俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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本話にも念のため、途中の箇所まで飛べるリンクを設けました。
場面転換で使用している「*」は通常は三つですが、それを五つに増やして目印としました。
・後半に飛ぶ。→156p1

以下、前回のあらすじ。

 水曜日は朝から各陣営がラストスパートに入っていた。
 各々の持ち味を活かして支持を広げる雪ノ下と由比ヶ浜に後れを取ることなく、らしさを存分に発揮して一色も支援者を増やしていく。相模らは情報収集を、八幡らは情報サイトへと発展したwikiの管理を通して、推薦人や一色ファンの勧誘活動を後押ししていた。

 一色だけでなく由比ヶ浜も見送りを決めたので、この日の集会は雪ノ下主催の一つだけ。そこに折本と仲町が姿を見せる。

 最初の自己紹介で「葉山の応援に来た」と宣言した仲町は、大勢から非難の目を向けられても動じない。それどころか、口を挟んできた三浦と一色に「なぜ葉山とは別の候補を応援しているのか?」「その候補と葉山のどちらかを選ぶとしたら?」と問い掛ける始末だった。

 その理由が当人の口から語られる。
 自らを普通に過ぎないと自覚する仲町にとって、特別に凄い面々と張り合えるチャンスは今しかないと考えたが故の暴走だった。

 膠着状態に陥ったと見た雪ノ下は、葉山に事態の収拾を命じる。
 今はその手のことを考えられないと伝えられて、仲町は折本とともに去って行った。

 感情を排して事務的な対応に終始した雪ノ下。三候補の中で唯一、海浜の二人が参加すると知っていた由比ヶ浜。そんな二人に対して、生徒たちは違和感を覚え始める。
 その反応を理不尽だと憤りながらも、八幡は選挙戦の勝利を優先して戦略を組み立て直していく。

 集会が終わった直後に、八幡は葉山と協力して陽乃の干渉を退ける。期末試験の話はひとまず横に置いて、二人は健闘を誓い合った。

 その日の夜、仕事を終えた八幡は稲村からのメッセージを受け取った。
 為すべき事を全て済ませて、けれども頭が冴えて眠れそうにない八幡は、自室を出てリビングに向かった。



13.かけがえのないひと時を彼はそれと知らず過ごす。

 部屋の扉を開けた比企谷八幡は電気も点けずに流し台の近くまで歩み寄ると、手探りで電気ケトルの電源を入れた。たちまちしゅうしゅうと音を立て始めたので、少し前に妹が下りてきたのだなと推測する。

 

「てことは、今頃は勉強を再開してる可能性が高いな。邪魔はできない、か」

 

 受験生が温かいものをすぐに飲めるようにと夕食後にお湯をたっぷり沸かしておいたのだが、もう十一月も下旬なのですぐに冷めてしまう。なのに余熱がこれだけ残っているのは、妹が沸かし直したからだろう。

 

 まだ宵のうちなので、眠っているとは考えなかった。だから上手くタイミングが合えばと期待しながら下りてきたのだけれど、少し遅かったみたいだ。

 妹と軽く雑談をして、睡魔が訪れればそれで良し、疲労感が軽くなっても良しと、そんな目論見を抱いていたのに残念ながら当てが外れてしまった。

 

「ここで待ってても、次に下りてくるまで時間が掛かりそうだよな……」

 

 かちっと音がして、思った以上に早くお湯が沸いた。つまり、ついさっきまで妹はここに居たのだろう。

 

 特に何かを飲みたかったわけではなかったので、一仕事を終えた電気ケトルに背を向けてソファへと移動した。

 数日前に、当たり前のように中央にでんと座って寛いでいたあざとい後輩を思い出しながら。八幡は頬の筋肉を緩めると、端っこの席に腰を下ろした。

 

 

 あの時に「たすけてくださいね」と告げられて。その約束は今日に至るまで、何とか果たせてきたなと八幡は思う。

 

 ここまで綱渡りの連続ではあったけれども、今なお当選の可能性は残っている。序盤の劣勢を思えば、それは奇跡的と言っても過言ではないだろう。もう一度同じ事をやれと言われても、次は必ず失敗するという自信がある。

 

 だがここまで来れば、八幡は実質的にはお役御免だ。

 

 もちろん明日も裏方の仕事はたっぷりある。けれど大まかな流れは今日と変わらない。集会の概要をまとめ終えて、明日の立会演説会に関していくつかの注意事項を伝えた時点で、八幡は全ての責務を果たしたと言って良いだろう。

 

「まあ厳密には、連絡事項が一つだけ残ってるんだがな」

 

 先ほど届いたメッセージを思い出して、思わずつぶやきが漏れた。

 一瞬で終わる仕事だというのに、なぜか躊躇してしまう。あの男の覚悟の重さと、これで完全に役割を終えてしまうという物寂しさが、おそらくは原因なのだろう。

 

 背中をソファにどさっと投げ出して、八幡は我が身を俯瞰で捉えてみた。

 確かに疲れてはいるものの、すぐに眠る必要があるという程ではない。

 確かに頭は冴えているけれど、勉強は勿論のこと読書やゲームをしたいとも思わない。

 

「なにか、コンビニで買う物とか……無ぇな」

 

 気晴らしに外に出るのも良いかと思い付いて、でも用事が無いことにはどうにもならない。自らのツッコミに苦笑いを浮かべると、八幡は首を後ろに傾けて顕わになった喉を「うーん」と動かしながら目をきょろきょろさせていた。

 

「ん……ああ、夜の散歩って手もあるか」

 

 個室に繋がる扉が目に入ったのは、単なる偶然だった。けれども夜の校舎を探検するという思い付きを散歩と称したのは意図的なものだ。

 

 最終下校時刻を過ぎると、許可がない限りは立ち入らないようにと言われているけれど。それはいわゆる努力目標に過ぎず、物理的に禁止されているわけではない。とはいえ夜に校内を歩いても面白いものではないので、普通ならやろうとは思わないのだが。

 

