俺の青春ラブコメはこの世界で変わりはじめる。   作:clp

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順番を変えて、今回も引き続き雪ノ下視点です。



07.まんざらでもなく彼女は笑顔を浮かべる。

 お昼休みの冒頭に生徒会長からの伝言を受け取った雪ノ下雪乃は、その内容を吟味しながら食事を摂ろうと考えて、特別棟へと足を進めた。渡り廊下を歩きながら両脇の窓を眺めると、昨日から降り続く雨は今もなお止む気配を見せず、静かに窓ガラスを叩き続けている。

 

 部室に辿り着いてお湯を沸かす手配をして、雪ノ下は独り黙考しながら昼食を始めた。まずは考えるべき事を整理する必要がある。大きく分類すると、生徒会長からの呼び出しの件と奉仕部の件との2つに分けられるのだが、それぞれに影響してくるであろう1つの要素が存在する。つまり明日の放課後に予定されている部長会議がそれである。

 

 

 例年であれば、夏の大会などのイベントを終えて3年生が引退する際に部長が交代する形が一般的だった。それを踏襲している部活も少数あるのだが、今年度に限っては多くの部活がこの時期に代替わりを予定していた。もちろんそれは、この世界に閉じ込められたことが原因である。

 

 運動部にとっては全国大会どころか県大会に参加することすらも夢と消えて、3年生は学業を優先する姿勢を鮮明にしていた。他のことにかまけた結果、万が一にも卒業できない事態に陥れば、この世界で更に1年を過ごさなければならなくなる。彼らの意識が部活動に向かないのも仕方のないことだろうし、それゆえに早い時期での部長交代が多くのクラブで行われる手筈になっていた。つまり明日の部長会議は2年生が多くを占めるだろう。

 

 厳密には部活ではないが、生徒会は例年通りの時期に代替わりを行う少数派に属している。会長を始め3年生の多くが有名大学への推薦を充分に狙える成績を維持しているのも理由の1つだし、選挙を行う余裕がないのも理由の1つである。候補者という点でも、2年生はともかく1年生は高校生活に慣れると同時にこの世界にも適応しなければならず、そんな経験に乏しい状態の彼らに職務を押し付けるのは現執行部としては気の進まない事であった。

 

 

 雪ノ下は情報の少ない生徒会からの相談について考えるのを後回しにして、まずは奉仕部についての考察を進める。目下の最大の問題は、奉仕部の今後の方針をどうすべきかという事である。そして優先度は落ちるが気掛かりなのが、かの男子部員の精神状態である。

 

 さすがの雪ノ下でも、彼が内心で退部を決意しているほどに深刻な状況だとは気付いていない。職場見学を終えて別れて以来、彼とも彼女とも会っていないのだから、それも無理のないことだろう。雪ノ下の精神状態を慮ってか、女子部員からのメッセージにも深刻な話は書かれていなかった。そもそも根が明るい性格の彼女にしてみれば、彼が独りでこれほどに拗らせているなど思いもよらない事である。心配している彼女の想像の更に下を行くのは、彼らしいと言えば彼らしいのだが。

 

 そして同時に雪ノ下は、喪失した自信が一朝一夕に戻るものではないことを身に滲みて理解している。意識を改めるにせよ、新しいことに挑戦するにせよ、とにかく彼に必要なのは時間だと考える雪ノ下は、部活が中止になることを前向きに捉えていた。週が明けて()()()を迎える頃には、彼も少しは落ち着きを取り戻しているだろう。

 

 今の雪ノ下にとっては、奉仕部の活動範囲をどの程度まで広げるべきかを考察する方が優先順位は高い。本音を言えば部長会議までに部員2人の意見を聞いて、常識的な見解や意外な観点からの指摘を得たかったところだが、無いものねだりをしても仕方がない。部活動を中止にして時間を置くことが彼にはプラスに働くと考える彼女は、部員に頼りたくなる気持ちを押し殺して考察に戻る。

 

 

 奉仕部は未だに総部員が3名しかいない。一方で、この世界に巻き込まれた時に彼女が行った演説やテニス勝負という一大興行によって、奉仕部の存在は部員達が思う以上に有名になっていた。もしも一般の生徒達から相談事を一斉に持ち込まれたら、奉仕部の機能がたちまちに不全と化すのは目に見えていた。

 

 現在のところは、依頼に顧問の許可が必要というハードルの高い条件があり、そして雪ノ下の凛とした佇まいに気圧される生徒が大多数なので、気軽に依頼を持ち込む者は出ていない。しかしそれは同時に、深刻な悩みを抱えている者が依頼に二の足を踏むことにも繋がっているだろう。その辺りのバランスをどう取るべきか。

 

 改めて初心に戻って色んな検討を加えた上で、雪ノ下は当初考えていた通りの結論でいこうと決意した。今までの顧問経由のルートに加えて、生徒会経由のルートでも依頼を受けてはどうかと彼女は考えていたのである。

 

