俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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後書きの下にアンケートという名の投票所を設けました。
ご協力を頂けますと助かります。

以下、前回のあらすじ。

 自宅のリビングで物思いに耽っていた八幡は、ふと夜の校内を歩いてみるかと考えついて、二年F組とJ組と一年C組を歴訪した。候補者三人を思い出しながら各教室でしばしの時間を過ごして、八幡は空き教室へと足を向ける。

 そこで着信を受けて、八幡は折本と話をした。振られた割には元気そうな仲町も途中から会話に加わって、「自分がして欲しいことと他人がして欲しいことは違う」という気付きを告げられたので。八幡はかつての黒歴史を引き合いに出して、気にし過ぎないようにと伝えた。

 そのまま帰宅しようとした八幡が、何かに導かれるようにして部室を訪れると。そこには二人の先客がいて温かく出迎えてくれた。いつもと同じ配置でお茶とお菓子を堪能しながら、投票を明日に控えた三人は心休まる一時を過ごした。

 リビングに戻ると、今度は一色に出迎えられた。何故かこの世界特有のショートカットを使わずタクシーを飛ばしてきたという一色は、落ち着いて話せる前夜のうちにと前置きして、八幡に感謝の言葉を告げた。

 そして一夜明けた放課後、いよいよ投票の時が迫って来た。



14.おのれの主張に全てをかけて彼女らは堂々と渡り合う。

 体育館にはパイプ椅子が敷き詰められていた。横長の館内に規則正しく並んでいるそれらは、幾つかのまとまりに分かれている。

 

 縦長の固まりがちょうど十個横並びになっていて、これは二年A組からJ組の座席に該当する。

 その後ろにもまた十個、更に後ろにも十個あるのは、それぞれ一年と三年の椅子だ。最上級生は去り行く立場なので最後尾で良いという考えから、こうした配置になったのだった。

 

 総武高校では伝統的に生徒の自主性が重んじられているので、本日の立会演説会も選挙管理委員会がその全てを取り仕切っている。

 連日の集会との違いは、生徒だけではなく教職員も含めた全員が参列することだ。だから左右の壁に沿って机と椅子が用意されていて、こちらは三年の担任が上座になっていた。

 

 人のいない空間で、しんと静まり返ったまま。几帳面に立ち並んだ状態でその時を待っていたパイプ椅子の群れは、ついに放課後を告げる鐘の音を耳にした。

 

 

『選挙管理委員会からのお知らせです。全校生徒は担任の先生の指示に従って、二年A組から順番に体育館に移動して下さい。繰り返します。全校生徒は……』

 

 全てのクラスで授業が終わり、担任が各教室に入ったのを確認してから話し始めた。

 復唱を終えて放送を切った生徒会長は、疲れも緊張もまるで感じさせない普段どおりのニコニコした表情を周囲に向けて。

 

「じゃあ、最後の大仕事だねー。みんな、行くよー」

 

 一年という長きにわたって支え続けてくれた黒子の一団を率いて、会長は体育館へと足を向けた。

 

 

「そろそろ私らの順番だねー。このクラスには何故か、敵陣営の最高幹部が二人も居るんだけどさ。そっちはそっちでしっぽり愚腐っと……あいたっ」

「誰を応援するのも自由だし。でも、隼人やヒキオでも、大和や大岡や戸塚や相模でも、結衣なら立派な会長になるってことに異論はないはずだし」

「あたしも同感だね。だから最後の最後まで、由比ヶ浜に投票してくれって言い続けるからさ。みんながそれに応えてくれると嬉しいね」

 

 二年F組では、腐女子が口火を切り女王がそれに続いて最後にブラコンが話をまとめた。

 頼りになる姉御肌の側面は既に全校に知れ渡っているのだが、ふにゃふにゃの笑顔で弟からのメッセージを何度も読み返している姿もちらほらと散見されているので、この肩書きが定着するのも時間の問題だろう。本人は不本意だろうけれど。

 

「姫菜と優美子と、沙希……って呼んでいいよね。この三人だけじゃなくて、あたしを応援してくれてるみんなの心に、それからヒッキーや隼人くんやさいちゃんやさがみんや大和くんや大岡くんみたいに、ゆきのんやいろはちゃんを応援してる人たちの心にも響く演説をしたいなって思ってるからさ。だから、行ってくるね……って言うと変か。えっと、うん、行こうっ!」

「だべ!」

 

 名前を挙げた面々にとどまらず、同じクラスの生徒と漏れなく目を合わせながら。二年F組の立候補者は先頭に立って、陣営の区別なく同級生の全員を体育館へと導いて行く。

 

 

「正直に言って、こんなに疲れ果てるまで、私のために貴女たちが動いてくれるとは思っていなかったわ。そして貴方たちも、男子は数が少ないから肩身の狭い思いをしているはずなのに。口さがない人たちのことは気にも留めずに、私の指示をそのまま受け入れて頑張ってくれたわね」

 

 二年J組では、担任の招きに応えて教壇に上がった候補者が、男女の群れに向けて話し掛けていた。その口調は静かでも声はよく通っていて、クラスメイトの全員がねぎらいの言葉をしっかりと受け取れている。みるみるうちに疲れが癒えていくようだ。

 

「その続きは、ここに帰って来てから聞こうぜ。なあ、みんな」

「ええ!」

「おう!」

 

 かつて彼女が睡眠不足で登校した際には容赦なく保健室に押し込め、文実にも並んで参加したJ組の保健委員が、そう言って同級生を煽った。

 入学以来ずっと同じクラスで過ごしてきたので、団結力では決して負けないという自負がある。だから、声を出さない生徒など誰一人としていなかった。

 

