俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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今回から新展開です。



10.この世界でも兄妹姉弟は色々ある。

 週が明けて、いよいよ中間試験まであと1週間である。今年度はイレギュラーなことが多かったので日程が遅れ気味になっていて、中間試験も6月にずれ込んでしまった。

 

 今週からは部活も停止期間に入るので、放課後の時間も含めて自分の好き勝手に時間配分ができる。比企谷八幡はそう考えながら、久しぶりの開放感を実感していた。深夜に勉強が捗るようならやれるところまで頑張って、翌日の夕方は早く帰って寝るという事も可能だ。

 

 あの部活に行くのが嫌だという気持ちは既に無いが、しかし時間が拘束されるのも確かである。特に彼のように人生の大半を独りで過ごして来た者としては、慣れない事が多いので微妙に疲れが溜まるのだ。

 

 これが妹のように付かず離れずの距離感を熟知してくれている相手なら問題は無いのだが、親しくなってまだ2ヶ月未満の相手にそれを求めるのも酷である。というより、彼女らに理解されるよりも愛想を尽かされる展開の方が可能性は遥かに高いだろう。

 

 長いぼっち経験で得た教訓から、彼はどんな関係であれ終わる事を前提にして身構える傾向があった。それが現実になった時に、少しでもショックを緩和するために。

 

 

「2時ぐらいまでは頑張れそうだな」

 

 自室の時計の針が12時近くを指していた。だがこのまま寝るのではなく、少し休憩を挟んでからもう少し続けられそうだと彼は手応えを感じていた。少しだけ喉の渇きを覚え、彼は1階のリビングへと降りて行く事にする。夕食を終えてから部屋に引きこもっていたので、廊下を歩いたり階段を降りる程度の動きでも何だか気分が向上してくる。腕を伸ばしたり首の運動をしながら、彼はリビングへと入って行った。

 

 

「おい……。こいつももうすぐ中間じゃなかったか?」

 

 リビングのソファでは妹の比企谷小町がぐーすか眠っていた。彼と同じく試験前という状況だったと思うのだが、肝が太いというか何というか。とはいえ八幡より遥かに要領のいい妹だけに、終わってみればちゃんと帳尻は合うのだろう。

 

 自分の不器用さを少しだけ恨めしく思いながら、しかし中二病が解けた時に自分は所詮は凡人だと理解した八幡は、この後も勉強を続ける意欲を失う事は無かった。その自己評価は過小なのだが、それが勉強をこつこつと積み重ねる行為に繋がっているのだから面白いものである。ともあれ、まずは喉を潤す必要がある。

 

 

 自宅を撮影した写真の中に箱買いしたMAXコーヒーが写っていたのが幸いして、彼の家には毎月一定量のMAXコーヒーが支給されている。しかし試験前など飲む機会が増える時期にはそれでは間に合わない。かといって今の時間にコンビニまで買いに行くのも億劫である。八幡はそう考えて、仕方なくポットに水を補充してスイッチを入れた。

 

 お湯が沸くのを待つ間、手持ち無沙汰の八幡は己が妹の寝姿をぼんやりと眺める。小町は大胆にもお腹を出した状態で、寝息に合わせて波打つ白い素肌や可愛らしいおへそが八幡の目に飛び込んで来る。よくよく見ると彼女はだるだるに伸びた兄のTシャツを着ていて、ブラの肩紐が垣間見える。先程は丸まって寝ていたのですぐには気付かなかったが、下半身はパンツ姿である。

 

「おい、風邪ひくぞ」

 

 これだけ極上の美少女のあられもない姿を前にしても、妹であるがゆえに劣情などは微塵も湧き上がらず、八幡はとりあえず手近にあったバスタオルを掛けてやった。それを胸元に引き寄せながら小町がむにゃむにゃ言っているが、意味のある発言とは思えない。

 

 そうこうしているとポットのスイッチが切れて湯沸かしが完了したので、八幡は戸棚からマグカップを取り出した。そこにインスタントコーヒーをぶち込み、少しお湯を少なめに入れる。砂糖をたっぷり加えてゆっくり溶かして、仕上げに牛乳をなみなみと注げば、彼好みの甘々なコーヒーの完成である。

 

 甘いミルクと砂糖の香りと、インスタントにしては深みのある芳しい香りを堪能していると、くんくんと匂いを嗅ぎつけた小町ががばっと跳ね起きた。

 

 

***

 

 

「……あれ?寝過ぎちゃった?」

 

 まだ充分に頭が働いていないのだろう。状況を完全に把握できているとは思えないが、それでも天然の可愛らしさを発揮しながら小町が呟く。独り言というよりは兄が返事をしてくれるのを確信しているかのような発言に、八幡もオートで返事をしていた。

 

「もしかして、晩飯の後ずっと寝てたのか?」

 

「うーんと……。今何時?」

 

「そうね、だいたい子の刻だな」

 

「お兄ちゃん。相変わらず何を言ってるのか解らないよ?」

 

