俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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由比ヶ浜の視点に戻ります。



04.やむをえず彼女は状況を見守る。

 本格的な授業の再開を前に、テストの返却と解説が行われるだけだったその日。由比ヶ浜結衣は、彼女にしては高得点の答案を受け取ったのだが、残念ながら気持ちは晴れなかった。今の彼女にはテストの結果よりも気になることがあり、そちらに意識の大部分を持って行かれていたからである。

 

 

 由比ヶ浜は敢えて言うまでもなく勉強が苦手だったが、それは彼女の頭が悪いこととイコールではない。ある程度の時間を費やして、彼女なりのやり方で勉強すれば、当然結果も出るのである。

 

 彼女はいわゆる丸暗記というものが苦手で、それが勉強への苦手意識に繋がっていた。また彼女の性格的にも、物事を厳密に理解することは不向きであった。そうした性格が原因で暗記が苦手になったのか、それとも暗記が苦手だったのでそうした性格になったのかは判らないが、勉強をする上で暗記能力の差は劇的な違いをもたらす。結果として、由比ヶ浜が勉強を嫌がるようになるのも仕方のないことだったのだろう。

 

 こうした彼女の傾向をきちんと見抜いて、暗記を主にするのとは少し違った勉強法を、彼女と同タイプの人物に伝授することに長けた存在が身近にいたことは、由比ヶ浜にとって幸いだった。同タイプだったのは誰あろう彼女の母親であり、そして学生時代に散々苦労して勉強を教えたのはもちろん彼女の父親である。

 

 

 由比ヶ浜の両親は子供の頃からの腐れ縁と呼べるような関係で、彼女の父は勉強が苦手な昔馴染みを見かねて根気強く勉強を教えていた。当初から彼に下心があったかというと微妙なところである。だが、頭の中身から身長体重まで色んな項目を含めても飛び抜けて高い成長率を誇った、仲の良い女の子の特定の部位に目を奪われがちだったのは、思春期に差しかかった男子としては仕方のない事だっただろう。

 

 由比ヶ浜の母親は、仲の良い男の子のそんな視線に当然のごとく気付いていたが、悪い気はしなかった。むしろ少し嬉しく思ってしまったほどである。そして、そんな自分の気持ちを意識してしまうと、昔から知っている男友達という認識は気付けば別のものに変貌していた。彼女が初恋を自覚した瞬間である。

 

 色気より元気という性格だったこともあり、女子グループで恋話をしていても彼女は正直ぴんと来ないことが多かったのだが、理解できるようになれば一瞬だった。それ以来、彼女は彼と一緒に行う勉強会を心待ちにするようになり、そして成果が出始めてからも何だかんだと理由を付けて、彼と過ごす時間を維持し続けた。

 

 結果として由比ヶ浜の両親は高校も大学でも一緒に過ごすことになり、そして大学生活に慣れた頃にふとした切っかけを理由に付き合い始めてからは、周囲に幸せを放射するかのような微笑ましいカップルとして名を馳せた。彼としては恥ずかしいから人前では控え目にして欲しい気持ちもあったのだが、この頃には諦めの境地に達していたのである。

 

 

 大学を卒業すると、初任給も待たずに2人は結婚した。もはや離ればなれになるなどお互いに考えられず、それならば早いほうが良いだろうと決断したのである。社会人になりたてで薄給だったので新生活は古い公団住宅でスタートしたが、仲睦まじい2人ゆえにすぐに子宝に恵まれた。仕事の面でも順調だった若き父親は、娘の物心が付いた頃に、手狭な団地を離れ新築のマンションを購入して引っ越すことを決めた。全ては順調だった。

 

 両親の愛情を受けてすくすくと成長した女の子は、その心根の優しさゆえに友人関係に悩む時期もあったものの、素直で元気な可愛らしい少女に育った。しかし父親が密かに憂えていた通り、娘は母に似て勉強が苦手だった。夫婦の話し合いでは、嫌なことを無理強いしてもと渋る夫に対して、妻は自らの幸せな人生を振り返って、それもこれも目の前の男性に勉強を教えて貰ったおかげだと強く主張した。

 

 かつてお互いに子供だった頃に使ったノートを古い荷物から引っ張り出して、父親は娘に勉強を教えることにした。小中学生の時期はのびのびと過ごして欲しいのが本音だったが、先を見据えると高校はそれなりの学校に通わせたい。自分や娘の手助けを必要としないほどきっちりと妻が家事をこなしてくれている以上、彼のなすべきことは娘に勉強を教えることである。

 