「では、勝ってここに戻って来るわね。先生、先導をお願いします」

 

 教師には道案内をさせる形に巧みに誘導しておきながら、生徒には一言も指示を出さない。何も言わずとも、後をついて来てくれると信じているからだ。

 

 教師と立候補者に率いられて、二年J組の一同は意気揚々と体育館に乗り込んだ。

 

 

「このクラスから生徒会長を出したいって想いに囚われてた時には、先生は結果しか見えてなかったんだよな。けどな、お前らに教えられたよ。あの雪ノ下と由比ヶ浜が相手なら、誰が立候補しても厳しいだろうにな。それでも一色は、それにお前らも決して諦めなかったし、だから劣勢をはねのけて後一歩のところまで来ることができた。だからな、経過がこれだけ完璧だったのに、結果を逃すなんて悔しいよな。嫌だよな。だから何としてでも、一色を会長にしてやろうぜ!」

 

 いつもなら思わず引いてしまう類いの発言なのに。今この時に限っては、担任の言葉に乗るのも悪くはないなと思えてしまう。だから、この熱気を逃さず更に煽る。

 

「じゃあ~、演説で力を出し切れるように、みんなのパワーを貰っていこっかな~」

 

 その場でくるんと一回りしながら男女の別なく呼びかけると。可愛らしくしなを作って少し間を取った候補者は、机の間をちょこまかと動きながら全員とタッチを交わしていく。

 

 手汗が酷い男子が相手でも、戸惑った表情の女子が相手でも、手が触れると同時に目を見てきゃるんと微笑みかけて。

 首謀者たる推薦人の六人とは、ひときわ大きな音を立ててお互いの手をばしんとぶつけ合い。

 友人四人とはタッチだけでは収まらずハグまで交わして。

 それなのに嫌悪感や面倒な気持ちも、敵意や呆れも、義務感すらも湧いて来ない自分に内心で首を傾げながら。

 

「これで決まりかな~。みんなのパワーのおかげで、会長になるのは~?」

「I・RO・HA・ちゃーん!」

 

 さすがにこのノリには参加できないなと思った女子一同だった。

 

 

***

 

 

 ステージの中央には講演台が用意されていた。

 その後方には大きなスクリーンが垂れ下がっていて、壇上の様子を映し出している。

 

 向かって左手の舞台上には長机が斜めに置かれていて、それに沿って椅子が四つ並んでいた。

 一番左側の椅子には、司会を務める城廻めぐりが腰を下ろしている。その隣に雪ノ下雪乃・由比ヶ浜結衣・一色いろはという順に席に着いていた。

 

 一方、右手側にも長机が斜めに置かれていて、こちらは椅子が三つ。

 右から順に葉山隼人・海老名姫菜・比企谷八幡の姿があった。

 

「だから立会人ってなんだよそれって話なんだが。まあ各陣営から一人ずつって言われたらこの顔ぶれになるのも分かるんだけどな。思いっきり俺だけ場違いだっつーの」

「こんな特等席で三人の演説を聴けるんだから、役得と言うべきだと俺は思うけどな」

「発言権も無いし声も漏れないから、雑談し放題だしねー。あ、でも、声が漏れないように我慢しながら二人がこっそり愚腐腐ってヤるのも……ふへっ」

 

 鼻血は隠せないのだから頼むから自重してくれよと、神に祈るような心境に至った八幡だった。

 

 

 城廻がマイクを片手に立ち上がると、ざわついた館内の雰囲気が一変した。

 呼吸すら忘れているかのように、生徒たちは微動だにせず会長をじっと見つめている。

 

『では今から、生徒会長立候補者による立会演説会と、続けて投票を行いたいと思います。まずは順番を決めちゃうねー』

 

 その言葉に応えるように舞台の袖から黒子の一人が現れて、立方体の箱を城廻の前に置いた。上面には手を突っ込むための丸い穴が開いていて、おみくじのように小さく折り畳まれた紙が一枚、そこから取り出される。

 

『えーっと、一番手は……雪ノ下さんだー!』

 

 紙を大きく広げて生徒たちに示すと同時に、そこに書かれていた名前を読み上げる。

 たちまち、ステージに向かって右側を中心に大きな歓声が上がった。

 

『じゃあ、雪ノ下さんは講演台へお願いします。みんなも知っての通り、二年J組の雪ノ下雪乃さんです!』

 

 その場で立ち上がって一礼した後は、特に急ぐでもなく焦らすでもなく講演台に歩み寄って。そこでまた一礼して、雪ノ下は全校生徒を視野に入れながら落ち着いた口調で話し始めた。

 

 

『生徒会長候補の雪ノ下です。最初に申し上げたいのは、私が当選を果たして生徒会長になった暁には、()()の生徒会を目指したいと思います。そのためにも、まずは私自身が、誰よりも身を粉にして生徒会に、ひいてはこの高校に、貢献したいと考えています』

 

 誤解を与えるといけないので明言は避けたものの、雪ノ下は文化祭の時と同様に「過去最高」を念頭に置いているのだろう。

 とはいえ、体力の問題を集会の時点から何度も指摘されてきたというのに、自らハードルを上げて話し始めるのはどんな意図があるのだろうかと八幡が考えていると。

 

『ご存知の方も多いと思いますが、私は奉仕部という部活で部長を務めています。その奉仕部の活動において、あるいは文化祭の実行委員としても、私は過去に体調を崩して他の人たちに迷惑を掛けたことがありました』

 

 自らの弱点を積極的にさらけ出す雪ノ下に、生徒たちから思わずどよめきが漏れる。けれどもそれは一瞬で終わり、静けさを増した館内に声が再び響き渡った。

 

