俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

161 / 170
前回のあらすじ。

 試験期間が終わり、部室では三人が和やかなやり取りを交わしていた。
 しかし軽い失言をきっかけに、八幡は「今までとは違う」という印象を強くする。二人もまた同じように感じているのだと八幡は受け止めた。

 三浦と一色が連れ立って現れたので八幡が首を傾げていると、由比ヶ浜が口を開く。
 選挙期間中に折本・仲町と何があったのかと訊ねられた八幡は、社会的な死を覚悟した。



02.ライバルと席を並べて一同は貴重な話を耳にする。

 選挙期間中の土曜日に、比企谷八幡は折本かおりと昼食をともにした。

 

 もちろんそれはデートなんて洒落たものとは程遠く、中学時代の過ちを知った折本が何をおいても直接謝りたいと断固主張したので仕方なく受け入れただけで、その話を済ませた後はすぐに解散した。

 

「でも、ヒッキーが折本さんと逢ってたのは間違いないんだよね。えっと、二人っきりだったの?」

「比企谷くん。偽証は貴方が不利になるだけよ?」

 

 もちろん二人きりではなく、その場には葉山隼人と仲町千佳も同席している。

 海浜の二人が合同イベントの話を持って来た時に(この部室での出来事だ)、葉山が折本を強くたしなめた。そのおかげで自らの過失に気付けたのだから是非ともお礼を伝えたいという先方の意向をどうしても拒みきれず、やむなく葉山も立ち会う事になったのだった。

 

「お礼を言われる側が気を使ってるのって、なんだか変だな~って思うんですけど……せんぱい?」

「いつもの隼人なら簡単に断ってるはずだし?」

 

 その件につきましては私どもと致しましても非常に困惑している次第でございましてですね、葉山氏があれほどまでに乗り気になったのはもしかすると選挙期間中という特殊な状況のせいではないかと愚考しているわけでして。

 

「選挙活動は土日はお休みにするという話になったでしょう。そもそも私は葉山くんに何も指示を出していなかったのだけれど?」

「ヒッキーと隼人くんが休みの日に逢ってるなんて、姫菜の妄想では何度も聞かされてたけどさ」

「……今夜の反応を考えると、今から頭が痛くなって来たし」

「まあ、せんぱい目当てで出掛けたって理由のほうが、わたし的には……え、なんですか皆さんその表情は?」

 

 奴の恐ろしさをまだ理解できていなかったのかその発想は危険だぞと、四人の心からの同情の眼差しが一人に集中した。

 

 ちなみに後日、この日の深夜から取り掛かってわずか数日のうちに一気に描き上げた「はやはち☆爛れた千葉デート編」を腐女子から進呈され生徒会室で絶叫する段階に至って、ようやくこの時の発言を心から悔いることになるのだが、そんな未来の話はさておいて。

 

「……どうやら葉山くんと比企谷くんが、ダブルデートと言うのかしら。それをしたのは事実みたいね」

「優美子が一番心配してたやつだよね……大丈夫?」

「……すぐに解散したってヒキオの言葉を信じるし」

「葉山先輩、集会の時にばっさり断ってましたしね。それよりも、結衣先輩は大丈夫ですか?」

 

 どどどどうして修学旅行中のあれこれを全て知っているかのような態度で喋っているのだろうかこの後輩はと八幡が内心で慌てていると。

 

「うん。まあ、ヒッキーだしさ。でもいろはちゃん、誰かから聞いたってわけじゃないよね?」

「事情を知ってそうな先輩方って、わたしにも誰にも喋らないと思いますよ。それに結衣先輩って、普段は素直な感じなのに、いざって時にはぜんぜん表に出さないですよね~。けど、もっと判りやすいせんぱいが居るから、あんまり意味が無いというか……」

 

 女子高生四人の視線がふたたび八幡に集中する。

 びくっと身体を震わせて、「返事を保留にしてキープするとは良いご身分だな」と四人から詰られているような気がして落ち着かない八幡は、部長様だけが状況を勘違いしたままでいる事にも気付いていない。