「明日の喧噪を控えて静まり返っている校舎の中を歩くってのも、まあ一興かね」

 

 投票前日の高揚感が、こんな突飛な思い付きを後押ししているのだろう。そんなふうに自己分析をしてみたところで、一度乗り気になった感情は収まってくれそうにない。

 

「んじゃ、軽くぶらついて来るか」

 

 そう口にして勢いよく立ち上がると、八幡はジャージ姿のまま個室を経由して、夜の校内に足を踏み入れた。

 

 

***

 

 

 最初に向かったのは、通い慣れた二年F組の教室だった。

 

 廊下には等間隔で小さな明かりが灯っているので歩くのに支障は無かったものの。目的地に近づくほどに、誰ともすれ違わないこの環境が奇妙なものに思えて来て、最後は少し早足になってしまった。

 

 教室に入るなり後ろを振り返って誰にも見られていないのを確認して、思わず安堵の息が漏れる。

 

「人が居たほうが良いのか居ないほうが良いのか、どっちだよって感じだな」

 

 そんな独り言を口に出して心を落ち着けると、八幡は教壇へと顔を向けた。

 

 ここで開かれた集会には結局一度も参加しなかったので、想像するしかないけれど。あの頼れる同級生にして部活仲間の女の子が、あの手強い部長様を相手に一歩も引かずにやり合っている光景を、八幡は難なく思い浮かべることができる。

 

「やっぱ、二人とも大したもんだわ」

 

 昨日の集会の後で現生徒会長が話していたとおり、おそらく誰が会長になっても立派にやってのけるのだろう。だが結果はそれで良いとしても経過が問題だ。能力に秀でた一部の面々だけが負担を負うのは間違っていると考えたからこそ、八幡はあの二人を敵に回したのだ。

 

 そして敵味方に分かれたおかげで理解できたこともある。

 

 この春から半年以上の時間を掛けて通じ合わせてきたものは何ら変わらないし、敵として彼女らの凄みを肌で味わう羽目にもなった。これらの体験は、また一緒に仕事をする時に役に立つはずだ。

 

「んじゃま、次に行きますかね」

 

 あまり長居をして、()()同級生の椅子に座りたくなったり机に頬ずりをしたくなっても困るので、八幡はあっさりとクラスを後にした。

 

 そんな変態的な行動などしないと断言したいところではあるのだけれど、夜の教室という異様な雰囲気に血が騒いでしまう性格なのは自分が一番よく解っている。もしもリコーダーがあれば口の部分を取り替えるべきかと真面目に悩みかねないなと自身に白い目を向けながら、八幡は廊下の先に足を向けた。

 

 

 二年J組の教室では、今日の集会を振り返った。

 

 意外な参加者が現れて予想外に暴走した結果、理不尽な展開になってしまったけれど。被害者とも言えるあの二人は当然として、八幡は当事者たる他校の女子生徒にも悪印象を持てなかった。

 

 それはきっと、彼女を突き動かす原点となった感情に、不純なものがまるで見られなかったからだろう。ただ純粋に、この機会を逃せば次は無いと考えて一身を賭して行動に出たのだなと、そう納得できてしまったからだ。

 

「それは良いとして、あれだよな。黒幕の陽乃さんを悪く思えないのは何でかね?」

 

 目下のところ、八幡の頭を占めていたのはこの疑問だった。

 

 あの人の本心がどこにあるのか全く読めず、それどころか今回の一件が単なる戯れなのか割と本気だったのかすら判然としない。

 とはいえ山勘で良いのなら、おそらく気まぐれで動いたのではないと思う。何かがあの人の琴線に触れて、だからこそ間接的な形で介入してきたのではないだろうか。

 

「いや、待てよ。むしろ間接的な介入に留めたって点に意味があるのかもな。それに、葉山にプレゼントを用意していたのも変と言えば変だよな。次の一手に繋げたのはさすがだなって思ったけど、あの人なら何も渡さなくても葉山を焚き付けられそうだし……もしかして言葉どおりのお詫びだったりするのかね。ま、これ以上は考えるだけ無駄か。それよりも……」

 

 それよりも八幡には、悪くも思うしいけ好かないとも思うし腹立たしいとも思う男がいた。その理由は明確だ。

 

「いくら幼なじみだからって、聞こえよがしに雪ノ下をちゃん付けで呼びやがるとはな。由比ヶ浜を下の名前で呼び捨てにするのも今更だけど気に食わねーし、つか一色もか。一色のファン連中を母体にして、反葉山で大連合でも組んでやりたくなるな」

 

 とはいえ、あの男も一筋縄ではいかない性格だと八幡は既に知っている。自分への当てつけという側面は確実にあると、それは断言できるのだけれど。あの発言にそれとは別の意味を持たせているのも間違いなくて、そこがとにかく厄介だしはっきり言って面倒だ。

 

「陽乃さんは読めないから困るけど、葉山の場合は読めてるから困るんだよなあ……。どうせなら敵視だけで一貫してくれたほうが楽なんだが」

 

 そうぼやきながら、八幡は教室を後にした。そのまま一年C組へと足を運ぶ。

 

 

「金曜から月火水で実質四日ぐらいなのに、すっかり馴染んだ気がするな」

 

 空き教室や遊戯部の部室にいることも多いので、それほど長い時間を過ごしたわけではないはずなのに。おそらく、ここで開かれた最初の決起集会で陣営の一員として大々的に受け入れられたことが、そして参謀や幹部といった大袈裟な肩書きを認められたことが大きかったのだろうなと八幡は思った。

 

 考えてみれば、あの二人のように矢面に立ったわけではないけれど、それに次ぐ立ち位置なのも確かだ。

 いつの間に俺は、こんな陽の当たる場所に立てるようになったのだろうか。

 あの後輩は俺に「唆されて」立候補したと言っていたけれど、「唆された」のは自分のほうではないかとすら思えてしまう。

 

「でもま、友達はできるし、推薦人連中とも関係性が違ってきたし、相模の取り巻き連中からも意外と可愛がられてるし、ファンの扱いは相変わらずだし。一色って俺だけじゃなくて、けっこう周りに良い影響を与えてるんだよな」