『だからこそ、そうした事態を避けるためにも、私は生徒会に人材を集めたいと考えました。同時に、常設のメンバー以外にも、時と場合に応じて協力を求められるような組織作りを模索しました。では、まずは前者から説明したいと思います』

 

 そう言い終えると同時に手元を操作して、雪ノ下は用意していた書類を背後のスクリーンに表示させた。一番上に達筆で「人事案」と大きく横書きされているその書類は、役職と名前を書き並べただけのシンプルなものだ。

 

会長 :雪ノ下雪乃

副会長:本牧牧人・一色いろは

書記 :藤沢沙和子

会計 :由比ヶ浜結衣

庶務 :比企谷八幡

 

 自らの名前が書かれているのに気が付いた由比ヶ浜と八幡が目を見開いて驚きの表情を浮かべているのを確認して、雪ノ下は話を続ける。

 

『まず私が考えたのは、奉仕部と生徒会の融合でした。とはいえ、奉仕部を発展的に解消して生徒会に改組するという意味ではありません。奉仕部は奉仕部として、継続したいと考えています』

 

 先週の時点では、奉仕部には手を出さないつもりだった。今のままで残しておいて、時折あの部室を訪れるような、それ以外の時間は二人で過ごして貰えるような、そんな形を考えていた。

 

 けれども姉から指摘を受けて、そんな生易しい事を考えていては対立候補に勝てないと思い至った。

 

 肝心な部分を他人任せにしない為にも、雪ノ下は奉仕部を手元に引き寄せて、その行く末に全責任を負おうと考えたのだ。

 

『先日の集会で一色さんが言及してくれたように、今は城廻先輩の生徒会と私たち奉仕部が上手く協力し合って、この高校に貢献できていると自負しています。それなのに奉仕部を解散させるのは勿体ないなと、私も思いました』

 

「そうか……奉仕部をいつでも分離独立できる状態に置くっつーか、一国二制度みたいなもんか?」

「治外法権とある程度の自主権を与えるだけで、分離独立までは考えてないと俺は思うな。だって、雪ノ下さんの肩書きを思い出してみろよ」

「生徒会長と、奉仕部の部長かあ。たしかに分離独立したら意味が分かんないことになるよねー」

 

 葉山の指摘を受けて、やはり言い直したほうで正解かと八幡は思った。だからしたり顔にもそれほど腹が立たなかったし、海老名のつぶやきにも素直に頷けた。

 

『奉仕部と生徒会で明確に役割が分かれる時には、はっきりと人員を分けたいと私は考えています。もしも両者が意見を異にして対立するような事態になっても、よりよい結末に至ることこそが、みなさんの、そしてこの高校の為になると私は思います。だから両者には、徹底的に戦わせる所存です』

 

 殊勝な言い方をしているけれども、両者が徹底的に意見を戦わせた末に、よりよい結末に至ったとして。それが誰の為になるのかと言えば、真っ先にその恩恵を受けるのは生徒会長たる雪ノ下だ。

 

「大きな生徒会って組織の中で、ミニマムバージョンの生徒会と二人構成の奉仕部が功を争って。どっちが勝っても女王様としては苦しゅうないって感じかね」

「まあ、雪ノ下さんの性格が反映された組織構成だよね」

「はやはちが突き合う光景を満足げに眺めるTS雪ノ下さん……ありでしょ!」

 

 争うのは生徒会と奉仕部なんだが、と反射的に反論しそうになったものの。俺は何も聞こえなかったと八幡は己に言い聞かせた。

 

『そして、他のポストを希望するなら話は別ですが、できれば一色さんには副会長を引き受けて貰って、来年度に備えて欲しいと私は考えています。また、監査役は先生方にお願いする予定です。常設のメンバーについては以上です』

 

 つまり、最小構成の生徒会を一色に率いさせようと考えているのだろう。

 それに教師にも役割を与えて組織を補強する辺りにも雪ノ下らしさが感じられて、何だか笑い出したくなってきた。

 

 雪ノ下が立候補を決めてからは、なんとなく距離を取られている気がして落ち着かなかったし。もし会長になったら、自分たちは蚊帳の外に置かれるのではないかと不安だったけれど。

 こんな形なら今までどおりに協力できるなと、つい考えてしまった。

 

 慌てて首を振って、今の目標を再確認する。

 一色の当選こそが一番望ましい形なのだと自分に言い聞かせる。

 

『そして臨時のメンバーについてですが、やる気のある人ならいつでも歓迎しますし、事情があれば自由に抜けて頂いても構いません。また、問題解決に適した人材は積極的に活用したいと考えています。こちらも強制ではなく当人の意思は尊重しますし、もしもその辺りが不安なら葉山くんや戸塚くんが相談に乗ってくれるので安心して下さい』

 

 自分たちは生徒会の臨時メンバーを正式にスカウトする手を取ったのだけれど、雪ノ下はその臨時の枠を拡大して、采配の幅を大きく広げる一手に出たのだろう。

 

 敵ながら天晴れとしか言い様がないが、それが可能なのは雪ノ下ぐらいだ。

 

 由比ヶ浜や一色なら各生徒の特徴を把握するのは容易だろうが、それを仕事に応じて振り分ける段階になると雪ノ下には遠く及ばない。というか、実務能力で雪ノ下と張り合える生徒など居るわけがないのだから、それは仕方がないと諦めるしかない。

 

『最後に、私の体力的な問題に話を戻します。肝心な場面で倒れてしまわないように、私は、常設・臨時の生徒会メンバーに気持ち良く役割を果たして貰える環境作りに、全力を尽くしたいと考えています。冒頭で私は身を粉にして働きたいと述べましたが、それはこの仕事の重要性を鑑みての言葉だと、そう受け取って頂けると私も報われます。()()の生徒会を実現させるためにも、私に一票を投じて下さるようお願い致します』

