俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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すっかりオリ展開になっています。



15.その決断を彼女は決して迷わない。

 時刻は午後11時を回っている。黒のクラッチバッグを片手にネイビーのワンピースドレスを格好良く着こなす大人の女性が、ホテル・ロイヤルオークラのフロントを経て、エレベーターホールへと向かっていた。黒のハイヒールからすらりと伸びる足は薄手の黒いストッキングに覆われていて、バッグを持つ手も黒いレースのグローブに包まれている。彼女の首元ではペールベージュのネックレスが光り、濃紺の髪飾りが静かにその存在を主張している。

 

 エレベーターに乗り込んで最上階のボタンを押して、平塚静はふと今に至る経緯を思い出していた。

 

 

***

 

 

 自宅で夕食を終えた比企谷八幡は、妹の比企谷小町と一緒に食器を片付けてから食後のコーヒーを満喫していた。今日はずいぶんと頭を使ったので、いつも以上に練乳をたっぷり入れてある。小町は糖分控え目で牛乳を多めに加えたコーヒーを味わいながら、兄と並んでソファに座っている。そして彼女は充実感と疲れを共に感じさせる声で、会話を始めるのであった。

 

「雪乃さんって、思った以上にスパルタだったねー。勉強が捗るのはいいんだけど、あれが毎日続くと絶対無理!」

 

「お前な、一応は受験生だろが。雪ノ下がスパルタなのは同感だが、あれぐらい勉強をみっちりやっとかねーと、結局は後で苦労するだけだぞ」

 

「お兄ちゃんって、やっぱり真面目だよね」

 

 小町はため息を吐きながら、口を尖らせて小声でそう呟く。呆れているわけでも、からかっているわけでもなく、むしろ彼女の予想通りの返答なのだが、頭を使いすぎて疲労感のある今の状況では軽口もたたきたくなるものだ。

 

 

 放課後の部室で川崎姉弟を向かい合わせて話をして、その後は間近に迫るテストに向けて集団での勉強会が行われた。嫌な気配をいち早く察して逃げようとした小町だが、長年の付き合いである八幡にはそんな妹の行動はお見通しで、あっさりと回り込まれて万事休す。仕方なく高校生と一緒に勉強する事になったのである。

 

 小町とて受験生という自分の立場は弁えているので、やるしかない状況に持ち込まれると切り替えは早い。どうせなら優等生の雪ノ下雪乃に苦手分野の基礎や躓きやすい部分を教えて貰って、この機会を有効利用するべきだ。そうした彼女の要領の良さが遺憾なく発揮されて勉強に没頭して、ふと我に返った時、小町は今までにない程に頭が疲労しているのを自覚したのであった。

 

 ちょうど良い時間になったので勉強会をお開きにして、できればそのままのメンバーで外で夕食を食べたいと訴えたのだが、頭を重そうにしている彼女に皆が気を遣って今日のところは解散と相成ったのである。食べに行くのは翌日でも良いではないか、と口々に彼女を説得する声を嬉しく聞きながら、小町は兄と一緒に自転車で帰宅したのであった。

 

 

 小町が奉仕部の関係者たちと仲良くしたがるのは、放課後に総武高校に向かうさなかに考えていた事が原因である。兄経由ではなく直接的に、彼女らと一刻も早く仲良くなりたい。お互いに親密な仲になって、1年以上前の兄の事故の事で彼女らをこれ以上は責めなくても済むように。たとえそれが小町の内心で完結していて、表には出ない叱責であったとしても。

 

 彼女が内面に抱えている問題に比べると、川崎大志の問題は申し訳ないが他人事である。兄妹と姉弟と性別こそ違うが、下の子の視点で客観的に見る限り、彼の姉が何か問題を起こしそうだとはとても思えなかった。家族同士で話す機会をもう少し増やせば良いのにと思いはするが、それも彼の姉に伝えるよりは己の愚兄に言い聞かせたい内容である。

 

 既に小町の中では、大志の問題は時間が解決する類いの問題として処理され、優先度はかなり低いものになっていた。とはいえ兄との話題という意味では重宝するのも確かである。ゆえに小町は、食後の雑談の種として、川崎姉弟の話を持ち出すのであった。

 

 

「それで、お兄ちゃんはエンジェルって何のことだと思う?」

 

「そりゃお前、エンジェル=天使=戸塚じゃねーの?」

 