 

 同性には嫌われやすいという特徴ですらも、あざとく活かす術を会得してしまった。

 そもそもは同じクラスの女子生徒に謀られて、知らぬ間に立候補させられたのが発端だったのに。そんな理不尽な状況すらも、あの後輩なら好機に変えられる。

 

「だからって、全く傷つかないわけじゃないだろうけどな」

 

 あの二人からは、できる限り理不尽を取り除いてやりたいと考えているのに。あざとい後輩にその手の配慮をまるで示さないのは少し酷かと思い直して、自分にできることを考えてみた。

 

 メンタル面でフォローが必要だとはあまり思えないけれど、機を見て軽口まじりに確認するくらいなら大した負担もなく継続できるだろう。そんな気安い関係が、きっと自分とあいつの性格には合っているはずだと八幡は思った。

 

 

 夜に訪れてみたいと考えていた三箇所を回り終えたので、このまま帰っても良かったのだけれど。何となく物足りない気持ちがしたので、八幡は空き教室に行ってみることにした。

 

 夜目が利くようになったからか、それとも夜の校内が醸し出す雰囲気にすっかり慣れてしまったからか。すっかり昼間と同じような感覚で廊下を歩いていると、目的地まではあっという間だった。

 

「そもそもは、六月に奉仕部から離れてた時に平塚先生が手配してくれたんだったな」

 

 ぼっちには慣れているつもりだったのに、クラスにも部活にも居場所がないのは地味に精神を摩耗させるみたいで。だから、ここを自由に使っても良いのだと実感できた時のあの開放感は忘れがたいものがあった。

 

 それに、この部屋を使用する権限を顧問が敢えて有耶無耶のまま放置してくれたお陰で、八幡がどれだけ助かったか分からない。

 

 今回の選挙戦でも、自分たちだけが選挙本部の他に別館を持っていたようなものだった。あるいは控え室と呼ぶほうが適切かもしれないが、周囲に気兼ねせず言いたい放題の打ち合わせができるというその恩恵を一番受けたのは八幡だろう。

 

 お陰で、自分なりに全力を注ぐことができた。

 

「つか、あれだな。まだ明日が残ってるのに、変なフラグを建てるわけにはいかねーよな。だから気持ちを切り替えて……うおっ?」

 

 か細い灯りが廊下から漏れてくるだけの暗い教室内に、突然けたたましい音が鳴り響いた。

 一瞬遅れて、それが通話の呼び出し音だと気が付いたので。八幡は大きく深呼吸をして激しい鼓動を落ち着けると、アプリを立ち上げて相手の名前を確認する。

 

 さすがに夜なので映像通話は避けたのだろう。そこは年頃の女の子なのだし妥当な判断だとしても、こんなにも気安く連絡をして来られると、俺とはやっぱり感覚が違うのだなと思えてしまう。あるいは文化が違うと言うべきか。

 

「へいへい。今から出ますよ、っと」

 

 つぶやきと一緒にそうした感情を身体の中から追い出して、八幡は折本かおりからの通話を受けた。

 

 

***

 

 

『どーしたの、比企谷。出るまでに時間かかったけど?』

「いや、ちょっと待て。普通こういう場合って『いま大丈夫?』とか訊くもんじゃねーのか?」

『えっ。だって出たんだから大丈夫じゃないの?』

「ああ、まあ、お前の言いたいことは分かった」

『やばいっ、比企谷が何を言いたいのか分かんなくてウケる!』

 

 出だしから話が噛み合ってないんだよなあと考えながら。それに折本が、まるで通話をするのが当たり前のように、昨日も一昨日もこうして喋っていたかのような自然な調子で話しかけてくるので、八幡は色んな事をさっさと諦めようと決めた。

 

「いや、ウケてる邪魔をするのもあれなんだが、今日の集会の話だよな?」

『うぐんっ、それそれ。ってか笑ってる途中で話しかけられると、むせちゃうんだけどさっ。比企谷って、こんなに鋭いツッコミするほうだったっけ?』

「周りに容赦のない連中が多いからな。高校に入ってから鍛えられたんだわ」

『あー、わかるっ!』

 

 余計なことは何も考えず端的に反射的に応対しながら、折本と話すのってこんなにも楽なんだなと八幡は思った。

 

 おそらく、こうした点では折本は昔から変わってなくて。八幡が複雑に考え過ぎていたから話が拗れただけで、こんなふうに一歩引いたやり取りを心掛けていたら、きっと中学時代にもたくさん話ができていたのだろう。

 

 とはいえ、浅い表面的な話をいくら積み重ねたところで、折本との仲は深まらなかっただろうけれど。

 

「んで……様子はどうだ?」

『えっと、千佳のことだよねっ。うん、そりゃあ振られた当日だし元気とは言えないけどさっ。私がさっき抱き枕にしてたら怒り出したから大丈夫……えっ、だってあれってどう見ても振られてたじゃん。千佳もいい加減それは認めようよー』

 

 どうやら仲町千佳もすぐ隣にいるらしい。折本が横にいて好き勝手なことを言っていたらおちおち落ち込んでも居られないだろうなと考えると、思わず苦笑が漏れた。

 

 あちらの言い争いが落ち着いたタイミングを狙って、八幡は再び口を開く。

 

「仲町に伝えて欲しいんだがな、って折本が言ってたんだっけか。選挙の邪魔をされたとか考えてる奴はいなかったし、仲町を悪く言う奴もいなかったぞ。むしろ見事なまでの玉砕ぶりを褒め称える声が……」

『かおりだけじゃなくて比企谷くんもひどいっ!』

 

 八幡の言葉を遮って、あの折本の機先すら制して、仲町の悲痛な叫びが届いた。

 それに対して八幡は率直な感想を伝える。

 

「まあ、それだけ大きな声を出せてりゃ大丈夫そうだな。気分が落ち込みそうになったら、折本を罵ってリカバリーしてくれ」

『あ、うん、それいいねー』

『千佳の目が据わっててウケるっ!』

 