 

「とはいえ一色さんとは選挙期間中に一緒に居ることが多かったからバレても仕方がないとは思うのだけれど。比企谷くんの姿を自らの視界に入れてあげるような優しい生徒は他にはごく少数しか居ないのだから、噂が広まる可能性も少ないと思うし大丈夫よ、由比ヶ浜さん」

「んーと……ゆきのん?」

「ん~……まいっか」

「ヒキオは中途半端な事すんなし。あと隼人を巻き込むのはやめて欲しいし」

 

 なぜか早口で長広舌を振るった部長様のことも気になるけれど、端的に釘を刺されてしまうと静かに首を縦に動かすしかなかった。

 頷きながら場の雰囲気を少し変えようと考えた八幡は、折本たちと解散した後に起きた出来事を四人に伝える。

 

「なるほど。葉山くんが姉さんと会った時には、比企谷くんもその場にいたのね」

「ゆきのんの集会に折本さんと仲町さんが来たのって、そういう事だったんだ……」

「裏でこそこそ手を回すのが気に入らないし」

「何だかその、はるさん先輩でしたっけ。葉山先輩を落と……仲良くなるには最大の難関かもな~って」

 

 ダブルデートの話を伏せてくれていた葉山には借りがあるので代わりにあの面倒な女子大生を生け贄に捧げて話を逸らそうと企んだ八幡だったが、思いのほか事が上手く進んだので内心でほっとしていると。

 

「んで、集会の後には連絡とか来てないし?」

「あ、そっか。試験に集中するってヒッキー言ってたから考えてなかったけど……」

「私の印象では、試験期間中でもメッセージぐらいなら気にせず送りそうな性格だったわね」

「で、どうなんですか、せんぱい?」

 

 ご指摘の件につきましては、皆様方のご慧眼には驚きを禁じ得ないというのが正直な感想でございましてですね、とはいえ当方からメッセージを送ったことは一度も無く、いずれの場合も向こうから届いたメッセージに返信をしただけでありまして、けれどもあちらの方々からは間断なく新着が届くのでつい長々とですね。

 

「つまり貴方は折本さんだけではなく、仲町さんとも何度もやり取りをしているのね?」

 

 いえ、その、無理矢理グループに招待されてしまったのは誠に我が身の不徳の致すところでございまして。

 

「そのグループってさ、もしかしてヒッキー入れて三人だけとか?」

「は、隼人も入ってるし?」

「さすがにそれは無いですよね、せんぱい?」

 

 はい、ご安心下さい。あ、いえ、三人だけのグループに入らされてしまった時点でご報告をすべきではないかとも考えたのでございますが、なにぶん試験期間中でございましたので要らぬ話でそちら様の頭を悩ませることになっては一大事とひとまず我が胸に納めておくことにした次第でございまして。

 

「では貴方は、試験期間中にもメッセージのやり取りだけは継続していたと、そんな結論で良いのかしら?」

「えーと……ゆきのんはメッセージだけじゃなくて逢ってたかもって疑ってるんだよね。でも試験中だしヒッキーやる気出してたし……」

「でもでも~。逢うのとメッセージ以外にも、できることってありますよね~?」

「ヒキオが誰かと通話で盛り上がってるのって、なんだか想像しにくいし」

 

 決して盛り上がったというわけではなく妹以外の相手と通話で盛り上がれるのかは自分としてもはなはだ疑問ではあるのですが、集会の日の夜に連絡がありまして、その後どうなったのかという話から始まってお互いの情報を交換いたしましたけれども、とはいえ通話はその一度だけだと誓って申し上げたい次第でございます。

 

「その通話には隼人も加わってたし?」

 

 いえ、それも三人での通話でございました。

 

「集会の日の夜ってことは……()()()ヒッキーってどこに居たの?」

 

 投票前日で気が昂ぶっていたのでそれを落ち着けようと夜の校舎を歩いて回ったのでございますが、空き教室に入った時に急に着信音が鳴り響いたので身が竦む想いがいたしました。

 