「あー、12時ぐらいだ」

 

 具体的な数字が出た事で、小町の意識が一気に覚醒したのだろう。この時間帯に相応しくない大きな声で小町は悲鳴を上げる。

 

「寝過ぎたぁー!1時間だけ寝るはずだったのに、5時間も寝ちゃったよー!」

 

「いや、さすがに寝過ぎだろ」

 

「うー……。起こしてくれても良かったのに」

 

「なんで俺が怒られてるのか全然わかんねーぞ。つか今まで部屋で勉強してたからな」

 

「そっか。じゃあ仕方ないか」

 

「納得すんのもはえーな。つかズボン履け。あと俺のシャツを勝手に持ち出すな」

 

「これ、サイズ的に寝巻にちょうど良いんだよ?」

 

 そう言いながら立ち上がった小町は、八幡の目の前でくるっと1回転してポーズを取る。シャツの裾をまるでワンピースのように両手で軽く持ち上げて、演技を終えた後で観客に一礼するかのような姿勢の彼女はとてもキュートである。妹は誰にも渡さんと誓いを新たにしながら、八幡は再び彼女に語り掛けるのであった。

 

 

「んじゃ、そのシャツはやるよ。あとコーヒー飲むか?」

 

「おお、サンクス。じゃあ小町も今度、下着をあげるね」

 

「いや、いらんだろ……」

 

「牛乳を温めて欲しいなー。コーヒーは香り程度で」

 

「ほい、了解」

 

 妹のマグカップを取り出して、ほんの少しだけ入れたインスタントコーヒーをお湯で溶かす。それと並行してミルクピッチャーに牛乳を入れてレンジを動かし、甲斐甲斐しく妹の希望通りに動く八幡であった。

 

「もしかして、晩ご飯からずっと勉強してたの?」

 

「まあな。中間が近いし、今回は範囲が広いからな。もうちょい続けて寝るわ」

 

「お兄ちゃんは真面目だなー。働き始めたら絶対お父さんみたいになるよね」

 

「おい、一緒にすんな」

 

「じゃあ、小町も勉強しようかな」

 

「そうしとけ。じゃあ俺は部屋に戻るから、お前も頑張れよ。……ぐえっ」

 

 そう言って歩き出そうとした八幡だが、シャツを引っ張られて変な声を出してしまった。後ろを振り返って目線だけで「何だよ?」と問い掛けると、妹がにこにこしながら解説してくれた。

 

「小町も、って言ったんだから、お兄ちゃんと一緒に勉強するって意味だよ!お兄ちゃん、まだまだ妹の理解度が足りませんなー」

 

「はあ、そうかよ。……まあ俺の勉強は一応は区切りが付いてるし、じゃあ久しぶりに付き合ってやるよ」

 

「じゃ、勉強道具を持ってここに再集合だからねー!」

 

「はいよ。御言葉のままに」

 

 こうして、彼ら兄妹の夜のお勉強が始まるのであった。

 

 

***

 

 

 兄妹がリビングの机に向かい合って、お互いの勉強に集中し始めてからしばし。ふと八幡が教科書から顔を上げると、自分の顔をじっと見つめている妹と目が合った。

 

「……何だよ?」

 

「んー。小町とお兄ちゃんは仲が良いけどさ。世の中には上手くいってない兄弟姉妹も多いんだろうなーって」

 

「あー。ご家庭の事情とか色々あるんじゃね?知らんけど」

 

「ぜんぜん口を利かなくなったり、暴力とか、そういうのが無いお兄ちゃんで小町は恵まれてるなーって」

 

「あれだ。お前と仲良くしてねーと俺だけ怒られるからな。仕方なくだから勘違いすんな」

 

「んふふー。照れてますなー」

 

「うぜー」

 

 すっかり勉強する気が失せた様子の小町は既に勉強道具を片付けていて、兄との雑談モードに入っている。それを見た八幡は顎をソファの方角に向けて、妹に移動を促した。朝夕の食事時や登校時は必ず一緒に過ごしているので、家族の会話は充分だと思っていた八幡だが、もしかすると小町は話し足りなかったのかもしれない。

 

 八幡は小学生の高学年の頃から親との会話が少なくなって、高校生になってからは必要な時以外はあまり口を利いていない。とはいえ仲が険悪というわけではなく、社畜として彼ら兄妹を金銭的な面で不自由させていない両親にはそれなりの感謝の気持ちを持っている。できればこのまま永久に養って欲しいと思うが、それが夢物語だという事は八幡とて気付いている。

 

 八幡への関与が最低限なのとは対照的に、小町の扱いは至れり尽くせりという表現が相応しい。もちろん母親は時に厳しい事を言ったり叱る事もあるらしいのだが、父親の方は溺愛が過ぎてもはや手遅れであった。しかし今は、そんな両親も小町の近くには居ない。

 

 もう少し意識的に小町と過ごす時間を長くしようと内心で決意する八幡に向けて、あちらも何か考え事をしていたらしき表情のまま小町が口を開いた。

 

