくれないのが辛いとこだよねー」

「隼人も戸塚も部活があるから仕方が無いし。ヒキオも奉仕部だし」

 

 なんだか悪役じみた話しかたではあるものの、二人の主張は事実なので何も反論できない。

 

 もともと友達が少ない雪ノ下・八幡・一色とは違って、顔の広い由比ヶ浜ならお飾りの役員ぐらいは楽に確保できただろう。だがそれでは意味が無いからこそ安閑としていられたのだが。海老名と三浦が名を連ねるとなると、よほどの人材を連れて来ない限りはとても太刀打ちできない。

 

「でもさ。雪ノ下さんなら常設の役員を置かなくても、その都度ぼくらの中で時間に余裕がある人に協力して貰って、仕事をこなせると思うけどなあ」

「俺や戸塚の手が空いていたら、何も問題は無いわけだしな」

 

 何も反応できない八幡を尻目に、戸塚と葉山は雪ノ下の優位を語る。こちらの主張も事実なだけに、二陣営はお互いに睨み合う形になった。

 

 幹部同士はこれでも気心が知れた間柄なので問題ないものの、末端同士の言い争いが体育館で盛んになっている。

 

 

「すっかり蚊帳の外だな。ま、それでも勝負は蓋を開けてみないと判らないけどな」

「劣勢なのは最初から判ってたことですしね~。そういえばせんぱい、例の件は?」

「そういや反応が無いな。来る前に材木座に連絡して手配させたはずなんだが……」

 

 注目されていないのをこれ幸いと小声でぼそぼそ喋っていると、ちょうどいいタイミングで体育館のほうから騒がしい声が聞こえて来た。

 いかにも体育会系という感じの男子生徒が数名集まって、直情径行に何やら主張している。

 

「ほいじゃ、材木座の招集ボタンを、ぽちっとなっと」

 

 八幡がそう言い終えると同時に教室のドアががらりと開いて、材木座義輝が登場した。どうやらずいぶん前から廊下に控えていたみたいだ。

 

「だからこのwikiを見てくれよ」

「えっ、一色さんの支持率が百パーセントって……?」

「な。どこの独裁政権だって感じだろ?」

「控えぃ。控えよ下郎ども。お主らは既に我の手の内にあるのだ」

 

 体育祭での成功体験を経て無駄に自信に満ちあふれている材木座の声は、狼藉者でも無視できなかったみたいで。動きを止めた男子生徒らの前まで歩いて行くと、そのまま種明かしを始めた。

 

「お主らとてドッキリという手法は知っていよう。つまりこれは、我らが推戴する一色嬢の集会に合わせて()()()()企画した、単なるサプライズであるっ。雪ノ下嬢や由比ヶ浜嬢を応援するアカウント……ではなくて応援する生徒のページを一時的に改竄して、一色嬢への支持一色という状況を現出させたのよ。この集会の解散と同時に元に戻るゆえ、心配ご無用にて御座候!」

 

 大見得を切りながらノリノリで言い放った材木座に対して、哀れな男子生徒たちはすっかり勢いに押されてしまい、納得してすごすごと引き上げるしか無かった。

 

「なお、今後このようなサプライズは断じて起こさぬと、我が諸君らに約束しよう。それと制限付きではあるものの、誰にでも情報の修正ができるように、今夜にもwikiの編集機能を一部開放する予定であるっ!」

 

 続けて材木座は制限について簡単に説明した。

 編集したページの最下段には、普段は折りたたまれているものの、修正を加えた人の名前と日時が全て残る仕組みである事。そこから飛べる別ページでは変更内容も確認できる事。いいかげんな修正が多い者には警告が与えられ編集ができなくなる事などを一同に伝える。

 

 遊戯部の二人から幾度もダメ出しを受けた末に完成した原稿を何度も読んで練習したのだろう。その内容は解りやすく、簡単に納得できるものだった。

 

 そしてこれが絶好の宣伝となって、wikiの存在は全校生徒の間で知らぬ者が無いという程にまで広がるのだが、それはそれとして。

 

「編集機能の解放まで説明してくれたのは良いんだが。材木座のせいで、ますますぐだぐだになってるよな。これ、解散宣言ってどうしたら良いんだ?」

「まあ、わたしが何かを言えばいいと思うんですけど~。雪ノ下先輩と結衣先輩の支持者同士が争い合うのは望むところなので、もう少し放置しておこうかな〜って」

 