 当初は手探りだったがすぐに昔の感覚を思い出し、そして娘が母親とよく似ていたこともあり、父娘の勉強会は予想以上に効果的だった。父親はかつて子供だった頃の妻とのやり取りを思い出し、娘の勉強を見ながらそれを再度体験できることに心から感謝した。おそらくは娘から邪険に扱われるようになるまでの間だけに許された、奇跡のような期間なのだろう。父親の教え方に熱意がこもるのも当然だった。

 

 

 かくして、由比ヶ浜は地域でも名の知れた進学校である総武高校に進学した。単純な暗記は最低限に抑える代わりに厳密に覚えて、そして感覚的な理解を正答に繋げる特殊な勉強法で育った彼女は、高校に進学して勉強すべき量が一気に増えたことに圧倒される。その結果、彼女の成績は学年でも下から数えた方が早くなった。

 

 高校生にもなって父親と勉強というのも何だか少し恥ずかしいし、父親としても家族を養いながら高校の内容まで教えるには時間の余裕に欠けた。大学を出て何年も経ってから客観的に振り返ってみて初めて、我が国の高校生はなかなかに高度な内容を学んでいることに気付いたのである。

 

 急速に自分から離れていく娘を眺めながら、父親は覚悟はしていたものの深い哀しみを覚え、そして高校生の頃には簡単に説明できていた内容を基礎から忘れていたことで自らの年齢を自覚した。だが、年齢を重ねても若く元気な性格を維持していて、それが外見にも顕れている妻は泰然としたものだった。

 

 由比ヶ浜の母親は夫を労い、彼の役割が1つ終わった事を自覚させ、そして娘がその役割を引き継ぐ誰かと巡り逢う未来を予言した。それはそれで夫に更なる苦悩をもたらしたのだが、誰もが通る道である以上は諦めて貰うしかない。

 

 

 そうした夫婦のやり取りを由比ヶ浜は詳しく把握しているわけではないが、今日の返却されたテスト結果を知らせると、きっと2人とも喜んでくれるだろう。だが、だからこそ余計に彼女の気持ちは沈みがちになる。

 

 恋愛感情というものは彼女にはまだ理解しがたい部分があるのだが、自分の両親のような仲の良い関係になれるかもしれない、なれたら良いなと密かに思う相手と疎遠になってしまった事実が、彼女を落ち込ませるのである。なまじ両親の仲が良いだけに、そして2人のなれそめから結婚までの話を何度も繰り返し聞いて育ってきただけに、両親とは違って上手くいかない自分を情けなく思う由比ヶ浜であった。

 

 

***

 

 

 休み時間にもお昼休みにも、由比ヶ浜がこっそりと観察していた男子生徒はすぐに教室を出て行って、そしてぎりぎりまで帰って来なかった。あからさまに自分が避けられているようで哀しい気持ちになるが、昨日の今日では仕方のないことだと自分に言い聞かせる。そう簡単に気持ちの整理などできるわけもないのだ。

 

 お昼休みを終えた後の最初の休み時間。由比ヶ浜は誰かからのメッセージが届いていることに気付いた。もしや雪ノ下雪乃からの返信ではないか。一気に表情を明るくしてアプリを立ち上げる由比ヶ浜は、予想外の送り主の名を目にするのであった。もちろん由比ヶ浜にとっては雪ノ下以外からのメッセージは全て予想外だっただろうから、その人物に非はないのだが。

 

 

『こんにちは、国語教師の平塚です。奉仕部の顧問として非常に申し訳ないのですが、学外で用事ができてしまったので、今日の放課後は校内で待機しておくことができません。今日の部活は中止にして、各自テスト開けの開放感を満喫して下さい。今後の部活動については、また明日にでも。以上』

 

 届いたメッセージを側にいる2人にも見せて、由比ヶ浜は意外な展開に首を捻る。少しだけ、これで放課後も彼と顔を合わせずに済むと気付いて、安堵と不満という正反対の2つの感情が彼女の中に沸き起こったのだが、彼女はそれらを意志の力で鎮める。そんなことを思っているようでは、彼の力になどなれないのだ。

 

「じゃあ、気晴らしに遊びに行くし」

 

 念の為に周囲には声が漏れない設定にして、三浦優美子が決定事項のように2人に告げる。昨夜は持ち直したように見えた由比ヶ浜の表情が今朝からまた暗いことで、三浦としても何とかしてあげたい気持ちがあるのである。

 

 

 だが困ったことに、由比ヶ浜が今朝から少し落ち込んでいたのは昨夜のことが原因になっていた。2人に話を聞いて貰って気持ちを持ち直して、その後は楽しく時間を過ごした由比ヶ浜だったが、朝になって罪悪感を覚えたのである。

 