「そんな状況なら肝を冷やすのも仕方がないわね。()()()()じゅうぶん温まったのかしら?」

 

 はい、その後はお陰様で()()()()()()()()過ごさせて頂きました。

 

「え~と、じゃあ()()()()ぐっすり眠れたって事ですね?」

 

 それはもう、登校間際まで()()()()()()ぐっすりと。

 

「……なるほど。私としては、情状酌量の余地はあると思うのだけれど?」

「あたしも、正直むーって思う気持ちもちょっとはあるけどさ。ヒッキーだし仕方ないかなって」

「あーし的には隼人が無関係なら何でもいいし」

「わたし的にはぎるてぃ~って言うか、ちょおっと確認したいことがあるんですけど……仕方ないですね、今回だけ見逃してあげます」

 

 何とかお咎め無しの判決が下ったので、ほっと大きく息を吐き出した八幡は、ラブコメ主人公の大変さが少しだけ理解できた気がした。誰が何を知っているのかをしっかりと把握しながら他の面々にはバレない言い回しで対話に応じる必要があるのだから、気を使う事この上ない。

 

 ともあれ、三人があの夜の時系列を確認してくれたお陰で助かったとも言えるし、新たな火種を抱え込んでしまったとも言える現状だが、後者については未来の俺に任せようと先送りを決意して。

 

 雑談に移行した四人の姿を見るとはなしに眺めていると、前置きもなく部室の扉ががらりと開いた。

 

 

***

 

 

 どすんと戸当たりを打ち付ける乱雑な音を耳にしたので、生徒たちが扉へと視線を送ると、そこには平塚静が立っていた。

 

「少し邪魔するぞ。……おや、珍しい顔ぶれだな」

 

 三浦優美子と一色いろはの姿を認めた平塚はそう呟くと、同意を求めるかのように首を後ろに動かした。そこには、よく見知った生徒が一人。

 

「たしかに珍しい組み合わせだね」

「は、隼人?」

「あ、葉山先輩。こんにちはです~」

 

 つい先程まで話題にしていた男が思いがけず登場したので、あたふたしている三浦と。

 驚きの感情などおくびにも出さずに平然と取り繕う一色だった。

 

「ふむ……立て込んでいるようなら出直すが、どうするかね?」

「いえ、話は終わっているので大丈夫です。二人には席を外して貰ったほうが良いですか?」

 

 顧問からの問い掛けに、雪ノ下雪乃が別の質問を返したところ。

 

「あーしの用事は終わったから、女テニに行って身体を動かして来るし」

「わたしも生徒会室で確認事項があるので……あ、葉山先輩。サッカー部に行くの少し遅れますけど、全体練習の頃には合流できると思うので、たぶん同じぐらいになりそうですね~。この教室までお迎えに来ましょうか?」

 

 言い終えると同時に立ち上がっていた三浦だが、一色の発言を耳にした瞬間がばっと身体を振り向かせて何とも言えない表情を浮かべている。きっと裏切られたと感じているのだろう。

 一方の一色は泰然としたもので、事情聴取に同席させて貰った恩などは微塵も感じていない様子だ。

 

「いろはも俺も居ないとなると、あいつらが遊び出しそうだからね。先に用事が済んだほうから部活に合流するのが無難かな」

「了解です~。あ、それとせんぱい。合同イベントの最初の顔合わせが月曜日にあるんですけど、それは生徒会の四人で行こうと思ってます。でもその次からは、向こうも有志を連れてくるって言ってまして……」

 

 一色の言葉を素早く手振りで遮って、間を置かず小さく頷くことで了解の意志を伝えた。先程までのやり取りが尾を引いているせいで、上手く口が動かない気がしたからだ。

 

 それに二人を巻き込むような話になるのは避けたかったしなと考えながら、机の向こうにちらりと視線を送ると、ぱっと由比ヶ浜結衣と目が合った。

 仕方がないなあとでも言いたげな苦笑いに続けて、薄くリップを塗った唇が静かに開く。

 