 

 そう締めくくって頭を下げる雪ノ下を眺めながら、思わず八幡の口から言葉がこぼれる。

 大きな拍手が沸き起こる中でも、声が漏れない環境に置かれている葉山と海老名にだけははっきりと聞き取れた。

 

「エフェソス公会議と、インノケンティウス三世か……」

「……さすがだな。雪ノ下さんも、そう言っていたよ」

「えっと、ネストリウス派が異端になった公会議と、教皇権が全盛期を迎えた時だっけ?」

 

 葉山が何やら勘違いをしているけれど、いい気味なので当人から聞いたという話は伏せることにして。八幡は海老名に向けて説明を始めた。

 

「雪ノ下が目指してる組織って、要するに雪ノ下の下に生徒会と奉仕部があるんだよな。その三つは三位一体じゃなくて、雪ノ下とその下僕で明確に分離してるっつーか。それが、神格と人格が分離してるって主張するネストリウス派と重なって見えたんだわ。ま、無理矢理こじつけただけだし、あんま深く追及されると困るけどな」

「おー、なるほど。じゃあインノケンティウス三世は?」

 

 ちらりと葉山の様子を窺って。代わりに説明してくれたら楽なのにと期待したものの、君の解説が聞きたいなと言われた気がしたので、仕方なく話を続ける。

 

「王様よりも教皇が偉いって状況を確定させて、西欧各国に十字軍を呼びかけたりレコンキスタを促した人だろ。いかにも雪ノ下が好きそうな立ち位置じゃね?」

「雪ノ下さんが目指す理想の形だろうね。全校の人材を縦横に用いて、難題に挑みたいんだろうな」

「生徒会がそこまでの難題を抱える状況なんてあるのかなー。でもまあ、雪ノ下さんらしいのは確かかな」

 

 そう言って苦笑している海老名から、気のせいか雪ノ下への親近感が伝わってきた。

 何となく面白くないなと思いながら、椅子に腰を下ろそうとしている雪ノ下に視線を送る。

 

「しかしまあ、政策を戦わせたいとは言ってたけど、ガチの内容だったな。一番手がこれだと由比ヶ浜も一色もある程度は合わせるしかないし、トップを取られたのは痛かったか」

「最初に演説できれば理想的だな、とは考えていたけどね。でも、これほどとは俺も思ってなかったよ」

「隼人くんの予想を上回るなんて、やっぱり敵に回すと厄介だよねー」

 

 そんなふうに三人が雑談を続けていると、再び城廻が立ち上がった。

 

 

***

 

 

 目の前に置かれたままだった立方体の箱に手を差し入れて、城廻が次に引いたのは。

 

『次は……おお、由比ヶ浜さんだー!』

 

 たちまち館内のあちこちから大きな歓声が上がった。前列の真ん中辺りからの声援がひときわ目立っているものの、幅広く支持を集めているのがよく判る。

 

『では、講演台で準備をお願いします。みんな知ってると思うけど、二年F組の由比ヶ浜結衣さんです!』

 

 立ち上がった瞬間こそわたわたとしていたものの。城廻からの紹介を受けて一礼を終えた由比ヶ浜は、決意を秘めて引き締まった表情を浮かべていた。大きく手足を動かして、所定の場所に向けてずんずんと進んで行くと、講演台の前で深々と頭を下げる。

 

 そして大きく目を見開いて、集まっている全校生徒に向けてふんわりと満面の笑顔を贈ってから、由比ヶ浜が語り始めた。

 

『えっと、生徒会長候補の由比ヶ浜です。堅苦しい言い方だと、思ってることを上手く伝えられない時があるので、いつもの話し方でみんなに聞いてもらいたいなって思います。それと呼び方も、選挙で敵対してるからって、よそよそしい呼び方はしたくないなって思うので。ゆきのん、いろはちゃんって呼ばせて下さい』

 

 そんな前置きに続いて、由比ヶ浜はハキハキと丁寧な喋り方で言葉を続ける。

 

『まず人事案ですが、一昨日の集会で発表した通りです。具体的にはこんな感じかな』

 

 その発言に続けて、由比ヶ浜は先程の雪ノ下と同じように、テキストをスクリーンに映し出した。

 

会長 :由比ヶ浜結衣

副会長:本牧牧人

書記 :藤沢沙和子

会計 :三浦優美子

庶務 :海老名姫菜

監査役:一色いろは

 

『こんなふうに生徒会のメンバーをきっちり固めて、毎日こつこつと仕事をしていきたいなと思っています。それと奉仕部のことは、ゆきのんとヒッキーがいれば、あっちは大抵のことなら何とかなるって思ってます。だからこそ、生徒会と奉仕部の関係が大事だなって思っていて。城廻先輩のやり方を継続して、次の一年間も生徒会と奉仕部がいい関係を続けられるように。あたしも生徒会が忙しくない時には、部員として奉仕部に参加したいと考えています』

 

 意地の悪い指摘はできなくもない。仲の良い三人娘が生徒会を私物化するのではないかと懸念を示すのは、言葉を選ぶ必要はあるけれど決して悪手ではないだろう。

 

 けれども三浦と一色の対立関係は、その原因も含めて校内の誰もが知っている。

 

 だからこそ由比ヶ浜は、監査役に一色を据えたいとあれほど熱望したのだなと八幡は思った。そこを確定させた上で友人二人の役員入りを発表するというあの流れは、タイミングも含めて敵ながら見事としか言い様がない。

 

