俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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今回は雪ノ下視点です。
タイトルが全く思い浮かばず、更新が数分遅れました……。


06.ちゃんと彼女は日常に復帰する。

 昨夜から何も食べていない状態で午後の最初の授業を乗り切った雪ノ下雪乃は、返却された満点の答案用紙を鞄に片付ける時間すら惜しいという様相である。休み時間になったので、朝から不調だった彼女を心配して周囲の生徒達が声をかけようとするのだが、彼女の表情を目の当たりにして誰も口を開けずにいる。

 

 この時間に返って来たテストは満点だったというのに、そして午前に彼女が受け取れなかったテストも大部分は満点かそれに近い点数だろうと予想されるのに、彼女からは一切の気の緩みを感じない。むしろ午前中のテスト解説を聞き逃した事への怒りの感情すら伝わって来るようで、国際教養科のクラスメイト達は、彼女を保健室に押し込めるという決断が間違っていたのではないかと内心で冷や汗を流している模様である。

 

 だが雪ノ下としても、そんな同級生に気遣いができるほどの余裕はない。空腹そのものは、さほどの問題ではない。1日ぐらい何も食べなくとも意外と何とかなるものだ。だが、空腹によって発生頻度が激増するお腹の音だけは如何ともしがたい。幸いにして先程の時間は意志の力で乗り切ったが、次の時間も同じように継続できると考えられるほど彼女は安易な思考の持ち主ではない。

 

「少し、失礼するわね」

 

 昼食を食べ損ねるという失態を演じた自身への怒りを隠すことなく、それでも彼女は誰にともなくそう言い残して、2年J組の教室を出て行くのであった。

 

 

 廊下に出た雪ノ下は、そのまま足早に購買を目指す。とにかく何かをお腹に入れておかないことには次の時間に恥をさらす可能性が高い。明確な対処法があるというのに、それをせず運を天に任せるのは彼女の好むところではない。休み時間は短いとはいえ少しでも食べ物を口にしておく必要があるのだ。

 

 今は休み時間とはいえお昼休みから間がない時間帯なので、廊下を歩く生徒の数は少ない。ましてや購買に向かう生徒などほぼ皆無と言って良く、たとえ彼女が買い食いをしたとしても見咎められる可能性は低いだろう。本当は部室で食べられればベストなのだが、食事時を逃すと各教室で配膳を受けることはできない。今の時間に校内で食べ物を入手できるのは購買だけなのである。

 

 雪ノ下には知るよしもないことだが、もしも食事時以外でも部室で配膳を受けられる設定だったとしたら、彼女は渡り廊下の辺りで目の濁った部員と鉢合わせになって、その結果この時間帯にも昼食を食べ損ねていただろう。あるいは、彼が昼休みに部室に行くという選択肢を思い付かなければ、この時間も引き続いて特別棟に向かうことはなかっただろう。その結果、いつものようにベストプレイス近辺を目指して歩いて来た彼と彼女は、購買の前でばったり遭遇していたかもしれない。それが招く結果はもちろん先程と同様である。

 

 そうした幸運に気付くことなく、雪ノ下は手早く食べられるハムとキュウリのサンドイッチを購買で購入した。時間との戦いであると理解している彼女は飲物もそこで調達して、廊下に少しだけ出張っている柱の陰に気持ちだけ身を潜ませる。「地べたに座るのも立ったまま食べるのも行儀が良くないのだけれど」などと不満げな顔で呟いて、結局は立ったまま食べることに決めて、彼女はせめて行儀良く手を合わせてから、1日ぶりの食事にありついたのであった。

 

 

***

 

 

 食べている途中でメッセージが来たので、雪ノ下は食事を続けながら内容に目を走らせる。顧問からの、今日の部活は休みだと部員2人に通知したというメッセージである。今後の部活動について明日話し合うという予定が文末に書かれていて、少しだけ彼女は気持ちを暗くした。

 

 昼休みに教師に知らされたことだが、あの男子生徒は今日になっても昨日のことを引き摺っているらしい。どの程度の落ち込みようなのか、自分の目では見ていないので何とも言えないが、彼に元気がなければ彼女としても軽口を叩きにくくなるし、それ以上にもう1人の部員が色々と気を回す事になるだろう。何とか明日までに調子を戻してくれると良いのだが。

 

 

 昨日の職場見学は彼女にとってすらも衝撃的なものだったのだ。幸いなことに彼女は為すべきことを見出せたので復調できたが、彼に与えられた課題は厄介である。何かしら彼女を、雪ノ下雪乃を上回るものを身に着けること。彼女の上を行くという時点で既に難事なのだが、真の問題はその先にある。

 