「じゃあ優美子といろはちゃん、お疲れー」

「思いがけないところで線が繋がって、思っていた以上に有意義な時間だったわね」

「なら今度またラリーに付き合うし」

「お二人のラリーはちょっと観てみたいですね~。連絡を頂けたらタオルとかドリンク持って行きますよ?」

 

 つい先程のことなのに、裏切りなんてなかったかのように一色はしれっと参加アピールをしている。

 そんな後輩に苦笑しつつも、三浦は鷹揚に頷くとゆっくり歩き始めた。

 すぐに一色がその後を追う。

 

「また来るし」

「またすぐ来ますね~」

 

 そんなセリフを後に残して、ライバル関係にあるはずの二人は散発的にぽつぽつと言葉を交わしながら特別棟の廊下を歩いて行った。

 

 

***

 

 

 二人が使っていた椅子を机の中央付近まで動かすと、平塚と葉山は向かい合わせに腰を下ろした。八幡から見て左手が葉山で、右手の黒板に近いほうが平塚という位置関係だ。

 

 プリントが何枚か収められているクリアファイルを平塚が机の上に置くと同時に、雪ノ下が口を開いた。

 

「それで、今回も気晴らしですか?」

「ん……ああ、そういえば中間の時には採点作業に嫌気が差してここに逃げてきたのだったな。安心したまえ、今回はまだ四人分しか採点が済んでいないから、気が滅入るのはまだまだ先だよ」

 

 えへんと胸を張る教師を白けた目で眺めながら、それでも採点作業から逃げてきたことに変わりは無い気がするのだがと八幡が考えていると。

 

「四人分って……もしかして、ゆきのんとヒッキーと隼人くんと、あとは姫菜とか?」

「ふっ。最後の一人は君だよ、由比ヶ浜」

「えっ。でもたしか平塚先生、中間は成績が優秀な人から採点してたって……?」

「今回の試験は特別だからな。あの時に言っただろう、雪ノ下の満点を阻止してやるとね。それを知っているのは君たちだけだよ」

 

 成績優秀者から順に採点するという話はすっかり忘れていたので、意外なところで記憶力を発揮する由比ヶ浜に驚いていると、平塚が大人げないことを口走っていた。

 とはいえこちらの話はよく覚えているし、なんなら一字一句思い出せる。

 

『次こそは雪ノ下の満点を阻止すべく、九〇点満点+超難問が一〇点分の期末試験を用意してやろう』

 

 でも、結果を知らされるのは来週の月曜日だと思っていたのに。

 そう心の中でつぶやきながら思わず反射的に拳を握りしめていると、視線の先では平塚がクリアファイルから四枚の用紙を取り出していた。

 

 

「では順番に、雪ノ下と、由比ヶ浜と、葉山と、これが比企谷だな。四人ともよく頑張ったと私は思うよ」

 

 手渡された答案用紙を握りしめて、真っ先に得点欄を確認する。

 そこには九三という数字が書かれていた。

 

「ここにいる四人以外の答案は見ていないので、ぬか喜びをさせてしまうかもしれないがね。おそらく由比ヶ浜は平均か、平均を少し上回っているはずだよ」

「それは……由比ヶ浜さん、よく頑張ったわね」

 

 雪ノ下の言葉を耳にして、八幡は順位を早く知りたいとしか考えていなかった自分を恥じた。

 そして次の瞬間に、雪ノ下から喜色も憂慮も窺えないことを疑問に思う。

 

 なにせ自他ともに認める負けず嫌いさんのことだ。満点ならきっと喜色を浮かべるだろうし、それ以外の得点なら一位を逃す可能性を憂慮しても不思議ではないのに。

 

 それに、お茶を淹れながら数学のプリントの話をしていた時には「あれだけやっても平均点なのね」という優等生にありがちな反応を示していた気がするのだけれど。由比ヶ浜をねぎらう言葉からは、喜色や憂慮だけではなく感情というものがほとんど伝わって来ない。

 

 どうして雪ノ下は、こんなにも淡々としていられるのだろうか。

 