 とりあえず、こんなところかなと考えて。夜の校内であまり長話をするのも気が進まないので、八幡は話をまとめに掛かる。

 

「ちょい心配してたけど、わざわざ連絡くれて助かったわ。ほいじゃ、そんな感じで……」

『ちょ、ちょっと比企谷、勝手に話を終わらせないでよー。千佳が意外と元気だって話も伝えようとは思ってたけどさっ。さっきの夕食も三人前ぐらい……ぐむっ』

『半人前ぐらいしか食べられなくてさー。比企谷くんなら信じてくれるよねっ?』

「お、おう……」

 

 仲町が何人前を食べたところでどうでも良いのだけれど、すぐに雑談に流れてしまうので話がなかなか進まないのが困ったところだ。

 とはいえそれも、折本とは所詮は縁が無かったのだと誰かに慰められているようで、悪い気はしなかったのだけれど。

 

 通話先のドタバタが一段落したタイミングで、八幡は話を戻しにかかる。

 

 

「んで結局、折本はなんの用事だったんだ?」

『かおりって、用事がなくてもがんがん掛けてくるよー』

『やばいっ、千佳に何も言い返せないっ……ごほん。その、さ』

 

 少しだけ口ごもった後で、折本は静かに語り始めた。

 

『さっき千佳と一緒に、今日の集会で言われたことを振り返っててさ。他校の生徒に応援されたらって話ね。あれ、帰って来てから冷静に考え直してみたら、たしかにいい気はしないなーって。海浜の会長選挙なのに総武から応援を受けてる候補がいたら……って考えて初めて、私も千佳も納得できたんだよねっ』

 

『うん。その時にねー、わたしが思い出したのは、道徳とかでよくあるじゃん。「自分がして欲しいことを他人にしてあげなさい」みたいなやつ。わたしは、他の高校にも応援してくれる生徒がいたら嬉しいなって思ったから、葉山くんの応援をしようって思ったんだけどさ。でも……』

 

『千佳もだし、私がこんなことで悩むのって自分でも変な感じだけどさっ。もしかして、自分がして欲しいことと、他人がして欲しいことって、けっこう違うんじゃないかなって思い付いたんだよねっ』

 

『総武の人たちとは、ちょっと頭の出来が違うのかもねー。かおりもわたしも、集会の時にはぜんぜん分かってなかったんだけど、帰って来てご飯を食べてたら、あっ……って』

『千佳が二人前を平らげたころ……むぐぐ』

『ご飯をやっと一割ぐらい喉の奥に押し込んだ頃だったかなー。それで、今日の集会だけじゃなくて、かおりの中学の時の話も振り返ってみたんだよねー』

 

『私はまあ、こんな性格だしさ。面白ければ何でもいいって感じで、みんなも楽しいほうがいいじゃんって思って、ずっとそうやって来たんだけどさっ。比企谷がこう、言いたいことを我慢してるのを見ても、なんで言っちゃわないんだろって。そう思ってたらいきなり告白されて、えって感じで。でも、その時にも気付けなかったんだよねーっ』

 

『でもね、かおりにも原因はあるんだけど、同級生から比企谷くんの変な話を吹き込まれてたってのもあるからさ。やっと今頃になって気付いたのかって、比企谷くんに怒られても仕方がないとは思うんだけど、でもかおりにはさ……』

 

 じっと黙って耳を傾けていた八幡は、ここで仲町の言葉を遮ると口を開いた。

 

「まあ、折本に悪気がないのは昔から解ってたから、それは良いっつーか。そもそも昔の話だし、そこまで気にされるとこっちも謝ることが諸々出てくるからな。その、おすすめアニソン集をプレゼントしたとか……」

『それあったー!』

『え、それってちょっと……』

 

 黒歴史の中ではまだ軽いものを選んだつもりだったのだけれど、仲町が素で引いている。けどまあ折本が爆笑しているし良いかと現実から若干逃避をしながら、それを全校放送で流されたことやオタガヤというあだ名を頂戴した件にはいっさい触れずに八幡は言葉を続ける。

 

「そんな感じでな、自分が貰ったら嬉しいけど他の奴には嬉しくないものなんて幾らでもあるからな。だからまあ、一度や二度の失敗ぐらいであんま深刻に考えずに、その経験を次に活かせば良いんじゃね?」

 

 要するに立場を入れ替えてみれば、感覚や文化が違うのは折本や仲町から見ても同じなのだ。

 今回はこちら側が多数を占めていたので「自分たちが間違っている」と受け止めたのだろうけれど、この二人と似た考え方をする連中が大勢いる場ではきっと違っていたのだろう。

 現に、中学時代は折本のやり方で上手く行っていたのだから。

 

『実を言うとさ。これだけ考え方が違うんだなーってのを体験しちゃうと、もっと色々と知りたくなっちゃったんだよねっ。その、比企谷に謝ろうって気持ちは嘘じゃないんだけどさっ。申し訳なかったなって思う気持ちもあるし、好奇心もあるって感じかなっ。だから、その……テスト明けの合同イベント、楽しみにしてるねっ!』

『あ、かおりが珍しく日和った』

 

 総武には自分や仲町とは頭の出来が違うなと思える生徒が大勢いたけれど、いま通話が繋がっている元同級生ほど変な思考回路の持ち主は他にはいなかった。

 

 中学の頃には、八幡だけが飛び抜けて異質だったので、逆に全く気付かなかった。けれども自分には理解できない領域の人たちと一緒にいるのを見ていると、その異質さが際立って見える。

 

 世の中には、折本が知っている以外にももっともっと色んな考え方があって。それらに触れることができたら、きっともの凄く楽しいって、面白いって思える気がする。

 

 だから折本にとっての八幡は、かつては単なる変な奴に過ぎなかったのに、今や未知のものを見せてくれる貴重な奴に変化していた。もっと話してみたいと思うし、一緒に何かをしてみたいとも思う。でも、異性として見ているのかと言われると、ちょっと違う気がする。

