俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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02.やはり彼女もその部室へと導かれる。

 国語担当の平塚静に連れられて教室から出て行く比企谷八幡を、由比ヶ浜結衣(ゆいがはまゆい)は横目でちらちらと見ていた。

 

 新学期早々の呼び出しなので、他の生徒ならもっと騒がれそうなものなのに。二人の動きが終始静かだったせいか、ほとんど認識されていない。

 

 八幡が後手にドアを閉めたのを確認して、由比ヶ浜は友人二人に意識を戻した。

 

 

「んーと、結衣。先生に何か質問でもあるんだし?」

「聞きに行くならお昼を食べずに待ってるし、遠慮なく行って来なよ」

 

 二年になって新しくできた友人二人には、しっかり見られていたみたいで。気を使うような言い回しをさせてしまった。

 

 高校生になって随分マシになったとはいえ、もともと引っ込み思案の由比ヶ浜は他人に配慮されるのがあまり得意ではない。だから少しだけ慌てながら答える。

 

「ううんっ。なんだか大人の女性って感じでかっこいいなぁって思って」

「あーしらも何年か後にはあんな感じになるし」

「優美子はスタイルも良いし綺麗な感じになるんだろうけど、あたしはどうだろ?」

「結衣は……愚腐腐腐、TSしたシズカくんがユイくんに無理矢理、キマシタワー!」

 

 新しくできた友人の片割れ、赤いフレームの眼鏡をかけ肩まで黒い艶やかな髪を伸ばしている海老名姫菜(えびなひな)が、何やら妙な言葉を小声でつぶやいて。

 その直後に、鼻血がたらりと流れ出した。

 

「えっ?」

「動かないでじっとしてるし」

 

 予想外の展開に慌てる由比ヶ浜とは違って、手早くハンドタオルを出した三浦優美子(みうらゆみこ)は驚いた表情とは裏腹の落ち着いた動作で海老名を後ろから抱き留め、ためらいなく鼻にタオルを当てる。

 ギャル風の外見に金髪縦ロールがよく似合っている三浦だが、意外と他人の世話には慣れているようだ。

 

「ごめん、優美子。ありがとね」

「これくらい気にすんなし。でも、体調が悪いなら保健室にでも行くし」

「そうだよ姫菜。何か悪い病気とか……じゃないよね?」

「うん、大丈夫。後で二人には説明するね」

 

「じゃ、さっさとお昼を済ますし。その前に手を洗いに行くし」

「あ、ごめん、血が付いちゃったね。タオルは洗って返すから」

「だから気にすんなし。どうせ毎日洗うんだし」

「姫菜。優美子がいいって言ってくれてるから、今回は甘えとこ?」

「うん。じゃあ改めて、優美子も結衣もありがとね」

 

 話が一段落して、三人は手を洗いに教室を出た。

 素早い対処のおかげか、海老名の鼻血もさほど注目を浴びずに済んでいる。他の同級生が新しいクラスに適応しようと必死で、自分のことで精一杯なのも幸いした形だ。

 

 始業式に向かうまでのわずかな時間であっさりとグループを結成した彼女ら三人が例外なだけで、教室内の人間関係は未だ定まってはいない。これから一年を共に過ごすことになる同級生との関係構築に、ひいては二年F組で安定した立場を得る為に、誰もが真剣に取り組んでいた。

 

 教師に呼び出された一人の男子生徒を除いて。

 

 

***

 

 

 三人が手とタオルを洗い終えて廊下を歩いていると、先程の国語教師が生徒を一人従えて特別棟へと向かっていた。

 

 雑談に意識を向けていた二人はそれに気付かなかったが、顔を上げた時に件の男子生徒を目にした由比ヶ浜は、湧き立つ感情を抑えられなかった。

 

「ごめんっ。あたし、トイレに行きたくなっちゃって。先に行っててくれない、かな?」

「そういうことは早めに言うし。遠慮すんなし」

「うん、先に教室に戻ってるから。ゆっくりで良いからね」

 