 結局、「議論はいいけど喧嘩はダメだよー」と城廻が仲裁に入って、ようやく集会はお開きとなった。

 

 

***

 

 

 解散直後のがやがやと騒がしい教室の中で、八幡は待ち時間を無駄にすることなく隣席の後輩と会話を重ねていた。二人の顔は常になく真剣そのものだ。

 

「海老名さんが早々に人事案を披露したのは、たぶんだけどな。三浦と二人で由比ヶ浜の下に就くって話を、支援者連中に納得して貰う時間が必要だからだと俺は思う。もしも立会演説会までそれが秘密のままだったら、なんで自分らのボスが下なんだって怒り出すような連中が出ないとも限らないからな」

 

 こうした辺りが人間関係の面倒なところだよなと八幡は思う。

 トップカースト同士があれだけ親密でも、各々のグループに所属する者同士はとんでもなく些細な理由で張り合っている時があるのだから。

 だから気楽なぼっちこそが大正義だと八幡は心の中で結論付ける。もちろん口には出さないけれども。

 

「う~ん。まあ確かに、すぐには受け入れがたいでしょうね~。これで結衣先輩の陣営が説明と言い訳に追われたら、一番都合がいい展開になるんですけど……」

 

「まあ、逆だろな。説得の見込みが充分に立ってるどころか、この話を利用して支持者を一気に増やす気満々だろ。この状況を見た雪ノ下が攻勢に出ないわけがないし、もう総力戦の段階に入ったと見て間違いないな」

 

 八幡の言葉にこくっと頷いて、一色は挑発的な笑みを浮かべた。

 

「雪ノ下先輩が嫌った、どぶ板選挙……でしたっけ。わたしのファンの子たちの行動力を、あの面倒くささと厭らしさを思い知るがいいですよ!」

 

「お前……なんかキャラが崩壊しかけてるぞ。つーか俺が教える前に『人海戦術に出る』って結論に至ってるのは話が早くて助かるんだが、あれだよな。お前ですら、あいつらの行動力は持て余してたって意味だよな?」

 

 ぶるっと身体を震わせてくわばらくわばらと呟いている八幡の横では、一色が恥じらいの色を装いながらてへぺろしている。

 

 そんな二人の前に、城廻が姿を現した。

 

 

「お待たせー。えっと、話があるんだよね?」

「あ、はい。……すまんが一色は外してくれるか。ちょっと城廻先輩に尋ねておきたい事があるんだが、お前に聞かせて気を煩わせるような事はしたくないんでな」

 

 城廻には前もってメッセージで集会後の会談をお願いしていた。

 とはいえ集会が終わった後も仕事の話なり雑談なりで時間がかかると思っていたので、こんなに早く待ち人が来るとは予想していなかったのだ。

 

 苦しい言い訳なのは重々承知だが、一色に聞かせたい話ではない。

 そんな八幡の意図をどこまで読み切っているのか、一色は邪気のない笑顔をにこっと浮かべて席を立つと、城廻にぺこりと頭を下げてから友達四人のもとへと歩いて行った。

 

「それで、比企谷くんは何をお望みなのかな?」

 

 一色と入れ替わるようにして椅子に座った城廻は、先輩風を吹かせるような口調で口火を切った。とはいえ全く似合っていないというか、背伸びをしている感が強く出ているのだけれど。

 

「城廻先輩って、もしも三月までだったら、監査役とかお願いできますか?」

「うーん、難しいねー。その理由はたぶん、比企谷くんも分かってるよね?」

 

 そんなぽわぽわした雰囲気の先輩ではあるけれど、決して侮れる相手ではない。そう考えた八幡はいきなり本題に入ったものの、あっさりと切り返されてしまった。

 

「やっぱり、三年生がこの選挙に消極的なのって、そういう理由なんですね」

「まあ、ね。比企谷くんたち二年生や一色さんたち一年生とは違って、私たちは春にはこの世界を出て行く立場だからさー」

 

 明るい声で話してくれているけれど、その奥には幾重にも及ぶ配慮が隠されているのだろう。それでもこんなふうにずばっと話してくれるのは、俺の事も少しは信頼してくれているから……なのだろうか。

