俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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少しシリアスが入ります。



12.あちらの世界の事を彼女は今も引き摺っている。

 翌日の昼休み。雪ノ下雪乃は職員室で平塚静教諭と向かい合っていた。時間帯を考えると周囲は喧騒に包まれていても不思議ではないのだが、彼女ら2人の周囲だけはなぜか張り詰めた静けさがある。他の先生方も、彼女らに近付けないのは勿論のこと遠巻きに様子を窺う事すら憚られるという受け止め方のようで、お陰で2人はゆっくりと話ができる環境にあった。

 

 雪ノ下の要件は、昨日の話を教師に伝える事である。彼女にとっては同学年であり、由比ヶ浜結衣と比企谷八幡にはクラスメイトにあたる女子生徒が、不良と疑われるような行動をしている。今のところは夜の帰宅時間が徐々に遅くなっているという程度だが、しかし日付が変わる時間帯に帰って来るというのはやはり問題であろう。

 

 件の女子生徒の弟から相談を受けた事。そして自分達に可能な範囲で手助けをしたい旨を教師に伝えると、平塚先生はそれに頷きながら口を開くのであった。

 

 

「ふむ。雪ノ下が依頼を受けたいと言うのであれば特に異論は無いが。……君は大丈夫だと思うが時期が時期だ。テスト直前なのに依頼にかまけて勉強が疎かになるのは困るぞ」

 

「それについては、奉仕部で勉強会を行う事で対処する予定ですが……」

 

「君や比企谷と違って、由比ヶ浜は学問的な勉強に頭を使うのはそれほど得意ではない。むしろ彼女の優しさからして、問題を起こしかねない同級生を助けるために頭を使おうとするのではないかな?」

 

 そうした由比ヶ浜の性格は教師に言われるまでもなく雪ノ下も把握している。だがテストへの影響をどの程度と見積もるのかで2人には相違があった。

 

 仕方のない事なのだが、雪ノ下は勉強に掛けた時間とその成果の関係を自身を基準に考えている。由比ヶ浜が依頼のために頭を使う時間を差し引いても、テスト勉強のための時間は充分に確保できると彼女は考えていた。しかし雪ノ下が集中して勉強する2時間と、由比ヶ浜が気を散らしながらたまに勉強して過ごす2時間とでは大きな差があるのだ。

 

 雪ノ下も自身と他者とで勉学に挑む姿勢が異なる事や成果率に違いがある事を理解はしている。とはいえ定期考査直前のこの時期には誰もが必死で勉強するだろうから、そうした違いはさほどの差異にならないだろうと彼女は考えていたし、それが彼女の勉強を捗らせる原動力にもなっていた。優位な立場にあぐらをかいている間に、必死になった誰かに抜かれてしまうなど、彼女には決して許せる事では無い。

 

 だから彼女は教師が伝える内容をきちんと理解できたわけではないのだが、それでも新たに気付く事はあった。つまり由比ヶ浜の性格ならば、勉強の時間を犠牲にしてでも他人の為に頭を働かせるのではないか、という気付きである。テスト直前のこの時期に勉強から現実逃避するという発想は彼女には無いので由比ヶ浜の優しさを過大評価している形だが、仮にバレても由比ヶ浜がいたたまれない気持ちになる程度の影響しかないので問題は無いだろう。

 

 三浦優美子や海老名姫菜に言付けて、由比ヶ浜の勉強をしっかり監督して貰わねばと彼女は内心で決意する。そして教師に向かって頷きつつ、続く言葉に耳を傾けるのであった。

 

 

「それに比企谷も、場合によっては周りが見えなくなる時があるからな。前科持ち、という表現は少し不適切だが……。自らの身を顧みず危険に飛び込める男は希少だが、だからといってその行為を認めるわけにはいかん。比企谷が危険な目に遭うと、心配する子も居るからな」

 

「妹さんや由比ヶ浜さんを哀しませるような事をさせないように、手綱を握れという事ですね」

 

「君もだよ、雪ノ下。少なくとも奉仕部部長として、部員が危険な目に遭う事を看過できる性格ではないと私は思っていたのだが?」

 

 少しからかい気味に目の前の少女に向けて話し掛ける教師であった。安い挑発だが彼女なら乗ってくるだろうと平塚先生は期待していたのだが、その目論見は良い方向に外れる。最初は何か言い返そうという気配もあったものの、意外な事に少女は大人しく指摘を受け入れて、こう返事をするのであった。

 

「それは……そうですね。承りました。部長として、部員の勉学や身の安全に影響しない範囲で、依頼に取り組もうと思います」

 

「うむ。ならば私としては依頼を受ける事に異論は無い。君が言った制限に加え、もしも事態がエスカレートした時は速やかに教師を巻き込むように。その判断も君に任せよう」

 

「では、お願いがあるのですが」

 

 再び意外な返事があった事で、平塚先生はますます興味深い表情を浮かべながら、身振りだけで続きを促した。それに応えて雪ノ下がお願いの内容を告げる。

 