 二人の了解を取り付けて、由比ヶ浜はトイレの方へといったん戻った。そこから少し遠回りをして、特別棟に足を進める。

 

 音楽室や生物室に来たことはあるものの、ほとんどの教室はなじみがない。最初のうちは、きょろきょろと辺りを見回しながら歩いていたものの。あの男子生徒がどこに行ったのか全く予想がつかなくて、すぐに由比ヶ浜は途方に暮れる。

 

 さすがに涙が出るほどではないが、「あたし、何してんだろ?」と疑問が浮かぶのは避けられず。いつしか俯きがちになり、歩みもとぼとぼとしたものになっていた。

 

 

 その時、廊下の向こうで突然ドアが開いて、一人の女教師が姿を現した。これが八幡なら「女教師(オンナキョウシ)よりも女教師(ジョキョウシ)とルビを振った方がエロいな」などとくだらない事を考えるのだろうが、由比ヶ浜にとっては文字通り地獄に仏だ。

 

 急に安心したせいか完全に足を止めて、由比ヶ浜は教師に大きく手を振った。教室にいるかもしれない男子生徒に気兼ねして、声に出して呼びかけることはしない。

 

 廊下に出てドアを閉めた後は一歩も動かず、何やら考え事をしていた平塚だったが。自分に向かって手を振る生徒にようやく気付いて、ゆっくりと由比ヶ浜の許へと歩み寄った。

 

 

「由比ヶ浜か。こんな場所でどうしたのかね?」

「あ、えっと、先生たちが特別棟に歩いて行くのが見えたので」

「どこに行くのか興味がわいた、か?」

「あー、そんな感じだったと言いますか」

「そう恐縮しなくても大丈夫だよ。私と比企谷がどこに行くのか気になったんだろう?」

 

 いたずらっぽい顔でそう問いかける平塚と、顔を真っ赤にしながらあわてて否定する由比ヶ浜。そんな二人の対比は絵になる光景だったが、残念ながらそれを目撃した人はいなかった。きっと海老名が知ったら悔しがるだろうから、二人にとっては僥倖と言うべきなのだろう。

 

 由比ヶ浜が八幡を気にかける理由を、平塚は知っている。だから手に持った入部届をひらひらさせて、少し落ち着きを取り戻した生徒に向けて提案を行う。

 

「由比ヶ浜、良かったら君も来るかね。先ほど比企谷をとある部活に放り込んできたのだが、またすぐに様子を見に戻ろうと思っていたのだよ。二人で連れ立って驚かせるのも一興だ」

「あの、行きたいのはマウンテンなのですが、優美子たちにお昼を待ってもらってるので……」

「魔雲天……ああ、山々か。最近の女子高生はそんな使い方をするんだな」

 

 心の中で「私も使わなければ。若いんだから!」と繰り返している平塚の勘違いはさておいて、由比ヶ浜の心配ももっともだ。トイレに行くと言って別れてから、結構な時間が過ぎてしまった。

 

 まだ少し遠慮が残っているとはいえ、新たに仲良くなった二人を由比ヶ浜は既に親しい友人として受け入れていた。できれば仲違いという事態は避けたい。

 悩ましげな様子の由比ヶ浜を見て、教師はその職務を果たすべく話しかけた。

 

「由比ヶ浜、彼女らにメッセージを送ることはできるかね?」

「えと、メールでもL○NEでも送れますけど?」

 

「では、私が言う通りに送ってくれたまえ。『国語担当の平塚です。手伝って欲しいことがあったので由比ヶ浜を借りています。先にごはんを食べて欲しいと言っているので、手を離せない由比ヶ浜に代わってメッセージを送りました』……その変な顔文字は入れなくていいぞ。文章だけで送ってくれ」

 

「送信、っと。平塚先生、ありがとうございます!」

「なに、この程度ならお安い御用だ。では教室に戻ろうか」

 

 

***

 

 