 

「でも、風当たりが強くなるのを心配してって理由なら、俺も一色も……」

「あのね、比企谷くん。そうじゃなくてさー」

 

 八幡の言葉を遮って話し始めた城廻は、少しだけ言葉を探すように言い淀んで、ほどなく再び口を開いた。

 

 

「はるさんの事は、比企谷くんもよく知ってるよね。私の前の会長の事はあんまり知らない感じだったかな。二人とも引退したら……って言っても、はるさんは文実を裏で支配してるって言われてただけで何か役職に就いてたわけじゃないんだけどね。でも三年の秋になってからは、二人とも残りの高校生活を後輩のために使ってたんだ。面と向かって尋ねたらぜったいに否定されると思うけどさ、私はそう思ってるのね」

 

 そういえば文化祭の準備期間にカラオケ店で昔の話を聞いたなと思い出しながら、八幡は無言で相槌を打って話の先を促す。

 

「けどさ、私は後輩のために時間を使えるだけの余裕がないんだ。だって、このままいけば私たちの学年は、後輩をおいて自分たちだけがこの世界から逃げて来たって、ずっと言われ続ける立場になっちゃうんだよね」

 

 やはり、一色に聞かせなくて良かった。

 そう考えながら、頭を静かに縦に動かす。無責任な連中がそうした反応を示すことに対しては賛意を、でも俺はそうは思わないという否定の気持ちもそこに含めて、微妙な動きでそれを表現する。

 

「だから卒業して元の世界に戻ったら、やらなくちゃいけない事がたくさんあるのね。これでも、頼りなく見えるかもしれないけど、それでも生徒会長だからさ。二つ上のはるさんたちに見守られる中で入学して、一つ上から役職を引き継いで、一つ下の比企谷くんとか二つ下の一色さんに受け継いでもらう立場だから。だから上と下の学年に対してだけじゃなくて、というか上と下の学年に恥じないためにも、私は何よりも同学年に対して責任を果たさないといけないの。だから、ごめんねー。私はこの世界にいる間に、来年度のための準備を終わらせておかなくちゃいけないんだ」

 

 ここまで言われたら、何も口に出せなかった。

 可能性は低くとも、それでもやれる事は全部やろうと考えて会談を申し込んだ八幡だったが、城廻とは決意の重さがまるで違っていた。

 

 三年生が選挙に消極的な理由をうすうす理解していながらも、八幡が考えていたのは自分本位の即物的なことだった。

 一年と二年から票集めをすればそれで良いとか、一色が優勢になれば三年生も空気を読んでこぞって投票してくれるだろうとか。

 

 でも、城廻の決意は尊重するし心から尊敬するけれど。それでも、申し訳ないけれど自分にとっては、一色を当選させることが当面の最大の目標なのだ。そのためには、利用できるものは何でも利用するぐらいの心積もりでいないと、とうてい実現できないだろう。

 

 崇高な目標を掲げる人や大勢のために動ける人はもちろん素晴らしい。けれども、ちっぽけな個人のちっぽけな目標は、果たしてそれに劣るものだろうか。すごい人はすごいなりに、矮小な人は矮小なりに、掲げた目標に向けて全力を尽くすことには変わりないのではなかろうか。

 

 そこまで考えて、ようやく八幡は言葉をひねり出せた。

 

 

「正直に言うと、くだらねーなって思いますよ。あ、もちろん城廻先輩がじゃないです。先輩は本当にすごいと思う。でも、そんなことをやらなくちゃいけないって状況が、心底からくだらねーなって思います。そんなのと比べたら、あの手この手を使って何とか一色を当選させようと奮闘してる俺のほうが遙かにマシですよ。城廻先輩のすごさには遙かに及ばないけど、それでも今の俺にとっては、それが全てだから」

 

 またもや後で身悶えしそうな発言をしてしまった気がするのだが、それでもいま目の前にいる先輩の表情を間近で見られたことと比べたら些細な話だ。

 

 たぶん初めて年相応の、自分より一歳だけ年上の、女の子の顔になった城廻を見た気がした。今までずっと背負い続けてきた生徒会長という肩書きを外した素の表情を、ようやく見せてくれた気がした。