『じゃあ、生徒会が忙しくなった時にはどうするのかなって、思う人もいるかもしれません。だって、ゆきのんと比べると、あたしでも誰でも仕事の面では及ばないからです。このメンバーで乗り切れるのかなって、そんな疑問が出てくるんじゃないかなって、あたしたちは考えました』

 

 自らの弱みを認めて、その上で対策を述べるという流れは雪ノ下と同じ。けれども話の繋げ方や表現に、それぞれの特徴が出ているなと八幡は思った。

 

 そして、こんなふうに懐の広さを感じさせる時の由比ヶ浜は、敵に回すと誰よりも怖い。

 その証拠に、八幡でさえ話の先行きがまるで読めない。

 

『ここで、立候補の理由を述べさせて下さい。集会に来てくれた人たちには繰り返しになりますが、あたしは、ゆきのんに負担が集中するような形にはぜったいにしたくないって思っていて。だから、ゆきのんがすごい能力を発揮して()()の生徒会を目指すって方針には賛成できなくて。それよりもあたしは、ゆきのんの能力を無理なく、でも思う存分に活かせるような、そんな()()の生徒会にしたいなって思いました。これはもちろん、ゆきのんだけじゃなくて生徒会役員にも、それからみんなにも当てはまります』

 

 昨日までの集会では、雪ノ下は「最高」という言葉を使っていなかった。けれども由比ヶ浜は、演説ではきっとこの言葉が出ると確信していたのだろう。そうでなければこの短時間で「最良」という言葉に辿り着けるはずがない。ましてや、この二つの言葉をスクリーンに大々的に映し出すなんて。

 

 由比ヶ浜を馬鹿にしたいわけではない。けれども、語彙の豊富さや表現力という点で劣っているのは確かだ。それが、今回に限っては弱点にならないのであれば。そこに持ち前の長所を組み合わせると、一体どれほどの効果を生み出せるのだろうか。

 

 そんな八幡の疑問に答えるかのように、由比ヶ浜の話は続く。

 

『あたしはゆきのんみたいに、仕事の内容とか進み具合とかに応じて、適切な人材を割り振るようなことはできません。できなくはないけど、ゆきのんみたいに合理的に、効率的に、機能的にってのはムリだと思います。でも、仕事をしてる人が疲れてるなって思ったり、集中できてないなって思ったり、一緒に仕事をしてる人と合ってないなって思ったり。そういうのに気付けるって点では、あたしはゆきのんよりも、上だと思います』

 

 こんなふうに言い切れるような奴だっただろうか。

 演説に耳を傾けながらも周囲の反応をきょろきょろと窺っていた八幡は思わず首を持ち上げて、由比ヶ浜の横顔をまじまじと見つめてしまった。

 

 壇上から全校生徒へと温かい眼差しを送っている由比ヶ浜は、その全員に向けて手を伸ばしているようにも感じられた。

 

 自分の限界がどこまでかを誰よりも知っているからこそ、劣っている部分には固執せず別の道を選択できる。優れた部分を発揮して大勢を後押しすることで、実務能力では大きな差のある相手とでも互角以上に渡り合える。いや、その相手すらも取り込もうとしているのだ。

 

『ゆきのんはさっき、倒れてしまわないようにって言ってくれました。そんなふうに体調に気を使うようになってくれたことを、あたしは友人として、同じ候補者として、とても嬉しく思っています。でも、あたしはゆきのんの性格を知ってるから、限界が近いって分かってても無茶をする時が来るんだろうなって、そんなふうにも思っています。はっきり言っちゃうと、他人を使う以上に自分を使うのが下手だなって思っています。でもあたしは、自分がムリだって思ったら迷いません。生徒会役員を頼って、それでもムリって思っても迷いません。ゆきのんやヒッキーや、今ここであたしの話を聴いてくれてるみんなに助けてもらうことを迷いません。そのかわり、みんながムリだってなる前に、必ず気が付きます。そんな、()()の生徒会を、あたしは目指しています』

 

 苦手な分野を丸投げするという選択は実に合理的だ。けれども、それを実行できる人はそれほど多くはない。何故なら、ちんけなプライドが邪魔をするからだ。他人から「そんなこともできないのか」と言われても涼しい顔で受け流せる奴なんて、そうそう居るわけがない。

 

『普段の仕事は、役員のみんなに助けてもらったら充分に回せると思います。ぶっちゃけ、ゆきのんみたいにすごい能力がなくても何とかなります。けど、難しい問題が出て来た時には。それどころか緊急の場面になって、どうしても必要だって思ったら。あたしはゆきのんに会長としての全権を委任して、ゆきのんの指示に従ってもいいって思っています。その時に、手放さないのはひとつだけ。ゆきのんが限界だって思った時には止めるっていう権限さえ残っていれば、あたしは名前だけの会長になってもいいって思っています』

 

 ましてや、ここまであっけらかんと権力を手放せる奴なんて。

 いくら苦手だからって、いくら適材適所だからって、こんな提案を持ち出せるのは相手への深い信頼なくしてはありえない。

 

 雪ノ下に負担を押し付けたくないという一念を突き詰めて、そこに由比ヶ浜の長所を混ぜ込めば、こんな結論に至れるのだ。

 

「つーか、あれか。オクタヴィアヌスと、アグリッパか」

「へーえ。結衣に教えた元ネタを一発で当てられるとは思ってなかったなー」

「なるほどね。アウグストゥスは軍事が苦手だったから、アグリッパに任せきりだったらしいね」

 

 ローマの初代皇帝とその右腕の関係は、全軍の指揮権を任せられるほど親密なものだったという。

 最高司令官とは名ばかりで、しかし戦場には並んで立って、腹心の采配に全てを委ねる。

 当人に将に将たる器があり、かつ相手への絶対的な信頼がなければできない芸当だ。

 