 

 はっきりとした恋愛感情があれば、むしろ話は簡単だっただろう。けどそうじゃないから逆に、こんなもじもじした話し方になってしまう。とはいえ。

 

『うーん……これはこれで、私らしくなくてウケるっ!』

『あ、いつものかおりだ』

 

 少しだけ変な雰囲気を漂わせていたものの、折本が普段どおりに戻ったお陰で仲町まで調子を取り戻している。そう考えた八幡は、今度こそ話を締め括ろうと口を開いた。

 

「まあイベントなんてのは参加者以上に、企画した連中が楽しめてこそって部分があるからな。だからまあ、俺らも試験明けを楽しみにしてるわ。じゃあ、そろそろ……」

『うん、またね比企谷!』

『わたしはちょっと行きにくいんだけどさー。でも関わる気はないって言ったけど、かおりと比企谷くんが話してるのを聞いてたら、ちょっと面白そうだなーって。総武の人たちが許してくれるか分かんないけど、参加できそうな時はよろしくねー』

 

 そんなふうに合同イベントでの再会を約束して、この日の通話は終わった。

 なお、「試験前日なのにビーフシチューをルーから作り始めちゃった」といった反応に困るメッセージがこれ以降は続々と届くことになるのだが、今の八幡はそれを知る由も無かった。

 

 

「さて、と。今の通話はまあアレとして、身体も動かせたし予想外に気持ちの整理もできたし、来て良かったな。遊戯部の部室に入るのは気が引けるし……」

 

 ふと気付けば、心地よい疲労感が全身を覆っていた。それを自覚した八幡は、そろそろ撤退の頃合いだなと廊下に向けて歩みかけて。

 

「あ、いや。ここまで来たらついでだし、行くだけ行ってみるか」

 

 そのまま個室に戻ろうとしたものの、急に回れ右をして。

 そして八幡は、特別棟へと歩を進めた。

 

 

*****

 

 

 それに気が付いたのは、どの時点だったのか。

 最後の曲がり角を曲がった時か、四階に上がった時か。それとも、特別棟に足を踏み入れた時だろうか。

 あるいは、あの教室に行ってみようと思い立った時にはもう、それを予期していたのかもしれない。

 

 通い慣れた部室の前で、八幡は大きく深呼吸をした。そして扉に向かっておもむろに手を伸ばす。

 ドアの隙間からはほんのりと灯りが漏れていて、話し声が微かに聞こえてきた。

 

 ごくっと唾を飲み込んでから一気に扉を開けると、その声がぴたりと止んだ。

 暗闇に慣れた目には部屋の中の灯りは眩しすぎて、八幡は無言のまま目をぱちぱちさせながら、その場でしばし佇んでいた。

 

 明るさに目が馴染んできたので、ゆっくりと敷居をまたいで室内に足を運ぶ。

 四つの目にじっと見つめられながら、八幡はいつもの席まで辿り着くとおもむろに腰を下ろした。

 

「……来たのね」

「ああ。……お前らもな」

「うん。まあね」

 

 最初に口を開いたのは、こんな時間でもきっちりと制服姿の雪ノ下雪乃。

 そして八幡の言葉に応えたのは、ちょっとアホっぽいクマ柄のパジャマの上に、はんてんと言うのかどてらと言うのか、とにかく温かそうなものを羽織っている由比ヶ浜結衣だった。

 

「なあ。もしかして、わざわざ席を用意してくれてたのか?」

「席だけじゃなくて、お湯も沸かしてあるよ。ねっ、ゆきのん?」

「ええ。では少しだけ温め直してお茶を淹れましょうか」

 

 そう言って雪ノ下が席を立つと、由比ヶ浜はいそいそとポーチからお菓子を引っ張り出している。たちまち一口サイズのチョコレートと小さな焼き菓子が机の上に並べられた。

 

「由比ヶ浜は、俺が来るって分かってたのか?」

「うーん。分かってたって感じじゃなくて、来てくれたらいいなって感じかな。ヒッキーが来るって分かってたら、もうちょっとマシな恰好をしてきたのにね」

 

 ちょっと恥ずかしそうに身をよじっている由比ヶ浜を思わずまじまじと眺めてしまった。先程はアホっぽいと思ったパジャマが今は可愛らしく見えるのだから、我ながらどうかと思う。

 

「由比ヶ浜さんがその恰好で入ってきた時には、私もびっくりしたわね」

「あたしだって、こんな時間なのに制服姿のゆきのんを見てびっくりだったよ」

 

 つまり、いつものように雪ノ下が一番乗りだったということか。それと、特に約束をしていたわけではないみたいだ。

 教室の後方に移動して窓際でお茶の用意をしている姿をちらりと見やって、その佇まいを目にして思わず息を漏らしていると。

 

「まだ宵のうちなのだし、制服でも変ではないと思うのだけれど。比企谷くん、紙コップだと風情がないから、今日はティーカップでも良いかしら?」

「ああ、頼む。てか風情を言うならあれだよな。秋の夜はまだ宵だから明けないぞ、って感じか?」

「一気に風情が無くなったわね。夏は夜で秋は夕暮れだと、曾孫の清少納言も言っているでしょう?」

 

 国語学年一位と二位らしい会話に、由比ヶ浜が目を白黒させている。

 茶葉を蒸らしながら、雪ノ下は「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ」という古今集に収められた一首を紹介して、八幡のせいで消え失せた風情を復興させようと頑張っていた。

 

 

「申し訳ないのだけれど、取りに来て貰えるかしら?」

 

 ひととおりの解説を終えた雪ノ下にそう言われて、八幡と由比ヶ浜は席を立った。湯気を上げているティーカップが二つとマグカップが一つ、窓際の机に置かれている。

 

「なんか見覚えがあると思ったら、嵐山で買ったやつか」

「うん。使うの初めてなんだけど、今日でよかった」

「……そうね」

 