「文章の書き手が主張していることと、それを自分がどう思うかは全くの別物だと。おそらく雪ノ下がいちばん口を酸っぱくして指摘し続けたのは、この点だろうな。今回の期末で大きく改善したのもこの部分だよ。作者の意図を訊ねられても、自分の意見を述べろと言われても、しっかり対応ができていた。由比ヶ浜、よく頑張ったな」

 

 とはいえ平塚の解説を聞いていると、由比ヶ浜の成長が我が事のように嬉しくなってきた。

 さっきは言い淀んでしまったけれど、上を目指して努力した者が報われるのは正しいことだと思えるし、喜びの感情が胸一杯に広がっているのが自覚できる。

 

 だから八幡は疑問をひとまず横に置いて、感情を控え目にしている由比ヶ浜に向かって口を開いた。

 素直に褒めるのは気恥ずかしいので、ぼっちらしい物言いで祝ってやろうと考えながら。

 

「そういや、テストができても自分の意見が無い奴って居るんだよな。本に書いてあることが百パー正しいって思い込んで疑いもしないっつーか。そういう奴に限って妙な行動力があるから、SNSとかで変な学説を強弁して問題を引き起こすっつーか。まあ、専門家がどれだけ丁寧に書いても、素人の俺の意見の方が正しいのだって真顔で言い切る連中もいるから、文章が読めても読めなくても迷惑な奴は迷惑なんだが……あれだ。何が言いたいかっつーと、文章がちゃんと読めて自分の意見も持ててるってのは、わりと凄いことだと俺は思うし、もっと喜んで良いと思うぞ?」

 

 やはり今日は口の滑りが思わしくないというか、おそらく頭が疲れているのだろう。

 それでも八幡は喋りながらでも何とか頭を振り絞って、一番伝えたかった結論を口にできた。

 そこに小さな満足を感じていると。

 

「比企谷くんの過去の所行はさておいて、結論の部分は私も同感ね。大勢の意見を聞き入れて、それでも自分というものを失わないのは貴女の美徳なのだから。それを少し応用すれば国語の成績ももっと上がって行くはずよ」

 

「俺も同感かな。結衣は自他のバランス感覚に優れているし、それで集団がまとまる様を何度も目の当たりにして来たからね。それを思うと、国語の試験で平均点だと低すぎるぐらいだな」

 

 雪ノ下からも葉山からもべた褒めされた由比ヶ浜が、くすぐったそうに身をよじっている。

 それでも、言うべき事は言っておこうと思ったのか。由比ヶ浜は同学年の三人を順に眺めてから平塚に向かってこう告げた。

 

「あたし、去年とかはそんなに自分を出せなくて……。だから平塚先生がこの部室に連れて来てくれて、ゆきのんやヒッキーと一緒に過ごしたおかげだなって思ってます。それに、優美子と姫菜も居てくれたから」

 

 まっすぐな目をして訴えてくる由比ヶ浜にうんうんと頷きかけてから、平塚は残りの部員二人に向けて順に視線を送る。片や誇らしげに、片や照れくさそうにしているのが微笑ましい。

 ここでは部外者ゆえに、微かな笑みを浮かべるだけで控え目な態度に終始している葉山とも視線を合わせて、そして教師は本題に入る。

 

 

「では、残りの三人について話そうか。今回の期末は、雪ノ下が九四点で葉山と比企谷が九三点だ。おそらく八〇点以上は居ても一人か二人だろうな。葉山にも試験前に伝えたとおり、従来通りの出題形式が九〇点で、残りは応用問題という構成にしたのだがね。中間までと同じなら、君たち三人は全員満点だった。大したものだと私は思うよ」

 

 及ばなかった悔しさよりも、抜けなかった無念さよりも、安堵の気持ちが先に出た。

 それはおそらく、葉山の背後にあの厄介な女子大生の姿を重ねていたからだろう。

 過去問と平塚の性格分析つきの対策ノートを、脅威に思っていたからだろう。

 

 今学期の中間までは、国語の勉強なんてほとんどしたことがなかった。

 正直まるで必要を感じなかったし、それでも学年三位という結果が出ていたからだ。

 