「今日の放課後に依頼人が部室を訪れる事になっていますので、彼と比企谷くんの妹さんの入校許可をお願いします。それと、放課後に川崎さんをここに呼び出してもらって、一緒に部室まで連れて来て頂けると助かるのですが」

 

「いきなり正面突破という事か。勝算はあるのかね?」

 

「それで解決すれば万々歳ですが、まずは当事者から事情を聞かないことには始まらないと思います。それに、当人の知らないうちに、こそこそと事情をかぎ回られるのは嫌でしょうし……」

 

 何やら実感のこもった口調で付け足す雪ノ下の表情を眺めながら、平塚先生は納得顔で頷く。

 

「では、川崎の弟と比企谷の妹への入校許可はこの後すぐに手配しておこう。こちらに顔を出さず、直接そちらの部室に行ってくれて構わない。それから少し遅れるぐらいの時間に川崎を連れて行く手筈で良いかな?」

 

「ええ、よろしくお願いします」

 

「君も段々と、教師を使うのが上手くなって来たな」

 

 最後に冗談交じりにそう呟いて、教師は立ち上がって会談の散会を告げるのであった。

 

 

***

 

 

 その日の放課後。比企谷小町は川崎大志と連れ立って、総武高校に向かって歩いていた。

 

 この4月から同じ塾に通うことになった男子生徒に対して、小町は特別な感情を抱いているわけではない。にもかかわらず最近は2人で話をする機会が多く、何だか変な展開になったものだと彼女は内心で考えていた。

 

 最初に彼に話し掛けたのは、彼が塾の仲間たちに受け入れられ易いようにという単なる配慮からだった。幸いなことに彼は話し下手ではなく、短期間ですんなり仲間に入れた模様である。この世界に閉じ込められたという共通体験が、仲間の絆を強めるという点ではプラスに働いたことも影響したのだろう。

 

 その後しばらくは付かず離れずの仲だったが、今月に入って彼に悩みができたのか、時折ぼんやりと考え事に耽っている姿が見られるようになった。そして誰から聞き付けたのか、小町の兄が総武高校に行っているという話を知って、彼は小町に相談事を持ち掛けて来たのである。

 

 小町としては特定の男子生徒と頻繁に2人きりになる事態は避けたいのが本音だったが、困ったことに兄か姉が総武高校に通っているという生徒は彼女の他にはいなかった。塾の先生を巻き込もうかと思ったが、あまり大事にはしたくないという大志の希望は充分に理解できるものだったので、小町はやむなく彼に付き合って相談に乗っていたのである。

 

 彼の相談に乗りながら、塾の生徒たちにも話しても良いと思う範囲の内容は流しているので、彼女らの仲が疑われている気配は無い。そうした雰囲気を微塵も感じさせない振る舞いをしている小町の姿も、疑惑の払拭に影響しているのだろう。だが、相談が長期に亘るとどうなるかは分からない。

 

 そうした経緯があったので、小町は兄のみならず兄の高校の部活を巻き込んで相談できる状況に持ち込めたことにご満悦であった。後は上手く事が運んで、傍らの男子生徒の悩みを解消できれば全ては解決である。

 

 

 しかし彼女には当面の相談事とは別に、心の中で留め置かれている複雑な感情があった。

 

 今回の件で巻き込んだ、兄と同じ部活の女子生徒2人。彼女らは1年前、兄が入学式の直前に遭った事故の関係者である。事故のきっかけが由比ヶ浜にあり、兄を轢いた車に雪ノ下が乗っていた事はまぎれもない事実であるが、とはいえ彼女らに罪を問えるかと言われると現実的にも感情的にも難しいものがある。

 

 由比ヶ浜は小町が思う以上に事故の責任を感じていて、病院にも何度も来てくれたし自宅にも謝りに来てくれた。彼女の行動に足りない部分があったとは小町は思わない。むしろ彼女の誠意に絆されて、もっと仲良くなりたいと思ってしまう程であった。

 

 雪ノ下が見舞いに来た姿を小町は見ていないが、昨日兄から聞いたところによると、家族の反対をよそに何度か病院を訪れていたらしい。大人の間では示談が成立して、金銭面でも療養面でも充分な配慮をして貰ったし、そもそも車に乗っていただけの彼女を責めるのも酷である。こうしたことは小町も充分に理解していたし、初対面で潔く謝罪の言葉を告げる彼女の凛々しさには、憧れの感情を抱いてしまう程であった。

 

 だが、そうした親しみの感情を持つ事と、理由など関係なく誰かを責めたくなる事とは、どうやら並立するものらしい。

 

 

 兄が事故に遭った時、彼の携帯電話に登録されていた父親の携帯に最初の連絡が入った。次いで母親の携帯に。共働きで仕事が忙しい両親は、既にその時間には会社に着いていた。ひと仕事を終えてから息子の入学式に行く予定だったが、仕事の状況によっては行けなくなるかもしれないと息子に告げねばならないほど、彼らの仕事は山積みだった。