 当然のことだが、雪ノ下は彼よりも劣っているという状況を指をくわえて放置する気はなかった。何らかの点で彼に上回られたと確認できた時点で、再度彼よりも上に行こうと彼女は全力を尽くすだろう。もちろん体力など絶対的に自分に向いていない領域で劣るのは仕方のないことだが、そんな項目で上回ったところで彼の気は晴れないだろう。

 

 つまり、彼に上回られても雪ノ下が悔しいとは思わず、かつ彼が自尊心を保てる事柄をまず見出す必要があるのだ。彼女に劣っている分野を彼が手当たり次第に磨こうとしたところで、その結果が惨憺たるものになるのは目に見えている。成果は出ず疲労感だけが残り、彼の精神状態は今よりも悪化する可能性が高い。『だからこそ、何を学び習熟するかが重要』なのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 とはいえ、雪ノ下としては彼には別の選択肢を選んで欲しいのが本音である。つまり、彼女に劣ることを受け入れて貰って、その上で奉仕部の活動に協力してくれれば彼女にとってはベストである。

 

 そもそも、比べる対象を彼女にするから話が難しくなるのである。客観的に見ても、彼は人並み以上に頭が切れるし機転も利く。捻くれた思考と偏った考え方のせいで誤解されがちだが、実は彼は発想も豊かだし視野も広い。人の好意を信じられない臆病さは改善した方が良いとは思うが、それが絡まない状況であれば、彼は既に雪ノ下の助けになれる程度の能力は有しているのである。

 

 彼の長所を思い出しながら、雪ノ下はふと微笑む。中間試験の前だったので感覚的にはずいぶん昔のようにも思えるのだが、冷静に考えるとまだ3週間も経っていない。彼のクラスで流れていた噂を何とかしたいという依頼が来た時に、噂の渦中にあった彼を含む4人を彼女は寸評したのだった。

 

 あの時は彼の面前でもあったので茶化すような評価をした記憶があるが、彼の捻くれた部分も偏った性向も、彼女は別段嫌いではなかった。むしろ、物事の見方が捻くれていたり読書傾向が偏っていた結果として、彼は自分にはない知識を持つに至ったと雪ノ下は考えていたのである。

 

 そもそも、彼と直接話をした時から、彼女は彼を他の生徒よりも高く評価していたのだ。自分が努力を怠れば抜かれてしまう可能性があると考えたのはいつだったか。それは確かもう1人の部員に、サブのスキルをいつ発見したのかと尋ねた時だった。そう、その時に彼女は考えたのではなかったか。この3人の組み合わせは、意外に相性が良いのではないかと。

 

 

 そういえば、昨日からメッセージを何度も貰っていたのに、彼女に何も返事をしていない。雪ノ下はそれを思い出して、頭を瞬時に切り換える。考え事をしながらも口は動かしていたのだが、それでもまだサンドイッチは残っている。だが休み時間にもまだ少し余裕がある。

 

 口が塞がっているので音声入力は諦めて、雪ノ下はキーボードを呼び出してメッセージを書き始めた。まだ丸1日も過ぎていないというのに、長い間ごぶさたしてしまった気持ちがする。ここはきちんと謝っておくべきだろう。彼の状態がどんなものなのかは判らないが、彼女との仲がぎくしゃくするようでは彼への対処も覚束ないだろう。

 

 拝啓で始まってかしこで終わるメッセージを送信前に読み返して、雪ノ下は満足そうな表情を浮かべた。既にサンドイッチは完食して、腹ごなしができた彼女は実にすっきりした気分で下書きを眺めていた。その気持ちを伝えられる相手が居るとは、なんと幸せなことだろうか。

 

 かくして、遅い昼食も終えてメッセージの返信も終えた雪ノ下は、更にすっきりした気持ちに浸ってその場でしばし佇んでいた。そんな彼女が予鈴を聞いて慌てふためくことになるのはここだけの話である。

 

 

***

 

 

 その後は何事もなく授業を終えて、雪ノ下は常とは違ってすぐに帰宅の途に就いた。朝方はショートカットをしたので帰りは歩くことにしたのだが、珍しい時間に下校している彼女を見ても、誰も声をかけはしない。疎んじられていたり無視されているからではなく、周囲の生徒達が彼女の行動を尊重して彼女の邪魔をしないようにと心がけた結果である。

 

 雪ノ下は順調に自宅マンションへと到着して、いつものように服を着替えてお茶を淹れる。一服した後で軽く各部屋の掃除をして、彼女は返却された答案用紙を取り出した。午後に返って来たものは見直す必要はないが、放課後にまとめて返してもらったテストには念の為に一通り目を通す。

 