 現生徒会長と彼女との関係は良好で、時々お昼休みにお忍びで部室に現れては紅茶を所望されるほどの仲である。部活動を気遣ってか放課後に来訪することはないが、生徒会長が特定の部室に入り浸っているなど過去に例のないことだろう。もちろん未来がどうなるかは誰にも判らないのだが。

 

 

 ひとまず奉仕部についての考察を終えて、ちょうど昼食も食べ終えた雪ノ下は、お茶を淹れようと椅子から立ち上がった。お湯を沸かしたポットは自動的に停止していて、少し温度を下げているはずである。湯冷ましに移した後で急須に注げば、煎茶にぴったりの温度になるだろう。

 

 そんなことを考えながら茶葉を急須に入れようとしたところで、雪ノ下はドアをノックする音を耳にしたのであった。

 

 

***

 

 

「さて。そろそろ新しいバイトに慣れてきた頃だと思うのだけれど、何か問題でもあったのかしら?」

 

 予定を変更して2人分のお茶を淹れて、それを突然の訪問者の前に差し出してから、雪ノ下はゆっくりと口を開いた。部室にいる2人の女子生徒は沈黙に慣れているのか、それまで必要最低限の会話しか交わしていなかったにもかかわらず、特に嫌な雰囲気は伝わって来ない。

 

「そっちはまあ、順調なんだけどさ。その、あの時に世話になったから、ちょっと気になったんだけど……」

 

 どう話せば良いのか悩んでいる様子で、川崎沙希は歯切れの悪い発言を続ける。だが雪ノ下は彼女の性格をとうに把握している為に、特に急かすでもなく、ゆっくりと頷いたり小首を傾げたりしながら、彼女が本題に触れるのを待っていた。

 

「昨日から、そっちの部員2人の様子が、ちょっと変な気がして……。あんたは大丈夫かなって、来てみたんだけどさ」

 

 言うまでもなく、彼女もまたぼっち気質を持っている。そんな川崎にとって同級生の特に異性の名を呼ぶのは心理的に抵抗があるのだろう。名前は名前でしかないと考える雪ノ下にとっては未だ理解しがたい感情ではあるが、少し照れ臭そうに何とか名前を出さずに話を続けようと努める彼女の姿は微笑ましいものだった。

 

「ええ、私は大丈夫なのだけれど……。うちの部員達が心配を掛けてしまったことを詫びるべきなのかしら?」

 

 聞くからに冗談だと判る口調で後半部分を付け加えて、雪ノ下は答える。彼女の返答を受けて川崎も少し気が楽になったのか、素直に思っていたことを語り始めた。

 

「あたしは別に良いんだけどさ。勝手に心配してるだけだし、クラスで直接尋ねようともしてないし」

 

 仲の良い友人2人に加えて男子グループなど大勢の生徒に囲まれている女子生徒に話しかけるのは、ぼっち気質の川崎には難しいことだろう。そして独りで過ごしているとはいえ男子生徒に話しかけるのもまた、彼女には難事だろう。

 

 だが、彼女は自分にできることを考えて、そしてこの部室まで様子を見に来てくれたのだ。そうした川崎の思考の流れをつぶさに読み取った雪ノ下は、笑みを深めながら彼女に簡単な説明を始めた。

 

「職場見学の時に、少し手厳しい指摘を受けたのだけれど……。彼はそれを今日まで引き摺っていて、彼女がそれを心配しているのだと思うわ」

 

 先ほど名前を言い淀んだ川崎に合わせる形で、部員の名を出さず代名詞を口にする雪ノ下であった。からかわれていると理解した川崎は少し不満そうな表情を浮かべるが、かといって挑発に乗る形で2人の名前を口にできるかというと難しい。そんなに簡単にぼっちは脱却できないのである。

 

 

「じゃあ、あたしに何か協力できることってある?」

 

 ゆえに川崎は端的に問い掛ける。2人が困った状況にあるのなら、助けるのが当たり前だと言わんばかりの口調で。そんな彼女と視線を合わせて、雪ノ下は今にも破顔しそうな表情で、具体的な提案を行うのであった。

 

「そうね……。今日は生徒会に相談を持ち掛けられたので部活を中止にする予定なのだけれど、その旨をメッセージにして、このお昼休みが終わる頃に2人に送信するわ。貴女には教室で待機してもらって、メッセージを受信した時の2人の様子を後で教えて貰えないかしら?」

 

「観察役ってことだね。休み時間の様子とかも報告したほうが良い?」

 

「そうね。可能な範囲でお願いできるかしら?生徒会の相談にどれだけ時間が掛かるか判らないのだけれど、貴女は今日のバイトは……」

 

「通常シフトだから家で夕食を食べて、その後なら別に何時でも……」

 

「なら、夜の9時頃にこちらから連絡するわね。それと、2人にメッセージを送る直前に貴女にまずお知らせするわ。他には……」

 

「それぐらいかな。あんまりプライバシーを探りすぎるのも悪いしね」

 