「駄目だこいつ。早く何とかしないと……」

 

 極限まで冷めた口調で、兄の口真似をする小町であった。兄の部屋にあった漫画は読んだもののアニメを見ていない小町は、兄の言い回しを参考にするしかないのである。

 

「ちょっと小町ちゃん。外ではそんな変なセリフを……」

 

「だって一時期お兄ちゃんの口癖だったじゃん。たしか死神のレム、だっけ?」

 

「あー。微妙に惜しいけど、それ言ったのは主人公な。あと今やレムって言えばレムりんの事だからな。死神のレムとか、きょうび聞かねえぞ」

 

「ま、それはどうでもいいんだけどさ」

 

 せっかく妹に最新のネタを教えてあげているというのに、全く興味を抱かれる事なく聞き流されてしまう八幡であった。反抗期の妹を哀しい目で眺めつつ、しかしこれ以上ネタを長引かせると怖い事になるのは明白なので、彼は真面目に頭を捻る。

 

「戸塚も含めてだが、誰かのあだ名って可能性はあんま無いんじゃね?」

 

「なんで?」

 

 短い返答ではあるが、長年の付き合いによって妹の機嫌の悪さが継続しているわけではないと認識した八幡は、少し考えながらゆっくりと説明をしていく。

 

「今日の川……なんか姉弟で紛らわしいな。川崎姉の態度からして、仲の良い友達がいるとは思えないんだわ。それにもし友達がいたとして、あの性格でエンジェルってあだ名を付けると思うか?」

 

「うーん。言われてみると、誰かにエンジェルって呼び掛けてる沙希さんってイメージ違うね」

 

 おそらく余程の剛の者でもない限り、友人にエンジェルと呼び掛ける者はいないだろう。ましてや川崎の印象とはかけ離れ過ぎている。そんな風に兄の意見に頷く小町に向けて、八幡は別の疑問を投げ掛ける。

 

 

「ただ、大志が言ってたように店の名前だとすると、何の為に連絡するんだ?」

 

「そこは川崎弟じゃなくて大志なんだ。じゃあ沙希さんは川崎でいいんじゃない?」

 

「あー、なんかちょっとな」

 

「お兄ちゃんは変なところで恥ずかしがり屋さんだからなー」

 

 女子高生を名前で呼ぶなどハードルが高すぎて論外だが、そもそも名字を呼ぶことにすら気恥ずかしさを感じてしまう、複雑なお年頃の思春期男子高校生であった。その辺りの事情は言わずとも分かれと、憮然とした表情で伝えて来る兄を微笑ましく眺めながら、小町は先ほどの質問に頭を捻る。

 

「連絡かぁ……。みんなで遊ぶから、お店を予約するとか?」

 

「けどお前、川崎に一緒に遊ぶ友達とかいると思うか?」

 

「うーん、そういうの苦手そうだよね。もし一緒に遊ぶとしても、巻き込まれタイプって感じだし」

 

「川崎が予約の電話をするってのも、想像つかねーよな」

 

 そう口にする八幡に、小町は念の為に確認を取っておく事にした。

 

「お兄ちゃんに聞いても無駄かもしんないけど、クラスでテスト明けに打ち上げするとか、ない?」

 

「あー。俺は誘われないだろうから断言はできんが、クラスの大勢で集まるとかそんな雰囲気は無いぞ。あと、やるにしても川崎が手配するのは無いだろ」

 

「じゃあ、何の為に電話をするんだろうね?」

 

「……ありがちな話だと、ホストの指名とかだけどな。川崎の性格には合わねーけど、万が一の時はやばい事になりかねないから、真っ先に可能性を潰しておくべきかもな」

 

 八幡の発言を受けて、兄妹が背筋を伸ばす為に座り直そうとした瞬間、タイミング良く2人の元にメッセージが届いた。

 

 

***

 

 

『こんばんは、雪ノ下です。

 千葉周辺で現在営業中のお店の中で、エンジェルと名の付く場所は以下の2箇所のみの模様です。

 メイドカフェ・えんじぇるている。

 エンジェル・ラダー 天使の階。

 以上、取り急ぎご報告まで』

 