 前回と同様に、平塚はノックもせずにいきなりドアを開けた。

 

 教室内に漂う重くて冷たい空気に即座に気付いた平塚は、平然と後ろを向いて由比ヶ浜を部室に招き入れた。言葉を発することなく、ただ右手を肩に回して。生徒を守るように、かつ逃さないように。この教師の思惑を、生徒三人は誰も知らない。

 

 

 突然の闖入者をじっと眺めている雪ノ下雪乃の表情から、平塚が戻って来たのだろうと推測して。教師の顔でも見るかと考えて、八幡が体を反転させると。

 

「んっ?」

 

 振り向いた八幡の視界に最初に飛び込んできたのは、見慣れた教師の姿ではなかった。スーツの上に白衣をまとった黒髪ロングの巨乳美女に庇護されるようにして立つ、一人の女子生徒。平塚が長身なので低く見えるが、身長は女子の平均かやや下ぐらいだろう。

 

 そのまま視線を下に向けると、童顔で可愛らしい顔立ちが確認できた。目が合ったので、内心では焦りながらもできるだけ自然な動きで目線を少し横に動かす。

 

 緩くウェーブのかかった茶髪は肩まで伸び、着崩した制服へと続いている。胸元のリボンが赤なので同学年だろう。その下には、男の目を惹きつけて離さない豊かな双丘を備えていた。

 

 教師の顔の高さに視点を合わせていなければ、まっさきにそれが目に入ったに違いない。そのまま頭を動かせなくなるか、それとも今のように即座に視線を逸らしていたか。いずれにせよ、彼女の印象はそれ以外に全く得られなかっただろう。

 

 けれども頭の先から胸の位置までゆっくりと視線を移動させて確認できたおかげで、八幡は彼女の印象を深く心に刻みつける事ができた。

 

 

 彼女が身にまとう雰囲気からは健康的で素直な育ち方をして来たことが伝わってくる。人懐こい顔立ちの影に潜むどこか自信なさげな眼差しも、その魅力を損なうには至らない。むしろ庇護意欲を駆り立てられる紳士諸君が大勢いることだろう。

 

 だが、それらは彼女の魅力のほんの一部分に過ぎない。

 

 八幡は目を逸らした先にあった天井のシミを数えながら、先ほど思わず凝視しかけた彼女の顔を思い出す。その顔立ちは学内でも屈指の可愛らしさだったが、惹き込まれそうになったのは顔の造作が原因ではない。

 

 ほんの僅かに見え隠れするおどおどとした目線の更に奥、自身にとって親しき者へのみ向けるのであろう強く優しげな眼差しを、なぜか八幡は感じ取ることができた。そこから目を離せなくなりそうで、あわてて視線を動かしたものの。その一瞬だけで充分だった。

 

 あの時に八幡は、温かく包み込まれたまま心まで満たされていくような感覚を抱いた。

 彼女の存在感は、強さという点では雪ノ下が発するそれにまるで及ばないが、広さという点では圧倒しているようにも思えた。

 

 

「平塚先生、ノックを」

「すまんな。見学者を連れていたので忘れていたよ」

 

 雪ノ下が口を開いたことで、教室内の重苦しい空気は解消される。

 

 そして他人から見れば一瞬、当人達にとっては随分と長い時間、お互いを確かめ合っていた気がする男女二人も気恥ずかしさをリセットできたようで、その会話に加わる。

 

「えっ。見学者って、あたし?」

「貴女は……由比ヶ浜結衣さんね」

「あ、あたしのこと知ってるんだ。雪ノ下雪乃さん、だよね?」

「すげーな。全校生徒の顔と名前を覚えてたりすんのか?」

「そんなことはないわ。貴方のことなんて()()()()知らなかったもの」

「ぼっちを極めた俺のステルス能力が相手じゃ仕方ないだろ」

 