 

 それに対して兄は捻くれた受け止め方をしていたが、母親には入学式に参列する意志はあったし、父親がその意志に反する行動を取るなどあり得ない。両親の意志を前もって聞かされていた小町は、入学式で両親の姿を見付けた兄が狼狽える様子を話して貰うのを、朝から楽しみにしていたのである。

 

 生徒会の役員ゆえに、中学の入学式の手伝いに駆り出されることになっていた小町が支度をしていると、珍しく父親から携帯に電話があった。仕事が終わらず兄の入学式に行けなくなったという言い訳の電話だろうか。ならば兄の為に軽く叱っておかねばならない。小町はそう考えて、電話を受けてすぐに父を責めるような事を言おうとしたが、開口一番に聞かされた「八幡が車に轢かれた」という父の発言がそれを遮る。そして彼女はその言葉の意味を瞬時には理解できなかった。

 

 その後のことを、小町は正確には覚えていない。気が付けば両親と共に病院にいて、兄の命に別状は無く後遺症なども残らなさそうだという医師の話を聞いていた。父の指示に従って、教えられた病院までタクシーを飛ばした記憶はあるのだが、それは自分の記憶なのに他人事のような、どこか違和感のある記憶でしかなかった。兄の無事を聞いてようやく小町の意識が正常に戻ったのだろう。

 

 

 意識が混乱しているさなか、兄が居なくなる可能性と真剣に向き合わざるを得なかった小町は、この事故の後に以前にも増して兄に心理的に依存するようになった。お互いの生活に問題が出るほどではないが、彼女らが普通の兄妹とは違っている事も確かである。そして火種は燻ったまま、いつ何時それが表に出てくるかもしれなかった。

 

 もしもこの世界に巻き込まれたのが兄妹のどちらか一方だけだったとしたら、小町に残されていた火種は爆発してしまったかもしれない。一昨夜に彼女が兄に告げた『一緒に巻き込まれて良かった』という言葉は、理性的にも本能的にも彼女の本心であった。それは事故に遭った側の八幡には解らない事である。残された者がどう思うのか、それに頭を働かせられるほど八幡は成熟していなかったし、残念ながらそうした気遣いを思い付くほどの関係を築けた友人も居なかった。

 

 解らないが故に、八幡にはどうすることもできない。そして両親が側に居ない今、小町の心に残ったままの傷痕は彼女自身が克服するしかなかった。それが大爆発を起こしてしまえば取り返しの付かない事になりかねないが、小規模な爆発なら精神の安定に繋がる。まるで地震のようだが、エネルギーを溜め込み過ぎて大災害に繋がるよりは、こまめに発散してくれた方が良いのである。

 

 こうした自分自身の心理状況を小町は論理的には理解できていない。しかし本能的に、このままでは危ないと思える瞬間が時々あって、そんな時の彼女は誰かに事故の責任を求めた。もしも由比ヶ浜がリードを注意深く握ってくれていたら。もしも雪ノ下が車で登校などしなかったら。兄の行動にも言いたい事はあるが、そんな事をしでかしてしまうのが兄なのだから仕方がない。小町が責を問える対象はごく僅かなのである。

 

 彼女らを内心で責めて精神の落ち着きを取り戻した後で、小町はいつも自己嫌悪に陥る。兄が彼女らと仲良く過ごしていると知ってしまった今となっては、それはますます酷い事になるだろう。だが小町とて、彼女らを責めたくて責めているわけではない。それに表には出していないのだし、心の中でたまに思うぐらいは許して欲しい。そうでなければ、小町が平静を保つのは難しくなるだろうから。

 

 

「えーと、校門まで迎えに来てくれるって言ってたよね」

 

 こちらに歩いてくる途中に確認していた事を再び口にしながら、小町は意識を現実に引き戻す。あの2人と仲良くなりたいというのは彼女の本音なのだ。兄が仲良くしているからという理由もあるし、それに加えて小町自身が直接仲良くなりたいと思ってしまうほど魅力的な2人である。みんなで仲良く夏キャンプなどに行ける仲になれたら、どんなにか楽しいことだろう。

 

 兄の事故のことを意識からなるべく逸らしながら、小町はいつもの自分を取り戻そうと努める。兄のように面倒な思考に嵌まり込むことなく、元気に素直に反応を返すいつもの自分に。それが果たして素の自分なのか?などという余計な考察は、彼女には向いていないので却下である。そんな事よりも場を取り持ったり話を盛り上げたりして、そこに居る人たちを明るくする方が遙かに小町には合っている。

 

 部活中の兄の様子を知れる事や、同じ部活で過ごす彼女らとより一層仲良くなれる事を期待しながら、小町は既に視界に入っている総武高校の校門に向けて歩いて行く。そして彼女は、物思いに耽っている間も心配そうに彼女の様子を窺っていた傍らの男子生徒の視線には、全く気付いていなかった。




次回は週の半ばの更新になります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。(11/15)

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