 兄妹はお互いの顔を見ながら、何とも言えない表情を浮かべる。テスト直前の時期なのだからと、川崎が部室を去った後は即座に勉強会に切り替えて余計な話をさせなかった雪ノ下である。おまけに彼女は解散時に「川崎さんの事は心配ではあるのだけれど、各々勉強を第一に過ごすように」という訓示まで述べていたのである。

 

「雪乃さんって……意外に情に篤いのかな?」

 

「あー、なんだ。情に篤いってか、単に負けず嫌いなだけなんじゃね?」

 

 その八幡の解釈に、思わず深く納得してしまった小町であった。しかし同時に彼女は少し心配そうな表情を浮かべて、思い付いた懸念を口にする。

 

「でも、あれだけみんなに勉強を優先するように言ってたのに……。雪乃さん、解散してからずっと調べてたのかな?」

 

「その可能性もなくはないが……。多分これ、雪ノ下からしたら勉強の気分転換に軽く調べた結果じゃね?」

 

 八幡は軽い口調で自身の予測を口にするが、それを聞く小町からすれば大変な事である。気分転換でこれだけきっちり仕事ができる雪ノ下は、一体どんなスペックをしているのだろうか。小町は呆然とした気持ちになりながら、思い付いた事を冗談交じりに口にする。

 

「雪乃さんが本気になったら、比企谷家の秘密とか簡単に暴かれそうだね」

 

「家族の秘密は分からんが、俺の昔のあだ名とかナチュラルに当てて来るぞ」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 もはや笑うしかない小町であった。とはいえ雪ノ下が悪意を抱くような性格でない事は彼女も知っているだけに、笑って済む状況なのは幸いである。そんな風に衝撃を受けている小町を尻目に、八幡は何か調べ物を始めていた。

 

「およ。お兄ちゃん、何を調べてんの?」

 

「メイドカフェは分かるが、もう一つがどんな店なのか、って……なるほど」

 

 どうやらすぐに検索結果が出たらしく、八幡は自分だけ納得している。そんな兄に向けてふくれっ面を見せながら、小町は説明を求めた。

 

「で、どんなお店だったの?」

 

「ああ。一言でいうとバーだな。ラウンジって言うの?そんな感じの店だわ」

 

「え、それって……高校生でも入れるのかな?」

 

「分からん。けどまぁ、知ってる人に聞いてみりゃ良いんじゃね?」

 

 そう言いながら八幡はメッセージアプリを開いて、大人の女性に通話を求めるのであった。

 

 

***

 

 

『……比企谷か。何か緊急事態でもあったのかね?」

 

『突然すみません。ちょっと聞きたいんですけど、バーとかって高校生でも入れるもんですかね?』

 

『……正直バーによるとしか言えんが、どんな店だ?』

 

『ホテルの最上階のラウンジ?です』

 

『……顔見知りなら入れるかもしれん。さすがにホテルのラウンジなら高校生にアルコールは出さないと思うが、コーヒーでも飲みに行くつもりかね?』

 

『いえ、その……。今日の部室で大志が言ってた『エンジェル』って名前のお店なんですが、雪ノ下の調べによると2箇所だけみたいなんですよ』

 

『ふむ、それで?』

 

『1つはメイドカフェで、もう1つがホテルのバーなんですけど』

 

『なるほど。君は川崎がホテルのバーに出入りしている可能性を危惧しているのだね?』

 

『ええ。可能性は低くても、万が一の時には影響が大きそうなので……』

 

『ふむ。店の正式な名称と、ホテルの名前は?』

 

『ホテル・ロイヤルオークラ最上階の、エンジェル・ラダー 天使の階です』

 

『海浜幕張のロイヤルオークラだな?』

 

『ええ』

 

『了解した。事が事だし、今夜にでも調べて来よう』

 

 迷いなくそう告げる教師に対して、話を持ち掛けた八幡ですら瞬間絶句した。何とかお礼を口にする八幡に何でもない事のように返事をして、通話は終わった。

 

 

 こうして、平塚先生の夜の調査が始まるのであった。

 




何となく千葉+ホテル+ロイヤルで検索したら、大人なホテルを紹介された件について。

原作からの微妙な変更点ですが、川なんとかさんネタは無し。平塚先生は説得→調査へと役割が変更になっています。3巻の終わりでまた変更点をまとめる予定ですが、こうして少しずつ書いた方が良いのか悩み中です。

次回は日曜日に更新です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
細かな表現を修正しました。(11/15)

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