 特に問題はなかったので、彼女はそのまま明日の予習に移った。いきなり通常通りの授業に戻るので、気が緩んだ生徒にとっては切り替えが難しいのだが、彼女には容易いことである。むしろ予習復習という毎日の習慣から外れるテスト期間の方が彼女には煩わしかった。

 

 テスト直前には念の為に試験範囲を見直しはするが、そもそも普段から忘却曲線を考慮した勉強スケジュールに従っている彼女が得られるものは少ない。あまり大きな声では言えないが、彼女にとってはテスト直前になればなるほど、試験とは関係のないことに割ける時間が得られるのである。

 

 翌日の予習も簡単に済んでしまったので、雪ノ下は昨日読んでいた書籍の復習に移る。今日は部活もなく早めに帰って来たので、まだまだ時間の余裕はある。普段の高校での授業と比べても復習は手間がかかったが、それでも昨日の続きをたっぷり読めるだけの時間は残っている。

 

 明日からは通常授業なので、今日は無理はできない。そもそも寝不足だったのだから早めに就寝すべきだし、入浴も夕食も今日はきちんと済ませなければ。そう考えた雪ノ下は何とか誘惑を断ち切って、中途で読むのを止めた。

 

 早い時間帯に布団に入って、しかし気が昂ぶっているのかすぐには眠れなさそうだと考えた彼女は、先程の書籍の続きを読むべきかと真剣に考える。このまま眠るべきか、それともたとえ半時間でも続きを読むべきかとベッドで悶々としていた雪ノ下は、やはり疲れていたのだろう。気付けば彼女は安らかな寝顔を浮かべて、夢の世界へと旅立っていたのであった。

 

 

***

 

 

 いつも通りの時間に起床して、普段と同じように支度を終えて、通常通りの時間にマンションを出る。ぐっすりと眠れた雪ノ下はすっかり元通りの1日を迎えていた。

 

 歩いて登校して、余裕を持って教室に到着した彼女は、席の近い同級生と簡単な雑談を交わしながら授業の支度を行う。彼女の予習は完璧で、授業中にも何ら問題は無かった。

 

 そのまま昼休みの時間になり、雪ノ下は少し迷ったものの、通い慣れた部室へと向かうことにした。昨日はお昼にも放課後にも立ち寄れなかったので、何となく様子を見に行きたいと思ったのだ。クラスメイトからのお昼のお誘いを申し訳なさそうに断って、彼女は教室を出る。

 

 廊下に出たところで、見覚えのある生徒が近付いてくることに気が付いた。彼女と同じ学年で、たしか生徒会に所属している男子生徒だったか。彼女はそんなことを思い出しながらその場で立ち止まる。特に年下の女の子に振り回されそうな女難の相を醸し出す彼をじっと見つめていると、彼は少し居心地が悪そうな顔つきで雪ノ下に話しかけてきた。

 

「あの、雪ノ下さんに伝言なのですが」

 

 たしか同級生だったと思うのだが、なぜ敬語なのだろうと彼女は考える。だが深く悩むほどのことでもなく、よくあると言えばよくある事なので気にしないようにして、彼女はしっかりと頷いて話の続きを促す。

 

「会長が……城廻先輩が、雪ノ下さんに相談したいことがあるとの事です。場合によっては奉仕部への依頼に発展するかもと言ってました。なので、その……テスト明けで部活を楽しみにしていた部員もいると思うので申し訳ないのですが、今日は部活は休みにして、放課後に生徒会室まで来て貰えないでしょうか?」

 

「成る程……。相談には時間がかかるのね。今日は部活を中止にして生徒会室に行けば良いとして、部員達も同行させた方が良いのかしら?それと、相談の内容は今は教えて貰えないという結論だと思うのだけれど、明日の部長会議に影響することなのかしら?」

 

「ええと、その辺りは直接お会いして話したいとのことです。部員の方々は、今日のところは来てもらわなくても良いとのことです。とにかく雪ノ下さんと話がしたいと言ってました。……あ、奉仕部にとって悪い話では絶対にないって強調しといて、とも言ってました」

 

「そう……。正直、相談の内容は見当が付かないのだけれど、依頼にも繋がる可能性があることなら拒否する理由もないわね。では、放課後にお伺いするとお伝え頂けるかしら?」

 

「畏まりました。では後ほど」

 

 すっかり返答の仕方が従者のそれになっている生徒会役員であった。

 

 2日連続で部活が中止になるのは心苦しいが、少し時間をおけるのは彼にとって良いことかもしれない。雪ノ下はそんなことを考えながら、来るべき放課後へと思いを馳せるのであった。

 




次回は週の半ばの更新になります。
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