 やる気のなさそうな犬がプリントされたマグカップをじっと見つめながら。由比ヶ浜は小声で、しかしはっきりと、喜びの言葉を口に出す。

 ほんの少しだけ頬を緩めて。実感のこもった口調でそれに同調する雪ノ下の声が続いた。

 

 由比ヶ浜がマグカップに手を伸ばしたのをきっかけにして、三人は各々カップを持って椅子に腰を落ち着ける。移動中に口を開く者はなく、けれど言葉など不要だと誰もが理解していた。

 

 一度は唇の手前までカップを持ち上げたものの、まだ熱くて飲めそうにないのでソーサーに戻して。忘れないうちにと考えた八幡が話し始める。

 

「思い出したうちに、修学旅行の写真を渡しておくか。共有状態にしておくから、好きなのを選んで……」

「せっかくヒッキーが撮ってくれたんだから、ぜんぶ欲しいなって。だから一括で貰っちゃうね。ね、ゆきのんも?」

 

 なるほど。そういう言い方をすれば欲しい写真を合法的に獲得できて、かつ特定の女の子が写っている写真だけを選んでいると非難されることもないのかと、また一つ賢くなった気がした八幡だった。

 

 そんなふうに八幡が学習している傍らでは、由比ヶ浜に促された雪ノ下が、自分の写っていない写真を大量に押し付けられていた。

 

「でもさ。先週のことなのに、なんだか懐かしいなって思っちゃうよね」

「帰って来るなり色々あったしな。けどま、あの旅行は、あれだよな。……楽しかったよな」

「そうね。私もあの三泊四日は、とても楽しかったわ」

 

 てらいの無い言葉を聞かせてくれた八幡と雪ノ下に、微笑みかけては頷いて。ゆっくりと顔の向きを戻した由比ヶ浜は、そのまま二人と視線を合わせることなく言葉を続ける。

 

「ヒッキーとゆきのんにそう言って貰えると、それだけで何だか嬉しくなっちゃうな。旅行が楽しかったのはあたしもなんだけど、でも、色々あったからさ」

「色々あったことと楽しかったことは両立できるだろ。だからあんま気にすんな」

「そうよ。何かに気兼ねをして、楽しかったという感情を表に出さないようにしたりとか。ましてや押し殺そうとするのは良くないと思うのだけれど」

 

 おそらく、今が言うべきタイミングなのだろう。そう考えた由比ヶ浜が言葉を続ける。

 

 

「あのね。ゆきのんにも、ちゃんと話しておきたいなって思うんだけどさ」

「ええ。……でも、申し訳ないのだけれど、今日は勘弁して欲しいのよ。明日が終わって物事が一段落して……ただ、期末試験が目前に控えているのよね。できればそれが終わってから、落ち着いて聴きたいと思うのだけれど。急ぎの話ではないのでしょう?」

 

 そう言われてしまうと、由比ヶ浜もこれ以上の無理強いはできない。

 それに、この部屋で三人で顔を合わせるのは早くて明日、場合によってはもっと先になるのだろうなと思っていたので、突然のこの邂逅に浮かれてしまってすっかり忘れていたけれど。()()()を持ち出してしまえば頭の中がそれでいっぱいになって、明日のことなどすっ飛んでしまうだろう。

 こんなあたしを応援してくれてるみんなの為にも、それだけはしちゃダメだ。

 

 由比ヶ浜の顔つきが変わっていく様をつぶさに見守って、雪ノ下もまた下がりかけていた目尻を戻して目に鋭い光をたたえていく。

 期末試験の話は、実を言うと先延ばしにするための方便でしかない。日頃から予習と復習をきっちりと果たしてきた雪ノ下にとっては、試験前でも特に普段と変わらない。授業が減るのでかえって時間の余裕ができるほどだ。でも、明日に影響を及ぼすようなことだけは、避けなければならない。

 急ぎの話ではないという時点で、告げられる内容は分かりきっているというのに。

 それでも、諦めの気持ちを他に伝播させないためにも、それを言葉という形で明確にされることだけは避けなければならない。せめて、明日が終わるまでは。

 

 二人を取り巻く空気が変化したのを敏感に感じ取って、八幡もまた顔を引き締めていた。

 さっき独りでいた時にも思ったけれど、こうして顔を突き合わせてみるといっそう実感できた。この二人と築き上げてきたものが失われることは決してない。確かに今は選挙戦で敵対関係にあるし、決着をつけるのは八幡としても望むところなのだが。それが終わればまた三人で、奉仕部としてやっていけるだろう。

 

 二人にはまだ明日の演説という大仕事が残っている。けれども八幡は既に、為すべきことはやり(おお)せた。そんな余裕がつい口に出たのだろうか。

 

「そういや明日っていうか、今日の集会のことだがな。お前らを擁護できなくて、なんか悪かったな」

「ううん、あれは仕方ないよ。ヒッキーが、その、情報戦っていうのかな。それで優位に立ってるから、ちょっと牽制できればって考えたあたしたちのせいだしさ。けど、知らんぷりをしても問題になっただろうし、結局あんまり変わんないねって姫菜と喋ってて」

「私も、結局こうした展開になるのは避けられなかったでしょうね。もしもやり直せるとしても同じ行動を取ったと思うわ。だから、貴方が気に病む必要はないのよ。むしろ責任を感じて手心を加えるようなことがあれば、そのほうが腹立たしいわね」

 

 そう言ってくれたら良いなと考えていた内容をそのまま言われてしまった八幡は、己の軽率な発言を悔いていた。こんなふうに自分に都合の良いセリフを二人に言わせてしまって初めて、本当はそんな言葉など望んではいなかったのだと気が付いた。いっそ糾弾してくれたほうが、よほど気持ちが楽だっただろう。

 

 こんな話をしたかったんじゃないだろと心の中で強く自分に訴えかけて、八幡は敢えておどけた話しかたで二人に応える。

 

 

「情報戦なんて紙一重だし、手心を加えたらたちまち落選まっしぐらだからな。つーか、やり直せても同じ行動を取ったって言うけどな、会長選挙で正統性とか言い出すのは止めたほうが良いと思うぞ?」