『でも、そんな大変なことにならない限りは、このメンバーで充分にやっていけるとあたしは思っています。それと臨時のメンバーも、いつでも歓迎します。このへんはゆきのんと同じかな。結論としては、あたしはこういう組織の形のほうが、ゆきのんが提案した形よりも優れていると思っています。もしみんなが同じように思ってくれたら、あたしに投票して下さい。よろしくお願いします!』

 

 そう言って頭を下げたと同時に湧き上がった拍手の音は、雪ノ下に優るとも劣らないものだった。

 

 それを自分の耳で確かめて。

 雪ノ下は、由比ヶ浜が自分と同じ高みにまで登って来てくれたのだと実感した。

 

 

***

 

 

 由比ヶ浜が席に着くと、入れ替わるように城廻が立ち上がった。

 

 箱の中に誰の名前が残っているかなんて分かり切っているけれど、それをちゃんと実行することには意味がある。

 そう思っていた城廻だが、この後の展開はさすがに予想外だった。

 

『いよいよ最後だぞー。残っていたのは……一色さんだー!』

 

 アリーナのどこかから「せーの」という声が聞こえた気がした。

 そして、それに続けて。

 

「I・RO・HA・ちゃーん!」

 

 ファン連中を選挙に協力させたのは間違っていたのだろうかと八幡は思った。

 

 

 唖然としている者と、呼び掛けを終えて力尽きた者が大半の館内にあって、誰よりも平然としていたのは一色だろう。

 

 その場でぴょこんとお辞儀をして、ファンをねぎらうように片手をふりふり講演台へと近付いて行く。そこで今度は深々と頭を下げて、一色は外向きの笑顔はそのままに頭の中だけを切り替えた。

 

『生徒会長候補の一色です。雪ノ下先輩と結衣先輩にならって、わたしも人事案の発表から話を始めたいと思います。あ、結衣先輩って呼ぶの、許して下さいね〜』

 

 舌をぺろっと出しながら、一色は「えいっ」という声とともに、役職と名前が書かれたファイルをスクリーンに投影した。

 

会長 :一色いろは

副会長:本牧牧人

書記 :藤沢沙和子

会計 :稲村純

監査 :奉仕部

 

 一番下の文字列を目にして、雪ノ下は額に手を当てて、由比ヶ浜はたははと笑って、舐めたことを書いてきた後輩に反応している。

 

 それを横目で確認したせいか背筋がぞくぞくするのを感じながらも、八幡は心の中で、あざとい後輩に応援の言葉を贈った。

 

『まずわたしは、奉仕部には今の三人のままでいて欲しいと思っています。なぜかと言うと、そのほうが頼りがいがあると思うからです。だから、生徒会は必要最小限にして、役員の数も四人に絞りました。稲村先輩はこの春まで生徒会の臨時メンバーだった人で、わたしが会長になるなら役員をやってもいいと言ってくれました』

 

 取り繕ってはいるけれども、本当は「押し付けがいがある」だろうなと八幡は思った。

 演説のおおまかな流れは把握しているものの、細かな表現まで修正するとせっかくの一色の良さを台無しにしてしまう気がしたので、口うるさくは言わなかったのだ。

 

 気のせいか部長様のこめかみの辺りがぴくぴくしているように見えるぞとおののきながら、八幡は続く言葉に耳を傾ける。

 

『雪ノ下先輩も結衣先輩も、当選しても奉仕部を続けると表明しています。でも、それだと中途半端になる気がするんですよね。今は奉仕部と生徒会がわりと対等な感じですけど、会長になったらそんなわけにもいかないと思うんですよ。でも、わたしなら違います。生徒会と奉仕部を完全に別組織にして、城廻先輩の時と同じように、対等な形で関係を続けていけます』

 

 対立候補の両方を攻撃しながら、城廻政権の継続をほのめかしていた由比ヶ浜に追加の打撃を与えている。戦略としては悪くないと思うのだが、こちらにはほとんど目もくれずに雪ノ下打倒に邁進していた先程の演説と比べてみると、どちらが良いとも言い切れない。

 これが三つ巴の難しいところだなと八幡が考えていると。

 

『くじ引きの結果、わたしは三番目に話す形になりました。お二人の演説を聴いていて、どっちもすごいな〜って思ったんですけど、みなさんも同じですか?』

 

 男子生徒の野太い声しか聞こえて来ないのだけれど。「同じー」という反応が館内のあちこちから返ってくるのは、一色だけにしかできない芸当だろう。

 

『ですよね〜。ほんとに先輩二人ともすごすぎて、わたしなんで立候補なんてしたんだろって思った時もあったんですよ。せっかくこんなにすごい先輩たちがいるんだから、ぜんぶ任せちゃえばいいかなって思った時も、正直ありました。けどみなさん。今度は来年のことを思い浮かべてみて下さい。すごい先輩たちが引退して、その次って、めちゃくちゃハードル高くないですか?』

 

 今度は「高いー」という声が、先程よりも多く感じられる。

 意外だったのは、一年だけではなく二年や三年の生徒からも少なからず反応がある。流れとしては悪くはない。

 

『だよね〜。というわけで、わたしが目指しているのは()()の生徒会です。特別な才能に頼らなくてもやっていけるような、身の丈に合った生徒会です。でも、誤解して欲しくないんですけど、すごい人たちを排除するって意味じゃあないです。普通の人たちが普通に過ごせて、すごい人たちも普通に過ごせるような、そんな高校になったらいいなって思うんですよ』

 

 ファン連中の蛮行に眉を顰めて、そのせいで一色の演説も右から左へと聞き流していた女子生徒は少なくなかったと思うのに。気が付けば、館内の大半が話に耳を傾けている。

 