 

「比企谷くんとお話ししてると、変な気負いとかがすーって抜けていく気がするね。じゃあさ、お姉さんもちょっとだけ恥ずかしい話をしてあげよう」

 

 さっきの俺の発言はやっぱり恥ずかしいやつだったかと。穴があるなら入りたいなと思いながら一つ頷くと、照れの中に誇らしさが交じった声が聞こえてきた。

 

「今回の会長選挙をね、いちばん楽しめてるのって、実は私なんだ。だって、雪ノ下さんでも由比ヶ浜さんでも一色さんでも、誰が当選しても安心して後を任せられるから。それどころか、引退してからも生徒会室にひょいって顔を出したら、いつでも喜んで受け入れてくれると思うからさ。だって、さっき比企谷くんがくだらねーって片付けてた世間一般の評価なんて、誰も気にしてないもんね。この世界に巻き込まれた事件なんて大した事ないって、そんな気持ちにもなれるしさ。だから……だから私も、()生徒会長になっても頑張ろうって思えるんだ」

 

 おそらく、自分たちはこの世界に慣れすぎてしまったのだろう。あるいは、あまりに順調に適応できてしまったと言うべきか。

 

 基本能力が高い雪ノ下や、交友関係に恵まれている由比ヶ浜、それにメンタルの強い一色といった面々が、異なる環境に難なく順応するのは特に不思議ではない。

 問題はその中に自分が含まれている点で、その理由はこの世界に巻き込まれてからの巡り合わせの良さにある。それは奇跡的だとすら言えるだろう。

 

 自分の能力を極端に卑下しようとはもはや思わないけれど。それでも身に過ぎた状況に至れていることを八幡は疑っていなかった。だから、一般の生徒たちとの間に齟齬を生じたり、それが大きな問題に繋がるのではないかと恐れてもいた。

 

 けれども自分たちが平然と過ごしていられて、そんな姿を見て頑張ろうと思ってくれる先輩がいて。そんなふうに報われるのなら、この世界に適応できて良かったと、こちらの肩の荷も下ろせる気がした。

 

「城廻先輩にそこまで頑張られたら、俺らも頑張らないとなって思っちゃいますね。その、黒子の先輩たちの気持ちがよく解りましたよ」

 

 そう伝えると城廻は顔をほころばせて、そして再び生徒会長の肩書きをまとった。とはいえ、ぽわぽわした雰囲気に変わりはないのだけれど。

 

「じゃあ最後に、比企谷くんに一つ質問だー。あのね、三月まで私が監査役を務めたとして、じゃあ四月からはどうするつもりだったのかなー?」

「それ、答えが分かってるやつですよね。でも言わないとダメみたいな」

 

 にこにこしたまま大きく頷かれたので、八幡は内心であっさりと白旗を揚げた。

 雪ノ下に口撃されたり一色にからかわれても特に嫌だとは思わない八幡だが、城廻が相手だとこんなのも悪くないなと思えてしまうのが不思議だ。

 

「四月になったら、俺よりも遙かに要領が良くて、大事な場面になるほど安心できるやつが入学してくるんですよ。普段は小生意気で可愛いだけのやつなんですけどね」

「わあー、べた褒めだー!」

 

 総武高校に進学したいと心から望んでいるあいつなら、必ずやってのけるだろう。これは兄馬鹿ではなくて不変の事実だと考えながら、八幡は妹の姿を脳裏に思い浮かべる。

 

「でも、その裏技を使うことは無さそうですね。俺らの問題はやっぱり俺らの間で解決しますから、城廻先輩はやるべきことに集中して下さい。何かあったら雪ノ下か由比ヶ浜を遠慮なく頼って下さいね」

 

「うん、ありがとー。はるさんみたいに容赦なく比企谷くんを呼び出すから、楽しみにしててねー!」

 

 そう言って立ち上がった城廻は、軽くばいばいと手を振るとドアのほうへと歩いて行く。

 

 それを見送って教室の中を見渡すと、残っている生徒は数えるほどしかいなかった。

 その中にあってひときわ存在感を放っているあざとい後輩と合流するために、八幡はよっこいしょと腰を上げて一歩を踏み出した。

 




次回は来月の半ばになりそうです。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

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