「あー。あの時のゆきのんって、ちょっとノリノリだったもんね」

「し、仕方がないじゃない。その、エフェソスの公会議とか、インノケンティウス三世のことを考えていたら、ちょっと気分が高揚して……」

 

 やはりかと苦笑していたせいで反応が遅れた八幡に代わって、意外にも由比ヶ浜が話を続ける。

 

「あ、そのインなんとかさんって知ってる。姫菜が言ってたんだけど、皇帝の語源になった軍の司令官のことだよね?」

「……由比ヶ浜さん。それはおそらくインペラトールだと思うのだけれど。とはいえ、どんな話の流れでこの言葉が出て来たのか少し興味があるわね」

「えっ。そ、そうなんだ。……えっとね、ローマの初めの皇帝がインなんとかさんって呼ばれてたんだけど*1、実は戦争は得意じゃなかったんだって。だから無二の親友(♂)に全てを委ねたみたいでさ」

 

 由比ヶ浜の説明は何も間違っていないのに、腐女子の影がちらつくだけで全く違った意味に思えてしまうのだから困ったものだ。それにインなんとかさんと言われたらとある大食いの少女を連想してしまうのだが、もうちょっと言い方を考えてくれないかなと八幡が頭をぽりぽりしていると。

 

「なるほど、海老名さんらしいわね。きっと彼女もその話をしていた時には、夕方の私と同じような調子だったと思うのだけれど?」

 

 上手く言い逃れができたと思ったのか、雪ノ下はまたもや得意げな顔つきになっている。

 それを胡乱げに眺めていると、なぜだか急に雪ノ下が可愛らしい童女のように思えて来て、思わず言葉を発してしまった。

 

「なあ。ちょっとお前、セリフの最後に『僕はキメ顔でそう言った』*2って付け加えてくれない?」

「嫌よ。どう考えても黒歴史になると思うのだけれど、それを承知で無理強いするなんて、比企谷くんが鬼いちゃん*3と呼ばれる日も近そうね」

 

 ノリノリでそう言い切った直後にはっと口を押さえて正気に戻った雪ノ下だった。中の人はなかなかサービス精神が旺盛らしい。

 

「ヒッキーって、たまにこんなふうに意味の分かんないことを言い始めるんだよね。姫菜が言うにはアニメか漫画の話みたいだけどさ」

「なんつーかな、心底からどうでもいい話をしたくなる時ってお前らにはないのかね。シリアスな話も風情のある話も良いんだけど、いわゆるザ・雑談みたいなトークって、俺はけっこう好きなんだがな」

 

 八幡が欲しているのは、そして二人にも望んでいるのは、気楽なやり取りだった。

 敵に塩を送るほどの余裕は無いけれど、選挙戦で積み重なった疲労を軽くしたいししてやりたいとも思っている。これならお互い様なので、明日への影響はさほど無いだろう。

 

「でもさ、それなら共通の話題で盛り上がったらいいじゃん。ね、ゆきのん?」

「そうね。ちょうど今、大量の写真を貰ったところなのだし、その話なんて良いかもしれないわね」

 

 そんな雪ノ下の提案に、由比ヶ浜が一も二もなく賛同して。

 なぜか教壇の上からスクリーンを下ろして大きく写真を投影しながら、あんなこともあったしこんなこともあったと話の尽きない三人だった。

 

 

***

 

 

 気が付いたら結構な時間が過ぎていたので、三人は部室の前で別れた。

 部屋の中では和気藹々と過ごしていたけれど、廊下に出るとお互いの立場を思い出してしまったのだ。

 三人揃ってとか、二人と一人に分かれて移動するのは何となく避けた方が良い気がして、ならばと別ルートで帰ることにしたのだった。

 

 八幡は一番遠回りのルートを選んだ。

 のんびりだらだらと校内を歩いていると、ふわふわと夢見心地な気分がして、先程までのやり取りが空想の産物なのではないかと思えてしまう。でもジャージのポケットには、別れ際に由比ヶ浜が持たせてくれた一口サイズのチョコレートが入っている。

 

 個室まで辿り着くと、そこから自宅のリビングへと移動した。

 

 部屋には電気が点いていなかった。

 あれから何度か妹が下りてきたのかもしれないし、部屋に篭もりっきりかもしれない。チョコをちょこっと差し入れてやりたい気もするのだが、勉強や睡眠の邪魔をするのは避けたいしオヤジ扱いもされたくない。

 

 とりあえず電気ケトルの様子でも見るかと八幡が足を動かしかけたところで。

 

「こんな時間に、どこに行ってたんですか?」

 

 いつもとは違った口調ながら、耳に慣れたこの声を八幡が聞き間違えるはずもない。

 慌ててソファの真ん中に視線を移すと、そこには明日の演説に備えて原稿用紙とにらめっこしている一色いろはの姿があった。

 

 

「いよいよ明日が選挙かって思ったら、なんか落ち着かなくてな。だから夜の校舎を探検してたんだが……」

 

 どこまで話すべきかと考えながら、ひとまずそう答えた八幡はキッチンに足を向けた。

 電気ケトルに手を当てると、かなりの熱を帯びている。ついさっき沸かしたと見て間違いないだろう。

 

「小町ちゃんにお茶を淹れてもらったので、わたしの分はいいですよ〜」

「小町と待ち合わせて来たってことか。なんか演説で困ったことでも……」

「う〜ん、そうじゃなくてですね〜。ちょっと思い立って、普通に来てみようかな〜って。この世界って、タクシー飛ばしてもタダじゃないですか。夜でも安全だし、だから普通に外からピンポーンって」

 

 個室経由の移動が便利なのですっかり頭から抜けていたのだが、外から普通に訪問するという手はたしかにある。フリル付きのワンピースなんぞを着ているのはそのせいかと思いつつ、でもそれだと妹はさぞかしびっくりしただろうなと考えていると。

 