『わたしはサッカー部のマネージャーをしています。だからサッカーにたとえて説明しますね。例えば、すっごく足の速い選手がいてシュートも上手くて、そんな人をキーパーにしたら、もったいないなって思いますよね。じゃあトップで起用してがんがん点を決めてもらおうと思っても、サッカーって一人じゃできないんですよ。その選手にパスを出す人が必要です。でも、せっかく足が速くてシュートも上手いのに、平凡なパスしか出せないならやっぱりもったいないですよね。スピードで敵を一瞬だけ振り切ったタイミングでパスが出せる選手がいたら完璧ですよね。でも、そんなふうにして各ポジションを考えていくと、すごい人しかレギュラーになれないような、普通の人は試合に出たらダメだって言われてるような、そんな気持ちになりませんか?』

 

 もはや一色のファンですらも席でうんうんと頷くばかりで、奇声を発するということに考えが至っていないみたいだ。

 いつの間にこのあざとい後輩は、こんな域にまで至っていたのだろう。

 

『すごい選手に引っ張られて、みんなも一緒になって頑張ってすごいチームを目指すのは、たしかに夢がありますよね。でも、しんどいなって思う時も必ずあります。普通の選手だけじゃなくて、すごい選手のほうでも、そう思う時は必ず来ます。けど、それって寂しいですよね。才能や努力が足りなくて落ち込むのも、才能や努力が足りてるから逆に落ち込んでしまうのも。できればわたしは、どっちも見たくないなって思います。だって、才能や努力が悪者にされるの、嫌じゃないですか』

 

 誰の話をしているのだろうかと八幡は思った。

 それと同時に、今までは知りもしなかったマネージャーとしての一色の心構えを伝えられている気がして、なぜだか急にその身体が自分よりも大きく見えた。

 

『えっと、話を戻しますね。雪ノ下先輩の最高も、結衣先輩の最良も、才能のある人に合わせて考えてるって点では同じだなと、わたしは思いました。でも、お二人と渡り合えるような人たちはほんの少しだけ、もしかしたらお二人の他には一人ぐらいしか見付からないかもしれません。わたしも含めた残り大勢は、頑張って付いていこうとしても最初から諦めていても、どっちにしてもずんずん離れていく先輩たちを黙って見送るしかないんですよ。それは、お互いにとって良くないとわたしは思います』

 

 話の途中でちらりと視線を送られた気がしたが、八幡はそれどころではなかった。

 自分が抱いていた不安な気持ちは、一色と共有できるのだと気付かされたからだ。

 

『先輩たちがすごいのは、後輩のわたしにとっても誇りです。まあこんなことは、こんな機会でもなければあんまり言いたくはないんですけどね〜。でも、だからこそ、すごさが原因で断絶に繋がるようなことには、なって欲しくないんですよ。なにも先輩たちのレベルを下げろと言うわけじゃないです。そうじゃなくて、能力を発揮する時は思う存分やっちゃって欲しいけど、そうじゃない時には普通にも過ごせるようにと、そんな感じですかね〜。もちろんわたしたちの側も、普通で満足せずに上を目指すような時があっていいと思いますけど、それは追々って感じですね』

 

 この辺りの考え方は、由比ヶ浜の提案にも通じるものがあるなと八幡は思った。

 平時には由比ヶ浜たちが生徒会を運営して、非常時には雪ノ下に独裁権すら与えるという先程の提案と。

 基本は普通に過ごすことで向こうに歩み寄らせる形を取りつつ、時には能力を思う存分に発揮させたり、逆にこちらから歩み寄るケースも模索したり。

 

 とはいえ、こんな話は聴いてなかったぞと後輩をじろりと睨んでやると、ふと目が合った。猛烈に嫌な予感がして、すぐに目を逸らした八幡だったが。

 

『さて、今では生徒会長をやる気満々なんですけど、わたしも最初からそうだったわけではありません。なぜなら、わたしの知らないうちに勝手に立候補させられていたからです』

 

 慌てて首を逆に振って、一色の視線の先を辿る。

 六人の推薦人が、今回の一件の黒幕たちが、ひとかたまりになっているのが目に入った。

 

『わたしが女子から恨みを買いやすいのは知っていました。でも、まさか生徒会長に祭り上げようとするとは思いませんでした』

 

 強く奥歯を噛みしめながらも、八幡には一色の意図が理解できない。昨夜の打ち合わせは何だったのだと言いたい気持ちでいっぱいだ。

 

 実を言うと、この手は考えなかったわけではない。

 

 このクラスから会長をと推薦人たちが盛り上がった結果、一色の意思を確かめずに届けを出してしまったというのが大多数の認識なのだけれど。真相を明かして推薦人連中に犠牲になってもらって、そのかわりに一色の印象度をアップさせるという方法は、もしも自分が推薦人ならやらせていたかもしれない。

 

 けれど自分だけが犠牲になる手は実行できても、他人を犠牲にする手を採用しようとは思わなかった。というか、採用できなかったと言うほうが正確だろうか。

 

 それに、あの二人に釘を刺された今となっては、自分が犠牲になる案も選べないのが現状だ。

 

『ここで質問です。この件で、わたしにも原因があると思いますか?』

 

 ファン連中がきょろきょろと落ち着きなく見えるが、誰も声を上げようとはしない。とはいえ返事が欲しかったわけではなく、考える時間を与えたかっただけみたいで。

 

『当事者のわたしが言うと説得力がないかもですが、被害者にも原因があったと考えるのは間違いだとわたしは思います。この件に関しては、こんなことをしでかした子たちが全面的に悪いんですよ。それは当人たちも認めています。気に入らないかもしれないけど受け入れて下さい。でも、ですね』