 

「塾の友達で最近仲良くなった子がいるんだけどね。その子のお姉さんは、日ごとに帰って来るのが遅くなってるらしくてさ。最近は、日付が変わってから帰って来るのも珍しくないんだって」

 

「ほーん。この世界でも不良とかいるんだな」

 

「でもねでもね、お姉さんはお兄ちゃんと同じ総武高校に通っていて、超真面目な性格なんだって。何があったんだろうねー?」

 

「そうだな……。家の事情じゃないんなら、変な友達とか出来ちゃったんじゃね?あんま言いたくねーけど、お前も友達は選んだ方が良いぞ」

 

「その友達はこの4月から塾に通い出した子なんだけどね。運が悪いと言えば悪いよね……」

 

「……そだな。もう半月でも遅かったら、巻き込まれずに済んだのにな」

 

「でも小町は、お兄ちゃんと一緒に巻き込まれて良かったと思ってるよ」

 

「あー。俺は小町だけでも避けられるなら避けて欲しかったが、まあ終わった事は仕方ねぇな」

 

「うん。仕方ないから仲良くしたげるね。お兄ちゃん、宜しくね!」

 

「まあ、あれだ。小町が困ってたら何でも言えよ。前にも言ったが、高校で奉仕部とかいう変な部活にも入れられちまった事だし、何か俺にできる事もあるだろうし。俺の方こそ宜しく頼むわ」

 

 どこか大袈裟でわざとらしい動きで、しかし自然に浮かび上がった笑顔をまっすぐ兄に向けて、小町はゆっくりと頭を下げる。疑う余地など欠片もない妹の心情を素直に受け入れて、八幡も表情を崩しながらそれに応えるのであった。

 

 

***

 

 

 八幡がはっと目を開けると、そこはリビングのソファであった。夕べは妹とすっかり雑談モードに入ってしまい、会話の途中で強烈な睡魔が襲って来た事は覚えているのだが、どうやらそのまま寝てしまった模様である。

 

 周囲を見渡しても小町の姿は見えず、ふと嫌な予感がして時計を見ると、短針が9と10の真ん中ぐらいに位置していた。完璧に遅刻である。

 

 変な体勢で寝た為か、疲れが残っている身体を何とか立ち上げて、彼はテーブルの上にトーストとハムエッグ、そして置き手紙が載っている事に気付いた。遅刻したくないから先に行くという内容は予想通りだ。PSではなく、セキュリティ・ポイントで朝食をきちんと摂るようにと書かれているのが目を引いたが、ツッコミを入れる元気がない。

 

 焦っても仕方がないので、彼はゆっくりと朝食を済ませる。そして授業の途中で教室に入るのは気が進まなかったので、彼は自転車でゆっくり登校する事にしたのであった。

 

 

 予定通りの時間に高校に到着して、人の気配がない廊下を歩いていると、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。生徒達の声で一気に騒がしくなった教室の中の様子を窺って、八幡はこっそり後ろのドアから室内に入る。よもや誰にも気付かれる事はあるまいと思っていたのだが、席に鞄を置いて顔を上げると、自分を手招きする国語教師の姿があった。

 

「さて、比企谷。言い訳があるのならば聞こうか」

 

「その、妹と一緒に深夜まで勉強していたら、そのままリビングで寝過ごしてしまいまして……」

 

「ほう。では君の妹も今日は遅刻したのかね?」

 

「いえ、置き手紙と朝食を残して先に登校したみたいで」

 

「そ、そうか……」

 

 下手な言い逃れをしたら存分に叱ってやろうと気合いを入れていた平塚静教諭だが、八幡の言い訳が真実味を帯びているように聞こえて、責める気が急激に失せてしまった。彼女は小町と面識があるだけに、あの少女ならばそうするだろうと思えてしまう事も大きかったのだろう。

 

 

 彼の処分をどうしようかと悩んでいると、彼女の視界がまた別の遅刻者を捉えた。教師の視線を追って八幡も同じ方向に目を向けると、長く背中まで垂れた青みがかった黒髪の少女が廊下を歩いている。そのまま堂々と教卓に近いドアから教室に入って来た生徒に向けて、教師は口を開いた。

 

「川崎……君も重役出勤かね?」

 

 ぺこりと頭を下げて、おそらくは授業でやった内容を尋ねようと思ったのだろう。歩きながら鞄の中から教科書か何かを取り出そうとした事が災いして、その生徒は教卓の前で蹴躓いてしまった。尻餅をつき両足を広げた状態の彼女を正面から見てしまった八幡の目に、その姿がまともに飛び込んで来る。

 

「……黒のレース、か」

 

 そう呟いた彼の声が耳に届いたのだろう。彼女はゆっくりと立ち上がりながら彼の顔を見つめ、そして呆れるようにこう呟くのであった。

 

「……バカじゃないの?」

 




前回の投稿後にUAが5万を超えました。
いつも読んで頂いてありがとうございます!

次回は週の半ばの更新になります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。(2/20)

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