「いつかの打ち上げの時に、大勢で来たことはありますけどね。夜に一度ぐらい普通に来るのもいいかなって思ったんですよ。普通にって言うか、あっちの世界みたいにっていうか、そんな感じですね〜」

 

 一色が敢えてそんな行動に出た理由が八幡には解らなかった。

 とはいえ、顔を突き合わせて打ち合わせができるのなら話は早い。

 そんなふうに実務的な思考に走って、八幡は湧き上がりかけた疑問から目を逸らした。

 

「そういや会計の当てがついたぞ。だから生徒会は一色を入れて四人構成だな。雪ノ下や由比ヶ浜の生徒会には参加する気は無いって言ってたし、それを利用できるなら利用してくれとさ」

「なんとなくそんな感じかな〜って思ってたので大丈夫ですよ。今も頭の中で予行演習をしてただけで、話すことはだいたいまとまってますし」

 

 ということは、やはり前夜とあって一色でも気持ちが落ち着かないのだろうかと考えていると。

 

「せんぱい。ちょっとこっちに来て貰っていいですか?」

 

 一瞬だけ電気ケトルに視線を送ったものの、部室でたっぷりお茶を頂いてきたので喉は渇いていない。だから八幡は手ぶらでソファに向かった。

 そして前回や先程と同様に、端っこの席に腰を落ち着ける。

 

「ここって、せんぱいの家なんですけど……まあいいか」

 

 そんな八幡を呆れ顔で眺めたものの、すぐにいつものことだと納得して、一色はぴんと姿勢を正した。

 

 それから身体を横に向けようとして、でもいまいちしっくり来なかったみたいで。「う〜ん」と言いながら首を傾げると、わざとらしくぽんと手を叩いてから両足をソファに上げた。そして八幡のほうを向いて両のふくらはぎにお尻をちょこんと置くようにして、一色は正座の形になった。

 

「明日の夕方になったら、当選の盛り上がりで落ち着いてお話しできないと思うので、今のうちに言っておきますね。……せんぱいが協力してくれたお陰で、色んなことがどんどん上手く進んで、雪ノ下先輩や結衣先輩とも互角に近い勝負に持ち込めました。それと、今日の集会の前に相模先輩の頭を叩いた時みたいに、いらっとした感情を向けちゃった時もありました。なのにせんぱいは、自分の功績を誇ろうともせず、理不尽な言いがかりにもけろっとしていて……せんぱいって、落ち込むこととかあるんですかね?」

 

 途中までは良い話だったのに、なんだか台無しになっている気がする。

 それは当人もすぐに気が付いたのか、こほんと一つ咳をしてから話を続けた。

 

「だから、今日のうちにお礼を言っておきたいなって思ったので、お邪魔しました。たぶんこれからも迷惑を掛けちゃうと思うので、ごめんなさいは言いません。でも、せんぱい。たすけてくれて、ありがとうございます」

 

 そう言い終えると、一色は綺麗に三つ指をついて丁寧に頭を下げた。

 そして静かに頭を上げると、何かが納得いかなかったのかもう一度首を捻って。今度は手のひら全体をソファに置いて、深々とお辞儀をした。

 

「いや、お礼を言うのはたぶん俺のほうなんだわ。だから頭を上げてくれ。一色がいたから勝負ができたし、一色が頑張ってくれたからここまで競った選挙戦ができたんだ。俺の力なんて微々たるもんだし、ほとんどは一色の功績だろ」

「う〜ん、まあ〜、やっぱりそう思います〜?」

 

 八幡が言葉を掛けている途中から肩がぷるぷる震えているので、すわ感極まって泣き出したのかと力いっぱい励ましてやったというのに。

 顔を上げた一色は、得意満面の笑みを浮かべている。

 

「なあ。お前もう帰っていいぞ?」

「ちょ、ひどいですよせんぱ〜い。こんな夜中にうら若き乙女を一人で帰らせるなんて鬼ですよ、鬼」

「んじゃ個室経由で送っていくから」

「あ、小町ちゃんにご両親の部屋を使っていいって言われてますので」

「え、泊まる気なのかよ……」

「心配しなくても、朝にちゃんと着替えに帰りますよ〜。同伴とかしたらファンのみんなが悲しんじゃいますからね〜」

「誰よりも先に俺が悲しむと気付いて欲しかった」

「ほら、うるさいですよせんぱい。それよりも演説のことなんですけど〜」

「お前さっき演説はまとまってるって言ってなかったか?」

「あれは言葉の綾ってやつですよ〜」

 

 心底から嫌そうな顔をしながらも、眠気が限界になるまでは何だかんだで一色の相手をし続ける八幡だった。

 

 

***

 

 

 朝起きると、一色の姿はなかった。

 昨夜の部室での時間も含めて、全ては夢だったのかと思いそうになるけれど。自室の机の上に置かれている一口サイズのチョコレートと、綺麗に洗って水切りの上に伏せてあった来客用のマグカップがそれを否定していた。

 

 登校してからのことはあまり記憶にない。とにかく慌ただしくて忙しなくて必死だったことだけを覚えている。

 

 そして、放課後がやって来た。

 

*1
Imperator Caesar Divi Filius Augustus.(最高司令官・カエサル・神の子・尊厳なる者)

*2
西尾維新「物語」シリーズ(2006年~)に登場する童女キャラ・斧乃木余接が初期に好んで口にしていたセリフ。

*3
上記の斧乃木余接は主人公をこう呼ぶ。




前回のシリアスの流れからそのまま演説回に繋げるほうが盛り上がり的には良いのかもしれませんし、決戦前夜に当事者たちが顔を合わせる展開には賛否があるかもですが。雪ノ下の「……来たのね」は何としても改変したかったのと、甘っちょろい話を書いておきたかったので、本話を挟む形にしました(構成を決める時に最初に枠を取ったのが本話です)。

次回はお盆明け頃に、次々回はできれば月末に更新して八月中に本章を完結させたいと思っていますが、実現はおそらく五分五分ぐらいです。
とにかく一日も早く更新できるよう頑張りますので、宜しくお願いします。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。
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