 けれども三位では満足できなくなって来て。

 こっそり復習に時間をかけた前回の中間では、葉山と並んで二位になれた。

 でも、抜くことはできなかった。

 

 もともとの得意分野に更に時間を掛けて労力を重ねて、それで結果が出ないのはつらい。そんなのは良くあることだと斜に構えたようなことを考えてみても、悔しいものはやっぱり悔しい。他人であれ自分であれ、正しい努力は正しく報われて欲しいと思ってしまう。

 

 そうした挫折を避けるために、少なくない数の生徒たちは努力を放棄する。

 けれども八幡に同じ事ができるかというと、それもまた難しい。勉強しなかったからという言い訳があったところで、悔しい気持ちに変わりは無いからだ。そこの部分で自分を偽れるようなら、もっと器用に生きて来られただろう。

 

 勉強して負けても悔しいし、勉強せず負けても悔しい。

 ならば負けない可能性を高める為に勉強するしかない。

 

 たとえ相手がどれほどの才能に恵まれていても。

 たとえ相手がどれほどの助力を得ていても。

 得意教科では喰らい付いてみせると、そう決めたからには迷いはない。

 

 二位タイという今回の結果は、中間とまるで変わらない。

 それでも、歯を食いしばって試験勉強をした甲斐があったと八幡は思った。

 

「陽乃さんのノートで対応できる部分は完璧だったんだけどさ。残りの一〇点分が勝負の分かれ目だったみたいだね」

「今回の試験形式を、貴方は直前まで知らなかったのでしょう。平塚先生から聞いた時点で、改めて姉さんに相談に行けば良かったのに」

 

 二人の会話が耳に届いたので、八幡は頭を上げて周囲の様子を窺った。

 平塚は二人が語るに任せていて。

 由比ヶ浜は一歩引いたような雰囲気で、自分たち三人をにこにこと眺めている。

 

「泣き付くような真似はしたくなかったし、それに応用力の勝負だからさ。陽乃さんの予想問題が当たって一位になれたとしても、それに意味があるとは思えないな」

「相変わらず甘いのね。平塚先生の目論見では、三人を同点にするつもりだったみたいだけれど」

 

 まあそうだろうなと内心で同意しながら教師に目線を移すと、解説の時間が幕を開けた。

 

 

「応用問題のうち一点は複合問題で、残りの三点ずつはそれぞれの得意分野から出題した。ここまでは君たちも見抜いているだろうな」

 

 平塚が確認の目を向けると、打てば響くような反応で雪ノ下がそれに答えた。

 

「私の得意分野は、主に西洋の古典文学ですね。複数の日本語訳に加えて原著にも目を配りながら日頃から相当に読み込んでいないと解けない問題ばかりでした。それと、応用問題はいずれも読ませる量が桁違いでしたね」

 

 ふむふむと頷いてから今度はこちらに顔を向けてくるので、八幡がゆっくりと口を開く。

 

「俺はまあ、サブカルとかラノベとかですかね。こっちも微妙に古い作品が多めだし、どの作品が何の影響を受けてとか考えながら読んでる奴は少ないと思うので、これが解ける奴は全国でも一握りだと思いますよ。少なくとも初見じゃ無理ゲーですね」

 

 なぜか含み笑いを漏らしながら、続けて平塚は顔を正面に戻した。

 

「俺が解けたのは、最近のエンタメを複雑に組み合わせた問題ですね。有名人のエッセイやテレビドラマから映画に音楽と、題材を豊富に並べてあるから解くのに時間が掛かりました。……正直に言うと得意分野ってわけじゃないけどさ、みんなと普通に話していたら話題に出ることばかりだからね。たぶん、一点の差はここだろ?」

 

 葉山の問いかけを耳にした瞬間に、八幡にも点差の理由が判った。

 

「ええ。由比ヶ浜さんのお陰ね」

 

 果たして、予想どおりの答えを雪ノ下が口にする。

 過去に由比ヶ浜と交わした雑談からヒントを得て、一点分をもぎ取ったという事だ。

 それが、一位と二位の差を分けた。

 