 

 意見を異にする生徒は、この段階に至っては容赦なく切り捨てる。これは昨夜の打ち合わせにもあったことだ。中途半端なことを言って万人に受けようとするよりは、明確に敵味方に分かれるような物言いをした方が良いと、そう提案した通りなのだけど。

 

 とはいえ先程とは少し風向きが変わってきたので、八幡は目をぱちぱちさせながら耳に意識を傾ける。

 

『そんな最低な形で始まった選挙戦でしたけど、わたしは今もこの場に立っています。それどころか、雪ノ下先輩と結衣先輩というすごい人たちと競い合えています。お二人が奉仕部の一員として、わたしの普通の生徒会と対等な関係を築ける未来は、まだ可能性として残っています。それは、勝手に立候補させちゃおうって企んだ子たちのおかげと言うと言い過ぎですけど、あの子たちが変なことをしなかったら実現不可能でした。せんぱいから教えてもらったんですけど、こういうのって「塞翁が馬」って言うみたいですね。何が幸運に繋がって何が不運になるかなんて、ほんとうに分かんないものですよね〜』

 

 ようやく話が繋がって見えたので、八幡はふうと息を吐いて肩の力を抜いた。

 ここまで来れば終わりまではあと少しだ。

 

『今ではその子たちとも、仲良しとはとても言えないですけど前よりもお互いに詳しくなれました。話してみたらへえって思うことって多いですよね。だから、わたしを嫌っている人たちにも、同じことを提案したいと思います。わたしが気に入らないなら気に入らないと言いに来て下さい。わたしは、すごい人たちと断絶ができるのも嫌ですけど、変な誤解が理由で拒絶されるのも嫌だなって改めて思いました。同時に、それは改善できると思いました。その証拠がわたしの一年C組で、今ではみんながわたしの当選を願ってくれています。わたしは他のクラスの人とも、他の学年の先輩たちとも、そんな関係を築きたいと思っています』

 

 クラスの様子を紹介して一色のイメージを払拭する。

 その目的こそ果たせたものの、ここまで赤裸々に推薦人の話をしてしまって良かったのだろうかと思う気持ちはある。けれども口に出してしまったことはどうにもならないわけで、それに一色なら何とかするんだろうと、八幡は投げやりな気持ちではなく心からそう思った。

 

『繰り返しになりますが、私が目指しているのは()()の生徒会です。それはつまり、全校生徒が普通に過ごせる環境を、みなさんに提供したいという意味です。だから、清き一票をわたしにお願いします!』

 

 一色が深々と頭を下げても、もうファン連中の奇声は飛ばなかった。そのかわりに大きな拍手が教職員の席からも湧き上がった。

 

『えっと、紹介するのを忘れてたけど、一年C組の一色いろはさんでした!』

 

 城廻の紹介を受けたので、歩きながら手を振って応える。

 一色が席に着くまで、拍手が鳴り止むことはなかった。

 

 

***

 

 

 改めて城廻が立ち上がって、投票の諸注意を伝えている。

 投票には全校生徒に配布されたアプリを使う。各候補に一位から三位までの順番をつけて送信すれば、それで投票は完了だ。

 

『じゃあ、最後の確認をするねー。投票の仕方が分からない人は手を挙げてー?』

 

 反応がなかったのでうんうんと満足げに頷いて、城廻はすぐ横の三人へと視線を移した。

 

『候補者の三人にも、もう一度確認するね。質疑応答は無しでいいって、本当にそれで良かったの?』

 

『訊ねたいことや確認したいことはあると言えばあるのですが、ここまで主張が異なってしまえば些細なことです。私は、自分が主張する最高の生徒会が一番望ましいと思っています』

『あたしも、最良の生徒会が一番だって思ってるよ。あと言いたいことって……いろはちゃんもすごいじゃん、ってぐらい?』

『結衣先輩にそう言われても、まだまだだな〜としか思えないんですけどね。わたしは最後だったし言いたいことは言っちゃったんで別にいいですよ〜』

 

 三者三様の答えを耳にして、うんと大きく頷いて。

 そして城廻は、高らかに宣言する。

 

『じゃあ、投票をお願いします!』

 

 

 投票結果はスクリーンの上に三位から順に表示されること。

 各候補が獲得した票数ではなく百分率が出てくること。

 それらの説明が終わるとともに、全員の投票が終わったみたいで。

 

『なんだか、すぐに結果が出るってちょっと怖いよねー』

 

 城廻が司会らしからぬ感想を述べているけれど、それは全校生徒の気持ちを代弁していた。

 ごくっと唾を飲み込む声が、館内のあちこちから聞こえて来る。

 

「でも、こうしてても仕方がないし、そろそろ行くよー!』

 

 その城廻の言葉と同時に、三位の投票結果が出た。

 

一色いろは :62%

由比ヶ浜結衣:31%

雪ノ下雪乃 :07%

 

 雪ノ下の得票率の低さにどよめきが漏れる中で、続けて二位の結果が表示される。

 

雪ノ下雪乃 :61%

由比ヶ浜結衣:36%

一色いろは :03%

 

 そして、一位の結果が……。

 




次回はできれば今月中に更新できるように、最後まで諦めず頑張ります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
投票結果を得票率の順に並べ替えて、細かな表現を修正しました。(8/24)

会長候補三人の演説を聴いて、あなたなら誰に投票しますか?

  • 雪ノ下雪乃。
  • 由比ヶ浜結衣。
  • 一色いろは。
  • 複数の候補に魅力を感じて選べない。
  • どの候補にも魅力を感じず選べない。

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