 おそらく同じ部活のあの2人は苦悩しながら夜を過ごしたのだろうに、自分は友人に囲まれてぬくぬくと楽しく時間を過ごしてしまった。距離的にも、そして精神的にも2人から遠く離れてしまったみたいだ。自分はこんな時に何をしているのだろう。そんな風に考えてしまって、由比ヶ浜は朝から沈み込んでいたのである。

 

「そだねー。あの2人のことは、無理に話を解決しようとすると逆効果な部分もあるだろうし。焦らずに、まずは結衣が元気にならないとね」

 

「結衣が落ち込んでると、出そうになった元気も引っ込みそうだし」

 

 そんな由比ヶ浜の反応を見て、自己嫌悪とかその類いの何かに陥っているのだろうと推測した海老名姫菜がフォローを入れる。彼女の発言を聞いて三浦もまた由比ヶ浜の心境を把握して、彼女にしては珍しい言い回しでフォローを重ねる。

 

 自分が落ち込んでも何にもならない。しばらくは状況を見守るしかない。眼前の2人が考えていることが痛いほどに伝わってくるので元気を出したい由比ヶ浜だが、やはり奉仕部の2人との距離が離れたままなのが辛いところである。何か少しでも良いから、状況に改善の兆しでも見られたら良いのにと彼女は思う。現実には、クラスメイトの男子生徒は無干渉を貫いているし、仲の良い部活仲間の彼女からは依然メッセージの返事がない。

 

 すぐには元気になれそうもないが、目の前の2人の気持ちに応える為にも、まずは形からだ。そう考えた由比ヶ浜が空元気を出そうとした瞬間、彼女に新しいメッセージが届いた。

 

 

『拝啓。長雨の季節ですね。由比ヶ浜さんは元気に過ごしている事と思います。テストの結果は如何でしたか。昨日から心配を掛け通しで申し訳なかったのですが、お陰様で私は元気です。今はすっきりした気持ちなので、安心して下さい。言葉では伝え難いのですが、本当に感謝しています。残念ながら平塚先生は用事があるとの事で、私も昨日少し夜更かしをしてしまったので、今日の放課後はすぐに帰宅する予定です。また明日の放課後、部室で待っていますね。貴女の親友2人にも宜しくお伝え下さい。かしこ』

 

 まるで手紙のような文体のメッセージを見て、由比ヶ浜は一気に表情を明るくする。それを見た傍らの2人には、誰からメッセージが来たのかなど丸分かりである。言葉にすることなく「良かったし」という気持ちを込めて由比ヶ浜の肩を叩くと、彼女は満面の笑顔を返してくれる。これでこそ由比ヶ浜だと自らも顔をほころばせながら、三浦は娘を見守る母親のようにうんうんと頷くのであった。

 

 

 何度か繰り返してメッセージを読んだ後で、傍らの2人にも文面を見せる。それを見て「あー、雪ノ下さんのメッセージって感じだね」と楽しそうに呟く海老名と、表には出さないものの「()()()親友2人」という描写に内心不満を呈する三浦。

 

 彼女らとしては放課後に遊びに行くことに雪ノ下も巻き込みたいのが本音だが、先回りして対処されているような文面が少々腹立たしい。次の機会は見ていろよと同じような事を企む2人はお互いの企てに気付いていないのだが、それを言えば由比ヶ浜も気持ちは同じである。

 

 由比ヶ浜は心底から雪ノ下の復活を喜びつつ、同時に少しだけ、何の力にもなれなかった自分を悔しく思う気持ちを抱いていた。結局、雪ノ下は独力で気持ちを建て直して、由比ヶ浜に配慮までしてくれている。自分は2人の力になれないどころか、そんな無力感を持て余して、まるで解消できていないというのに。一緒にいてくれる友人達に頼りっぱなしの状況だというのに。

 

 せめて自分にできる何かがあると良いのにと由比ヶ浜は考え、そして思い付く。いつになるか判らないが、でもできるだけ早く今の状況を解決して、そしてテストの打ち上げの時と同じように大勢で盛り上がるのだ。打ち上げの企画とか、自分にできるのはそれくらいだろうから。それを思い付いて、ようやく由比ヶ浜は心から喜ぶことができた気がした。

 

 

 まずは今日これからの予定が第一である。男子は部活があるだろうから、今日遊びに行くのは女子3人だけになるだろう。その方がかえって気兼ねなく楽しめるから、今日の気持ち的には良いのかもしれない。頼れる2人の友人が言ってくれたように、あたしまで落ち込んでいても仕方がないのだから、とにかく元気になれるように楽しんで来よう。

 

 こうして気持ちを新たにして、由比ヶ浜はその日の放課後を迎えたのであった。

 




次回は週の半ばの更新になります。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
少し表現を修正しました。大筋に変更はありません。(11/28,12/23)

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