 二人からゆりゆりしい気配が漂って来ないのを少し残念に思っていると、平塚が再び口を開いた。

 

「今回は事前の知識や積み重ねと、問題文を短時間で大量かつ正確に読み切る能力と、それらを組み合わせる応用力が無いと決して解けない奇問ばかりを並べたのだがね。君たち四人には、覚えておいて欲しいのだよ。文学や評論も、随筆や短歌や俳句も、古文や漢文や外国語で書かれた古典文学も、それどころかエンタメもサブカルもエログロナンセンスでさえも、更には数学からプログラミングまでをも含めて良いと思うのだがね。それらは同列に扱うことができるし、それらを堪能できるのは素晴らしいことなのだよ。それらは人生に彩りを与えてくれるものだと、そう覚えておいてくれると今回の試験をした甲斐があるというものだ」

 

 つまり、今回の特別枠である一〇点分の問題は、解かせることが目的ではなく気付かせることが目的だったということか。

 

 そう考えると、一点を争って必死に勉強していた自分が少し馬鹿らしくなるけれど、この教師の掌の上だったのは今に始まったことではない。

 

 おそらく乱暴な言い方をすれば、さっき八幡が例に出したような「テストが出来るだけの馬鹿」を育てるつもりはないと平塚は言いたいのだろう。それよりも大切なことが、他に身に付けるべきことがあるのだと、そう伝えたいのだろう。

 

 答案用紙の返却と解説が行われる月曜日に先がけて、自分たち四人だけの前で貴重な教えを説いてくれた国語教師をじっと見つめていると、再び話が始まった。

 

 

「それはそうと……君たちは陽乃のせいもあって、色々と苦労しているみたいだがね。何かあれば遠慮なく相談したまえ。雪ノ下、君が定めた奉仕部の理念は何だったかな?」

「……助けを求める人に結果ではなく手段を提示する事です」

 

 あの理念を定めたのが雪ノ下だと知って、予想外ではなかったけれども初耳ではあったので少しぽかんとしていると、由比ヶ浜も同じ気持ちだったのか。

 

「えっと、でも、奉仕部を作ったのって陽乃さんだよね。じゃあ理念はゆきのんが作ったってこと?」

 

 疑問を素直に伝えると、少しだけ口先を尖らせながら雪ノ下がそれに答える。

 

「ええ、そうよ。姉さんの時代の奉仕部は、どんな依頼を受けるのかも、どんなふうに解決するのかも何もかもが曖昧で、全ては姉さんの気分次第という状況だったのよ。そんな部活を、『来年度以降も必ず存続させる』って生徒会と文書まで交わして私に押し付けて……入学前から頭を抱えたというのが正直なところね」

 

 ああ、あの人ならそうするだろうなと、心から納得してしまった八幡だった。

 それは誰もが同感みたいで、平塚が苦笑しながら話を引き継いでくれた。

 

「陽乃には私も手を焼いたし、それは今も同じかもしれないな。話を戻すと、雪ノ下が掲げた理念は君たちに合ったものだと私は思っているよ。だからこそ、私もそれを踏襲しようと思っているのだよ。つまり、遠慮なく相談に来いと先程は言ったがね。私にできるのは君たちの話を聞いて、せいぜい手段を提示するぐらいなものだ。それで何かが解決したとしても、それは君たちが勝手に助かっただけなのだよ。でもだからこそ、私や誰かに相談する時にはタイミングを見失わないようにしたまえ。自分でできる事とできない事をしっかり見極めて、上手く大人を利用しなさい。君たちならそれができると私は思っているよ」

 

 今日言われた全ての話が、今の発言に繋がっているような気がした。

 年齢のことを言ったら怒られそうなので口には出さないけれど、十年後の自分は高校生に向かって、こんな恰好良いことを口にできるだろうかと怯む気持ちさえ浮かんでくる。

 

 もしかしたら、同じ気持ちだったのかもしれない。

 部外者という意識があるからか少しだけ控え目な口調で、葉山が質問の声を上げた。

 