 問題点を共有した後はとんとん拍子に話が進んで、こうして雪ノ下の内心で懸念材料になっていた部員達の件は解決の糸口が見えてきた。とにかく情報を仕入れないことには何も始まらない以上、川崎の協力は願ったり叶ったりである。

 

 それに雪ノ下としては、彼のことは勿論だが、メッセージで不自然なほどに陽気な話しか書いて来ない彼女にも少し違和感を覚えていた。作ったような明るい表情を周囲に向ける人物と長年接してきた彼女にとって、その違和感は黙って見過ごせる類いのものではない。

 

「そうね。では、貴女には迷惑を掛ける形になるのだけれど、お願いするわ」

 

「あたしが無理に協力を言い出しただけだし、気にしなくていいよ」

 

 それぞれの発言を本音で言い合って、こうして珍しい2人による協力関係が成立したのであった。

 

 

***

 

 

 少し早めの時間に部室を後にして、予定通りに部員2人にメッセージを送って、この日の雪ノ下の昼休みは終わった。部員たちからの返信は予想の範疇で、男子部員からは素っ気ない了解の旨が、女子部員からは騒々しく部活の中止を残念がる内容が届いた。

 

 午後の授業は特に問題なく、こうして雪ノ下は放課後を迎えた。雨は依然として降り続いている。

 

 

 雪ノ下が生徒会室を訪れると、意外なことに生徒会長が1人で待っていた。伝言を伝えに来た生徒ぐらいは同席するだろうと思っていたので予想外の事態だったが、気心の知れた相手でもあるし、正直2人きりのほうが話がしやすいのも確かである。おそらく生徒会長がそうした事を考慮してくれたのだろう。

 

「わざわざ来て貰ってありがとねー」

 

 相変わらず、ぽわぽわとした雰囲気を周囲に撒き散らしながら、生徒会長の城廻めぐりが口を開いた。少しだけ首を振ることで応えた雪ノ下を親しげに見つめながら、彼女はまず用件を述べる。

 

「えっと、雪ノ下さんも予想してた通り、1つ目の議題は明日の部長会議のことね。それから2つめの議題は……こっちから済ませちゃおうか。あのね、奉仕部が行った職場見学の詳しい話を聞きたいんだけど、お願いできるかな?」

 

「それは……理由をお伺いしても?」

 

「うん、説明するね。月曜日の職場見学が終わってから、奉仕部の3人の様子が少し変だって、ちょっと噂になりかけてるのね。……あ、今回のは純粋に雪ノ下さん達を心配する感じの噂だから、身構えなくても大丈夫だよー」

 

「そうですか……。私はテスト明けで少し体調を崩しただけで、もう大丈夫です。昨日は部活が休みでしたので、職場見学の後は部員達に会っておらず、2人の事は分からないのですが……」

 

 余計な事は言わないようにしながらも、雪ノ下は特に警戒することなく状況をそのまま伝える。むしろ彼女としては情報が欲しいのが本音なので、生徒会が誇る情報収集の技術の粋を垣間見たいのが正直なところである。

 

「雪ノ下さんも含めてだけど、奉仕部の3人が揃って元気がないって心配してる生徒が何人か居てね。それで、奉仕部の見学先って運営の仕事場だったでしょ?だから、何か悪い情報があるんじゃないかって……」

 

 色んな事が腑に落ちた雪ノ下であった。確かにそれは周囲からすれば心配しても不思議ではないどころか、何としても詳細を知りたいと思うような事柄だろう。むしろ自分達に直接問い掛けてくる生徒が出ていないのが不思議なほどである。おそらく、目の前の人物が色々と手を回してくれたのだろう。

 

 納得したような表情を浮かべる雪ノ下を眺めながら、生徒会長は話を続ける。最後には笑顔を見せながら。

 

「だから、詳しい話が知りたいって気持ちもあるんだけど、まずは結論が知りたいかな。雪ノ下さんの表情を見る限り、たぶん大丈夫そうだけどね」

 

「ええ、私たち生徒全体にとって悪い話は全くありませんでした。ちょっと生意気な部員が鼻をへし折られた程度で、それもじきに解決すると思いますよ」

 

 協力者を得て解決に自信を深める雪ノ下は、軽い口調でそう答えた。今日は変な日である。いったい自分は何度笑顔を浮かべただろうか。そんな事を内心で考えながら、雪ノ下は話題を進める。

 

「では、職場見学の詳しい話はまた時間がある時に回して、本題に移りましょうか。部長会議が面倒な事になるのではないかと予想したのですが……」

 

 こうして、彼女らの相談はその後もしばらく続くのであった。




自業自得ですが、最近タイトルに苦慮しています……。

次回は月曜に更新する予定です。
ご意見、ご感想、ご指摘などをお待ちしています。

追記。
少し解りにくいと思われる箇所に一文を加えました。(12/9)
細かな表現を修正しました。大筋に変更はありません。(12/26)

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