「何を言っているのかしら。貴方の名など覚える必要はないと、目を逸らしてしまった私の心の弱さが悪いのよ」

「んじゃ、せいぜい反省してくれ」

「でもそうね、やはり名前を覚える価値は無さそうだし、市蔵と呼んで良いかしら?」

「改名披露をしろってか。『よだかの星』とかマニアック過ぎるだろ」

 

 

 先程の二人きりのやり取りでお互いに遠慮がなくなったのか、椅子に座る二人の生徒は滑らかに会話を進めていきます。言葉の端々に厳しい表現は見受けられるものの、八幡と雪ノ下の口調にはさほどの険悪さはありません。

 

 八幡にしてみれば、あれだけのことを言ったのだから今さら取り繕っても手遅れだと開き直った気持ちでしたし、雪ノ下も八幡のことを思ったままをぶつけて良い相手だと判断したようでした。

 

 それに八幡には、するどい爪もするどいくちばしもありませんでしたから、どんなに弱い女子生徒でも、八幡をこわがる筈はなかったのです。

 

 彼はいまだ自分が持つ武器に気づいていないのでした。

 

 

「意外ね。どうせ宮沢賢治なんて『銀河鉄道の夜』しか読んでいないと思っていたわ」

「あー、去年の今頃ちょっと暇しててな。その時に読み返した新潮文庫版に入ってたんだわ」

「……そう」

「……」

 

 何でもないはずの返答なのに、なぜか女子生徒二人が口ごもる。

 

 先程とはまた違った重い空気が漂い始めたところで、無言で成り行きを観察していた平塚がどこか楽しげに口を開いた。

 

「しかし、わずかな時間でずいぶんと打ち解けたものだな」

「これって打ち解けたって言うんですかね?」

「私の目には、君たちは仲良く喧嘩しているように見えるが?」

「たしかにヒッキーとゆきのん、息が合ってる感じがするかも」

 

 少し寂しそうに小声でつぶやいた由比ヶ浜に向けて、二人は同時に反論を述べる。

 そして憮然とした表情でお互いにじろりと睨み合った後で、再び同じタイミングで呼び方についての文句を述べる。

 

「ほら、やっぱり息ぴったりだし」

 

 そう口にした由比ヶ浜は先程とは違って、寂しさなどみじんも感じさせない溌剌とした笑顔を浮かべていた。

 

 まるでコントだと、そんな自覚がある二人は。笑顔の由比ヶ浜にこれ以上の文句を言うのは気が引けたのか、仕方なく矛を収める。

 

 

「何だか楽しい部活だね。……また、見学に来てもいい、かな?」

「いつでも来たまえ」

「平塚先生。断る気はなかったのですが、部長の私の意思を確認していただければと」

 

「断る気がないのなら問題ないだろう。では、我々は教室に戻る。君達は十四時半までここで部活を続けても良いし、教室に帰って自習してくれても構わない。十五時に現地集合を忘れないように」

 

 そう言って平塚は由比ヶ浜を連れて、部室から出て行った。

 




次回は24時間後に投稿の予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
改行を多めに変更しました。内容の変更はありません。(5/19)→改行を微調整しました。(8/13)
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(8/12)
改めて推敲を重ね以下の解説を付け足しました。大筋に変更はありません。(2018/11/17)


■細かな元ネタの参照先
女教師(オンナキョウシ)よりも女教師(ジョキョウシ)とルビを振った方がエロい」:原作1巻p.12
「するどい爪もするどいくちばしもありませんでしたから」:宮沢賢治「よだかの星」

■「よだかの星」のパロディについて
 唐突に書き方が変わるので、率直に言って「寒い」と思われても仕方がないと思います。今回の推敲でも、最後まで修正すべきか悩みました。
 前話と次話にも同様のパロディはありますが、本話が一番目立つ形になっています。目的は三話とも共通していて、三人称神視点からのナレーションを他の地の文よりも目立たせたかったからです。その理由は、現時点における八幡の行動指針に直結している情報だからです。
 この手の露骨なパロディは、次話以降には登場しません。
 最初の三話のみ、このままの形で残すことをご容赦下さい。

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