「平塚先生は、大人とは何だとお考えですか?」

「大人とは……そうだな。君たちのような才能のある子供たちの前でも恰好良く振る舞えるのが大人だと、私は思うよ。巷には、幼い頃からまるで成長していないと自ら証明して回っているような、自分勝手な振る舞いをして何ら恥じない大人も大勢いるがね。たとえ内面はそれと大差がなかったとしても、実は自分だけは違いますと相手に信じ込ませてしまえるのが、きっと大人の狡さなのだろうな」

 

 恰好良いような情けないような詭弁のような真理のような、よく分からない答えだというのが正直な印象なのだけど、いずれにしても心に響いたのは間違いない。

 

 

 職員室に戻る平塚と部活に向かう葉山を見送って。

 何だか毒気を抜かれたような気分の三人は、試験疲れという理由もあって早々に部活を終わりにした。本格的な活動や話し合いは来週からだと確認し合って、この日は解散となる。

 

 

***

 

 

 そして迎えた翌土曜日の夜、自室にて八幡は苦悩していた。

 正確には昨日の夜からずっと断続的に悩んでいる。

 

 夕食は早めに済ませたものの、まだ七時にもなっていない。今から連絡をしても、きっと失礼には当たらないだろう。

 

 だが、長年にわたってぼっちで過ごして来た身としては、遠慮なく相談しろと言われてもなかなか踏み切れない。本心を取り繕えた()()()とは違って、今回は自分をさらけ出す事になるだろう。でも、そんな事をするぐらいなら尻尾を丸めて問題を先送りしてしまいたいとさえ思ってしまう。

 

 それでも昨日の二人の様子や自分の心理状態を考えると。それに、まるで示し合わせたかのように、深い話をひたすら避けながら過ごしてしまった顧問退場後の時間を思い出すと、週が明ける前に何とかしなければという想いが強くなる。

 

 けれども自分一人では現状を解決できそうにないし、妹に話すのはもう少し問題を解きほぐしてからの方が良い。なぜなら二人ときちんと話せておらず、憶測で物を考えている部分が大きいからだ。

 それなら話せばいいじゃんと言えてしまえる妹と、どうやって話をすれば良いのかと悩んでしまう自分では、おそらく決定的に話が合わないだろう。

 

 同じ事は、あの性別不詳の友人にも当て嵌まる。

 そして腐れ縁のあの男にはこんな話はできそうにない。

 

 他にも何人か男女の知り合いが居るけれど、自分の気持ちを言葉にしきれない部分まで含めて正確に伝えられる相手は、おそらく皆無だろう。自分の捻くれ具合は尋常ではないと八幡は理解できている。

 

 つまり、八幡が誰かに相談に乗って貰うとしたら、今それが可能なのは一人だけ。

 

「これで、呼び出せば……」

 

 震える指先で通話ボタンをタップする。

 数度の呼び出し音の後に、回線が繋がった。

 

『君から連絡が来るとは珍しいな。どうしたのかね?』

 

 八幡の耳に、大人の女性の声が伝わってくる。

 何も言葉を口にできずにいるのに、それでもじっと八幡が喋り始めるのを待ってくれている。

 

 自分のような捻くれた子供が相手でも恰好良く振る舞える大人に、少しでも近づきたくて。

 そんな大人の前で、ちょっとは恰好良いところを見せたくて、掠れそうな声を奮い立たせて言葉を発する。

 

「実は……人生相談があるんですが」

『分かった。まだ高校にいるから、昇降口まで来てくれるかね?』

 

 賽は投げられた。

 八幡は手早く制服を身にまとうと、リビングからショートカットで移動して昇降口へと足を向けた。

 




十四巻の影響だと思うのですが、各キャラのセリフがどうにもしっくり来ず時間が掛かってしまいました。
書いているうちに解消できると思いますので、次回はクリスマス前としておきます。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。


追記。
八幡の「得意教科では」という拘りと、由比ヶ浜のお陰について説明を補足して細かな表現を修正しました。(12/27)
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。